名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

普天間、辺野古に戻って福島大臣を罷免

2010-05-29 05:39:24 | Weblog
2010.5.29(土)
 日米両政府は今日午前、米軍普天間飛行場の移設先を米軍キャンプシュワブのある名護市辺野古周辺とする共同声明を発表した。
 共同声明は移設先について、1800メートルの滑走路を持つ代替施設を「辺野古崎地区とこれに隣接する水域に設置する」と明記し、滑走路の場所や工法などの詳細は、事務レベルでの検討を「いかなる場合でも8月末までに完了させ」て、次回の閣僚会議で最終合意を図るとした。
 結局これは2006年に当時の自民党政権が米国と合意した内容と同じである。鳩山首相は今月末までに米国、沖縄、連立政権の合意を得るとしてきた内容がこれであるとは全くの驚きである。
 沖縄県民が納得するはずもないし、連立の一つである社民党も賛成するはずがないものである。最も後回しでよい米国の納得を得ただけに過ぎない。
 最低でも県外、と言ってきた首相が、米軍の抑止力の重要性に気がつかなかったと言って、あっさり最悪の決定にしてしまうなどこの人の頭の中はどうなっているのか常人には理解できない。また、それを認めてしまう民主党の内部自体も一体どうなっているのか不思議である。
 鳩山首相は、地元に対してこれから誠心誠意説明し、理解を得ていくと言っているが、こんな案では絶対に沖縄県民は納得しない。さらに、反対した福島社民党党首を大臣としては失格として罷免してしまった。
 もう、民主党は自民党以上に理解不能の党である。むしろ自民党の方が穏やかで、紳士的であるかもしれない。国民は、確実に鳩山政権を見捨てるし、参院選では民主党自体が惨敗し、衆参ねじれ現象が再現して政治は混迷の一途をたどる。

大相撲暴力団観戦問題の決着

2010-05-28 09:20:34 | Weblog
2010.5.28(金)
 昨年7月の名古屋場所で、暴力団の幹部らが大相撲の特別席(維持員席)で観戦していたことが発覚して、またまた相撲協会の不祥事が露呈した。
 維持員席というのは『砂かぶり』と呼ばれる溜席(たまりせき)の中でも最前列の席で、名古屋場所の場合は最前列から4~5列目の300席がある。相撲協会に相撲の伝統文化を守るための『維持費』を6年で130万円を寄付するなどして、理事会で承認された人に割り振られ、本来は売買の対象ではないものという。
 ところで、大相撲の入場券の販売や座席の管理などは相撲案内所が扱っている。かつては、屋号を持った『お茶屋』と呼ばれていた。
 報道によると、この維持員席の整理券がお茶屋を通じて親方に渡り、さらに何らかの組織を通して暴力団に渡っていたという。このことに関わっていたとされたのが木瀬親方(40)=元幕内肥後の海と、清見潟親方(64)=元幕内大竜川の二人の親方である。
 維持費は6年ごとの更新前に維持員をやめる人・団体があるが、座席管理を請負うお茶屋はこうした人・団体に割り当てられた維持員席の入場券を買い上げ、名古屋場所の場合で1席約40万円(15日間通し)で販売していたという。
 木瀬親方は、『前から特別席の手配を頼まれていた』とお茶屋への関与を認めた。清見潟親方も木瀬親方から入場整理券の仲介を依頼されたことを認めている。
 協会としては、近年、弟子への暴行、大麻所持、朝青龍関の暴行事件など不祥事の続くなかで、今回の事件について厳罰化で臨み、木瀬親方については委員から年寄りへの2階級降格、清見潟親方についてはけん責処分とした。
 伝統や格式はよい面がある反面、形式化し悪弊となることもあり、ここを暴力団などに付けこまれる場合がある。これまでどれだけ『ごっつぁん体質』からの脱却が言われたか分からないほどだが、今回またまたその弱点が露呈した。外国人力士に席巻されて人気にかげりが続く大相撲だが、本来日本の姿に最も似つかわしいスポーツであるはず(スポーツといえるかという意見もあるが)である。
強い日本人力士の出現と相撲界からの不正の根絶を期待するのみである。

