2009.9.30
2007年、選挙運動中の伊藤一長市長(当時61)を射殺した元暴力団幹部城尾哲弥被告(62)の控訴審判決で、福岡高裁は29日、『選挙妨害が目的ではなかった。死刑は重すぎる』として、一審の死刑を破棄、無期懲役を言い渡した。
判決理由で松尾昭一裁判長は『一審判決の事実認定に誤りはない』とした上で、城尾被告が知人への融資を市に断られたことなどを理由に面識のない伊藤前市長殺害に及んだことを『暴力団特有の身勝手な要求で理不尽極まりない』と指摘しつつも、「行政対象暴力としても、選挙妨害としても最悪な犯行だが、被害者が一人にとどまることを十分考慮する必要がある』として、『死刑選択は躊躇せざるを得ない』と結論付けた。
この事件の一審判決については、昨年の5月26日に出され、そのことについては、翌5月27日の当ブログでも書いた。
一審判決は、銃器を使った暴力団の凶悪犯罪に対し、厳罰をもって臨んだもので極めてすっきりとしたものであった。
しかし、控訴審では結局いわゆる永山基準に拘束された判決となってしまった。1983年に最高裁が示した永山基準は、犯行の性質、殺害方法の残虐性、結果の重大性、特に被害者数など9項目に及んでいるが、死刑を回避する判決で、いつも一番重きを置かれるのが被害者の人数である。
人が人を裁くのに死をもって制するのは、命の重さを軽んじるものとして慎重であるべきだという死刑廃止論者の論理は一面の正論ではあるが、他面の誤りである。殺人もいろいろあり、時には被告に同情すべき事情がある場合もある。だから、殺人者は死刑などという暴論を主張するつもりは毛頭ない。
しかしこの事件のように、被告に同情すべき理由などかけらもないし、一審判決では『暴力的犯罪傾向は深まっており、矯正、改善は困難極まりない』としていて、再犯の恐れさえ危惧される事例だ。無期懲役といってもいずれ釈放される。
検察は、この判決で満足して上告するかしないか定かでないが、納得しがたい判決である。
2007年、選挙運動中の伊藤一長市長(当時61)を射殺した元暴力団幹部城尾哲弥被告(62)の控訴審判決で、福岡高裁は29日、『選挙妨害が目的ではなかった。死刑は重すぎる』として、一審の死刑を破棄、無期懲役を言い渡した。
判決理由で松尾昭一裁判長は『一審判決の事実認定に誤りはない』とした上で、城尾被告が知人への融資を市に断られたことなどを理由に面識のない伊藤前市長殺害に及んだことを『暴力団特有の身勝手な要求で理不尽極まりない』と指摘しつつも、「行政対象暴力としても、選挙妨害としても最悪な犯行だが、被害者が一人にとどまることを十分考慮する必要がある』として、『死刑選択は躊躇せざるを得ない』と結論付けた。
この事件の一審判決については、昨年の5月26日に出され、そのことについては、翌5月27日の当ブログでも書いた。
一審判決は、銃器を使った暴力団の凶悪犯罪に対し、厳罰をもって臨んだもので極めてすっきりとしたものであった。
しかし、控訴審では結局いわゆる永山基準に拘束された判決となってしまった。1983年に最高裁が示した永山基準は、犯行の性質、殺害方法の残虐性、結果の重大性、特に被害者数など9項目に及んでいるが、死刑を回避する判決で、いつも一番重きを置かれるのが被害者の人数である。
人が人を裁くのに死をもって制するのは、命の重さを軽んじるものとして慎重であるべきだという死刑廃止論者の論理は一面の正論ではあるが、他面の誤りである。殺人もいろいろあり、時には被告に同情すべき事情がある場合もある。だから、殺人者は死刑などという暴論を主張するつもりは毛頭ない。
しかしこの事件のように、被告に同情すべき理由などかけらもないし、一審判決では『暴力的犯罪傾向は深まっており、矯正、改善は困難極まりない』としていて、再犯の恐れさえ危惧される事例だ。無期懲役といってもいずれ釈放される。
検察は、この判決で満足して上告するかしないか定かでないが、納得しがたい判決である。