名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

ついに守屋氏逮捕 なんとその妻まで一緒とは!!

2007-11-29 09:16:28 | Weblog
2007・11・29
 とうとう防衛省の前事務次官だった守屋武昌氏が収賄罪で逮捕された。驚いたことに、その奥さんまでみちずれとなった。そもそも収賄罪は公務員に適用される罪で、妻に適用されるのは異例のことと思われる。特捜部は、妻がすべてのゴルフ旅行に同行しており、次官の妻として接待されたとの認識があったとして、収賄容疑の「身分なき犯行」(刑法65条)に問えると判断したということだそうだ。筆者は「山田洋行」の元専務と守屋氏の関係が報じられた時から、これが犯罪でなくしてなんだと主張してきたが、東京地検もやっと重い腰を上げた。守屋氏も「山田洋行」の宮崎元専務も概ね容疑を認めているというから、あとは二人の個人的な関係だけを暴くのではなく、防衛省と防衛装備品に絡む業者との癒着の実態、政治家とのかかわりなどを徹底的に追求してもらいたい。
 政治家との関係で言えば、額賀財務大臣は守屋氏や宮崎氏と宴会に同席したか否かで、次から次へとアリバイ工作(一般の国民はこうした額賀氏のアリバイをすぐに信じてしまうがみえみえの嘘である。)をつくって頑強に否定しているが、先にも触れたとおり何かみっともない。守屋氏は、証人喚問を受けて額賀氏のことを言ったのであり、もし嘘であれば偽証罪に問われる。その上、逮捕までされてしまったのだから、彼ももう誰に遠慮することもないであろう。取調べの過程では更なる新たな事実が出てくるかもしれない。
 先行きますます面白くなったとはいえ、こんなことを繰り返している政治家や官僚の言動を見ていると日本の将来はさらに暗くなる。

再び赤福問題

2007-11-25 23:45:38 | Weblog
2007.11.25
 伊勢の老舗「赤福」が営業禁止処分を受けたのが先月の10月19日のことだったので、あれから早くも1ヵ月半近くが過ぎた。まだ、解除の兆しが見えないので、当たり前のことだがどこにも販売していない。 
 赤福が冷凍したものを解凍して販売していたことを隠していたことや、不適正な表示をしていたことなど、赤福が罰せられるべき責任があったことは勿論であるが、赤福は11月12日、農水省に、冷解凍工程を経た赤福餅の販売を取りやめることや、製造当日の未出荷品もすべて廃棄することなどの回答をし、これまでの会社の経営を転換することを発表した。
 しかし、何か割り切れなさが残る。一旦冷凍して、解凍したものを商品とすることがそんなにも悪いことなのだろうか。冷凍技術の進歩は、赤福餅の賞味期限を延ばすことに貢献している。うそを言わないで、堂々と冷凍保存しているものだといって売ればよいのではないか。
 むしろ農水省は仇をとったように赤福を攻めているが、またメディアも仰々しく騒いでいるが、何かそちらの方がおかしいような気がしてならない。出荷残をただごみとして処理してしまうことよりも、冷凍技術を生かして有効に活用する方向に役所もマスコミももっとリードしてしかるべきではないか。そもそも、三重県当局も出荷前に製品を冷凍し、解凍日を製造日とすることは是としていたのである。
 最近、段々赤福に同情する気持ちが強くなってきた。早く冷凍したもので結構だからあの赤福餅が食べたいものだ。

男らしくない額賀氏

2007-11-20 19:44:37 | Weblog
2007.11.20
 食品偽装が次々と暴露されたように、防衛省を舞台とする疑惑が日々新たに報道されている。
 今日の夕刊やTVでは、額賀財務相の口利き疑惑が報じられている。それによると
元仙台防衛施設局長の太田述正(のぶまさ)氏が20日、2000年3月、内閣官房副長官(当時)だった額賀氏から同局発注工事の指名に関連して口利きを受けたと明らかにした。この要請は、防衛庁官房長(当時)だった守屋武昌前事務次官を通じて、防衛施設庁側に伝えられたという。大田氏は額賀氏以外にも、口利きを受けた防衛族議員の実名リストやパソコンに保存した日記も公開した。さらに記事では、パソコンに保存している日記の内容がかなり詳細に報じられている。
 これに対して、額賀氏は会見で「全くそういうことはない」と否定し、さらに「弁護士に調べてもらったが、相手の会社も(口利きを)否定していると聞いている」と強調し、「日記が唯一の根拠となっている。記事は伝聞に基づいたもので憤りを感じる」と批判しているそうである。
 筆者は、かってこうした職務にあったことがあるが、口利きの議員は額賀氏のように逃げるか、議員がこうした斡旋をするのは議員としての役割であると堂々と開き直るかの二つに分かれたものである。いずれもどうかと思うが、後者の方がよほどさばさばして、憎めない。
 今回の場合、ありもしないことを防衛省の幹部だったものがこのように公にすることはありえないと見るのが妥当である。それこそ、公職者にとっては支援してくれる業者から口利きを依頼されることはよくあることなのだ。役人と議員とのこうした関係は、役所経験のあるものなら誰でも知っている。額賀氏は「相手の会社も否定している」というが、頼んだ会社が進んでそんなことを認めるわけがない。どのように決着するか知らないが、額賀氏も往生際の悪い人だ、と思う。このような口利きは、道義上の問題であって、別に法令に違反するわけでないのだから、何が悪いと堂々と胸を張って悪人ぶりをひけらかして欲しいものだ。

