2019.8.26(月)
筆者の長姉が8月20日早朝に亡くなって、その葬儀が昨日(8月25日)、姉の面倒を見ていた甥っ子の住む相模原市の葬祭場で行われた。
筆者は戦時中の産めよ増やせよの時代8人の兄弟姉妹に恵まれた。男児4人、女児4人と見事に産み分けられたものであるが、筆者はその7番目である。これまでに長兄、次男、三女がすでに天国に召されていたので今回の長姉の死去によって、残るは姉二人と、筆者、弟の4人と半減した。
長姉は50年近くも前に連れ合いを病気で失っており、その後は女手一人で男児二人、女児一人を育て上げた。筆者にとって甥・姪に当たるわけであるが、彼らはそれぞれ立派に成長し、今ではリタイアして老後を豊かに楽しんでいる。
姉は92歳の長寿を全うした。死因は寿命という一番幸せな死に方である。筆者は一週間前に4女の姉と一緒に見舞ったが、そのときは既に筆者を認識できたのか疑わしかったので、この日の来ることを予感出来てはいた。だから長寿を全うできた姉の死に顔が幸せに満ちているようで涙が出るようなことはなかった。
長姉は8人の兄弟姉妹のうちでは一番幸せに恵まれたいたように思う。それは家族葬として行われた葬儀に集まった一族が、3人の息子・娘から生まれた孫、ひ孫らを含めて25人にものぼったことからも言える。一人の孫もいない筆者から見れば、姉は多くの孫やひ孫に囲まれて誰が誰だか区別がつかなかったのではないかと余計な心配をしたいぐらいである。孫らの手で花にうずめられた姉の死に顔は幸せそのものであった(ように見えた)。
残った姉・弟の4人はいずれも既に高齢である。この歳になると死に歳に順番はない。誰が天国へ行った長姉に一番早く会えるかは神のみぞ知るというものである。
筆者の長姉が8月20日早朝に亡くなって、その葬儀が昨日(8月25日)、姉の面倒を見ていた甥っ子の住む相模原市の葬祭場で行われた。
筆者は戦時中の産めよ増やせよの時代8人の兄弟姉妹に恵まれた。男児4人、女児4人と見事に産み分けられたものであるが、筆者はその7番目である。これまでに長兄、次男、三女がすでに天国に召されていたので今回の長姉の死去によって、残るは姉二人と、筆者、弟の4人と半減した。
長姉は50年近くも前に連れ合いを病気で失っており、その後は女手一人で男児二人、女児一人を育て上げた。筆者にとって甥・姪に当たるわけであるが、彼らはそれぞれ立派に成長し、今ではリタイアして老後を豊かに楽しんでいる。
姉は92歳の長寿を全うした。死因は寿命という一番幸せな死に方である。筆者は一週間前に4女の姉と一緒に見舞ったが、そのときは既に筆者を認識できたのか疑わしかったので、この日の来ることを予感出来てはいた。だから長寿を全うできた姉の死に顔が幸せに満ちているようで涙が出るようなことはなかった。
長姉は8人の兄弟姉妹のうちでは一番幸せに恵まれたいたように思う。それは家族葬として行われた葬儀に集まった一族が、3人の息子・娘から生まれた孫、ひ孫らを含めて25人にものぼったことからも言える。一人の孫もいない筆者から見れば、姉は多くの孫やひ孫に囲まれて誰が誰だか区別がつかなかったのではないかと余計な心配をしたいぐらいである。孫らの手で花にうずめられた姉の死に顔は幸せそのものであった(ように見えた)。
残った姉・弟の4人はいずれも既に高齢である。この歳になると死に歳に順番はない。誰が天国へ行った長姉に一番早く会えるかは神のみぞ知るというものである。