名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

原発推進の「やらせ」次々明るみに出る

2011-07-31 15:29:23 | Weblog
2011.7.31(日)
 つい先ごろ、九州電力玄海原発の再稼動をめぐる「やらせメール」問題で電力会社の世論操作が問題になったが、今度は経産省原子力安全・保安院が2007年8月に静岡県御前崎市で開かれた国主催の「プルサーマルシンポジウム」に関し、地元住民に賛成か中立の立場での質問を要請するよう中部電力に対して口頭で求めていたことが明らかになった。
 これは中電が自らこうした要請があったことを明らかにしたものであるが、合わせてこの要請を拒否したことも明かした。
 プルサーマルは、原発の使用済み燃料からプルトニウムを取り出し、ウランを混ぜた混合酸化物(MOX)燃料に加工して再利用する発電方式で、御前崎市でのシンポは、浜岡原発4号機でのプルサーマル計画を国が07年7月に許可したのを受け、理解を求めるために開かれたものである。
 
 また、四国電力は2006年6月に愛媛県で開いた伊方原発のプルサーマル計画に関するシンポで、原子力安全・保安院から、出席者を集めるよう要請があったことを明かした。
 四国電力は社員や関連会社員らに参加を呼びかけ、質問の例文まで示したという。
 
 さらに、九電の「やらせメール」問題をめぐっては、古川康佐賀県知事が国主催の説明番組(6月26日)の5日前に九電副社長(当時)に「再稼動容認の意見を経済界からもっと出すべきだ」と働きかけていたことが明らかになった。これを受け九電側は知事発言をメモに残し、同社原発部門を中心に、100人近くに送信していたことも明らかになった。
 何のことはない。古川知事は、九電に対しては厳しい姿勢のそぶりを見せながら、裏では原発推進の本音を覗かせていたのである。
 海江田万里経産相は「極めて深刻な事態」と述べ、第三者機関を設置し、事実関係を調査する方針を示したというがなんとも情けない話である。
 こうした一連の経緯を見ていると、これまでも地元住民を騙し、手なづけ、結果取り返しのつかない原発震災ともいうべき大事故を起こしながら、さらに懲りずに原発を推進しようという意図にはもはや恐怖さえ感ずる。

小松左京さん死去

2011-07-29 16:03:37 | Weblog
2011.7.29(金)
 SF作家の先駆者といわれた小松左京さんが26日午後4時過ぎ、肺炎のため死去した。享年80歳。
 小松さんの代表作は、地殻変動によって日本列島が水没する近未来小説「日本沈没」である。1973年に刊行され、上下巻合わせて400万部というベストセラーとなった。日本SF大会のファン投票で選ばれる星雲賞の日本長編賞も受賞した。
 1983年に発表された「首都喪失」は巨大な雲が東京を覆い、首都機能が麻痺するという設定で、高度情報化社会の問題を先取りした作品として話題になり、日本SF大賞を受賞した。
 小松さんは大阪万博にも関与し、その後名古屋の世界デザイン博覧会でもアドバイスをいただいたりして思い出深い人であった。
 亡くなる直前、東日本大震災について小松さんは「この危機は必ず乗り越えられる。日本は必ずユートピアを実現できると思う。日本と日本人を信じている」と語っていたという。

俳優山本太郎さんの脱原発啓発運動

2011-07-25 16:42:19 | Weblog
俳優山本太郎さんの脱原発啓発運動
2011.7.26(火)
 俳優の山本太郎さんが福島原発事故以来、放射能汚染の危険性を訴える活動を行っている。
彼は4月9日、自身のツイッター上に「黙ってテロ国家日本の片棒担げぬ」と発言し、翌10日には福島原発事故に関連した原子力撤廃デモに参加した。
 5月25日には、原発関連の発言が原因で仕事を降板させられたとツイッター上でつぶやいて、所属事務所を退社してしまった。
 自由になった山本さんは「将来の日本の、そして子どもたちのために、僕が動くことでリスクを訴え続けていかなければならないんです」と意気軒昂である。
 フリーになってからの山本さんはかえって忙しさが増し、マネジメント業務も一人で行い、仕事の合間には脱原発の啓発運動に参加しているという。ツイッターのフォロワーは11万人を超えた。
 今月の11日には佐賀・玄海原発の廃炉を訴えるデモに参加、県庁前で「知事は出てこい」などと訴え、古川康知事に玄海原発再稼動中止の請願書を渡そうと、約150人のデモ隊を率いて佐賀県庁に突入するという過激な行動にも出ている。
 山本太郎さんは兵庫県宝塚市出身の36歳。2003年、映画「MOON CHILD」で第46回ブルーリボン賞助演男優賞を受賞、また2004年、NHKの大河ドラマ「新撰組!」では原田佐之助役で個性的な演技を見せた。
 一本気な性格の役柄などを見ていると、彼にこんな面があったのかと新鮮な思いがするが、チャカチャカとして軽いタレントが多い中で、山本さんの職を投げ打っての行動は見上げたものである。