長兄の死

2010-05-26 05:47:07 | Weblog
2010.5.26(水)
 私的なことであるが、昨晩7時47分、筆者の長兄が亡くなった。享年85歳。男の平均寿命(78.6年)からすれば天寿を全うしたと言っていいのではないかと思う。
 戦前の生めよ増やせよの時代、親にとっては8人の子どもに恵まれた。日清、日露戦争を経て、欧米列強に伍して大国への道を歩んでいくには人口の増加は必須の課題であった。特に日中戦争から太平洋戦争へ突入していく中では、兵隊は消耗品として消費され、それを補う方策が「生めよ増やせよ」の国策となった。当時の親たちがそれに応えて子づくりに励んだかどうかは知らないが、少子化の現代からみれば信じられないような子沢山の家庭がどこにでもあった時代である。
8人兄弟姉妹の長男であった兄は、唯一人の軍人経験を持つ。19歳の時、繰り上げられた召集令状で中国戦線に投じられた。一回り以上も年の差がある筆者にとって、当時の状況はほとんど知らなかったし、理解もできなかった。戦争が終わって無事帰ってきても、当時の両親は喜んだらしいが、1年成長した筆者にとってはそんな兄がいたのかという感覚であった。
 あれから65年、兄は戦争のことについては全くといっていいほど語らなかった。戦後の厳しい時代を一家の長男としての重圧に耐えながら、懸命に生きてきたに違いない。筆者と末の弟を大学に行かせてくれたのも長兄の理解があったものと密かに感謝している。
 両親が亡くなってすでに35年が過ぎたが、8人の兄弟姉妹はこれまで一人も欠けることがなく、それぞれが家庭をもって、小さな平和を築いて来た。兄の死はその中での初めての経験である。

怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒

2010-05-24 08:36:20 | Weblog
2010.5.24(月)
 鳩山首相は23日、沖縄県を再訪して仲井真知事と会談し、米軍普天間飛行場の移転先について米軍キャンプ・シュワブのある名護市辺野古沿岸部に移設する考えを正式に伝えた。
 以下は、新聞に載った沖縄県の反応である。
「大変遺憾で、極めて厳しい」「県民は裏切られたという感じが非常に強くなっている」(仲井間知事)「極めて残念で怒りを禁じえない。断固反対する」(稲嶺名護市長)
「基地はいらない」「元の木阿弥」「沖縄県民を愚弄するな」「やっぱりか」「日米で先に合意した後、知事に伝えたことには驚いた」「基地の押しつけを許さない」「総理を県庁に入れない」「二度と来るな」「沖縄差別許さん」「首相と刺し違えたいぐらいだ」
 沖縄県民のやりきれない怒りとあきらめが漂っている。しかしこれは沖縄だけの問題ではない、日本国民全体の問題である

口諦疫罹患の牛・豚13万6千頭を処分

2010-05-23 15:49:20 | Weblog
2010.5.23(日)
 宮崎県で発生した牛・豚の伝染病である口諦疫の広がりが収まらない。依然として感染は拡大し続け、処分頭数は約13万6千頭に達したと報道されている。
 全く知らなかったが、牛についていえば宮崎県は種牛の産地でもあった。宮崎産の子牛は佐賀県や三重県などのブランド牛の生産地に出荷されており、例えば、それを松坂牛として育てるということである。育て方で、松坂牛にも佐賀牛にもなるということはつゆぞ知らなかった。
 それはさておき、この問題が明るみに出て1ヶ月ほどになるのであろうか、隔離、殺処分を繰り返しても感染は収まらず、豚を含めてとうとう13万頭にも及ぶ処分が行われてきた。
最近では、種牛の扱いについて宮崎県と国との対応で、違いが表面化してもめている。宮崎県家畜改良事業団が管理する種牛55頭のうち、49頭は殺処分することとし、優秀な種牛6頭を避難させたが、その6頭のうちの1頭に感染の疑いがかけられた。東国原知事は「宮崎県から種牛がいなくなる」との懸念から種牛49頭の殺処分方針を見直し、救済を国に要請したいと述べたが、国は否定的だという。49頭に口諦疫の症状は出ていなそうだから知事の気持ちも分かる気がする。しかし、どちらがいいのかは素人の我々には分からない。
 こうした事態から、民主党の四日市市議が自身のブログで「宮崎県知事と農水大臣は腹を切って死ぬべきである」と記載していたことが分かって、これまた批判が集まっている。市議は書き込みを削除し、「不謹慎であった」と謝罪したという。
 厳しい景気状況のなかで、一生懸命育ててきた農家の気持ちを思うといたたまれない。一刻も早い収束を祈るのみである。