国連総会委員会が死刑執行停止を決議

2007-11-18 20:05:46 | Weblog
2007.11.18
 11月16日の新聞は、国連総会第三委員会(人権)が15日、死刑制度を堅持する加盟国に死刑執行の一時停止(モラトリアム)を求める決議案を賛成多数で採択した。これは法的拘束力はないが、世界の死刑廃止の流れに拍車をかけ、政治的な圧力にはなると思われる、と報じた。
 さらに、決議案は、死刑制度は「人間の尊厳をむしばむ」として、死刑執行に憂慮を表明。▽死刑制度廃止を前提とした死刑執行の一時停止 ▽適用罪を減らし執行を制限 ▽事務総長に執行状況や死刑囚の人権保護手続きの報告―などを求めている。
 欧州連合(EU)を中心に87カ国が共同提出し、賛成99、反対52、棄権33票だった。反対したのは、死刑を執行している日本、米国、中国、、シンガポール、イラン、イラクなど。
 人権団体アムネスティ・インターナショナルによると、事実上、死刑を廃止した国は計133カ国に上る。
 以上が新聞報道の内容である。報道としては、見過ごしてしまいそうな地味な扱いである。
 さて死刑制度については、世論を二分する代表的な事例である。大きく分けると、法律論からの賛否と感情論からの賛否に分かれるような気がする。人権や冤罪の可能性、またその有効性、妥当性、平和国家としての国民・人類の尊厳など多くの観点から全世界的な議論がなされているといわれる。世界の趨勢は、この国連決議のように廃止または実質廃止の方向に傾いているといってよいと思う。
 しかし日本においては、最近の調査でも圧倒的に死刑制度存続派が多い。これは、日本では終身刑がなく、また重大犯罪を犯して長期刑となっても恩赦などで満期以前に釈放されてしまう事例が多いことにもよるのではないかと思われる。
 ところで私は、現段階の社会情勢からは死刑制度はあるべきだと考えます。だからといって人の命の重さ、一人の人間の尊厳を軽んずる気持ちはありません。しかしこれは、地球上にいるすべての人間という人間が等しく尊敬され、尊厳を持っているものであるという前提の上に立てばの話です。殺人事件といってもいろいろあります。疑わしさの残るような死刑判決はあってはなりませんし、そもそも疑わしきは罰せずの原則を曲げてはならないものです。憲法上の「個人の尊厳」、「残虐な刑罰」の禁止あるいは犯罪の抑止力、冤罪の防止といった法律論は別として、人間にあるまじき残虐な殺人を犯した人間を「人間」として認めるかという点にまで立ち返って判断したいと思います。これはまさに感情論に立ったものというべきものです。私はこれまでの経験から、すべての人間はもともと善人なのだというようなお人よしにはどうしてもなれません。どうしようもない人間でない「人間」がいるのです。神はそれをも許すのでしょうか。そんな「人間」が残虐な犯罪を犯したときにこそ「死刑制度」は必要だと思います。幼い子どもたちを何の理由もなく虫けらを踏み潰すように殺したり、自己の利益のために善良な市民を次々と殺した「人間」を、人間の尊厳を冒してはならないとして守ることなど全く必要ないと思います(これはまさに感情論そのもの)。大阪の池田小学校で起きた児童殺傷事件の宅間守、オーム心理教の麻原彰晃、山口県光市の母子を殺害した犯人、名古屋市の帰宅途中の女性を襲ったインターネットで殺人を共謀した犯人たちを許す気持ちにはどうしてもなれません。こういう人間を見ていると、どんな人間でも社会の制裁として殺すことは許されないとか、殺人者を執行する執行官も殺人者にしてしまうのは死刑制度があるからだという結論にはどうしても立てません。
 幸い、日本では上記の国連決議に対し、次席大使が「日本の世論は多数が死刑を支持している。すべての国が世論を慎重に考慮した後にのみ、決議案は採決されるべきだ」と述べている。

