名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

山口公明代表 集団的自衛権行使容認

2014-06-27 09:00:53 | Weblog
2014.6.27(金)
 公明党の山口那津男代表は他国を武力で守る集団的自衛権の行使を限定的に認める考えを表明した。昨夜(26日)のNHKの番組の中で述べた。これで自民、公明の与党協議は近く合意することが確実になった。合意すれば政府はすぐにでも解釈改憲を閣議決定する方針である。戦後、専守防衛に徹してきた日本の平和主義は大きな曲がり角を迎えた。
 公明党は、ついにというか、やはりというか、じらし続けていたが、結局政権党にいることの蜜の甘さから逃れることはできなかった。
 山口氏は「政府が国民の権利を守ろうとする場合には(自国を守る)個別的自衛権に近い形の集団的自衛権であれば、一部限定的に容認して国民を守り、国の存立を全うすることがは許される余地があるのではないかと考えるようになった」「二重、三重の歯止めが利き、拡大解釈の恐れはないと思っている」として行使容認に至った考えを述べた。
 しかしこれまでの協議を通じて自公の間には、活動の内容や範囲をめぐって食い違いが生じており、時の政権が都合よく拡大解釈できる余地は温存されている。それ以上に、こうした約束ごとなど時が経てばどこ吹く風となり、全く違ったものに変容していくことは歴史が証明している。
 ついに、公明党は結党以来50年にわたって掲げてきた「平和の党」の看板を投げ捨てることになってしまった。公明党は自民党の暴走を止める役目を負っていたはずなのに、政権内にいることを優先してしまった。末端の公明党員や創価学会員はもとより、安倍政権の暴走に危機感を感じている多くの国民の期待を裏切ってしまった。
 公明党は今後、党内の意見集約をするらしいが、それこそ慎重な議論を期待したい。

W杯日本一次リーグ敗退

2014-06-26 21:29:25 | Weblog
2014.6.26(木)
 サッカー・ワールドカップ・ブラジル大会、C組の日本はコロンビアに1―4で敗れ、一次リーグ敗退となった。1分け2敗の勝ち点1でC組の最下位である。
 第一戦のコートジボワール戦では1―2で敗れ、第二戦はギリシャと0―0の引き分け、結局1勝もできずに敗退した。世界ランキングからすれば当然の結果かもしれない。しかし前回の決勝トーナメント進出の実績から優勝を目指すとまで豪語していた選手やまわりの雰囲気からすれば想定外の負け方でもある。
 日本は、16強に勝ち進んだ前回大会後、イタリア人のザッケローニ監督を招聘し、世界の強豪入りを目指して練習に励んできた。W杯の盛り上がりももの凄く、メディアもそれを煽って日本中がW杯一色に染められた。本当に優勝するのではないかとさえ思われた。結果は、それが一方的で過大な期待に過ぎなかったことを明らかにした。
 この結果を受け、日本代表のザッケローニ監督(61)は25日、「責任は全て私が負う」として退任の意思を表明した。敗退はしたがしかし、2010年8月、前任の岡田武史監督の後を継ぎ日本代表監督に就任。11年にアジア・カップ優勝、今回のW杯も日本に五大会連続五度目となる大会出場権を得た功績は大きい。
一次リーグへの出場権はならなかったが、W杯はこれからも続く。日本の実力はまだまだ底が浅いことが明らかになった。国民全体への横の広がりも他国に比べればまだま遠く及ばないこともあぶりだした。こうなったからには、今回の欠点を徹底的に洗い出し、一段上のレベルを目指して再出発することである。

東京都議会でセクハラ発言!!

