名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

経産省、核ごみ処分地の「科学的特性マップ」を公開

2017-07-29 10:36:52 | Weblog
2017.7.29(土)
経済産業省は28日、原発で使い終わった核燃料から出る核のごみ(高レベル放射性廃棄物)の最終処分場を建設できそうな地域を4つに分けて日本地図に表示したもの(「科学的特性マップ」)をホームページ上に公開した。それによると
1.好ましくない特性があると推定される地域
 ①地下深部の長期安定性などの観点
  ○火山の近く ○活断層の近く ○隆起・浸食が大きい範囲 ○地温が高い範囲など
 ②将来の掘削可能性の観点
  ○油田、ガス田、炭田など
2.好ましい特性が確認できる(上記1.のいずれも該当しない地域)
 ③可能性が相対的に高い
 ④輸送面でも好ましい
  ○海岸からの距離が短い範囲(海底や島を含む)
 上記の4分類を日本地図に色分けしたものを見ると、ほぼ3分の2が可能性が高いとされる。特に海岸から約20キロの範囲を「輸送面でも好ましい」として最も有力な候補地としている。
 処分場は地下300メートルより深い地中に建設し、核のごみを数万年にわたり閉じ込める「地層処分」という手法を取るという。
 今年3月末現在で国内の使用済み核燃料は、17,830トンですでに保管できる容量の7割を超えている。所要経費は2016年12月末時点の試算で3兆7千億円という。多分こんな金では済まないであろう。
 普通の工場が出す産業廃棄物は、その処分場が決まっていなければ工場の稼働ができない仕組みになっているが、原発だけは特別扱いされ、核のごみはたまる一方である。
 日本学術会議は2015年の報告書で、地震大国である日本では地震が地下水の流れに影響するなどして放射性物質を閉じ込めきれない可能性を指摘した。
 廃炉中も含め15基の原発が集中する福井県の西川一誠知事は「発電は引き受けたが、処分まで引き受ける義務はない」と言っている。原発で就労機会が増え、国からの助成金も取るだけ取ってきて誘致に賛成してきた責任者の言い分がこれである。
 引き受ける自治体が出てくるのか不明だが、国は調査のため処分場着工までに20年程度を想定しているという。さらに政府は陸地で困難な場合は、世界に前例がない海底での建設も視野に入れているという。
 こうした処分場選定の困難な状況はどこの国も同じだが、フィンランドとスウェーデンだけが建設地を決定している。
 いずれにしろ、人類が制御できない原発にいつまでもしがみついている姿勢を根本的に変えない限り、将来により大きな禍根を残すだけである。

大田昌秀元沖縄県知事の県民葬

2017-07-28 08:13:54 | Weblog
2017.7.28(金)
 去る6月、92歳で死去した大田昌秀元沖縄県知事の県民葬が26日、沖縄県宜野湾市で行われた。翁長雄志現知事や以外にも安倍首相も参列した。
 大田さんは、沖縄師範学校に在学中の1945年3月に鉄血勤皇隊に動員され、情報宣伝隊の「千早隊」に配属された。沖縄戦では九死に一生を得るが多くの学友を失うという戦争体験を持つ。
 大田さんは、沖縄県知事在職中には沖縄における米軍基地問題に取り組んだ。第2期目から反軍反戦反基地姿勢を明確にし、1995年、当時政府内にあった東アジア戦略報告に疑問を抱き、軍用地の代理署名を拒否した。また直前に起きた米兵の少女暴行事件と合わさり、大きな注目を浴びた。1996年の普天間基地移設問題では沖縄の過度の負担から県外移設を強硬に主張した。
 また知事在任中に、沖縄戦の全戦没者の氏名を刻んだ「平和の礎」を建立した。参院議員を一期務めた後、政界を引退し、NPO法人「沖縄国際平和研究所」を設立、今年のノーベル平和賞候補の一人に推されていた。
 大田さんはピースあいちにも関心を持ち、支援をしてくれた。ピースあいち開館直後の講演会ではわざわざ名古屋まで来て、沖縄戦の教訓から平和の大切さを訴えた。大田さんはピースあいち開館10周年記念誌の中に「10周年を契機に将来に向けてさらなる飛躍を遂げ、日本国内はおろか国外の平和運動にも多大の刺激を与えるよう祈念して止みません」とのメッセージを書いていただいた。
 
