名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

大震災で祝いごとや遊びごとは自粛すべきか!

2011-03-30 21:45:58 | Weblog
2011.3.30(水)
 3月11日の大震災があってから、行政、企業に限らず国民一人一人が祝いごとや遊びごとなどを自粛するという傾向が広まっているという。
 名古屋では、名古屋女子マラソンが3月13日開催という余りの直後ということもあってか中止となった。3月は謝恩会や歓送迎会の時期であるが、自粛して中止や延期が続出しているらしい。まもなく桜のシーズンであるが、それぞれの名所では派手な行事は慎むという。
 結婚式場やホテルでの結婚式を延期する申し出も多いという。テレビのCMについては、3月24日付の当ブログでも書いたが、一時公共広告ACジャパンのCMが独占する状態があった。
 旅行も国内、国外を問わず自粛して中止する人たちが多く、旅行業界は頭を悩ます。旅行先の旅館・ホテルや輸送機関の飛行機、JR、バス業界も伸び悩んでいる。
 その他いろいろのところで、あそこがやめればこちらもやめようという自粛ムードがただよって、ますます活気を失っていく。
 こんなことで果たしてよいのであろうか。被災地域の人たちはこれで納得するのであろうか。
東北地方では、これから桜の花見シーズンに入るし、その後には三大祭とも五大祭ともいわれる夏を彩る祭典が待っている。大酒を飲んでドンチャン騒ぎをすることはともかく、伝統ある祭りの賑わいまで消すことはあるまい。それらはきちんと開催して、みんなが参加するほうが実際に被災地域を応援することになるし、経済の活性化のためにも良いのではないか。
 春の選抜高校野球は被災地の高校も参加して、盛り上がっている。ちじこまるのではなく、元気を出すことにはもっと積極的になろう。

野菜の出荷停止でついに自殺者出る!!

2011-03-29 09:47:13 | Weblog
2011.3.29(火)
 福島県須賀川市で3月24日朝、野菜農家の男性(64)が自宅の敷地内で首をつって自ら命を絶ったと報じられている。
 福島第一原発の事故による放射能汚染の影響で、政府が福島県産野菜の一部について「摂取制限」の指示を出した翌日のことである。
 報道によると、この男性の自宅は地震で母屋や納屋が壊れた。畑の約7500株のキャベツは無事で収穫直前だった。23日にキャベツの摂取制限指示が出ると、「福島の野菜はもうだめだ」という男性のつぶやきを次男が聞いており、次男は「今まで精魂込めて積み上げてきたものを失ったような気持ちになったのだろう」と語ったという。
 遺書はなかったが、作業日誌は23日までつけてあった。遺族は「原発に殺された」と悔しさを募らせているが、長女(41)は「こんな状態がいつまで続くのか。これからどうなるのか。農家はみんな不安に思っている。もう父のような犠牲者を出さないでほしい」と訴える。
 こうした事態に鹿野道彦農水相は「支援の仕組みを考えている。仮払いのような仕組みも考えている」と委員会で早急に取り組む考えを示している。
 死者・行方不明者18000人余という地震と津波の惨状やその後の被災者の厳しい避難所生活、また原発に脅かされる地元の不安を思うにつけ、これぞ「死ぬも地獄、生きるも地獄」の言葉どおりである。
 それにしても東京電力の幹部の姿が見えない。後始末は責任のない従業員に任せて、もはや逃げ隠れしているとしか思えない。


