名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

円相場一時161円台をつけて37年半ぶりの円安を記録

2024-06-28 17:09:17 | Weblog
2024.6.28(金)
 6月28日午前の東京外国為替市場の円相場は、対ドルで下落し、一時1ドル161円20銭台をつけた。1986年12月以来、37年半ぶりの円安ドル高水準となった。4月29日に1ドル=160円台前半まで下落した際、政府・日銀が円を買う市場介入に踏み切ったと見られており、市場では再度の介入への警戒感も強まっている。
 外国為替市場の円相場は、今月26日に一時、1ドル=160円台後半をつけ、その後も円安の流れに歯止めがかかっていない。
 この事態は、我々の日常生活に特に大きな影響があるわけではないが、対ドルで円の価値が下がっていくのは何となく気にはなる。日本は輸入に頼っている部分が大きく、円安はその分、日本経済に影響を与えることは避けられない。

2024年「朝の音楽祭」を聴く

2024-06-27 17:02:05 | Weblog
2024.6.27(木)
 今日、午前10時30分から緑文化小劇場で開催された標記の音楽会に、連れ合いと聴きに出かけた。
「朝の音楽祭・世界の歌」と題して、ソプラノ村島増美さん テノール安賜勳氏二人の独唱である。ピアノ伴奏は高橋宣江さんが担当した。
 主な曲目は、ガブリエル・フオーレの「夢のあとに」、マヌエル・デ・ファリャの「ムーア人の織物」のほか、グリーグの「ソルベイグの歌」、チャイコフスキーの「ただ、憧れを知る日とは」、中田喜直の「夏の思い出」の曲などを見事な歌声で披露した。
 会場は500人ほど収容の小劇場であるが、ほぼ満席の聴衆は大きな拍手で歓迎した。親しい曲ばかりで、心が和んだ良い演奏会であり、爽やかな朝の演奏会でもあった。

釣り仲間と釣行

2024-06-21 12:10:34 | Weblog
2024.6.21(金)
 昨日20日(木)、伊藤氏ら釣り仲間4人で福井沖の「福丸」に乗船し、イカ釣りに挑戦した。
リールに、アジ釣り用の胴付き仕掛けに、おもり(錘)は60~100号である。
 曇り空で、今にも降り出しそうな天気であったが、なんとか最後まで持ったのは幸いであった。
 結果、筆者の釣果は
  サバ 12匹  イカ 10杯とマアマアの成績であった。
 翌日には、早速妻の料理で、刺身と煮つけをおいしく味わった。釣りの醍醐味である。



 




豊藤稲荷神社に参拝

2024-06-16 08:04:08 | Weblog
2024.6.16(日)
 昨日(15日、土曜日)、南医療生活協同組合主催で、緑区内にある豊藤稲荷神社を参拝した。
 豊藤稲荷神社は、緑区内作の山町の小高い丘に鎮座する神社である。その境内には、天に駆け上がる勇壮な龍を思わせるご神木「藤龍」が祀られ、本年は例年以上に多くの参拝客でにぎわいを見せていた。
 この神社は、1848(嘉永元)年4月に創建された由緒正しい神社とのことである。
 嘗て朝日山と呼ばれたこの地は、織田信長と今川義元の合戦「桶狭間の戦い」に関わるところである。1560(永禄3)年5月、わずか3000の兵を率いた織田信長は、今川義信の約25000とも伝えられる桁違いの軍勢に挑み、起死回生の大勝を収めた。この時、織田軍が集結したのが、砦公園及び豊藤大明神が鎮座していた朝日山一帯。日本の歴史の大きな転換点となった栄光の地として知られる。
 辰年の今年は、境内に祀られている「藤龍」のご神木が注目を集め、元旦から多くの初詣客で賑わったという。朝日山に自生する山藤が、長い年月をかけ龍のように変化したもので、その様子は今にも登っていきそう。10年ほど前、何気なく藤を見ていた本田さんが「なんだか龍の頭のように見える」と気付いたのが「藤龍」の始まりだったという。
 「藤龍」は自然に任せながら朽ちないように支柱で支えて大切に見守られている。織田信長が勝利をつかんだ地に現れた「龍」をひと目見ようと、運気上昇などを願う参拝客が数多く訪れている。
 毎年、4月14日に行われる春の大祭には、千鳥丘中学校の和太鼓部による勇壮な演奏と共に、藤の花をじっくり拝むことができそうである。




市栄専学友会に出席

2024-06-09 17:14:35 | Weblog
2024.6.9(日)
 連れ合いの卒業した「令和6年度名古屋市立栄養専門学校」の学友会総会が9日開催され、それに連れ合いと出席した。
参加者名簿によると、6期から41期まで35名の会員が参加した。これに筆者ら二人が特別会員として名簿に載せられていた。栄養士というと、女性と思われがちだが、名簿には8人の男性の名があった。
 総会の内容は、今年1月1日にあった能登半島地震の支援の報告が主なものであった。
 1月10日には、支援の打診があり、13日には支援の決定が行われた。第1陣は1月9日~12日、第2陣は1月18日~21日、それぞれ3名のリーダーが決められ、支援に従事したという。主として救援物資の搬送が任務であった。
 総会としては、令和5年度の収支決算の報告と令和6年度の収支予算を決定することであった。会議は無事終了した。
 




