ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

私の邪推と偏見

2019-10-31 21:15:46 | 徒然の記
 私は、安倍総理について、是々非々の立場です。このところの反日・野党と、マスコミの報道を見ていますと、一言云わずにおれなくなりました。
 
 訪問される方にも、息子たちにも、これから述べるのは、「私の邪推と偏見」であると、断っておきます。根拠は何もなく、単なる印象だけで、述べています。
 
  1.  菅原経産大臣の辞任騒ぎ
     2. 河井法相の辞任騒ぎ
     3.  萩生田文科相の失言騒ぎ
     4.  二階幹事長の失言騒ぎ
 
 野党とマスコミが一体となり、安倍政権の関係者を追求しています。これは、安倍総理の任命責任へと世論を誘導し、倒閣運動へつなげようとするものです。
 
 お粗末な大臣諸氏の言動ではありますが、こんなものは、私から見れば全て「些事」です。マスコミの安倍憎しが目につき、腹立たしいだけです。
 
 彼らはなぜ、こんな些末な事柄で大騒ぎし、倒閣の世論を煽ろうとしているのか。お花畑の住民は別として、日本を大切にする人間は、彼らの意図を見る力が求められます。
 
 日本憎悪で固まる韓国の文在寅大統領の、許せない一連の言動が、私たち国民を怒らせています。日韓条約の無視から始まり、レーダー照射事件、GSOMIAの破棄、韓国国会議長の暴言(上皇陛下は犯罪人の息子、陛下が謝れば全てが解決する)などなど、いつものことですが、ならず者としか言えない、彼らの言動です。「盗人猛々しい」と、およそ外交儀礼も弁えぬ、文氏の暴言は、日本国民への悪態です。
 
 常に我慢してきた日本ですが、安倍総理が今回は、妥協していません。この件に関する総理の対応は、筋が通っています。日韓関係は、種を撒いた韓国の文氏一派が、謝罪するところからしか始まりません。
 
 息子たちも、父の意向に、そろそろ気づいたでしょうか。
反日の野党と、反日のマスコミが、ここまで大騒ぎし、安倍総理の政治責任とやらを追求する理由・・・・。日本よりも、韓国の方が大事な彼らは、安倍氏が総理でいる限り、韓国の窮状が救われないので、文一派に負けない屁理屈と、ガサネタで、政争を起し、騒ぎ立てようとしています。
 
 こんな些事で、政治家の首を取ると言うのなら、地球を5周分のガソリン代金を誤魔化した、民進党の山尾議員はなんでうやむやのままなのか。二重国籍の蓮舫氏は、なぜ追及を逃れたのか。過激派暴力団体からの献金を受けている、辻本氏は、なぜマスコミに守られているのか。
 
 彼らのダブルスタンダードの醜さに、反吐が出そうになるのは、私だけなのでしょうか。叩けば埃が出るのが、政治家ですから、自民党であれ、野党であれ、マスコミが血祭りにあげようとすれば、簡単な話です。報道の自由の名の下に、報道しない自由も駆使し、マスコミはやりたい放題をしています。
 
 何も安倍内閣の関係者を、殊更弁護する気はありません。云われるだけの言動をしたのですから、襟を正す必要はあります。私が許せないのは、マスコミの恣意的報道です。彼らはテレビ・新聞・ラジオという、強力な情報手段で、反日活動をしています。いつものことですから、彼らに踊らされないように、しなければなりません。
 
 彼らがやっているのは、「韓国を助けるための、安倍内閣倒閣運動です。」
 
 ( 私の邪推と偏見のブログですから、息子たちは、こんな真似をしないでください。)
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文明の衝突 - 20 ( ハンチントン氏の思い込み )

2019-10-30 17:22:32 | 徒然の記
 今回は、文明論の視点から見た、日本に関する氏の主張を紹介します。面白いものではありませんが、今後の日本を考える上で参考になります。
 
 「文明には通常、その文明を支える文化の主要な発生地と、構成員が見なしている場所が一つ以上ある。」「それはしばしば、その文明の中核国、つまり最も強力で、文化の中心にある国だ。」
 
 「中華、東方正教会、そしてヒンドゥーの各文明は、」「圧倒的な力を持つ、一つの中核国と、」「その他の構成国から、なっている。」
 
 「欧米には、現在、二つの中核国、」「つまりアメリカと、ヨーロッパのフランス・ドイツという中核国があり、」「両者の間で揺れているイギリスが、さらにもう一つの、中心となっている。」
 
