名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

あいちトリエンナーレ2010

2010-08-29 22:01:32 | Weblog
2010.8.29(日)
『都市とアートが響きあう、3年に一度の国際芸術祭。現代美術と舞台公演、世界の最先端が集結』
と銘うって、あいちトリエンナーレ2010がこの8月21日から名古屋市を中心に始まっている。
 第一回目は『都市の祝祭 Arts and Cities』をテーマに、現代美術の国際展や舞台公演を通して現代アートを紹介する、としている。
 神田知事が会長の県主導のイベントであるが、一体、いつ誰が提唱してこのような大がかりな現代アートのお祭を始めようということになったのか寡聞にして知らないが、何となく唐突な感じが否めない。
 6年前にオープンした金沢21世紀美術館が、現代アートを発進する美術館として話題を呼び、多くの入館者を呼び込んでいることに刺激を受けたのであろうか。

 あいちトリエンナーレ2010では、名古屋市美術館の現代アート展をメインに、長者町会場、納屋橋会場、久屋大通公園、名古屋城などの都市空間を利用して世界のアーティストたちの作品を展示している。
 一方で、愛知県芸術文化センターや白川ホールなどでは、音楽会で盛り上げる趣向のようになっている。

 今日、この催しの観覧券を手に入れていたので市美術館、長者町会場、納屋橋会場などを訪れたが、正直、現代アートは凡人の筆者には理解が及ばない。そもそも理解しようとするのが間違いかもしれない。美しいとか、驚きとか、感動とかなんらかの喜怒哀楽が感じられる人が羨ましい。
 鳴り物入りの宣伝の割には、また日曜にもかかわらず観覧者の数は何かさびしいものではあった。

おとり捜査に協力して逮捕とは!!

2010-08-28 07:17:18 | Weblog
2010.8.28(土)
 知人らの強盗計画に誘われたが、事前に佐賀県警に通報し、『おとり捜査』に協力したのに逮捕、20日間も拘留された上、実名で報道発表されたのは違法として、県に損害賠償を求めていた裁判の判決があった。
 事件の概要は、原告の原一弘さん(39)が07年7月28日、友人の暴力団幹部から誘われた強盗計画を阻止してもらおうと警察に通報したが、佐賀署から予定通り行動するよう要請され、別の男ら3人を車に乗せて現場の民家に到着したところを強盗予備容疑で逮捕されたというものである。
 原さんは起訴猶予処分にはなったが、「計画をやめさせようとしていたのに現場に行かせたのは新たな犯罪を作り出したことになり違法。さらに共犯であったとの報道発表は事実に反する」として県に330万円の損害賠償を求めていた。
 警察側は「原さんの承諾のもと、内部通報者と分からないよう原さんの安全を守るためだった」などと反論していたという。
 判決で裁判長は、計画を進めることを要請したのは犯罪を作り出すことになるとした上で「警察の責務に照らして許容限度を超えており違法」と指摘。報道発表についても「捜査協力のための行為を犯罪行為としたのは誤った内容」と違法性を認めた。
 これは素人目に見ても妥当な判決である。そもそも警察に協力して犯罪を止めようとして事前に通報したのに、わざわざ犯罪を起こさせ、その協力者まで逮捕して犯人として公表したのである。しかも20日間も拘置所に拘束した。何をかいわんや、これこそ警察の立派な犯罪である。
 損害額については、謀議の時点で逮捕される可能性もあったとし、33万円と認定した。
 この判決に対して、佐賀県警の主席監察官は、「当方の主張が認められず非常に残念。判決内容を精査した上で控訴するかどうかを判断したい」と述べたというから、これには全くあきれてものが言えない。反省のかけらもない。権力を持っているものの恐ろしさを改めて痛感する事件である。

