ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

それでも私は、旅に出る - 2

2018-10-31 12:59:26 | 徒然の記

 金纓 ( キム・ヨン ) 氏著「それでも 私は旅に出る」の、続きです。

 学生運動の首謀者として、ソウル大学を退学させられた彼女は、頑張って延世大学に入学します。牧師志望なので神学部に在籍していますが、ここで日本人留学生の、澤正彦氏と出会います。二人は、昭和45年に卒業と同時に、結婚します。ここからは、彼女の叙述を引用しましょう。

 「澤は、東京大学の法学部を卒業したのち、」「牧師となるために、東京神学大学に学士編入した。」「彼が大学院在学中の、昭和40年に、日韓条約が結ばれた。」「隣国同士が仲良くなることは、良いことなのに、」「韓国人、特にクリスチャンまでもが、激しく反対していることを、」「不思議に思っていた彼は、在日大韓キリスト教会の、」「李仁夏 ( イ・インハ )牧師の説教で、 」「日本人がかって、いかに韓国人を苦しめたかを知って、ショックを受け、」「その韓国人の友人になろうと決意して、延世大学に留学したのだった。」

 「結婚など考えたこともない、しかも反日教育の中で育った私は、」「日本人にプロポーズされたことだけで、侮辱されたとまで感じる程だった。」「結果的には、彼の涙ぐましい努力と、」「周囲の説得によって、韓国で生活することを条件に、」「結婚を承諾した。」

 これが、本の5ページから6ページにかけての、叙述でした。「なぜ韓国人は、これほどまで執拗に日本を憎悪するのか。」・・・。おそらくこれは、私が抱く終生の疑問でしょう。この疑問を解くため、何十冊と本を読んできましたが、未だに理解できない部分が残ります。

 反日教育で育ちながら、しぶしぶ日本人と結婚したというのですから、彼女が答えを示してくれると期待しながら、本を読みました。私が素直に楽しめず、なんとも不可解で、厄介な本という印象を持った理由が、ここにあります。これだけ日本に愛着を感じ、理解していながら、それでも反日であるというのですから、理解に苦しみます。

 結局、彼女は最後まで、反日の中身を語りませんでしたが、私の頭の中には、2年前に読んだ李滎氏の書著がありました。氏もまた、強烈な反日の韓国人でしたけれど、一般の韓国人とは、違った意味での反日でした。そのため、氏は現在でも、知日派として攻撃されています。参考のため、2年前のブログから、一部を転記いたします。

 「日本は、正当な代価を支払うことなく、無慈悲に、」「わが民族の、土地と食料と労働力を収奪した。」「だからわが民族は、草の根や木の皮で、ようやく命をつないだり、海外に放浪するしかなかった。」「過去60年間、国史教科書は、このように国民に教えてきました。」「ですから、大部分の韓国民がそのように信じています。」

 「2001年 ( 平成13 ) に発行された、高等学校の国史教科書には、」「 日本は世界史において、比類ないほど、」「徹底的で悪辣な方法で、わが民族を抑圧し収奪した、」「 と書かれています。 」「例えば総督府は、全国の農地の4割にも達する土地を、」「国有地として奪い、移住してきた日本人農民や、」「東拓のような国策会社へ廉価で払い下げた。」

 「また総督府は、生産された米の半分を奪い、日本へ積み出した。」「農作業がすべて終わると、警察と憲兵が銃剣を突きつけて、」「収穫の半分を奪っていった。」「このように解釈できる文脈で、生徒たちを教えてきました。」

 「1940年代の戦時期に、約650万名の朝鮮人を、戦線へ、工場へ、」「炭鉱へ強制連行し、賃金も与えず、奴隷のように酷使した。」「挺身隊という名目で、朝鮮の娘たちを動員し、日本軍の慰安婦としたが、その数は数10万人に達した。」「教科書は、このように記述しています。」

 「高校の国史の時間に、このくだりが出てくると、教師は今にも泣きそうな顔になり、生徒も涙したといいます。」「このように悪辣な収奪を被った祖先たちが、あまりにも不憫で、これが泣かずにいられるでしょうか。」

 「しかし、私はあえていいます。」「このような教科書の内容は、事実ではありません。」「びっくりされる方も多いと思いますが、単刀直入に言うと、」「そのような話はすべて、教科書を書いた歴史学者が作り出した、物語です。」

 ではなぜ、李滎氏は反日の韓国人として、日本を憎み続けるのかと言いますと、氏は「日本人が韓国を統治した」という事実が、許せないのです。韓国より非文明国だった夷狄の日本が、誇り高い小中華の国を支配したという事実が、認められないのですから、これはもう、「感情的嫌悪」というしかありません。息子たちには、同じ韓国人の反日感情にも、こうした2種類があることを知って欲しいと思います。

 聡明そうに見える金氏が、どのような内容で反日を語るのかが知りたくて、本を読んだとも言えます。しかしその期待ははぐらかされ、彼女は最後まで語りませんでした。韓国と日本の架け橋になろうとした、夫の澤氏は、49才の若さで病死します。子育てを終えた彼女が、仕事も家も処分し、世界旅行へ出かけるという気ままさには、こういう事情もありました。

 韓国の反日教育が、いかにデタラメなものであるのか、現在では、インテリの間で知られているはずなのに、どうして澤氏は簡単に韓国牧師の話を信じたのか。これも、私には疑問の一つです。戦後の東大生は、頭脳は明晰ですが、日本人の魂が抜けた人物が多く、簡単に国を裏切ります。学者にも政治家にも、マスコミにも沢山いますので、氏もそんな日本人の一人だったのでしょうか。

 こんなエッセイすら楽しめないのでは、心の狭い人間になったものと、自分でも考えますが、しかしどうでなのでしょう。昨日も、韓国の最高裁は、戦前の徴用工問題で日本企業に有罪判決を出し、罰金の支払いを命じました。「売春婦問題」の嘘がばれたら、今度はまた「徴用工」です。こんな悪意と捏造の憎しみで、日本人を苦しめ、自国民の憎悪を駆り立てる隣国を思うと、金氏の著作だって、嫌悪したくなるのも無理はないと、私は思います。

 人に生き方を教える牧師なのに、金氏は、一番肝心な、在日韓国人の生き方を、語っていません。日本人に対しても、キチンというべきことは言うべきでしょうに・・。今でも、これからも、私には、彼女が「不可解で、やっかいな人物」であることに、変わりがありません。

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それでも私は、旅に出る

2018-10-30 22:14:07 | 徒然の記

 金纓 ( キム・ヨン )氏 著「それでも 私は旅に出る」( 平成13年刊 岩波書店 ) を、読了。

 なんとも不可解な、厄介な本を読んだものと、これが率直な感想でした。本の中身は、とりたてておかしなものでなく、旅行好きの女性が、世界中を歩くとうい逞しい話です。表紙の裏扉の、広告文が、内容をよく表しています。

 「韓国で生まれ育ち、日本人牧師との結婚により帰化。」「言語や文化の違いに、悪戦苦闘しながら、」「育児、勉学、仕事に邁進してきた、女性牧師が、」「50歳を目前に、仕事も住まいも持ち物も捨てて、」「リュックひとつで、旅に出た。」

 「途中乳がんに冒されるが、手術後1ヶ月で旅を再開。」「予期せぬ出会いや、ハプニングを楽しみながら、」「訪ね歩いた97の国々。」「生きることの不思議と、喜びを語るエッセイ。」

