名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

大学の先輩・藤井知昭さん死去

2023-03-26 10:02:26 | Weblog
2023.3.26(日)
 今朝の新聞に藤井知明さん死去の記事が出た。
 報道によると24日、心不全のため病院で亡くなったとのことである。享年90歳。
 藤井さんは京都市の出身で、戦後の音楽文化発展に寄与した国立民族学博物館名誉教授であった。葬儀は3月27日、自宅の長円寺会館で行うとのことである。
 藤井さんは大学の先輩で、学生時代に名古屋大学男声合唱団を創設され、筆者はその縁もあって、卒業後すぐにその合唱団に加わった。一緒に歌った仲間でもあった。
 藤井さんは、アジアを中心に各国の音楽文化を研究。名城大学助教授だった1974年、民俗学者の故・梅棹忠夫氏と国立民族学博物館(大阪府吹田市)の設立に参加し、副館長などを歴任した。国立文化財機構アジア太平洋無形文化遺産研究センター(堺市)の初代所長も務めた。
 また地域の音楽文化の発展に尽力、愛知県合唱連盟の理事長を30年、愛知県芸術文化協会の理事長を設立の92年から2014年まで務め、瑞宝中授章を受けた。
 この地域の合唱の星がまた一つ消えた。悲しく残念である。

蒲郡での食事会と久能山東照宮の旅

2023-03-25 08:34:01 | Weblog
2023年3月25日(土)
 1)3月23日の蒲郡食事会
    この食事会は連れ合いの栄養専門学校OGメンバー等と一緒に、三河大塚にあるホテルでイタリア料理を食する会である。
   午前9時、名鉄鳴海駅から金山駅を経て、9時30分発のJR戦で三河大塚で降車し、10時半、ホテル迎えのバスでホテル・リゾートトラスト
   へ向かう。ここで、2時間に及ぶフルコースのイタリア料理を堪能した。
 2)3月24日の久能山東照寺への旅
    これは、緑区南大高にある富士ツーリスト・富士たびクラブ主催の旅行会である。
    午前7時45分、南生協病院を出発して伊勢湾岸道、東名高速を走り11時20分、まず久能山東照宮を訪れた。次に日本平のロープウエイ
   で山を登ったが、残念ながら曇り空で富士山の姿は望めなかった。
    下山して午後1時半、「なすび総本店」で清水港の富士見料理を堪能した。また、ここでは郷土土産の海鮮料理とイチゴを購入した。

  これらの日程を終え、あとは一路帰路に着いた。生協病院へ着いたのは予定通り午後5時半であった。
   
   

藤井聡太五冠が棋王を奪取して最年少六冠の栄誉

2023-03-20 13:41:33 | Weblog
2023.3.20(月)
 将棋の渡辺明二冠(名人・棋王 38歳)に、藤井聡太五冠(20歳)が挑戦する第48期棋王戦五番勝負の第四局が19日、日光市で指され、後手番の藤井五冠が132手で勝ち、棋王のタイトルを奪取した。シリーズ成績は3勝1敗。六冠達成は羽生善治九段(52歳)に続き史上二人目。二〇歳八か月での達成で最年少記録を達成した。渡辺二冠は棋王戦の連覇が十でストップした。
 藤井六冠は八大タイトル全制覇に向けて、残るは名人と王座だけとなった。将棋のタイトル保持者は次のとおり。
   藤井聡太 竜王 王位 叡王 棋王 王将 棋聖
   渡辺 明 名人
   永瀬宅矢 王座
 現在のタイトル同時保持の最多記録は、羽生九段が1996年に達成した七冠(当時の全冠)。
 藤井五冠と渡辺二冠がタイトル戦で戦うのは四回目で、いずれも藤井五冠が制している。渡辺二冠は棋王戦の連覇が十でストップした。
 こうした状況を見てみると藤井聡太さんの実力の程が明瞭にうかがえる。もはや天才と言って何の遜色もない。今の勢いを維持すれば、年内の八大タイトル独占も夢ではない。十分にありうると言ってよい。名人戦はすでにr宇挑戦権を手にし、4月から渡辺明名人と戦う。王座戦は、例年5月頃始まる挑戦者決定トーナメントに出場。4回勝てば、永瀬拓矢王座(30)に挑戦できる。
 将棋の天才少年出現で、これからも楽しみである。