2014-06-20 10:14:00 | Weblog
2014.6.20(金)
 6月18日、東京都議会の一般質問で、妊娠や出産に関する都の支援政策を尋ねたみんなの党の塩村文夏都議(35)に一部の都議がセクハラやじを飛ばしていたことが問題になっている。
 やじは「早く結婚しろ」「産めないのか」といったもので、みんなの党はセクハラや個人攻撃に当たるとして、再発防止のための対応をするよう議会運営委員会に提案するという。
 塩村都議は「悩みがある女性に、否定するようなやじが相次ぎ、みなさんで笑っていた。質問を進めていくうちに、とても悲しい気持ちになった」と語っている。塩村さんは都議個人として20日、発言者を特定し処分するよう議長あてに申し入れるとしている。
 やじの声は自民党の都議が座る席の付近から複数の男性から上がったとされる。
 自民党の幹部は、「わが党の議員の発言だったと決めつけないでもらいたい」との趣旨のコメントをテレビで答えていたが、自民党議員だったことはほぼ間違いないと思われる。発言した本人はともかく、少なくとも周りの議員は誰が発言したは分かっているはずある。未だに本人自身が名乗り出ないのもおかしいし、名乗り出ないならそれを聞いた付近の議員が明らかにすべきである。公人である議員が自分の言ったことに責任を持たず隠れているのは卑怯である。きちんと名乗り出てあやまるか、または言ったことを正しいと信じているならばその趣旨を堂々と主張すれば良い。その善し悪しは有権者が判断する。
 それにしても、地方議員に限らず国会議員も含めて議員というのは質が悪いというか知識・教養という点でもレベルの低い議員が多すぎる。特に最近、躍進している政党などでは不祥事を起こしている議員が続出している。わが地元で減税日本に所属していた議員などは、車による当て逃げするというような破廉恥な罪を犯しておきながら,未だに議員を辞めないで居座っている強者もいるほどである。しかしこうした議員を選んでいるのが有権者であることも間違いのない事実である。

作家百田尚樹氏の驚くべき発言

2014-06-19 21:47:36 | Weblog
2014.6.19(木)
 今朝の中日新聞は、作家の百田尚樹氏が18日、静岡青年会議所主催の講演会で「日教組は本当に日本のガン」「南京大虐殺はなく、従軍慰安婦はうそ」などと発言していることを伝えている。
 その内容は、「日教組は何十年間も、純粋無垢な子どもたちに贖罪意識を教え込んでいる。まず『日本は素晴らしい』ということを教えなければいけない」その上で「日本人でいることが恥ずかしいと教え込まれた子どもたちは立派な大人になれない」「自虐思想があるので、南京大虐殺、従軍慰安婦問題にノーと言えない。正しい知識を身に付けたら、歴史捏造というのはすぐ分かる」など言いたい放題である。
 これが彼の持論らしいので、明けても暮れてもこんなことばかり言っているらしい。貧相な知識ではこんなことしか言えないのはむしろ当然なのだろう。
 南京大虐殺にしろ、従軍慰安婦問題にしろ全く勉強せず、自分の都合によいようにしか理解しようとしない。自分の犯してきた罪にさいなまれ口を閉ざして死んでいった多くの兵士達の苦悩を敢えて知ろうとしない卑怯者なのである。
 何を言おうと自由である。それが民主主義国家・日本のよいところである。しかし、事実を捻じ曲げてまで自分の主張を通そうとするのはその人の人格の問題でもある。ましてや百田氏はNHKの経営委員に就任したのである。NHKの経営委員ともなった以上、ジャーナリズムの何たるかぐらいは勉強してもらいたい、と言いたいところだが、あの十五年戦争時代の国民の意識にまで戻りたいと願う安倍首相に頼まれた百田氏にすれば、ここは意気のよいナショナリズムを発揮することしか頭にないに違いない。

ピースあいち-今年の夏の企画展

2014-06-17 09:46:27 | Weblog
2014.6.17(火)
 今年のピースあいちの夏の企画展示は「戦争と若者-断ち切られた命と希望」と題して、①戦没学徒の遺書、遺品 ②空襲の犠牲となった学徒動員生徒の遺品、資料 ③戦没学徒の絵画、を展示することとなった。
 ①は、わだつみのこえ記念館、②は、立命館大学国際平和ミュージアム及び豊川市桜ヶ丘ミュージアム、③は、戦没画学生慰霊美術館・無言館から借り入れる。
 戦争は、特に日中戦争と太平洋戦争においては、兵士が海外に動員されただけでなく、国家総動員という名の下に全ての国民が戦争に駆り立てられた。その中で十代の小中学生や高校生、大学生たちも戦争に巻き込まれ、命を失った。
 この企画展は、戦争と若者をテーマとして70年前の若者たちが残した遺品の前に立ち、声なき声を聞き、姿なき姿に思いを巡らそうという企画である。
 今の政治情勢はまさに日本を『戦争のできる国』にしようとしている。集団的自衛権の行使容認を連立政権を組む相手方に納得させるため、小さな具体例を出して、こんな時に集団的自衛権を行使できないことの方がおかしいとばかりに茶番劇を演じているのが今の政権である。そんなことで一旦決めたことでも時が経てば人も代わり、情勢も変わり、政治家は都合のよいほうに変えていってしまうことは歴史が証明している。
 こうした動きに今の若者たちは踊らされているが、結局翻ろうされるのはその若者達なのにである。

