2012.5.31(木)
映画監督で文化勲章受章者の新藤兼人さんが29日、老衰で死去したと報じられた。享年100歳。
軍隊に召集された経験が「原爆の子」など戦争の悲劇を描く原動力になった。原発事故についても「放射能がどのように地に降りて人を殺すのか、分かっていない」と、原爆の脅威を知る者として言葉が激した(中日新聞)。
全編セリフを廃した1960年の「裸の島」で、モスクワ国際映画祭グランプリに輝いた。
2010年には、自ら遺作と宣言した戦争体験に基づく「一枚のハガキ」が最後の作品となった。
まさに日本映画界の巨匠落つである。
巨匠といえば5月22日、日本の音楽評論の草分けと言われた吉田秀和さんが98歳で亡くなられた。吉田さんも06年に文化勲章を受賞している。
大正、昭和、平成の時代を生きた映画界と音楽会の二人の巨匠がほぼ同時に旅立った。なんの縁もないがなにか淋しい。
映画監督で文化勲章受章者の新藤兼人さんが29日、老衰で死去したと報じられた。享年100歳。
軍隊に召集された経験が「原爆の子」など戦争の悲劇を描く原動力になった。原発事故についても「放射能がどのように地に降りて人を殺すのか、分かっていない」と、原爆の脅威を知る者として言葉が激した(中日新聞)。
全編セリフを廃した1960年の「裸の島」で、モスクワ国際映画祭グランプリに輝いた。
2010年には、自ら遺作と宣言した戦争体験に基づく「一枚のハガキ」が最後の作品となった。
まさに日本映画界の巨匠落つである。
巨匠といえば5月22日、日本の音楽評論の草分けと言われた吉田秀和さんが98歳で亡くなられた。吉田さんも06年に文化勲章を受賞している。
大正、昭和、平成の時代を生きた映画界と音楽会の二人の巨匠がほぼ同時に旅立った。なんの縁もないがなにか淋しい。