名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

2025大阪万博決定

2018-11-26 10:13:26 | Weblog
2018.11.26(月)
 国内では今、韓国最高裁による慰安婦問題についての判決・慰安婦財団の解散、外国人労働者の受け入れを拡大する出入国管理法改定法案、日産自動車のカルロス・ゴーン会長による自身の役員報酬を巡る金融商品取引法違反事件などでメディアが賑っているが、24日未明2025年の大阪万博が決定したとの大きなニュースが飛び込んできた。
 パリで開かれていた博覧会国際事務局(BIE)総会で、ロシア、アゼルバイジャンとの三つ巴の争いに、BIE加盟国による投票の結果、日本は一回目の投票で一位となり、決選投票でロシアを破った。大阪万博は、6400万人を集めた1970年以来55年ぶりの開催となる。日本国内では2005年の愛知万博(愛・地球博)を含めて3回目の登録博である。日本国内ではこの他に、認定博として1975年沖縄国際海洋博(沖縄海洋博)、1985年国際科学技術博(つくば万博)、1990年国際花と緑の博覧会(大阪花の万博)が開催された。こうして見ると、大阪では今回の決定で3回目の国際博が行われることになる。
 会場となる大阪市此花区の夢洲(ゆめしま)は、2008年の夏季五輪誘致に失敗したためにその活用法が問題になっていた大阪湾の人工島である。なおこの人工島は、統合型リゾート施設(IR)の誘致も目指しているところである。
 155ヘクタールを会場とし、「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに健康、医療に関する技術貢献を目指すという。2800万人の観客を想定し、2兆円の経済波及効果も見込んでいる。
 これで日本は1年半後の東京オリンピック・パラリンピックと7年後の国際万博という二つの大プロジェクトを抱えることになった。東京は日本の首都であり、巨大な人口と巨大企業の集中地域ということから、決して余裕があるとは言わないが財源は他の自治体と比べて圧倒的に大きい。比して大阪は、日本第二の都市であり関西の雄ではあるが、その財政力は極めて弱いと言わざるを得ない。
 万博の会場建設費を1250億円と試算しているが、この費用を国、大阪府・大阪市、経済界の三者で3分1ずつ負担する。このほかに未整備な人工島に輸送手段の鉄道、道路などの整備にも730億円のほか、地下鉄中央線の延伸にも540億円を要するという。
 筆者の現役時代の大阪市との交流から見て、圧倒的に中小企業の多い大阪市にとってこれらの負担は極めて厳しいと見ざるを得ない。しかし決まった以上、行政も産業界もそして府民もその成功のために歯を食いしばってでも頑張ってもらいたい。この決定はそのくらい深刻なものであることを国民みんなが理解しないと成功できない事を肝に銘じたい。
(中日新聞などの記事を参照とした)

恩師畑田重夫先生が憲法手帳片手に全国行脚

2018-11-19 14:29:24 | Weblog
恩師畑田重夫先生が憲法手帳片手に全国行脚
2018.11.19(月)
 
 大学時代の恩師・畑田重夫先生が95歳の高齢になりながら、「憲法手帳」を手に「9条変えてはならぬ」と全国を行脚しているとの記事が
11月4日付の東京新聞に掲載されていると、大学同期の友人がメールしてくれた。
 記事には、「亡くなった同期生の分を一人で生き、無念を伝え続けなければならない」と書かれている。講演は今では月に2~3度に減ったが、
関東や東海、関西など全国を飛び回っておられるという。
 そしてこのところの政治の動きを「戦前回帰では」と懸念する。改憲や教育勅語再評価、明治維新から150年を祝う歴史観、東京五輪・パラ
リンピックに向けた国威発揚などに現れているという。
 自民党でかつて官房長官や幹事長も務めた野中広務氏とは旧制中学で二年後輩だったが、彼とは憲法は守らなければ行けないという意見で
一致していたという。「自民党で彼ははっきりものを言える数少ない人物だった。少なくなった戦争体験者である私たちが『九条改憲だけは
だめだ』と肉声で語り、聞いてもらうことが大事だ。」 だから「あと3年くらいは死ねない。」と言っておられる。
 もはや60年も前の大学時代の先生の若々しい姿が懐かしく思い出される。