大震災での買占め

2011-03-27 21:02:29 | Weblog
2011.3.27(日)
 東日本大震災の発生後、東北地方や関東地域でスーパーやコンビニから食料品や日用品が品切れになったと報じられていた。被災地域では自ら必要なものは買わなければならないし、親類縁者や知人・友人への援助のため品切れになることは理解できる。
 今回は特に、カップめん、缶詰、水のペットボトル、紙おむつ、ガスボンベ、乾電池といったものがこの中部地方でも品薄状態が続いていたという。
 伊勢湾台風のときも、コンビニなどまだ無いというように時代背景が異なっていたが、一部の食料品など買えなかったことを記憶している。
 またオイルショックのときは、トイレットペーパーや石鹸などの日用品があっという間に店頭から消えたという苦い経験がある。この時は自然災害があったわけではなく、ちょっとしたデマから無いと困る日用品を多くの国民が買いに走ったことから起こった。この時の経験で人々は、デマや風評で買い占めを行うことは悪いということを学習した。
 今回報道されているような一部商品の品薄状態は、目くじらを立てるようなものではないように思う。現地への支援のために買ったり、防災用に買ったりしたに過ぎず、買い占めようとしたものではないと思われる。
 今回の災害は被災地は勿論、全国民が胸をいため、これまでにない何とかしたいという連帯感を生んだ。ましてオイルショックのときのような利己的な買占めなどなく、多くの人々は常識的な行動をとっている。
 大災害という辛い体験であるが、市民意識が大きく成長していることが見えたことは何がしか気持ちを明るくする。

ますます重大化する東電原発の放射能汚染!!

2011-03-25 17:41:07 | Weblog
2011.3.25(金)
 東日本大震災発生後、今日で二週間が経過した。死者は1万人を超え、行方不明者も1万7千人を越えて計2万7千400余人にのぼった。まだ不確定な行方不明者も多数にのぼると見られ、被害の全容は依然として不透明だ。
 中でも東電の第一福島原発の破壊による放射線の汚染はいまや止まるところを知らない勢いである。1号機から4号機までの破壊は特に著しく、水素爆発や火災によって見るも無残な姿をさらしている。
 このため放射能汚染は広範囲にわたって広がり、野菜、家畜、上水道にまで被害が出ている。原発から20キロ~30キロ内の住民の自主避難まで呼びかけるに至っている。
 昨日は、3号機のタービン建屋で運転中の原子炉内の水に比して約1万倍の濃度の放射性物質を検出した。このため、作業員二人が高い放射線を浴びて入院するという事態を招いた。こうして放射能漏れの事態は悪化する一方で、改善の兆しは全く見えない。
 経産省の原子力安全・保安院はテレビにしばしば登場しているが、第三者的な評論・感想を述べているだけで、踏み込んだ解決策を示そうとしない。また政府も危険な濃度ではないから慌てるな、と言うだけである。
 これまでの東電の取り組みを見ていると、どうしようもない事態で危険な作業を従業員に強いるわけにはいかない。国民も我慢して納得してほしい、と言っているに等しい態度である。現場の作業員に危険な作業を押し付け、社長以下幹部は安全な場所から指令を出しているのは、戦前の大本営と一緒である。幹部は自ら現場に身を投げ、一緒に作業する意気込みがなければ部下はついてこない。政府も、マスコミもまた東電すら従業員を危険にさらせないなどと甘いことを言っているが、今や日本国民1億人に危機が迫っているのだ。その危機意識が全く見えてこない。原因は未曾有の大災害であることは否定しないが、放射能汚染という危機を作り出している直接の原因者は東電であり、ひいては政府ではないのか。

大震災後のTVコマーシャルの不思議

2011-03-23 07:12:07 | Weblog
2011.3.24(水)
 大震災後の民放テレビのコマーシャルが変わっている。最初のうちは気がつかなかったが、企業名のない広告が何度も繰り替えされいるのだ。しかも、どのチャンネルも同じ内容のものを放映している。
その内容の一つは
「こころ」はだれにも見えないけれど「こころづかい」は見える
「思い」は見えないけれど「思いやり」はだれにもみえる
であり、他にも「挨拶の励行」や「子どもとのコミュニケーション」を勧める内容などとなっている。
 この広告の提供者としてテレビ画面では
  その気持ちをカタチに 民間の広告ネットワーク AC JAPAN(公共広告機構) 会社員のご支援で活動しています
  となっている。