 世界の情勢を説明する意見として、氏の説明には説得力があります。
 
 「日本文明は事実上、日本という一つの中核国と同一であり、孤立国である。」「孤立国とは、他の社会と文化を共有しない国である。」
 
 孤立した日本という氏の意見は、この認識から出ています。日本文明は、アジアの中で一つの文明として完成しているが、取り巻く国が無いという意見です。他の孤立国の例として、氏はエチオピアとハイチをあげています。二つの国は、言語と宗教が異なるため周辺国から孤立しています。
 
 「しかし、最も重要な孤立国は、日本である。」「日本の独特な文化を共有する国はなく、他国に移民した日本人は、その国で重要な意味を持つほど人口が多くない。」「かといって、移民先の国に同化することもない。」「例えば、日系アメリカ人がそうだ。」
 
 ここからが人口を重視する、氏の文明論が始まります。同時に私たちの知らない、米国人の日本観も教えられます。
 
 「日本の孤立の度がさらに高まるのは、日本文化は高度に排他的で、」「広く支持される可能性のある宗教 ( キリスト教やイスラム教 ) や、」「イデオロギー ( 自由主義や共産主義 ) を、持っていないという事実がある。」
 
 「そのため、他の社会にそれを伝え、」「他の人々と、文化的な関係を築くことができないのである。」
 
 日本文明の孤立論として、最初に読んだ時、「なんだ。この程度の理解だったのか・・」と、正直、少し氏を軽蔑したくなりました。世界の国々について、驚くほどの知識を持っているのに、日本については、あまり知識がないようです。
 
 日本文化は排他的と批評していますが、何をもって判断しているのでしょう。根拠になる事実を語れないほど、氏が日本を知らないのだと思いました。広く支持される宗教やイデオロギーを持っていないと言いますが、この誤解というより、学問的間違いを指摘したくなります。
 
 「日本はアジアです。」「日本は、東アジアの国なのです。」「この地理的、文化的な事実に、背を向けることはできません。」「あなた方は、ここに属しているのです。」
 
 マハティール氏の言葉を紹介しながら、ハンチントン氏は何も分かっていなかったのです。日本が孤立した国であるとしたら、マハティール氏がこういう呼びかけを本気でするのでしょうか。オーストラリアやニュージィランド、そして米国までEAECへの参加を拒んだマハティール氏が、どうして日本への参加を要請したのか。
 
 この事実の中に、氏への反証があると考えます。共有する文明がなくととも、世界第二の経済大国だった日本に媚び、利用したに過ぎないと、ハンチントン氏はいうのかもしれません。それならマハティール氏は、どうして世界一の大国であるアメリカを利用しなかったのか。
 
 ハンチントン氏にも私と同様の偏見というか、強い思い込みというのか、そんなものがあるのではないでしょうか。日本はアジアで孤立した特殊な国、あるいは、周辺国に馴染まない、変な国という印象が、固定観念として刻まれているようです。反日・左翼とグローバリストを、頭から「駆除すべき害虫」と、決めつける私と似ているものを感じます。
 
 息子たちに分かりやすくするため、私の結論を箇条書きにします。
 
 ・ 日本が持っている宗教とイデオロギーは、神道の中に集約されています。
 
 ・ それが世界に知られていないのは、大東亜戦争での敗北が原因です。
 
 ・ 東京裁判で、戦前の全てを悪として否定された日本は、信じる多数を占める国民が口を閉じてしまいました。
 
 語れば長くなり、氏に伝わる訳でもありませんが、説明したくなります。神道の中にある次の三つの信仰は、世界の国が共有できる精神です。
 
 1.  自然信仰  ( 山や木や岩など、自然そのものの中に神を見、人間もその一部であると考え、中心にあるのを太陽神とする)
 
 2.  御霊(みたま)信仰    ( 優れた人や地域に貢献した人など、個人の魂を信仰の対象とする。)
 
 3.  祖霊(それい)信仰 ( 自分の祖先を神として大切にし、信仰の対象とする。)
 
 それぞれの国が、自国のご先祖を祀るのは孤立した信仰ではありません。まして、太陽を中心とする祈りは、万人が持つ自然への敬虔な信仰です。
 
 「和をもって尊しとなす」日本人は、周辺との諍いを好まないため、他国の人々へ神道の強要をしませんでした。キリスト教やイスラム教あるいは仏教などは、自分が正しいと信じれば、武力を持ってでも他国に強要しました。全てとは言いませんが、それも大きな要因です。
 
 有難いことにスペースがなくなりましたので、神様のことはここで終わりとし、次へ進みます。
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文明の衝突 - 19 ( EAEC ( 東アジア経済協議体 )と日本 )

2019-10-29 19:52:14 | 徒然の記
 秋の夜長の読書を、楽しみたいと思います。氏が日本という国をどのように捉えているのか。著作の中から、該当する部分をまとめてみました。
 
