名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

早くも満開の桜

2008-03-31 12:30:31 | Weblog
2008.3.31
 3月はじめ頃の名古屋の桜開花予想は最初は3月29日であったが、暖かい日が続いたため26日に早まった。しかし実際の開花はさらに早まったような気がしているが、いつの間にやら30日には満開宣言が出されてしまった。ただ満開といっても、気象台の観測している桜がそうであるか否からしいので、すべての桜が満開になっているわけではない(当り前のことだが)。事実、近くの桜でも満開の木もあれば五分咲程度のものもあって木にも個性があるのだ。新聞によれば、名古屋城や瑞穂区の山崎川沿いの桜などは満開のようである。多くの花見客で賑わったと報道している。しかしこれまで暖かであったのが、ここ2~3日急に冷えて、おまけに昨日から雨が降ったので早くも散ってしまうのかと心配だったがまだ大丈夫のようだ。今日(31日)など特に気温が低く、肌寒くて桜見物という気分ではないほどである。しかしこれで開花期間が延びるのではないかと期待できる。なんとか小中学校の入学式ぐらいまではもってもらいたいと思う。学校の桜の花びらがちらほらと散る中で入学式が行われている風景こそ、日本の原風景の一つであるからだ。
 このように桜については、あれこれと気になるということである。
 去年は、五条川の桜を岩倉へ出かけて見物した。ここの桜は五条川沿いに数キロにわたって咲き誇る様は見事なものであった。 今年はどこへ行こうかと思案しているうちに一週間から10日も早く満開を迎えてしまった。年齢を重ねるごとに、どこか桜の名所といえるところを自分の目で確認しないと寂しい気がして落ちつかない。ここ2~3日は花冷えが続くとのことなので、暖かくなったら近場の名所へでも出かけててみたい。それまで何とかもってほしい。






礼儀を知らない女性!

2008-03-30 10:21:15 | Weblog
2008.3.30
 先日、ある音楽会の帰途、午後9時ごろで80%ほどの混み具合のバスに乗った。目的の駅に着く前、30歳代の女性がまだバスが停止する前に立ち上がって移動していたため、バスの停止のショックで身体がふらつき、手の先で筆者の眼鏡を相当な力で跳ね飛ばした。眼鏡は乗客の隙間に落ちたが、幸い踏まれることなく拾い上げることができた。周りの人たちもその状況はよく見ていた。
 にもかかわらず、である。その女性は何の一言も発することなく、また振り返ることもなく平然とバスを降りて、筆者の前方を(気のせいか)足早に立ち去ってしまった。
 衝撃で鼻の上のほうが痛むので眼鏡をよく見ると、鼻あての一方が曲がってしまっており、かけると眼鏡がずり落ちる状態であった。
 以上の出来事があったのだが、筆者としてはこの若い女性(30歳代は若くはないか)の常識の無さというか、礼儀知らずということに全く腹立たしい思いである。もちろん、彼女が故意にしたことでないことは明らかである。バスがまだ走行中に立ち上がって移動していたためにふらついてしまったという不注意(過失)はあるが、誰でもよくあることである。だから、そのことをとがめだてする積りは少しもない。ただ、ひとこと「すいません」とか「ごめんなさい」とさえ言ってくれれば気分を害されることはない。これだけの衝撃があったのだから彼女がそのことに気がついていなかったということはこの場合あり得ない。何故こんなひとことが言えないのであろうか。
 電車の中で大声で騒いでいる女子高生、堂々と化粧をしている若い女性など、一体どうなっているのという光景をよく目にする。触りもしないのにセクハラされたといって騒がれた男性が、人生を棒に振ってしまったというニュースがたまにあるが、これなどへたに見知らぬ女性には近づかない方がよい見本であり、満員電車であればあるほど気をつけるにこしたことはない例である。
 さて筆者の眼鏡であるが、、翌日早速、眼鏡屋にいって直してもらった。買った店であるので無料でサービスしてくれたが、一人の常識のない女性のために余分な手間ひまをかけることになってしまった。折角の音楽会の余韻もどこかにいってしまった。