 震災後2週間近くが経過して、通常の広告も少しずつ見えてきたが、それでもまだ大半はこの内容のコマーシャルとなっている。
 大震災後の緊迫の中で、自社製品の宣伝を行うのは気がひけるというのであろうか。
分からないわけではないし、このことに異論を持つわけでもないが、どのチャンネルでもどの番組にでも同じ広告を見せ続けられると少しの違和感を禁じえない。
ネットで調べてみると、「こころ……」の詩は宮澤章二の「行為の意味」からとったものとある。
またAC JAPANは、放送、新聞、広告業等の広告を扱う企業を会員として約1200社(2009年現在)が加盟しているという。個人(賛助)会員は年6,000円、法人(正)会員は年120,000円の会費である。
こうした広告が通常の形になるのが復興の証しになるのであろうか。しかしこの程度の会費ではいつまでも続くとは思えないのだが(どうでもよいが)。
 

名古屋空襲犠牲者追悼の夕べ

2011-03-19 22:31:51 | Weblog
2011.3.19(土)
 66年前の3月19日は名古屋の市街地をB29が襲って焼野原にした日だ。その空襲で焼死した人を悼んで、戦争と平和の資料館ピースあいちでは追悼の夕べを催した。折りしも、東北関東大震災で多数の犠牲者が出た直後でもある。併せて哀悼の意を捧げることとした。
 この催しの中で、昭和20年3月19日名古屋市中区御園町でB29の空襲に遭遇した津田さゑ子さん(当時国民学校1年生)がその体験を詩にして語ってくれた。

   『大空襲の夜』
私が生まれた街   名古屋市中区御園町が   一夜で燃えつくされた夜を
今もはっきり憶えている

昭和20年3月19日の夜   空襲警報のサイレンが終わるや
B29が轟音を響かせ     大きな姿を現わした

着の身着のまま寝ていた私   「急いで」と母にうながされ
小走りで外に出てみれば    いつもと違うそのありさま
あちこちから焼夷弾の     煙と炎が立ちのぼる  

家族揃う術もなく   前に決めた場所目指し  広い通りへ出てみれば
逃げまどう人がひしめいて   大きな荷物をしょった人
重そうな大八車やリヤカーが  北へ 南へと流れて行く

乳母車を押す母は   3歳の妹をおんぶして  必死で歩く私を気づかう
中学2年生の兄は   重たくなった自転車を捨てたいのを
我慢して喘ぎながら引いていた

ゴーゴー バリバリと容赦なく  炎は街を嘗めまわす
焼けたトタンが空を舞い   大きな塊が飛び出して  小さな火の粉は雨霰

真昼のような明るさで   ビュービュー熱い風が吹く
小さな体は熱をおび    目 鼻 口は カラカラだ

目指すは前に焼けた跡   広い空地になっていた
ばらばらに家を出た母子  奇跡的に巡り会い  うれし涙が頬濡らす
ほっとする気も力無く   恐怖と疲れで眠れない

東の空が白む頃   霞の中で太陽が   白く丸く(まーるく)浮かんでいた 

父にはまだ逢えないと  不安の気持ちおし隠し  我が家へ向かうその道で 
目にとび込む光景は   くすぶり続く焼野原  
立ち木はどれも黒こげで  姉の指さすその先に  四角く残るデパートだけ 

ふと後方に目をやれば  大須観音がまるで  まっ赤なお椀を伏せたごと
きれいな形で焼け崩れ  今なお眼裏(まなうら)に残っている

ようやく我が家に辿りつき  くすぶり続ける焼跡に  呆然と立つ父を見た
幽霊でないとわかった時   互いの無事に感謝した

けれどこれから何処へ行く?  父と母は思案顔

その時父の旧友が  知多の方から自転車で  訪ね訪ねておにぎりを 
お見舞いとして下さった 
地獄で仏に会ったようで 皆んなで美味しく頂いた 人の情がうれしかった 

でも本心は味気なく  悲しい思いが増すばかり
自慢にしていたおひな様  兄の大切な本箱も  姉の新しいオルガンも
みんなみんな消え失せた

神風が吹いて勝つと言われた戦争は  多くのものを灰にして
子供や大人を苦しめる これが戦争ということなの? 幼い私にはわからない

私は中ノ町国民学校1年生  焼けた日を境に先生や友達に
一度も会うことはなかったのです

大震災で円急騰、株価暴落!!