 本題に入る前に、EAEC ( 東アジア経済協議体 ) について調べました。

  ・マレーシアのマハティール首相が、1990 ( 平成2 )年に提案した貿易ブロック構想である。
 
  ・EU(欧州連合)市場統合や、NAFTA(北米自由貿易協定)など、地域主義の動きに対抗したものである。
 
  ・ASEAN(東南アジア諸国連合)、日本、韓国、中国など、東アジア地域諸国も団結すべきとの発想から生まれた。
 
  ・しかしアメリカなどが、アジアのブロック化だと強く批判し具体化していない。
 
 オーストラリアが参加を希望したのに、マハティール氏が、ヨーロッパ人の国だと参加を拒んだのが、このEAECでした。進展していると思っていましたが、アメリカの反対で発足していませんでした。
 
 アジアの国々がEUに負けないようにと頑張っているのに、なぜ米国が反対をするのか。知るほどに、覇権を守りたいアメリカの自己中心主義が見えてきます。
 
 ASEANの加盟国についても、整理しておきます。
 
   ・  当初の加盟国は、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイの5カ国。
 
   ・ その後、ブルネイ、ベトナム、ミャンマー、ラオスが加盟し、1999 ( 平成11 )年にカンボジアが加わり、東南アジア10ヶ国がまとまった。
 
  ・  これにより、人口5億人を超える集合体となった。
 
 ハンチントン氏の説明を読みますと、日本の置かれた位置がよく分かります。 
 
 「東アジアに、意味のある地域的組織が生まれるには、」「それを維持できるだけの、文化の共通点が、存在しなければならないだろう。」「東アジアの社会には、確かにいくつかの共通点があり、それゆえ欧米と異なっている。」
 
 「マハティール首相によると、これにより協力の基盤ができ、」「EAECの促進が図れると、言う。」「この会議にはASEAN加盟国と、ミャンマー、台湾、香港、韓国が参加し、」「最も重要な参加国として、中国と日本も含まれると言う。」
 
 ここで氏が、マハティール首相の言葉を紹介します。
 
 「東アジア内の組織とはいえ、単なる地理的な集団でなく文化的な集団でもある。」「東アジア人は、日本人であれ、韓国人であれ、」「インドネシア人であれ、文化的には、ある程度似ている。」
 
 多少の違いがあってもヨーロッパ人がまとまっているし、アメリカも同様だから、アジア人もまとまらなければならないと言うのが、マハティール氏の意見です。
 
 「マハティールの協力者の一人の言葉によれば、その目的は、」「アジアで共通点を持つ国同士の、地域貿易を拡大することである。」「この考え方に基づいて、オーストラリア、ニュージーランドと米国が外された。」
 
 経済の発展が国を豊かにするのですから、世界の富を欧米諸国だけに占有させず、今後はアジアも一つになり経済圏を作ろうと言う提案です。
 
 「しかしEAECの成功を、決定的に左右するのは、日本と中国の参加である。」「マハティールは、日本の参加を熱心に要請した。」
 
 そう言うことだったのかと分かりましたが、日本のマスコミは大きな報道をしなかったと記憶しています。氏の紹介するマハティール氏の訴えは、私たちに届いていなかった気がします。
 
 「マハティールは、日本の聴衆に語った。」「日本はアジアです。」「日本は、東アジアの国なのです。」「この地理的、文化的な事実に、」「背を向けることはできません。」「あなた方は、ここに属しているのです。」
 
 マスコミが伝えなかった理由が、氏の次の説明でわかりました。
 
 「だが日本政府は、参加に乗り気ではなかった。」「一つには、アメリカの機嫌を損ねることを恐れ、」「また一つには、自らをアジアの一国と認識するかどうかで、」「意見が分かれていたからだ。」
 
 「日本が参加すれば支配的な立場に立たされ、参加国の懸念や不安を掻き立て、」「中国には、敵意を抱かせる可能性がある。」「かって数年にわたり日本が主導し、アジアに、円ブロックを作ろうと、盛んな討議がなされた。」
 
 「ところが日本は、近隣諸国と文化的なつながりを持たないほとんど孤立した国であり、」「1995 ( 平成7 )年現在、円ブロックは、実現していない。」「ASEANの発展は遅れ、円ブロックは夢のままで、日本は躊躇し、EAECは発足できずにいる。」
 
 円ブロックについては、アメリカによる強力な反対で頓挫したとマスコミが報道していましたから、よく覚えています。氏が言うように、日本の優柔不断だけが原因でなかったはずです。むしろ私は、氏に異を唱えたい気持ちになります。
 
 「日本がアジアで孤立しているのは、文化的なつながりの欠如というより、」「アメリカへの忖度が、そうさせるのです。」「アメリカは、かってのように日本がアジアで主導権を握ることを警戒し、」「アメリカの対抗勢力となることに、反対しています。」
 
