名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

サッカーW杯、日本決勝トーナメントに進出

2018-06-30 09:42:27 | Weblog
2018.6.30(土)
W杯ロシア大会第15日の28日、1次リーグH組の最終戦で日本はポーランドに0-1で敗れたが、H組2位で2大会ぶりに16チームによる決勝トーナメントに進出した。
同日、同時に行われていたコロンビアがセネガルに1-0で勝ち、勝ち点6の1位通過を果たした。この結果、日本とセネガルはともに勝ち点4、得失点差0、総得点4で並び、直接対決も引き分けだったが、警告数による「フェアプレーポイント」の差で日本が上位になるというきわどい結果となった。
さて、日本が0-1で敗れたポーランドとの試合では、失点は後半14分に失ったものである。この時点ではコロンビア対セネガル戦の結果はまだ不明だったが、後半30分を過ぎた時点でコロンビアが1点先行したとの情報を得た日本は、リスクを負って同点に持ち込むことよりこれ以上の失点や反則、警告を避ける戦術をとった。この場合、セネガルが同点に追いついたら得点を奪いに行くというのが西野監督の作戦だったというのである。
頼みは自分の力ではなく、他チームの試合の動向、しかもそれはフェアプレーポイントの差によって決着するという際どさに救いを求めるものであった。
結果は読み通りになって日本は晴れて決勝トーナメントに進出することになった。選手の一人、吉田選手は「僕たちが力をつけて予選を突破したかといえば疑問が残る。危機感をもって足らないものを埋めないといけない。世間が期待すると悪い結果になるので、もっとパッシングしてほしい」と語った、という。
試合終了後、日本が時間稼ぎに徹した姿勢に各国から批判が噴出したのは当然かもしれない。報道によると英紙ガーディアンは「日本が『フェアプレー』で1次リーグを突破したはずなのに、最もスポーツマンシップに反した試合になった」と報じた。またブラジルのメディアの一つは「プロサッカーでは結果がすべて」と認める一方、日本は「0-1」のスコアより多くのものを失った」と報じた。
また、1次リーグ敗退が決まった韓国の中央日報は「16強を逃がしても拍手を受けた韓国、16強に進んでもブーイングを浴びた日本」と対比した。 
一方で「日本の戦い方を支持している」「「イエローカードの数も試合の一部」「ルールにのっとった行為」と日本の試合運びを擁護する意見もあるとの報道もメディアは伝えている。
日本が決勝トーナメントに進出できたことは楽しみが続くという点で申し分ないこと、ではある。しかし筆者の気持ちとしては、得点を取り合って試合を決するスポーツである以上、リスクはあっても敵陣に攻め入ってゴールを奪ってほしかった。自陣でボールをもてあそんで時間稼ぎをしている日本チームに対して、相手のポーランドも失点を覚悟してまでの攻めをしてこなかったという。観客にしてみればこんな面白くない試合はないであろう。客席のあちこちでブーイングが鳴ったというのももっともである。ここはもう、最低でもベスト8を目指して日本のサッカーの歴史を塗りかえてほしい(出展:中日新聞6.30朝刊)。

沖縄全戦没者追悼式

2018-06-25 21:52:27 | Weblog
 2018.6.23(土)
沖縄県主催の沖縄全戦没者追悼式で、浦添市立港川中学校3年の相良倫子さん(14)が長文の「生きる」と題した読んだ詩の全文は次の通り。(沖縄県平和祈念資料館提供。表記は原文のまま)
私は、生きている。
マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、
心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、
草の匂いを鼻孔に感じ、
遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

私は今、生きている。

私の生きるこの島は、
何と美しい島だろう。
青く輝く海、
岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、
山羊の嘶き、
小川のせせらぎ、
畑に続く小道、
萌え出づる山の緑、
優しい三線の響き、
照りつける太陽の光。

私はなんと美しい島に、
生まれ育ったのだろう。

ありったけの私の感覚器で、感受性で、
島を感じる。心がじわりと熱くなる。

私はこの瞬間を、生きている。

この瞬間の素晴らしさが
この瞬間の愛おしさが
今と言う安らぎとなり
私の中に広がりゆく。

たまらなく込み上げるこの気持ちを
どう表現しよう。
大切な今よ
かけがえのない今よ

私の生きる、この今よ。

七十三年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、
光り輝いていた海の水面は、
戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
燃えつくされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。
魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

みんな、生きていたのだ。
私と何も変わらない、
懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生を、それぞれの未来を。
疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。
仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。
それなのに。
壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただ、それだけで。
無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。

摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。
悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。
私は手を強く握り、誓う。
奪われた命に想いを馳せて、
心から、誓う。

