名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

2011年回顧(その二)

2011-12-31 09:12:33 | Weblog
2011.12.31(土)
 続いて目を世界に転ずると
 第一のビッグニュースは年末になって飛び込んできた。
 北朝鮮のメディアが12月19日、最高指導者金正日総書記の死を報じた。それによると金総書記は12月17日午前、現地指導に向かう列車の中で急性心筋梗塞で死去したというものである。享年69歳。核・ミサイル、日本人拉致問題など懸案問題を残したまま金正日体制は17年で幕を閉じた。

 第二は中東に民主化の嵐が吹き荒れ、強権的な長期独裁政権が崩壊した。「アラブの春」と呼ばれた。チュニジアのベンアリ大統領、エジプトのムバラク大統領、リビアのカダフィ大佐らが国外逃亡、辞任、殺害という末路をたどった。さらにシリアも政権基盤が動揺している。

 第三は9.11米中枢同時テロの首謀者で国際テロ組織アルカイダの首謀者ビンラディンが米特殊部隊の急襲作戦により殺害された。

 第四はギリシャの財政危機が欧州各国へ波及し、欧州の信用不安が拡大した。イタリアはベルルスコーニ首相が11月8日に辞任、スペインでは11月20日の総選挙で社会労働党が大敗、7年半ぶりの政権交代を招いた。

 第五は日本の福島第一原発事故を受けて、ドイツ政府は6月6日、2022年までに国内原発17基を全て閉鎖する法案を閣議決定した。スイスも5月25日、34年までの原発全面閉鎖方針を決めた。

 その他、タイでは大雨による大洪水に見舞われ多くの日系企業が多大な損害を蒙った。また2月22日には、ニュージーランドの大地震によってクライストチャーチで大きな被害が発生、日本人28人が犠牲となった。
 中国では7月23日、北京発の高速列車が前の列車に衝突、先頭4両が高架橋から落下した。40人が死亡、200人以上が負傷した。

 いろいろな事件・事故がその年を記憶にとどめるが、2011年はなんといっても3.11が忘れられない出来事となった。

2011年回顧

2011-12-30 13:52:21 | Weblog
2011.12.30(金)
 2011年もあと1日を残すのみとなった。毎年大きな事件、事故あるいは出来事があるのは当然ではあるが、まず国内から見てみると、今年はなんといっても、
 ①3.11の東日本大震災とそれに伴う大津波及び原発事故が特筆にあがるであろう。
 東日本大震災は、3月11日午後2時46分に発生。M9.0、最大震度7のまれに見るすさまじい揺れが東北から関東地方を襲った。名古屋でもいつにない長い横揺れが続いて大きな地震の発生を予感させたものである。
 さらにこの地震を契機に大津波が東北一円、特に岩手、宮城、福島の三県沿岸部を襲い、街ごと一気にのみ込んでしまった。12月28日現在で死者・行方不明者約1万9千人、建物の全半壊は約39万9千戸にのぼっている。
 この震災と同時に東京電力福島第一原発事故も発生した。水素爆発や核燃料のメルトダウンが起き、評価「レベル7」という深刻な事故となった。大量の放射性物質が放出され、多くの住民が避難を強いられて今も自分の家に帰れない事態となっている。
 また、中部電力の浜岡原発は東海地震や津波への備えが不十分として菅首相がその運転停止を求めたことに対し、中電は5月14日、浜岡原発の全面停止に踏み切った。

 ②この大震災に続いて9月3日に大型台風12号が本州に接近、四国に上陸した。この台風の影響で8月30日から紀伊半島を中心に和歌山県、奈良県、三重県に豪雨をもたらし、集落が流されるなど死者・行方不明者は94人にのぼった。 

