名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

見えない道路特定財源問題の行方

2008-02-29 10:04:18 | Weblog
2008.2.29
 今日は4年に一度の2月29日である。例年より1日長いこの日に、国会では与党が、20年度予算案とガソリン税の暫定税率維持を含む租税特別措置法改正案を衆院通過させようと目論んでいるため、与野党激突の構えを見せている。
 道路特定財源問題については、このブログでも既に4回話題に上らせた。暫定税率を維持すべきだという政府与党と、暫定税率は廃止して道路整備計画を見直し、それに相応する分は一般財源化するべきだとの民主党など一部の野党との間の論争はいつ果てるとも知れない。
 それが、今日という日を過ぎて関連法案が衆議院を通過しないと、年度末までに成立せず、暫定税率が維持できなくなる恐れがあるのだ。3月31日までに法案が通らなければ暫定税率分は消滅し、ガソリンの末端価格は概ね25円程度必然的に安くなる。この状態が1年続くと国・地方合わせておよそ2兆7千億円の減収となる。これが道路族が騒ぐもとである。地方公共団体もこの分の道路予算が減ると、道路の整備が遅れて地域の活力が失われると嘆いている。宮崎県の東国原知事が地方の代表のような格好で政府支援のけん引役を買って出ている。
 政府は、暫定税率10年の延長に見合う道路整備計画として総額59兆円という額を提示している。1年度当たり5兆9千億円である。要するに、道路目的財源のすべてである。道路族はこれでも少ないといっている。そもそも道路などというものはいくらつくっても終わりのないものである。渋滞するから道路をつくる、広げる。つくる場所は、谷の底から山のてっぺんまで無限にある。もちろん海の上や海中にもつくれる。
 本当に必要な道路はどれだけあるのか。道路はネットワークだといって熊や狐しか走らない道路と揶揄されるようなところにつくってはいないか。これから人口は減少する。環境問題もある。先に金ありきの議論となっていないか。いっそ1年間ぐらい暫定税率を抜きにした税率でやってみて、じっくりとこうした議論を重ねるべきである。決して道路不要などとは思っていない。道路に係わる環境対策だけでも巨額の金がいる。ガソリン利用者から福祉費の一部を負担していただくということも国民的合意が得られればそれでもよい。もうそろそろ、オール・オア・ナッシングの議論から脱してもよいのではないか。

鈴木宗男被告二審も実刑

2008-02-26 20:34:48 | Weblog
2008.2.26
 今日(26日)、元北海道・沖縄開発庁長官の衆院議員・鈴木宗男被告(60)の控訴審判決があった。
 北海道開発局発注の公共工事をめぐる汚職事件などで受託収賄罪など四つの罪に問われた鈴木被告の控訴審判決は、懲役二年、追徴金千百万円(求刑・懲役四年、追徴金千百万円)の実刑とした一審東京地裁判決を支持、被告側の控訴を棄却したものだった。被告側は即日上告した。
 収賄の内容はいちいち書かないが、贈賄をした業者らは、一審では贈賄の事実を認めていたが、控訴審では「現金は官房副長官の就任祝いだった」と証言を翻す内容の陳述書を提出したために、その眞否が争われた。池田裁判長は「証言の変更に至る合理的な理由はうかがえない」としてそれを退けた。政治資金規正法違反と議院証言法違反についても成立を認定した。
 「国策捜査の対象になり、叩き潰された(著書「闇権力の執行人」)――鈴木被告は2004年11月の一審・実刑判決後、著書などを何冊も出版し、検察側の捜査の不当性と自らの潔白を強く訴えてきた。
 何が正しいのか、どちらが正義なのかは、われわれ部外者にははっきりとは分からない。しかし、議員(政治家)という人種は、筆者の見るところ、利権にまみれ易い。業者から頼まれると、担当職員をすかし、あるいは恫喝し要求を通させてしまう。業者もよく知っていて、そういう議員に依頼をする。そういう議員ほど表ではいつも正義を貫いているようなことを言っている。
 こうした事件が起こらないようになるときがいつか来るのであろうか。