 過日、「きけ わだつみのこえ」の中の一人、木村久夫(1918~1946)の遺書がもう一通存在することが明らかになったと中日新聞が伝えていた(4月29日付朝刊))。「きけわだつみのこえ」の遺書は大半が特攻などで戦死するという前提で書かれたものであるが、木村久夫の遺書はスパイ容疑でB級戦犯に問われて処刑される無念さを記したものである。
 新たに発見された遺書には、木村が日本軍の責任回避の体質や残酷さを知っており、日本軍の体質への内省や戦犯裁判の矛盾、陸軍への怒りが描かれているという。これまで公表されていた遺書は二つの遺書を編集し、軍部を批判した箇所などが削られたり、辞世の歌も違うなど改変されていたことも分かった。新たな遺書の発見で、志半ばで学問の道を断たれた無念さを訴え、戦争の不条理を際立たせているということも鮮明になったという。

 70年後の現在の政治情勢が、再び70年前に戻そうとしていると思うのは決して杞憂ではない。

W杯ブラジル大会開幕

2014-06-13 09:07:35 | Weblog
2014.6.13(金)
 第20回ワールドカップブラジル大会が12日夕べ(日本時間13日早朝)開幕した。今朝のテレビによると、反W杯のデモが繰り広げられる中、開幕式ではブラジルらしい派手な衣装のサンバのデモンストレーションもあり、賑やかな開幕ぶりだ。
 開幕戦は早速ご当地のブラジルが登場し、欧州の強豪クロアチアと対戦した。ニュースではブラジルが3‐1で勝利したことを報じた。ブラジルはW杯制覇5度を誇るサッカー王国である。地元開催で緒戦で負けるわけにはいかない。まず第一関門の突破である。
 さて日本は5回の連続出場を果たしたが、その実力は1998年のフランス大会以来着実に伸ばしてきた。02年の日韓大会と06年のドイツ大会では16強にまで進んだ。しかしここまでである。その意味では今回の大会は日本サッカーの未来を占う意味が込められている。
 その初戦を15日(日本時間)にコートジボワールとの対戦で迎える。W杯ともなればどのチームも紙一重の実力である。この一戦を突破できるか否かが日本サッカーの未来を占う。
 日本の目標はこれまでの壁であった8強を目指しているというが、選手たちは優勝を目指して戦うと言っている。その気概や良しである。
 今や世界はグローバル化し、集団的自衛権などと言って武器を持って戦うことなど時代遅れにして欲しい。それにしてもスポーツで体を鍛え、世界が友情と平和で結ばれることは夢のまた夢か。


ニホンウナギ国際危惧種登録

2014-06-12 17:43:10 | Weblog
2014.6.12(木)
国際自然保護連合(IUCN)は12日、2014年版レッドリストを発表し、東アジア海域に生息するニホンウナギを緊急度が二番目となる絶滅危惧種(絶滅危惧ⅠB類)に登録した。
 欧州に生息するヨーロッパウナギは既に2010年のリストで最も絶滅の可能性が高い「絶滅危惧ⅠA類」に登録されている。
 自然環境の悪化や濫獲が原因だとされているが、愚かな人間は最悪の事態になっても過ちを繰り返している。 
今回の登録は、日本の天然産成魚の漁獲高が30年前の10分の1にに激減していることや、稚魚のシラスウナギの乱獲、工事による湖沼、河川での生息地の消失などが絶滅の危機に瀕していることから決定したとしている。
最近の漁獲量は変動が激しく、昨年のシラスウナギは過去10年間で最も高い1キロ248万円で取引されたが、今年は豊漁で4月には40万円まで下がったという。
ニホンウナギは日本や中国、韓国、台湾沿岸に生息し、成魚が西太平洋のマリアナ諸島近海で産卵、孵化した稚魚が黒潮に乗って戻ってくると言われている。
 うなぎは産卵から成魚に育てる養殖技術はまだ確立されておらず、沿岸で捕らえた稚魚のシラスウナギを成魚に育てる養殖にとどまっている。
 東京湾、伊勢湾、大阪湾の海岸線の8割はコンクリートなどの人口護岸で固められ、上流のダムや堰きが稚魚の遡上を阻んで自然繁殖の大きな妨げとなっている。こんなことは早くから分かっているにもかかわらず、未だにあちこちでダムの建設が進められていることがおかしい。
 危険度の高い危惧種に指定されて農林水産省はどうするのであろうか。報道によると、水産庁の幹部は「捕獲が規制されることはない」から、「影響は限定的だ」とまるで他人ごとのようなことを言っているというから呆れる。
 

