名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

安倍首相辞任を表明 歴代最長7年8ヵ月

2020-08-29 16:54:31 | Weblog
2020.8.29(土)
 安倍晋三首相(65)は28日、官邸で辞任の意向を表明した。体調が悪化(潰瘍性大腸炎の再発)し、首相の責務を継続するのは困難と判断し、退任を決めたという。
 「安倍一強」を誇った最長政権は2012年12月の第二次内閣発足から約7年8ヵ月で幕を閉じる。ただし、後任が選ばれるまでは執務に当たるとした。また、次の衆院選には「一議員として臨む」とし、政界引退は否定した。
 第二次内閣で安倍政権は「アベノミクス」と呼ばれる一連の経済政策を打ち出し、デフレからの脱却と持続的な経済成長を目指した。
 政策の柱は、
 〇「大胆な金融政策」
 〇「機動的な財政政策」
 〇「成長戦略」
の三つで3本の矢とも呼ばれた。
 1)円高から円安へ  2011年 1ドル=75円台 → 2015年 125円台
 2)日経平均株価の回復 
2012年12月25日 1万80円12銭 
             →2018年10月2日 2万4270円62銭
 3)企業業績の回復 → 有効求人倍率は高水準へ改善

一方で、
 1)国内総生産の伸び率は0%台から1%台にとどまる
 2)日銀が目標とした2%の物価上昇率は未達成
 3)コロナウイルスの感染拡大で景気が悪化。
2020年4月~6月の伸び率 → 実質の年率でマイナス27.8%の落ち込み
 4)ふくれあがった巨額の国債
  ①安倍政権発足前の国・地方の長期債務残高 932兆円 → 現状 1182兆円
  ②日銀の国債保有比率 11.5% → 47.2%

  現在の国の年間予算が100兆円そこそこから見ると、借金残高1182兆円の大きさ
がわかる。 新聞によると、財務省幹部は「日銀が破裂するかもしれない。大きなリスク
を抱えた」と危機感を募らせているという。

 安倍政権の功罪はいろいろ取りざたされるが、「森友・加計学園問題」「桜を見る会」「公
文書改ざん問題」など疑念が残ったままである。
 また安倍政権は歴代最長の在職日数を記録したが、官僚の忖度による政策のゆがみ・公
的行事などでの自身に近い人物の優遇など長期政権のおごりが目立った。
 首相は首相なりに努力されたとは思うが、本当に国家のためであったかと思うと筆者は
否定せざるを得ない。安倍首相への国民の応援派と批判派の分断は大きくなる一方であっ
た。これが安倍首相の最大の罪である。

将棋の藤井 最年少で二冠

2020-08-21 08:30:38 | Weblog
2020.8.21
 将棋の木村一基王位(47)に藤井聡太棋聖(18)が挑む第61期王位戦の七番勝負第四局が20日福岡で行われ、藤井棋聖が勝ち、18歳1か月の史上最年少で二つ目のタイトルを獲得した。併せて「タイトル二期獲得」の規定も満たし、最年少で八段に昇段した。
この記事が今朝の新聞の大見出し付きのトップ記事である。
 藤井王位は愛知県瀬戸市出身。杉本昌隆八段門下。2016年10月、史上最年少の14歳2か月でプロ入り。デビュー以来、公式戦29連勝を果たし、歴代一位を記録した。
 20年7月、第91期棋聖戦5番勝負で渡辺明棋聖を3勝1敗で破り、史上最年少の17歳11か月で初タイトルを獲得した。
 将棋界は一人の棋士がタイトルの過半数を独占し、一時代を築いてきた歴史がある。戦後かあら1960年代は故大山康晴十五世名人、70~80年代は中原誠十六世名人(72)、90~2010年代は羽生善治九段(49)の時代だった。
 このうち、羽生九段は25歳で史上初の全七冠(当時)を制覇、四半世紀にわたり頂点に君臨した。獲得してきたタイトルは九十九期に達する。その彼でさえ、二冠達成は22歳になる直前だったという。
 その最年少記録を塗り替えられた羽生善治九段は「十代で複数冠を保持するのは空前絶後の大記録だと思う」と語った。八段昇段の最年少記録を更新された加藤一二三・九段(80)も称賛した。
 地元愛知県から将棋界のすごい偉人が生まれた。

