名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

死闘・延長50回 中京が3―0で勝利

2014-08-31 11:28:26 | Weblog
2014.8.31(日)
 第59回全国高校軟式野球選手権大会ですごい記録が生まれた。サスペンデッドゲームを3回繰り返し、50回で決着がつくという信じられないような記録である。
中京(東海・岐阜)と崇徳(西中国・広島)の準決勝は31日、兵庫県明石市の明石トーカロ球場で延長46回から再開され、延長50回の末に中京が3―0で勝って、4日間にわたって繰り広げられた“世紀の死闘”にピリオドを打った。
 サスペンデッドゲームとは、全国高校軟式野球大会の準決勝までに適用されるルールである。15回ごとにいったん試合を打ち切り、後日次の回から再開する。日本高野連は硬式に比べ、軟式は投手の肘や肩への負担が軽く、日程の消化も進むため採用している。今回の準決勝では、54回までに決着がつかない場合は、くじ引きで決勝進出チームを決めることになっていた。
 3日間を1人で投げ抜いた中京・松井大河(3年)、崇徳・石岡樹輝弥(3年)がこの日も引き続き登板。両投手の投げ合いで49回まで0行進が続いたが、延長50回中京が無死満塁から2番・後藤が右翼線へ2点適時二塁打を放ち均衡を破ると、さらに無死二、三塁から内野ゴロの間に1点を加え、松井がその裏の崇徳の攻撃を抑えた。
 中京は引き続き三浦学苑(南関東・神奈川)との決勝に臨む。

 これまで軟式野球の最長試合は、1983年9月の天皇賜杯第38回全日本軟式野球大会決勝戦の延長45回である。そもそもこんなに戦ってもなぜ点が入らないのであろうか。同じ野球でも硬式と軟式では似て非なるものという。ゴム製の軟式ボールは「跳ねるが、飛ばない」。硬式より10グラムほど軽い、従って飛球を失速させて飛ばない。投手は一発ホームランを怖がる必要はない。各校とも投手をもり立て、守り重視のチーム作りをする。
 今回の試合では松井、石岡両投手とも700球前後の投球数となっている。中京の松井投手は、午後の決勝でも投げればさらに投球数は増える。あるトレーナーは「連投はひじや肩の関節を安定させる筋肉を磨耗し、関節が安定できずに周囲の筋肉を傷つける」と指摘している。高校生活の中で選手生命を失ってしまわないか危惧されるところである。すごい記録は残ったが、両投手に何ごともなく、今後の健闘を祈るばかりである。

【追記】
  結局、準決勝は合計50回で終了したが、4日間で経10時間18分の死闘であった。
 中京は引き続き行われた決勝で三浦学園(南関東・神奈川)に2:0で勝ち、2年ぶり7度目の優勝を果たした。中京のエース 松井大河投手は崇徳戦で50回を709球投げ抜いて完投。決勝戦でも4回途中から救援で登板して9回まで投げぬき、今大会 の投球数は4試合で計1047球に上った。


俳優 米倉斉加年さん死去

2014-08-27 22:15:40 | Weblog
2014.8.27(水) 
舞台、映画、テレビで活躍した俳優で演出家、絵本作家でもあった米倉斉加年(よねくら・まさかね)さんが26日午後9時過ぎ、腹部大動脈瘤破裂で死去した。享年80歳であった。
 劇団民芸の演劇研究所や劇団青年芸術劇場などを経て、2000年に退団するまで、劇団の中心俳優、演出家として活躍した。親しみのある穏やかで癒される俳優という印象だった。渋い演技の脇役をこなし、NHKの大河ドラマでは数多く出演した。最近の連続テレビ小説「ちりとてちん」での箸職人が印象に残っている。「男はつらいよ」シリーズでも多く出演した。
 この人のなんとなくほのぼのとした演技は独特な個性であり、魅力であった。
 何の縁があるわけではないが、米倉さんのようなベテラン俳優が姿を消していくのは実にさびしい。