グリーンピースの窃盗裁判

2010-08-27 07:29:18 | Weblog
2010.8.27(金)
 8月26日付け中日新聞が『ニュースの追跡』欄の記事として、グリーンピースの窃盗裁判事件の判決(9月6日 青森地裁)を前にして特集を組んでいた。
 この事件は、2008年に環境保護団体「グリーンピース・ジャパン」(以下GPJという)の職員二人が宅配中の鯨肉を盗んだとして窃盗罪に問われたものである。
 「調査捕鯨船の船員が鯨肉の横流しをしている」という元船員の内部告発から不正行為の疑惑調査が始まったが、GPJの二人が鯨肉横領疑惑の『証拠品』として鯨肉を「盗んだ」というのである。
GPJの二人が逮捕された当時「告発のためなら(窃盗いう)犯罪も許されるのか」ということばかりが注目され、船員たちの横領疑惑が置き去りにされてしまっていた事をとらえて、中日新聞が隠された事実をあばいた。
 その1 200人以上が乗り組む調査船団が捕獲したミンククジラ等を甲板で解体する時、ベテ     ラン船員がウネス(下あごから腹にかけてのしま模様の部分)と呼ばれる部位を取らせ、こ     れを作業服の袖に隠して部屋に持ち帰る。
 その2 これはキロ1万円から1万5千円で飛ぶように売れ、100キロくらい持って帰る人もい     る。鯨肉を売りさばいた収入で自宅を新築して『鯨で御殿を建てた』といわれる人もい      た。
 その3 1日の捕獲頭数が20頭以上だと冷凍室に入らないので取りすぎた時はどんどん肉を海に     捨てる。
 その4 調査捕鯨の目的は、商業捕鯨再開のためのクジラの生態調査であるが、実質的には鯨肉供     給の手段になっている。
 その5 調査捕鯨の実施主体である財団法人・日本鯨類研究所(鯨研)は水産庁から毎年補助金を     もらって事業を行っている。今年度の補助金は約8億円に上る。歴代の役員には天下りで     同庁OBがいる。
 その6 鯨肉の消費は落ち込み在庫はだぶついて、最近では四千数百トンを超える。したがって捕     鯨事業の収支は赤字。

 概ね以上の趣旨の事実をあばいているが、驚くべきことである。
 記者は、「捕鯨国は捕鯨産業の保護育成のために調査捕鯨の名目でクジラを
取り続けるが、一方で反捕鯨国は、国内産業との利害関係がないから『商業捕鯨には何が何でも反対』と理念に突っ走っていればいい。捕鯨国が存在するから、反捕鯨団体のシー・シェパードには資金が集まるし、『活躍』の場をあたえられる」と締めくくる。

 この後裁判がどう進展するか分からないが、裁判審理の過程ではこうした不正や不審の事実も解明してもらいたいものである。


映画『キャタピラー』を見る

2010-08-23 17:50:29 | Weblog
2010.8.23(月)
 週刊誌アエラの今週号の表紙を飾っているのは、女優の寺島しのぶである。彼女の紹介欄に、現在上映中の映画『キャタピラー』に主演し、ベルリン国際映画祭最優秀女優賞を受賞したとある。
ちょうど名古屋駅方面へ出る用があり、豊田ビル内のミッドランドスクエアシネマへ出かけたが、ここでは上映していないが近くのシネマスコーレでやっていると親切に教えてくれたので、あきらめずに駅西の方にあるその映画館へ出かけた。
 入れ替え制のちょうど変わり時で入館できたが、50人ほどで満員の小さな映画館であった。
 アエラによると「手足を失って戦地から帰った夫に、昼も夜も尽くす妻、究極の夫婦関係から戦争の悲劇が描き出される映画」とあった。
 言葉を失い、四肢がなくとも勲章を誇り、食欲と性欲を強く求める夫に尽くす妻。軍国国家はそうした夫を軍神としてあがめ、妻の奉仕を強要する。しかし、敗戦が迫る中、夫の脳裏に中国戦線で犯した中国人女性への虐待がよみがえり、自ら死を選んで終わる。
 寺島しのぶ自身は「変なエッチ映画にならないか心配だった。だけど『生きる』ことの中に性もある。『やってよかった』と思える結果で、よかった」と言っている。
 何しろ若松孝二監督作品だけに、寺島しのぶと大西信満演ずる夫婦の濃厚な性交シーンが繰り返されるが、戦争の悲惨さを訴えるのにこれほどの大胆な官能シーンが必要なのかやや考えさせられた。

