2010.9.28(火)
東大大学院教授の姜尚中さんが、週刊誌アエラのエッセイ「愛の作法」の中で、次のように述べている。
『万事にわたって世論が「神の声」となる社会に危うさを感じます。なぜなら、この神は移ろいやすく、自らが変わっていくことに対して無頓着だからです。なぜ変化するのか、その理由がわからないまま、時々の世論という名の「神の声」が絶対的な権威をまとうとしたら……。そして政治家をはじめ指導的な立場の人々が、それに限りなく迎合し、自らを「神の声」のように思えるものも、実に移ろいやすい無定形なものであることを肝に銘じておきたいものです。』
ズバリ、名古屋の河村市長に対して言っているように思えてくる言葉である。姜さんにそんなつもりがないことは明らかであるのだが、名古屋市議会のリコール運動の先頭に立って旗を振っている河村市長を見るとこの文章と河村さんとがぴったりと重なるように思える。
姜さんはこの文章を通じて、特に為政者に対して肝に銘ずるように普遍的な言葉としていっているのだが、名古屋で起こっている事態はまさにこの警告に値することである。しかし、リコールそのものは確実に成立するであろう。
それを否定しようとは思わない。しかし、『万事にわたって世論が「神の声」となる社会に危うさを感ずる』のです。
東大大学院教授の姜尚中さんが、週刊誌アエラのエッセイ「愛の作法」の中で、次のように述べている。
『万事にわたって世論が「神の声」となる社会に危うさを感じます。なぜなら、この神は移ろいやすく、自らが変わっていくことに対して無頓着だからです。なぜ変化するのか、その理由がわからないまま、時々の世論という名の「神の声」が絶対的な権威をまとうとしたら……。そして政治家をはじめ指導的な立場の人々が、それに限りなく迎合し、自らを「神の声」のように思えるものも、実に移ろいやすい無定形なものであることを肝に銘じておきたいものです。』
ズバリ、名古屋の河村市長に対して言っているように思えてくる言葉である。姜さんにそんなつもりがないことは明らかであるのだが、名古屋市議会のリコール運動の先頭に立って旗を振っている河村市長を見るとこの文章と河村さんとがぴったりと重なるように思える。
姜さんはこの文章を通じて、特に為政者に対して肝に銘ずるように普遍的な言葉としていっているのだが、名古屋で起こっている事態はまさにこの警告に値することである。しかし、リコールそのものは確実に成立するであろう。
それを否定しようとは思わない。しかし、『万事にわたって世論が「神の声」となる社会に危うさを感ずる』のです。