絞りの竹田嘉兵衛氏宅でコンサート

2010-05-22 22:46:39 | Weblog
2010.5.22(土)
 有松絞り、鳴海絞りは伝統織物として有名なブランドである。竹田嘉兵衛氏はその有松絞り老舗商店の代々続くオーナーである。
 その竹田嘉兵衛氏主催のミニコンサートが今夜、嘉兵衛氏の蔵屋敷で行われた。ピアノの武本京子とチェロの藤森亮一によるデュオ演奏会である。演目はブラームスのチェロソナタ第一番作品38と同第二番作品99の2曲である。
 超一流の二人の演奏によるブラームスを、古めかしい和室で顔を突き合せるような近さで聴くというのは正に生演奏の醍醐味である。聴衆はわずかに25名ほどである。
 ブラームスのチェロソナタはこの一番と二番の2曲があるのみだが、ブラームスらしさのにじみ出た名曲である。N響首席奏者・藤森氏の演奏はまるで魔法の弓で奏しているように巧みで、圧倒される。チェロの低音がこれほど堂々と良く響くかと驚かされる(第一番)。また、第二番の華やかさ、有効なピチカートが古びた和室に響きわたった。
広いコンサートホールで聴くのとは、一味も二味も違った印象的な演奏会であった。

駐車違反の標章を貼られてしまった!!

2010-05-20 21:36:56 | Weblog
2010.5.20(木)
 昨日、鳴子団地内で路上駐車をしておいたところ、いわゆる駐車違反キップを貼られてしまった。
納得のできない理不尽な処分であるので、このブログを読んでいただいている方の今後の参考にしていただくために記載する。
 駐車違反の取締りについては、今から4年前の2006年6月1日から新しい方法に変わったことは記憶に新しい。
1. まず、その取締りが民間へ委託されるようになったこと。
従来の駐車違反車を「放置車両」と定義し、放置車両に対する「確認事務」を民間に委託するというものである。
 2.「確認事務」は民間業者に雇用された「駐車監視員」が行う。もちろん警察官も行える。
 3.「確認事務」の対象車は、原付、自動二輪、普通車、大型車、トレーラーの荷台部分
 4.駐車監視員は放置車両を確認したら「放置車両確認標章」(以下「確認標章」)というステッカーを取り付ける。これを「確認事務」という。

 要するに、駐車違反はこの「確認標章」を貼られた時点で成立する。そして、「確認標章」
を貼られたあと、
 ① 正直に警察へ出頭すると → 違反キップを切られ、反則金の納付書を交付され、さらに違反歴となり、違反点数がつく。
 ② 出頭しない場合は、その車の持ち主の所へ、「弁明通知書」と「放置違反金」の仮納付書が郵送される。「放置違反金」が納付されるとその違反処理は完了し、違反点数はつかない。
ということであるらしいので、とりあえず②を選択する。

 さて今回の「駐車違反」とされた内容であるが、通常、曲がり角から5メートル以内に
駐車すると違反であることは誰でも知っているが、団地内の通路は公道ではないからこの
5メートル適用はないと、民間人である「駐車監視員」が指導してくれたので、従来から
安心して駐車していたものである。筆者の車だけでなく、他の車も駐車可の場所として「利
用」していた。
 それが昨日突然「確認証票」を貼られてしまったのである。違反の理由は通路の角から
という違反ではなく、駐車場の出入り口から「3メートル以内違反」というものであった。
なるほど、通路の奥に数台の駐車スペースがあることは事実であるが、そこへは通路を
通って行かなければならず、直接駐車場に接しているわけではない。恐るべき解釈である。
 それも警察から委任された駐車監視員がよいとしていたものを、ある日突然、一方的に改変するとは驚くべきことである。
 初めから負けるとわかっている相手とけんかしても疲れるだけだから②を選択するが、長いものに巻かれるとはこういうことである。実に腹が立つ。

国民投票法施行

2010-05-18 19:59:21 | Weblog
2010.5.18(火)
 自民党の中でも最も右よりの安倍政権が「戦後レジームからの脱却」を掲げて2007年に成立させた国民投票法が今日、施行された。
 この法律では、衆院で100人以上、参院で50人以上の議員の賛同を得れば憲法改正原案を国会に提出が可能となり、衆参両院の憲法審査会と本会議で可決されれば「発議」され、国民投票が行われることを決めている。
 しかし、改憲原案を審議する憲法審査会は議事手続を定める審査会規定が参院ではまだ未整備の状態である。衆院は麻生政権の時、規定を強行採決で制定させたが、委員の選任は全く進んでいない状態である。
 また国民投票法では、18歳で投票権を与えており、付則で民法の成人年齢や公選法の選挙権を18歳に引き下げるよう定めているが、関連法の改正案も提出すらされていない。
 そもそも当時の安倍政権は、国民の審判を仰ぐことなく政権を引き継ぎ、憲法改正につながる重大な法案を強行採決して成立させたものである。国民投票法の現在の事態は、国民が憲法の改正など望んでいないことを表わしているものである。
 しかし多くの国民は、現在の政権党である民主党を護憲派であると思っているきらいがあるが、実際は民主党内では改憲論者が多く、いつ改憲の動きが活発化しないとも限らない。よく監視していないと、いつの間にやら公然と軍隊が存在する国に変わってしまうことを肝に銘じておく必要がある。