消えゆく戦争の記憶

2024-06-07 08:43:28 | Weblog
2024.6.7(金)
 今朝の中日新聞に「熱田空襲慰霊の地蔵」が撤去されることになった、との記事が載った。
 太平洋戦争の末期、2千人強が犠牲になった「熱田空襲」の慰霊のため、愛知時計電機(名古屋市熱田区)敷地に設置された2体の地蔵のうち、歩道沿いの1体が7月に撤去される、という。転倒すると歩行者に危険がおよびかねず、長年供養してきた有志の高齢化も背景にあるという。戦争の記憶を継ぐ象徴が失われることに、住民の一部からは反対の声が上がっている。
 同社北側にある地蔵はたか愛開発さ約3M で、歩道から約20センチの位置に立つ。納屋橋周辺の商店主でつくる任意団体によって置かれ、遺族らが毎年、空襲のあった6月9日に慰霊祭を開いてきた。
 だが、地蔵を供養してきた法然寺(中川区)によると、メンバーの高齢化や納屋橋エリヤの再開発で活動を停止。最後の法要があった2021年では数えるほどだった、という。地元も撤去に同視し、
愛知時計電機は9日に最後の慰霊祭を開き、来月撤去を予定しているという。
 一方で、一部の住民でつくる「熱田空襲移籍を守る有志の会」6月3日、同社と市に撤去中止と地蔵の改修などを求める申し入れをした。地元では、維持が難しいことも理解しつつ「移設や補強などの方法もある」と訴える。
 「遺族の66年の思いは地蔵の場所が移っても変わることはない」と地元の石原さん(60)は言う。申し入れは受け入れるが、同社は『改めて検討するが、現段階では撤去する方針」と理解を求めている。

釣り仲間と釣行

2024-06-06 18:44:25 | Weblog
2024.6.6(木)
 今日(6月6日)、いつもの釣り仲間6人で、三重県和具沖合いでの釣りに出かけた。
リーダー伊藤氏の運転で途中、他の仲間を拾って、ほぼ2時間の道中を走り切り、無事、和具の港に到着した。
 天候は、穏やかな晴れで、波も静か、絶好の釣り日和でもあった。
 釣りの獲物はイサキで、電動リールに竿受け、天びん仕掛け、餌かごで準備は完了である。
 12時ごろ、港に到着。いつもの船頭の操船で、和具の沖合いへ出た。釣り座は抽選で決めるが、筆者は6番を引き、右舷の一番前である。
 午後5時過ぎまでの釣りで筆者の釣果は、  イサキ 1 マダイ 1 ブダイ 2 クエ 1 サバ 3 の合計8匹であった。マアマアの釣果ではあった。ほかの仲間もこのような釣果であったらしい。
 帰宅して早速、妻が刺身を料理してくれたので、美味しくいただくことができた。幸せな1日でもあった。

文科省がNHKに抗議文

2024-06-01 18:05:03 | Weblog
2024.6.1(土)
 今日の中日新聞夕刊で、「『定額働かせ放題』とも言われる枠組み」と報じたNHKに対し、文部科学省が「一面的な報道」と抗議する文書を出し、ウェブサイトに掲載した、と報じている。しかし、このNHKの報道にに限らず、残業代のない教員の長時間労働の実態は「定額働かせ放題」と言い表されてきた。文科省の振る舞いは、深刻な問題を矮小化させる圧力ではないか、と記者は言う。
 報道によると、文科省の初等教育局長が「中央教育審議会における議論の内容に触れることのない一面も的なもの」という文書で抗議したという。
 これが文科省が5月17日、矢野初等教育局長名でウェブサイトに掲載した抗議文の一節だ。
 公立学校教員に残業代を支払わないと定めた教員給与特別措置法(給特報)は「教師の職務の特殊性」に基づくとし、「現行の仕組みや経緯、背景について触れることなく、『定額働かせ放題』の枠組み、と一面的に、教育界で定着しているかのように」NHKが報じたと主張。「国民に誤解を与えるような表現」とも記した。
 広義の対象は13日の放送で、現行の「基本給の4%」から「10%以上」に引き上げることなどをまとめたというものである。
 中日新聞の取材に対し、文科省は「国民の理解につながるためのお願いで、報道を委縮させる意図はない」と話すが、新聞社は、今後も抗議文をウェブに掲載し続けるという。
 上智大学の音好宏教授は「ジャーナリズムには事実の伝達、解説、評論の三つの役割がある。民主主義国家を標榜する日本のジャーナリズムには、国の政策に対して批判的分析も含め、多様な視点から検証し、国民に伝える役割がある。その点を文化省サイドは十分に理解できていないのではないか」と厳しく批判している。もっともである。