収賄容疑の美濃加茂市長、保釈

2014-08-26 09:50:54 | Weblog
2014.8.26(火)
 岐阜県美濃加茂市のプール水浄化設備導入をめぐる汚職事件で、事前収賄などの罪で起訴された市長の藤井浩人被告(30)が25日、拘留されていた名古屋拘置所から保釈された。保釈補償金は一千万円という。
 藤井被告の弁護人は、7月15日に起訴されて以降、早期の公務復帰を求めて、名古屋地裁に4回にわたり保釈を請求してきたが、検察側が「市職員と口裏合わせをする恐れがある」と反対し、地裁はいずれの請求も却下していた。しかし、今回弁護側の準抗告を認め保釈となったが、保釈の条件として、副市長ら市職員14人を含む約30人との接触を禁じる厳しいものである。
 藤井被告は記者会見で「現金を受け取ったことはなく、潔白を主張する」と無罪を主張し、公務に復帰する意欲を示した。
 また、贈賄側の地下水供給設備販売会社社長、中林正善被告(44)については「どうしてうその証言をしたのか」とも語気を強めて発言したという。取り調べでは「(捜査員に)『はなたれ小僧に投票した市民は何を考えているのだ』と言われ、自分ではなく市民への侮辱と感じた。『早く自白しないと、美濃加茂市を焼け野原にする』とも言われた」と明かした。
 以上が美濃加茂市長保釈の報道だが、保釈の条件については他の事件などと比較しても極めて異例なものに感ずる。
 市職員14人を含む30人との接触を禁ずるというのは、保釈といってもこれでは公務に復帰することを禁じたに等しいように思える。裁判所の決定だから止むを得ないが、いっそのこと公務への復帰を禁じた保釈の方がわかり安い。
 特に汚職の原因となった防災安全課の全職員との接触や右腕ともいうべき副市長との接触を禁じているのは疑問である。
 だからと言って、筆者は藤井被告が直ちに無罪であるとは思わない。
 美濃加茂の多くの市民は藤井市長に同情的で、冤罪と思っているようであるが、先のブログ(7月4日付)でも書いたように「金を渡した」という贈賄側の社長の証言は重い。
 検察側、弁護側が争点を絞り込む公判前整理手続きは、8月28日という。この日に初公判の日程が決まれば、以後、裁判がどのように進むのか目が離せなくなる。

広島、死者・不明46人の大規模の土砂災害

2014-08-21 09:42:15 | Weblog
2014.8.21(木)
 19日深夜から20日未明にかけて、広島市を中心に局地的な豪雨が襲い、広島市安佐南区、安佐北区などで土砂崩れや土石流が発生、多数の家屋が押し流され、死亡39人、不明7人を出す大災害となった。
 気象庁によれば、安佐北区では20日午前1時半から3時間の降雨量が観測史上最大の220ミリに達した。土石流は幅50メートル以上にもなり、スピードを保ったまま急斜面を流れ多くの家を襲った。
 専門家によれば、山の表面の厚さ0.5~2メートルの土壌だけが崩れる「表層崩壊」が発生し、大規模な土石流を引き起こしたと指摘している。
 午前3時50分ごろ、1時間に100ミリをこえる「記録的短時間大雨情報」が安佐北区付近に出されたが、広島市が避難勧告を出したのは午前4時15分以降だった。人的被害が大きかったことについて、広島市消防局の危機管理部長は「災害が起きる前に避難勧告を出せなかった」と対応の遅れを認めたという。
 この大雨による災害については、メディアは大きく取り上げており、各テレビもほとんどこの問題で画面を埋めていた。この災害で大きな被害が出たことについて、
1)行政による避難情報が遅れた。出された避難情報もほとんど伝わらなかった。
2)危険な斜面に向かって宅地開発が行われた。
3)気象庁による注意喚起は盛んに出されていたが、自主避難は全くなかった。
などが報道されていたが、後のまつりではある。
 広島では過去にも同じような被害が繰り返されていた。これは広島に限ったことではないが、2年、3年も経てば皆忘れてしまう。危険な箇所を開発して住宅を造るという例は全国至るところにある。行政だって避難情報の遅れを素直に認めたように万能ではない。被害を行政のせいにしたって始まらない。
 結局は他人に頼らないで自分自身できっちりと判断することがいちばん頼りになり、大事なことである。
 日本人はまじめで几帳面でやさしいが、自分で判断することに弱い。付和雷同する傾向が強い。自分で考えないで政治家まかせにしていると、いつのまにか戦争に巻き込まれるようなことになりかねない。
 災害は起きることは避けられないが、被害を最小限にすることは可能である。戦争は人間が起こすものであるから避けることはできるが、戦争をやりたい人間はいくらでもいるということを忘れてはいけない。 

従軍慰安婦問題は朝日新聞の捏造??