男声合唱団の演奏会に出演

2008-02-25 17:30:10 | Weblog
2008.2.25
 筆者は学生時代、男声合唱に熱中していた。社会に出てそれは途切れてしまったが、数年前、その合唱団の創立50周年の時期を迎えて、その記念演奏会の準備の責任を任されるハメとなり、その演奏会を終えて以来も引き続き男声合唱に興じている。団員は、一部を除いてリタイア組みばかりの高齢者で、平均年齢は67~8歳に達する。
 今回はその合唱団の55周年の記念演奏会という趣旨での開催である。55周年とは中途半端な記念年であるが、60周年までは生きられる保証がない、待てないということで決めた。事実50周年で歌った仲間のうち、既に数人が喜界に旅立って行ったということからも切実な事実なのである。昨日(2月24日)この演奏会が行われ、筆者はこれに参加した。
 参加者は名古屋組が約65人、東京組が約35人、総勢約100人と近頃の男声合唱としてはかなりの人数となった。会場は、名古屋市民会館中ホール、聴衆は約1100人とほぼ満員の盛況であった。
 プログラムは、第一ステージ=日本民謡集(おてもやん、五木の子守唄、牛追い唄、そうらん節、最上川舟唄)
        第二ステージ=邦人作品集(球根、蛇祭り行進、夕暮れの時はよい時、夜引き歌)
        第三ステージ=組曲「富士山」
        第四ステージ=愛唱曲集(今は若き子、あしたまで、Onward ChristainSoldiers、Standchen、                            パリの若者の唄)
 この内メインステージは、草野心平作詞、多田武彦作曲の組曲「富士山」で、五つの曲からなっており、東京、名古屋合わせて100人のの合同演奏である。しかし残念なことに一部でバランスが崩れ、やや不本意な演奏となったが、他はこの合唱団の持ち味を発揮できたと思っているので、それなりに充実感を味わえたのではないか。
 また東京組の仲間とのふれあいや、各地のOBとの再会は心を満たしてくれるのに充分であった。打上げ会では、100周年の記念演奏会などという野望が語られていたが、とりあえずは60周年が本当にできるかでどうかであろう。
 ところで、朝の集合からゲネプロ、本番、打上げ会とほぼ10時間の長丁場ですっかり疲弊した。特に足のふくらはぎが硬くなって本番中からだ全体が攣ってしまう症状になったのはどうしたことか。これも日頃の運動不足のたたりであろうか。こんなことでは、60周年の参加がおぼつかなくなってしまう。

米国、偵察衛星を破壊

2008-02-22 14:17:59 | Weblog
2008.2.22
 米国防総省は20日、制御不能になった偵察衛星を、ミサイルによって大気圏外で破壊するため、北太平洋上のイージス艦から海上配備型迎撃ミサイルを発射し、破壊に成功したと発表した。
 米メディアによると、米政府がハワイ西方の広い海域で、船舶や航空機に対して近づかないよう警告していた。
 ミサイルを発射する際に波が穏やかであることや、衛星を破壊するのに最適な位置に達することなどが必要条件だった。
 今回の計画は、2006年に打ち上げられた偵察衛星(重量約2.25トン)が撃墜の対象で、ロケット推進燃料に有毒のヒドラジンを約440キロ搭載。打上げ後、高度144キロから960キロの低地球軌道で制御不能になっていた。3月上旬にも地球に落下し、大気圏に突入する際にヒドラジンが気化し、有毒雲になって広がる可能性が出てきたため大気圏外での撃墜を計画していた。
 以上が21日付け新聞(夕刊)の記事の内容である。
 偵察衛星は、宇宙空間から地上・海上を見下ろして敵部隊や基地その他の戦略目標の動きや活動状況・位置を画像情報として入手し、戦略計画に役立てる軍事目的のために作られた無人の人工衛星である。
 日本では、情報収集衛星(IGS)として2003年に打ち上げを開始して2007年の打上げまで合計4機を保有している。
 光学偵察衛星の解像度は、現在では30センチ以下といわれる。
 さて、今回のアメリカの偵察衛星破壊は、有毒なヒドラジンを地上に落下する前に打ち落として環境汚染を未然に防ぐものと、かっこいいことをいっているが、アメリカはこれを利用して迎撃ミサイルの威力を世界に示し、軍事的優位を訴えたのではないか。衛星も平和目的を逸脱して宇宙戦争に利用されていることを知らなければならない。エネルギーの危機とか、温暖化とか、のんきに平和ボケしているといつの間にやら宇宙そのものが破壊されてしまう。はるか遠くて、我々とは無縁の話ではないのだ。