 「そのための東京裁判であり、憲法の押しつけでした。」「日本の戦後は、アメリカへの忖度と、従属の年月ではなかったのでしょうか。」
 
 政治学者であるハンチントン氏が、この事実を知らないはずがありませんから、日本に関する説明には賛成しません。
 
 今回は、EAECを通して見た日本観を紹介しましが、次回は、文明論の視点から眺めた日本に関する、氏の意見を紹介します
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文明の衝突 - 18 ( イスラム諸国からの、人口大量流出 )

2019-10-28 15:22:35 | 徒然の記
 イスラム文明と中国文明の、どちらが脅威かと聞かれたら、私は即座に中国文明と答えます。しかしハンチントン氏は、イスラム文明に危機感を覚え、多くのページを使っています。
 
 米国人だからそうなるのか、それとも、20年前の著作なので、まだ中国は、イスラムほどの脅威を感じさせていなかったのか、ネットで調べてみました。20年前といえば、日本では御代変わりの平成元年でした。
 
 「1989年4月15日 - 1989年6月4日、天安門事件。」「中国の一般民衆が多数虐殺された。」「趙紫陽は、総書記ほか全役職を解任され、」「江沢民が総書記・最高指導者に抜擢。」「中国は、西側諸国から経済制裁を受けた。」
 
 引退したとは言え、当時はまだ鄧小平氏が健在で、事件の始末をつけたのも彼でした。この頃の中国はまだ、やっと「改革開放経済」を始めた時期で、西欧社会には、何の脅威も与えていません。これを頭に入れた上で、ハンチントン氏の叙述を紹介いたします。
 
 「イスラムの復興は、1970 ( 昭和45 ) 年代の石油ショックで、」「多くのイスラム諸国が、富と影響力を一気に増大させたことによって、」「火がついたのである。」「これによって彼らは、西欧との間に存在していた、」「支配と従属の関係を、逆転させることができた。」「サウジ、リビアなどの政府は、石油収入を投じて、」「イスラム復興を刺激し、また、経済的に支援した。」
 
 「富を得たイスラム教諸国の人々は、西欧への憧れから覚めて、」「自分自身に深い関心を抱くようになり、」「イスラムの地位と重要性を、主張したいと考え始めたのである。」「持続する人口増が原動力となり続けた、イスラムの復興は、」「脅威的な人口増加率によって、支えられていたのである。」
 
 平泉渉氏と同様に、ハンチントン氏も、国力を図る基準に「人口」を語ります。私の頭には、「貧乏人の子沢山」という言葉が、マイナスイメージとしてありますが、政治の世界では違うようです。
 
 「人口が増加するのは、国が元気な証拠である。」と、考えを改めなくてなりません。そう言われますと、なるほど、勢いをなくした欧米諸国が、少子高齢化社会となっており、日本もその仲間入りをしています。若い働き手をなくした国々は、安価な外国人労働者を、移民として多量に受け入れています。
 
 移民は貧乏な未開、未発達の国からくるというのも事実ですが、逆にこれらの国は、勢いのある若い国であると、こまでの常識がひっくり返されていきます。
 
 「イスラム圏全体では、1980 ( 昭和55 ) 年現在で、」「世界全人口の、18%を占めていると言われ、」「2000 ( 平成12 ) 年には、20%を超え、」「2025年には、30%を超えると、予想されている。」
 
 「人口が増えれば、それだけ物資も必要になる。」「従って、人口密度と人口増加率の大きな国は、」「外へ向かう傾向を強め、領土拡大を目論み、」「人口増加率の少ない民族への、圧力を強めるだろう。」「イスラム圏における人口の増加は、それ以外の国々と、国境付近での衝突をもたらす重大な要因となる。」
 
 「イスラム諸国からの大量の人口流出は、相手国での移民問題を引き起こす。」
 
 20年前に、氏が予見していた通りのことが、欧米諸国で生じています。具体例として氏は、旧ソ連、アルバニア、セルビア、ギリシア、イタリア、イスラエル、スペインなどの国を上げています。氏が強調するのは、増加した若者の中から、イスラム原理運動や、その他の政治活動に参加する者が出てくるという事実です。先般安倍総理が、「移民法」を成立させましたので、何も対策を講じなければ、早晩日本もそうなります。
 
 「だがいずれ、イスラム復興運動も下火になり、歴史の中に姿を消すはずだ。」「それが予想されるのは、人口増が鈍化する2020年代以降である。」「その頃には、戦闘的な活動家や、兵士、移民の数も減り、」「他国との激しい対立は、沈静化の方向へ進むだろう。」
 
