名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

御嶽山大噴火 死者・けが人多数

2014-09-29 16:45:16 | Weblog
2014.9.29(月)
 長野、岐阜県境の御嶽山(3067メートル)が27日午前11時53分ごろ、噴火した。当初、人的被害はたいしたことがないような報道だったが、時間が経つにつれて被害の大きさが明らかになってきた。 
 28日には山頂付近で心肺停止になっている登山客ら31人が発見され(29日には新たに5人の心肺停止者が発見された)、このうち男性4人を麓の長野県木曽町にある旧小学校校舎に搬送したが、死亡が確認された。その他、負傷者は長野側で30人、岐阜側で10人の計40人に上った。心肺停止の27人については噴火から既に三日目に入っており、最悪の事態になっても不思議ではない。
 これは火山災害としては、火砕流で43人が死亡・行方不明となった1991年の雲仙・普賢岳以来の大惨事である。
 気象庁火山噴火予知連絡会は28日、火山灰から新しいマグマによる物質が確認されなかったため、噴火はマグマで熱せられた地下水が沸騰して圧力が高まった「水蒸気爆発」との見方を示した。
 信仰の山として知られる御嶽山は老若男女を問わず登山をする人は多い。こんな大噴火が起こるとは誰も信じてはいなかった。気象庁によるとここ数日、地震動が一日数百回から千回を超える日もあったそうだが、噴火にまでつなげて考えるには至らなかったという。気象庁の会見では、こうした噴火の予知は極めて困難であることを盛んに訴えていたが、それが科学の限界ならば止むを得ないことであろう。自然には勝てないことの証左である(神様のすることには逆らえない)。
 「山が動いた」訳であるが、1989年の参院選挙で当時の社会党の大勝を導き、自民党を過半数割れに追い込んだとき、この言葉を吐いて一躍有名になった土井たか子さんが9月20日、肺炎のため死去したと今日の記事が伝えている。
 土井さんは石橋政嗣氏の後を継いで初の女性社会党委員長に就任し、1993年には初の女性衆議院議長にも就任した。後社民党に名称変更してからも党首を継承したが、党勢を回復できず2005年の衆院選で落選し国政から退いていた。
 山を動かした土井さんの死去と御嶽山の大噴火とが重なるとは、これも神のなせる業ではどうしようもない。

作家・作詞家なかにし礼さんの詩

2014-09-26 10:48:06 | Weblog
作家・作詞家なかにし礼さんの詩
2014.9.26(金)
 2014年7月14日付けの毎日新聞の特集ワイド欄に、作家・作詞家なかにし礼さんが集団的自衛権行使容認の閣議決定を受けて一つの詩を書いた。小国綾子記者の依頼を受けて書いたものとなっている。
 詩を書いた動機も素晴らしいが詩も感動的である。記憶のために長いが全文を記録する。
 集団的自衛権行使容認が閣議決定された7月1日、小国記者がなかにしさんに詩を書くように依頼したところ、数日後「平和の申し子たちへ!泣きながら抵抗を始めよう」という題名の詩を受け取った。
 なかにしさんは「僕自身も泣きながら、ですから。日本がこんな国になってしまって悲しくて仕方ない。特定秘密保護法を先につくって、次は集団的自衛権。『戦争だから』と自由に発言できない時代はすぐそこです」という。
 なかにしさんは終戦後、満州からの引き揚げ途中、何度も命の危険にさらされた。兄は特攻隊の生き残り。近著「天皇と日本国憲法 反戦と抵抗のための文化論」には「日本国憲法は世界に誇る芸術作品」と書いた。
 詩は最初、題名も内容も違っていた。題名は「若き友たちへ!」若者に自己変革を求める内容だった。
 「今回の閣議決定で一番影響を受けるのは若者たち。だから彼らに向けて書きました。目覚めよ、生まれ変わり、抵抗を始めよう、と。ところが突然、別の言葉がひらめいたんです」それが「平和の申し子」だ。
 終戦から69年。戦争を知らないどころか平和を満喫して生きてきた若い世代は、まさに平和の申し子です。草食系男子?国を滅ぼすマッチョな男よりずっといい。心優しき彼らこそ平和を守ることができる。そんな彼らがいてくれることをぼくは心強く思います。若者を『戦争を知らない』とか『無関心』だとか批判するのは間違っている。僕たち戦争体験者は、若い世代とともに闘うための言葉を自ら探さなければなりません。
 だから「平和の申し子」という言葉が浮かんだ日、詩から若者への説教めいたメッセージを削り、全面的に書き直した。一つの言葉を得て、詩は生まれ変わったのだ。「戦争したくないと思う自分を後ろめたく感じる若者がいるそうです。違う。戦争なんて無理、と思う自分に胸張っていい。弱くあることは勇気あることなんです」

