名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

今年最後の釣行

2007-12-31 22:15:36 | Weblog
2007.12.31
 日記が後先になったが、12月29日(土)に仲間9人で今年最後の釣行に出かけた。行く先は三重県志摩半島の和具である。29日の早朝、というより深夜午前1時30分に仲間の車に乗せてもらって、途中さらに3人を拾って東名阪国道の安濃SAでもう1台の車と落ちあい、午前6時に和具港に到着した。あいにくの雨の中の道中であったが、6時半の出船と同時に雨はあがり、2メートル程度のうねりはあったものの、風もなく我々としては絶好の釣り日和となった。釣り場は、和具港より20分ほどの沖合いである。近場で、水深も25メートル程度とごく浅いところでの釣りとなった。獲物は、イサキとシマアジである。
 ところで、我々の仲間は一艘の船に何人も乗る場合は、釣り座をくじで決めることにしている。狭い船の中、どこに座っても釣果は変わらないように思われるかもしれないが、これが微妙に差が出るものなのだ。もちろん、最初からどの位置が良いかは分からない。一般的には、ミヨシよりトモのほうが良いとは言われる。ところでミヨシとは船の先をいい、トモとは後方をいう。前に向かって左側を左舷といい、右側を右舷という。
 くじの結果、筆者は1番くじを引いて左舷のトモに座った。港を出てすぐに釣り場に到着、午前7時には釣り開始となった。仕掛投入と同時にすぐに当たりがあり、25センチ小ぶりのシマアジがあがってきた。続いて2匹目もあがり、さらに35cm超の大型イサキもあがった。この間、2~2.5メートルのうねりのため、何度もアンカーの打ち直しがあり、ボツボツという感じで大型のイサキをさらに3匹ほど追加した。筆者の周りの仲間もそんな感じの釣果であった。そのうちの一人は、55センチほどのマダイもつり上げていた。ところが、ミヨシ方向の釣り仲間は、まったく当たりがないということで、釣り場を移動することになった。この日の釣りは、明らかにトモの方が良かったようである。
 20分ほど沖合いに出たところは、水深90メートルと深く、錘も100号以上を指示されたが、それでも糸はどんどん流されて、ミヨシ方向に座った仲間は、釣りにならないという状況であった。それでもしばらく続けたが、トモの仲間3人がチカメキントキを釣っただけに終わった。船頭も、ミヨシの仲間に気を使って再び最初のところへ戻って再開したが、釣れるのはトモばかりであった。筆者は、イサキ3匹とシマアジ1匹を追加することができた。結局、ミヨシの4人は気の毒にも殆どぼうずに近い結果となった。こういう時は、釣れた者が釣れなかった者に分けるということにしている。
 船頭は、この貧果に気の毒がって、70センチほどのワラサ(80センチを超えるとブリという)を全員に土産としてサービスしてくれた。本年最後の釣行としては、淋しいものに終わったが、何しろ自然を相手にしているのだから仕方ないと、こういう時はいつもリベンジを誓ってまたの機会をつくっている懲りない釣り気違いの仲間たちである。

