名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

チリでM8.6の巨大地震 津波警報で日本中が緊張

2010-02-28 21:48:01 | Weblog
2010.2.28(日)
 南米チリで27日午前3時34分(日本時間午後3時34分)、マグニチュード(M)8.6の大地震が発生した。震源地から325キロ離れた首都サンティアゴでも建物が損壊し、また橋が崩壊したと伝えられる。
 日本はこの大地震の影響で、28日一日中津波におびえた。青森県の太平洋沿岸、岩手県、宮城県には大津波警報が出され、その他北海道から沖縄まで津波警報が発令され、それに伴って、太平洋沿岸ではいたるところで避難指示や避難勧告が発令され、住民は翻弄された。
 丁度50年前、1960年5月23日、チリ沖地震によって太平洋沿岸では1~4メートルの津波に襲われ、死者・行方不明者142人も出した苦い経験がある。
 日本への津波の到達は、父島、南鳥島などへ28日午後に入り、後は順次沖縄や北海道、東北沿岸へ到達、愛知県などへは午後4時以降の見込みであった.最初のうちは20センチ、50センチなど水位の上昇は比較的小規模であったが、時間が経つにつれ1メートルを超え、場所によっては道路が冠水したり、家にまで浸水するところも出てきた。午後9時前のNHKニュースでは高知県須崎港で午後7時40分、1.2メートルの津波が押し寄せたと報じている。第一波よりも後の波のほうが高い場合があるとされ、警報は続いたままである。ただ、岩手県などに出されていた大津波警報は津波警報に切り替えられた。
 国外の地震による日本への津波としては、チリ沖地震のほかに2004年スマトラ島沖の地震による津波が記憶に新しい。日本では死者などの影響はなかったが、インド洋などの沿岸諸国で25万人を越える死者を出した。
 国内発生の地震による津波として記憶に新しいのは1983年の日本海中部地震がある。この時、筆者は出張で札幌にいて地震を体験したが、地震の被害よりも秋田県沿岸を襲った津波で遠足に来ていた児童が巻き込まれ、死者・行方不明者は100人に達したことを覚えている。
 また1993年の北海道南西沖地震では、奥尻島に30メートルを超える津波が押し寄せ、死者・行方不明者は198人にのぼった。
 このように津波の被害も地震に劣らず大きいし、恐ろしいことを肝に銘ずべきであろう。
今日のNHKの報道は、さすがのバンクーバーオリンピックもどこへやら、津波一色であった。


真央ちゃん 悔しい銀!!

2010-02-27 10:35:02 | Weblog
2010.2.27(土)
バンクーバー五輪14日目の25日(日本時間26日)、女子フィギュアスケートのフリーが行われ、日本中がテレビに釘付けになった。いよいよ、日韓のエースが金メダルを巡っての最後の対決である。その名は日本の浅田真央と韓国の金妍児(キムヨナ)。S Pでは既に、金妍児が首位に立っていた。それでも、日本人は真央の逆転勝利を期待していた。
 先行の金妍児が自身の持つ世界歴代最高を18点以上も更新する228.56を出した。解説者はこれ以上ない完璧の演技だったという。立ち向かった真央は、序盤から二度のトリプルアクセルを決めて果敢に挑戦した。しかし真央の挑戦もここまでだった。終盤ジャンプのミスが2回出た。それは僅かなものではあったが、素人の目にもわかるミスであった。後で、真央は「少し疲れが脚にきていた」と言ったように本人も分かっていた。それでも205.50の自己最高点をマークして、銀メダルを獲得した。
 終了後のインタビューで真央は、「長く感じたけれど、あっという間でした」と言った後、激しく泣いた。7歳の時からあこがれ続けた五輪の舞台で、金だけを目指してきた真央にとって、その涙が悔しさの表現だったのであろう。
 しかし、誰も恥じない銀である。立派な銀であり、胸を張ってよい銀である。すごいご褒美である。
 なお、名古屋からは3人の選手が出場したが、安藤美姫は5位、鈴木明子は8位といずれも入賞した。フィギュア王国名古屋の面目躍如である。