 ③管直人首相が退陣を表明してその後継を決める8月29日の民主党代表選挙で、野田佳彦氏が当選した。野田首相は鳩山、菅の前首相らがぶれて失敗したことを教訓に、TPP交渉参加、八ツ場ダム、消費増税、辺野古の環境影響評価書の提出など強硬姿勢を貫いて民主党は分裂の危うさを招いている。

 ④女子サッカーのW杯で7月17日、なでしこジャパンが米国を破り初優勝した。その後、国民栄誉賞も受賞した。

 ⑤円相場は10月31日、1ドル=75円32銭をつけ戦後最高値を更新した。ギリシャ、スペイン、イタリアなど欧州各国の財政悪化が深刻となり、円に投資マネーが流れた。超円高で輸出企業は採算が悪化し、生産の海外シフトが加速した。

 その他、大相撲で八百長問題が発覚したこと、2月6日の愛知県知事と名古屋市長のW選挙で県・市民税10%減税を掲げた大村秀章氏と河村たかし氏が当選。また11月27日には大阪府知事と大阪市長選挙のW選挙で大阪維新の会の松井氏と橋下氏が当選し、地方政治に新しい新風を巻き起こした。新しい政治に期待する面と独裁政治を生み易い風潮に流されるポピュリズムの台頭を懸念する両面が交錯した。   【続く】

武器輸出三原則の見直し-政権交代とはいえない民主党の限界

2011-12-27 11:04:15 | Weblog
2011.12.27(火)
 政府は今朝(27日)の安全保障会議で、武器輸出三原則の緩和を決めた。官房長官談話という形で発表した(毎日新聞)。
この三原則の見直しが本格化したのは自民党政権ではなく、政権交代といって多数党となった民主党政権になってからである。
 今年6月、菅内閣は日米で共同開発を進めているミサイルの第三国への輸出を認める方針をすでに米国に伝えている。
 今回の緩和はそれに続くもので、①装備品の海外移転は平和構築や人道目的に限定 ②国際共同開発・生産の対象国は同盟国の米国と北大西洋条約機構(NATO)加盟国などの友好国に限定(日本政府の事前同意が必要)③共同開発の相手国との間で第三国移転の基準と態勢を整備-を謳っている。
 政府は「これまで個別に例外を認めてきたが、基準を作って整理する。武器輸出三原則自体は堅持する」と言っているが、最大の同盟国アメリカが共同開発した武器をイスラエルに輸出しないとも限らない。こんなことになれば友好的なアラブ諸国から日本まで反目される恐れは十分にある。 
 中日新聞によれば、戦車、護衛艦、戦闘機の製造にかかわる企業は驚くべきことに1千社を超えるという。これら防衛産業からの武器輸出への要請圧力が強いことは想像に難くない。民主党政権は原発輸出どころか死の商人とも結託して武器輸出に手を出そうとしている。 
 平和国家、平和国家と呪文のように言うその後で殺戮兵器を造ろうとする恐ろしい正体が垣間見える。


昨年5月の長兄に続いて次兄が身罷る

2011-12-26 21:23:42 | Weblog
2011.12.26(月)
 今日午前、次兄の甥から父が死んだと泣き声で伝えてきた。突然の訃報であった。肺の機能が衰え、ここ1年ほどの間に入退院を繰り返してはいた。この兄一家はすぐ近くに住んでいたので、しばしば見舞いがてら訪問していたが、死に直結する兆候は感じていなかった。先週の月曜日(19日)にも、食が進まないと言うので好きな果物を持って見舞ったばかりであった。それがまさかの訃報であった。享年81歳であった。
 8人兄弟(4人)姉(4人)のうち、昨年5月に長兄が逝ったが、二人目として4番目の次兄が逝ってしまった。姉は4人とも健在である。男よりも女が長命というのをこれほど身近に感ずることはあるまい。それだけに余計次は自分なのかという計算が働いてなんともいえない気持ちでもある。
 長兄が死んだときにも書いた(2010.5.26付)が、戦前の「生めよ増やせよ」の国策でどこも子沢山の家が多かった。したがって8人のうち4番目のこの次兄までが親を助けるだけでなく、弟や妹の面倒まで負わされるという辛さを味わったはずである。戦後の貧しい時代に、筆者や弟が大学まで行けたのは特に二人の兄の苦労のお蔭であったことは間違いない。
 元気なうちは兄弟姉妹が多いのは間違いなく賑やかで楽しかったが、みんなが高齢になるとそれだけ寂しさが募るのは仕方のないことか。