米軍基地の不必要論

2010-05-17 06:36:11 | Weblog
2010.5.17(月)
 沖縄の普天間基地移転問題は、自民党政権は言うに及ばず、民主党政権もアメリカに従属し、米軍の基地が必要であるところから出発していることを今更ながら忘れていたことに気づかされた。普天間基地の県外、国外移転などもともと期待したのが間違っていたのだ。
 この問題について、内田樹(うちだたつる)神戸女学院大学教授が週刊誌「アエラ」の5月24日号でわかり易い意見を述べている。少し長いが引用する。
『沖縄米軍基地について、日本政府は過去65年にわたって「東アジアの地政学的安定のために不可欠」だという説明を繰り返して、沖縄の人々に非道な犠牲を強いてきた。ここに貫かれているのは「属国は宗主国の要求がどれほど無法でも受け容れるしかない」というワイルドなルールであり、アメリカ・日本・沖縄は立場を入れ替えながら、同じ図式を反復してきた。だが、21世紀に入り、東アジアの状況は変わった。冷戦は終わり、日露・日中関係にかってのような軍事的緊張はもうない。アメリカの覇権はかげりが見え、重なる派兵で戦費負担にあえいである。東アジアに基地はもう要らないという声はアメリカ国内にもある。
 現に米軍は東アジア最大のフィリピンのクラーク基地、スービック基地から撤退し、韓国内の基地の劇的な縮小を決めた。その中にあって、日本についてだけアメリカが基地撤去を受け容れないのは、東アジア唯一の敗戦国に対しては「無法が通る」と思っているからである。それと全く同じように、日本政府が沖縄県民に犠牲を強いているのは、明治以降に併合された辺境の地に対しては「無法が通る」と思っているからである。
 日本政府はまずおのれの「無法を止める」ところから始めるしかないだろう。そのときはじめてアメリカに対して「無法は要求するな」という「倫理的」権利を手にすることができると私は思う。』
 基地の必要論抜きで普天間基地の移転問題が取りざたされているとき、面白い意見である。

人間の死亡率は100%!!

2010-05-16 11:10:35 | Weblog
2010.5.16(日)
 日本人の65歳以上の全人口に占める割合(高齢化率)は、2009年の調査によれば22.8%でこれは文句なく世界一である。
 また、75歳以上のいわゆる後期高齢者比率は2007年11月調査で10%に達したとされる。
一方で合計特殊出生率は2006年の調査で1.32とされ、第二次ベビーブーム時代(昭和46~49年)の2.1前後の数字からみると大幅な減少である。
 2005年国勢調査による平均寿命(0歳における平均余命)は、男78.56年、女85.52年とされ、第二次世界大戦以前のそれと比べるとおよそ30年以上も延びたことになる。なお高齢者である65歳以上の平均余命でみると、男18.13年、女23.19年となっている。ということは高齢者の平均寿命は、男83.13年、女88.19年ということでもある。
 そしてあと40年先の2050年には高齢化率は、ついに40%に達するという将来推計が出されている。
 さて、解剖学者の養老孟さんは、人間の死亡率は100%であると公言してみえる。これは人間に限らず生きとし生けるものすべてに当てはまる当然の摂理である。要するに人間は誰でもいつかは死ぬということを言っているに過ぎない。
 話は飛ぶ。筆者の長兄は現在85歳になるが、およそ3ヶ月前、肺炎が嵩じて病院に運び込まれた。以来救急対応で人工呼吸器やら栄養補給、尿カテーテルなどをほどこされ、たえず痰の吸入や辱そう防止などの世話を受けている。しかし、意思を伝えることはできずかすかな反応を示すに過ぎない。現在は人工呼吸器から酸素吸入に切り替えられたが、鼻からの栄養補給によって、かろうじて命を保っているという状況である。
 今の医療制度では、急性期対応の大きな病院ではこうした患者を長期間受け入れておくことはできず、在宅介護で対応するか介護施設(特養、老健)に収用するか、あるいは医療が必要であれば医療療養型または介護療養型療養施設(昔風に言えば老人専門病院)に入って対応することになる。
 長兄の連れ合いも年齢は82歳であり、高齢者のみの二人暮しである。こういう状況の中で、義姉一人の家族は一体どう対応したらよいのか、高齢化社会の縮図が身近なところに存在する。