2011-03-18 08:08:31 | Weblog
2011.3.18(金)
 大震災で日本が国難に遭っているというのに、日本企業にとっては新たな危機が襲い掛かっている。
 17日の外国為替市場で円相場は一時、1ドル=76円25銭まで急騰し、1995年4月につけた史上最高値(79円75戦)をあっという間に突破し、約16年ぶりに最高値を更新した。輸出企業の想定レートを大きく上回り、このところ業績改善が進んできた企業の利益が吹っ飛んでしまう。
 大震災とそれに伴う原発事故で日本のダメージは計り知れないはずなのに何故、円が買われるのか。
 エコノミストによると、今回の大震災を契機に世界的な株価暴落でダメージを受けた投機筋に「金利が低い円を買い戻す動きが急速に広がった」というのだ。また、日本企業が外貨建て資産を売って円に換えるとの見方や、国内の保険会社が震災による保険金支払いに備えるため、ドル建て資産を売って日本に送金する動きもあるという。
 一方で、「実際にそうした現象が起きているというよりも、投機的な資金が先回りして円買いを浴びせたという側面が強い」と指摘するエコノミストもいる。
 これに似たことは、1995年1月に起きた阪神淡路大震災でも起こった。
 しかし、震災による日本経済への打撃は計り知れない。2008年のリーマンショック後、安全資産はドルから円に移ったが、今回の大災害で日本の地位は大きく崩れた。これだけのダメージを受けていつまでも円高が続くとも思えない。
 株価の方も15日の東京株式市場で大暴落した。その下げ幅は一時、1300円を超え、リーマンショック後の2008年10月16日の下げ幅1089円を上回った。
 電力の供給不足が続き操業停止に追い込まれる工場が多く出て、経済活動への影響は必至である。折角上昇に転じていた株価もしばらくは低迷を余儀なくされるであろう。


福島第一原発の危機的状況

2011-03-17 20:42:13 | Weblog
2011.3.17(木) 
 東日本大震災で被災した東京電力福島第一原発は冷却装置の破壊から放射能汚染の危機が広がりつつある。
 地震発生時に稼動していた1号機、2号機、3号機とも冷却用の水位が低下し、初の炉心溶融という事態を招いた。また定期検査中だった4号機でも水素爆発を起こし、外部に高濃度の放射性物質を出している。
 こうした事態に、政府の対策本部は陸上自衛隊のヘリコプターから水の投下を行ったり、今日になって警視庁の高圧放水車を使っての放水も行われた。しかし、原子炉周辺の放射能の濃度が高いことから、作業員の被爆を恐れて実施まで随分と時間がかかったため事態の改善は進まず、また放水の模様もテレビで見る限りでは、本当に効果があったのか心もとない有り様である。
 全世界が注目する中、最悪の事態も視野に入ってきたというのに、ここにいたっても作業員の危険を恐れて時間を延ばしていてよいのであろうか。
 政府は枝野官房長官などほとんどテレビに出ずっぱりの状態で頑張っており、菅首相も必死の様相である。それに引き換え、この段階でも東京電力の社長以下幹部の姿が見えないのはどうしたことか。国民への対応は政府に任せるなら、東電の社長らは現地に飛んで自ら陣頭指揮にたち、原子炉格納庫に飛び込むぐらいの意気込みを見せないで、作業員を引っぱることなどできるはずがない。
 外国政府の自国の国民への避難措置の指示を見ていると、彼らはもはやスリーマイル島よりもチェルノブイリ以上の深刻な事態を想定しているほどである。
 もはや一刻の猶予も許されない。決めたことは果敢に挑戦し、これ以上の危機は一刻も早く解消してもらいたい。

