名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

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ピースあいち-今年の夏の企画展

2014-06-17 09:46:27 | Weblog
2014.6.17(火)
 今年のピースあいちの夏の企画展示は「戦争と若者-断ち切られた命と希望」と題して、①戦没学徒の遺書、遺品 ②空襲の犠牲となった学徒動員生徒の遺品、資料 ③戦没学徒の絵画、を展示することとなった。
 ①は、わだつみのこえ記念館、②は、立命館大学国際平和ミュージアム及び豊川市桜ヶ丘ミュージアム、③は、戦没画学生慰霊美術館・無言館から借り入れる。
 戦争は、特に日中戦争と太平洋戦争においては、兵士が海外に動員されただけでなく、国家総動員という名の下に全ての国民が戦争に駆り立てられた。その中で十代の小中学生や高校生、大学生たちも戦争に巻き込まれ、命を失った。
 この企画展は、戦争と若者をテーマとして70年前の若者たちが残した遺品の前に立ち、声なき声を聞き、姿なき姿に思いを巡らそうという企画である。
 今の政治情勢はまさに日本を『戦争のできる国』にしようとしている。集団的自衛権の行使容認を連立政権を組む相手方に納得させるため、小さな具体例を出して、こんな時に集団的自衛権を行使できないことの方がおかしいとばかりに茶番劇を演じているのが今の政権である。そんなことで一旦決めたことでも時が経てば人も代わり、情勢も変わり、政治家は都合のよいほうに変えていってしまうことは歴史が証明している。
 こうした動きに今の若者たちは踊らされているが、結局翻ろうされるのはその若者達なのにである。

 過日、「きけ わだつみのこえ」の中の一人、木村久夫(1918~1946)の遺書がもう一通存在することが明らかになったと中日新聞が伝えていた(4月29日付朝刊))。「きけわだつみのこえ」の遺書は大半が特攻などで戦死するという前提で書かれたものであるが、木村久夫の遺書はスパイ容疑でB級戦犯に問われて処刑される無念さを記したものである。
 新たに発見された遺書には、木村が日本軍の責任回避の体質や残酷さを知っており、日本軍の体質への内省や戦犯裁判の矛盾、陸軍への怒りが描かれているという。これまで公表されていた遺書は二つの遺書を編集し、軍部を批判した箇所などが削られたり、辞世の歌も違うなど改変されていたことも分かった。新たな遺書の発見で、志半ばで学問の道を断たれた無念さを訴え、戦争の不条理を際立たせているということも鮮明になったという。

 70年後の現在の政治情勢が、再び70年前に戻そうとしていると思うのは決して杞憂ではない。

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