福岡高裁、諫早湾干拓における国の制裁金抗告を棄却

2014-06-07 13:46:32 | Weblog
2014.6.7(土)
 福岡高裁は6日、国営諫早湾干拓事業の開門調査をしない国に制裁金の支払を命じた佐賀地裁の決定を不服として国が申し立てていた執行抗告を棄却した。
 国は11日までの開門には応じられないとしていることから、制裁金支払義務が12日から生じることがほぼ決定的となった。
 これより先の6月4日には、開門差し止めを命じた長崎地裁仮処分決定を守らせるため、開門したら営農者らに1日、49万円の制裁金を支払うよう長崎地裁が決定したばかりであった。
 仮に12日から開門するまで漁業者49人に対し、一人1日当たり1万円の支払いをすると、月額約1500万円、年間で約1億8000万円の税金が投入されることとなる。
 漁業者側弁護団によると、支払われた制裁金は基金を設けてプールする方針といい、漁業者個人は受け取らないとしている。ただ国が支払わない場合は「首相の椅子や首相官邸の金庫を差し押さえる」と言いながら「開門を迫るのが目的で、制裁金を得るのが目的ではない」と強調している。
 戦後の食糧難を解決するための方策として大規模な諫早湾干拓事業がはじめられた。営農者の農地は確保したが、水の流れがせき止められたことによる諫早湾の環境破壊は漁業者の生活権を奪い、漁民と農民との間に埋められない溝をつくった。国や長崎県などの強権的で一方的な事業の推進が裁判にまで影響し、開門の賛成派(漁業者)と反対派(営農者)を右往左往させてきた。
 佐賀地裁と長崎地裁の正反対の判決に今回の高裁判決は一応の決着をつけたが、国はなお開門するつもりはない。行政の失敗から年間1億8000万円もの税金が無駄に使われることになるが、一旦決めたことには環境の変化や時の流れに逆らってでも改めようとしない行政の体質は相変らず頑強である。

50年ぶりに佐渡島旅行

2014-06-04 10:26:15 | Weblog
2014.6.4(水)
 今から50年前、今でいうゴールデンウィークの始まりであった4月29日に結婚式を挙げたので、後の休日も利用して東北地方から最後に佐渡島へ渡る新婚旅行に出かけた。
 新潟港から乗った船は大型のフェリーだった記憶があるが、五月晴れの穏やかな航海のこと、甲板で海を眺めていると、目の前の椅子に座っていた老夫婦が声をかけてきた。「あなた方は新婚旅行ですか。私たちは結婚して50年の金婚旅行です。もう50年も経って年老いてしまいましたが、あなた方のような若い方を見るとうらやましいですね。これからの人生いろいろありますが、お幸せに!」といった趣旨の言葉をかけていただいた記憶である。
 あれからあっという間の50年、この老夫婦の言葉が忘れられず、もう一度どうしてもあの船に乗って佐渡へ渡りたかった。その思いが今回の佐渡行である。
 ところが乗船した船はカーフェリーではなかった。旅行会社に敢えてカーフェリーで行きたいと断ってなかったので、乗船したのは海上を浮上して航行する“ジェットフォイル”という名の超高速船であった。時速80キロ余、佐渡までほぼ1時間という早さである。フェリーでは今でも2時間半もかかるというのにである。シートベルトを占めて着席しなければならず、もちろん甲板などもないから、外気に触れることもできない。50年前のあの光景はもうなかった。
 さて50年前に泊まった最初の宿は、船の到着した両津港ではなく、島の西側・真野湾に面した“佐渡観光ホテル八幡館”というのが連れ合いの記憶であったのでそこへ泊まった。当時は木造の日本旅館風であったはずであるが、ホテルによると平成元年に洋風に改築したとのことであった。
 ところで50年前、1964(昭和39)年というのは、新幹線が開通した(10月1日)年であり、東京オリンピックが開催された(10月10日)年でもあった。また我々が新潟から佐渡へ旅行した直後の6月16日には新潟地震が起きた。液状化でビルが傾いた状況が報道されて驚かされた記憶がある。
 さらに新潟国体の開催年でもあり、本来秋に開催される予定であったが東京オリンピックのため春季大会として6月6日から開催された。これには当時の昭和天皇が佐渡を訪れになられ、なんと八幡館にお泊りになられた。今でも当時の写真がホテルのロビーに飾られていた。
 しかし今の佐渡の大きな変化は絶滅した朱鷺の復活である。環境庁はもちろん、全島民が朱鷺の成長に心を動かしていることはうれしい限りである。