名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

東海市芸術劇場でベルディの「椿姫」を観劇

2024-07-07 19:30:41 | Weblog
2024.7.7(日) 
 今日午後2時、東海市芸術劇場大ホールで開演の、ベルディの歌劇「椿姫(ラ・トラビアータ)」を連れ合いと聴きに出かけた。
管弦楽は、名古屋テアトロ管弦楽団、合唱は、名古屋テアトロ合唱団、指揮は、辻博之氏が担当した。
 曲は、第一幕から第3幕迄、休憩をはさんで3時間に及ぶ大作で、ソリスト9人が出演した。
 曲は聴き慣れた名曲なので、最後まで楽しく聴くことができた。ソリストも合唱も力いっぱい歌ってくれた。
プログラムも一部楽譜付きで、丁寧な解説があり、これも大いに参考にすることができた。満員の聴衆も出来栄えには満足できて、
終わりには、万雷の拍手でその成功を祝った。納得のできる良い演奏会であった。




将棋の伊藤匠さんが新叡王に

2024-07-05 10:36:40 | Weblog
2024.7.5(金)
 将棋の伊藤匠(21)さんが第9期叡王戦5番勝負で藤井聡太七冠(21)に勝ち、悲願の初タイトルを獲得した。同い年の「絶対王者」の独走に待ったをかけた伊藤叡王、「現状では実力も足りていない。タイトルホルダーとして良い将棋を指したい」と抱負を語った。
 昨年度は竜王戦、棋王戦で藤井七冠に挑戦したが、いずれもストレート負け。叡王戦に向け、AIでの研究をさらに掘り下げながら練習を重ねた。タイトルへの思いが重すぎた。良い将棋を指すつもりでやろう」と、平常心を心がけて臨んだ。
 第1局は敗れたが、第2局では待望の初白星を挙げた。第3局にも勝ち、タイトル奪取に王手をかけた。しかし第4局では藤井七冠が勝ち、2勝2敗のタイに持ち込んだ。そして第5局を制した。
 伊藤叡王と藤井七冠は、幼いころからの縁があるという。小学3年生で出場した全国大会の準決勝で初対戦し、敗れた藤井七冠が大泣きしたのは、今も語り草だという。
 「藤井七冠が上がっていく悔しさもあったが、将棋を見れば実力は明らか。須直に目標にしないと」。気持ちに折り合いをつけて背中を追い、ついにタイトルを奪い取った。
 唯一の趣味は野球観戦で、名古屋市出身の両親の影響で、中日ドラゴンズの大ファン。「一手一手丁寧に指す棋風なので、。雑にならず精度を上げて良い将棋を作り出したい」と意気込みを新たにした。

日銀、新紙幣を20年ぶりに発行

2024-07-03 21:04:13 | Weblog
2024.7.3(水)
 日銀は今日3日、約20年ぶりにデザインを刷新した紙幣を発行した。
 1万円札、5千円札、千円札の3種類で、1万円札の肖像は福沢諭吉から実業家の渋沢栄一に交代、5千円札は樋口一葉から女性教育の先駆けとなった津田梅子、千円札は野口英世から近代医学の基礎を築いた北里柴三郎に変更する。裏面は1万円札が東京駅丸の内駅舎、5千円札が藤の花、千円札に葛飾北斎の富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」を採用した。6月3日は1兆6千億円分の新紙幣を送り出す予定という得て岸田首相は日銀本店で記者会見し、「新紙幣が親しまれ、日本の経済に元気を与えて暮れることを期待したい」と述べたという。今日の発行額は、1兆6千億円とのこと。
 名古屋市の日銀名古屋支店でも、3日午前8時過ぎから引き渡しを始め、新紙幣が複数の金融機関の現金輸送車に積み込まれた。
 新紙幣が筆者の手元に来るのはいつになるのであろうか。期待して待つこととしよう。