2012年度予算案決定

2011-12-25 12:07:57 | Weblog
2011.12.25(日)
 2012年度政府予算案が24日決定した。
一般会計の総額は、90兆3,339億円(△2.2%)で、対前年度2.2%の減額としたが、大震災の復興予算3兆7,754億円を特別会計とし、基礎年金の国庫負担割合50%維持の財源も一般会計と別枠の「年金交付国債」で賄う方式をとったための見せ掛けの予算減額である。
 これらを合わせると予算総額は96兆円規模となり、過去最大である。新規国債の発行額が税収を上回る異常事態は3年連続となった。
 こうした財政状況から政府・与党は消費増税は必至だとしており、10年代半ばまでに税率を引き上げるとして、来年3月までに関連法案を国会に提出する方針という。
 先にも書いたが、この消費税の引き上げなどは民主党のマニフェストではどこにも書いてない。八ツ場ダムの建設再開といい、高速道路料金の無料化といい、いずれも重大な公約違反である。
 野田首相も「脱原発」と言いながらその本気度が見えない原発関連予算の姿が見えてきた。殆んど従前の予算と変わらないといってよいからだ。
 環境エネルギー研究所所長の飯田哲也氏は、再生エネルギーの普及は予算の増減よりも来年7月に始まる発電した電力の固定価格買い取り制度や、設備の固定資産税減免など政策的な後押しが効果的だと言っているが、あとは野田首相のこうした面からの施策の進展を期待するしかない。関係者、メディアのチェック・監視も期待する。
 ところで、日本国の借金の全体額がいよいよ1000兆円を超えようというとき、毎年税収以上の新規国債を発行しなければ予算が組めないという事態は全く尋常ではない。
 政権取り、人気取りのための予算のバラマキがこんな事態を招いたことは否定できない。一部の人たちはこうした国債でもその消化を外国に依存しているのではなく、国民の財産に依存しているからさして問題ではないようにいう人がいるが、それも程度問題である。借金の残高がGDPの2倍以上にまで膨らんではもはやどうしようもないのが本当であろう。
 そういう意味では、現在の税収構造を見直すことは必要である。しかし、そうであるならば、それはそのための民意を問うてからにすべきである。
 この予算を巡っては、与野党の対決は一層厳しいものとなる。


八ツ場ダム工事再開、またまたマニフェスト違反

2011-12-23 09:24:40 | Weblog
2011.12.23(金)
 前田武志国土交通相は22日、八ツ場ダムの建設を再開し、本体工事費を2012年度予算案に計上すると表明した。
 景気浮揚を理由に推し進められてきた無駄な公共事業の最たる例としてあげられた八ツ場ダム工事の中止は、マニフェストの象徴として政権交代のシンボルでもあった。
 前田大臣は再開の理由を「全体の8割まで事業が進捗している。非常に大きな洪水調節の効果がある」「自然の猛威に謙虚さが足りなかった。東日本大震災までそこが忘れ去られていた」として、このまま中止する方が金の無駄との認識を示した。
 この言い分は国交省の役人の主張そのものであるが、結局前田大臣はそれに従ったに過ぎない。これでは工事中止を言った選挙時のマニフェストは一体なんであったのか、ただただ唖然とするのみである。
 日本の美しい自然を破壊し、そこに住む住民を追い出してきたダム建設は日本の高度成長を支える基盤であった。治水という言葉に酔って利水を追い求めてきた結果が自然破壊であることに気づいた政権交代のはずであった。
 国交相当時に中止を決定した張本人の前原誠司政調会長は、前田国交相の決定を認められないといっているが、最後まで抵抗する気はなさそうである。
 消費税は引き上げない、子ども手当ての充実、高速道路の見直しなどのマニフェストがつぎつぎとつぶされていく中、民主党政権に対する期待はもはや何も見出せなくなったというのが国民の実感である。
 この問題に対する野田首相の声が全く聞こえてこないのも最高権力者の責任放棄ではないか。