私が生きている限り、
こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。
もう二度と過去を未来にしないこと。
全ての人間が、国境を越え、人種を越え、
宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。
生きる事、命を大切にできることを、
誰からも侵されない世界を創ること。
平和を創造する努力を、厭わないことを。

あなたも、感じるだろう。
この島の美しさを。
あなたも、知っているだろう。
この島の悲しみを。
そして、あなたも、
私と同じこの瞬間(とき)を
一緒に生きているのだ。

今を一緒に、生きているのだ。

だから、きっとわかるはずなんだ。
戦争の無意味さを。本当の平和を。
頭じゃなくて、その心で。
戦力という愚かな力を持つことで、
得られる平和など、本当は無いことを。
平和とは、あたり前に生きること。
その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

私は、今を生きている。
みんなと一緒に。
そして、これからも生きていく。
一日一日を大切に。
平和を想って。平和を祈って。
なぜなら、未来は、
この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。

大好きな、私の島。
誇り高き、みんなの島。
そして、この島に生きる、すべての命。
私と共に今を生きる、私の友。私の家族。

これからも、共に生きてゆこう。
この青に囲まれた美しい故郷から。
真の平和を発進しよう。
一人一人が立ち上がって、
みんなで未来を歩んでいこう。

摩文仁の丘の風に吹かれ、
私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。




歴史的米朝首脳会談

2018-06-20 10:26:19 | Weblog
2018.6.20(水)
 歴史的な米朝首脳会談からおよそ1週間が過ぎた。シンガポールで6月12日にトランプ米大統領と金正日朝鮮労働党委員長が会談したが、このブログにその記事が漏れた。歴史的事実だから遅がけながら触れておきたい。
 あのことから一週間が過ぎてさすがにメディアは静かになったが、あの前後は新聞もテレビも会談がどう進むのか、どのような成果が出てくるのか、と連日のごとくかしましかった。
 まず目についたのは、二人の睦まじかったことであろう。会場となったシンガポールのホテルの赤じゅうたんの上で、両氏が笑顔で握手し、お互い「お会いできて光栄です。」とかわしたという。
 トランプ氏72歳、金正日氏34歳。親子以上に年が離れている間柄である。つい先ごろまで敵対していたのに、トランプ大統領は金正日氏を「彼にはとても才能がある。極めて困難な状況下、26歳で権力を握り、タフに走り続けてきた。その年齢で同じことができるのは一万人に一人もいない」と持ち上げた。
 会談の中心は、北朝鮮が完全な非核化を確認することと、米国が北朝鮮の体制保障を約束することであったが、前者については完全な非核化への意思を確認しただけにとどまった。ところがトランプ氏は北の体制保障だけにとどまらず、米韓軍事演習の中止まで明言した。
 トランプ氏はこれにとどまらず、北の非核化を進めながら65年前に停戦した朝鮮戦争の終結を狙っている。
 このことは誠に良いことである。しかしここまでトランプ氏が前のめりになっているのは、11月に中間選挙が迫っていることと、北との平和条約締結までいけばノーベル賞の受賞も夢ではないとの思惑が見え隠れしているとの論評もある。
 その後、事態はかなり前向きに動いている。どうなるか政治の世界はヤミだから素直にはなれないが、変わり者の二人のこと、ひょっとするとひょっとするかもしれない。

大阪北部地震発生

2018-06-19 15:04:18 | Weblog
2018.6.18(月)
 6月18日午前7時58分ごろ、関西地方を中心にかなり強い地震が襲った。震源地は大阪府北部で震源の深さは約13キロ。地震の規模はマグニチュード(M)6.1と推定された。大阪府で震度6弱を観測したのは観測態勢が整った1923年1月以降初めてという。
大阪市北区、大阪府高槻市、枚方市、茨木市、箕面市で震度6弱の地震があり、大阪府で死者は4人、負傷者は大阪で280人にのぼり、兵庫、京都、奈良、滋賀、三重の各県も含め330人にのぼった。死者4人のうち、小学校のブロック塀の倒壊で4年生の女子が死亡。また別の場所でも塀の倒壊で80歳の老人が死亡した。
 地震の規模の割には、交通網が麻痺し、東海道・山陽新幹線の運転見合わせ、京阪神地区の在来線の運転休止など400万人近い乗客に影響した。
 ちょうど40年前の1978年6月12日、宮城県沖地震が発生した。この時は死者28人のうち18人がブロック塀などの下敷きで亡くなった。この時の教訓で建築基準法が強化されたことを覚えている。
 今回の大阪北部地震はM6.1とそれほど大きな規模ではない。日本各地の地盤には地震のエネルギーとなるひずみがたまり、活断層が複雑に影響し合いながら走っているが故に、今回のような地震は、どこでも発生する可能性があるという。ちなみに1995年の阪神淡路大地震はM7.3であり、一昨年の熊本地震ではM6.5の地震の28時間後にM7.3の大地震が発生した。
 今回倒壊して死者を出した学校のブロック塀は3.5メートル(M)だった
。建築基準法ではブロック塀の最大高さ(H)は、地盤面より2.2Mとなっている。またブロックの厚さは、塀の高さが、2.0m以下の場合は12cm以上、2.0mを超える場合は15cm以上と決められている。
 今回倒壊したブロック塀はこの基準を大きく下回っていた。40年前の宮城沖地震の教訓が守られていなかった。
 地震は事前の予知が難しい。現段階では不可能と言っていい。したがって、過去の教訓はしっかりと守り、受け継がなければならない。被害をいかに少なくするかが地震との闘いである。