 県民葬では翁長知事は式辞で、大田氏が「平和行政、米軍基地の整理縮小などに心血を注いだ」とした上で「厳しい姿勢で日米両政府や日本国民に基地問題の解決を求めた。沖縄県民は、大田氏が終生貫いた『平和を愛する共生のこころ』の理念を受け継ぐ」と誓った。
 一方、安倍首相は「大田氏が心を砕いた沖縄の基地負担軽減に引き続き全力を尽くしていく」と語り、大田氏が危険性を訴え、日米が合意した普天間飛行場返還については「大田氏の県民を思う真摯な姿勢と基地問題解決への強い信念の上に成し得た」と指摘した。
 これはまるで言っていることと、やっていることが真逆である。これぞ口先三寸、噓っぱちの山である。翁長知事は県民葬後、記者団に「大変丁寧な気持ちを頂戴したが、現実の政治は言葉通りではない」と遠慮がちに批判した。
 こんな首相と政権の下では、沖縄の基地は減らないし、沖縄県民の苦しみは増すばかりである。

第3姉逝く

2017-07-27 05:56:00 | Weblog
2017.7.27(木)
 昨日の早朝4時ごろ、携帯電話が鳴った。筆者には4人の姉がいるが、そのうちの3番目の姉のメイからのものであった。何となく予感がしたが、彼女は涙声をおさえて母の死を告げた。
 兄二人はすでに亡くなっているが、姉の死は初めてである。長女はすでに90歳であり、元気とはいえないが、息子夫婦と孫に囲まれて横浜で幸せに暮らしている。次女も88歳で、歳相応である。筆者のすぐ上の4番目の姉はまだ社会活動もしており、元気そのものである。 
 しかし、3女の姉は5年ほど前から身体をこわし、介護施設のお世話になり、また最近では病院で入院療を受けていることを知り、10日ほど前に見舞ったばかりであった。上述の予感とはその時の印象である。
 その姉の連れ合いはすでに4年ほど前に亡くなっており、姉の面倒は二人の娘、息子が担っていた。姪によると、その母親の体調の悪化の原因は、夫の強烈なパワーハラスメントだという。妻への罵詈雑言と時には暴力も混じったパワハラが、夫婦の晩年になって激しさを増していった。息子の方はそのことを今でも父に対する怨念として持っているようである。
 三女はもともと明るい性格で、活発な女性であった。その彼女が晩年をそんな形で終えることになってしまったのは哀れである。
 思えば、彼女は昭和20年3月19日の名古屋大空襲で家が燃えた時、就学前の筆者の手を取って火の海の中を必死に逃げてくれた。今も筆者の命あるのは彼女のお陰だったのではないか。姉の死を目の当たりにして今更ながらそんな感慨がわいてくる。
 今日(27日)、姉の家族と我ら元気な弟・姉妹だけの家族葬で、享年84歳の姉を見送る。

福島第一原発3号機でデブリを確認

2017-07-23 22:34:02 | Weblog
2017.7.23(日)
 報道によると東電は21日、福島第一原発3号機格納容器内の水中ロボット調査で、圧力容器の下部で、溶けて固まった核燃料(デブリ)とみられる黒い物質が複数確認されたという。
 デブリとは、原子炉が冷却できなくなったため溶け落ちた核燃料で、1,3号機のデブリは大部分が原子炉圧力容器の底を突き抜けてその下の格納容器の底部に落ちており、2号機のデブリは圧力容器の底部に残っているとされる。
 2011年3月の事故発生当時、冷却が止まってために核燃料は2500度前後まで過熱し、溶けて圧力容器の底を貫通して流れ、大半が格納容器の底にたまってしまったものである。
 政府と東電は、福島第一原発の廃炉作業を30~40年かけて終えるとしているが、その中でもデブリの取り出しは困難を極めると言われる。今回の調査は、原子炉内でのデブリの位置、性質、形状などを正確に把握するための一環という。そして1~3号機のデブリの取り出し方針を今夏中に決定し2021年中に作業を始める目標を掲げているが、想定通り進むかは見通せないという。
 事故からすでに6年たっても廃炉の見通しはほとんど明らかになっていない状況で、これから先の30~40年と言われても、気の遠くなる話である。
 使用済み核燃料の始末もできないのに、またどの原発もいつかは廃炉しなければならないのに、その始末に何十年いや何百年もかけなければならない原発にしがみついている政府や電力会社やそれに固執している科学者と言われる人たちの非科学的な幼稚さに悲しみさえ覚えざるを得ない心境である。