守屋氏の証人喚問

2007-11-18 12:57:33 | Weblog
2007.11.18
 先(10月24日)のブログで、守屋氏は収賄罪に当たらないのかと指摘したがだんだんその様相が見えてきた。
 11月15日、防衛省の守屋武昌前事務次官が防衛専門商社「山田洋行」の元専務宮崎元伸氏からゴルフや飲食の接待を受けていた問題で、参院外交防衛委員会は15日、守屋氏の2度目の証人喚問と「山田洋行」米津佳彦社長の参考人招致を行った。
 まずこの中で、米津社長は守屋氏へのゴルフ接待について「昨年3月迄の8年間では300回以上、1500万円以上。2000年4月から昨年3月迄の6年間では200回以上、1000万円以上になる」と答弁した。この事実は、守屋氏も認めている。さらにこの他にも、料亭での接待があるわけだから、これで守屋氏と「山田洋行」との間に何もなかったというほうが無理がある。
 次に衆院の証人喚問で守屋氏と宮崎氏と同席したとされる政治家の名前については、答弁拒否を繰り返したが、何度も追求されてとうとう「それでは申し上げます」と久間章夫元防衛相、額賀福志郎元防衛庁長官の名前を挙げた。
 細かいことは省略するが、これに対して額賀氏は「接待を受けた覚えはない。(会食も)ない」(10月30日の記者会見で)
 「元専務から招待を受けたり、接待をうけたこともない」(7日の衆院特別委で)
 「可能な限り日程を調査したところ、会食した形跡はない。元専務や守屋氏から接待を受けた記憶もない。(もと専務とは)パーティーか勉強会かで顔を合わせたことはあるかもしれないが、いつ何時という記憶はない」(16日の記者会見で)
と答えている。
 守屋氏が、額賀氏との宴席を「はっきり覚えている」と断言していることを額賀氏は「記憶にない」「覚えていない」という。そう昔のことではない。守屋氏は「一昨年ぐらい」東京・神田の料亭だったといっている。こんな特異なことを忘れるのだろうか。忘れるぐらい無数に宴会付けになっているのだろうか。あるいはこんなことを忘れるようなら、これはもう病気ではないか。こんな人が財務大臣をしていてよいのかと言いたくなる。政界用語では、「覚えていない」というのは「事実だが言えない」ということだそうだが、そうだとすれば額賀氏の証人喚問が必要になる。福田首相は、「政治家にはこういうことはよくあることなんです。(そう追求することではない)」と記者団に答えている。そうならそうと逃げ隠れすることはないのではないか。
 話は政治家のほうに飛び火したが、守屋氏の収賄罪の可能性はかなり明らかになってきた。また航空自衛隊次期輸送機(CX)のエンジン選定や水増し請求問題をめぐる疑惑、部下との不自然な金銭授受、衆院の喚問での偽証など防衛利権をめぐる癒着の構造はどこまで明らかになるのか、まだ予断を許さない。

京都洛北の旅ーその2

2007-11-14 22:07:08 | Weblog
2007.11.14
 洛北の旅二日目は、宿を出て北へ北へと車を走らせ目指したのは、大悲山峰定寺(ぶじょうじ)である。この寺は、850年ほど前(1154年)、大峰熊野の修行者三瀧上人観空によって創建されたとのことである(拝観のしおりから)。本堂は木造柿葺の舞台懸崖造りで、そこへ到達するにはなんと急な石段を420段ほど登ったであろうか。あたりは、紅や黄に色ずんだ木々に囲まれて美しいが、300段ほどにはもう息も絶え絶えといった有様で、この期に及んで日頃の運動不足を恥じてしまう。
 次に訪れたのは、大雄名山定照皇寺である。開山650年、南北朝時代創建とある。ここは京都の市街地から遠く離れた北の京都府歴史的自然環境保全地域にあり、静かなたたずまいである。国の天然記念物の九重桜(しだれ桜)は、春にはさぞや華やかに咲き誇るであろうと印象に残った。
 次は京の郊外の清遊地として古くから知られる、三尾の一つ高雄へ向かう。山中のことゆえ、雨もひとしきり激しく、目的地の神護寺、高山寺、西明寺に着いてどうしたものかと迷っているうちに、小降りになったのを機に神護寺を参拝することにした。「もみじといえば高雄」の名のとおり、あたりは緑と紅葉におおわれて誠に壮観である。しかし、金堂に達するまでには約350段の石段を登らなければならず、峰定寺での疲労の上に重なって確実に体力の限界を超えてしまった。
 日程は強硬で、さらに今度は南に下って北区の源光庵を訪れた。ここは約660年前1346年に開創された曹洞宗のお寺である。本堂裏のこじんまりとした枯山水の庭園は、緑と紅葉が映えて見事な景観であった。
 以上のお寺参りを終え、あとは帰路。途中、京菓子と抹茶のお店で休憩し、さらに大津にあるうなぎやで夕食をとって帰宅したのは、午後9時であった。
 かなり強硬日程であったが、気の置けない気心の知れた仲間との旅行で、束縛されない自家用車の旅とあって、普段には行けないところへ行くことができた。