 249ページの単行本ですが、一気に読んでしまいました。前向きで楽天的な彼女が、思ったままを綴るのですから、決して退屈はしません。幾つになっても好奇心旺盛で、多少の問題が生じても、めげずに乗り越えていきます。彼女は、身勝手な利己主義者でなく、徹底した個人主義者で、現実主義者でもあります。

 「割と自分の好きなように、生きてきたようで、」「案外私は、他の人のためには、一生懸命やるくせに、」「自分のためには、手抜きをしてきたのかもしれない。」「娘たちや友人たちとも別れ、見知らぬ国々を歩きながら、」「これからは自分のために食べ、自分のために、」「楽しんでもいいかな、と思った。」

 「いつまでも、一緒にいられる人はいない。」「生まれるときも一人なら、死ぬときも一人だ。」「死ぬまでにつきあわなければならないのは、」「ほかならぬ自分なのだ。」「自分を楽しまなくて、どうする。」

 親である限り、私にはこんな思考は生じませんが、異を唱える気持ちはありません。こんな考えもあるのだろうと、面白く感じるくらいです。

 「今まで知らなかった世界が、」「一つ一つ開かれていくことの喜びは、例えようがない。」「旅をすればするほど、さらに多くの国を訪ね、」「沢山の人々と暮らしてみたいという願いが、」「つのるばかりである。」

 旅を読書と置き換えれば、私には、彼女の気持ちが分かります。知らないことを知る喜びは、旅でも読書でも、同じです。しかも彼女は、私の好きな啄木の歌について、語ります。

 「ふるさとの訛りなつかし 停車場の人ごみの中に」「そを聴きに行く、」「と啄木は歌った。」「私はその町の庶民の息吹を感じるため、」「駅や長距離バスターミナルへ行く。」「人ごみの中に、三時間も四時間もいれば、」「人々の暮らしや、気持ちが伝わってくる。」

 望郷の念にかられ、駅を訪ねる啄木の気持ちと、庶民研究は別物ですが、それでも彼の歌を引用するところが、面白く感じます。今時の若者なら、このくらいの取り違えは平気でするでしょうし、まして帰化人なら、愛嬌のある勘違いです。

 アフリカの喜望峰に立ち、彼女が浸る感慨には、私と似た思考がありました。

 「ヨーロッパ人による、航海の結果がもたらした、」「いわゆる新大陸発見が、アフリカや中南米の人々には、」「ほとんど災難であったことは、よく知っているつもりで、」「それに対する批判も、人並みにある私だ。」

 「大航海は、もともとヨーロッパの、力のある国の野心と、」「利害がもたらしたものである。」「国家的要請と、個人の野心が相まって、」「新大陸のは発見が、可能となつた。」「しかしバスコ・ダ・ガマにしろ、コロンブスにしろ、」「彼らの勇気ある冒険の結果が、」「これほど大きな悲劇をもたらすとは、」「予想だにしなかったのでは、ないだろうか。」

 「私たちの野心や情熱、また善意や努力さえも、」「意図せずして他人を傷つけ、」「踏みにじることが、往々にしてある。」「それを知ったときほど、人間の限界と、」「無力さを感じ、身につまされることはない。」

 そしてまた、こんなことを言って、私を喜ばせます。

 「長旅で、一番欲しくなるものは、」「みそ汁でもキムチでもなく、日本語の本だ。」「久しぶりで日本に帰ってきたら、」「新聞がやたらと面白い。」「いつもはあまり読まない新聞を、」「隅から隅まで読み漁ったのも、しばらく日本語に飢えていたからだ。」

 旅の終わりが来て、最後に彼女はドイツのある山村で、名高い「イエスの受難劇」を観ます。見終わった後の、彼女の言葉です。

 「観劇の後、もうこれで旅を終えてもいいと、」「何かふっきれたように思った。」「この感動を、より多くの人と分かち合うため、」「私はまた、仕事に戻らなければと、思ったからだ。」「自分が帰るところは、韓国でなく、」「日本だということも、改めて知らされ、不思議な気がした。」

 「韓国人であっても、日本人の牧師だからなのだろうか。」「それとも、家族や多くの友人が、日本にいるからなのだろうか。」

 私が不可解で、やっかいだと言いましたのは、この本の書き出しの部分にあります。昭和43年に、ソウル大学の二年生だった彼女は、デモの首謀者として退学させられ、さらに難関の延世大学に挑戦します。入学した大学の神学部で、留学生だった日本人の澤正彦氏と出会います。

 ここからが本題であり、息子や孫たちに伝えたい肝心の部分です。しかし、これを述べるには、ブログのスペースが足りません。心置きなく語るために、本日はここで中断いたします。あすは、10月31日で、10月の最終日です。彼女の不可解でやっかいな本の書評も、明日で最終といたしましょう。

 

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NHKの報道

2018-10-28 19:39:42 | 徒然の記

 いつまで、政界の茶番劇が続くのか、途中でテレビのスイッチを切りました。

 今日は日曜日ですから、いつもの政治討論だったと思いますが、誰が出席していたのか、4、5分しか見ていないので、覚えていません。共産党との小池氏と、維新の会の馬場氏の顔だけが残っています。

 スイッチをつけた時喋っていたのは、立憲民主だったか、国民民主党だったか、つまらない意見を述べていました。憲法改正について、安倍総理が先頭に立って先導役をしているのは、憲法違反でないかと、そんな意見でした。

 「国民の理解を得るため、丁寧な説明を続けると自民党が言っているが、」「そんな説明をわざわざしなくてならないほど、国民の関心がないのではないか。」これは、共産党の小池氏だったと思いますが、チンピラヤクザの屁理屈と同じで、よく考えつくものだと、呆れてしまいました。

 自民党一強とマスコミが言いますので、他にどんな政党があるのか。この際ネットで確認いたしました。くっついたり離れたり、党名を変えたりで、弱小政党の名前が、私には中々覚えられません。

 総じて反日野党の議員たちは、「憲法改正の機運がないのに、国民を煽っている。」という暴論を、恥じらいもなく主張する点が、共通しています。社民党とか、自由党とか、希望の党など、まだ存在していたのかと思うほど、存在感の薄い政党です。

 維新の会を除けば、野党はみんな改憲反対ですから、テレビの討論会だけ見ていますと、いかにも「憲法改正」には、国民の関心がない、という印象を受けます。出席者の数から行けば、自民党1人に対し、反対野党が5人ですから、もしノンポリの国民が聞けば、「安倍総理が一人で頑張っているのか。」という感じになるのかもしれません。

 彼らは「民意」「民意」「国民の意思」と、日頃は盛んに言いますが、討論会では口にしません。賢明な国民には、すでに分かっていることですが、念のため反日野党の出席者各位に、私から説明いたします。

 政党の支持率と、議員数を見れば、「憲法改正の機運」が、高まっていることを、数字が示しています。「右傾化」とか、「軍国主義への回帰」だとか、野党の議員たちにあわせ、この5、6年間、腐れマスコミが、安倍政権を攻撃し続けていますが、それでも一強を保っているというのは、国民が「憲法改正」を支持しているからです。

 どっちつかずの、コウモリ政党の公明党は、世論の動向を見ながら、意見を変えますから、最初から、私は数に入れません。各党の支持率を、参考までに転記しておきます。

  自  民  党  36.3 %     公明党       3.3 %

     立憲民主党       6.1

  国民民主党       0.8

  共産党            2.7

  希望の党         0.2

  自由党            0.6

  社民党            0.5

 ごく少数の国民にしか支持されていない、小さな反日政党が、いかにも国民の多数を代表しているかのように熱弁をふるい、恥ずかしい理屈を並べます。NHKは、こんなときには満遍なく、政党の意見を報道します。これが、国民のための公共放送の、正しい姿です。普通のときも、偏見や捏造をせず、このように報道してもらいたいものです。