改正民放成立 22年施行

2018-06-13 21:29:35 | Weblog
2018.6.13(水)
 成人年齢を20歳から18歳に引き下げる改正民放などが13日、参院本会議で与党などの賛成多数で可決成立した(国民民主、立憲民主、共産などは反対)。施行は2022年4月1日。1876(明治9)年の太政官布告と1896(明治29)年の民法改正から続いた大人の定義が変わることになった。
 既に選挙権の年齢は20歳から18歳に引き下げられている(2007年の国民投票法)。次は少年法の改正が待っている。
 〇女性が結婚できる年齢を現行の16歳から18歳に引き上げ男性と統一する。結婚でき
るのは成人のみで、保護者の同意は不要となった。
 〇成人は保護者の同意がなくとも契約を結ぶことが可能。クレジットカードも作れる。
  一方、親の同意のない法律行為を取り消せる「未成年者取消権」は18歳から行使でき
ない。
 〇飲酒、喫煙、競馬・競輪などの公営ギャンブルは20歳未満は禁止を維持する。
 〇10年有効のパスポートは18歳から取得可能。
 〇社会福祉主事になれる年齢を18歳以上に。
 〇性別変更を裁判所に申し立てることのできる年齢を18歳以上に。 
 
 この改正で成人式をどの年齢で行うかで呉服業界が危機感をもっていると報じられている。18才成人式となると大学受験と重なって成人式に参加することを断念する高校生が出るのではないかと懸念されるということらしい。大学受験という時期に成人式どころではないし、女性は晴れ着など着る気分になれない。だから、二十歳の晴れ着需要を当て込む呉服業界は危機感を募らせているという。

 そもそもこの成人年齢の引き下げには、政治的意図を感じずにはいられない。現状からみると若者の政治的意識は低いと言わざるを得ない。いまや安倍政権は若者が支えているとさえ言われている。彼らは、好況で人手不足の現況は安倍政権のお蔭と誤解している。
 先行した選挙権の引き下げで、自公の政権与党は圧倒的な強みを発揮してきた。野党は弱体化して、今や安倍政権はやりたい放題である。成人年齢の引き下げはこの傾向に拍車をかける。

文書改ざん問題で麻生大臣のインチキ処分

2018-06-10 17:22:06 | Weblog
2018.6.7(木)
「森友学園」の国有地売却にかかる決裁文書改ざん問題で財務省は4日、理財局長だった佐川宣寿・前国税庁長官が主導したと認定し、当時の理財局職員ら計20人の処分を発表した。
 問題は最高責任者の麻生財務大臣の処分内容である。発表の内容は、『閣僚給与1年分を返上する』というものであった。
 これを聞いた国民の多くは、麻生氏の給与相当全額(多分2千万円以上の額)が1年間支払われないと思ったに違いない。筆者もそう思った。
 ところがその後の報道などをよくよく読んでみると、カット額は「閣僚給与」1年分ということで、その額は年額にして170万円ということが分かった。閣僚給与とは大臣になった人のみに支払われるもので、いわゆる「大臣手当」のようなものであるらしい。
 誤解した筆者をはじめ多くの国民も悪いが、こんなわずかな処分で辞任も逃れようとしている麻生氏の往生際の悪さにあきれ返るばかりである。
 ちなみにすでに退職している当時の佐川理財局長は停職3か月相当で、退職金約5千万円のうち約500万円を差し引くということだそうである。
 公文書を改ざんするなどということは本来犯罪行為である。一般的に公務員が犯罪をおかして有罪が確定すれば、懲戒免職となり退職金は支払われない。公僕といわれる公務員はそれだけ責任が重い代わりに身分が保証されているのである。
 さらに、文書偽造で刑事告発されている佐川氏らの刑事訴追は見送られた。すべてが大甘(おおあま)である。国民というものは健忘症でもある。これで森友問題は終わりということになるのかと思うと憂鬱である。