平和の申し子たちへ!
泣きながら抵抗を始めよう

2014年7月1日火曜日
集団的自衛権が閣議決定された。
この日 日本の誇るべき
たった一つの宝物
平和憲法は粉砕された
つまり君たち若者もまた
圧殺されたのである
こんな憲法違反にたいして
最高裁はなんの文句も言わない
かくして君たちの日本は
その長い歴史の中の
どんな時代よりも禍々(まがまが)しい
暗黒時代へともどっていく
そしてまたあの
醜悪と愚劣 残酷と恐怖の
戦争が始まるだろう
ああ、若き友たちよ!
巨大な歯車がひとたびぐらっと
回りはじめたら最後
君もその中に巻き込まれる
しかし君に戦う理由などあるのか
国のため? 大義のため?
そんなもののために
君は銃で人を狙えるのか
君は銃剣で人を刺せるのか
君は人々の上に爆弾を落とせるのか
若き友たちよ!
君は戦場に行ってはならない
なぜなら君は戦争にむいてないからだ
世界史上類例のない
69年間も平和がつづいた
理想の国に生まれたんだもの
平和しか知らないんだ
平和こそが君の故郷であり
生活であり存在理由なんだ
平和ぼけ? なんとでも言わしておけ
戦争なんか真っ平ごめんだ
人殺しどころか喧嘩もしたくない
たとえ国家といえども
俺の人生にかまわないでくれ
俺は臆病なんだ
俺は弱虫なんだ
卑怯者? そうかもしれない
しかし俺は平和が好きなんだ
それのどこが悪い?
弱くあることも勇気のいることなんだぜ
そう言って胸をはれば
なにか清々しい風が吹くじゃないか
怖れるものはなにもない
愛する平和の申し子たちよ
この世に生まれ出た時
君は命の歓喜の産声をあげた
君の命よりも大切なものはない
生き抜かなければならない
死んではならない

が 殺してもいけない
だから今こそ!
もっともか弱きものとして
産声をあげる赤児のように
泣きながら抵抗を始めよう
泣きながら抵抗をしつづけるのだ
泣くことを一生やめてはならない
平和のために!


地下鉄名古屋駅が大雨で浸水被害

2014-09-25 20:40:35 | Weblog
2014.925(木)
 9月25日午前3時5分ごろ、名古屋市営地下鉄東山線の名古屋駅構内が大量の雨水で浸水した。地下1階の改札口や地下2階の線路にも浸水し、東山線は午前5時半の始発から高畑~池下間で運休したとメデイアが報じている。
 朝の通勤時間とも重なり、名古屋駅や折り返し駅となった池下駅などでは他の交通機関へ乗り換える通勤・通学客らであふれ大混乱となったという。
 地下鉄名古屋駅では、2001年8月の集中豪雨で地上から駅構内に雨水が流れ込み、線路が浸かる被害があった。
 今回も気象台によると、午前3時ごろにまとまった雨が降り、午前4時までの3時間では68.5ミリを記録、1時間雨量の最高は30.5ミリだったと伝えている。
 しかし01年の豪雨に比べたらたいした雨量とは思えない。線路にまで浸水するとは不可思議である。
 その後の報道によると、名古屋駅前では大規模な再開発事業が進行中であり、中でも日本郵便の「JPタワー名古屋」、JR東海の「JRゲートタワー」及び三菱地所の「大名古屋ビルヂング」が建設中である。このうち、浸水の状況からみて「JPタワー名古屋」の建設工事付近から浸水した可能性があり、夕方のテレビ放送では工事を請負っている竹中工務店の社長が謝罪していたところを見るとこれはどうも災害というより、もはや人災といった方がよいらしい。
 地下鉄は午後3時ごろには復旧し開通したらしいが、大動脈がストップしたことは通勤・通学者らにとって予想外の混乱をもたらした。下司のかんぐりだが、この被害の原因がもし工事現場にあるとするとこの始末はどうつけるのであろうか。




