2014.12.31(水)
2014年も大晦日を迎えた。 新聞では、今年亡くなった有名人の一覧を『墓碑銘』として掲載している。
心に残る人としては、11月に時を経ずして亡くなった俳優の高倉健さんと菅原文太さんである。いずれも任侠物からスタートした俳優であったが、時を経るにして人々の心に訴える映画に出演してファン層を広げた。高倉健さんは「幸福の黄色いハンカチ」で人情味あふれる朴訥な演技を披露したが、後にCMのセリフ「自分、不器用ですから」が健さんのイメージをかたち作った。
菅原文太さんは、シリーズ化された「トラック野郎」で大衆的な人気を博したが、晩年になって世の流れに反抗するかのように「無農薬有機農業」を営み、東日本大震災後は脱原発を目指した発言を放ってきた。亡くなる直前には、弱る体を押して沖縄まで出かけ、米軍普天間飛行場の辺野古への移転反対を訴えた。映画人ながら強い信念の持ち主であった。
そのほか9月には、俳優の山口淑子さんが亡くなった。山口さんは、李香蘭という名前で映画や歌手として活躍したことを、晩年になって、結果として日本の軍国主義に手を貸したとして、悔いておられたことが印象に残っている。
同じ9月には、もと社民党党首であった土井たか子さんも亡くなった。89年の参院選では、「マドンナ旋風」を巻き起こして勝利、「山が動いた」の名文句を残した。徹底的な護憲主義を貫いたこの人も信念の人であった。
ほかには、宇津井健、渡辺淳一、蟹江敬三、山口洋子、米倉斉加年、赤瀬川原平など懐かしい人たちが旅立った。
自分のことといえば今年は、4月の末に結婚50年・いわゆる金婚式を迎えることができた。金婚旅行として、新婚旅行で行った佐渡島へ出かけたが、当時泊まった旅館ではそのことを知っていて、お祝いをしてくれたことが嬉しかった。
1年は歳を取れば取るほどつくづく早いと思う。昔流の数えの年齢でいうと早くも喜寿である。親父の年齢を超えた。いつお迎えがあってもおかしくない歳ではあるが、平均年齢とやらがどんどん延びて長寿化しているので、あと5年ぐらいは持つかもしれない。いや希望的観測を言えばあと10年ぐらいは大丈夫か。長兄がそうであったように。
2014年も大晦日を迎えた。 新聞では、今年亡くなった有名人の一覧を『墓碑銘』として掲載している。
心に残る人としては、11月に時を経ずして亡くなった俳優の高倉健さんと菅原文太さんである。いずれも任侠物からスタートした俳優であったが、時を経るにして人々の心に訴える映画に出演してファン層を広げた。高倉健さんは「幸福の黄色いハンカチ」で人情味あふれる朴訥な演技を披露したが、後にCMのセリフ「自分、不器用ですから」が健さんのイメージをかたち作った。
菅原文太さんは、シリーズ化された「トラック野郎」で大衆的な人気を博したが、晩年になって世の流れに反抗するかのように「無農薬有機農業」を営み、東日本大震災後は脱原発を目指した発言を放ってきた。亡くなる直前には、弱る体を押して沖縄まで出かけ、米軍普天間飛行場の辺野古への移転反対を訴えた。映画人ながら強い信念の持ち主であった。
そのほか9月には、俳優の山口淑子さんが亡くなった。山口さんは、李香蘭という名前で映画や歌手として活躍したことを、晩年になって、結果として日本の軍国主義に手を貸したとして、悔いておられたことが印象に残っている。
同じ9月には、もと社民党党首であった土井たか子さんも亡くなった。89年の参院選では、「マドンナ旋風」を巻き起こして勝利、「山が動いた」の名文句を残した。徹底的な護憲主義を貫いたこの人も信念の人であった。
ほかには、宇津井健、渡辺淳一、蟹江敬三、山口洋子、米倉斉加年、赤瀬川原平など懐かしい人たちが旅立った。
自分のことといえば今年は、4月の末に結婚50年・いわゆる金婚式を迎えることができた。金婚旅行として、新婚旅行で行った佐渡島へ出かけたが、当時泊まった旅館ではそのことを知っていて、お祝いをしてくれたことが嬉しかった。
1年は歳を取れば取るほどつくづく早いと思う。昔流の数えの年齢でいうと早くも喜寿である。親父の年齢を超えた。いつお迎えがあってもおかしくない歳ではあるが、平均年齢とやらがどんどん延びて長寿化しているので、あと5年ぐらいは持つかもしれない。いや希望的観測を言えばあと10年ぐらいは大丈夫か。長兄がそうであったように。