2015.12.31(水)
今日は、2015年、平成27年という年の大晦日である。年の進むのが1年1年早くなるが、つくづくそう思うようになる。
そして、人の寿命がつきて、新しい命と交代する。今年も新聞などが亡くなった有名人の一覧を「墓碑銘」としてまとめてくれている。
それを見ると今年も、戦前・戦中の人が多いせいか反戦を貫いた人の多くが逝った。
憲法学者で元名古屋大学教授の奥平康弘さんは筆者が学生時代に既に在籍しておられたから、墓碑銘に名を連ねておられることが寂しい限りである。先生は護憲の立場から積極的に発言し、「九条の会」の呼びかけ人にもなられた(1月26日没、享年85)。
哲学者の鶴見俊輔氏は93歳という長命であったが、最晩年まで「行動する哲学者」として平和運動などで大きな役割を果たされた(7月20日没、享年93)。
タレント・俳優の愛川欽也さんは「キンキン」の愛称で親しまれた。戦前復帰の風潮に一石を投じた骨のある俳優であった(7月15日没、享年80)。
漫画家の水木しげるさんは、戦場で左腕を失うという悲劇に見舞われたが、復員後は漫画家になって「ゲゲゲの鬼太郎」などユーモラスな妖怪もので時代を画した。悲惨な戦争体験をもとにして反戦を訴えた(11月30日、享年93)。
作家の野坂昭如氏は戦争の記憶として「火垂るの墓」を残し、歌手やタレントとしても活躍、鋭い弁舌で社会や権力を批判した(12月9日没、享年85)。
我々の世代以前の人にとって、原節子さんの名前は特別の印象がある。「東京物語」「晩春」などは今でも度々テレビなどで再映される。42歳で引退後は一切、表舞台に現れず「伝説の大女優」と呼ばれてきた。一時代の終わりを告げる映画人の死である。
インダストリアルデザイナーの栄久庵憲司氏は、1989年に名古屋市制百周年記念事業として開催された「世界デザイン博覧会」の総合プロデューサーを務められたことで知己を得た。61年「キッコーマンの卓上しょうゆ瓶」はこの人がデザインしたものである。
そのほか、漫才師の今いくよさん、俳優の加藤武さん、川島なおみさん、加藤治子さん、落語家の橘家円蔵さん、元横綱の北の湖さんら懐かしい人たちが天国へ旅立った。
自分のことはと言えば、早くも今年は喜寿を迎えた。連れ合いも後期高齢者の仲間入りを果たした。長兄が85歳で、次兄が81歳で亡くなったことを考えると、もう指折り数えるほどしか残っていない。懐かしい有名人も鬼籍に入り、知り合いの友人らも何人かが先立った。何か寂しさを感じずにはいられない。このごろ、ただ長生きをすれば良いというものでもないとつくづく思う。
今日は、2015年、平成27年という年の大晦日である。年の進むのが1年1年早くなるが、つくづくそう思うようになる。
そして、人の寿命がつきて、新しい命と交代する。今年も新聞などが亡くなった有名人の一覧を「墓碑銘」としてまとめてくれている。
それを見ると今年も、戦前・戦中の人が多いせいか反戦を貫いた人の多くが逝った。
憲法学者で元名古屋大学教授の奥平康弘さんは筆者が学生時代に既に在籍しておられたから、墓碑銘に名を連ねておられることが寂しい限りである。先生は護憲の立場から積極的に発言し、「九条の会」の呼びかけ人にもなられた(1月26日没、享年85)。
哲学者の鶴見俊輔氏は93歳という長命であったが、最晩年まで「行動する哲学者」として平和運動などで大きな役割を果たされた(7月20日没、享年93)。
タレント・俳優の愛川欽也さんは「キンキン」の愛称で親しまれた。戦前復帰の風潮に一石を投じた骨のある俳優であった(7月15日没、享年80)。
漫画家の水木しげるさんは、戦場で左腕を失うという悲劇に見舞われたが、復員後は漫画家になって「ゲゲゲの鬼太郎」などユーモラスな妖怪もので時代を画した。悲惨な戦争体験をもとにして反戦を訴えた(11月30日、享年93)。
作家の野坂昭如氏は戦争の記憶として「火垂るの墓」を残し、歌手やタレントとしても活躍、鋭い弁舌で社会や権力を批判した(12月9日没、享年85)。
我々の世代以前の人にとって、原節子さんの名前は特別の印象がある。「東京物語」「晩春」などは今でも度々テレビなどで再映される。42歳で引退後は一切、表舞台に現れず「伝説の大女優」と呼ばれてきた。一時代の終わりを告げる映画人の死である。
インダストリアルデザイナーの栄久庵憲司氏は、1989年に名古屋市制百周年記念事業として開催された「世界デザイン博覧会」の総合プロデューサーを務められたことで知己を得た。61年「キッコーマンの卓上しょうゆ瓶」はこの人がデザインしたものである。
そのほか、漫才師の今いくよさん、俳優の加藤武さん、川島なおみさん、加藤治子さん、落語家の橘家円蔵さん、元横綱の北の湖さんら懐かしい人たちが天国へ旅立った。
自分のことはと言えば、早くも今年は喜寿を迎えた。連れ合いも後期高齢者の仲間入りを果たした。長兄が85歳で、次兄が81歳で亡くなったことを考えると、もう指折り数えるほどしか残っていない。懐かしい有名人も鬼籍に入り、知り合いの友人らも何人かが先立った。何か寂しさを感じずにはいられない。このごろ、ただ長生きをすれば良いというものでもないとつくづく思う。