名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

今日は三つの祝日

2011-04-29 20:37:15 | Weblog
2011.4.29(金)
 今日は言うまでもなく国民の祝日の一つ「昭和の日」である。昭和天皇が亡くなるまでは「天皇誕生日」であったが、昭和64(1989)年1月7日に天皇が崩御されて以降、4月29日は「国民の祝日の日に関する法律」の規定により「みどりの日」となった。
 しかし2005年、同法の改正により2007年からは「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」ことを趣旨に「昭和の日」とされた。ちなみに「みどりの日」は5月4日に変更になった。
 さてこの日が次に目出度いこととは、今日4月29日に英国王室のウイリアム王子(28)と大学の同級生で英国の中流家庭に育ったキャサリン(ケイト)・ミドルトンさん(29)がロンドンのウエストミンスター寺院で現在結婚式を挙げていることである。
 英国で庶民(非貴族)が王妃予定者になるのは約350年ぶりのことだそうである。王子はダイアナ元王妃とチャールズ皇太子の長男で、皇太子と元王妃との結婚以来ちょうど30年目にあたる。
 今日は、日本では「昭和の日」として国民の祝日であり国旗を掲げて祝う。一方英国では、王位継承順位第2位の王子が結婚式を挙げた日としてこれから英国民のお祝いの日となるであろう。
 さて三つ目の目出度い日とは、世の中誰も知らない私ごとである。恥ずかしながら、昭和39(1964)年4月29日(当時の天皇誕生日)は筆者夫婦の結婚記念日である。もともとはその3日前の4月26日の日曜日を結婚式とするように決めていたのであるが、なんとその日が仏滅であることが判明した。当人らはそうした因習に何のこだわりもなかったが、いかんせん当時は周りが許さなかった。やむを得ず三日後の祭日を挙式の日としたにすぎない。
 お蔭で以来、国民の多くが日の丸を揚げて祝ってくれた。またそのうえ、今日からは英国の人もこの日を祝うことになった。
 ありがたいことである。この日を忘れないという点で……。

中電、浜岡3号機の再開計画を発表

2011-04-29 10:00:37 | Weblog
2011.4.29(金)
 昨日(28日)、中部電力は定期検査中の浜岡原発3号機の7月再開を前提とした2012年3月期の業績予想を発表した。
 中部電力は先に原子力安全・保安院の指示で、高さ12m.以上の防波壁の設置や、非常用発電機を2階屋上にも設置するなど、総額300億円の緊急対策をまとめている。中電はこの措置を「あくまでも『安心』のためで、現状も『安全』は確保されている。丁寧に地元に説明し、夏場までには稼動させてもらいたい」と話しているという。
 中電が今回、3号機の再開計画をあえてこの時期に発表したのは、大幅に低下した株価に不安を抱く投資家への対策のようだが、原発そのものに不安を抱く周辺住民のみならず国民不在の判断と言わざるを得ない。早速川勝平太静岡県知事は「対策が万全とは、素人考えでも難しい」とし、現状では再開は受け容れがたいととの姿勢を示しているという。
 浜岡原発は5機あるが、1、2号機は廃炉とすることが既に決定しており稼動していない。
 中日新聞によると、3号機を再開せず、代替として火力電力で賄う場合、経費は1ヵ月で60億円増加し、年換算では500億円前後になるという。
 また中電が公表した2011年度の電力供給計画では3、4、5号機の出力は361万kw.余で、中電全体の供給力約3000万kw.の12%である。今夏のピーク時の電力需要は2560万kw.で17%の予備力を持つ。
 しかし、発電所のトラブルや緊急の事態に対処するために一定の予備力は必要であり、3号機(出力110万kw.)が稼動できないと予備力は12%台に下がることを中電は懸念している。太陽光や風力など新エネルギーも現段階では「供給力としては期待できない」というのが中電の言い分である。
 しかし、東電の今回の被害の大きさや影響から見て、中電の今回の対応は驚くべき甘さである。中電の水野社長は「株主、投資家への物差しをあくまでも仮定として示した。スケジュールありきではない。地元の方々に理解をいただくのがベース」と述べているというが、原発忌避の動きがそれこそ燎原の火の如く燃え盛っているこの時期に、こんな再開計画を、それも投資家を納得させるために発表するとは信じられないというのが率直な感想である。
 むしろ、3号機はこの際廃炉にし、代替施設に切り替えるとか、さらにはもっと国民に節電を訴えることのほうがはるかに多くの支持が得られ、ひいては投資家にも安心してもらえるのではないか。