Canonプリンタのインクタンク

2007-12-30 20:47:33 | Weblog
2007.12.30
 パソコンのプリンタには実にいろんな機種がある。それはよい。テレビでもカメラでもその他なんでもメーカーの数どころかメーカーごとにいくつもの機種が販売されている。それもよい。
 そこでパソコンのプリンタに必須のインクタンクについてである。筆者のプリンタはCanonのPIXUS860iである。Canonにも実に多くのプリンタがある。それはよい。しかしそれに使うインクタンクぐらい統一したらどうかと思う。販売店の店頭にはいくつもの種類のインクタンクが並んでいる。自分の使っている機種にあうインクタンクはどれか、よほどしっかりと認識していないと買えない。ということで、筆者の使っているインクタンクと全く同じデザインで僅かに表示が異なっているインクタンクを筆者は間違えて買ってしまった。間違えたのだから基本的には筆者が悪いということを否定はしない。それを使う前に(もちろん開封もしない)違うことに気がついて、販売店へ適合するものに交換してほしいと頼んだが、その場合レシートの提示を求められた。それも販売店としては、当然の要求であろう。しかし残念なことに、筆者はレシートをすでに処分してしまっていたので提示できなかった。したがって交換は不可ということになり、買ったインクタンクは、どうしようもなくごみとして処分せざるを得なくなってしまったという次第である。処分しなくたって誰かにあげればよいではないか、といわれても早々身近にこのインクタンクに適合するプリンタの所有者を見つけることは容易ではない。
 そこで冒頭に戻って、インクタンクぐらいどの機種にも適合するようにすべきだといいたい。販売店の店員は、プリンタは日進月歩でよい機種が開発されている(これはプリンタに限ったことではない。)、したがって、インクもそれにマッチングするようによいものになっているので、旧い機種に合わせるわけにはいかないとメーカーの肩を持つようなことを言う。
 それならば百歩譲って、せめてパッケージぐらい変えて間違いを防いでほしいというものだ。次から次へと新製品を開発して旧いものを使いにくくするという儲け主義の企業姿勢は、いつかは痛い目に逢うであろう。
 Canonのような大企業ならもっと消費者の立場に立って、ものを作ってほしいものである。ちなみに、Canonの御手洗富士夫会長は、現日本経団連会長でもある。

名古屋市の裏金総額1億6千万円!!

2007-12-28 12:28:09 | Weblog
2007.12.28
 名古屋市は27日、1998年度以降の10年間に、裏金は1億6千万円に達していたことが判明したと発表した。
 裏金はこの10年間に、アルバイトの賃金や選挙費用の水増しや架空請求などの手法で、7千万円以上増えていた。全庁調査の実施、発表は三回目だが、今回新たに約1千百万円の裏金が見つかったとのことである。
 さてこうした裏金は、岐阜県庁でのそれが大きな話題となったが、この時を機にどこの団体もこれを他山の石として、見直し、正常化を図ったはずであった。名古屋市はこれらの裏金を私的に流用したものでないと言い訳してきたが(今回の調査では一部私的流用もあったとしている)、未だにこんな裏金作りをしていたことは、時代の流れを認識していなかったと言わざるを得ない。現行の予算制度では、緊急時に臨機応変の対応ができないのは事実であるが、安易な裏金に頼ってしまうというのは公金としての重大性を認識していない体質が染み付いているからではないか。必要なものはきちんと予算に計上したうえで、迅速な執行をする方策を確立し、もう二度と起こらないような再発防止策を早急に作るべきである。

無謀な運転での殺傷は殺人罪!

2007-12-26 10:25:07 | Weblog
2007.12.26
 愛知県春日井市で昨年2月、飲酒運転で赤信号の交差点に突っ込みタクシーに衝突して4人を死亡、2人に怪我をさせたとして危険運転致死傷などの罪に問われた元会社員桑山健被告(27)の控訴審判決が25日、名古屋高裁であった。裁判長は業務上過失致死傷罪等を適用して懲役6年の一審・名古屋地裁判決を破棄、危険運転致死傷と道交法違反の併合罪を適用して懲役18年を言い渡した。
 昨日の夕刊の記事である。さらに記事によると控訴審も一審と同様、危険運転致死傷罪の成立要件である「桑山被告が意図的に赤信号を無視したかどうか」が争点となった、とのことである。この点の見方の違いで、懲役6年と18年の差が出た。当時この男は、酒を飲んだ上に最初の信号を赤にもかかわらず警笛を鳴らしながら突入し、さらに次の交差点も赤信号にもかかわらず突っ込んで乗客4人を乗せたタクシーに衝突、運転手と客ら4人を死亡させ、他の2人も負傷させたというものである。
 この状況からみて「意図的に赤信号を無視したかどうか」など疑う余地など全くない。「意図的」などという本人しか証明できない抽象的な理由を立証しなければ危険運転致死傷罪を適用できないなどというのはそもそも奇怪である。「意図的」でなかったと繰り返していれば、3分の1の罪で済むのかもしれないのだ。
 ときどき、故意に警笛を荒々しく鳴らしながら走り去る無謀な車を見ることがある。今回の事犯は、さらに飲酒運転でもある。そして4人もの尊い命を奪った。「意図的」もくそもあったものでない。これはまさに殺人そのものである。それにもかかわらず、この男は「意図的」ではなかったと罪の軽減を求めているのだから嘆かわしい。
 今回の判決は、一審に比べて3倍の懲役刑となった。しかし、事故でなくなった4人が帰ってくるわけではない。一方、犯人は長くなったとはいえ、懲役刑に過ぎない。また、18年といってもいろいろな理由で早く釈放されることがほとんどである。4人の犠牲からみるとどうしても釈然としない。新聞では遺族の人たちは、「市民の感覚」に立った判決であると評価していると書いていたが、筆者からすれば全く当たり前の判決に過ぎない。無謀・非道な交通犯罪には、もっと厳罰をもって対応すべきである。