スコットランド独立否決

2014-09-20 06:40:33 | Weblog
2014.9.20(土)
 英国からの独立を主張して住民の賛否を問う住民投票が18日行われ、開票の結果、反対が55.25%、賛成が44.65%となり、10ポイント以上の差をつけて独立は否決された。投票率は84.6%と高い。
 スコットランドは英国本島の北に位置し、イングランド、ウェールズ、北アイルランドとともに「大ブリテンおよび北アイルランド連合王国」を構成している。1707年にイングランドと統合するまでは独立国であった。面積は北海道よりやや小さく、人口は英国全体の8%超に当たる約530万人。エディンバラ、グラスゴーなどの都市はよく知られている。
 1999年の地方分権改革で約300年ぶりに議会が設置され、外交や軍事、財政、金融などを除く幅広い分野で立法権が認められている。
 スコットランド行政府のサモンド首相は社会格差の拡大に閉塞感を強める若年層や移民などの支持層を取り込み、英国からの独立を訴えたが果たせなかった(中日新聞20日朝刊から)。
 サモンド首相は19日、住民投票での独立否決を受け、首相職を辞任する考えを表明した。しかし、サモンド氏は「スコットランドにとって(独立に向けた)運動は続く。夢は決して死なない」と述べ、独立運動の継続を訴えた。 
 世界は一つ、人類は一つとして国境線を無くしていこうという流れの中で、今回のスコットランドの試みは人類への一つの試練を与えている。世界各地で民族問題や宗教、領土問題などを抱えている現状から、この動きが他の諸国へ波及する恐れがないとはいえない。スペインのバスク地方などはかねてから独立運動が続いている。しかし今回の決定が、武力による方法でなく、住民投票という民主的な選挙によったという点は大英帝国としての誇りを示してくれたと評価したい。


国宝茶室如庵と木曽川鵜飼

2014-09-17 20:31:30 | Weblog
2014.9.17(水)
 独り暮らしの次姉が栃木から名古屋に引っ越してきて8か月が過ぎた今年の6月、転倒して肩を骨折するという大怪我をしたため、以来自宅に引き取って一緒に暮らしてきた。それも2か月も経てば完治するという見込みのもと、気晴らしに9月に鵜飼見物にでも行こうと予約をしておいた。
 ところが先のブログでも書いたように(8月4日付当ブログ)、転倒が原因の硬膜下血腫が判明し手術をし、退院して完治したと思っていたら、再び出血して再手術という事態となり、折角の鵜飼も断念かとあきらめていたが、その後の経過もよく、無事16日~17日にかけて出かけることができた。
 木曽川の鵜飼は犬山城のすぐ近くから出船するということで、泊まりは名鉄犬山ホテルとした。
 この犬山ホテルにはすぐ隣に日本庭園「有楽苑」があり、そこには国宝の茶室「如庵」があることで知られている。「如庵」は茶の湯の創世記に信長の実弟織田有楽斎が建てたもので昭和11年に国宝の指定を受けている。「如庵」は入ることができないので、別の茶室でお茶を一服いただいた。
 さて乗船は16日午後5時45分で約1時間、夕暮れの木曽川を上流まで遊覧しながらホテル特製の食事をした後、7時過ぎからいよいよ本番の鵜飼見物となった。
 木曽川鵜飼は、縄をつけた10羽の鵜に魚を捕らせる古典的な漁法で、6月1日から10月15日まで毎日行われている。この木曽川鵜飼では3年前に若い女性鵜匠が採用されて話題となったが、この日はその女性である稲山琴美さんが綱を操るとともに解説もしてくれた。それによると、鵜飼の起源は約1300年の歴史があり、犬山では340年前の犬山城三代目城主成瀬正親公が御料鵜飼として始めたという。
 見物舟の船頭によると、かつては自然のアユを鵜が捕っていたが、今では犬山城のすぐ下流に大きな堰ができたため水深が深くなってこの近くではアユがいなくなり、そのためアユを放流しながら鵜飼を行っているそうである。それを聞いたら何か味けないものに思えてきてしまった。しかし、暗闇の中、かがり火を焚きながら10匹もの鵜を操って、放流アユといえども繰り返し水にもぐってアユを捕まえてくる光景は大袈裟でなく神秘的である。
 翌日(17日)は9時過ぎにはホテルを出て、途中小牧にある「メナード美術館」に寄って帰宅した。姉も大昔の体験の記憶を呼び戻して喜んでくれた。

