2024.6.16(日)
昨日(15日、土曜日)、南医療生活協同組合主催で、緑区内にある豊藤稲荷神社を参拝した。
豊藤稲荷神社は、緑区内作の山町の小高い丘に鎮座する神社である。その境内には、天に駆け上がる勇壮な龍を思わせるご神木「藤龍」が祀られ、本年は例年以上に多くの参拝客でにぎわいを見せていた。
この神社は、1848(嘉永元)年4月に創建された由緒正しい神社とのことである。
嘗て朝日山と呼ばれたこの地は、織田信長と今川義元の合戦「桶狭間の戦い」に関わるところである。1560(永禄3)年5月、わずか3000の兵を率いた織田信長は、今川義信の約25000とも伝えられる桁違いの軍勢に挑み、起死回生の大勝を収めた。この時、織田軍が集結したのが、砦公園及び豊藤大明神が鎮座していた朝日山一帯。日本の歴史の大きな転換点となった栄光の地として知られる。
辰年の今年は、境内に祀られている「藤龍」のご神木が注目を集め、元旦から多くの初詣客で賑わったという。朝日山に自生する山藤が、長い年月をかけ龍のように変化したもので、その様子は今にも登っていきそう。10年ほど前、何気なく藤を見ていた本田さんが「なんだか龍の頭のように見える」と気付いたのが「藤龍」の始まりだったという。
「藤龍」は自然に任せながら朽ちないように支柱で支えて大切に見守られている。織田信長が勝利をつかんだ地に現れた「龍」をひと目見ようと、運気上昇などを願う参拝客が数多く訪れている。
毎年、4月14日に行われる春の大祭には、千鳥丘中学校の和太鼓部による勇壮な演奏と共に、藤の花をじっくり拝むことができそうである。
昨日(15日、土曜日)、南医療生活協同組合主催で、緑区内にある豊藤稲荷神社を参拝した。
豊藤稲荷神社は、緑区内作の山町の小高い丘に鎮座する神社である。その境内には、天に駆け上がる勇壮な龍を思わせるご神木「藤龍」が祀られ、本年は例年以上に多くの参拝客でにぎわいを見せていた。
この神社は、1848(嘉永元)年4月に創建された由緒正しい神社とのことである。
嘗て朝日山と呼ばれたこの地は、織田信長と今川義元の合戦「桶狭間の戦い」に関わるところである。1560(永禄3)年5月、わずか3000の兵を率いた織田信長は、今川義信の約25000とも伝えられる桁違いの軍勢に挑み、起死回生の大勝を収めた。この時、織田軍が集結したのが、砦公園及び豊藤大明神が鎮座していた朝日山一帯。日本の歴史の大きな転換点となった栄光の地として知られる。
辰年の今年は、境内に祀られている「藤龍」のご神木が注目を集め、元旦から多くの初詣客で賑わったという。朝日山に自生する山藤が、長い年月をかけ龍のように変化したもので、その様子は今にも登っていきそう。10年ほど前、何気なく藤を見ていた本田さんが「なんだか龍の頭のように見える」と気付いたのが「藤龍」の始まりだったという。
「藤龍」は自然に任せながら朽ちないように支柱で支えて大切に見守られている。織田信長が勝利をつかんだ地に現れた「龍」をひと目見ようと、運気上昇などを願う参拝客が数多く訪れている。
毎年、4月14日に行われる春の大祭には、千鳥丘中学校の和太鼓部による勇壮な演奏と共に、藤の花をじっくり拝むことができそうである。
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