2014-08-20 09:50:29 | Weblog
2014.8.20(水)
 従軍慰安婦について、最近の朝日の記事で、朝日新聞自ら記事の基になった吉田某の証言はうそだったという検証結果を掲載したことがネットで炎上している。また、右翼顔負けの週刊新潮や週刊文春などはここぞとばかり朝日を攻め立てている。
 要するに、朝鮮の従軍慰安婦などはでっち上げられた歴史の歪曲で、もともとなかったものを朝日など左翼系のマスコミやそれに追従する連中が作り上げた幻想だというものである。極端な言い方だがこんな表現で当たらずとも遠からずというのが昨今のメディアの状況だ。
 エセ評論家の桜井よしこなどは、朝日新聞は速やかに廃刊せよ、とまで週刊新潮の中で言っていると、新聞の広告に載っている。
 別に朝日新聞の肩を持つ積りなどないが、朝日が懺悔したからといって従軍慰安婦問題はなかったなどという、それこそ歴史を捻じ曲げる意見に流されてはいけない。
 中国との関係で行けば、南京虐殺事件などはなかったなどという主張と同根である。
 特定秘密保護法問題、集団自衛権の容認問題など歴史は急速に展開している。一つの方向に走り始めるとなかなか止まりにくくなるというのは歴史が証明している。『過ち』でも突っ走るともう止まらなくなる。

内田樹氏のエッセイ

2014-08-17 21:43:53 | Weblog
2014.8.17(日)
 週刊誌アエラ最新号の巻頭エッセイで、神戸女学院大学名誉教授で思想家の内田樹氏がアメリカについて書いている。
 アメリカは8月8日、イラク北部で「イスラム国」への「限定的な」空爆を開始した。これを内田氏は、過去70年間休むことなく他国に軍事介入してきたアメリカもイラク北部での介入では「及び腰」になっていると評価している。
 内田氏は、これまでのアメリカの軍事介入をインディアンと騎兵隊との戦いにたとえて次のように比喩した。
 『アメリカは軍事介入においてつねに「悪いインディアン」に襲われた「幌馬車隊」の救援に駆けつける「騎兵隊」というセルフイメージを抱いてきた。そのシンプルな物語がついにアメリカ人自身にとってさえ説得力を失ってきたようだ。
 どの国でも、戦闘が一段落すると、感謝してくれるはずの「幌馬車隊」が「騎兵隊」を迷惑がり、追い出しにかかり、ひどいときは「インディアン」に変貌して「騎兵隊」を襲い始めた。
 「いったい私たちは何のために血を流してきたのか?」アメリカはようやく立ち止まって、この根源的な問いに向き合おうとしている。そして、答えが見いだせないでいる。』
 こうした事態を見て、内田氏は日本の現政権をアメリカがどう見ているのか、次のように表現している。
 『かつて10万人のアメリカ人青年の血を流してようやく「民主化」を達成したはずの同盟国の政府が「アメリカの与えた憲法秩序」を棄てて、アメリカの国是である「自由と民主主義」を否定しようとしている様子をアメリカは今ぼんやりと眺めている。自分たちがほんとうは何を守るために戦ってきたのか、アメリカ人自身にももうわからなくなってきているのだろう』
 哲学者でもある氏の痛烈な安倍政権批判である。