誤報続きで朝日の社長が謝罪して辞任を示唆

2014-09-16 12:08:05 | Weblog
2014.9.16(火)
 朝日新聞社は今月11日、記者会見を開き、東京電力福島第一原発の吉田昌郎元所長の聴取結果書(吉田調書)をめぐるスクープ報道に誤りがあったことを認めた。
 この記事は、今年5月20日付朝刊で「所長命令に違反 原発撤退 福島第一」という見出しで掲載したもの。
 当時非公開だった調書を、取材班が他社に先駆けて独自入手し、事故発生4日後の2011年3月15日、福島第一原発所員の9割に当たる約650人が吉田所長の命令に違反して、約10キロ離れた福島第二原発に撤退したなどと報じた、というものである。
 しかし、公開された調書では命令違反という事実はなく、吉田氏自身も命令違反とは認識していないことがわかった。
 朝日の木村伊量(ただかず)社長は「多くの東電社員が逃げ出したかの印象を与えた。早急に第三者委員会を立ち上げる」と述べたという。
 また、8月5、6日付の朝日朝刊で、慰安婦をめぐる過去の報道に誤りがあったとする特集記事を掲載しながら、謝罪しなかった点についても、木村社長は判断ミスを認め、謝罪した。
 朝日は池上彰氏のコラム非掲載問題についても、また任天堂に関する記事についてもミスが明らかとなり、度重なる事態に批判が高まっている。
 過ちは人間である以上「絶対に起こさない」、「あり得ない」などということはない。誤りを正さないことの方がもっと大きなあやまりである。「論語」の中で、孔子は語っている。『過ちて改めざる、これを過ちと謂(い)う。』
 要するに、過ちに気がついたとき、如何に速やかに、誠実に対応するかどうかが問われるのである。
 そういう点では、朝日の対応は遅すぎた。しかし池上氏はそれはそれとして、朝日が誤りを認めたことは評価した。さすが大人の対応である。
 それにもかかわらず、一部のマスコミはここぞとばかりに朝日を罵倒している。先にも書いたが、週刊新潮や週刊文春などは文芸誌をバックにした週刊誌でありながら恥も外聞もなくののしっている。時の権力を監視し、批判するのがメディアでありジャーナリズムの役割であるのに、メディアがメディアと敵対するなどという、政治権力にとってこれほど都合のいいことはない状態を作り出している。
 朝日は当然大いに反省してもらわなければならないが、他のメディアもそれを他山の石とする心構えこそ持つべきである。

 朝日の木村社長は「編集部門の抜本改革など再生に向けておおよその道筋をつけた上で進退を決断する」と述べたという。辞任を示唆したものとされているが、当然のことである。 