 こうして事実を報道されれば、国民は、野党の姿を理解します。反日野党は、国際情勢が緊迫した現在において、「日本には不要な政党である。」と、正しい判断ができます。しかし私には、マイナス評価しかできませんので、たとえNHKでも、茶番劇の報道の時は、ためらわずスイッチを切ります。

 息子たちがどうしているのか、私は聞いたことがありません。

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日本の神々の謎 - 5 ( 精霊、祖霊、首長霊信仰の重なり )

2018-10-27 23:35:50 | 徒然の記

 本日は、武光氏の著作『日本の神々の謎』の書評の最終回です。

 あとがきの言葉を、そのまま紹介します。

 「『古事記』『日本書紀』に代表される、日本古代の文献には、多くの神々が登場する。そして彼らにまつわる、多様な物語が綴られていく。そういったものを読んでいくと、日本の神々の一柱、一柱が、極めて豊かな個性を持っていることに、気づく。」

 「彼らは、自然を支配する能力や、人々の及ばない力を、持っている。しかしどの神も、人間らしい優しさ、そしてそこからくる、弱さを持っている。」

 「亡くなった妻を訪ね、黄泉国 ( よみのくに ) に行った伊弉諾尊、 母の死をいたんで、泣き暮らした素戔嗚尊、弟の乱暴を笑って許した天照大神、彼らの行為は、私たちの日常生活の、ひとこまなのである。」

 「日本の神々を理解する手がかりは、二つある。一つは、穢れと祓いの考え方である。もう一つは、精霊信仰、祖霊信仰、首長霊信仰の重なりである。日本の神が治める世界に生きる人間の本性は、すべて善なるものである。」「それでも時には、罪を犯す人間や、周りに迷惑を及ぼす人間が、出てくる。」

 「しかしそれは、体が一時的に汚れるような、穢れにとりつかれた者にすぎない。誰でも非を悔いて、穢れを清める祓いをすれば許される。」

 「このような考えは、長い期間にわたって日本人の間に、受けつがれた。親鸞の悪人正機説は、仏典の読みからは出てこない。彼の説は穢れ祓いの説を、仏教用語で説明したものである。そうであるため浄土真宗は、日本古来の信仰の伝統を受け継いでいた民衆の間に普及した。」

 「精霊信仰とは、縄文時代の日本人の信仰である。すべての自然現象に、神の働きを感じ、精霊たちが人々の生活を支えるとする、考えだ。火の神や風の神を祭る習慣は、縄文時代からくるものである。」

 「祖霊信仰は、亡くなった人の魂はすべて、その子孫を守る神となり、厳しい自然の中でする稲作を助け、自然の恵みをもたらすという、考え方である。それは、弥生文化とともに、日本に持ち込まれた。」

 「家々で祖先を祭る習慣は、祖霊信仰に基づく。村の鎮守の社は、もとはそこの村の、すべての家の祖先たちをあわせて祭ったものである。」

 「大和朝廷が勢力を伸ばし始めた、4世紀の初めに、首長霊信仰がおこる。それは、日本を支配する天皇の祖先は、すべての国民を守る、優れた神であるとする考え方である。伊勢神宮の天照大神の祭りは、その信仰にもとづく。」

 「日本の神道は、精霊信仰、祖霊信仰、首長霊信仰が、混じり合ってつくられた。どの信仰においても神々は、人々を暖かく見守る父母のような存在だとされる。この点が、日本人が作った神々の、最大の特徴だと言える。」

 学問的に、氏の説がどのように評価されているのか、私は知りません。しかし、氏の説明は、心にそのまま届きます。毎日ご飯を炊きますが、自分たちが食べる前に、小さな食器に盛り、お茶を添えてお備えします。初物の果物や、頂き物の菓子などがあると、まずご先祖様に備えます。父や母がそうしていたので、私たち夫婦は、特に意識もせずやっています。

 ろうそくを灯し、手をあわせ、頭を垂れます。母と妻、三人の子供とその伴侶たち、孫の顔を一人ずつ思い浮かべながら、祈りの言葉は、いつも同じです。

 「ご先祖様、私の家族をお護り下さい。」「病気や怪我をしないように、死ぬときは苦しまず、コロリと死なせて下さい。」「生きている限りは健康であるよう、お願いいたします。」

 遠出をし、地方の神社や仏閣で手を合わせる時も、同じ言葉です。ついでに、毎日餌をもらいに来るのら猫のタビーについても、お願いしています。声に出して言いませんから、誰も、私がこんな祈りをしているとは知りません。いい加減な自分に相応しい、身勝手な祈りですが、私自身は真面目です。子供たちのため、こんなブログを続けるのも、日々の祈りのせいかもしれません。

 武光氏の説明を読み自分の信仰が、神話時代からの、由緒正しいものであることを確信しました。亡くなった父や叔父や叔母たちは、すでに神様の一員となり、現世の私たちを見守ってくれるご先祖様となっています。これが、祖霊信仰だったのです。

 世界の他の宗教と異なり、聖書も仏典も不要で、祈りの心だけが大切なのです。天皇家の祈りも、わが家の祈りも根底では同じです。わざわざ、「天照大神」と呼びかけませんが、「ご先祖様」という言葉の中に、すべての日本の神様が含まれています。

 ですから天皇は、国の中心ということになります。難しい理論でなく、もともと庶民の心情が、日本の神様と一体になっています。天皇は、生きてておられる限り、国民の敬愛の中心におられ、亡くなられたら、国民を見守るご先祖になられます。

 「今上陛下は、存在そのものが国民の敬愛の中心ですから、退位の必要はどこにもありませんでした。」

 「今後はなるべくなら、皇室の伝統をみだりに変更されず、125代目の天皇として、国民の幸せと安寧のためご先祖様の意を大切にされますよう、祈念いたします。」

 まとまりのない締めくくりとなりましたが、これが私の書評です。武光誠氏には、感謝します。有意義と言うより、有難い本でした。

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共同通信の記事は、国民への挑戦 ( 安倍総理酷評 )

2018-10-26 23:56:34 | 徒然の記

 10月17日の千葉日報に掲載された、共同通信社の記事です。

 武光氏の著作の書評の最終とする考えでしたが、新聞を読み予定変更しました。神話を読み終え、憲法を改正すべしという結論を得ていたのに、逆行する記事を共同通信社が発信していました。相変わらずこの通信社は、朝日新聞に負けない国民への挑戦を続けています。

 内容は、第4次安倍内閣への批判です。半ページを使った大きな記事ですが、見出しの大きな活字を、並べれば、反日通信社の意図がそれだけで一目瞭然です。

 中谷、船田氏は幹事長交代」「自民、改憲人事固める」「熟議は外し、濃い安倍色」「公明、野党に広がる警戒」

 記事の中身を紹介します。

 「自民党は16日、憲法改正に向けた主要人事を固めた。」「衆議院憲法審査会の運営で、改憲論議に慎重な公明党や野党との調整を重視してしたきた、中谷元筆頭幹事、船田元幹事を交代させる。」

  改憲を是とする私には、中谷、船田両氏の交代は当然と思います。改正絶対反対を絶叫する野党と、どっちつかずの日和見の公明党を相手に調整を重視するというのでは、未来永劫「憲法改正はしない」という意思表示と同じです。安倍総理がこのような人物を、よくも憲法改正推進本部の要職につけていたとその方に呆れます。