『集団自決』で軍の関与認定の判決

2008-03-29 09:16:12 | Weblog
2008.3.29
 太平洋戦争末期の沖縄戦で軍指揮官が『集団自決』を命じたとする岩波新書「沖縄ノート」などの記述をめぐり、当時の守備隊長らが、岩波書店と作家大江健三郎氏(73)に出版差し止めなどを求めた訴訟の判決で、大阪地裁は28日、請求を棄却した。
 この訴訟は座間味島の元守備隊長梅沢裕さん(91)と、渡嘉敷島の元守備隊長の弟、赤松秀一さん(75)の二人が2005年8月、大江さんの「沖縄ノート」、故家永三郎さんの「太平洋戦争」の集団自決に関する部分をめぐり「誤った記述で非道な人物と認識される」として提訴されたものである。
 当時の軍国主義教育によって、日本の不敗神話と天皇のためだけに祖国を守るのだという強い皇国史観に基づく民族意識があの悲惨な『集団自決』を招いたことは、決してこの二人の守備隊長の非道のせいではない。この人たちが、こんな思いになってしまっていること自体、戦争というものの本質であり、残酷さである。この二人の元隊長も軍国主義日本の落とし子なのだ。
 この訴訟を契機に、文部科学省が検定委員を動かして、教科書会社に「軍の関与」の削除求め、そのため検定撤回を求める大抗議行動が巻き起こるなどした。
 戦後60有余年が過ぎてもなお生き証人が大勢存在する中で、沖縄戦を机上だけで論じている一部の右翼学者が『集団自決』は住民の国を思う自発的なものであったなどとして、文科省の尻馬に乗ってこそこそと検定意見を述べていることについては、このブログで書いた。そういう点では、「新しい教科書をつくる会」の藤岡信勝会長は正直で分かりやすい。今回の判決で彼は「想定される中で最悪の判決、不当判決だ。裁判長は、被告側よりの多くのメディアが流す宣伝に踊らされているし、教科書検定について言及しているのも問題だ」と言っている。戦前の軍国主義を夢見ているこういう人たちの力が最近じわじわと強まっていることが恐ろしい。
 それにしても、原告である二人の兄弟元隊長が、自分たちの果たしている役割に一刻も早く気づいてくれることを祈るばかりだ。

愛知県議会民主党のKY

2008-03-28 15:59:35 | Weblog
2008.3.28
 愛知県議会で可決された政務調査費の三万円以上の使途公開と費用弁償を減額する条例改正案の採決時に退席した民主党の佐藤夕子議員(名古屋市東区選出)について民主党県議団は25日、「(条例案に賛成した)会派の決定に従わなかった」として4月2日に規律委員会を開き、退席が処分に値するかどうかを諮問することをきめた、と報道されている。さらに県議団では「除名を含めて処分を考えるべきだ」との声が強まっている一方、政調費の全面公開を訴える佐藤氏を除名すれば「改革に後ろ向きとみられる」と心配する声もあり、対応に注目が集まっている、とも伝えている。
 そもそも佐藤氏は、昨年四月の県議選で政調費の使途の全面公開と費用弁償の廃止を公約に掲げて自民現職を破ったという経緯がある。そこで佐藤氏は条例改正案に「賛成できない」として採決時の党議拘束解除を申請したが、認められなかったため24日の採決では退席し、自らは本年度分の政調費を独自に全面公開する意向を示しているとのことである。
 県議団の結論がどうなるかは知らないが、広く県民の立場からみれば佐藤氏の行動の方がはるかに分かりやすい。政調費に対する国民・県民の意思は、もはや全面公開である。他の自治体はもとより国会においてすら全面公開に流れているというのに、自民党でない民主党がこんなことを言って騒いでいるようでは全く空気が読めていないといわれてもしょうがない。まして、佐藤氏は、全面公開を公約にして当選したのである。もし、党議違反であるならば、これを公約にした候補者を党の推薦候補にすること自体がすでに誤りである。
民主党県議団の会則によると、団員が会派の目的に反する言動をした場合に、総会の三分の二以上の同意で除名や退席勧告ができるとなっているそうである。
 佐藤氏は「党議拘束が解除されなかったので、議場での反対は避け退席した。団員としての最低限のルールは守ったと考えている」と語っている。
 筆者は、佐藤氏をほとんど知らないが、この経緯をみていると佐藤氏の言っていることの方がよほど筋が通っていて分かりやすいと思う。まだ結論がでたわけではないが、この問題で民主党の対応がこんなものかと思うと情けなくなる。こんなことで、マスコミに取り上げられることが民主党にとって良いことか悪いことかも読めないとしたら政権交代の当事者としての資格が問われることになってしまう。

新銀行東京への追加出資-とうとう決めてしまった!