極右雑誌「Hanada」が大村愛知県知事のリコール運動

2020-08-18 10:36:26 | Weblog
2020.8.18
 今朝(18日)の中日新聞朝刊に月刊誌「Hanada」が、大村愛知県知事のリコールを呼びかけた特集号の宣伝広告を大きく掲載している。また河村たかし名古屋市長による、中日新聞と朝日新聞両社への公開質問状も掲載している。
 また今号は特に、高須克弥院長の熱烈応援号だと謳ってもいる。高須院長とは縁もゆかりもないが、テレビで飽きるほど自分の医院の宣伝をしている人物である。医者とはこうも儲かるものなのかと誤解を与えかねない宣伝力である。
 さてその宣伝を見ると、大村知事が昨年開催した「あいちトリエンナーレ・表現の不自由展」を極右の連中が寄ってたかって非難の文章を書き綴ったものとなっている。
 表現の自由の範囲内であれば何を書こうがケチをつけるつもりはないが、名古屋市長である河村たかしがこんな右翼雑誌に積極的に与し、中日・朝日両新聞へ公開質問状を突きつけるとは信じられないことである。個人の自由は認めるが、市長たるもの200万市民の代表であることを忘れてはいけない。
 執筆者を見ると、高須克弥氏のほか百田尚樹氏、有本香氏、竹田恒泰氏、武田邦彦氏、
K・ギルバート氏ら日本の右翼の代表者が名を連ねている。
 中日新聞社もこんな連中に責められても、広告としては掲載しなければならないとはお気の毒である。

戦争体験者は語る「戦争は二度とおこしてはならない」と!!

2020-08-14 16:07:56 | Weblog
2020.8.14
 今朝の中日新聞にプロ野球中日ドラゴンズの元投手として大活躍した杉下茂さんの戦地体験が詳しく載っている。
 杉下投手といえば、日本で初めてフォークボールを駆使したことから「フォークの神様」とさえ言われた。木造の中日球場時代、筆者はその球場のすぐ近くの中学校に通っていたせいか、杉下投手の活躍はいつも身近に見ていていつのまにか生粋のドラキチになっていた。
1954(昭和29)年には、エースとして活躍し球団初のリーグ優勝と日本一の立役者となった。プロ通算215勝123敗はすごい記録であり、1985(昭和60)年には野球殿堂入りもはたしている。
 その杉下選手も厳しい軍隊生活を体験した。1945年に中国へ出征させられ厳しい新兵訓練を受けたと語っている。上官から殴られたり蹴飛ばされることは日常茶飯事だったという。また敗戦になって捕虜収容所の生活も体験した。その日常は厳しいものながらも野球やバレーボールなどスポーツは許された。
 記事の中で杉下さんは、戦争経験者として次の世代に残したい思いを次のように語っている。
「あの戦争では多くの若者が犠牲になった。兄は野球がうまかったから、無事でいたら、私を上回る野球選手になっていただろう(お兄さんは45年3月21日、沖縄で戦死)。
 人間の未来や可能性を奪ってしまう戦争は二度と起こしてはいけない。そのためには誰もが意見を言える世の中にしておくことだ。戦争中は上官が突撃しろといったら『ハイ』といって従った。それが特攻や自決につながった。おかしいことをおかしいと言えない空気が悲劇を生んだと思う。誰もが自由に声を上げられる世の中、『そうじゃない』と批判ができる世の中をいつまでも残してほしいと思っている」
 筆者は「戦争と平和の資料館ピースあいち」の活動の一環として、開館以来の10年余にわたって戦争体験語り事業を推進してきた。その語り事業の実施回数はピースあいち本館や愛知県下の小中学校を中心に述べ600回を超えた。
 この間、戦争体験者は延べ120人余の方々に携わっていただいたが、亡くなられたり、高齢化が進み語れる人は50人を切ってしまった。
 これらの語り手の方々もお話の最後はどなたも「戦争だけはもう二度とやってはいけない」
と締めくくられた。それを聞いた子どもたちも「戦争は反対だ」と感想文に書いてくれる。
 しかし戦争を引き起こすのは戦争で苦しんだ一般庶民では決してない。まじめな子どもたちには信じられないことだが、戦争を秘かにたくらみ、望んでいる連中がおり、それらを政治家があやつっているという仕組みまで理解しないといけない。
 日本は「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と定めた素晴らしい憲法が存在するのに、いつの間にやら強大な軍事力を保持し、さらにそれの海外派兵までも実現するまでになっている。
米軍の強大な基地は全国各地に配置され、諸外国にとって脅威となっている。その基地負担も日本にとっては厳しい財政負担である。
 最近、陸上配備型迎撃ミサイル「イージス・アショア」調達の見直しに次いで、21年度配備を計画している米国製無人偵察機「グローバルホーク」、三機について、政府が調達中止の再検討を行っているとの報道がなされているが、どこまで米軍に対峙できるかはしっかり監視すべきである。また、いわゆる「思いやり予算」の増額にも注視しなければならない。
 「戦争は二度としてはならない」という思いを実現するにはそれにこたえる政治を実現することである。即ち庶民にできることは、米国に気を使い、軍事費を増やし、戦争のできる国にしようとしている政治家に投票しないことである。たやすいことのように見えるが、一方では気の遠くなるような困難なことでもある。