高齢運転者は「もみじ」マークから「四葉」マークに

2010-08-22 09:47:11 | Weblog
2010.8.22(日)
 高齢運転者に設置が義務付けられているもみじマークの人気がなく、警察庁がそのデザインを再検討するため新たなデザインを公表して人気投票に付していたが、この程新たなデザインを公表した。
 このことについては、6月17日付けの当ブログでも書いたが、新たなデザインは四つ葉マークに決まった。警察庁によると、幸福を象徴する四葉のクローバーとシニアの頭文字「S」を組み合わせたデザインで、年内にも道交法施行規則を改正し、使用が始まるという。現行のもみじマークも当面の間、継続して使える。
 新マークのデザインについては、6~7月にかけて一般から意見を募集した結果、1409件の意見が寄せられたそうで、四つ葉支持が27%と最も多かったそうである。
 先のブログでも書いたが、新しいマークになったからといってはたして積極的につける気になるかどうか。もちろん75歳以上のものは義務だから、つけないと罰則が適用されてしまうが、そもそも後期高齢ドライバーと新米ドライバー(こちらは若葉マーク)にだけマークをつけさせることは何とも不思議でならない。
 世の中にどうにもならない危険運転者が結構いる。むしろそういう人に「危険運転常習者マーク」とか「スピード常習者マーク」を貼らせたほうが安心である。高齢者や初心者を差別するより、こうした差別の方が納得がいくというものだ。冗談だが!!

介護保険の認定制度はどうあるべきか

2010-08-19 15:47:56 | Weblog
2010.8.19(木)
 2000(平成12)年に発足した介護保険制度の根幹をなす介護認定制度を巡って、「より良い介護保険制度をめざす」としている二つの市民運動団体が対立している。
 一つは、樋口恵子、白沢政和、高見国生の各氏が共同代表の「介護保険を持続・発展させる1000万人の輪」(以下1000万人という)と二つは、堀田力及び鳥海房枝代表の「介護の社会化を進める一万人市民委員会2010」(以下一万人という)である。
 介護保険制度に詳しい日本経済新聞社の浅川澄一氏が書いた記事によると、「一万人」は「目指す方向」と題した活動方針の中で「認定システムの廃止・空洞化の阻止」を謳い、「社会保険は保険事故を明確に定義して、これに該当する場合、給付を行う仕組みであり、要介護認定は保険事故の定義に当たる。その廃止・空洞化は保険制度を根底から覆す」と主張しているという。
 一方、「1000万人」は現行の7段階の認定について、即時廃止ではなく「3区分(軽度、中度、重度)に粗く」とし、「将来的には要介護認定システムをなくす」と提言している。
 また、高見氏が代表を務める「認知症の人と家族の会」は「保険者を加えたサービス担当者会議で介護サービスを決定する」という代案を提案している。
 さらに、白沢政和大阪市立大学教授は「利用者の家族状況や住環境の社会的要因を考慮すべき」と認定制度の廃止を主張している。
 ここに来て、もともと「一万人」の共同代表だった堀田力氏と樋口恵子氏はいよいよ袂を分かつことになりそうだと、浅川氏は危惧している。
 堀田氏は「何でも介護保険でやってもらおうという甘えた人たちは、特養の相部屋推進の人と同様に介護保険の抵抗勢力です」と手厳しい。
 さらに同氏は「医療は治れば終わりですけど、介護はそうではない。とりわけ生活支援サービスは際限がない。無限に要求する甘える子供と同じです。」「認定制度の廃止は介護保険の破壊につながる」「(廃止してしまうと)歯止めの役割をケアマネジャーができるかというと、そんな力はない」とも述べている。
 こうした動きに対して、国の社会保障審議会介護給付費分科会の座長である大森弥・東大名誉教授は認定廃止を「介護保険の骨格をいじること」だと非難している。
 浅川氏は、制度の次期改定案を審議する分科会の座長がこのテーマに結論を下してしまったことに、議論を戦わせる場が消えてしまうことは公平性が問われると疑問視している。