2008-03-27 10:27:05 | Weblog
 2008.3.27
 毎日、理不尽な事件、おかしな出来事、腹の立つニュースが次々と報じられる。
 先日、茨城県で無差別通り魔事件があったかと思うと、今度は岡山県で25日午後11時過ぎ、JR山陽線・岡山駅のホームで18歳の少年が電車待ちの岡山県職員仮谷国明さん(38)を突き落として死亡させるという事件が起こった。仮谷さんは、小学生と幼稚園の二人の少女の父親で、突然の不幸で幸せな家庭が一気に壊されてしまった。少年は、誰でもいいから人を殺したかったと言っているそうだが、この点では茨城県の事件と酷似している。
 腹の立つニュースでは26日、日本郵政が旧日本郵政公社から引き継いだ保養・宿泊施設「かんぽの宿」の大半、71カ所を一括で事業譲渡する方針としたとの報道である。「かんぽの宿」はすでに民営化に伴って2012年9月末までに廃止・譲渡が法制化されているが、それを繰り上げようとするものらしい。「かんぽの宿」は経営自体が大赤字であるし、売却するにしてもただ同然の価格になると思われ、簡易保険の原資がこのように使われてしまうのかと思うと本当に腹が立つ。このことについては、またの機会に書きたい。
 次に新銀行東京への追加出資で話題となっていた件で26日、東京都議会の予算特別委員会は自民、公明の賛成多数で400億円の出資を可決してしまった。公明党は、支持者の根強い反対の意見もあって最後まで賛成することに躊躇していたが、結局次の付帯決議をつけて賛成に回ってしまった。
 ①追加出資は今回限りとする ②400億円を棄損させることのないよう適切な監視に努める ③経営監視のための組織を新設する
 新銀行東京は、石原知事の発案で都が1千億円を出資し、2005年4月に開業した。貸し渋りに悩む中小企業救済を掲げ、無担保・無保証融資を売り物にしたが、多額の焦げ付きを発生、今年三月期決算の累積赤字は約1千十六億円に達する見通しである。これからは融資先を選別して貸し倒れの危険を回避するというが、他の銀行との競争は厳しい。結局貸出金利を高めに設定せざるを得ず、借り手にとって決して魅力ある銀行ではない。いずれ400億円も回収できず、損失はさらに膨らむ恐れは大きい。石原知事や自民党はもとより公明党も存亡をかける賭けに走ってしまった。4年後の2011年度末には8億円の単年度黒字にするといっているが、果たしてそこまで保(も)つか。面白い『賭け』ではある。

長久手町発砲たてこもり事件の初公判

2008-03-25 18:34:29 | Weblog
2008.3.25
 愛知県長久手町で昨年5月、県警機動隊特殊部隊の若い警部(林一歩さん=23歳)が射殺され、三人が負傷した発砲立てこもり事件で、元暴力団員の大林久人被告(51)の初公判が24日、名古屋地裁であった。起訴事実について大林被告は四人を死傷させた事実については認めた上で、負傷した家族らへの発砲については「撃ったことは覚えていない。殺すつもりはなかった」と述べたという。死亡した林警部については「人を狙って発砲していない」といずれも殺意を否認したという。さらに弁護側は「発砲した記憶がなく、被告人は当時、心神耗弱状態だった」とも主張しているという。
 人を殺しておいて、なんという言い分であろうか。被告は元暴力団員だったという。全く男らしくない情けない人間とはこういうのをいうのか。暴力団員ともあろう者であれば、どうしていさぎよく死をもって償うということがいえないのか。彼の主張は、弁護士の入れ知恵であることは明らかであるが、やくざの世界に身をおいた者ならば、自分の意思で死刑を望む気概があってしかるべきだ。事件当時の悪人ぶりはどこへやら、「殺すつもりはなかった」などとよく言えるものである。将来を嘱望されていた林警部の無念を思えば、こんな悪人はさっさと処刑されるべきである。
 一昨日の茨城県土浦市での無差別通り魔事件も、結局裁判ともなると「覚えていない」とか「心神耗弱だった」などと言い訳して罪を逃れようとする。こうした明らかな凶悪犯が少しでも罪を軽くしようとあがくのを見ていると本当に腹が立つ。

