2009.6.30
我が家の愛犬ランディが死んだ。2009年6月30日午前1時、15年の生涯であった。
昨年の秋ごろだったか、ランディの後ろ足が弱ってきて、歩くのに少し苦労していた。
今年の正月、恒例の滝ノ水公園での初日の出にランディも連れて出かけたが、思うように歩けないうえに、公園の階段も上がれないので、斜面を歩いて登ったために初日の出に遅れてしまった。それでもこの時はまだ何とか歩けたのだ。
その後、日に日に後ろの両足は衰え、平面でも引きずって歩き、階段はだんだん自力では登れなくなっていった。
それでも食欲は旺盛で、いつも食べるものを欲しがり、パンなどを与えると貪るように食べていた。
しかしここ1か月ほどの衰えはひどく、排尿で体が濡れても自分ではどうすることもできず、連れ合いがいつも水で洗っていたが、その痛々しさは哀れでならなかった。
それが昨日になって、急に食欲も衰え、じっと動かなくなってしまった。そして連れ合いが看取る中、30日、午前1時ごろ、息を引き取った。
ウエルシュ・コーギーのランディが我が家に来たのはもう15年も前のことだ。
足が短いくせに走るのは結構早くて、なんでも興味を示して元気そのものだった。いつも近くの公園でボール遊びをするのが好きで、必死にボールを追いかけていたことが昨日のことのように思い出される。
ランディは忠実な番犬でもあった。来客があると必ずほえて教えてくれた。見知らぬ人に対しては強い警戒心を持っていたので、空き巣は近寄れなかったに違いない。
ランディは太り気味なことから食事が制限されていたために、いつも食べものを欲しがっていた。食べ物さえ与えれば、誰に対しても忠実であった。この性質を知っていれば、空き巣も易々と忍び込めたであろう。
コーギー犬は、足が短く、その割りに胴が長くて何となく愛くるしい姿をしている。楽しい家族の一員であったが、犬にとって15年の生涯は十分といえる。
我が家のペットはこれで猫のロマンだけになった。かつては、猫4匹に犬1頭と大所帯であったこともあるが、随分と寂しくなる。
猫は食事さえ与えておけば、少々家を空けても心配ないが、犬はそんなわけにはいかない。従って、夫婦そろっての旅行は制限されざるを得ない。犬を飼うことのむつかしさでもある。
ランディが天国で他のコーギー犬とじゃれて走り回る姿を想像しながら冥福を祈るとしよう。
我が家の愛犬ランディが死んだ。2009年6月30日午前1時、15年の生涯であった。
昨年の秋ごろだったか、ランディの後ろ足が弱ってきて、歩くのに少し苦労していた。
今年の正月、恒例の滝ノ水公園での初日の出にランディも連れて出かけたが、思うように歩けないうえに、公園の階段も上がれないので、斜面を歩いて登ったために初日の出に遅れてしまった。それでもこの時はまだ何とか歩けたのだ。
その後、日に日に後ろの両足は衰え、平面でも引きずって歩き、階段はだんだん自力では登れなくなっていった。
それでも食欲は旺盛で、いつも食べるものを欲しがり、パンなどを与えると貪るように食べていた。
しかしここ1か月ほどの衰えはひどく、排尿で体が濡れても自分ではどうすることもできず、連れ合いがいつも水で洗っていたが、その痛々しさは哀れでならなかった。
それが昨日になって、急に食欲も衰え、じっと動かなくなってしまった。そして連れ合いが看取る中、30日、午前1時ごろ、息を引き取った。
ウエルシュ・コーギーのランディが我が家に来たのはもう15年も前のことだ。
足が短いくせに走るのは結構早くて、なんでも興味を示して元気そのものだった。いつも近くの公園でボール遊びをするのが好きで、必死にボールを追いかけていたことが昨日のことのように思い出される。
ランディは忠実な番犬でもあった。来客があると必ずほえて教えてくれた。見知らぬ人に対しては強い警戒心を持っていたので、空き巣は近寄れなかったに違いない。
ランディは太り気味なことから食事が制限されていたために、いつも食べものを欲しがっていた。食べ物さえ与えれば、誰に対しても忠実であった。この性質を知っていれば、空き巣も易々と忍び込めたであろう。
コーギー犬は、足が短く、その割りに胴が長くて何となく愛くるしい姿をしている。楽しい家族の一員であったが、犬にとって15年の生涯は十分といえる。
我が家のペットはこれで猫のロマンだけになった。かつては、猫4匹に犬1頭と大所帯であったこともあるが、随分と寂しくなる。
猫は食事さえ与えておけば、少々家を空けても心配ないが、犬はそんなわけにはいかない。従って、夫婦そろっての旅行は制限されざるを得ない。犬を飼うことのむつかしさでもある。
ランディが天国で他のコーギー犬とじゃれて走り回る姿を想像しながら冥福を祈るとしよう。