 人口減となる時期を待つしかないというのが、氏の意見です。イスラム諸国からの移民でなく、在日の60万人を抱える日本には、すでに中国からの流入が始まっています。
 
 安い労働力に目がくらみ、移民受け入れを政府に働きかける経済界は、愚か者としか言いようがありません。「多様化する社会」「共生化する寛容の社会」と、金で買われた学者たちの扇動にも、警戒しなくてなりません。
 
 「イスラムと西欧の間に、友好関係は成立しないが、」「対立傾向は弱まり、戦争に近い状態は、」「冷たい戦争に変わり、冷たい平和という状態さえ、」「ありうるだろう。」「いずれにせよ、これから数十年間、アジアの経済成長は、」「西欧によって確立された国際社会の秩序に、」「大きな不安要因として、作用することとなる。」
 
 「各国は、軍備の拡充に動くと共に、国外への移民も増える。」「21世紀初頭の世界では、非西欧諸国が国力と文化的影響力を増大させ、」「お互い同士、あるいは西欧との間で、衝突を繰り返すことになる。」
 
 暗い予見ですが、日々のマスコミの報道を見れば、看過できない主張です。米中貿易戦争、日韓関係の悪化、先の見えない拉致問題など、日本には日本の課題が山積しています。それなのに国会では相変わらず、大臣の不祥事での辞任騒ぎです。
 
 自民党も野党も国の安全そっちのけで、一体何をしているのでしょう。
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文明の衝突 - 17 ( ロシアを二分する勢力 )

2019-10-26 20:39:48 | 徒然の記
 ハンチントン氏の著書で、トルコ、メキシコ、オーストラリアについて学び、読書の秋にふさわしい、啓蒙の書となっています。
 
 人生いろいろ・・と、亡くなった島倉千代子さんが歌っていましたが、人生ばかりでなく、国にも色々あることを教わりました。楽しくはありませんが、日本ばかりに、不合理でおかしな問題があるのでないと知れば、多少気持が楽になります。
 
 これから最後のロシアですが、世界を二分していた国だけに、これまでのように簡単に語れません。旧ソ連内の国が分裂したというだけでなく、西欧との関係で捉えないと正しい理解ができません。
 
 氏の言葉を借りますと、ソ連邦分裂後のロシアと東欧は、「東方教会とイスラムの勢力範囲」と、「西欧キリスト教の勢力範囲」に、大きく分かれるのだそうです。世界地図で言いますと、スカンジナビア半島とバルカン半島を上下に結び、右側が「東方教会とイスラムの勢力範囲」、左側が「西欧キリスト教の勢力範囲」になります。
 
 即座に理解できませんので、氏の説明を紹介します。
 
 「東方教会は、正教会に属するキリスト教の教会だが、」「西欧のキリスト教とは、別のものである。」「正教会は、一カ国に一つの教会組織を持つことを原則とし、」「ロシア正教会、ギリシャ正教会、グルジア正教会、ルーマニア正教会、などがある。」
 
 「各国ごとの正教会は、異なる教義を信奉している訳でなく、」「同じ信仰を有しており、ロシア正教会は、数多くある独立正教会の、一つである。」
 
 つまり旧ソ連邦と東欧諸国は、西欧のキリスト教国と、正教会の国とに二分されたということになります。多くの人は頭の中で地図が描けるでしょうから、参考のため、二分された国々の名前を、上から下へ紹介します。
 
  1.   「東方教会とイスラムの勢力範囲」
         ロシア、ベラルーシの半分、ウクライナの4分の1、ルーマニアの3分の2、ボスニア、モンテネグロ、アルバニア、ブルガリア、マケドニア、ギリシア、トルコ、
 
  2.   「西欧キリスト教の勢力範囲」
  フィンランド、⁂エストニア、⁂ラトビア、⁂リトアニア、ポーランド、スロバキア、⁂ハンガリー、⁂スロベニア、⁂クロアチア
 
 半分、4分の1と表示した国は、そのまま分断された状態にあります。⁂印をつけた国は、かってのソ連圏から離れ、西欧キリスト教圏へ変わった国です。ロシアは、プーチン大統領が支配する国として、変わらぬ強国のようにマスコミが報道していますが、内部の混迷状態が推し測られました。
 
 社会主義陣営の頂点に位置し、絶大な軍事力と権威を誇っていた旧ソ連の共産党が、今はどうなっているのか。別途調べてみました。現在のロシアは、複数政党制を採用しており、日本の衆議院にあたる、国家院(連邦議会下院)に議席を持つのは、以下の4政党です。 (   )内の数字は、平成28年の議員数です。
 
 ・  統一ロシア - 右派     ( 343 人 )
 ・  ロシア連邦共産党 - 極左          ( 42 人 )
 ・  政党エル・デー・ペー・エル - 極右 ( 39 人 )
 ・  公正ロシア - 左派                       ( 23 人 )
 