京都洛北の旅

2007-11-13 14:30:54 | Weblog
2007.11.13
 11日(日)~12日(月)にかけて大学時代の仲間6人で京都洛北の旅に出かけた。朝8時半、仲間の一人が運転する三菱パジェロに乗って、栄から一路京都に向かった。時々雨の降るあいにくの天気である。今回はとりあえず行程のみを急いで書き記す。
 栗東ICを出て最初の訪問先は、滋賀県守山市にある佐川美術館である。佐川急便のオーナーの建てた民間の美術館である。すっきりとした建築物が水中に浮かぶように静かにたたずんでいるといった風情である。
 展示は、日本画家の平山郁夫と彫刻家の佐藤忠良の作品が中心である。
 次に訪れたのは、誰もが一度は出かけている延暦寺である。いわずと知れた天台密教の拠点であり、織田信長による焼き討ちにあったことでも有名である。今回は国宝の根本中堂のみを参拝した。修行僧が一団ごとにまとめて延暦寺の概要を説明してくれた。
 次に立寄ったのは、左京区岩倉にある天台宗門跡寺院の実相院である。ここには、狩野派の画家たちの描いた襖絵などが多く保存されている。
 このあと宿泊先での行程から、鞍馬寺を訪れる予定であったが、時間もなく、またあいにくの雨で車中通過として、あとは一路宿泊先の吉祥山宿へと急いだ。
 吉祥山宿は京都洛北・花脊の里にある京せんべい田丸弥の別荘で、山里に建つログハウス造りの山荘である。ホテル・旅館と違って受付けカウンターもなく、客同士が一緒にくつろぐアットホームな雰囲気である。テレビが全くないのも珍しい。
夕食は、フランス料理である。夕食後、蔵を改造した茶室での抹茶のおもてなしは望外のサービスであった。
 翌日12日は、雨上がりの朝で陽もさしていたが、以後降ったり止んだりのあいにくの天気が続いた。
 行程は、大悲山峰定寺、常照皇寺、神護寺、源光庵である。 (つづく)

作家 高村薫さんの意見に共感

2007-11-10 09:36:08 | Weblog
2007.11.10
 週刊誌「アエラ」に作家の高村薫さんがエッセイ「平成雑記帳」を連載している。高村さんは、巧みな文章で世の中のあれこれを切れ味鋭く切り込んでいる。さすがといつも感服して拝読している。
 今週号のテーマは、食品偽装問題。標題は「食品偽装の報道を前に、呑気で大雑把な私。ありがたみを再考する」である。私とは比べ物にならない視点から話題の食品偽装問題をアイロニイをこめて見事に論じておられる。ここでは、読んでおられない方のために、一部を紹介したい。
「輸入牛肉。牛乳。洋菓子。食肉加工品。チョコレート。和菓子。地鶏加工品―。
……声高な報道を毎日のように耳にしながら、いまさらという気がしないでもないのが私のような大雑把な中高年の本音である。……あらためて考えるに、食とはまずは生産し、食べることである。安全や鮮度はその次である。消費者保護の観点から、食品衛生法や不正競争防止法などの法律が厳しく制定されているのは、悪いことではないけれども、それが生み出した安全・安心の価値観が一人歩きしている現状はどんなものだろう。それは、食はお金で買えるものという感覚と対になって、食糧自給率40%以下という異常な状況を生み出し、生産者や食品業界の経営を厳しいものにして、不正な競争を誘っているのではないだろうか。……「無添加」だの「無農薬」だのを信奉しながら冬にキュウリやトマトを欲しがり、スローライフを自称しながら世界じゅうの食材を欲しがり、回転寿司で当たり前のようにマグロを食べ、冷凍庫を冷凍食品でいっぱいにしている私たちの現実は、そもそも安全・安心以前にひどく混乱している。
 自戒をこめて言えば、昨今の食品偽装をめぐる私たちの反応には、食べるものへのありがたみが失われたことが根底にあるように思う。……肉と身しか食べない無神経が牛肉百パーセントの信仰を生み、消費者が神様だという傲慢が、過剰な安全信仰を生む。
 安全を叫ぶ前に、この国の農業・漁業・畜産業を本当に大事にするほうが先である。食は生きるためにあるのであり、安全や鮮度は、与えられた恵の範囲で折り合いをつけるべきものだと大真面目に思う。」
 目からうろこが落ち、新鮮な気持ちになったといっても大げさではない。