 中谷氏は、元陸上自衛官で、小泉内閣では防衛庁長官、安倍内閣では防衛大臣を勤めています。第3次安倍内閣では安全保障法制担当大臣と、国防の要を歩いています。それなのに氏は、保守政治家としての信念と矜持を持っていません。これまで氏が主張した意見を調べましたが、次の通り一貫していませんです。

  • 日本国憲法九条の改正、集団的自衛権の行使に賛成
  • 選択的夫婦別姓制度の導入に反対
  • 日本の核武装については「将来にわたって検討すべきでない
  • 内閣総理大臣の靖国神社参拝に賛成
  • 村山談話、河野談話の見直しに反対

 一方船田氏は、自民党を離党し新生党へ移り、小沢一郎氏と働き、次には新進党へ移り鳩山氏と働き、意見が異なりだすとまた自民党へ戻っています。自民党内で、山崎派から橋本派へ移るなど、本人には理由があるのでしょうが、私から見れば、政界を泳ぐ政治屋にしか見えません。

 みっともない女性問題は語りませんが、私には忘れられない氏の汚点があります。平成27年の6月、安全保障関連法案の審議をする国会で、自民党が3人の憲法学者を参考人として呼びました。野党とマスコミが反対の合唱をする中での、緊迫した国会審議でした。

 驚いたことに、自民党が呼んだ憲法学者3人が、揃って法案に反対しました。憲法に違反するという、意見でした。3人のうち一人くらいが反対するのなら、自民党も度量の広い政党だと感心したはずですが、反対意見の学者ばかりを揃えたと言うのですから、自民党の良識を疑いました。

 この時自民党の憲法改正推進本部長をしていたのが、船田氏でした。参考人の人選ミスというのでなく、学者たちの日頃の主張を知った上で、故意に選んでいたのですから、この時以来氏を、自民党内の「獅子身中の虫」「駆除すべき害虫」の筆頭に上げています。

 風見鶏のように世論の流れを読み、選挙目当てに党を移り変わる政治家に、ろくな人間はいません。父君が自民党の有力議員でしたから、こんな自堕落が許されたのでしょうが、義理人情に厚い自民党とはいえ、ここまで節操を無くしては、国民の方から愛想をつかされます。

 現在の状況下で、安倍政権では憲法改正が困難と考えていますが、努力する総理に敬意は表しています。ところが共同通信社は、そんな総理をこき下ろします。

 「自民党が、憲法改正に向けて固めた人事は、安倍氏色の濃い布陣となった。改憲に前のめりな安倍晋三首相の側近らを、党と国会の都調整役に配し、与野党の熟議を重視する議員は、国会の要職から外した。」

 途中を省略し、記事の最後を紹介します。

 「こうした人選が、議論の進展に繋がるかどうかは見通せない。長妻氏は、調整も何もしないというメッセージが読み取れる。9条改憲に突っ走る、問答無用の配置だと批判。」

 「公明党の斉藤鉄夫幹事長も、改憲論議は急がば回れで、与野党の合意を得ながら、真摯に進めるよう願いたい。それが早道だと、自民党を牽制した。」

 共同通信社だけでなく、産経を除くすべてのマスコミが、こういう論調で改憲反対の情報操作をします。彼らが反対しても安倍内閣が打倒されないのは、国を思う国民の多数が、総理を支持しているからです。憲法改正をせずに国の独立は達成されないと、国民が目覚めていることを、共同通信社は無視しています。

 反日左翼の無能政治家の長妻氏の意見など、常識のある国民は耳を傾けません。氏は、厚生労働省の職員に総すかんを食わされ、大臣就任時も退任時も、誰からもそっぽを向かれました。政治家である前に、人間として欠けるものがあったのでしょう。自分の役所の職員に、ここまで嫌われた政治家は、後にも先にも、他には菅直人氏くらいだと記憶しています。

 公明党は政治家個人でなく、党自体が政界の風見鶏です。政権につけるのなら、野党にでも与党にでも、節操もなく変貌します。国の基本となる、憲法と天皇につき、確固とした党是はなく、何とでも取れるような、曖昧な言葉が掲げられているだけです。民主主義制度の欠陥もである多数決に、集票力のある創価学会が必要なため、自民党は決別できません。

 戦後の自民党は、弱くなったのか、堕落したのか、野党や公明党に問題があっても、党としてけじめをつけられなくなりました。反日の野党が無能なおかげで、国民の票が自民党に必然的に集まります。国民の苦渋の選択に目を向けず、党内の「害虫」の駆除もできず、八方美人でいようとするから、共同通信社にいつまでもこんな記事を書かれます。

 誇りのある保守自民党の議員なら、共同通信社に反論したらどうなのでしょう。

「自民党は、改憲論議に慎重な公明党や、野党との調整を重視してしたきた、中谷元筆頭幹事、船田元幹事を交代させる。」

 この記事は間違いで、「改憲をやる気のない公明党と調整ばかり重視し、党是を忘れた中谷、船田」を交代させた」と、私なら言います。

 国会で、憲法の論議さえ拒否する反日野党と、どんな調整をするというのか。共同通信社に言いたい放題を言われ、信念のある自民党議員は、何をしているのでしょう。それとも国民に期待させるだけで、自民党には保守議員が不在なのでしょうか。

 彼らは『古事記』や『日本書記』を、手にしたこともないのでしょう。少しでも本気で読んでいれば、反日マスコミの闊歩や二重国籍議員の横行など、見過ごせるはずがありません。

  明日こそは、武光氏の著作の書評の最終といたします。

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日本の神々の謎 - 4 ( 邪馬台国と、大和朝廷の関係 )

2018-10-25 22:33:11 | 徒然の記

 武光氏の著書を読む以前から、私には素朴な疑問がありました。

 それは、卑弥呼の邪馬台国と、大和朝廷の関係です。「西暦238年、卑弥呼」と、高校生の頃、受験のため機械的に覚えていましたが、両者の関係が未だに判然としません。ネットで検索しますと、驚くべき情報を得ました。どこまでが正しい説明なのかわかりませんので、とりあえず紹介します。

 「邪馬台国の卑弥呼が死んだのは、西暦240~249年だ。」「そして、日本の歴史が明らかになるのは、592年以降(飛鳥時代)である。」

 「では、249年~592年の間、日本で何が起こっていたのか? じつはこの間、確かなことは何もわかっていない。266年~413年に、中国の文献から、倭の記述が消えてしまうからだ。」

 日本にはまだ文字がなく、中国の文献からしか、動静を知ることができませんでした。当時の中国が周辺国を夷狄と蔑み、世界の中心は自分の国だと、誇った気持ちが分かります。中国が関心を失えば、日本の記述がなくなり、歴史から消える事態になります。

 当時の中国は現在のアメリカより、ずっと大国であり文明国でした。

 「そのためこの間は、〈空白の4世紀〉と言われている。ただ中国『二十四史』を丹念に読めば、少なからず倭の記述がある。そしてその中に、この時代を明らかにする鍵が含まれているのだ。」

 わずかな記述を、後世の学者や市井の歴史好事家が読み、邪馬台国の議論が生まれました。九州にあったのか、奈良地方に存在したのかと、今でも論争が続けられています。今回私が得た情報は九州説で、次のように説明しています。

 「邪馬台国の場所は、九州北部に間違いないだろう。」「さらに、卑弥呼が死んだ後も、邪馬台国または、邪馬台国を継承した九州政権が存続し、中国に朝貢したことも、確かである。」「また同じ頃(西暦300年)奈良盆地に、大規模な前方後円墳が出現する。」