また無差別通り魔殺人

2008-03-24 18:28:14 | Weblog
2008.3.24
 昨日3月23日(日)午前11時ごろ、茨城県土浦市のJR荒川沖駅の連絡通路で、若い男が走りながら居合わせた男女8人を次々に刺し、一人が死亡、二人が重症、残る五人も軽傷を負うという残忍な事件が起こった。犯人は付近で取り押さえられた。
 この犯人は、4日前の19日朝に土浦市の無職三浦芳一さん(72)を刺殺して、指名手配されていた無職金川真大容疑者(24)で、彼は「誰でもいいから殺したかった」と供述しているという。
 この金川容疑者は携帯で22日に「早く捕まえてごらん」という警察を挑発するような110番通報をしてきていたため、県警は身柄確保のため、170人の私服警官を配備して警戒態勢をとっていたという。そのため警官一人も負傷を負った。
 またまた起こった通り魔事件。見過ごすことのできない点は何か。
 指名手配中の犯人が近くにおり挑発までしてきているのに、なぜ二次犯罪を防げなかったのか。これについて県警の刑事部長は「特殊犯を投入するなど身柄確保に対しては相当の態勢を取ってきたが、死傷者を出したことは極めて遺憾」といっている。何か他人事のような言い方に聞こえてしょうがない。このような事件で、事前に犯人を逮捕して事件を未然に防げなかったことは、明らかに捜査ミスである。まずはいたずらに多勢の死傷者を出してしまったことを素直に謝罪すべきであった。 凶悪犯が近くにいるということの情報を市民に公開して、市民自ら警戒してもらう必要があったのではないか。また、制服の警官を一人も配置しなかったということも、犯人に事件を起こしやすくしたのではないかという意見もある。検証してほしいものである。
 また、こうした事件が起こると、これはまともな人間のできることではないから、犯人は心神耗弱ではなかったかという方向にしばしばもっていかれる。今回のような事件は現行犯のようなものであるから、容疑者が殺人を犯したことは疑う余地がない。それにもかかわらず、裁判になると殺意を否定したり、意識が朦朧としていて記憶がないなどといって刑を逃れようとする。これでは被害者が浮かばれない。
 事件も3年も4年も経過すると、事件直後の熱さは冷めて、厳しさも薄れる。しっかりと見続けることが必要である。

台湾新総統に対中協調路線の馬氏

2008-03-23 10:26:12 | Weblog
2008.3.23
 台湾の総統選は22日投開票され、野党国民党の前主席、馬英九氏(57)が与党民進党の元行政院長、謝長廷氏(61)を220万票以上の大差で破って当選、国民党が八年ぶりに政権復帰することとなった。馬氏は台湾経済の再生に中国側との協議に基づく開放・緩和政策などを掲げており、台湾は陳水扁政権の独立志向から、対中協調路線に転換するとみられる。
 クリーンなイメージの民進党だったが、陳水扁総統の家族や側近らの汚職問題噴出で民意は失われた。謝長廷氏は陳氏との違いを打ち出したが党への不信感を覆すには至らなかった。
 民進党が政権を握る前、国民党は半世紀にわたって、一党独裁を続けてきたが、今回の総統選勝利で再び総統と国会での多数派を占めることで強力な政治体制を握った。政治的な安定があっても腐敗に陥らないかが馬氏の政治的姿勢を占う鍵となる。
 ところで産経新聞によれば、チベット問題は総統選の最終局面で争点として浮上したが、選挙結果を左右するには至らなかった。国民党の路線から見れば、チベットは「中華民国」の領土である。チベット擁護の立場をとる民進党とは異なり、馬氏は「中華民国総統」としてチベット独立は簡単には容認できない。
 しかし、馬氏はチベット騒乱をめぐって中国の横暴を批判し、その中で①チベット人への武力鎮圧について中国共産党を叱責し、②情勢が悪化すれば北京五輪のボイコットも排除しないとも主張した、と報じている。
 産経新聞の言うとおり、今後チベット問題は馬英九新政権と中国当局の対立点となる可能性があるといえるであろう。
 また日本から見て、馬氏は対日関係よりも対中関係を重視する立場を取ることと思われ、台湾における日本の影響力は低下するものと思われる。
 日本政府は、もともと中国政府を恐れて「中国は一つ」という台湾政策を卑屈といえるほどの態度で受け入れてきた。そういう点では今回の選挙結果は日本政府にとってもよいのかもしれないが、両国との経済関係は複雑になるであろう。台湾にとっても、これから安い中国製品がどんどん台湾に入ってくると、台湾の国内産業に与える影響は決して小さくないと思える。中国と台湾の両国が敵対しているよりも協調する関係が強まればよいのだが、はたしてうまくいくのであろうか。