今日はチェルノブイリ原発事故から25周年の日

2011-04-26 22:26:18 | Weblog
2011.4.26(火)
 今日は旧ソ連時代の1986年4月26日午前1時23分(日本時間同午前7時23分)、ウクライナにあるチェルノブイリ原発が最悪の事故を起こしてちょうど25年目にあたる記念日である。同原発の4号機が試運転中に爆発し、隣接するベラルーシやロシア、欧州など広範囲が放射能によって汚染された。
国際原子力事象評価尺度において、最悪のレベル7とされた。
 4号炉は休止中であったが、 実験中に制御不能に陥り炉心が溶融、爆発した。半径30キロ圏内の市民が強制避難させられ、また多数の作業員が被爆し、事故の影響による死者は数千から数十万人といわれる。現在でも半径30キロ以内での居住が禁じられているという。
 25年前といえば我々もまだ若かった。現役で働き盛りのばりばりであった。何となく遠い国の出来事に過ぎなかった。その前にアメリカのスリーマイル島での原発事故があったが、一部の人を除いてはほとんどが傍観者ではなかったか。
 当時日本は既に原発大国だった。遠い外国の事故で、原子力発電の恩恵を否定するようなかすかな動きも否定されていたに違いない。従って、スリーマイル島もチェルノブイリも日本の原発にとっては何らの教訓とされなかった。
 今回の大地震も大津波も巨大であり、それによる被害は甚大であったが、それはどうしようもない自然のなせる業であり、やむを得ないとあきらめるより他ないが、原発事故は津波によるものとはいえ、やはり人災としか言いようがない。以前の事故をきちんと受け止めていれば、今回の福島原発事故をこれほど大きくすることはなかった。しかし東京電力も原子力安全・保安院も、この原発事故が「想定外」の大地震と津波のせい(金子勝「4.26中日新聞・論壇時評」)としてきた。この姿勢は、大地震が発生して早や45日以上が経過し、福島第一原発の解決の見通しが全く立っていない今も全く変わっていないように見える。
 今回の原発事故で国民はその恐ろしさを始めて認識したといっていい。この事故から、原発はすべて破棄すべきという意見から、徹底的な安全対策を施したうえ、その有用性を認めるべきとの意見まで幅広くある。この際しっかり議論するべきであろう。

衆院愛知6区補選、自民推薦候補が勝つ

2011-04-25 10:50:47 | Weblog
2011.4.25(月)
 4月24日投開票された東日本大震災後初の国政選挙となった衆院愛知6区の補欠選挙で、自民元の丹羽秀樹氏(38)が当選した。河村たかし名古屋市長率いる減税日本から立候補した川村昌代氏(44)は丹羽氏に65000票余の大差をつけられて落選した。
 この選挙は2月の名古屋市長選に出馬した民主党の石田芳弘氏の辞職による補選であったが、民主は候補を擁立できず不戦敗であった。与党不在の選挙で有権者の関心が低く、投票率は前回を27.93ポイントも下回り1996年の小選挙区制導入後で最低の41.94%だった。
 また同日行われた統一地方選後半戦の結果も明らかとなった。
 この統一地方選で減税日本は、市長選で愛知県田原市、神奈川県平塚市で立候補したが落選した。また市区村議選にも幾人かの公認候補を立てたが、名古屋市議選のような勢いは見られなかった。
 民主、自民両党による事実上の対決型の9市区長選では、民主党は3勝6敗と負け越した。地方選前半戦を含め、民主等の敗北は決定した。それでも菅首相はその地位にしがみつくのか。

沖縄戦の集団自決で『軍関与』確定・沖縄ノート訴訟

2011-04-23 05:59:44 | Weblog
2011.4.23(土)
 太平洋戦争の末期(1945年3月)、米軍が沖縄・慶良間諸島に上陸した際、座間味、渡嘉敷両島の住民が3月25日~28日頃にかけ、配られた手りゅう弾を爆発させたり、鍬や捧で殴り合ったりして集団で自殺した。その数は600~700人程度にのぼるとされる。沖縄戦では、ほかに読谷村や伊江村などの各地でも集団自決が起きた。
 大江健三郎さんは、こうした事実を旧日本軍が住民に命じて起こした悲劇だとする著作を『沖縄ノート』で記した。
 この記述に対して、旧日本軍の元守備隊長らが名誉を傷つけられたとして大江健三郎さんと出版元の岩波書店に出版差し止めや損害賠償を求めて訴訟を起していた。
 その上告審で4月21日、最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)は元隊長らの上告を棄却する決定をした。この結果、集団自決への軍の関与を認め、大江さん側の勝訴とした一、二審判決が確定した。
 この訴訟は2005年8月、座間味島の元隊長と渡嘉敷島の元隊長の遺族が提訴して起こされていた。
 そもそもこのような集団自決は、住民の多くの証言などから日本軍がかかわっていたことは明らかであり、それを否定しようとする元隊長やその遺族らの主張も当時の軍国主義の犠牲の裏返しとしか思えない。 
 自衛隊の航空幕僚長を務めた田母神俊雄氏などのように、あの戦争を美化し、復古主義に走ろうとする勢力が蠢いていることをあらためて思い知る必要がある。
 戦後66年経ってこうした事実を最高裁も認めた意義は大きい。