高校授業料無償化法案への疑問

2010-02-26 15:19:37 | Weblog

2010.2.26(金)
 鳩山政権の重要政策の一つが高校授業料の無償化である。高校生の授業料を無償化するということは、高校の全入化ということがその前提であるはずである。いわば高校も義務化するということである。しかし、今の高校生を見ていると、多くの子は真面目に勉学に励もうとしていることは間違いないが、学校の授業についていけず、勉強する意慾ももともとない子が少なからずいるということも事実である。能力があろうがなかろうが、勉学の意慾があろうがなかろうがとにかく高校へは入れと無理やり行かされていると思しき生徒を見ていると、むしろ可愛そうである。したくもない勉強についていけず、結局は落ちこぼれてしまう。さらに秩序を乱し、荒れた生徒へと成長して学校も手を施すすべを失う。
 それにもかかわらず、世論は高校の全入制を叫ぶ。授業料の無償化はそれに迎合しようとするなにものでもない。なにも学校へ行くことだけがよいとはいえない子どもも大勢いる。素晴らしい技能を持った子をその道で育てることの方がはるかによい。
 結局それは、学歴社会の悪弊なのであろうか。大学などもこれと同じことがいえる実態のようである。私学の教員をしている友人によると、なぜこのような学生が大勢いるのか理解に苦しむという。またそんな学生でもちゃんと卒業していく。大学にとっては、学生ができようができまいがどうでもよいらしい。大勢の学生が受験し、高額の入学金を払って、さらにきちんと授業料をはらってくれさえすればよいのである。
 高等教育というもののあり方は一体どうなっているのか心配である。
 話が脱線したが、高校授業料無償化法案がこの4月実施に向けて国会で審議が始まった。審議拒否をしていた自民党も審議に戻った。
 この法案は、公立高校では授業料を徴収せず、私立高校では所得に応じて年118,800円~237,600円の就学支援金を学校に一括支給するとするものであり、その所要額は約4千億円という。これも大衆迎合のバラマキである。
 本来の姿は、能力があっても所得がないために学校へ行けない人への支援を強化することであり、一方、勉学よりも技能を育てたほうがその人の能力をのばせると思われる人には技能訓練所の整備などでこたえてあげることである。個人差を無視した学校偏重の社会に警鐘を鳴らす人はいないのであろうか。    

ジョーカーを握らされた豊田章男社長

2010-02-24 19:52:10 | Weblog
2010.2.24(水)
 トヨタ自動車が、自社の自動車の品質問題をめぐって窮地に陥っている。昨年秋のフロアマットの不具合に始まって、アクセルペダル不良、プリウスのブレーキ不良など次々と品質の問題点が指摘され、その対応をめぐって米国メディアから総攻撃を受けている。昨年8月のレクサス車の暴走事故による家族4人の死亡事故や数年前のカムリの不具合による事故から女性が死亡したことも全米で報道されて、まさにトヨタたたきが最高潮に達している。
 そして、米議会下院のエネルギー・商業委員会の公聴会が23日に始まった。これには米国トヨタ自動車販売のジム・レンツ社長が呼ばれた。
 一方、豊田章男社長は24日(日本時間25日午前1時)、米議会下院の監視・政府改革委員会の公聴会に証人として出席し、意見を述べることになった。トヨタ社長は長時間にわたって針のむしろに座らされることになる。
 そもそも、今回の大規模リコールは昨年社長に就任したばかりの豊田社長になってから起こったこととはいえない。
トヨタ自動車はあくなき業務の拡大を目指して成長を重ね、GMをたたいてあっという間に世界最大のメーカーにのし上がってしまった。その芽は、奥田社長時代から顕著に現れ、張、渡辺と受け継がれてきた。いつのまにか安全第一よりも業務拡大が優先する体質が染み付き、結果としてトヨタ自動車のバブルが弾けたといえる。豊田社長の前任者らはこれを見越して創業家の豊田章男氏を社長に担ぎ出し、荒波に放り出した。気の毒に、章男氏はまさにババを掴まされたのである。創業家なら世間の同情を集めやすい、何とか乗り切れる、という見事なまでの先読みである。
 これは果たして想像力豊かな夢であろうか。