薬害肝炎一律救済のサプライズ

2007-12-24 23:07:22 | Weblog
2007.12.24
 福田首相が23日、大阪高裁での薬害肝炎訴訟をめぐる和解協議について、被害者「全員の一律救済」を議員立法により実現することを表明したと今朝の新聞が一斉に報じている。つい先日、一律救済を拒否したばかりだったが、一転、首相の政治決断で方針転換となった。何が起こるかわからない政治の世界、またまたサプライズである。しかし、なぜ議員立法なのかについて、福田首相は「司法、行政の枠を超えるわけだから、新たな立法措置が必要だ」としている。まあ、よい方への転換だからとやかく言わないが、行政のトップが行政の枠を超えられないとは不思議な話ではある。首相といえども官僚の了見には逆らえないということなのか。
 具体的な法案内容については、血液製剤の投与時期に関係なく「症状に応じて救済する」ことになる模様である。しかし「全員一律救済」の内容がまだ分からないため、これで全面解決になるかどうかこれからよく注目する必要がある。
 東京原告の久野郁子さん(49)は「(解決が遅れるほど)肝炎患者の病気は進行してしまう。(立法で)国の責任と謝罪を盛り込み、早期に救ってほしい」と話している(中日新聞)。
 それにしても落ち目の福田内閣にとって、こんなタイミングの悪い転換を図らざるを得なくなったことは、よい転換とはいえ、みえみえの人気取り策である。

長期脳死状態の延命中止

2007-12-23 21:58:42 | Weblog
2007.12.23
 頭のけがが原因で約半年間「長期脳死」の状態だった40代の女性患者について、秋田赤十字病院が2006年3月、病院の倫理委員会の承認を得て人工呼吸器を含む延命治療を中止していたことが分かったと、今朝の新聞が報じている。すでに1年半も前のことである。この場合、家族も立会い、女性は間もなく亡くなったとのことである。
 病院側は「臨床的脳死判定をし、院内全体で議論をした結果」としており、日本救急医学会が今年10月にまとめた終末期医療に関する指針にも合致する対応だが、脳死後も長期間心停止にならず「死期が差し迫ったとはいえない」状態での中止は極めて異例とも報じている。
 家族は当初、治療継続を希望。病院側は栄養や水分補給、呼吸器のほか、ホルモン補充療法などを実施した。しかし、約2ヵ月後の再判定でも変化はなく、CTでも脳全体の壊死が確認された。家族の気持ちは揺れたが、06年2月ごろには「そろそろ見送って上げたい。呼吸器も含め中止してほしい」と固まった。患者本人の意思を確認した文書などはなかったが、病院側は適切な手順を踏んだ上、倫理委員会を開催、「家族の理解があれば、延命治療の中止は是認できる」と中止を承認した。
 これを受け、家族が見守る中、治療を中止、女性は約20分後に亡くなった。 心停止後、生前の意志に基づき腎臓と眼球は移植に使われた。
 以上が報道の内容である。筆者は病院側の対応に全く異論はない。あえて言えば、患者本人の意思を示す文書がないことが完璧さには欠けるが、今回のような事故による場合は、本人の意思を示す文書などないのが普通である。今回の病院の対応は、そうしたことを補うきめ細かい手順を十分に踏んだものである。
 これに対し、市民団体「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」の清水昭美事務局長なる人が「患者の意思が分からない時に家族の判断で生命を左右してはならない。患者の元気なころの意思表示があってさえ、治療中止は慎重に考えなければならないのに、それを家族の意思に委ねてしまうのは大変危険だ。家族が決められるという一歩を踏み出してしまえばやがては長期の意識障害の患者や家族の負担になる障害者にも生きることをあきらめてもらおうという、命を粗末にする社会につながるだろう」というコメントを載せている。
 この人にとっては他人事だからこんなことが言えるのであろう。全く腹の立つ見解である。いかにもかっこいいことをいっているように見えるが、とりあえず今日のところは、もっと現実を直視しようというにとどめる。
 