 「前方後円墳は大和朝廷の象徴なので、」「この頃、奈良に大和朝廷(ヤマト王権)が興ったことは間違いない。そしてこの王権が飛鳥時代に継承され、今の皇室につながっている。」

 「ということで日本の政権が、遅くとも7世紀までに、邪馬台国を継承する九州政権から、大和朝廷(ヤマト王権)に移ったことは確かだが、それがいつ、どのような形で起こったか分からない。それどころか、邪馬台国と大和朝廷(ヤマト王権)の関係もはっきりしない。」

 邪馬台国を継承する九州政権を、「邪馬台王統」と呼び、奈良に起こった大和政権を、「大和朝廷」と呼んでいます。ここで語られている王朝は、この二つしかありません。

 わざわざこの九州説を強調するのは、第一回目のブログで紹介した、安達巌氏と山崎謙氏を思い出すからです。

 両氏は大和朝廷に対峙するものとして、出雲王朝を取り上げていました。偶然にも二人は、古代の日本を二分していたのは、大和朝廷と出雲王朝だと説明します。出雲の神様の分布は、山陰地方だけでなく、奈良、京都、長野県の諏訪にまで広がり、大きな勢力だったと説明します。二人の頭の中には、邪馬台国が存在していません。

 「 古代史はパーツを失ったジグソーパズルだ。」「百人居れば百通りの説があってよいと考えます。」

 私のブログにコメントをくれた方の、話の実例ががそのままここにあります。

 武光誠氏は出雲王朝を、大和朝廷に対峙する巨大勢力として語りませんが、邪馬台国の叙述をしていない点では、安達・山﨑氏と同じ範疇の学者になります。「幻の邪馬台国」「古代史の神秘」と言われるのは、こうした事実から来るのでしょうが、私には「未完の古代史」となるだけで、神秘やロマンは感じません。

 そういう意味では、邪馬台国抜きで語られる神話は、最初から大きな虚構の上に築かれた一大叙事詩、という解釈が妥当な気がします。それでも神話に対する私の敬意は不変で、その理由は前のブログで述べた通りです。

 「いわば当時の神話は、明治憲法と同様の役割ではなかったかと、理解いたします。いずれの場合も、国の統一を図り安定と発展を願い、天皇を国の中心に据えたという、為政者たちの知恵が共通しています。」

  学者や知識人中には「神話の不合理」を批判し、「近代精神」にそぐわない作り話と片づける人間がいます。こういう学者は大抵西洋崇拝者が多く、日本は何でも前近代的と決めつけます。
 
 先月取り上げた橋川文三氏にも、その傾向がありました。氏は、ルソーを高く評価し、ルソーの説くナショナリズムが本物で、日本では吉田松陰がやっとそのレベルにあったと、奇妙な説明をした大学教授でした。
 
  「ルソーの思想の重要性は、いかに誇張しても誇張しすぎることはない。」「ルソーの与えた理論的土台の上にのみ、19世紀のナショナリズムは、築かれることができた。」「ルソーの理念は、人々がこれまで、馴染み深い環境や習慣に向けていた、感情や忠誠心を、より抽象的な実体、すなわち政治的共同体に移さねばならない、というところにあった。」

 「一般意思は、ルソーの国家哲学の、根本概念である。それは主権者の意思であり、国家の一体性を形成するものである。」

 橋川氏はルソーを手放しで誉めましたが、「一般意志」も「主権者の意思」も、現実には存在しない虚構の概念です。ルソーは、国家哲学を組み立てる上で、こうした虚構の概念を考え出しました。

 そうだとすれば、神話という国家哲学のため、古代人が考案した虚構も同じ見方ができるはずです。千年以上も昔の神話ですから、今日の学問レベルで比較すること自体が間違っています。

 太安万侶や舎人親王に、頼まれた訳でありませんが、橋川氏のような西洋かぶれの学者に対して、子孫の一人としてご先祖様のために反論したくなります。

 書評はやっと70ページで、三分の一も進んでいません。天照大神、月読尊、素戔嗚尊と、神話はこれから本論に入ります。

 「天照大神と天岩戸 ( あまのいわと ) 」、「素戔嗚尊の八岐大蛇 ( やまたのおろち ) 退治」、「大国主命と白兎、」、「武甕槌神 ( たけみかづちのかみ ) と国譲り」、と続きますが、それらをすべて割愛し、明日は武光氏の「後書き」を紹介し、総まとめといたします。

 こういう読み方が正かったたのか、どうか、今も分かり兼ねますが、私は既に、神話の価値と、日本史での位置づけにつき結論を述べてしまいましたので、これ以上書評を続ける意味がなくなってしまいました。

 姿勢を正し、本は最後まで読みます。

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日本の神々の謎 - 3 ( 天神 (あまつかみ) と国神 (くにつかみ) )

2018-10-25 12:23:21 | 徒然の記

 純粋な学問として取り組むか、それとも皇室の歴史として拝読するかの違いにより、神話の位置づけや性格が異なります。

 戦前は、平泉澄 ( きよし ) 氏に代表される皇国史観が絶対でしたから、武光氏の著作は、不敬罪に問われたのかもしれません。私のように、学徒として歴史に向かう人間には、客観的な叙述が参考になりますが、その分、皇室崇拝という気持ちからは、遠ざかっていくのかもしれません。

 「古代の大和朝廷の信仰は、難しい言葉で言えば、首長霊信仰に基づくものであった。ある集団の指導者を首長と言い、首長霊信仰とは、世襲の首長の祖先を、その集団をまとめる神として祀るものである。」「皇室が、皇祖神とされる天照大神を崇めるのは、その代表的な例だ。」

 「6世紀の皇室は、自家の首長霊である天照大神を重んじたが、朝廷を構成する豪族は、それと関わりなく自家の首長霊を祭った。大伴氏にとって大切な神は、天忍日命 ( あまのおしひのみこと ) であり、忌部氏が祭る神は、太玉命 ( ふとたまのみこと ) であった。彼らは、天照大神を信仰していなかった。」

 6世紀の日本とは、どういう時代であったのか。別途調べてみました。

 「6世紀の日本は、古墳時代の後期にあたる。」

 「ただし、泊瀬部大王(はつせべのおおきみ)(後の崇峻天皇 ) が暗殺され、異母姉の額田部皇女 (ぬかたべのひめみこ) 、後の推古天皇が立てられた。」

 「崇峻天皇5年 ( 592年 ) 以降、または厩戸王 (うまやどのおう)(後の聖徳太子)が摂政になった、推古天皇元年(593年)以降は、飛鳥時代に区分される場合もある。」

 この時代から、およそ100年後に『古事記』と『日本書紀』が作られたと知りますと、苦労して編纂された歴史書の背景が、朧げに分かってきます。あちこち寄り道し、果たしてこのような読書方法で良いのか、自信はないのですが、自分が納得するやり方はこれしか知りません。

 「7世紀後半に、中央集権化がすすむと、天皇家は天照大神を、国全体の守神 ( まもりがみ ) として位置づけようとした。大宝律令という法により、豪族たちも天照大神を祭る朝廷の祭祀に、強制的に参加させられるようになった。日本神話は、この動きの中で、整えられたのである。」

 つまり豪族たちの神は、天照大神の元にある神となり、天皇家の支配を正当づける形で、神話にまとめられたということです。大阪にある住吉三神や、北九州にある宗像三神など土着の神様が、煩雑さも厭わず、詳しく書かれている理由は、ここにあるのでしょうか。

  武光氏のような専門家は、当然のこととして説明をしませんが、私のような門外漢には、もう一つ大切な予備知識があります。それは、天神 (あまつかみ) と国神 (くにつかみ) の違いです。これはネットの情報で、探しました。 