モンスターペアレントによる自殺で公務災害認定

2008-02-21 22:52:02 | Weblog
2008.2.21
 学校に乗り込んだり、昼夜問わず教師の自宅に電話をして理不尽な要求を繰り返す―これをモンスターペアレントという。以下、中日新聞の記事を転載する。
 もう6年も前のことだが、埼玉県狭山市の市立保育所で2002年3月、女性の保育所長(当時53歳)が灯油をかぶり自殺した。
 その4か月前の2001年11月、保育所で男児二人が本を取り合ってけんかになり、一方の子が眼のあたりを引っかかれた。タオルで冷やせば大丈夫な程度だった。
 直後から、引っかかれた男児の両親が保育所の対応について、繰り返しクレームをつけた。「責任をとってもらいたい」と、男児への付きっきりでの保育を要求。苦情は市役所にも行き、所長の上役も交えて、謝罪の場が設けられた。
 しかし、両親は収まらず、、市福祉部長宛に内容証明郵便を送り、保育士や引っかいた子どもと親らに現場に集まることを迫った。所長が自殺したのは、その1週間後。保育歴30年のベテランだった。
 「苦しくてなりません。終わりのない四か月.私がすべて悪いのです。誰も悪くないのです。ごめんなさい。許してもらってください。プライドの保てない四か月でした」―。遺書にはこう書かれていた。
 遺族は2003年4月、地方公務員災害補償基金埼玉県支部に公務災害の認定を請求。2008年1月、「自殺は保護者の苦情対応によるストレスで発症したうつ病が原因」とし、公務災害と認めた。
 こんな記事を読んでいると他人事とは思えないほど腹が立つ。保護者からの苦情で教師が自殺に追い込まれた例は既に数件あるそうだが、公務災害が認められたのはこれが初めてらしい。それにしてもこんな苦情を執拗に言ってくることは、もうまともとはとても思えない。まさに狂気の沙汰である。少なくともこの例についていえば、これはもう「未必の故意による殺人」ではないか。
 記事では、苦情を言ってきた両親のことは全く語られていない。教育評論家の尾木直樹という人が解決策として「原始的で素朴だが、保護者と教師がゆっくり話し合うことが大事。保護者側にも問題があるが、教師も長時間労働で精神的に余裕がなく、保護者とじっくり向き合えない。(中略) 勤務実態などで教師に精神的なゆとりを与える工夫は欠かせない」と呑気なことを言っている。ここで「保護者」が出てくるが、「保護者側にも問題がある」のではなく、「保護者にこそ問題」があるのである。
 社会の閉塞感とか激烈な競争社会あるいは格差社会という実質的な差別社会という現実が、こうした歪んだ教育現場を生み出していることも事実ではあるが、本件のような例はもう個人の悪質な性格によるものではないか。記事の中に、この個人が全く出てこないのが不思議であり、腹の立つことである。記事は何故、このモンスターペアレントを登場させ、釈明させないのか。あるいは、警察は何故黙っているのか。
 近ごろ、腹の立つ出来事が多いが、これはとりわけ腹の立つ出来事である。

イージス艦、漁船と衝突!!