今日は、平成22年2月22日という2並びの特異日

2010-02-22 18:15:56 | Weblog
2010(平成22)年2月22日
 今日は元号で年月日を見ると2が5個並ぶ特異日である。こういう日に子どもが生まれるとか、結婚するとか、ゲンを担ぐ人にとってはたまらない日ではある。
 22年前に生まれた人は、当然のことながら今日で22歳の誕生日を迎える。昭和22年2月22日に生まれた人も、何となく今日は縁起がいいと感ずる日ではある。
 平成22年2月22日22時22分ともなると2が九つも並ぶ。こういう例で近くは、平成11年11月11日11時11分という1が10個並ぶ日もあった。これが平成33年ともなると、平成33年3月3日3時33分と7個どまりである。
 こういう日にあやかって、鉄道各社はこぞって記念切符を売り出したが、どこも完売したという。11月22日は語呂合わせで「いい夫婦」と言っているが、今日の2並びも夫婦に通じ、夫婦割引キップを売り出した鉄道もあるらしい。
 勿論、郵便局も記念切手を売り出したことはいうまでもない。その切手を使って今日手紙を出せば、今日づけの消印がついてさらに値打ちが高まるといって、多勢の人たちが手紙を出したともいう。あるいは、わざわざ自分宛に出した人もいる。
 福島県二本松市二丁目2番地にある郵便局では、市の名前に2がからんでおり、番地まで2尽くめという理屈から特別な記念切手を発売して商魂たくましさを発揮した。
 また今日はなぜか知らないが、「ネコの日」である。2.22が猫の鳴き声に似ているというこじ付けらしい。この2並びの日を記憶にとどめるため、ネコの写真を撮ってそこに今日の日付けを打ち込むことで、満足できるならばそれもよい。
 写真は我が家の愛猫「ロマン」である。
 

選択的夫婦別姓の民法改正案浮上

2010-02-20 09:57:58 | Weblog
2010.2.20(土)
 法務省は19日、夫婦が同姓、別姓を選べる「選択的夫婦別姓制度」を柱とする民法改正案の概要を示した。
 その概要は自公政権時代の法制審議会が1996年に出した答申と同じ内容だという。自民党内には反対論が根強くまとまらなかったが、鳩山政権では今国会の提出を検討している。千葉法務大臣は3月の改正案閣議決定を目指して準備を進めているというが、国民新党の亀井静香代表が反対をとなえているからまだその先行きは不透明である。
 示された概要は、夫婦は婚姻の際に同姓か別姓かを決定し、別姓にした場合、子どもは夫婦どちらかの姓に統一する。いったん決めた後は転換できない。改正法施行前の夫婦も施行後1年以内なら別姓に変更できるが、子どもの姓はそのままとする。ということはすべての夫婦が別姓にするチャンスがあるということか。
 世論調査によると、選択的夫婦別姓の賛成派が初めて反対派を上回ったという。現状では結婚に際して夫の姓を名乗る女性は2~3%しかいないが、若い女性は8割以上が選択的夫婦別姓に賛成だという。
 夫婦同姓または別姓のメリット、デメリットはいくつも言われているが、女性の自立がいわれ、その社会参加がすすんでいる現状から見ても夫婦別姓は認められてしかるべきであろう。勿論、同姓に強くこだわる人々も大勢いる以上、別姓を強要することもない。 
 これも時代は変わるという一つのうねりかもしれない。

藤田まことさん死去

2010-02-18 21:40:18 | Weblog
2010.2.18(木)
 俳優の藤田まことさんが17日午前、大動脈からの出血により死去したと今日の夕刊が報じている。享年76歳。
 50年近くも前になるが、白木みのるさんとのコンビで主役を務めた「てなもんや三度笠」で大ブレイクしたのを覚えている。その後忘れていたが、「必殺」シリーズと「はぐれ刑事純情派」は、何か性に合い必ず見ていたし、見られないときは録画をするという念の入れようであった。最近は藤田まことさんも歳を取り出演が少なくなったが、上記の「必殺」「はぐれ~」シリーズの再放送は毎回録画しながら見ていたものである。
 それだけに何の縁があるわけではないが、藤田さんの死は心にずしりと響く。
 今年になって身近なほぼ同年輩の友人が二人鬼籍に入った。はるか先輩が亡くなることは自然の理として止むを得ないものとして納得するが、同年輩の死に接するといかにも早すぎると納得しかねる。
 しかし人生五十年の時代からみれば、人間還暦を過ぎれば誰が逝ってもおかしくないのかもしれない。ましてや古希を過ぎれば後は天命なのかもしれない。

名古屋市長河村党の市議候補に58人応募

2010-02-17 09:04:29 | Weblog
2010.2.17(水)
 今朝の中日新聞によると、河村たかし名古屋市長の支援団体「河村サポーターズ」は市長のマニフェストを支持する市議選候補者に58人の応募者があったと報じている。
 河村市長は議会改革として、議員定数と議員報酬のそれぞれ半減化を目指して2月定例会に条例案を提出する意向を示している。これが受け入れられなければ、河村サポーターズが「議会解散」を求める署名集めを開始するのではないかとの観測が流れている。
 仮にこんなことが実際になったら恐ろしいことである。サポーターズの代表は元岐阜県御嵩町町長の柳川喜郎氏であるが、この人はもっとまともな人と思っていたが、とんでもない思い過ごしであった。この人が責任者になって58人の応募者と面接し、立候補する選挙区を視野に入れて候補者を決めるという。この候補者を16区にばらまいて、結果38人以上を当選させることができるとなると、名古屋市政は河村党一色になり市長の思うままに何でもやれてしまう。市議も半減すれば全員が河村サポーターズになってしまう。ヒットラー体制そのものである。
 何となく河村ムードで市長を選んでしまった市民意識では架空の世界とはいえない。あの小泉郵政選挙や民主党の政権交代ムードの再現である。

