2022.6.12(日)
この日の午前、ピースあいちの2022年度の総会と、午後には語り手の会が開催された。
ピースあいちは2009年に設立されたが、筆者は主として小中学校などへ戦争体験者を派遣して子ども達にその体験を語る事業を行ってきた。この13年間における語り事業は数百回にのぼる大事業となった。感慨深いものである。
総会では本年度の事業を決めるのが主たる目的であるが、その人事の中で筆者は高齢でもあり理事を辞任した。亡くなった野間美喜子さんとともによく頑張ってきたものである。今後は無役の顧問として処遇していただいた。
午後には「語り手の会」の第12回例会が開催された。語り手の会は筆者の主たる事業であり、愛知県下の小中学校、時には高校や一般人の集まりにも呼ばれて戦争体験者を派遣、随行した。その回数は数百回にものぼる大事業となった。およそ100名にのぼる語り手の方々の協力のもと無事実施することができた。
この日は22名の方々が出席されたが、この13年間愛知県下を駆け巡り子ども達にその厳しく切ない体験を語ってきた思い出を皆さんに語っていただいた。筆者にとっても人生におけるもっとも感慨深い年月であった。そしてこの会をもって語り手の会の代表を辞任することとした。やり切ったという思いで充分満足できる年月でもあった。感謝、感謝である。
この日の午前、ピースあいちの2022年度の総会と、午後には語り手の会が開催された。
ピースあいちは2009年に設立されたが、筆者は主として小中学校などへ戦争体験者を派遣して子ども達にその体験を語る事業を行ってきた。この13年間における語り事業は数百回にのぼる大事業となった。感慨深いものである。
総会では本年度の事業を決めるのが主たる目的であるが、その人事の中で筆者は高齢でもあり理事を辞任した。亡くなった野間美喜子さんとともによく頑張ってきたものである。今後は無役の顧問として処遇していただいた。
午後には「語り手の会」の第12回例会が開催された。語り手の会は筆者の主たる事業であり、愛知県下の小中学校、時には高校や一般人の集まりにも呼ばれて戦争体験者を派遣、随行した。その回数は数百回にものぼる大事業となった。およそ100名にのぼる語り手の方々の協力のもと無事実施することができた。
この日は22名の方々が出席されたが、この13年間愛知県下を駆け巡り子ども達にその厳しく切ない体験を語ってきた思い出を皆さんに語っていただいた。筆者にとっても人生におけるもっとも感慨深い年月であった。そしてこの会をもって語り手の会の代表を辞任することとした。やり切ったという思いで充分満足できる年月でもあった。感謝、感謝である。