2008-02-19 22:41:54 | Weblog
2008.2.19
 今日(19日)午前4時7分頃、房総半島野島崎の沖合い約40キロの太平洋上で海事のイージス艦「あたご」(7700トン)が、千葉県新勝浦市漁協所属のマグロはえ縄漁船「清徳丸」(7.3トン)に衝突した。清徳丸は、船首と船尾が分断された状態で真っ二つに割れて海上に漂い、船長とその息子の二人が行方不明になった。午後10時現在の段階で見つかっておらず、最悪の事態が予想される。
 自衛艦と民間の船舶との重大事故は1988年7月に起きた潜水艦「なだしお」と釣り船の衝突以来である。1993年に導入されたイージス艦の重大事故は初めてだそうである。
 事故当時、現場海域の天候は曇りで、北北東の風7メートル、波の高さ約0.5メートルと海面は穏やかで、視界も良好だったという。こんな状況の中で、どうしてこんな事故になったのかは、今後の調査に待つことになるが、国民の命を守るはずの自衛艦が、その命を奪ってしまったことをわれわれ国民はどう考えればよいのであろうか。二人の漁師は、国の防衛の犠牲者なのであろうか。
 ところで、イージス艦とはイージスシステムを搭載する巡洋艦・駆逐艦などの艦艇の総称だそうである。「イージス」とは、ギリシャ神話に登場する最高神ゼウスが、娘アテナに与えたあらゆる邪悪をはらう盾の名称である。
 「艦艇の盾」と呼ばれるイージス艦の主な任務は、遠距離から同時・多数飛来する航空機や対艦ミサイルから艦隊を守ることである。日本はイージス艦を利用した弾道ミサイル防衛網の導入を決定している。
 今回事故を起こしたイージス艦「あたご」は全長165メートル、基準排水量7700トンで、乗組員は約300人。ヘリコプター1機を搭載できる格納庫を持ち、船体のレーダー反射面を減らすなどの工夫がなされている。建造費は約1400億円と巨額である。
 こんな最新鋭艦がなぜ近くを航行する漁船を回避できなかったのか。巨費を投じて漁船一つ回避できないようで、いつどこから飛んでくるか分からないミサイルを本当に打ち落とせるのか疑わしい。本当は、こんなものはいらないのだ。
 元防衛事務次官の汚職事件といい、防衛省に不祥事が続いている。今回のような一般国民の死亡事故ともなると、原因如何によっては政府の責任問題にも発展しかねない。

コソボ独立宣言に思う

2008-02-18 19:11:55 | Weblog
2008.2.18
 今日の朝刊で、セルビア南部コソボ自治州の州議会が17日午後、臨時議会を招集し、コソボの独立宣言案を採択したと報道している。採決では、定数120人のうち出席した109人全員が賛成票を投じた。セルビア人など少数民族代表の11議員は欠席した。
 セルビア政府の激しい反対を押し切っての一方的な宣言だが、米国や欧州各国の大半はコソボを主権国家として承認する方針の見通しである。一方独立に反対してきたロシアは、コソボの国連加盟阻止を公言している。独立宣言により、コソボとセルビアの緊張が高まる情勢である。
 このコソボ独立により旧ユーゴスラビアは七カ国(スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア、コソボ)に分裂することとなった。
 ユーゴスラビアは、イタリア半島の東、バルカン半島に位置して西欧とアジアの結節点にあり、第一次世界大戦の発火点になったところである。ユーゴスラビアは多民族国家であり、その統治は難しいものであったが、カリスマのヨシップ・チトー大統領による長期政権によって、かろうじて統一を維持してきたが、それはいつ壊れるとも知れないガラス細工のようなものであった。1980年にチトー大統領が死去すると各地から不満が噴出し、民族紛争が噴出してスロベニア、クロアチアの独立を契機にユーゴスラビアは次々に分裂していった。東欧革命が起こって東欧の共産主義が一掃され、ユーゴスラビアは崩壊した。
 コソボでは、チトー死後独立運動が激化し、複雑な経過を経てついに独立を宣言したものである。
 しかしその後の新聞によると、セルビアの首都ベオグラードでは、宣言に抗議する約2千人の若者が米国大使館前などでデモを行い、一部が暴徒化したことが報じられている。ヨーロッパでの紛争の新たな火種となって、発火することが心配である。コソボ問題は特にセルビア人とアルバニア人との人種対立、キリスト教とイスラム教の宗教対立があって、その憎しみは理解しがたいほど大きい。この対立が、冷戦を思わせる米露の対立につながっていることを思うと恐ろしい気がする。日本のとるべき態度はどうあるべきか難しい。