日韓首脳会談で両国の正常化に合意

2023-03-17 13:49:12 | Weblog
2023年3月17日(金)
 岸田文雄首相は昨日16日、来日した韓国大統領と官邸で会談し、関係正常化で合意した。11年以上途絶えていた首脳同士の相互訪問「シャトル外交」の再開で一致。北朝鮮をにらんだ安全保障協力を推進し、外務、防衛当局による安保対話の早期開催も確認した。
 元徴用工訴訟問題では、岸田氏が韓国側の解決策を評価。歴史認識などを巡り長年対立してきた日韓は関係正常化へ大きく動き出した。
 岸田氏は、5月の先進七か国(G7広島サミット)の拡大会合にユン・ソンニョル韓国大統領を招待する意向を伝えた。日本での日韓首脳会談は約5年ぶり。ユン氏は韓日関係の「新たな時代を開く」と応じた。
 両首脳は会談で、北朝鮮の弾道ミサイル発射を非難。日米韓安保協力の強化を申し合わせた。
 徴用工問題に関し、岸田氏は植民地支配への痛切な反省と心からのお詫びを表明した「1998年の日韓共同宣言」に言及し、歴史認識に関する歴代内閣の立場を引き継いでいると述べた。両首脳は中国を交えた日中韓三カ国の対話を早期に再開する重要性を確認した。

                                          以上  2023年3月17日付け 中日新聞より

愛知県庁へ2022年度・ピースあいち語り事業実施報告書を提出

2023-03-16 19:59:57 | Weblog
2022.3.14(火)
 ピースあいちの吉岡さんが22年度語り事業の実施報告書作成してくれたので、午前9時に愛知県庁へ出掛け、愛知県県民生活部県民総務課の担当者へ手渡してきた。担当者の方は親切に対応してくれ、書類に問題なしとして受け取っていただいた。これで、平成4年度の戦争体験語り事業は完了し、助成金も頂けることとなった。
 この事業は、筆者が平成9年度から戦争体験者と共に愛知県下の小中学校へ出掛け、子ども達に戦前の苦労を伝えるものとして実施してきた。このように学校で行うものと、ピースあいちでの語り事業も含めて、これまで数百回に及ぶ事業を展開してきた。戦争をなくし、平和な社会を築こうという趣旨のこの活動は、ピースあいちでの主要な活動の一つでもある。多くの仲間の協力のもと、愛知県下の小中学校の生徒たちに多大な影響を与えてきたことは大いに自負できる思いである。
 しかし戦争体験者は年々減少しており、高齢者の体験者に頼るやり方は限界にきている。そこで少しづつではあるが、若い人に体験者の語りを継いでもらえるように、「語り継ぎ手の会」が結成されている。しかし、実際の戦争体験者ではない若者の語る体験談はどうしても迫力に欠けるが、やむを得ないことではある。
 筆者は終戦時、小学校1年生で、実際の空襲や学童疎開の体験もある。機会があればそれらを語るときがくるかもしれない。

大江健三郎さん死去

2023-03-15 08:18:47 | Weblog
2023.3.14
 大江健三郎さんが死去したとの報道が流れた。88歳であった。
大江さんは「個人的な体験」「万延元年のフットボール」などの作品で戦後日本を代表する作家として知られ、ノーベル文学賞をも受賞した。その大江健三郎さんが3月3日、老衰のため死去した、と報じられた。
 愛媛県の出身で葬儀は家族葬で行った。後日お別れの会を開くとのことである。
 東大在学中、「奇妙な仕事」で注目され、「死者のおごり」で学生作家に。1958年「飼育」で芥川賞を受賞。知的障害の長男・光さんが誕生した63年に広島、65年に沖縄を訪ね、「弱者との共生」「核と文学」「中心と周縁」というテーマを得たという。それらは小説「個人的な体験」、エッセー「ヒロシマ・ノート」「沖縄ノート」に結実した 
 安保闘争など前半生を総決算する作品「万延元年のフットボール」(67年)で谷崎潤一郎賞、連合赤軍事件をモチーフにした「洪水はわが魂に及び」(73年)など話題作を連発した。
 94年、日本人として川端康成に次ぐ二人目のノーベル文学賞に選ばれた。
 平和・護憲の言論活動でも知られ、2004年には護憲団体「9条の会」を結成した。05年には作家生活50周年を記念して大江健三郎賞を創設。
2011年の東日本大震災後は「反原発」の訴えを強めた。

