2008.5.31
アイルランドのダブリンで開かれていた軍縮交渉『オスロ・プロセス』の会議は30日、クラスター爆弾を事実上即時全面禁止する条約案を参加110カ国の全会一致で採択し閉会した。
条約案は締約国に対し、攻撃対象識別機能や電子式の自爆装置を備えるなど不発率が極めて低い『最新式』の一部を除き、すべてのクラスター爆弾の『使用、開発、製造、入手、貯蔵、保有、移転(輸出入)』を禁じている。保有国は条約発効後、原則8年以内に廃棄する義務を負う。
条約が発効すれば、現在、世界に存在するクラスター爆弾の99%が禁止対象となるという。
クラスター爆弾とは、通常の空対地爆弾とほぼ同サイズのケースの中に、数個から数百個の子弾(爆弾や地雷)を搭載し、母機から投下後に空中でケースが破裂することにより子弾を散布させて広範囲にわたって小規模の爆発を引き起こすなどしてダメージを与える。対人や対装甲車など面的制圧兵器として効果がある。
ベトナム戦争においては『ボール爆弾』と呼ばれ、爆弾本体に野球ボールほどの大きさの子爆弾が300個ほど内蔵され、その子爆弾一つにつき600個ほどの金属球が入っており、これが爆発によって飛散する。
クラスター爆弾は大量の小弾を散布することから不発弾も相対的に増大し、実績の不発率は5~40%に達する。不発弾は非戦闘員が被害を被りやすいなど非人道的側面をもち、特に子どもへの被害が多いことから『チャイルドキラー』とも呼ばれている。
さて今回のこの禁止条約に日本は同意する方針を決めた。日本はこれまで不発弾となる確立が低い改良型クラスター弾の使用を認める『部分禁止』を主張していた。しかし各国が賛同する中、孤立化するのは好ましくないと福田首相の強い意向をうけて方針転換したという。現在自衛隊が保有するクラスター弾は廃棄処分にする方向だそうである。
これに対して日本の国内でも好戦主義者は早くも防衛の放棄だと主張している。防衛省の幹部もかつて『占領される被害よりも不発弾の被害は非常に小さい。国を守れずに人権弾圧などが適性国によって行われれば、大変な被害がでる。防衛手段は持っているべきだ』などと言っている。
しかし今回の禁止条約では、軍事大国である米国、ロシア、中国などは参加していない。また、『非締約国との軍事協力・作戦に関与できる』との条文が盛り込まれ、日本政府としては『日米安保体制にはまったく影響しない』との判断から同意方針につながったといわれる。
はてさて、人間とはかくも愚かなものであろうかとつくずく思う。そもそも戦争とは人を殺傷し、まちや自然を破壊して相手を打ち負かそうとする戦いである。相手を殺さなければ自分が殺されるという極限の戦いである。要するに殺し合いをすることである。相手は戦闘員でなくとも、子どもでも老人でもよいのである。それが戦争の本質である。
殺し合いをするのに優しい爆弾でやりましょう、というのだ。緒戦のうちはともかく、戦いが激化してきて勝つか負けるかきわどい時点に達すると理性を失った戦争指導者は手段を選ばなくなる。クラスター爆弾などみみっちい爆弾などもう用はない。ミサイル、原子爆弾、水素爆弾だって特定の国だけには存在している。
すべての国が兵器をなくし、争いは外交交渉に委ねる方向へ持っていく努力こそ必要である。
願わくば、今回のこの『クラスター爆弾禁止条約』がそうした方向への一里塚になることを願って止まない。
アイルランドのダブリンで開かれていた軍縮交渉『オスロ・プロセス』の会議は30日、クラスター爆弾を事実上即時全面禁止する条約案を参加110カ国の全会一致で採択し閉会した。
条約案は締約国に対し、攻撃対象識別機能や電子式の自爆装置を備えるなど不発率が極めて低い『最新式』の一部を除き、すべてのクラスター爆弾の『使用、開発、製造、入手、貯蔵、保有、移転(輸出入)』を禁じている。保有国は条約発効後、原則8年以内に廃棄する義務を負う。
条約が発効すれば、現在、世界に存在するクラスター爆弾の99%が禁止対象となるという。
クラスター爆弾とは、通常の空対地爆弾とほぼ同サイズのケースの中に、数個から数百個の子弾(爆弾や地雷)を搭載し、母機から投下後に空中でケースが破裂することにより子弾を散布させて広範囲にわたって小規模の爆発を引き起こすなどしてダメージを与える。対人や対装甲車など面的制圧兵器として効果がある。
ベトナム戦争においては『ボール爆弾』と呼ばれ、爆弾本体に野球ボールほどの大きさの子爆弾が300個ほど内蔵され、その子爆弾一つにつき600個ほどの金属球が入っており、これが爆発によって飛散する。
クラスター爆弾は大量の小弾を散布することから不発弾も相対的に増大し、実績の不発率は5~40%に達する。不発弾は非戦闘員が被害を被りやすいなど非人道的側面をもち、特に子どもへの被害が多いことから『チャイルドキラー』とも呼ばれている。
さて今回のこの禁止条約に日本は同意する方針を決めた。日本はこれまで不発弾となる確立が低い改良型クラスター弾の使用を認める『部分禁止』を主張していた。しかし各国が賛同する中、孤立化するのは好ましくないと福田首相の強い意向をうけて方針転換したという。現在自衛隊が保有するクラスター弾は廃棄処分にする方向だそうである。
これに対して日本の国内でも好戦主義者は早くも防衛の放棄だと主張している。防衛省の幹部もかつて『占領される被害よりも不発弾の被害は非常に小さい。国を守れずに人権弾圧などが適性国によって行われれば、大変な被害がでる。防衛手段は持っているべきだ』などと言っている。
しかし今回の禁止条約では、軍事大国である米国、ロシア、中国などは参加していない。また、『非締約国との軍事協力・作戦に関与できる』との条文が盛り込まれ、日本政府としては『日米安保体制にはまったく影響しない』との判断から同意方針につながったといわれる。
はてさて、人間とはかくも愚かなものであろうかとつくずく思う。そもそも戦争とは人を殺傷し、まちや自然を破壊して相手を打ち負かそうとする戦いである。相手を殺さなければ自分が殺されるという極限の戦いである。要するに殺し合いをすることである。相手は戦闘員でなくとも、子どもでも老人でもよいのである。それが戦争の本質である。
殺し合いをするのに優しい爆弾でやりましょう、というのだ。緒戦のうちはともかく、戦いが激化してきて勝つか負けるかきわどい時点に達すると理性を失った戦争指導者は手段を選ばなくなる。クラスター爆弾などみみっちい爆弾などもう用はない。ミサイル、原子爆弾、水素爆弾だって特定の国だけには存在している。
すべての国が兵器をなくし、争いは外交交渉に委ねる方向へ持っていく努力こそ必要である。
願わくば、今回のこの『クラスター爆弾禁止条約』がそうした方向への一里塚になることを願って止まない。