「昭和天皇実録」公表

2014-09-09 15:30:27 | Weblog
2014.9.9(火)
 宮内庁は9日付で、昭和天皇の生涯の公式記録「昭和天皇実録」の内容を公表した、とメディアが一斉に報じている。
 実録は、天皇の生涯を確実な資料に基づいて記した年代記で、宮内庁が逝去翌年の1990年から編纂を開始、24年余をかけて完成した。全一万2千ページにおよぶ膨大なもの。来年3月から5年計画で公刊されるという。
 太平洋戦争に関して、1941年7月、対米開戦を主張する海軍の作戦にも、天皇は「捨て鉢の戦を(いくさ)をするにほかならず、誠に危険」と心配していた、と記述。戦前や戦中、軍部の専横に不快感を抱き、戦争回避を模索しながら止められなかったことを戦後も悩み続けたことなどが記述されているという。
 しかし、日本人だけで310万人もの犠牲者を出した日中・太平洋戦争の天皇の戦争責任については、踏み込んだ記述がないとしている。
 ノンフィクション作家の保坂正康氏は「宮内庁は天皇の戦争責任には触れないようにしている。開戦や戦時下の様相はすべて受身に記されている。一方、終戦へ至る過程は主体的に語られている。実録は『官から見た昭和天皇像』だ」と指摘している。
 また、日本大の古川隆久教授は「実録は戦争責任には全然触れていないが、退位論にある程度触れることで、天皇が責任を自覚していたことを示している」と語っている。
 しかし、明治憲法下のもと、天皇は軍や政治家に利用されていたにすぎないと思うのは安易過ぎるであろうか。現在に置き換えて、戦前の過ちを顧みない現在の政権の危うさを、平成天皇一家はどうご覧になっていられるのであろうか。

漆芸家 高橋節郎 生誕百年展

2014-09-08 09:07:33 | Weblog
2014.9.8(月)
 豊田市美術館の茶室「童子苑」で8日、知人主催の茶会があって出かけた。その折、美術館の高橋節郎館では「漆芸美の可能性を求めて~生誕百年 高橋節郎展」と銘うっての展覧会が催されていた。
 高橋節郎は長野県安曇野市出身であるから、なぜここに高橋節郎館があるのかそのいわれが分からないが、敷地内に独立して堂々と存在している。
 高橋節郎は1914年9月14日、長野県南安曇郡北穂高村(現・安曇野市)に生まれたので、14日が来るとちょうど百歳になる。それを記念しての生誕百年展で7月12日から9月15日まで開催されている。
 高橋節郎は東京美術学校(現・東京芸大)の工芸科漆工部を1938年に卒業した。パンフレットによると戦前には、抽象的な表現や様々な実験的な試みを経て、艶やかな漆黒と鎗金が織りなす、力強く幻想的な独自の作品世界を築き上げた。
 東京芸大教授、日本芸術院会員、日展常務理事、文化功労者などを経て、1997年には文化勲章を受章している。
 展示では、初期の「彩研出蒔絵(いろとぎだしまきえ)」による作品群、石版に黒や赤、緑などの色漆でイメージし、薄めた漆を流し込んだ「漆版画」、漆黒と金の対比による漆作品群、羽ばたく鳥や蝶、想像上の動物、幻想的なイメージによる「天空の夢、古代の夢、異世界の夢」の幻想作品など圧倒されるものばかりである。
 豊田市美術館は平成7年に開館したそうだが、広大な敷地にガラス張りの白亜の壮麗な建築物である。近くにこんな博物館があることは知らなかった。しかし今回の展覧会が終わる翌日9月16日から来年10月まで改装のため休館となる。