やはりいたか アホな国会議員

2014-08-11 19:06:36 | Weblog
2014.8.11(月)
長崎市の田上市長が9日の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で読み上げた平和宣言については、安倍首相の狂信者たちがツイートして罵詈雑言が飛び交うことは想定の範囲だが、東京都選出の国会議員である自民党の土屋正忠氏が自身のブログで「平和を維持するための政治的選択について語りたいなら、長崎市長を辞職して国政に出ることだ」などと書いたという。
 これには驚いた。「政治を語るには『国会議員』にならなければならない」とは驚くべき発言である。国会議員である土屋氏は明らかに地方政治を担っている市長の上に立ち、見下ろしている姿勢である。首長に限らず地方議員も甘く見られているのである。ましてや我々一般国民など屁の河童に過ぎないのであろう。
 こういう発言をする政治家にはつくづく腹が立つ。誰のお蔭で高額の税金を使って政治活動ができていると思っているのであろうか。投票したあなたなんか舐められているのです。
 意見の違いはあって当然。それを認めないでは政治家の資格など全くない。
 そもそも長崎市の平和宣言は田上市長が勝手に書いたものではない。各方面の有識者が集って被爆市ナガサキとして何を世界に向かって発信すべきか、議論のうえ纏めたものであるとされている。気にいらないからと言って田上市長をこき下ろすのは的外れもはなはだしい上に、土屋氏の人格をさえ疑いたくなる発言である。 
 土屋氏に返したい。国会議員を辞めて長崎市長選挙に立候補したらどうか。しかし、長崎市民は決してあなたのような人物を当選させはしないであろう。


長崎平和祈念式典で被爆者代表の平和への誓い

2014-08-10 20:51:34 | Weblog
2014.8.10(日)
 長崎は昨日8月9日、被爆から69年目の日を迎え、平和公園で原爆犠牲者慰霊平和祈念式典を行った。長崎市長に続いて被爆者代表の城台美弥子さん(75)は「平和への誓い」を読み上げたが、その中で集団的自衛権の行使を容認した7月1日の閣議決定を「憲法を踏みにじる暴挙」と鋭く批判した。
 これは原稿にはなかったアドリブであったそうだが、城台さんは「憲法をないがしろにする政治家たちを見て、怒りがこみあげました」と言っている。
 城台さんはさらに続けて、「日本が戦争できるようになり、武力で守ろうと言うのですか」と問いかけたが、これはそこにいる安倍首相に言っているように感じたのは筆者だけではないであろう。
 一方、田上富久長崎市長は集団的自衛権の行使容認について「不安と懸念の声に真摯に耳を傾ける」ことを政府に強く求めた。城台さんの主張に比べれば集団的自衛権容認反対ではなく、「懸念」という表現にとどまったのはいかにも弱いが、市長としては政府や自民党への気配りも必要であったのであろう。しかし、6日の広島市長の平和宣言には集団的自衛権の行使容認という言葉すらなかったことを思えば、田上市長の不戦への思いははるかに立派である。
 一方、安倍首相は6日の広島市の式典でおこなった挨拶が昨年のものとほとんど同じだったと指摘され「コピペ(文章の切り貼り)だ」と批判を受けたが、長崎の挨拶でもおよそ半分が昨年と同じだった。
 そして最後の言葉は、「核兵器の惨禍が再現されることのないよう、非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に、また世界恒久平和の実現に力を惜しまぬことをお誓いし、……」と全く形式的に終わっている。まさに被爆者を侮辱していると言っても過言ではあるまい。

【参考】被爆者代表「平和への誓い」全文 
~前の部分省略~
 今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじる暴挙です。日本が戦争できるようになり、武力で守ろうと言うのですか。武器製造、武器輸出は戦争への道です。いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。歴史が証明しているではないですか。日本の未来を担う若者や子どもたちを脅かさないでください。被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないでください。
 福島には、原発事故の放射能汚染でいまだ故郷に戻れず、仮設住宅暮らしや、よそへ避難を余儀なくされている方々がおられます。小児甲状腺がんの宣告を受けておびえ苦しんでいる親子もいます。このような状況の中で、原発再稼働等を行っていいのでしょうか。使用済み核燃料の処分法もまだ未知数です。早急に廃炉を含め検討すべきです。
 被爆者はサバイバーとして、残された時間を命がけで、語り継ごうとしています。小学一年生も保育園生も私たちの言葉をじっと聴いてくれます。この子どもたちを戦場に送ったり、戦禍に巻き込ませてはならないという、思いいっぱいで語っています。
 長崎市民の皆さん、いいえ、世界中の皆さん、再び愚かな行為を繰り返さないために、被爆者の心に寄り添い、被爆の実相を語り継いでください。日本の真の平和を求めて共に歩みましょう。私も被爆者の一人として、力の続くかぎり被爆体験を伝え残していく決意を皆様にお伝えし、私の平和への誓いといたします。
 平成二十六年八月九日
 被爆者代表 城台美弥子