薬害肝炎訴訟ー和解協議決裂

2007-12-20 21:31:48 | Weblog
2007.12.20
 薬害肝炎訴訟をめぐる和解協議で、一律救済は国として受け入れられない方針を示したため、症状に応じた全員一律救済を求める原告側と、できる限り責任範囲を狭めたい国側との深い溝は埋まらなかった。
 今日の新聞は、次のように報じている。
 これまで、昨年6月の大阪地裁以降、福岡、東京、名古屋の4地裁は国の責任を認めたが、今年9月の仙台地裁判決は国に責任はなかったとした。今回11月7日、大阪高裁は和解を勧告、「全員一律一括救済が望ましい」とした上で「被告の格段の譲歩のない限り、和解案として提示しない」との見解を示していた。
 国側が譲れない基準として固執した東京地裁判決は、血液製剤フィブリノゲンの緊急安全性情報の配布が完了した1988年6月以降、国・企業ともに責任はないと判断した。しかし、その後に製造された汚染製剤を投与されたケースについて、判決は判断していない。
 今回の政府案が通れば、こうしたケースについて国や製造企業が責任を認めないまま、「つかみ金」だけを渡すことになる。その意味でも不十分な修正案といえる。
 以上が報道の骨子である。
 原告・弁護団は「被害者が線引きされている」として和解協議を打ち切る方針を表明したとのことである。解決は長引き、長期化は必至と思われる。
 汚染された血液製剤を投与されたために、C型肝炎に感染してしまった患者らに何の罪はなく、ほんとに気の毒である。加害者の無責任な行為によって、患者たちの一生が台無しになったことはもちろん、このために巨額の税金を投入することになってしまった責任が放置されることに全く腹が立つ。

戦争と平和の資料館ピースあいち《入館者一万人達成》

2007-12-14 16:00:18 | Weblog
2007.12.14
「戦争と平和の資料館ピースあいち」が今年5月、名東区にオープンして7ヵ月余りが経過した。筆者は、このピースあいちの建設・開館・運営にボランティアとして関わってきたが、今日(12月14日)めでたく一万人の入館者を迎えることができた。昨日の段階で、すでにあと僅かと迫っていたので、今日の団体入場者、三重県員弁町の三里小学校6年生50余名が入場した段階で一万人に達した。こうした時は、大体主催者は記念品を該当者に贈呈するものであるが、今回は小学生の一団の一人ということが分かっていたので、学校への記念品として贈呈した。記念品は、ベトナムの障害を負った子どもたちが、日本国憲法第9条の英語文を刺繍で縫い上げたものを額に装丁したもので、ピースあいちの記念品にふさわしいものと考えた結果である。子どもたちも喜んでくれた。きっと、学校のどこかに飾って眺めてくれるであろう。
 それにしても、7ヵ月余りで一万に達したのは、想定外の早さであった。もっとも、オープン直後は、多勢の入館者で賑わったが、最近では時として1日当り10人に満たない日もある。これからは、団体入場者を増やすことが課題である。