シェイクスピア「オセロー」鑑賞

2007-11-10 06:37:19 | Weblog
2007.11.10
 昨晩、友人に誘われて愛知県勤労会館で行われたシェイクスピアの「オセロー」を鑑賞した。
 クラシックについてはよく出かけるが、演劇は苦手というか、あのなんとも大仰なしぐさがしっくりしない感がして、自ら進んで出かけることはほとんどない。
 今回の公演は、演劇界の雄・蜷川幸雄演出ということで、若干の興味もあり出かけることにした。
 出演は、オセロー役に吉田鋼太郎、デズデモウナに今話題の若手女優・蒼井優、イヤーゴに高橋洋、キャシオーは山口馬木也という配役人であった。
 さて、6:40開幕、軍人らしき二人が何かささやきあっているところから始まり、その間多分5分程度だったと思うが、何を言っているのか一言も分からない。イントロからしてこんな風では、先が思いやられたが心配どおりの展開となった。半分以上不明であったが、原作に忠実な内容で何とかついていくことはできた。全体的に早口の時は特に不明瞭であった。座席はS席とはいえかなり後方の右端であったことが影響したのか、あるいは会場の反響の悪さか、はたまた俳優の発声の悪さなのか。それにしても大きすぎるこの会場での演出に問題があったことは間違いない。中央、前方の席では問題なかったのだろうか。一場終わって休憩になった途端、周りから一斉に言語不明に対する不満が噴出していた。ゲネプロをきちんと行っていたのか、演出家は会場全体での音響など配慮しないのだろうか。演劇に親しめないのは、多かれ少なかれこうしたことを経験していることにもあるといってよい。
 俳優の皆さんは、熱演ではあった。よく知られた内容で推測しながら聞くのだが、本当は何を言っているのか、シナリオや演出の妙味が味わえない。結局最後までしっくりこないまま終わってしまった。
 久しぶりの演劇鑑賞も不完全燃焼で終わった4時間であった。
 
 

予想に反して小沢代表の二度目のサプライズ

2007-11-08 16:46:23 | Weblog
2007.11.8
 辞任を表明していた民主党の小沢一郎代表は7日午後、両院議員懇談会で「この体にもう一度ムチを入れ、次期衆院選に政治生命のすべてを懸け、全力で戦い抜き、必ず勝利する決意をした」と述べ、辞意を撤回し、続投する意向を表明、了承された、とのことである。
 一党の党首がいったん口にした辞任を、舌の根も乾かぬうちに撤回することとなるとは、これこそ正真正銘サプライズである。
 小沢氏もあれこれ釈明しているようだが、党首会談で打診された自民党との連立協議をその場で拒否せず、民主党役員会に持ち帰ったことについて「政権の一翼を担えば、民主党の主要政策を実現できる。政権担当能力を示すことができ、衆院選で勝つ可能性が高まると考えた」とのことであるが、これなど参院選前に言っていた「選挙に勝って政権を奪取する」ということと全く相容れない。また、福田首相が、連立が実現すれば新テロ対策特別措置法案の成立にはこだわらないと言ったということに関して当の福田首相は首を傾げて認めようとしない。仮に首相がそれを本当に認めていたのなら、今度は自民党が大混乱に陥るであろう。小沢氏の言っていたこと自体、まゆにつばをつけて聞いたほうがよいのではないだろうか。冷静な小沢氏は、論理に筋が立って説得力もあるが、ひとたび、気に入らないとか興奮するとか、キレたりするとおかしくなるという性質がある。
 それにしても、やはり小沢氏はもともと自民党なのだから、自民党的体質から抜け出すことができないのではないか。