今日、テレビ・アナログ放送の歴史に幕

2011-07-24 11:41:59 | Weblog
2011.7.24(日)
 2011年7月24日の今日、テレビ番組のアナログ放送が終了し、地上デジタル放送に移行する。ただし、東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手、宮城、福島の三県は来年3月31日までデジタル化が延期される。
 1953(昭和28)年に始まったアナログ放送が58年の歴史に幕を下ろす。今日(24日)の昼正午、通常番組を終えた後、移行を告げる「お知らせ番組」に切り替わる。その後25日午前零時に電波が停止し、何も映らない砂嵐状態になって、アナログ放送は完全に終了する。
 テレビの地デジ化は電波の有効活用を大義名分にしてNHK、民放を含む国家的事業として取り組まれてきた。地デジ化1年を切った昨年当たりからは猛烈なキャンペーンが張られてきたが、総務省によるとこの6月末現在、地デジに対応していない世帯は29万世帯残ったとされる。しかしその後の駆け込みで、7月24日時点では「最大10万世帯」まで減少したと言われるが正確のことは分からない。
 昭和28年当時、サラリーマンの月給が8000円程度の時代に20万円もしたテレビは一般庶民には手の届かない存在であった。従って当時は、街の電気屋の店頭、風呂屋、街頭テレビなどを通じて特にプロレスの人気が絶大であった。
 このテレビの普及のさきがけは当時の皇太子(現天皇)と美智子妃との結婚式であり、その後、テレビのカラー化や昭和39年の東京オリンピックなどを通じて劇的に普及していったが、一方で映画の衰退を招いた。
 テレビは娯楽の王様であると同時に、国内はもとより世界の出来事、事件をリアルタイムで知ることのできる媒体となり地球の距離を一気に狭めた。
 テレビは最も大きなメディアの一つである。その影響力は計り知れない。その放送の内容によって人々の意識に大きな影響を与えることはこれまでの経験から実証済みである。
 かつてテレビによる一億総白痴化ということが言われたことがあるが、それは現在も続いている。特に民放による一部のタレントを利用しての馬鹿馬鹿しいギャグやパフォーマンス・オンパレードの番組が毎日ゴールデンタイムに放映されている。コマーシャルに依存する民放としては『視聴率』という化け物に踊らされるのはある程度やむを得ない面もあるとはいえ、実情は余りにひどいと言っても過言ではない。
 地デジ化移行の日記から思わず脱線してしまった。

週刊新潮のヒステリー

2011-07-21 12:20:14 | Weblog
2011.7.21(木)
 週刊新潮7月28日号の宣伝が今朝の新聞に載っている。その中に、この週刊誌の右翼的潮流を垣間見る見出しが二つあった。いずれも原発にからむ誹謗記事である。
 一つは、
【日本中に不安をまき散らす「年間1ミリシーベルト」男 
 「放射能ヒステリー」を煽る「武田邦彦」(中部大学教授)の正体】
もう一つは、
【原子力村住人を片っ端から訴える反原発の扇動者「広瀬隆」】 
なる記事である。

 読むまでもなく内容は分かりきっている。予断をもって断ずるに何の遠慮もいらない有害な記事である。
 東日本大震災という大災害を受けてなお、悲嘆にくれる被災者を顧みることなく、一方の立場にだけ立って原発を擁護しようとする一つのマスメディアが存在することは本当に恐ろしい。 
 原発の危険性を訴える人たちを十羽一からげにしてヒステリー呼ばわりすることは、あの十五年戦争を否定する人たちを非国民扱いしたのと全く同根である。
 人の命よりも原発優先の週刊新潮こそヒステリーである。週刊新潮が本当に原発が安全だと思っているなら東京湾に原発をつくる主張をすべきだ。それなら新潮の主張を支持する。
 

