名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

関西電力・大飯原発再稼働を福井知事が同意

2017-11-29 09:46:47 | Weblog
2017.11.29(水)
 福井県の西川一誠知事は27日の記者会見で、関西電力大飯原発3,4号機の再稼働に同意する考えを表明した。おおい町と県議会は既に同意済みで地元手続きはこれで完了となる。関電はこれを受けて2018年1月中旬に3号機、3月中旬に4号機を再稼働させる方針という。
 佐賀県の九州電力玄海原発3,4号機も地元同意を終えており、今年度内に4機が再稼働する見通しとなった。
 現在既に稼働中の原発は、関西電力高浜原発3,4号機、四国電力伊方原発3号機、九州電力川内原発1,2号機の5機となっているので、これで9基の原発が稼働することになる。
 今回の大飯原発については、福井県民らが平成12年11月に運転差し止めを求めて提訴、福井地裁が14年5月に再稼働を認めない判決を出したが、関電が控訴し、現在も係争中のものである。
 こんな状況の下で、原子力規制委員会は今年5月に新基準への適合を認めた。西川知事の同意で、高裁の判決を待たずに再稼働の可能性は高まった。
 東日本大震災で東京電力福島原発が破壊し、多くの被災県民はいまだに故郷にも帰れず、苦しい生活を強いられている。また原子力発電に伴って排出される「核のごみ」処分の先行きが見えない中、目先の利益にとらわれ稼働に踏み切ることは、ごみをさらに増やし、将来の世代にツケを回すだけである。
 西川知事は同意する条件として、原発から出る使用済み核燃料を一時保管する中間貯蔵施設の県外立地について、関電の約束が得られたことだとしているようだが、立地は引き受けるが「ごみの処分は他県でやれ」というのは身勝手にもほどがあるというものだ。事前に了解した地元住民や町長、議会も目先の利益に目がくらんで同意してはいるが、その上に立つ知事たるもの、もっと高い見識に立って住民を指導してもらいたい。
 原子力は発電にとどまらず、核兵器についてももはや人間が制御できるものではない。核戦争がおこって地球が破滅するなら、原子力発電など小さなこと、やれるうちにやってしまえ、というのならとんでもない理屈として理解できるが…?

森友問題で会計検査院の報告出る

2017-11-23 17:49:49 | Weblog
2017.11.23(木)
 大阪府豊中市の国有地が、ごみ撤去費用として約8億円が値引きされて学校法人「森友学園」に売却された問題で、会計検査院は22日、土地の売却額がずさんに算定され、「慎重な調査検討を欠いた」とする検査結果報告を参議院に提出した。
 報道によると、検査結果のポイントは
▼国有地の売却額を値引きする理由となるごみの処分量の推計が課題
▼検査院は複数の方法で試算した。いずれも国交省大阪航空局の算定を下回った。実際には3~7割だった可能性がある。
▼ごみが埋まっている深さ、サンプル土壌にごみが含まれる比率などの根拠が確認できなかった。
▼値引き額算定に使うごみの処分費用の単価をどのように決めたのかの資料がない。
▼文書管理についても改善を要求した。
 この土地売却には、財務省近畿財務局と国交省大阪航空局が関与し、土地評価額9億5600万円からごみ処分費用を差し引き、1億3400万円で売却された。その差は8億2200万円もある。要するにごみ処分に8億2200万円を要したというのである。
 財務省は「適正な価格で売った」というのみで、財務省前理財局長の佐川氏などは「交渉記録は破棄した」などと云って、国税庁長官に昇任する有様である。

 誰も納得できない不可解な値引きが行われたことを巡っては、安倍首相の昭恵夫人が森友学園の名誉校長であったことから、行政側に総理やその夫人に対する忖度が働いたのではないかとの疑惑は全く払しょくされていない。
 こうしたことから、森友学園問題は参院予算委員会が参議院として全会一致で、検査と結果報告を会計検査院に求めていたものである。
 
 憲法90条では会計検査院について次のように記載している。
第九十条 国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。
会計検査院の組織及び権限は、法律でこれを定める。
 この規定は、検査院が国会や裁判所に属さず、内閣から独立した地位を持つことをを示している。こうした権能を持つ検査院が上記の検査結果報告を参議院に提出し、公表したことは大きな意味を持っている。
 政府はもはやあいまいな答弁で逃げることはできない。ごみ量の算出の根拠、ごみ処分費用の単価など厳格な調査がなされていない点など不十分な点はあるが、検査院の検査は憲法に支えられているという重みがあることを政府や官僚は理解しなければならない。