中日山本昌広投手記録ずくめの最年長勝利

2014-09-06 08:58:26 | Weblog
2014.9.6(土)
 中日の山本昌投手が5日、ナゴヤドームで行われた阪神戦に49歳25日で今季初登板、5回を無失点に抑え、プロ野球史上最年長勝利記録を達成した。
 64年前の1950年に阪急(現オリックス)の浜崎真二選手が救援で記録した48歳4か月を上回り、浜崎が持つ最年長出場、最年長登板、最年長先発(いずれも48歳10か月)のプロ野球記録も更新した。
 山本昌広は愛称として昌あるいは山本昌と呼ばれている。1984年神奈川・日大藤沢高からドラフト5位で中日に入団。米国留学でスクリューボールを習得して頭角を現わした。93年には最優秀防御率、94年に沢村賞、97年に最多奪三振、2006年には史上最年長でノーヒットノーラン、08年に通算200勝など数々の記録を残した。
 山本昌は言っている。「野球で手抜きは一切していないし、ずっと一生懸命やってきたつもり。…50歳近くなって、もちろん身体の衰えは感じる。ただそれが試合に影響が出ないように、年齢に合わせたトレーニングやケアを考えて努力している。
 「中年の星」と言われ、同世代の人たちもたくさん応援してくれる。僕から伝えたいのは、老け込む年じゃない、今から勝負だよということ。」
 今年度は調子が出ず、なかなか一軍に上がれず、二軍暮らしが続いた。しかし早く一軍に上がりたい気持がついに実って大きな記録を作った。けじめの50歳ももう目と鼻の先である。昌は一軍公式戦出場の実働年数が28年となったが、西部・巨人とセ、パ両リーグにまたがって活躍した工藤公康投手が29年のプロ野球記録を持っている。この記録に並ぶにはあと1年、越えるにはあと2年を要するが決して不可能ではない。
「中年の星」よ、さらなる健闘を祈る!!

安倍内閣 内閣改造

2014-09-04 12:57:37 | Weblog
2014.9.4(木)
 安倍信三首相は3日、第二次政権発足後、初の内閣改造と自民党役員人事を実施した。首相は内閣最大の課題として「元気で豊かな地方の創生に全力を挙げると公約した。
 留任は、麻生副総理・財務大臣、岸田外務大臣、下村文部科学大臣、太田国土交通大臣、菅官房長官、甘利経済再生大臣の6人。
 新任は、高市早苗総務大臣、松島みどり法務大臣、塩崎恭久厚生労働大臣、西川公也農林水産大臣、小渕優子経済産業大臣、望月義夫環境大臣、江渡聡徳(えとあきのり)防衛大臣、竹下亘復興・原発事故再生大臣、山谷えりこ国家公安・拉致担当大臣、山口俊一沖縄北方、科学技術担当大臣、有村治子女性活躍・少子化担当大臣、石破茂地方創生・国家戦略担当大臣の12人。
 この内、既に大臣を経験したことのある大臣は、高市早苗氏、塩崎恭久氏、小渕優子氏、石破茂氏の4人。
 また、女性大臣は5人となり、小泉内閣時の最多と並んだ。 
 自民党執行部については、幹事長に谷垣禎一氏、総務会長に二階俊博氏、政調会長に稲田朋美氏、選対委員長に茂木敏充氏らが就任した。
 この布陣を見ると当然とも言えるが、安倍首相従順内閣である。安倍首相は安全保障法制担当相に石破氏を想定していたが断られたために江渡聡徳市を充てた。安倍氏は記者会見で、集団的自衛権を含む安保関連法案の策定を加速させるには江渡氏が適任だと期待感を述べたのは、衆議院安全保障委員長であり、防衛副大臣を3回経験して安保政策に明るく、石破氏より首相によほど従順だからである。
 高市氏も河野談話を見直す急先鋒であり、首相といい仲である。その他の大臣も首相にたて突くような人物はいそうにない。
 女性を多くしたのも人気取りには安易で良い。執行部の稲田朋美氏は高市氏の後を受けて政調会長に就任したが、この人も右寄りという点では人後に落ちない。河野談話について「虚偽で自分の国の名誉が失墜している。名誉回復のために政府も与党も、言論人もマスコミも頑張っていく必要がある」とまで述べている。
 そもそも内閣改造というのは政策の遂行というよりは人事の刷新という名目でのベテラン議員の不満解消策でもある。特に今回は女性の起用が目立ち、「大臣適齢期」といわれる衆院当選5回、参院3回という大量の待機組(約60人)からは不満が噴出しているという。今回「待機組」からの初入閣は6人で50人以上も「待機組」として残った。
 安倍内閣・党執行部のすぐの課題として、福島・沖縄の知事選がある。長期政権の意欲を見せる安倍氏としてはいずれも負けられない選挙である。また、消費税率を10%に引き上げるかどうかの判断も迫られる。安倍内閣も「天気晴朗なれども波高し」である。