原子力規制が東海第二原発の20年延長を認可

2018-11-10 10:36:40 | Weblog
2018.11.10(土)
  原子力規制委員会は11月8日の定例会合で、首都県内唯一の原発である二本原子力発電(木)原電)の東海第二原発(茨城県東海村)について、最長20年の運転延長を承認した。原電は再稼働を目指し、2021年3月末までに事故対策工事を終えたいとしている。しかし稼働には茨城県と30キロ圏の水戸市や那珂市など六市村からの同意が必要で、一自治体でも反対すれば再稼働できない。
  この原則40年ルールは福島第一原発事故後、民主党政権が原子炉等規制法を改正して導入した。しかし原子力規制委員会は東海第二原発を含め、三原発4基の運転延長を認めた。これまでに運転延長が認められたのは、福井県の関電高浜1、2号機および美浜3号機で、東海第二は4基目となる。
  関電の三基は加圧水型という発電方式であるが、東海第二は福島第一と同じ沸騰水型であり、この型で運転延長が認められるのは初めてとなる。
  各自治体とも是非をめぐる住民意思の汲み取り方が定まっておらず、協議の行方は未定である。協議会はオブザーバーの県の立会いの下、原電と六市村で進められる。人口26万人の高橋靖市長水戸市長は、市民と専門家の代表が半々ずつ入る有識者会議の意見を参考にするとしている。常陸太田市と日立市も市民による組織を設置するとしている。那珂市は海野徹市長がすでに10月に再稼働反対を表明したが、来春2月に任期満了となることから次期市長がどう判断するかが鍵となる。ひたちなか市と東海村は未定。
  原電の新基準に沿う対策工事は2021年3月末までかかる。30キロ圏内には全国の原発立地地域で最多の96万人が暮らしており、各自治体の避難計画づくりは難航しているという。さらに運転禁止を求めた訴訟も水戸地裁で続いており、原告団は首都圏各地の裁判所に運転差し止めの仮処分申請も視野に入れている。この司法判断次第では再稼働ができなくなる可能性もある。
  そもそも原発はもういらないという流れの中で、原電も規制委も何を血迷っているのかといいたい。特に規制委員会は申請が出れば認めるという立場であり、委員自体が推進論者で占められているようでは全く客観的な判断など期待できるわけがない。


茶臼山高原の紅葉

2018-11-02 10:02:14 | Weblog
2018.11.2(金)
 昨日(11.1)連れ合いと紅葉が素晴らしいとの触れ込みではるばる北設楽郡の茶臼山高原までドライブした。
 午前9時半出発してまず名二環に入り、上社から東へ長久手市を通って愛・地球博記念公園を通過し、国道151号線から北東方面へひた走って茶臼山高原道路を経て茶臼山高原へ到着したのは既に12時近い時刻であった。
 茶臼山高原は豊根村と長野県下伊那郡根羽村の境界にある標高1400Mm余の愛知県最高峰の茶臼山とその南西の標高1,360mの萩太郎山の間に広がる高原地帯である。春の芝桜と秋の紅葉が有名である。愛知県内唯一の茶臼山高原スキー場もあって冬はスキーヤーで賑わうという。
 天気は申し分のない快晴で暑くも寒くもない陽気に恵まれたが、肝心のお目当ての紅葉はすでに遅く、殆どが落葉した後だったのは残念であった。むしろ高原まで登りきるまでの眺めがよかったのは気温の差であろうか。
 しばらくレストハウスで休養し午後1時半ごろ帰路についた。往路とは道を変えて国道151号線を通り、豊根村、東栄町、新城経由で東名高速豊川インターに入って一路名古屋めがけてひた走った。途中伊勢湾岸道路へ入り、豊明インターから出たのは良かったが、複雑な出口を間違え、気がついたら大府の方へ向かって走っていた。そんな迷走をして家へたどり着いたのは午後4時半を廻っていた。
 県内のドライブとはいえ、往復6時間近い運転は少々こたえた。これも人生晩年の思い出にはなった、と思う。



ハロウィーンとはアブノーマルな若者の祭りか?

2018-11-01 06:09:51 | Weblog
2018.11.1(木)
 昨日(10月31日)はハロウイーンの日である。
ウィキペディアによれば、古代ケルト人が起源とされる祭りのことで、もともとは秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事である、とある。しかし現代では、特にアメリカで民間行事として定着し、本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっている。カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習となっているという。
何でも受け入れている日本ではその本来の意味を解せず、都会では大勢の若者が異様な服装で仮装し各地でトラブルを起こしている。
特に東京の渋谷では数日前から若者らが集まり、暴行事件などから逮捕者を出して賑わしてきた。本番の昨日(10月31日)、その渋谷では仮装を楽しむ多くの若者が集まる一方、大混雑に紛れて痴漢や窃盗、暴行などで7人の逮捕者を出したと報道されている。
名古屋の栄地域でも「オアシス21」でハロウイーンイベントが開かれた。狭い会場には1万人以上の若者らであふれ、歩けないほどの状態であったという。
こうした状態は東京を筆頭に各地の大都会で同じ事態となっているであろう。もともとは子どもたちがそれぞれの地域で仮装して近くの家々を回ってお菓子などをもらう楽しい行事であったものが、おとなになった若者が大きな大集団となればトラブルは必然となってしまう。その警備に大量の警察が動員されているのも変な話である。
これも何とかならないものかの一つである。