原発から20キロ圏内に「警戒区域」設定

2011-04-22 10:21:30 | Weblog
2011.4.22(金)
 福島第一原発から20キロ圏内への住民の立ち入りを禁止する『警戒区域』が今日(22日)の午前0時、周辺の9市町村で設定された。この措置は災害対策基本法第63条に基づくもので、拒否すると10万円以下の罰金などが科される。
 この20キロ圏内に入る9市町村は、北から南相馬市、浪江町、葛尾村、双葉町、大熊町、田村市、富岡町、川内町、楢葉町であり、居住人員は約7万8千人という。
 文部科学省は21日、原発20キロ圏内で測定した大気中の放射線量を初めて公表した。それによると、原発から南西3キロの大熊町内で最大の毎時0.110ミリシーベルト、また北西方向の地域で0.013~0.031ミリシーベルトと高い数値となっている(0.019ミリシーベルト以上は年換算で健康被害の危険が増す目安の数値、0.0038ミリシーベルト以上は文科省が学校での屋外活動を制限する基準値)。
 測定結果を見ると、大熊町、双葉町、浪江町で比較的高い数値が見られ、富岡町、南相馬市の一部でやや高い数値が出ている。一方、葛尾村、田村市、川内町、楢葉町では基準値以下の数値である。
 こうしてみると20キロ圏といっても、地域によって放射線量は大きく異なっている。しかもこのデータが公表されたその夜から立ち入りを禁止する『警戒区域』が設定された。
 これまでも『避難指示区域』ではあったが、様子を見に家に帰ることはできた。これからはそれもできない。健康上危険だから直ちに禁止というやり方では、追い出される住民は納得しない。自分の健康のことだから半分は理解しつつも、放射能汚染の情報はあまりに少なすぎた。
 現在もこの区域内に約100人の人が残っているというが、「高齢なので避難所生活に自信がない」「放っておいて」などと言っているという。
 政府は一時家に戻る機会を作るといっているが、これも制限が多すぎて住民の不満は大きい。
さらに、20キロ圏外の飯舘村なども「計画的避難区域」の指定と「緊急時避難準備区域」の設定を検討しているという。
 政府はなにごとも住民の理解を得ながら実施するといってはいるが、いつも反発のほうが大きい。枝野官房長官など一生懸命なのは分かるが、対応のまずさ、甘さが目立つ。 
 それにしても原子力発電の罪の大きさがあらためて身に沁みる。



クレーン車突入で6人の児童が死亡

2011-04-20 12:32:29 | Weblog
2011.4.20(水)
 4月18日朝、栃木県鹿沼市で登校中の児童の列に12㌧クレーン車が突入、6人の児童が死亡するという痛ましい事故が起きた。クレーン車の運転手柴田将人容疑者(26)は自動車運転過失傷害の疑いでその場で逮捕された。
 死亡したのは、鹿沼市立北押原小学校4年から6年の児童6人(男児5人、女児1人)。柴田容疑者はセンターラインを越えて右前方に一直線に進み、縁石の隙間を通って歩道の児童らを次々とはね、民家の物置に衝突した後、停車した。歩道に設置された車の進入防止用鉄製ポールはなぎ倒された。
 柴田容疑者は「居眠りしていた。ドンとぶつかったのは覚えているが、人をはねたかどうかは覚えていない。重大な事故を起こして申し訳ない」と供述しているという。
 それにしても痛ましい悲惨な事件である。大きな希望を持った幼い子どもが一人の人間の過失によって、僅か10年余りのその短い命を瞬時に奪われてしまった。両親ら遺族の悲しみは想像も及ばない。柴田容疑者は、居眠りをしていたと供述しているが、遺族のみならず、煮えくり返る怒りを覚えるのは筆者だけではあるまい。
 柴田容疑者は3年前の2008年4月にも、自家用車で運転中に対向車線を超え、登校途中で歩道にいた小学生をはね、重傷を負わせるるという今回の事件と酷似した事故を起こしている。
 東日本大震災による死者・不明者は三万人近い。しかし、これは自然という人間にとっては現代の最高の科学によっても制御不能な力がもたらしたものである。しかし、交通事故は一人の人間による不注意から起こるものであり、この不注意が積もって最近の1年では5000人前後もの死者を生んでいる。
 現在の風潮では、交通事故による死亡事故はあまりに身近過ぎて傍観しているきらいがある。端的にいえば加害者に対して人々は甘すぎる。さらにいえば、安易な運転が多すぎるということでもある。
 事故にはいろいろな態様があるが、重大(悪質)な過失による事故にはもっと厳罰をもって対処すべきではないか。余りにも過ちが繰り返されているから。