長沢芦雪展を観る

2017-11-17 10:57:26 | Weblog
2017.11.17(金)
 愛知県美術館では開館25周年を記念して、「京のエンターティナー・長沢芦雪展」を展覧中である。最終日は明後日19日(日)である。
 芦雪(1754~1799)は、円山応挙の門下で若くして画力があり、大胆奇抜な発想力・個性を発揮した「奇想」の画家と言われている。
 今回の展覧会では、師の応挙の作品や同時代の呉春らとの合作作品を含めて、84点にのぼる作品が展示されている。和歌山県無量寺の障壁画・龍図襖、虎図襖、薔薇に鶏・猫図襖や厳島神社の山姥図など需要文化財となっている作品も展示され、他にも全国の博物館や美術館あるいは個人蔵も含めて芦雪の主な作品が一堂に集められており、全体を通じて圧倒される思いの展覧会であった。
 江戸時代・18世紀には、池大雅、与謝蕪村、応挙、伊藤若冲、曽我蕭白といった画家たちが活躍し、これらの画家たちは教科書にも載るほどでよく知られるが、何故か芦雪は日陰の存在で影が薄い。筆者も正直、芦雪をよく理解していなかった。
 美術展にはよく出かけるが、絵の感動は瞬間の直観である。大家の絵であろうと素人の絵であろうと筆者にとっては直感の感動である。絵の描き方も見方も知らない。でも、時として目を見張らせる、身動きできないものに出会うことがある。
 これまで芦雪の絵は本では見たことがあるが、本物をじかに見たのは初めてである。そしてそのほとんどに心が動かされた。老いて鈍感になってきた感覚に久しぶりに光がさした。
 会期は残り少ない。お勧めしたい展覧会である。


山田風太郎が見た日本~未公開日記

2017-11-08 12:27:31 | Weblog
2017.11.8(水)
 先週末風邪気味になって、5日には本格的に床に伏して以来、未だに回復しないでうつうつと日が続いている。
 今朝もこんな状態で伏せっていたら、NHK・プレミアムカフェという番組に出会った。
過去のBSの名番組をゲストと共に楽しむというもので、今回は作家の「山田太郎が見た日本~未公開日記が語る戦後日本の60年」というものであった。初回放送は2005(平成17)年のものの再放送というものである。
 山田風太郎氏は超有名な作家であるから誰でもその名ぐらいは知っている。それほど有名であるが筆者はこの人の本を読んだことがない。いわゆる忍法帖シリーズ(甲賀、くノ一、柳生、飛騨、その他多数)はどの書店にも列をなしている。その他、探偵もの、本格ミステリー、SF、風俗、官能、戦争もの、時代もの等々あらゆる分野に膨大な作品を残している。
にも拘らず何故かこの人の作品を手にすることなかった。

 今朝の番組では、山田風太郎が戦中・戦後を通じて実にこまめに日記を書いてきたこと、そしてその内容を伝えているものであった。それを三国連太郎が朗読した。
 氏は医者の家に生まれ、医者になるように目指したが、性に合わないことを自覚して作家になった。兵隊検査に不合格であったことから兵役を免れた。お陰で戦後を生きのびて多くの作品を残した。
 作品とは別に日々の生活、世相を細かに見た出来事を日記に残した。細かいことは覚えきれないが、戦争を批判し、戦後の高度成長を冷ややかに見つめた鋭い視点であったように思う。眼からうろこが落ちるとはこのことのようだ。

日本ほろよい学会会長・佐佐木幸綱氏、NHKラジオ深夜便で語る

2017-11-07 09:55:07 | Weblog
2017.11.7(火)
 いつも寝付くのは午後11時ごろであるが、毎夜午前2時から3時ごろには目が覚める。もうろうとして再び寝付けるときはよいが、どちらかといえば頭がさえてしまって寝付けないことの方が多い。
 今朝は3時から作家で綴る流行歌と題して、作曲家吉田矢健治の作品集を流していたが、眠りに誘われることなく4時になってしまった。
 そして4時からは、日本ほろよい学会会長の佐佐木幸綱氏とNHKプロデューサーとの対談が始まった。佐佐木幸綱氏とは日本の歌人、国文学者で芸術院会員であり、早稲田大学名誉教授でもある。
 筆者にとって全く疎い世界だが、その名前ぐらいは知っている存在である。それが、ほろよい学会会長という紹介から始まったことで、もうろう状態から一気に目が覚めてしまった。
 話しは、若山牧水の「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり」に始まっての酒談じであった。
 聞いていると、幸綱氏もかなりの酒豪と思われるが、若山牧水が旅好きであると同時に大の酒好きで、一日一升ほどの酒を飲んでいたといい、死の大きな要因となったのが肝硬変であるらしいが、牧水が死んだのが夏の暑い盛りだったにもかかわらず、死後しばらく経っても死体から腐臭がしなかったため、「生きたままアルコール漬けになったのではないか」と医師を驚かせたという逸話を紹介してくれた。眉唾の感がしないでもないが、こんな面白い話が続いて結局最後まで聞いてしまった。
 実は、この不眠状態は、ここ三日ほど風邪をひいて昼間も起き上がれず寝込んでいたせいでもあったが、その後もますます目が冴えて、日が明けても頭は重いままである。まだ気の重い一日は続くらしい。