将棋の藤井聡太七冠が最年少で「永世称号」

2024-07-02 17:17:48 | Weblog
2024.7.2(火)
 将棋の藤井聡太七冠(21)-竜王・名人・王位・王座・棋王・王将・棋聖に山崎隆之八段(43)が挑戦する第95期棋聖戦5番勝負の第3局が1日、名古屋市中区の万松寺で指された。後手番の藤井七冠が100手で勝ち、3勝0敗で5連覇を達成し、永世棋聖の資格を獲得した。21歳10か月での永世称号獲得は史上最年少で、1971年に永世棋聖の資格を得た中原誠16世名人(76)の23歳
11か月を更新した。
 永世称号は、同一タイトルを一定数獲得した棋士に贈られる「殿堂入り」のような制度。棋聖戦では通算5期獲得が必要となっている。藤井七冠は17歳11か月だった2020年7月、渡辺明九段(40)から棋聖を奪取し、史上最年少でタイトルを獲得。以降一度も敗退せず、最短コースでたどり着いた。
 藤井七冠は6日に名古屋市で開幕する「伊藤園おーいお茶杯第65期王位戦7番勝負」で、二つ目の永世称号となる永世王位を懸け、渡部九段と戦う。どうなるか、これも楽しみだ。

円相場一時161円台をつけて37年半ぶりの円安を記録

2024-06-28 17:09:17 | Weblog
2024.6.28(金)
 6月28日午前の東京外国為替市場の円相場は、対ドルで下落し、一時1ドル161円20銭台をつけた。1986年12月以来、37年半ぶりの円安ドル高水準となった。4月29日に1ドル=160円台前半まで下落した際、政府・日銀が円を買う市場介入に踏み切ったと見られており、市場では再度の介入への警戒感も強まっている。
 外国為替市場の円相場は、今月26日に一時、1ドル=160円台後半をつけ、その後も円安の流れに歯止めがかかっていない。
 この事態は、我々の日常生活に特に大きな影響があるわけではないが、対ドルで円の価値が下がっていくのは何となく気にはなる。日本は輸入に頼っている部分が大きく、円安はその分、日本経済に影響を与えることは避けられない。

2024年「朝の音楽祭」を聴く

2024-06-27 17:02:05 | Weblog
2024.6.27(木)
 今日、午前10時30分から緑文化小劇場で開催された標記の音楽会に、連れ合いと聴きに出かけた。
「朝の音楽祭・世界の歌」と題して、ソプラノ村島増美さん テノール安賜勳氏二人の独唱である。ピアノ伴奏は高橋宣江さんが担当した。
 主な曲目は、ガブリエル・フオーレの「夢のあとに」、マヌエル・デ・ファリャの「ムーア人の織物」のほか、グリーグの「ソルベイグの歌」、チャイコフスキーの「ただ、憧れを知る日とは」、中田喜直の「夏の思い出」の曲などを見事な歌声で披露した。
 会場は500人ほど収容の小劇場であるが、ほぼ満席の聴衆は大きな拍手で歓迎した。親しい曲ばかりで、心が和んだ良い演奏会であり、爽やかな朝の演奏会でもあった。

釣り仲間と釣行

2024-06-21 12:10:34 | Weblog
2024.6.21(金)
 昨日20日(木)、伊藤氏ら釣り仲間4人で福井沖の「福丸」に乗船し、イカ釣りに挑戦した。
リールに、アジ釣り用の胴付き仕掛けに、おもり(錘)は60~100号である。
 曇り空で、今にも降り出しそうな天気であったが、なんとか最後まで持ったのは幸いであった。
 結果、筆者の釣果は
  サバ 12匹  イカ 10杯とマアマアの成績であった。
 翌日には、早速妻の料理で、刺身と煮つけをおいしく味わった。釣りの醍醐味である。



 