福島原発事故の収束行程表を東電が公表

2011-04-18 14:14:09 | Weblog
2011.4.18(月)
 東京電力の勝俣会長は昨日17日、福島第一原発の収束計画を発表した。それによると、今後3ヵ月後までに格納容器内を注水した水で満たす「水棺」を実施して冷却を図り、6~9ヵ月で1~3号機の原子炉を100度未満の安定的な「冷温停止状態」にするとした。
 今後3ヵ月後までの第一ステップでは、「放射線量を着実に減少傾向にする」とし、第二ステップの3~6ヵ月で「放射性物質の放出を管理し、放射線量を大幅に抑える」ことを目標とし、合わせて60の対策を盛り込んでいる。
 大地震が発生して早や1ヵ月余が過ぎ、今後東電の計画どおりいったとして避難住民の帰宅は早くても来年以降となることが明らかとなった。既に避難生活で疲れているうえに、これからさらに9ヵ月以上も避難生活を続けなければならないのかと思うと避難住民の落胆の大きさが思いやられる。
 しかし一方で、本当に9ヵ月経ったら避難住民の帰宅が実現するのか疑う声もある。原子炉を冷やすための水の注入さえてこずって日々悪化させてきたというのに、冷却システムの復旧や熱交換器の設置、高濃度汚染水の移し替え、原子炉建屋カバーの設置など困難を極める仕事ばかりである。しかし東電としてはもう後戻りできない。なんとしてもやり遂げる覚悟で臨んでもらいたいものである。これが被災住民の我慢の限界だからである。

不可解な症状で床に伏す

2011-04-16 19:53:40 | Weblog
2011.4.16(土)
 3日ほど前から、舌が異常に痛く食べることも飲むこともままならない。また、しゃべると舌が動くので痛くてしゃべるのが億劫になる。口内炎が出来たものと思っていたがそれらしきものは見当たらず、どうやら舌全体に痛みが起きているらしい。
 今年は例年になく花粉症の症状がひどく、特にクシャミと鼻水に悩まされてきた。くしゃみが続くと目から涙が出て惨めなものだ。この症状が真夜中に起きると悲惨である。こんな夜がもうずっと続いている。当然睡眠不足となる。
 こんな状態から、舌の痛みは口内炎だとばかりと思っていた。ものを食べるたびに痛くてかなわないと、一昨日近くのかかりつけの医院に行って看てもらったが、とりあえず花粉症を抑えましょうといって薬を処方してくれた。また舌が痛む原因は、内臓からきているかもしれないということで血液と尿を採って検査するという。結果は一週間後に来てくれともいう。
 昨日、今日と舌の痛みは治まらず、また微熱も出て、ベッドにかじりついていた。単なる体の疲れならこうして休んでいれば回復するのではないかと期待したが、依然として舌の痛みは取れない。唾液を飲み込むのも苦痛である。これまで風邪を引いたときなどに口内炎が出来たことはしばしばであった。しかしこんなふうに舌が痛むのは初めての経験である。
 弟の家の火災と東日本大震災と重苦しい雰囲気の中で、今度は自分が不可解な症状に悩まされることになってしまった。こんな状態がいつまで続くのであろうか。今日の二つの予定もキャンセルにしてしまった。

名古屋高裁、闇サイト殺人で2被告を死刑から無期懲役に!!

2011-04-12 18:23:12 | Weblog
2011.4.12(火)
 いわゆる「闇サイト殺人事件」で強盗殺人罪などに問われ、一審の名古屋地裁で死刑を言い渡された堀慶末(よしとも)被告(35)と無期懲役判決を受けた川岸健治被告(44)の控訴審判決が今日(12日)、名古屋高裁であった。
 裁判長は堀被告について、一審の死刑判決を破棄して無期懲役とし、川岸被告も無期が妥当とする判決を言い渡した。
 なお一審で死刑を言い渡された神田司被告(40)は、控訴を取り下げており、すでに死刑が確定している。
 この事件については、このブログにおいても既に2009年3月18日~3月20日にかけて書いた。今回の判決結果は詳細は分からないが、結局のところ死刑適用の永山基準を脱皮できなかった。一審判決は、一人の殺人では死刑はないものという慣例のようなものを打ち破った画期的なものであったのに、高裁の裁判長らはそれを否定した。
 この事件の残虐性は先のブログでも書いたとおりであり、司法のあり方としていつまでも永山基準にしがみ付いていてよいのか、いよいよ最高裁の判断が問われる。