日野原重明さん大往生

2017-07-18 15:31:59 | Weblog
2017.7.18(火)
 聖路加国際病院の名誉院長日野原重明さんが、今朝(18日)午前6時33分、呼吸不全のため死去したと報ぜられた。享年105歳。
 本業は医師だが、文筆、講演などなど幅広く活動し、100歳を超えた時も生涯現役で通すと頑固に活躍してきた。
 日野原さんは、1911年山口県生まれ。京都帝大医学部を卒業し、41年から聖路加国際病院に勤めた。同病院内科医長、聖路加看護大学長、同病院長などを歴任した。
 専門は内科学だそうだが、脳卒中、心臓病を「習慣病」と呼んで、病気の予防に果たした役割は大きい。旧厚生省は1996年になって成人病を生活習慣病と改称し、現在に至っている。
2002年には朝日社会福祉賞を受賞し、2005年に文化勲章を受章した。
 縁もゆかりもない人だが、テレビなどで日野原さんのニュースを見るたびに、すごい人だとただただ感銘を与えてくれた人であった。
 ご冥福を祈る。



姉の介護で長島温泉へ

2017-07-14 22:04:30 | Weblog
2017.7.14(金)
 体力の弱っている姉の介護を兼ねて、つれあいとの3人で長島温泉で有名なホテル花水木へ13日~14日と保養に出かけた。
 ホテル花水木はナガシマスパーランド内に位置する。そのナガシマスパーランドは、三重県桑名市長島町浦安にある長島観光開発株式会社の運営する遊園地である。同社が形成するナガシマリゾートの中核施設であり、東京ディズニーランドに次ぐ日本で二番目の敷地面積をもつ大型アミューズメントパーク。1966年3月にオープンし、ほぼ半世紀の歴史がある。
 かつて温泉に入り、それにくっついて行われていた催し物を見に行ったことはあるが、その後できた新しいホテルに泊まるのは初めてである。
 木曽川河口と長良川・揖斐川河口に囲まれた位置にあり、1500メートルの地中から湧き出る温泉で一大観光地となった。
 かつてこの河口周辺には、カレイ、セイゴ(シーバス)などを釣りによく来たものだが、伊勢湾岸道路の建設で環境が激変し、当時は釣り人で溢れていたものの、今は見る影もない。
 さてホテルだが、伊勢湾沿いにホテル花水木のほかにその別館、ホテルナガシマ及びガーデンホテルオリーブの4棟が並び立っている。
 今回初めて泊まってみて、その温泉施設のスケールの大きさに驚いた。特に湯あみの島と名付けられた露天風呂を含む温泉群は圧巻である。この季節は夏休み前で、春と夏の中間という一番の閑散期らしく、すいていたためにとりわけ大きく感じられた。シーズンのそれも土日やゴールデンウイーク、年末年始などはあの広い浴槽や休憩室などがごった返すらしい。大浴槽を独り占めする豪快さはこの時期ならぬものであろう。 料理も満足でき、姉も喜んでくれたのは何よりである。
 翌日は朝から空模様が怪しくなり遠出はやめて、桑名の六華苑と言われる旧諸戸清六邸へ出掛けた。諸戸清六は山林王と呼ばれた桑名の実業家で、六華苑はその邸宅として大正2年に竣工したという。平成9年に国の重要文化財に指定された。
 その後は天候も悪く、ちょうど帰り道沿いに3番目の姉が入院している病院へ立ち寄り見舞い、昼過ぎには帰宅した。