東日本大震災 恐るべき被害の拡大

2011-03-15 20:31:44 | Weblog
2011.3.15(火)
 3月11日の地震発生以来、4日余りが過ぎた。M9.0の記録的な地震の発生とそれに伴う10㍍を超える巨大津波による被害の実態が日を過ぎるにつれて明らかになってきた。
 15日現在で、死者・行方不明6千人以上、避難所に身を寄せた人は約55万人、全壊、半壊、破損建物は合わせて約7万3千棟の被害が報告されている。この他に、1万人とか1万5千人ともいわれる安否の確認が取れない人がいるという。
 さらに恐ろしい事態は、原子力発電所での放射能漏れによる放射能汚染が日に日に明らかになってきたことである。今回の地震によって東京電力の福島原子力発電所の1号機から3号機までの原子炉で、冷却水の水位低下が起こり、初の炉心溶融という事態となった。この間、1号機と3号機では水素爆発を起こし、建屋の上部が飛散した。
 今日15日になって、ついに原子炉格納容器本体の一部に損傷が出て、原発周辺で放射線濃度が上昇するという最悪の事態となった。その上、地震時には定期検査中で稼動していなかった4号機でも水素爆発が起こり、火災が発生した。これらの結果、敷地内で1時間当たり最大400ミリシーベルトの放射線が観測された。これは一般人の年間被爆線量限度の400倍となるレベルという。この放射能漏れの影響は隣県の茨城県や東京など関東地方に広がり始めた。
 こうした事態に、菅首相自ら半径20キロ以上、30キロの範囲の人は外出しないで、自宅など屋内に待避するよう呼びかけた。
 一方で、地震発生から96時間ぶりに20代の若い男性が壊れた家の中から救助された。その4時間前には75歳の女性が92時間ぶりに救助された。生存の限界を超えた奇跡的な救出である。
 テレビではどのチャンネルも連続してこの巨大地震と大津波の被害の出来事を放映している。大津波が襲う状況が放映されるにつけ、その恐ろしさをまざまざと見せ付けられている。
 全国からの救援活動はもちろん、世界からの救援隊も続々到着している。
 17年前の阪神淡路大震災も究極の大災害であったが、今回の事態はそれをも遥かに超える恐るべき大災害である。この事態に石原慎太郎東京都知事は、『天罰だと思う』と発言して、早速『被災者の失意と無念は拝察するに余りある。同じ日本に住む者として、明日はわが身、わがことであると思う』と陳謝している。


名古屋市議会 減税日本第一党に!

2011-03-14 17:36:41 | Weblog
2011.3.14(月)
名古屋市議会 減税日本第一党に
 東日本大震災で少しかすんでいたが、リコールによって議会解散となっていた名古屋市議会出直し選挙の投開票が昨日13日実施された。
 
党派別当選者は次の通りとなった。
減税日本 28、 自民党 19、 公明党 12、 民主党 11、 共産党 5、 みんなの党 0、  合計 75

 これまで民主党は27議席で第一党であったが、一気に11議席まで落とし、第四党になるという惨敗を喫した。16区中5区で議席をゼロにした。国政レベルにおける民主党の支持率低下を如実に反映する厳しい結果である。ベテラン議員では、諸隈修身氏、梅村邦子氏、梅村麻美子氏、吉田隆一氏らが涙を飲んだ。
 自民党は23議席から4議席落として19議席となった。選挙前の厳しい予想からすると健闘と言えるのでないか。水平和江氏が涙を飲んだ。
 公明党は12人の候補者全員の当選を果たした。前回は14人の当選者を出したが、2議席減である。河村市長のとなえる議員報酬半減にいち早く賛成の方針を打ち出した。変わり身の早さはこの党らしい。
 共産党は3議席減らして5議席まで落としたが、みんなの党は議席の確保はならなかった。
 さて河村市長率いる減税日本は過半数を取ると豪語して41人の候補者を立てたが、当選者は28人にとどまった。 それでも現職一人が一気に28人だからその勢いが驚異的であることは間違いない。複数当選者が12区に上って文句なしの第一党である。しかしながら、過半数を取ることは出来なかったから河村市長の思い通りでなかったことも事実である。
 そういう意味で名古屋市民は微妙な票数を河村市長に与えた。市長選では河村氏に投票したが、市議選ではこれまでのしがらみも含めて既成政党に投票するというねじれ心理が、河村氏の独裁を食い止める結果を生んだと言える。
 4月には統一地方選があるが、政権党である民主党の厳しさが如実に示された選挙でもあった。