 「天神は、高天原 (たかまがはら) にいる神々、または高天原から天降った神々の総称である。」

 「それに対して、国神 (くにつかみ ) は、地に現れた神々の総称とされている。ただし、高天原から天降った素戔嗚尊 ( すさのおのみこと ) や、その子孫である大国主 ( おおくにぬし ) などは、国神とされている。」

 「日本神話において、国神が瓊瓊杵尊 ( ににぎのみこと ) を筆頭とする天神に対し、国土(葦原中国)(あしはらのなかつくに) の移譲を、受け入れたことが、国譲 ( くにゆずり ) として、描かれている。」

 「大和朝廷によって、平定された地域の人々が信仰していた神が国神になり、大和朝廷の皇族や、有力な氏族が信仰していた神が、天神になったものと考えられる。」

  神話には分からない部分が沢山ありますが、その一つに、氏が答えてくれています。学問的にどうなのか知りませんが、私には納得の出来る説明でした。

 「伊弉諾尊と伊弉冉尊は、国土を創造した神であり、天照大神の親とされる。」「この二神が神話の上で、そのように重視されるにもかかわらず、天皇家が二神を祭った形跡が見られない。」

 「大和朝廷の歴史をみていくと、天皇は、四、五世紀に三輪山の大物主神を、主に祭り、六世紀以降、天照大神を重んじていたことが分かる。」「だから天照大神以前の神は神話上の抽象的な神で、祭られる神でなかったとみるのがよい。」

 氏の説明によりますと、夫婦の創世神が国を生む話は、南方の国に多くあり、南方から移住してきた航海民が、この神を祀るのだと言います。日本で言えば、淡路島の周辺に、夫婦の神にまつわる伝説が分布しているとのことです。

 摂津、和泉、播磨、紀伊、阿波も、航海民の多い所で、彼らの神が、伊弉諾尊と伊弉冉尊として、神話に取り込まれたと述べています。その根拠として、氏は次のように言います。

 「淡路島には、伊佐奈木 ( いざなぎ ) 大社がある。それは朝廷から、一品 ( いっぽん ) という、最高の神階を与えられている。」

 天照大神の神話を権威あるものとするため、創世神を取り入れたことに対する、お礼の意味があったのでしょうか。一筋縄でいかない豪族たちの中で、天皇の権威を抜きんでたものとするため、太安万侶や舎人親王がいかに知恵を絞り、苦心を重ねたのかが伺われます。

 明治維新の頃、伊藤博文や井上毅、伊東巳代治、金子堅太郎らが、欧米列強に侵略されないよう、日本を近代化国家とするため、明治憲法の制定に、心血を注いだ姿が重なってきます。

 いわば当時の神話は、明治憲法と同様の役割ではなかったかと、私は理解します。いずれの場合も、国の統一を図り、安定と発展を願い、天皇を国の中心に据えたという、為政者たちの知恵が共通しています。

 これを思うと、マッカーサーが配下の人間たちに、わずか一月かそこらで現憲法を作らせ、天皇の位置づけを勝手に決めたことは言語道断な話です。幕僚たちが優秀だったとはいえ、日本の歴史も知らず、まして敵国として、快く思わない日本の憲法を作らせるなど、あってはならない話です。

 武光氏の著書は、まだやっと70ページですが、神話はやはり、私に平成の現在を考えさせます。自民党の保守政治家たちは何をしているのかと、神話の神々というより、神話を編纂した天皇や為政者たちが嘆いているような気がしてきました。

 今の学者たちも、考えを改めなくてなりません。小賢しく神話の矛盾を指摘したり、荒唐無稽さを笑ったり、そんな未熟な姿勢で、ご先祖の辛苦を見過ごしてどうするのでしょう。唯一無比の国体、天皇こそが世界一と、そんな頑迷固陋な意見はどうでも良い話で、学者たちの使命は、ご先祖の真意を後世に繋ぐことです。そうなれば、マッカーサーが作った憲法は、作り直さなくてならないという結論になるはずです。

 市井の一個人でさえ、神話の一端に触れただけで、これだけを理解したのですから、現在の反日左翼の憲法学者が、いかに日本の歴史を理解していないかが分かります。現憲法を不磨の大典と崇める憲法学者たちは、古事記も日本書紀も読まない、偽物の憲法学者に違いありません。

 息子たちに、神話を読めとは勧めませんが、神話を編纂したご先祖の辛苦だけは、心に刻んで欲しいと願います。ここが分かっていない政治家や学者は、尊敬する必要はありませんと、これも是非心に刻んで欲しいものです。

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日本の神々の謎 - 2 ( 『古事記』 と 『日本書紀』 )

2018-10-23 23:48:42 | 徒然の記

 大切なことを忘れていました。神話を理解するには、『古事記』と『日本書紀』について、あらかじめ知っておく必要があります。自分だけでなく、子供たちのためにも調べました。

 1. 古事記 (西暦712年)

  日本最古の歴史書である。その序によれば、和銅5年 ( 712年 ) に、太安万侶が編纂し、元明天皇に献上された。古事記の原本は現存せず、幾つかの写本が伝わる。成立年代は、写本の序に記された年月日により、 8世紀初めとされる。内容は、神代における天地の始まりから、推古天皇の時代に至るまでの、様々な出来事(神話や伝説などを含む)が、記載される。

 『古事記』は『日本書紀』とともに、後世では『記紀』と総称されるが、内容には一部に違いがあり、『日本書紀』のような勅撰の正史ではない。日本神話を伝える、神典の一つとして、神道を中心に日本の宗教文化、精神文化に多大な影響を与えている。『古事記』に現れる神々は、現在では多くの神社で、祭神として祀られている。 

  2. 日本書紀 (西暦720年)

  『日本書紀』は、奈良時代に成立した、日本の歴史書である。日本に伝存する最古の正史で、舎人親王らの撰で、養老4年(720年)に完成した。神代から、持統天皇の時代までを扱う。漢文にて記述されている。全30巻。

  『日本書紀』の編纂は、当時の天皇によって、作成を命じられた国家の大事業であり、皇室や、各氏族の、歴史上での位置づけを行うという、極めて政治的な色彩の強いものである。編集方針の決定や、原史料の選択は、政治的に、有力者が主導したものと推測されている。

 以上ネットから、要点のみを紹介しました。

 世に出ている神話の原典は、「記紀」が中心となっています。神様の名前ばかりでなく、原文は漢文ですから、神話の著者は、並大抵の学識者ではないと思います。神様の読み方くらいで音をあげる私とは、比較できない立派な学者です。武光氏だけでなく、安達氏、山崎氏、戸部氏についても、簡単に批判してならないと、自分を戒めながら先へ進みます。

 「日本神話の中の最高神は、天照大神である。しかし大神 ( おおみかみ ) は、最初に現れた神ではない。」

 「最初に出現した神は、天御中主尊 ( あまのなかぬしのみこと) である。天の中央にいる支配者という意味であり、最古の神にふさわしい。」「しかしこの神が、神話の中で活躍する場面はない。この神は、天の中心を支配する神、といった哲学的な神と評価できる。」

 この天地創造の時代の神様について、息子たちにどのように伝えればいいのでしょうか。天文学的に言い、人間の住む地球が生まれる前の宇宙 ( 天界 )  を、想像してもらいたいと、そんな風に言えば伝わるのでしょうか。しかもその宇宙 ( 天界 ) が一つでなく、少なくとも四つあります。私の、おぼつかない理解で説明しますと、