福島原発、廃炉に40年!費用も数兆円!!

2011-12-22 09:32:58 | Weblog
2011.12.22(木)
 政府と東電は福島第一原発1~4号機の廃炉に向けた工程表を発表した。核燃料の状態把握だけで10年、燃料の取り出しや建屋の解体まで含めて40年かかるという。
 核燃料を取り出すには高い放射線を遮るため格納容器を水で満たし、圧力容器を水没させる水棺ができるかどうか。溶けた核燃料の取り出しには、高線量の環境でも遠隔操作できるロボット技術の開発も前提となる。
 今回の廃炉工程では具体的な廃炉費用は盛り込まれていない。数十年に及ぶ費用の見積りが難しいというのがその理由だが、今回の事故は米スリーマイル島の事故より深刻で数兆円規模の費用がかかるとの見方が多いという。
 廃炉費用は当然東電が負担する性格のものであるが、東電が電気料金の引き上げなどきちんと対応しなければ債務超過になることは避けられない。 
こうした事態を避けるため、国は数兆円単位の資本注入を行って事実上の国有化を図り、経営改革を主導する方向が出ている。しかしこのお金は国民の税金である。起こってしまったこの事態の解決のためには止むを得ないことではあるが、こんなになってもまだ原発にしがみ付こうとしている人たちが日が経つにつれて増えつつあることに愕然とする。それも自分の近くに原発があることや電気料金が上がることは拒否する人ばかりである。怖いから、国際競争力に勝てないから、物価が上がるから、などなどの理由で!
 天に唾するとはこのことだ。

金正日総書記死去

2011-12-19 21:25:58 | Weblog
2011.12.19(月)
 北朝鮮の朝鮮中央テレビは19日、金正日朝鮮労働党総書記が17日午前8時半に死去した、と発表した。享年69歳。
 朝鮮中央通信は「現地視察中に、精神・肉体の過労によって心筋梗塞が起き、心臓ショックによって列車内で急死した」と伝えた。葬儀は12月28日に行われる。
 金正日氏は「建国の父」である故金日成主席の長男。94年に主席が死去した3年後の97年10月に総書記に就任した。
 以来、徹底した独裁者となって強権政治を行い、深刻な経済難で多くの餓死者を出しながらも体制に不満を抱くものには容赦なく粛清して従わせてきた。
 2006年には初の核実験を行い、09年には長距離弾道ミサイルを発射し、軍事優先に突き進んだ。
 1983年のビルマ(現ミャンマー)爆弾テロ事件、87年の大韓航空機爆破事件などは世界を震撼させた。多くの日本人が北朝鮮に拉致された事件も未解決のまま残っている。
 そんな指導者でも北ではその死に対して、将軍様、将軍様と泣いて悲しむ風景が報道された。不思議な国である。
 金正日氏の後継者は三男で党中央軍事委員会副委員長の正恩(ジョンウン)氏(28)と言われる。正恩氏は2010年9月に軍の大将に任命され、続く党の代表者会で、新設された党中央軍事委員会副委員長に就任した。10月10日の党創建65周年を記念する軍事パレードでは、金総書記と並んでひな壇に立ち、後継者として本格的なデビューを果たしている。
 絶対的な権力を保持していた金総書記が亡くなって、まだ極めて若い正恩氏がこれまでの独裁体制を継続できるのかは不明である。
 しかし小さな国とはいえ、一人の独裁者の死が世界を大きく動かす原動力にならないとは限らない。