豊藤稲荷神社に参拝

2024-06-16 08:04:08 | Weblog
2024.6.16(日)
 昨日(15日、土曜日)、南医療生活協同組合主催で、緑区内にある豊藤稲荷神社を参拝した。
 豊藤稲荷神社は、緑区内作の山町の小高い丘に鎮座する神社である。その境内には、天に駆け上がる勇壮な龍を思わせるご神木「藤龍」が祀られ、本年は例年以上に多くの参拝客でにぎわいを見せていた。
 この神社は、1848(嘉永元)年4月に創建された由緒正しい神社とのことである。
 嘗て朝日山と呼ばれたこの地は、織田信長と今川義元の合戦「桶狭間の戦い」に関わるところである。1560(永禄3)年5月、わずか3000の兵を率いた織田信長は、今川義信の約25000とも伝えられる桁違いの軍勢に挑み、起死回生の大勝を収めた。この時、織田軍が集結したのが、砦公園及び豊藤大明神が鎮座していた朝日山一帯。日本の歴史の大きな転換点となった栄光の地として知られる。
 辰年の今年は、境内に祀られている「藤龍」のご神木が注目を集め、元旦から多くの初詣客で賑わったという。朝日山に自生する山藤が、長い年月をかけ龍のように変化したもので、その様子は今にも登っていきそう。10年ほど前、何気なく藤を見ていた本田さんが「なんだか龍の頭のように見える」と気付いたのが「藤龍」の始まりだったという。
 「藤龍」は自然に任せながら朽ちないように支柱で支えて大切に見守られている。織田信長が勝利をつかんだ地に現れた「龍」をひと目見ようと、運気上昇などを願う参拝客が数多く訪れている。
 毎年、4月14日に行われる春の大祭には、千鳥丘中学校の和太鼓部による勇壮な演奏と共に、藤の花をじっくり拝むことができそうである。




市栄専学友会に出席

2024-06-09 17:14:35 | Weblog
2024.6.9(日)
 連れ合いの卒業した「令和6年度名古屋市立栄養専門学校」の学友会総会が9日開催され、それに連れ合いと出席した。
参加者名簿によると、6期から41期まで35名の会員が参加した。これに筆者ら二人が特別会員として名簿に載せられていた。栄養士というと、女性と思われがちだが、名簿には8人の男性の名があった。
 総会の内容は、今年1月1日にあった能登半島地震の支援の報告が主なものであった。
 1月10日には、支援の打診があり、13日には支援の決定が行われた。第1陣は1月9日~12日、第2陣は1月18日~21日、それぞれ3名のリーダーが決められ、支援に従事したという。主として救援物資の搬送が任務であった。
 総会としては、令和5年度の収支決算の報告と令和6年度の収支予算を決定することであった。会議は無事終了した。
 




消えゆく戦争の記憶

2024-06-07 08:43:28 | Weblog
2024.6.7(金)
 今朝の中日新聞に「熱田空襲慰霊の地蔵」が撤去されることになった、との記事が載った。
 太平洋戦争の末期、2千人強が犠牲になった「熱田空襲」の慰霊のため、愛知時計電機(名古屋市熱田区)敷地に設置された2体の地蔵のうち、歩道沿いの1体が7月に撤去される、という。転倒すると歩行者に危険がおよびかねず、長年供養してきた有志の高齢化も背景にあるという。戦争の記憶を継ぐ象徴が失われることに、住民の一部からは反対の声が上がっている。
 同社北側にある地蔵はたか愛開発さ約3M で、歩道から約20センチの位置に立つ。納屋橋周辺の商店主でつくる任意団体によって置かれ、遺族らが毎年、空襲のあった6月9日に慰霊祭を開いてきた。
 だが、地蔵を供養してきた法然寺(中川区)によると、メンバーの高齢化や納屋橋エリヤの再開発で活動を停止。最後の法要があった2021年では数えるほどだった、という。地元も撤去に同視し、
愛知時計電機は9日に最後の慰霊祭を開き、来月撤去を予定しているという。
 一方で、一部の住民でつくる「熱田空襲移籍を守る有志の会」6月3日、同社と市に撤去中止と地蔵の改修などを求める申し入れをした。地元では、維持が難しいことも理解しつつ「移設や補強などの方法もある」と訴える。
 「遺族の66年の思いは地蔵の場所が移っても変わることはない」と地元の石原さん(60)は言う。申し入れは受け入れるが、同社は『改めて検討するが、現段階では撤去する方針」と理解を求めている。