今日は東日本大震災発生から12年、各地で追悼行事開催

2023-03-12 14:07:46 | Weblog
2023.3.11(土)
 約22,000人の犠牲者を出した東日本大震災は今日3月11日、発生から12年となった。東京電力福島第一原発事故などにより、全国では約3万1千人が今もなお避難生活を送っている。
 昨年、「原発の最大限活用方針」を打ち出した岸田文雄首相は午後、福島県主催の追悼式典に出席するという。
 各地で追悼行事が開かれ、地震発生時刻の午後2時46分に合わせ、犠牲者への祈りがささげられた。
 11年3月11日、三陸沖を震源とするマグニチュード(M)9.0の巨大地震が起き、宮城県で最大震度7を観測。警察庁のまとめでは、今年二月末現在で全国の死者は15,900人、不明者2,523人という。
 復興庁によると、避難生活の疲労による体調悪化や自殺など震災関連死は、22年3月末現在で3,789人にのぼる。痛ましい出来事である。

合唱団グリーン・エコーの演奏会を聴く

2023-03-05 08:11:21 | Weblog
2023.3.5(日)
 昨日4日の夕方、愛知県芸術劇場コンサートホールで合唱団グリーンエコーの第63回演奏会が開かれ、連れ合いが団員の一人から招待券をいただいていたので一緒に出かけた。演奏会は午後5時開演で終了は午後7時頃で、ほぼ2時間であった。
 グリーン・エコーは筆者の大学の先輩であり、また筆者が歌っていた大学合唱団の創設者でもある藤井知昭氏がリーダーとなって活躍している混声合唱団で長い歴史を誇っている。
 この日の演奏曲は、ボロディンの「中央アジアの草原にて」、カール・ジェンキンスの「グローリア」、そしてこの日のメイン曲ダン・ホレストの「ユビラーテ・デオ」の3曲であった。
「ユビラーテ・デオ」では50名余りのグリーンエコーの団員が合唱部分を歌った。管弦楽は名古屋フイルハーモニー交響楽団が担った。指揮者は松井慶太氏とある。
 合唱では女性に比して男性が少なかったが、男声もよく頑張って総じて熱演であった。久しぶりの演奏会、堪能できた。
 なお、創設者の藤井知明氏は療養中とのこと。お会いできなかったことは残念であった。

 

四女の姉死す

2023-03-01 17:01:56 | Weblog
2023.3.1
 我が家の家族は四男四女の8人兄弟姉妹である。両親が健在の頃は10人の大家族であった。戦前(太平洋戦争前)では産めよ増やせよの掛け声で多くの家庭が大家族であり、我が家が特別の大家族であったわけではない。筆者は兄弟姉妹8人のうちの7番目である。
 三日前に4女の姉(美保子)が亡くなり、その娘(卓美さん)から今日葬儀を行うとの知らせを受けて連れ合いと出かけた。
 会場は、「さいごのひととき旅立ち」という名称の斎場で行われた。中川区昭和橋通1丁目28番地にある昭和橋ビルの三階にある葬祭場である。
葬儀は、本日(3月1日)午後1時に始まり、儀式は30分ほどで終わり、その後港区にある火葬場で火葬が行われた。卓美さんがお骨を箱に納めてすべての行事は無事終わった。今日は冬晴れの穏やかで春を思わせる日であったのは幸いであった。
 遠方から参加した卓美さんの兄弟(兄は愛知県下、弟は神奈川在住)のほかその兄弟の子どもなど(隆君の娘とその連れ合い)も参加した。この度の姉の死で残ったのは二女の姉(94歳)と三男の筆者(84歳)及び四男の弟(82歳)の3人のみとなった。