愛知サマーセミナーで戦争体験を聞く

2011-07-19 09:21:54 | Weblog
2011.7.19(火)
 今年の愛知サマーセミナーは7月16日~18日にかけて東海高校、市邨学園、愛知大学名古屋校舎等を会場にして行われた。
 このセミナーは、愛知県私立学校教職員組合連合、私学をよくする愛知父母懇談会、愛知県高校生フェスティバル実行委員会などが主催して行っているもので、今年で第23回を数える。
 県内の私学に集う生徒、先生、父兄が一丸となって数百にのぼる講座を開設し、高校生や一般市民も自由に参加できる大イベントである。
 毎年著名な講師が呼ばれるが、今年ははやぶさプロジェクトマネージャーの川口淳一郎氏、女優の岸恵子氏、歌手の西城秀樹氏、政治評論家の森田実氏、国民新党党首の亀井静香氏、作家・ジャーナリストの広瀬隆氏、元外交官の佐藤優氏、囲碁棋士の羽根泰正氏、女優の藤田朋子氏など賑やかな顔ぶれがそろっている。
 戦争と平和の資料館ピースあいちも空襲をテーマにしたパネルを東海高校会場に展示して参加した。
 最終日の18日、中国戦、沖縄戦の体験者で、三重県津市在住の近藤一さんの講演があるということで会場の市邨学園へ出かけた。
 近藤一さんは現在満91歳、20歳で召集され、中国山西省駐屯の歩兵大隊に入隊。そこで徹底的な軍国主義を叩き込まれ、中国軍捕虜の刺殺訓練をさせられたこと、乳飲み子を抱えた女性を輪姦したことなど、中国へ侵略し、加害者としての残忍な役割を果たしたことを生々しく語られた。
 一方、中国上海から沖縄本島に移動させられてからは、米軍との死闘に明け暮れ、多くの戦友が戦死したこと、1945年4月9日の嘉数高地での白兵戦で近藤さんも右胸を打ち抜かれたが、壕での生き地獄を耐え生き延びたこと、最後のバンザイ突撃には米兵に捕らえられ結局生きて故郷に帰ったことを涙ながらに語られた。
 近藤さんは、日本が犯した十五年戦争は空襲や原爆など被害の面ばかりでなく、加害者として中国や朝鮮などの人々をどれだけ苦しめたかを、自らの行為を懺悔しつつ語るという生々しいものであった。
 近藤さんも早や満91歳。体力はもう限界と言いながらの語りであったが、こうした体験をどう語り伝えるかは本当に大きな問題であり、課題である。

なんと“なでしこジャパン”W杯優勝

2011-07-18 10:01:08 | Weblog
2011.7.18(月)
 この前のブログで“なでしこジャパンが”優勝戦へ進出したことを驚きをもって書いたが、今日の優勝戦で世界ランキング一位のアメリカを破って堂々世界制覇を成し遂げた。
 女子サッカーワールドカップ・ドイツ大会の優勝戦は日本時間18日午前3時、キックオフで始まった。深夜のこととて目が覚めた午前3時前、ラジオをつけたがラジオでは放送しておらず、あきらめて寝入った。5時半過ぎ、明るくなっていたのでテレビをつけたら後半戦1対1で終わり、延長戦に入るところから始まった。
 延長戦は30分の勝負、先制点を取ったほうが圧倒的に有利になる。前半15分の終盤、アメリカに決められここまでかと思ったが、後半の終盤になって日本は、コーナーキックから澤が足で当てて決め土壇場で追いついた。
 最後はPK戦となったが、アメリカの選手が3人続けて失敗し、結局3:1で日本の優勝が決まった。PK戦は明らかにアメリカの動揺が見られ、ついにこれまで勝ったことのない強敵アメリカを下して、世界の頂点に立った。
 ドイツに勝ち、スウェーデンにも勝って、明らかに勢いは“なでしこジャパン”にあった。しかし世界は日本がここまで戦うとは予想していなかった。勝ち方もよかった。取られても最後まであきらめないで全員サッカーを貫いたことが結果を生んだ。大震災で絶望の渕にある人々にも、希望の夢をあきらめない姿勢を持つことが大切であることを伝えた。
 澤主将が5得点で得点王と最優秀選手賞を獲得し、チームはフェアプレイ賞にも輝いた。
 2011年7月18日は、日本女子サッカーの記念すべき日となった。 

魁皇1046勝新記録 なでしこ決勝戦へ

2011-07-15 17:06:57 | Weblog
 2011.7.15(金)
 大相撲の大関魁皇(38)が開催中の名古屋場所5日目で、通産1046勝目を達成し、20年ぶりに千代の富士を抜いて史上単独トップとなった。
 魁皇の大関在位は今場所で千代大海と並ぶ史上最多の65場所となる。幕内在位107場所、幕内出場1439回、幕内通算878勝はいずれも史上一位を更新している。
 魁皇は初土俵以来23年余り、力強い相撲で大関まで昇進したが、5度の優勝にもかかわらず横綱への道は遠かった。大関になってから13回のかど番を脱してその位置を守ってきた。足踏みしながらも積み重ねた白星はついに前人未踏の1046個となった。
 努力型の魁皇は横綱にはなれなかったが、これから先、恐らく破られない数々の記録の保持者となった。