 プーチン大統領は、最大多数党の「統一ロシア」を率いていますから、かっての共産党は、議員数42人の「ロシア連邦共産党」であろうと思います。宗教は阿片だと排斥した共産党も、昔日の面影がなくなりました。かと言って、かって世界を二分した党が、消滅したとも思えません。
 
 参考のため、令和元年における、日本の主な政党と議員数を、転記いたします。
 
 自民党 (  398 )人  立憲民主党 (  92 )人  国民民主党 (  61 )人
 公明党 (  57 )人      日本維新の会 (  27 )人    共産党 (  25 )人
 
  日本の共産党は、政権を取ったこともなく世界に名前を轟かせてもいませんが、たった25人前後の勢力で、戦後74年間、日本の政界を混乱させ、社会をかき乱しています。それを思えば、ソ連の共産党が今もロシア社会で、隠然たる力を持っているだろうと推測されます。安倍総理は、マスコミから「独裁者」と揶揄されても反論できない偽物の「独裁者」ですが、プーチン氏は本物の独裁政治家です。氏でなければ、現在のロシアの舵取りができないことも分かりました。
 
 独裁者でなければ統治できない国が、国民にとって、良い国であろうはずがありません。習近平氏の中国も、金正恩氏の北朝鮮も、おそらく内部では引き裂かれた国ですから、日本はまだマシです。
 
 少しだけ気を楽にし、明日もまた氏の著書で学びます。
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文明の衝突 - 16 ( オーストラリア労働党への評価 )

2019-10-25 00:05:25 | 徒然の記
  オーストラリアの労働党について、別の情報を読みますと、オーストラリアの政界はイギリスと同様、労働党と保守党の、二大政党制であることが分かりました。
 
 「オーストラリアでは、中道左派の社会民主主義政党 ( 労働党 ) と、右派政党の保守連合の二大政党が対峙している。」
 
 「労働党は明治24年に創立された、最も古い政党である。」「2007 ( 平成19 )年の連邦下院総選挙で、11年ぶりに政権与党となり、党首のケビン・ラッドが首相に就任した。」「2010 ( 平成22 )年、支持率低迷にあえぐラッドに代わり、ジュリア・ギラードが党首に就任。」
 
 「しかし選挙後も、ギラードとラッドは主導権争いを繰り返し、ギラード政権下では、8人の閣僚が辞任した。」「オーストラリア国民は、この内紛と混乱に嫌気が差し、労働党政権の支持率は、低下した。」
 
 「2013 ( 平成25 )年の総選挙では、野党の保守連合が過半数を獲得し、6年ぶりの政権交代が実現した。保守連合の勝因は、労働党への国民の失望とされる。」
 
 政界の動きを細かく紹介したのは、日本が民主党に政権を渡した時のことを思い出すからです。長期政権には内紛がつきものですが、自民党も国民への責務を忘れ、内紛と金権腐敗に堕したため、反日・左翼の民主党に政権を奪われました。
 
 民主党政権は、三年間しか政権の座にありませんでしたが、彼らがやったことは、内紛と金権の自民党を超える、「日本破壊」の政治でした。普天間の基地問題で日米同盟に溝を作り、尖閣の問題では中国と衝突しました。 外交も内政も素人集団だった彼らは、三年間で日本の土台を崩壊させることしかやりませんでした。
 
 民主党の政権と比較することで、オーストラリアのキーティング首相が決定した、政策の大転換の意味を理解しました。
 
 「オーストラリアは、 〈 帝国の出先機関  〉であることをやめ、〈  アジアに組み込まれる  〉 ことを、目的とすべきだ。」
 
 マルクス主義を信ずる労働党は、もともと、国の歴史や伝統に重きを置きません。日本共産党や他の反日野党が、皇室の廃絶を夢想しているように、オーストラリアでも彼らは、エリザベス女王への敬意を捨て、英連邦からの離脱を図っています。
 
 令和元年の現在、退任後のキーティング氏は、中国国家開発銀行の、国際顧問委員会のメンバーだそうですが、ルーピー鳩山氏と似ています。
 
 「中国は偉大な国だ。現在は、世界第2の経済大国であり、すぐに、世界最大の経済大国になるだろう。」「それを考慮に入れていない外交政策を取るなら、われわれは愚か者だ。」
 
 キーティング氏は、今でもこのような意見を述べ、政治をかき回しているそうです。オーストラリアの混迷ぶりを知りますと、反日・左翼政党に翻弄されていても、日本の方がまだマシに思えてきます。英連邦からの離脱を防止したのは、多数の国民の反対であったことを、私たちは知らなければなりません。
 