長姉一周忌の法要

2020-08-10 10:17:06 | Weblog
2020.8.10(月)
 筆者の長姉は昨年(2019年)8月20日に亡くなった。姉は夫の実家である三重県鈴鹿市若松に住んでいたが、その夫に早くに死別して神奈川県相模原に住む次男の家で暮らしていた。その姉も高齢で最後は施設に入っていたが、寿命が尽きたように92歳の天寿を全うした。幼いころ、筆者にとって一回りも歳の違う姉は母親のような存在でもあった。
 その姉の一周忌が一昨日、三重県の実家の近くの「見潮寺(真宗高田派)」で行われ、連れ合いと一緒に参加した。
 熱い真夏のこと、密を避けて住職のお経を聞き、その後墓地へ移動してお墓参りも終え、夕方5時には帰宅できた。長い1日であった。
 我が家は父母の下、4人の男子と4人の女子の10人家族という大所帯であった。思えばこの大所帯でよくも厳しい戦中戦後を生きてきたものと改めて思う。
 父母はすでに45年ほど前に亡くなったが、長兄と次兄も10年ほど前に相次いで逝った。
女子の方は、最初に三女が逝き、次いで今回の一周忌を行った長姉が昨年逝った。
 残っているのは三男の筆者と四男、次女と四女の四人である。次女は現在91歳でいまだ健在である。筆者はつい最近82歳の誕生日を終えた。日本男子の平均寿命は81歳余というが、とりあえず長兄の生きた85歳を目標に頑張ろうと思う。何よりも人類の敵、新型コロナ禍に巻き込まれないように元気に過ごしたい。

75年目の原爆の日

2020-08-07 10:27:03 | Weblog
2020.8.7(金)
 広島は昨日6日、被爆から75年の節目となる「原爆の日」を迎え、平和記念公園で午前8時から「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」が挙行された。
広島市の松井一実市長は、核兵器禁止条約について政府に「締約国」となるよう訴えた。また放射能物質を含んだ「黒い雨」を浴びた人の救済について「降雨地域の拡大に向けた政治判断を強く求める」と言及した。
 参列した安倍首相はあいさつで、核禁止条約に関し踏み込んだ発言は避け、「黒い雨」を浴びた人の救済についても「広島県、広島市との協議を踏まえて対応する」と述べるにとどめた。
 核兵器禁止条約に言及しなかったのは、国連で採択された2017年以降で4年連続となる。政府は米国の核抑止に依存する立場から否定的な姿勢を変えようとしない。
なお、核兵器禁止条約は50カ国・地域が批准してから90日後に発効する。現在までに批准したのは40カ国である。
 なお式典は、新型コロナウィルスの感染防止策として入場が規制され、例年一万人を超える参列者に対し、本年は招待者ら785人が参列したという。
この一年間に亡くなったり、死亡が確認されたりした4943人の名前を加えた原爆死没者名簿が慰霊碑の石室に納められた。これで死亡者総数は324,129人となった。
 また被爆者健康手帳をを持つ全国の被爆者は今年3月末時点で136,682人、平均年齢は83.31歳と高齢化が進んだ。平和宣言骨子の中に、次の文言が盛り込まれた。
〇日本政府には、核兵器禁止条約の締約国になり、唯一の戦争被爆国として、世界中の人々がヒロシマの心に共感し「連帯」するよう訴えてほしい。 
 〇放射線により苦しく人々に寄り添い、支援策を充実するとともに「黒い雨降雨地域」拡大に向けた政治判断を強く求める。

 要するに、核兵器禁止条約についてあべこべ言わずに速やかに批准すべきである。また、「黒い雨」を浴びた人々に対しては、地域に限定せず、先の判決通り速やかに救済措置を講ずるべきである。

あいちトリエンナーレを巡って愛知県知事と名古屋市長が「ケンカ」

2020-08-03 10:50:53 | Weblog
2020.8.3(月)
 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で戦時中の慰安婦を象徴する少女像などの展示を巡って大村県知事と河村市長の亀裂は拡大するばかりである。
 昨年の8月1日に開幕した「あいちトリエンナーレ2019」の中に、慰安婦を象徴する少女像などに抗議して河村市長は「少女像の撤去または展示会の中止」を訴えた。知事は8月3日開催を中止したが、市長の抗議活動は「憲法21条で禁止された検閲ととられても仕方ない」として10月8日に再開したが、わずか6日後の19日に予定通り閉幕した。
 その後も県と市の対立はエスカレートし、今年3月27日、名古屋市は未払いのトリエンナーレ負担金を支払わないと県に通知した。これに対し実行委員会は5月21日、支払いを求めて名古屋市を提訴した。
 一方、市長は徹底的に争うとし、「大村知事の独断、独裁、暴力。これはひどすぎる。自分の金で大村トリエンナーレやりゃあええ」と発言した。
 さらに名古屋・大須の商店街で6月下旬、テレビで盛んに自分の医院の宣伝をしている高須克弥院長が進めるリコール運動の応援演説で、市長は「選挙で選ぶのと同じように、やめさせる権利もあるの。わかっとるー?」などと発言。これが大名古屋市のトップの言葉かと唖然とする。
 後房雄・愛知大教授は「河村さんの動機はひと騒ぎして注目されたいということだろう」(中日新聞記載)と指摘。
名古屋市の品位は落ちるばかり。市の幹部職員も「ついていけない」というのが本音という。こういう状態が続くと名古屋市民の常識も疑われてしまう。