公共施設で言論封じ

2014-08-07 09:13:41 | Weblog
2014.8.7(木)
 今朝の中日新聞は、「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」と詠んだ市民の俳句を、さいたま市大宮区の公民館が月報への掲載を拒否した、という記事を載せている。
 さいたま市大宮区の女性はこの6月、東京の銀座に出かけた時、年寄りや若い母親らがデモ行進をして「憲法九条を守ろう」と声をあげ、政府が進める解釈改憲への反対を訴えていたのを偶然見かけた。
 冒頭の句はそれを詠ったものだが、地元の公民館が毎月発行する「公民館だより」がその掲載を拒否したというものである。その言い分は「公民館は、政治的に偏った特定の事業を行ってはならないと法律で定められている。世論が大きく二つに分かれる問題で、一方に偏った意見を載せるのはふさわしくないと考えた」と説明しているという。
 新聞はこの言い分に対して名古屋大の松田武雄教授の反論を載せている。「公民館には住民の学習の機会を保障する役割がある。世論を二分する内容だからこそ、様々な考えに住民が触れ、学びにつなげるよう努めるべきだ。公民館の本来あるべき姿に反する」。
 また筑波大の手打明敏教授は「世論を二分しているかどうかは第三者にも判断できない。世の中には、どんな事柄にもいろいろな意見があるのは当たり前。結局は恣意的な判断になる。行政側に見方で作品の掲載、不掲載を決めるなら、言論統制と同じだ」と批判している。
 こうした動きは既に各地で起こっている。松田教授は「いずれも時の政権の意向を敏感に感じた公民館側の自主規制だ。九条俳句の掲載拒否も安倍政権の空気を読んだものだと感ずる」といっている。
 安倍氏は自分のやっていることは積極的な平和主義であり、戦争などひとかけらも起こそうとは思っていない、などと言っているが、すでに彼の意思とは離れて言論、思想信条がおびやかされ、いく末は平和が破壊されるというのは歴史が証明している。

広島原爆の日、被爆者が体験を語る

2014-08-06 22:20:40 | Weblog
2014.8.6〈水〉
 今日は被爆から69年の広島原爆の日である。広島の平和記念公園では43年ぶりという雨の中、午前8時から平和記念式典が開かれた。
 松井一実広島市長は「日本国憲法の崇高な平和主義の下で69年間戦争をしなかった事実を重く受け止める必要がある」と述べたが、議論を呼んでいる集団的自衛権行使については言及しなかった。このことに被爆者らは「市長は逃げている」と批判している。
 戦争と平和の資料館ピースあいちでは、この時期「夏の戦争体験語りシリーズ」と銘打って連日戦争の語り事業を行っているが、今日は広島原爆の日にちなんで原爆体験者に語っていただいた。
 原爆投下直後の悲惨な街中の様子、原爆症によるその後の家族の苦労など具体的、詳細に語っていただいた。狭い会場に100人を超える聴衆が詰めかけ、最後まで静かに聞き入っていた。
 折りしも原爆の日とあって、新聞、テレビの取材があったが、語り手のKさんはどうしても名前を表示することと姿を映すことは拒否を貫かれた。話の中に親族だけでなく、知人らも登場し、その人たちに迷惑をかけるというのがその理由である。
 原爆など二度と使用してはならない、戦争は絶対してはならないとの思いから自分の体験は語らなければならないとして語る気持にはなったが、原爆症への恐怖、その裏に隠された差別の亡霊におびえる悲惨さを私たちは理解しなければならない。身体のケアだけでなく未だに心のケアが必要な実態に心が痛む。
 原爆の傷の大きさをあらためて知る思いである。