 国論の分断したオーストラリアの悲劇には、アジア諸国の反応があります。アジア諸国の意見を氏が紹介していますから、そのまま転記します。
 
  1.  インドネシアの政府当局者
  「オーストラリアのアジアへの統合の成否は、一つのことにかかっている。アジア諸国が、どこまでオーストラリアの意向を歓迎するかだ。」
 
  2.  マレーシアのマハティール首相
  「文化的に、オーストラリアは、まだヨーロッパなのだ。我々はそう思っており、オーストラリアは、東アジア経済会議に参加すべきではない。」「我々アジア人は、他国に対して率直に批判したり、評価を下したりすることをあまりしない。」
 
 「オーストラリア人は、文化的にヨーロッパ人なので、何が正しいのか、間違っているのかを、相手に向かって言う権利があると思っている。」「当然ながら、それは東アジア経済会議と、相容れないものだ。皮膚の色の問題でなく、文化の問題なのだ。」
 
  3.  あるタイ人リーダー
   「キーティング氏の意見を、困惑しながら、しかし寛容の気持ちで聞いている。」
 
 アジアのリーダーたちの意見を紹介した後で、氏が結論を述べています。
 
 「オーストラリアは、キーティングが罵倒した、〈 帝国の出先機関 〉 と、リー・クワン・ユーが、軽蔑して呼んだ 〈 アジアの新たな貧乏白人 〉であり続け、永久に引き裂かれた国家になるだろう。」
 
 「オーストラリアの、アジア化という無駄な努力は実現しない。」「オーストラリアが、イギリスの王権から離れて、共和国になりたければ、世界で最初にそれをした国と連合すればいいのだ。」
 
 氏が婉曲に勧めているのは、米国との連携です。異文化のアジアと同化するのでなく、アメリカと連帯すべきと主張しています。いかにも、米国の学者らしい意見です。ついでに付け加えますと、左翼政党はどこにあっても、国をダメにすることしかしないと、これが私の結論です。
 
 次回はロシアです。やっと247ページです。
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文明の衝突 - 15 ( キーティング首相の大胆な決断 )

2019-10-24 20:18:57 | 徒然の記
 本日は228ページ、オーストラリアの話の続きです。
 
 「オーストラリアは、20世紀を通じて、まずイギリスと、続いてアメリカと固く同盟し、冷戦時代は、西欧の一員だっただけでなく、西側の軍事及び諜報の、中心的存在だった。」
 
 「だが1990 ( 平成 2 ) 年代に、オーストラリアの政治指導者が決定したのは、西欧から離脱し、アジア社会の一員として自国を見直し、近隣諸国との、密接な関係を発展させることだった。」
 
 「キーティング首相は、オーストラリアは、〈 帝国の出先機関 〉であることをやめ、 〈 アジアに組み込まれる 〉 ことを目的とすべきだと、明言した。」「彼の説明によれば、オーストラリアは、数えられないほどの長い年月、イギリス崇拝と、麻痺状態を病んでおり、イギリスとの連合を続ければ、国の文化と経済の将来はなくなり、アジアと太平洋における、われわれの運命は衰退するだろう、と言うのである。」
 
 キーティング首相が、こんなことを言っていたとは知りませんでした。背景にあるのは、アジア諸国のダイナミックな経済発展で、根拠となる数字を、ハンチントン氏が上げています。
 
 1994 ( 平成 6 ) 年     輸出 ・・ 東アジアと東南アジア向け 62%   (  EU向け    11.8%    米国向け 10.1% )
 
                                 輸入 ・・ 東アジアと東南アジアより 41%
     
 金の切れ目が縁の切れ目と言いますが、キーティング氏が実行したのは、まさにそれだったようです。氏は中国の巨大市場に目を向け、日本に対してはむしろ、冷淡だった印象がありました。 ハンチントン氏の説明には、キーティング氏に対する、よそよそしさが感じられます。
 
 「こうした経済関係にもかかわらず、オーストラリアとアジアの協力体制と言う構想は、これを成功させるのに必要な条件を、一つも満たさないように、思われる。」「第一に、オーストラリアのエリート層は、この道を選ぶことに強い熱意など、全く示さなかった。」「自由党は、曖昧な態度で、反対し、労働党政権も、様々な知識人やジャーナリストからかなりの批判を受けた。」
 
 英連邦から離脱するとなれば、君主制に賛成していては出来ませんので、何度か世論調査が行われたようです。君主制廃止に同意する国民の声は、21%から46%まで上昇した後、ダウンしました。しかしオーストラリアの国旗から、イギリス国旗を消すことについて世論は曖昧で、明確な合意が形成されませんでした。エリート層もまた、アジアという選択について、合意しませんでした。
 