  1.   天御中主尊 ( あまのなかぬしのみこと ) 系統の宇宙 ( 天界 ) 

  2. 可美葦牙彦舅尊 ( うましあしかげひこじのみこと ) 系統の宇宙 ( 天界 ) 

  3. 国常立尊  ( くにのとこたちのみこと ) 系統の宇宙 ( 天界 ) 

   国常立尊に始まる、神代七代の神々は、巨人の姿をした神である。高天原とは違う、もう一つの神々の世界にいて、人々を見守る存在とされる神だ。巨人でなければ、下界を矛でかき回すことなどできない。

  4.   高天原 ( たかあまらがはら )  系統の宇宙 ( 天界 ) 

   伊弉諾命 ( いざなぎのみこと ) が、右目を洗ったときに、天照大神が生まれた。このことは、大神 ( おおみかみ ) が、人間と同じ背丈の神様であったことを、うかがわせる。巨人の目から生じた小さな美しい神々が、高天原という、新たな神々の世界 ( 天界 ) を作ることとなる。

  と、こういうことでしょうか。このあたりが、キリスト教や仏教といった、一神教との違いなのでしょうか。一神教なら、中心となる神様が最初に来て、神話はその神様を中心に展開いたします。私は過去に、聖書しか読んだことがありませんので、イスラム教やヒンズー教がどうなっているのか知りませんから、断定できませんが、少なくとも、日本神話のように様々な神様は出て来なかった、という気がいたします。

 『古事記』は、上記 1. 2. について叙述していますが、さすがに『日本書紀』は、大和朝廷の正史だけあり、3.の国常立尊  ( くにのとこたちのみこと ) 系統の宇宙から、記述されています。

  私のような凡俗には、武光氏のオーソドックスな、学問的解説がなかなか理解できません。息子たちのため、分からないまま、先生の叙述を紹介します。
 
 「『日本書紀』の本文は、国常立尊  ( くにのとこたちのみこと ) を、」「最初に出現した神として、あげている。そこでは国常立尊が、 天御中主尊 ( あまのなかぬしのみこと ) より、古いものとされたことが分かる。」
 
 「『日本書紀』の本文は、国常立尊は、天地の間に出現したと記し、この記述こそが、国常立尊を始源神とする神話を特徴づけるものである。そうすると、卵のようなどろどろした天地を分け、国を立てた巨人が、国常立尊ということになる。」
 
 ここまで書いて、一区切りとします。スペースも余裕がなくなり、自分の理解も余裕がなくなっています。奈良時代の本ですし、神話でもありますので、謙虚に受け止めるしかありません。125代続く天皇家の神話ですから、先ずは、読み進むことに意義があると思い、明日も続きを紹介します。
 
 本はやっと、15ページ、前途遼遠です。
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日本の神々の謎 ( 大和朝廷と出雲王国 )

2018-10-22 18:10:18 | 徒然の記

   武光誠氏著『日本の神々の謎』( 平成4年刊 大和書房)を、読み終えました。

 何度読んでも、日本の神話は、なかなか理解できません。難解というのではなく、神々の名前が無数に現れ、その読み方が簡単でなく、漢字を見ても読めないところに原因の一つがあります。

 天御中主尊 ( あまのみなかぬしのみこと ) 、高皇産霊尊 ( たかみむすひのみこと ) 、可美葦牙彦舅尊 ( うましあしかげひこじのみこと ) 、国常立尊 (  くにのとこたちのみこと) など、漢字を知っていても読めません。

 さすがに私も、息子たちに日本の神話を読みなさいと、気楽に勧める気持ちにはなれません。今から2年前の平成28年に、叔父の遺品としてもらった蔵書で、神話に関するものを4冊読んでいます。

  1. 安達巌氏著「出雲大神と日本建国」( 平成6年刊 新泉社 )

  2. 安達巌氏著「出雲王朝は実在した」( 平成8年刊 新泉社 )

  3. 山崎謙氏著「出雲大社の謎」( 平成6年刊 (株)ディーエイチシー)

  4. 戸部民夫氏著「日本の神様が、よくわかる本」( 平成16年刊 PHP文庫 )

  どの本も、読みづらい漢字の神々に悩まされ、難渋しました。ここでちょっと、今回の本も含め、著者の略歴を比較すれば、何かの糸口が掴めるのかもしれません。
 
 1. 安達巌氏  ( 日本の食品業者、食物史家、古代史家 )
   明治39年、島根県松江氏の農家に生まれる。旧制中学校を中退し、大阪、東京へと移り、農民運動、社会運動、協同組合運動の活動をする。戦後は製パン業を始め、あけぼのパン常務、中村屋顧問、業界団体の幹部をへて著述業。日本人の食生活についての評論、食物史から、古代史まで多くの著作をなした。
 
  2. 山崎謙氏
   昭和26年、徳島県生まれ。明治大学文学部考古学専攻。出版社勤務後、 昭和55年に独立。以降、主に古代史を中心と した出版物の企画・編集・執筆に携わる。
 
 3. 戸部民生氏
    経歴情報なし。
 
 4. 武光誠氏  ( 日本の歴史学者、目明治学院大学教授 )
    昭和25年、山口県生まれ。東京大学大学院国史学専攻。昭和55年頃から明治学院大学に勤務。「古代太政官制の研究」により博士号を取得。
 

 安達氏と山崎氏の神話の読み方は、大和朝廷に対峙するものとして、出雲王朝を大きく取り上げているところに共通点があります。どういう偶然なのか、二人は古代の日本を二分していたのは、大和朝廷と出雲王朝だと語ります。

 出雲の神様の分布は、山陰地方だけでなく、奈良、京都、長野県の諏訪にまで広がり、大きな勢力だったことが説明されます。有名な国譲り物語も、実際の話は、大和朝廷が出雲国を武力で攻め、大国主命を殺害していると、山崎氏は史実をあげ、説明していました。私の常識を覆す激しい神話の解釈に、戸惑いすら覚えました。

 例を挙げますと、安達氏による国譲りの説明は、次のようなものでした。

 「もしオオクニヌシが全国に分散している、傘下の国つ神に呼びかけ、徹底抗戦の道を歩んだならば両者がその国力を消耗し尽くし、朝鮮半島の諸国に、漁夫の利を得さしめることに、なったであろう。」

 「勝海舟と西郷隆盛が、相互信頼の上に立ち、平和裡に江戸城を授受し、日本の近代的出発の糸口を開いたという、あの劇的場面に似ている。」

  それまでの私は、全国の神社は、天照大神 ( あまてらすおおみかみ ) を頂点とする、八百万 ( やおよろず ) の神々が、古代より連綿と一本につながっていると信じていました。しかし安達・山崎氏の氏の説に従いますと、古代の日本には、大和朝廷と出雲王国が覇を競っていたことになります。
 
 当時の出雲王国は日本海を通じて、北陸地方、北九州、さらには朝鮮半島とも繋がりを持つ、巨大な一大勢力だったと言います。何より驚かされるのは、大和地方が、大和朝廷より先に、出雲王国の支配地であったという説でした。
 
 それに比べますと、戸部氏の著書は、「全国の名物食べ歩き」のような通俗本で、私には無縁な本でした。日本の歴史や、神話の世界など、そのようなことは何も語らず、「金儲けの神様は、どこにあるのか。」「恋人と結びつけてくれる神様のいる場所。」などと、人間の欲望に合わせ、神様の所在地を案内する本でした。