小学6年まで医療費無料化ー名古屋市の20年度予算案

2008-02-15 09:45:47 | Weblog
2008.2.15
 愛知県、名古屋市の平成20年度予算案が発表された。
 その中で、すこし気になるのが子どもの医療費無料化案である。報道だけでは詳細は不明だが、記事から推測すると、小学校6年まではすべての医療費(通院、入院、食事代)が無料、中学3年生までは、入院費が無料となるというもので、かつ所得制限もないということである。
 子どもの医療費無料化の動きは、少子化対策の一つとして各地の自治体で取り組まれており、中には既に中学校3年生まで無料化を実現しているところもあると聞く。病気がちの子どもを持った普通のサラリーマン世帯にとって、その子の医療費は家計に大きな負担であることは言を待たない。いずれにしろ、子を育てる親にとって、子どもの病気はいつでも最大の関心事である。したがって、こうした政策は財源が許せば、基本的に正しく望ましいことではある。ただ、今回の施策の中で気にかかることは、所得制限がないということだ。誰でも無料が負担の公平ではない。所得の再分配という観点から見ても、支払能力が十分にある世帯まで無料にする必要性があるのだろうか。
 無料の医療を受けるのは子どもなのだから、差別感を与えない方が良いということかもしれない。小学生も高学年になると、なんであの子は無料で僕にはお金がかかるのと疑問に思う子がいるかもしれない。そういう配慮なのであろうか。あるいは、有料と無料との差を区別する事務手続きの煩雑さを避けることなのだろうか。
いずれにしても、このあたりのことは十分な説明が必要である。筆者は基本的に、どんなことも只ということはできれば避けるべきと思っている。只だから良いというものではない。只の弊害はいくつもあり、また出てくるものである。議会での十分な議論を期待する。

鳩山法相のトンでも発言

2008-02-14 09:44:58 | Weblog
2008.2.14
 鳩山邦夫法務大臣の問題発言がまた出た。
 13日、法務省で開かれた全国の高検・地検のトップが集まった検察長官合同で、鹿児島県議選をめぐる「志布志事件」の無罪判決に関し「個人的な見解」と前置きして「冤罪と呼ぶべきではないと思う」と述べたというのである。
 法相はあとで自らの発言の趣旨について「冤罪という言葉は、全く別の人を逮捕し、服役後に真犯人が現れるなど百パーセントぬれぎぬの場合を言い、それ以外の無罪事件にまで冤罪を適用すると、およそ無罪というのは全部冤罪になってしまうのではないか」と釈明したそうである。
 志布志事件では、鹿児島地裁が昨年2月、2003年の県議選で買収行為があったとして公選法違反(買収)罪で起訴された元県議ら12人全員を「強圧的、誘導的な取調べで自白が引き出された可能性がぬぐえない」と無罪にし、検察側が控訴を断念したものである。
 法相としては、高検、地検のトップの前で今後の取調べでひるんでほしくないという気持ちから言ったのかもしれないが、この人らしい舌禍といえばいえる。
 志布志事件において被告とされた人たちが受けた仕打ちは、各種のメディアで報道されたが、これを冤罪と言わずして何というのかというものである。 無罪はすべて冤罪となってしまうと鳩山氏は言うが、基本的にはそうなのだ。「疑わしきは罰せず」の法則を厳格に適用してこそ冤罪は防ぐことができる。
 松本清張の小説「疑惑」ではないが、真犯人が「無罪」を勝ち取ってほくそえむという場合はあり得る。裁判官といえどもすべて真実を見抜くことはできない。だからといって、自白を強要し結果として冤罪を生み出しては決してならないというのが裁判のありうる正しい姿ではないか。
 本当に悪いことをした犯人には厳罰をもって臨み、疑わしいものには、最大の慎重さが求められなければならない。鳩山氏は、死刑の執行という点でぶれない信念があるが、犯罪を裁くという点では危うさを持っている。