 サッカー女子W杯ドイツ大会では、なでしこジャパンが、予想を超える強さを発揮してついに決勝進出を果たすことになった。 
 予選ではB組2位で決勝トーナメントへ進んだが、第一戦で強豪地元ドイツに1:0で勝ち、第二戦はこれも強豪スウェーデンを3:1で破り、見事決勝に進出した。北京五輪の4位を上回り過去最高成績となった。
 優勝戦の相手は、ランキング1位のアメリカである。過去3分け21敗と実力、体力で劣る日本ではあるが、佐々木監督は自分たちのサッカーを変えず、全員サッカーの勢いを保てば勝機はあると自信を見せる。初の快挙なるか、18日の早朝が楽しみである。

菅首相の脱原発宣言

2011-07-14 18:32:45 | Weblog
2011.7.14(木)
 菅首相は昨夕(13日)、記者会見で今後のエネルギー政策について「将来は原発がなくてもやっていける社会を実現する」と述べ、将来原発のない社会を目指す考えを表明した。
 なんとも唐突である。ついこの間は、海江田経産相が安全宣言をして玄海原発の再開を地元に要請したのに、ストレステストという新たな課題を打ち出して政府の混乱ぶりを露呈したばかりである。
 早速、賛否両論が渦巻いている。引退を表明した死に体の首相の言うことなど聞く耳持たないなどといったつまらない形式論から自民党などは「時期も手法も明言していないことは大きな疑念だ」などと原発にしがみ付こうとする本音をにじませた。
 この脱原発宣言が単なる打ち上げ花火なのか、地に足のついた計画となってある程度遠い先でも原発のない社会が実現するのか国民はしっかりと見極めなければならない。
 菅首相のこの宣言は唐突には違いないが、国家政策における歴史的な転換を宣言したことには間違いない。
 太平洋戦争を止めることができず、ありとあらゆる悲劇を生んで後、やっと終わったという悪政をしっかり反省し、人間の力では決して制御できない原子力という魔物から勇気をもって撤退することの選択ができるかどうか、真の政治のあるべき姿が今こそ問われている。
 
 しかし、菅首相を引き継ぐ民主党政権では、この宣言を実らせるような期待はほとんど夢のまた夢であろう。 

炉心損傷の恐れ無視

2011-07-13 07:52:19 | Weblog
2011.7.13(水)
 今朝の新聞に、福島第一原発災害の要因になった長時間の全交流電源喪失(SBO)について、原子力安全委員会のワーキンググループ(WG)が1993年、炉心損傷を招く可能性があると認めながら『考慮する必要はない』とした国の安全設計審査指針を追認する報告書を出していた、と報道している。報道は、安全委が報告書を公表せず、その後の安全対策にも生かしていなかったと批判している。
 安全委の班目春樹委員長は「『SBOを考えなくてよい』と書いたのは最悪」と認めたうえで「前から安全規制改革をやっていれば事故は防げた。反省するところからスタートしないとだめだ」と述べ、経緯を検証するとした。
 中日新聞が入手した報告書では「短時間で交流電源が復旧できずSBOが長時間に及ぶ場合には(略)炉心の損傷等の重大な結果に至る可能性が生じる」と指摘して福島第一原発と同様の事故が起きる恐れに言及していた。
 しかし、日本では 1.SBOの例がない 2.全原発に二系統以上の非常用電源がある 3.非常用ディーゼル発電機の起動の失敗率が低い―などとして「SBOの発生確率は小さい」「短時間で外部電源等の復旧が期待できるので原子炉が重大な状態に至る可能性は低い」と結論づけていたというのだ。
 原子力安全委員会の恐るべき怠慢である。この報告書のとおりの対応をしていれば今回の原発災害は防げた可能性がある。斑目委員長は「反省する」と言っているが、そんなことで委員会のメンバーの罪が許されるとでも思っているのであろうか。
 安全委はもとより、それを追認してきた経済産業省や原発政策を先頭になって推進してきた自民党は土下座してでも国民に謝るべきだ。
 こんな事態を招いても今朝の報道によれば、経団連の米倉会長は速やかに原発を稼働させよと叫んでいる。この人たちはどうしても人の命より金のほうが大事らしい。