 長々と浅川氏の記事の内容を要約的に引用したが、確かに認定制度は介護保険における根幹であることから、制度の理解も含めて整理する必要がある。
 筆者は、現行の認定制度が形式的調査をもとにした形式的認定審査になっているという危惧をかねてから持っている。審査会と現場の要請とがマッチしていないのは明らかである。しかし、堀田氏も言っているようにサービス担当者会議で決めればよいというのも問題がある。担当者会議での医師の役割と責任を明確にしなければならない。
 あちらか、こちらかと単純に決められる問題でないことは明らかである。ここは予断を持たずに、もっと大いに議論を重ねることに尽きるのではないか。

「ピースあいち」が博物館相当施設に指定とネット上に流れる

2010-08-17 07:16:10 | Weblog
2010.8.17(火)
 8月13日の読売オンラインで『ピースあいち博物館相当施設に』と題して、愛知県教育委員会がピースあいちを今月中に博物館法に基づく『博物館相当施設』に指定する方針を固めた、と報じている。
   http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/aichi/news/20100812-OYT8T01184.htm

 役所の決定事項が役所から発表されるのではなく、マスコミが先に発表してしまうことはよくあることだが、これもその一つで事実このようになるのであれば大きな出来事ではないが小さなスクープではある。
 博物館法では博物館を①登録博物館と②博物館相当施設の2種類を規定している。①の設置主体は地方公共団体や一部の公益法人に限られているが、②はこの他に民間団体が設置主体のものもある。
 現在、ピースあいちは民間のボランティアによる設置・運営であるが、博物館相当施設に指定されれば、自治体の助成や税の優遇措置が受けられる可能性がある。会館の運営は、会員の会費やわずかな入場料ではとうてい賄えず、不足分を不安定な寄付金や民間基金の助成金で補っている現状からすれば大きな前進である。何よりも公共的施設として社会的な認知を受けることは大きい。
 愛知県は先の太平洋戦争において、名古屋市をはじめほとんどの都市で大きな空襲被害を受けた。空襲による死者だけでも1万3千人を超えているといわれている。こうした地域にあの戦争を記憶にとどめるきちんとした公的施設がないのが不思議なぐらいである。
 愛知県と名古屋市は公的資料館の建設について検討を始め、現在も調査会を開催して模索を続けてはいるが、財政難を理由に建設計画は頓挫している。
 今回の措置は、ピースあいちを博物館相当施設として公認し、公共の肩代わりにしようというものであるが、ピースあいちとしては大きな前進であり喜ばしい。

三重県芸濃の桜名所で桜並木をバッサリ!!

2010-08-14 18:56:50 | Weblog
2010.8.14(土)
 今日の中日新聞夕刊によると、桜の名所として知られる三重県津市芸濃町雲林院(うじい)の県道の桜並木で、道路上方までアーチ状に伸びていた枝を三重県が切り落としてしまったと報じている。
 寝耳に水の地元住民は「県は税金を使って観光資源を破壊した」「桜のトンネルが台無しだ」と怒りの声をあげているという。
 この桜並木は、県天然記念物の「龍王桜」で知られる長徳時前の県道両側に80メートルにわたって立ち並ぶソメイヨシノの20本で、旧芸濃町が付近一帯を新たな桜の名所にしようと25年ほど前に植えたものだそうである。
 高さ10メートルまで育って、せっかく桜のトンネルのような景観になり、観光の目玉になっていたのに役所は一体なんということをするのか。
 所管の三重県津建設事務所によると、バスなど大型車両の走行を円滑にするために、道路にはみ出た枝を切るように業者に発注したらしい。
 交通の安全はもちろん大事だが、せっかく植えて25年もたったものを状況も考えずに切ってしまうとは何ともやるせない。景観を生かしながら安全にも配慮した剪定の仕方はあるはずである。これこそ、お役所仕事といわれても仕方ない。
 建設事務所は「今後は慎重に作業する」と釈明しているが、この桜並木が元に戻るのに何年かかるであろうか。これは役所のちょっとした気配りの欠如が住民の期待を裏切ってしまった顕著な例である。