原発事故、驚きの収束宣言

2011-12-17 11:49:36 | Weblog
2011.12.17(土)
 野田首相は16日、原子力災害対策本部の会合で、福島第一原発で原子炉を安定して冷却する「冷温停止状態」を達成し、事故収束に向けた工程表「ステップ2」が完了できたとして「事故そのものは収束に至った」と宣言した。
 野田首相は、このことをご丁寧にも昨夕、記者会見まで開いて何となく得意げに全国民に発表した。
 この記者会見を聞いて、多くの国民はもやもやとした違和感を強く感じたのではないか。
 つい最近、敷地内の放射能汚染水の海への放出が確認されたばかりであり、溶けた核燃料の現状も分からない状態で、早々と「事故収束宣言」はないであろう。記者の最初の質問がそれだったのは、国民の気持ちの代弁でもあった。
 この「冷温停止状態」とは、原子炉内の温度を100度以下に保つとともに、放射性物質の外部への放出を抑えることというが、本当に放射性物質を密封できているのか全く心配である。
 そもそも原発周辺は言うに及ばず、広大な地域に及ぶ除染は殆んど手付かずだし、がれきの処分も道遠しである。多くの住民が地元に帰れない現状で、「事故は収束」と言われても納得できないというのが心情ではないか。
 この突然の収束宣言を今朝のメディアも一斉に報じているが、批判一色である。政府としては少しでも安全の方向に進んでいると言いたいのであろうが、結果は大きな見込み違いだ。国民の意識が全く分かっていないと言うべきであろう。空気が読めないのをK Yというが、この事態がピッタリだ。


イラク戦争終結とは言うけれど!!

2011-12-16 16:49:51 | Weblog
2011.12.16(金)
 オバマ米大統領は14日、「イラクの未来は国民の手に委ねられ、米国の戦いは終わりを告げる」と述べ、9年近くに及んだイラク戦争の終結を宣言した。
 戦闘部隊はすでに撤退済みで、訓練支援の駐留部隊が年内に撤退する予定である。
 オバマ大統領は戦争の代償として、米軍について3万人以上の負傷者、4500人近くの死者を出したと述べたが、10万人以上と言われるイラク人の犠牲には一切言及しなかった。
 一方イラクの首都バクダッドでは、パネッタ米国防長官が「多くの血が流れたが、イラク自身の手で統治と治安の確保を担うようになるという任務が実現した」と自賛した。
 イラク戦争は2003年3月に開戦したが、当時のブッシュ米大統領の戦争理由は次のようなものであったことは記憶に新しい。
1.生物・化学兵器等、大量破壊兵器を保持し続け、その事実を否定し、国連の武器査察団に全面的な協力を行わないことに対する武力制裁のため
2.イラクの一般市民をサダム・フセイン大統領の圧制から解放するため
3.テロリストに対する支援国であるイラクを「民主的な国」に変えるため

 2001年9月11日のアメリカへのテロはブッシュ大統領を先頭にアメリカ全体が狂気と化したかのようにイラク戦争へと突き進んだ。上記の戦争理由などは内政干渉の何ものでもない。
 フセイン政権はすぐに崩壊したが、宗派対立などイラク国内のテロは頻発した。
 日本の自衛隊も2004年1月にイラク南部のサマワに駐留した。このことについては後に憲法違反の判決を招くことになった。
 また、2006年12月にはフセイン元大統領が処刑された。 
 9年近くのイラク戦争でアメリカは結局マリキ政権という親米政権を作ったに過ぎない。
 しかし、イスラム系の宗派対立は激化し、国際テロ組織アルカイダ系勢力も依然大規模なテロを狙っている。
 イラクはアメリカ軍の占領状態から解放されるものの治安悪化の恐れは消えない。イラクの平和は遠いというべきか。