陸自・中澤剛連隊長の発言の波紋

2010-02-15 20:41:41 | Weblog
2010.2.15(月)
 陸上自衛隊の第六師団第44普通科連隊長中澤剛1等陸佐が2月10日、宮城県での陸上自衛隊と在日米軍との日米共同訓練の開始式で、陸上自衛隊を代表して日米同盟の重要性を訓示する中で、次の発言が話題を呼んだ。
 「同盟というものは、外交や政治的な美辞麗句で維持されるのではなく、まして『信頼してくれ』などという言葉だけで維持されるものではない」
 この発言を受けて陸上幕僚監部広報室は「鳩山総理を含め、特定の政治家や政治家の発言を引用したり批判したりしようとしたわけでなく、訓練を通じて現場の信頼関係を築くことの重要性を説いたつもりだ」と説明を行った。
 北沢俊美防衛大臣は「文民統制の観点から問題がある」として文書による注意処分とした。これは懲戒処分ではない。
 このことについて、村井嘉浩宮城県知事は「中澤氏の発言はもっともだ。自分だったら処分などしない」と語ったとラジオが報じていた。
 村井知事は大阪府豊中市の出身で、1984年に防衛大学を卒業後、陸上自衛官に任官。東北方面航空隊などを経て1992年に退官。1995年、松下政経熟を卒熟し、同年宮城県会議員に当選、以後3期連続当選、自由民主党宮城県連幹事長などを歴任した後、2005年、宮城県知事に立候補して当選。2009年再選という経歴の持ち主である。
 この経歴を見れば、村井知事がこういう発言をした理由がよく分かる。しかし、村井氏は自衛隊にいながら組織論を全く理解していない。ましてや軍隊で上官の意思や命令を批判したり無視することの重大性が理解できないようでは心もとない知事である。
 村井知事が今の立場で何を言おうと何の問題もない。しかし、中澤連隊長が自分の最高の上官である総理大臣の発言を公式の場で批判することなどありえない。鳩山総理の言葉が正しいとか正しくないとかの問題ではなく、それ以前の問題である。
 制服組の間では、上に向かって批判することは許されないが、文民に対しては何を言おうと問題ないというのであれば、我々市民は不安で仕方がない。
 言い訳をしている防衛省の幹部も村井知事もこの上なく頼りない。

自民党もここまで落ちたか ― 母親の喚問要求

2010-02-14 17:22:40 | Weblog
2010.2.14(日)
 政治と金をめぐって、鳩山首相が母親から多額の資金提供を受けていた問題で、自民党の町村信孝元官房長官は、母親を健康上国会へ喚問ができないなら、『出張尋問も視野に入れて対応したい』とN H Kの国会討論会で発言したという。
鳩山首相の政治資金についての説明は確かにあやふやなところがあり、信用しがたいところであるが、自民党もここまでくると、「そこまでやるの」と言いたくなる。予算委員会で、肝心の予算のことはほったらかしてほとんど審議に値することはしないで、こんなことばかりで賑わしている。民主党は高齢で病弱な母親を尋問することは人道問題であるとして拒否しているそうだが、それはそれとしてもういいかげんにしてもらいたい。
 国民はもうよく分かっている。鳩山首相の説明で納得できない人は民主党を支持しないだけのことだ。特に小沢幹事長の金の問題ではもっと嫌気がさしている。国民は賢明なのだからこのあたりですでに審判を下している。
 むしろ今度は自民党の内容のない度を越した追求はむしろみっともない。自民党も『貧すれば鈍す』の類に陥ってしまっている。敵失を責めているつもりが、今度は自分の失策となっていることに気がつかないという、これは正にカリカチュアである。 
 子ども手当て、高速道路問題、はてしない借金、消費税問題、失業問題、景気対策などなど予算委員会にふさわしい、議論すべき問題は山とあるはずだ。
 国会議員は与野党を問わず、もっと冷静になってその職責を全うしてもらいたい。