日韓併合100年、首相談話

2010-08-11 09:24:33 | Weblog
2010.8.11(水)
 政府は10日の閣議で、日韓併合百年に当たっての管直人首相の談話を決定した。新聞によると談話のポイントは次の通りのようである。
○韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深 く傷つけられた。
○植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、あらためて痛切な反省と心からのおわびの気持 ちを表明する。
○これからの100年を見据え、未来志向の日韓関係を構築する。在サハリン韓国人支援、朝鮮半島 出身者の遺骨返還支援など人道的な協力を実施。日本政府が保管している朝鮮王室儀軌などの朝鮮 半島由来の貴重な図書について、近くお渡ししたい。
○日韓両国は、地域と世界の平和と繁栄のために協力してリーダーシップを発揮するパートナーだ。

 (注)朝鮮王室儀軌=朝鮮王朝時代の祭礼や主要行事を絵や文で記録したもので、現在約160冊    を宮内庁が所蔵している。

 確認するが、今回の首相談話は、日韓併合百年に当たってのものである。野党だけでなく、民主党内からもこの時期にこうした談話は出すべきでないとの批判に抗して出された。政府としては、韓国が植民地支配からの解放を祝う8月15日の「光復説」や併合条約が発効した29日を回避して10日という日に出したことに意味深長さが伺える。
 談話の内容は、朝鮮王室儀軌の返還をうたっている点を除けば、これまでの村山富市首相談話、小泉淳一郎首相談話などの内容を踏襲しているものである。しかし、日韓併合百年という大きな節目の時にこうした談話が出された意味は大きい。この点は素直に評価したい。
 元首相の安倍信三氏は、この談話に対してテレビで口汚くののしっていたが、天につばを吐くようなこの人の言い分にはあきれる。
 ちなみに、戦後60年の小泉首相談話の要旨は「植民地支配と侵略によって、とりわけアジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えた。痛切な反省と心からのおわびを表明する」というものである。
 いつまでも謝罪外交や懺悔外交を繰り返しているべきでない、というのが批判の中心だが、これこそ加害の重みを理解していない証しである。
 この談話に対しては、李明博大統領はじめ韓国政府も歓迎し、高い評価をしている。感謝と謝罪は何回繰り返しても争いにはならないが、傲慢な態度は争いの元である。

65年目のヒロシマ・ナガサキ

2010-08-09 21:46:24 | Weblog
2010.8.9(月)
 8月6日の広島、今日9日の長崎は被爆から65年の原爆の日を迎えた。
 長崎での平和記念式典の中で呼びかけられた平和宣言は、核拡散防止条約(NPT)未加盟のインドと原子力協定交渉を進める日本政府の対応を「到底容認できない」と非難した。また非核三原則の法制化など、被爆国として国際社会でリーダーシップを発揮するよう求めた。
 さらに核保有国に対しては、それらの国々が核軍縮の具体的年限の設定に反対していることを強く批判した。
 広島市も核兵器廃絶に対する強い姿勢を示したことは同様である。
 しかし、被爆都市の主張はこうであっても、被爆国の首相のトーンは何と頼りないことか。菅首相は広島市長や長崎市長の核廃絶の呼びかけに、核の抑止力は必要だと答えている。これはアメリカ人の多くが、ルース駐日大使の広島の式典参加を非難していることと通ずる。プラハで核廃絶を呼びかけたオバマ大統領も、このアメリカの原爆肯定論に阻まれて広島・長崎を訪れることができない。
 核抑止論はこれと少しも変わらない。菅首相は非核三原則は堅持するというが、アメリカの核の傘に入ることは認めるどころか、積極的に入るべきだと言っている。これでは自民党政権と少しも変わらない。
 核が戦争を抑止する力となっているというなら、北朝鮮が核を持つことも認めることになる道理がどうして分からないのか情けない。菅首相は、「核兵器のない世界の実現に向けて先頭に立って行動する道義的責任がある」と格好よいことを言うなら、核兵器に依存する核抑止論から速やかに脱却しなければ、美しい言葉も空論に過ぎない。