沖縄訪問その三

2008-02-13 11:23:00 | Weblog
2008.2.13
 2月10日の午後、沖縄戦終焉の地「摩文仁の丘」を散策した。ここには、平和記念公園があり、平和の礎、健児の塔や各県の慰霊塔などが立ち並んでいる。
 昭和20年6月23日、第32軍の牛島満司令官は長勇参謀長とともにこの地で自決したとされる。自決した壕や彼らを祭った「勇魂の碑」もあり、遺族であろうか花も供えられている。各県の慰霊碑はそれぞれの特徴があり面白い。私たちは敢えて韓国の慰霊碑に花を供えた。
 次に南城視市玉城にある糸数アブチラガマを訪れた。沖縄戦では、自然の洞窟が住民の避難場所となり、また日本軍の作戦基地や野戦病院としても利用された。戦争が激しくなると、ガマは軍民同居の形となって米軍の攻撃の的となり、多くの命が失われた。
 このアブチラガマは南風原陸軍病院の分室で、一時は270メートルの壕内に600人以上の負傷兵で埋まったとされる。中へ入ったが漆黒の闇で通路は水に濡れ滑りやすく、当時は整備してあったとはいえ、こんなところに何か月も生活していたのかと思うと胸が痛くなる。どのガマでもそうだが、ここでもやがて住民は軍に追い出されることになる。避難の最中に砲弾に当たって死んだものも多い。
 11日には、沖縄国際大学での滞在のあと、宜野湾市にある佐喜真美術館を訪れた。ここは原爆の図で有名な丸木位里・俊さん夫妻が描いた「沖縄戦の図」が展示されていた。沖縄戦の悲劇を大キャンバスに見事に描き出している。普天間飛行場の端に位置しており、佐喜真道夫さんが返還された普天間基地の一部を使って1994年に開館した個人営の美術館である。年間の入館者は、修学旅行生を中心に年間5万人ほどで何とか運営できているとのことであった。
 ところでこの沖縄滞在中に二つのニュースが飛び込んできた。
一つは、岩国市の市長辞任に伴い、米空母艦載機移転の是非が最大の争点になった市長選が10日投開票され、移転賛成の前自民党衆院議員、福田良彦氏(37)が、小差(1782票)で移転反対の前市長井原勝介氏(57)の再選を阻み、初当選を果たしたことである。
 岩国市民は2006年3月の住民投票、同年4月の前回市長選で示した「移転反対」の意思を180度転換した形を示したことになる。これで政府は在日米軍再編に弾みを付けたい考えで、沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場の同県名護市への移転計画にも影響を与えそうである。しかしこの選挙ほど政府による介入が大きかったものはなかったのではないか。約束済みの市庁舎建て替え補助金35億円をカットしたり、負担が増える自治体に払う再編交付金の対象からもはずなど卑劣な対応によって勝ったとしかいえないものである。
 もう一つのニュースは、沖縄県警沖縄署が11日未明、中学3年の少女(14)を暴行したとして、強姦の疑いで米海兵隊キャンプコートニー所属の二等軍曹タイロン・ハドナット容疑者(38)を逮捕し、同容疑で送検したというものである。
 沖縄署の調べでは、ハドナット容疑者は10日午後10時半ごろ、北谷町北前の公園前路上に止めた車の中で少女に暴行したというもの。
 思うに、この暴行事件がもう1日早く起こっていれば、岩国市長選挙の結果は変わっていたかもしれない。基地が存在し、それが大きくなればなるほどこうした事件は必ず起こるということは他の基地で既に実証済みである。それにもかかわらず基地賛成の市長を選んでしまったことに岩国市民は本当に納得しているのだろうかと考え込んでしまう。
 米軍基地が再編強化されていくことが、歴史を逆戻りさせていることに気がつかないうちにどうにもならなくなっていたのが、戦前の軍国・国家体制であった。沖縄戦の実態を見てきたあとだけにそうした思いを一層強く持つものである。