東京都議選「都民ファースト」圧勝、自民惨敗

2017-07-04 09:30:28 | Weblog
2017.7.4(火)
 7月2日投開票の都議選で「都民ファースト」は49議席を獲得、追加公認で55議席として第一党に躍進した。これに対して自民党は現有57議席を半減以下の23議席に激減させ大敗した。
 選挙結果は次のとおり( )は現有。
 都民49(6) 自民23(57) 公明23(22) 共産19(17) 民進5(7)
 維新 1(1) ネット 1(3) 社民0(0) 諸派0(0) 無所属 6(13)
  合計127(126)
 投票率は51.28%で前回の43.50%を7.78%上回った。

小池百合子知事の与党は、都民55、公明23、ネット1の計79と過半数を大きく超える安定政権となった。 
 この結果を受けて小池知事は地域政党「都民ファースト」の代表を退く意向を表明した。知事と第一党の党首が同人物であることの懸念から、知事に専念することを優先する意向を示したものである。後任には、小池氏の特別秘書で同会幹事長の野田数(かずさ)氏が就いた。
 こうした結果を受けて安倍首相は「大変厳しい都民の審判が下された。党に対する厳しい𠮟咤と深刻に受け止め、深く反省しなければならない」と語ったが、反省の具体的な内容は全く無く、いつもの通りの口先だけの反省である。
 それにしても小池知事率いる都民ファーストの大躍進は、一方で薄気味悪さも感ずる。かつての橋本徹大阪知事・市長や河村名古屋市長が現れて従来の政治手法を一変させ、結果、地方行政を私物化している実体を見るにつけ、ポピュリズムの弊害が繰り返されるのを恐れる。小池知事には、大阪、名古屋の前例を教訓として文字通り都民ファーストの仕事をしてもらうことを願わずにいられない。

自民・二階幹事長「落とすなら落としてみろ」

2017-07-01 11:14:52 | Weblog
2017.7.1(土)
 これは、二階俊博自民党幹事長が30日、東京都議選の応援演説で言った言葉だそうである。メディアが伝えた発言要旨は次の通りだが、品格に欠けたその知性の無さに唖然とする。
「今日もマスコミが来ているが、言葉を一つ間違えたら、すぐいろいろなことを書く。選挙が弱かったら落とされてしまう。私たちを落とすなら落としてみろと。マスコミの人たちが選挙を左右すると思ったら大間違い。マスコミは偉いには違いないが、偉いにも限度がある。記者にも言っているが、「あんたらはどういうつもりで書いているか知らんが、われわれはお金を払って(新聞を)買ってんだよ」と。買ってもらっているということを忘れてはだめじゃないか。こんなことを言うと、明日何を書かれるか分からないが、少々のことではへこたれない。」(7月1日中日新聞朝刊)
 同じく中日新聞の‶春秋〞欄では、次のような皮肉に満ちた文章が目についた。
「 『重く受け止めごっこ』が流行したら、どうなるだろうか。思想家の故・鶴見俊介さんが10年ほど前、そんなことを話していた。▼この国では不祥事の類いが起きると、大臣から官僚、経営者から教育者まで判で押したように『このことを重く受け止めます』。それなら父親に説教された子供たちがこう言い始めたら、どうなるか。『お父さんの説教は重く受け止めます』▼今、流行が心配なのは、さらに強力な『法的に問題なしごっご』だろう。何しろ、「法的には問題がない」というひと言がいかに便利か、この国の大臣たちが繰り返し教えてくれているのだ。▼閣僚らが政治資金集めで白紙の領収書を大量にやりとりしていたことも、総務相は『法的には問題はない』。学部の新設を申請していた学校法人側が取りまとめたパーティー券の購入代金を受け取っていた元文部科学相も『法的には問題はない』。▼しかし、どう見ても道義的にはおかしい。そもそもザル法と言われて久しい政治資金規正法の改正を怠けておいて、「法的には問題がない」と言うのは二重に道義に反している。▼不思議なのは、『法的には問題がない』と開き直る元文科相らが、道徳教育には熱心なことだ。宿題をサボってしかられた子どもが『指摘は重く受け止めますが、法的には問題がありません』と言いだしたら、この人たちはどんな顔をするだろう。」
 これぞ、皮肉に満ちた痛快なジャーナリズムである。