豊かな大都市と貧しい地方

2007-12-13 22:05:20 | Weblog
2007.12.13
 石原東京都知事と福田首相は、都市と地方の自治体の税収格差を是正するため、東京都の法人事業税3千億円を国に移譲し、地方に再配分することを合意したとのことである。このことについては、愛知県についても8百億円を移譲することを求められており、神田知事は猛烈に反対を表明していたが、外堀を埋められる形で移譲額の大幅減少を条件に容認することになった。
 ところで、この3千億円とか8百億円というのは、地方交付税の算定において基準財政収入額と基準財政需要額との間で収入額が超過するいわゆる不交付団体のうち、その超過額が最も大きい4団体(東京都、愛知県、神奈川県、大阪府)から超過額の一部を交付団体のうちでも特に税収の少ない地方に再配分するというものである。愛知県が特に不満に思っているのは、東京都の削減見込み額(3千億円)が超過税収(1兆6千億円)の約2割であるのに対し、愛知県の削減見込み額(8百億円)は超過税収(千二百億円)の約7割に当たるということで、県財政に与える影響の大きさを憂いているものである。ただ、今日の報道によると、愛知県の削減額は4百億円にまで引き下げられたとのことではある。
 この問題は、愛知県人としては、必ずしも納得しかねるものではあるが、一面、全国民が等しく施策を享受できるようにすべき国政の役割からみると、次善の策ではあるように思える。まあ、そのぐらい広い心を持つべきであろうか。
 ただ、愛知県はこのお金ばかりでなく、県民が払っている国税は、もともと巨額であり、その割りに愛知県下あるいは名古屋市への国費の投入がいかにも少ないという不公平感をぬぐうことができない。東京都はいうに及ばず、他の都市においてもそれなりの国立施設がつくられ、そこでの住民は恩恵に預っているが、愛知県において、大学や国の出先機関などどこでもあるものの他に、一体何があるというのであろうか。こういうことに気づいている県民は余りいないと思われるが、この辺が愛知県民の人のよさ、甘さであろうか。あるいは、大物政治家が不在のせいか。
まあ、こんなけちなことを言っていても始まらないのかもしれないが!!

火葬場での心付け

2007-12-13 21:20:31 | Weblog
2007.12.13
 名古屋市の八事斎場の職員が、希望者の多い正面の炉を割り振る見返りに、葬祭業者から多額の現金を受け取っていたと、今朝の新聞が報じた。これもまたサプライズだ。名古屋市では、先に区役所などでの裏金問題で古い体質から抜け出せない姿を見せ付けていたが、またまた隠ぺい体質をさらけ出した。
 もともと火葬場に於けるこうした心付けは、官営であろうと民営であろうと全国どこでも遺族がお礼の気持ちから、一つの慣習として行われてきた。
 最近の葬儀は、昔のように自宅やお寺で行うのではなく、ほとんどが葬祭業者の仕切る葬祭場で行い、寺のお坊さんから火葬所までの車の手配、初七日、香典返しに至るまですべてセットで葬祭業者が請負う形となっている。昔は、この経費の中に、車の運転手への謝礼や火葬場に於ける職員への謝礼もちゃんと含まれていたものである。いや、今でも少なくとも霊柩車やタクシーの運転手への謝礼(チップ)は必ず料金の中に含まれている。火葬職員への謝礼も、10年ほど前までは当然のごとく含まれていたが、地方団体が運営する火葬場においては、火葬職員といえども公務員であるということから、当時、現金の受け取りを断る火葬場が一般的になったはずであった。それがまだ続いていたということである。
 ただ、こうした類のことは昔の日本においては、いわゆる悪しき慣習とでも言おうか、こんな人の嫌がる仕事で本当にご苦労様という気持ちから無理やり置いていく人たちが多かったことも事実のようだ。かっては、ごみの収集職員に対しても心付けが行われていたぐらいである。
 公務員が、こうしたお金を受け取ることはもってのほかであることは言うまでもないが、他のことでもそうであるように、見返りを期待して贈るほうも悪いことを肝に銘ずべきである。