北斎展を見る

2008-03-22 10:40:35 | Weblog
2008.3.22
 昨日3月21日(金)、名古屋市美術館で開催中の「北斎展」をみにいった。2月9日から3月23日までおよそ一ヵ月半の開催期間である。終了まであと3日しかないとあって、平日にもかかわらず館内はごった返しており、人の列はなかなか進まない有り様。人の後ろから覗き込むようにして観覧した。入館する直前に、入館10万人目の記念品贈呈があったそうである。1日平均2500人の入りだからさすが北斎である。開催期間にもよるがかっての「ゴッホ展」は30万人を超えた記憶があるが、やはりそこまではいかない。北斎といえば、どうしても浮世絵、版画という印象で、人気に多少の片寄りは否めない。
 今回の展覧会の特徴は、パリのフランス国立図書館とライデンのオランダ国立民族学博物館の二か所に所蔵されている北斎工房(北斎だけでなくこの工房に属した画家も含む意らしい)の肉筆風俗画が多いことであった。しっかりとした色彩で鮮明度もよく、あらためて時代の風俗をよくとらえた風景に目をみはるものがあった。また、ロンドンの大英博物館からは、習作というか素描というものがいくつか出展されていて、興味深い描写を発見することができた。
 日本国内からは江戸東京博物館、山口県立萩美術館、原安三郎コレクション、町田市立国際版画美術館など各地の美術館に保存されている北斎の作品が数多く出品されていた。それらには、風景版画、戯画、北斎漫画、富嶽36景や東海道53次など揃ものといわれるものなど北斎のほぼ全分野にわたる充実した展示内容であった。それにしても日本人の北斎人気の高さをあらためて知り、こうした展覧会はできる限り早めに見に行くべきことを痛感した。

連続児童殺害 畠山被告に無期懲役

2008-03-20 10:53:26 | Weblog
2008.3.20
 2006年4月ー5月、秋田県藤里町であった児童連続殺害事件で殺人などの罪に問われた畠山鈴香被告(35)の判決公判が19日、秋田地裁であり、裁判長は死刑の求刑に対して無期懲役を言い渡した。判決では、二児殺害などの事実関係を起訴事実どおりに認め、犯行の重大性を指摘したが、「いずれの事件も周到に計画していたとはいえず、矯正教育を試みる余地がある」とした。弁護、検察両者とも控訴する方針とのことである。
 この事件は、4月9日畠山被告が娘の彩香ちゃん(当時9歳)を疎ましさから川に突き落として窒息死させたことと、その後の5月17日、近所の米山豪憲君(7歳)を自宅玄関で腰ひもを首に巻き付けて窒息死させたというものである。
 判決では、刑事責任能力はあったとしたが衝動的で計画性は認められないとし、死刑も考えられるが贖罪に全生涯をささげるのが相当として無期懲役とした、という。幼い子どもを殺した本当の理由というものは、裁判の過程の中でもはっきりとしたものは出てこなかったが、殺害の事実は被告も認めていた。
 筆者は、特別な事情がある場合は別として、尊い命を奪った以上は死をもって償うべきであると考えている。従って今回の判決はやはり不満である。
 死刑制度の是非については、かってこのブログでも書いたが(2007.11.18付け)、世界の趨勢は廃止の方向に傾いている。しかし日本では、筆者も含めて圧倒的に死刑存続の意見が強い。殺された者の無念、その遺族の悲しみを思えば、残虐な殺人者に死をもって償った貰うことは必然である。特に日本の刑法では、無期懲役はあっても終身刑がないことが多くの人に死刑廃止を否定させているものと思う。
 極悪な殺人事件を犯した犯人が、殺人の事実を認めながら、殺すつもりはなかったとか、心神耗弱の状態だったとかいって罪の軽減や無罪を主張している例が多いが、これほど卑怯なことはない。
 今回はまだ第一審である。これから先、まだ長い審理が続く。