 神話の体系や歴史を、近隣諸国との関係で語るなど、今回読んだ本の中では、武光氏の著作が一番オーソドックスでした。オーソドックスというのは、正統的、学問的という意味ですから、簡単に言いますと、一番わかりにくく、退屈だったということです。親子、兄弟、親類縁者の神様が、ややこしい名前で、続出しますので、途中で投げ出したくなるほどの煩雑さでした。

 「日本の神々を記した、日本神話は、」「きわめて複雑な構成をとっている。」「宇宙の初めを説明する神話が、三個の系統に分かれているのである。」「それぞれを、天御中主尊 ( あまのみなかぬしのみこと )系統 、」「可美葦牙彦舅尊 ( うましあしかげひこじのみこと ) の系統、」「国常立尊 (  くにのとこたちのみこと)系統と、名付けておこう。」

 天皇家の神は「天照大神」で、これが最高の神なのですが、氏の説明を読みますと、「天照大神」の前に、25以上の神様が先行いたします。

 天界から、固まらないどろどろの下界を、矛でかき回し、落ちた雫が日本の島々になりました。下界をかき回し、日本を作った神は、伊奘冉命 ( いざなみのみこと) 、伊弉諾命 ( いざなぎのみこと ) と呼ばれます。この神様が最初かと思っていましたのに、神話ではやっと20番目に現れる神様です。

 この男女神は、天照大神の親であると言われますが、名前だけでは、とちらが男の神か女の神か区別がつきません。二人は、日本の島々を生むだけでなく、その他にも、24柱の神様を生んでいます。もっと分かりにくいのは、天照大神は、女神である伊弉冉尊 ( いざなみのみこと)が亡くなり、黄泉の国へと消えた後、男神である伊弉諾命 ( いざなぎのみこと ) が生んでいるところです。いくら神話の世界の話とはいえ、私の常識は苦悶いたします。

  同じ出雲王国を扱いながら、先に読んだ安達氏や山崎氏と、武光氏の説明は肝心な所で違っています。どちらがが正しいかのは不明ですが、分かることが一つだけありました。「古代史は今も謎のままであり、研究者の解釈次第でどうにでも変化する状況にある。」と、簡単に言えばこういう結論です。

 「古代史の謎と、ロマンの世界へ」と、神話好きな人間ならそう言うのでしょうが、私は違います。一人の国民、学徒として、天皇家の歴史が知りたいだけなのです。神話好きでない方は、しばらくお休みください。貴重な時間を、退屈するために使うのはもったいないことです。

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この落差 - 18 ( 日本 カトリック教会と日本プロテスタント教会 )

2018-10-17 22:45:46 | 徒然の記

  先日、15回目のブログで、反日活動に参加しているのは、プロテスタント教会で、カトリック教会はしていないと、「訂正」を入れましたが、それは間違いでした。

 年はとりたくないもので、4年前の平成26年に、 自分でブログに取り上げていたのを、すっかり忘れておりました。ここで私は、カトリック教会の反日活動を、二つ述べていました。

 1. カトリック教会 光延神父の講演。

   「9条にノーべル賞を与える 市民のつどい」

 2. 「日本カトリック司教協議会」会長の岡田武夫大司教と、副会長の高見三明大司教のバチカン訪問

   二人の訪問の目的は、ローマ法王に書簡を渡すことでした。書簡の内容は、「原発即廃止」「脱原発」「憲法9条にノーベル賞を」となっていました。これでは、反日・左翼の活動と同じでないかと、驚くしかない私でした。

 今回は念を入れ、再度ネットの情報を確認しましたので、そのまま転記します。

 「カトリック正義と平和協議会は、日本のカトリック教会の組織である。」「略称は、正平協と言う。」「正平協は、諸団体と連携・協力し、」「次の問題に取り組んでいる。」「慰安婦問題、死刑問題、冤罪問題、拷問禁止条約問題、進出企業問題」

 と列挙されており、慰安婦問題に関する説明を読み、私はまた驚きました。

 「国連から日本政府に対し、慰安婦に、」「謝罪と補償を求める勧告が出されるよう、ロビー活動を行い、」「その結果、国連人権委員会で、」「クマラスワミ報告書が、出された。」

 キリスト教の組織が、日本の中で、反日・左翼団体と連携し、政治活動をしている。マッカーサーは、日本国憲法を作った時、日本の神道を危険視し、「政教分離」を押し通しました。靖国神社を国家から切り離し、政治と宗教を厳しく分離させました。そのせいもあり、総理大臣以下の靖国参拝が困難となり、「公的か」「私的か」で毎年大揉めしています。

 ならば、キリスト教会がしていることは、どうして問題にならないのでしょう。プロテスタント教会も、カトリック教会も、どうして過激な政治活動ができるのでしょう。しかも、朝日新聞の捏造報道を使い、内政干渉をしているのですから、常識のピンが外れているとしか、言いようがありません。

  そうなりますと私は、不本意ながら、最後にもう一度、武者小路公秀氏について、言及せずにおれなくなります。氏はカトリック教徒であり、「カトリック正義と平和協議会」などが、主催する講演会でも、しばしば講演しているからです。氏とカトリック教会の密接な関係を知りますと、許せなくなるのは、私だけではなさそうです。

 氏を批判する、保守のブログを見つけました。反日の団体に言わせると、ネトウヨのブログとなるのでしょうが、参考になりますので、長くても、転記いたします。

「今年も、8月15日には日本武道館にて」「全国戦没者追悼式が、行われました。」「天皇皇后両陛下がご臨席なされ、安倍総理大臣から式辞の後、」「黙祷を捧げ、陛下が、」「先の大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々と、その遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします」」「との、お言葉を述べられました。」


 「日本国のために、命を捧げられた戦没者の方々に対して、」「少なくとも、国民の代表である国会議員は、」「ここに参加するのが義務であります。」「しかし、その義務を果たさず、」「同じ日に行われた、8月15日に日本から独立した日という、」「朝鮮の光復節の式典に、日本の国会議員が出席していました。」

    自民党 猪口邦子
    民主党 白眞勲、赤松広隆、中川正春
    共産党 吉良よし子、池内さおり、笠井亮
    社民党 福島瑞穂
    公明党 魚住裕一郎、高木美智代

 「陛下ご臨席の、日本の戦没者式典に参加せずに、」「今や敵国である、韓国の式典に出て、挨拶までするとは、」「日本の国会議員としての、自覚がなさ過ぎるのではないか。」
 
 「こういうことがあるから、国会議員も地方議員も、」「教師などの公務員も、全て3世代までさかのぼって調査し、」「日本人でない者は、排除していかなければ、日本のためにはなりません。」「これは差別ではなく、日本のために、そうするのが当然のことです。」

 「特に自民党の猪口某は、大臣までやった者であり、」「今回、日韓議員連盟会長の額賀某の代理だとしても、」「断るのが筋であります。」「この猪口某が、上智大学教授であった時に、指導したのが武者小路公秀という人物で、」「カトリック教徒である武者小路にとって、井口邦子は教え子である。」
 
 武者小路氏については、知るほどに「駆除すべき害虫の親玉」の一人であることが、明らかになります。国連の反日活動のキーパーソンとして働くだけでなく、皇室にまで影響を及ぼしています。それを制止しない小和田氏も、「獅子身中の虫」と思わずにおれません。雅子さまの御父君として、未だに外務省に影響力を持っているにもかかわらず、自らが確定した「東京裁判史観」を、見直す動きもしておられません。
 
 長く続いた「この落差」でしたが、今晩で終わりといたします。悲しみとともに記しますのは、北畠親房の言葉しかありません。
 
  「君は尊くましませど、民を苦しませれば、天これを許さず。」  
 
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