 「これが最も重要なのだが、アジア諸国のエリートは、オーストラリアの進出を受け入れる意思があまりなく、ヨーロッパのエリートが、トルコの受け入れを拒んでいる状況より、さらに消極的だ。」   
 
 国民の多数の意思が曖昧なのに、こんな大胆な政策変更をする労働党とは、どんな政党なのかと、疑問が生じてきました。ここでまた、氏の著書を離れ、別の情報を探しました。道草ばかりしますが、オーストラリアを理解するには、氏が省略しているこの国の実情を知る必要があります。スペースの都合で、本日はここで一区切りとし、次回は労働党政権について報告します。
 
 オーストラリアのことはもういいと思われる方は、スルーしてください。日本を知るために、必要な知識だと考える方は、明日も「ねこ庭」へ足をお運びください。
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文明の衝突 - 14 ( オーストラリアの内情 )

2019-10-24 00:53:49 | 徒然の記
 今回は、オーストラリアです。国の名前を聞いて、頭に浮かぶのは、カンガルーとコアラと羊です。次いで思い出すのが、白豪主義という言葉です。
 
 南ア連邦と同じく白人優先の国で、有色人種を差別していたと、そんな記憶があります。ところが、ハンチントン氏は、こうした一切を語らず、いきなり次のような説明をします。
 
 3.  オーストラリア
  「ロシアやトルコや、メキシコとは対照的に、」「オーストラリアは、初めから西欧社会の一員である。」
 
 いくら私が無知でも、オーストラリアを語る時こんな説明からは始めません。欧米人たちが来る以前に、アポリジニと呼ばれる先住民がいたことを知っています。メキシコのインディゴのように、文明を持っていたかどうかは知りませんが、オーストラリアには彼らが先に住んでいました。
 
 こう言うところを見ると、氏も有色人種を軽視する白人の一人かと思わされます。別途に調べ、次のような説明を見つけました。
 
    ・1606年、大陸に最初に来た白人は、オランダ人のヴィレム・ヤンツだった。
   赤道付近の北部地域に上陸し、その周辺を探索し、植民地には向かないと判断したため、オランダ人は入植しなかった。
 
  ・1770年、スコットランド人のジェームズ・クックが、シドニーのボタニー湾に上陸した。
  彼は領有を宣言し、入植が始まり、東海岸をニュー・サウス・ウェールズと名付けた。
 
  ・ 1788年から、流罪植民地として、イギリス人の移民が始まった。
  初期移民団1030人のうち、736人が囚人で、その他は、ほとんどが貧困層の人間であった。また、当時は軽犯罪でも当地に流刑されたという。
 
  ・ 1791年の第2回囚人護送は、1017人だった。
  植民地での食糧難が加速したため、政府は自由移民を募り、農地を拡大させた。
 
  ・1828年、全土がイギリスの植民地となり、開拓が進んだ。
         彼らは内陸を探検し、農牧地を開拓した。その段階で、先住民のアボリジニから、土地を取り上げて放逐し、殺害した。
 
  ・1830年までに、タスマニア先住民は、絶滅させられた(ブラック・ウォー)。
 
  ・1850年代に、ゴールドラッシュが発生し、これを機に中国系の金鉱移民への排斥運動が起こり、後の白豪主義につながった。
 
 スペイン人がインディゴを虐殺し、メキシコを植民地にしたように、オーストラリアではイギリス人が、アポリジニを殺し植民地にしています。このような歴史を、どうして氏は省略したのでしょう。スペイン人の所業はく説明しても、同盟国イギリスのことは言わないでおこうと、身びいきをしたのでしょうか。不思議な話です。
 
 不思議といえば、もう一つあります。日弁連は、朝日新聞と吉田清治の捏造であるにもかかわらず、韓国人慰安婦の人権回復のため、国連まで押しかけ、日本を攻撃・非難しています。嘘の話でもここまでやる彼らは、イギリスに殺戮されたアポリジニについて、どうして国連で騒がないのでしょう。こちらは紛れもなく、本当の話ですから、誰も反対できませんのに。
 
 自分の国の悪口だけを、世界で言いふらす日弁連の不思議さを、図らずも氏の著作が教えてくれました。
 
 話が、だいぶ横道にそれましたので、元の場所へ戻ります。国論の引き裂かれた、オーストラリアに関する説明でした。残念ながら、今回は、本題に入る前にスペースがなくなってしまいました。
 
 大事な話なので、きちんと紹介しなくては、先住民であるアポリジニの人々が可哀想です。
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文明の衝突 - 13 ( メキシコの内情と日本の政治家 )

2019-10-23 00:10:05 | 徒然の記
 今回は、メキシコです。トルコより、少し分かりやすい説明になっています。
 
 2.  メキシコ
  「トルコが、引き裂かれた国家になったのは、1920 ( 大正9 ) 年代だが、」「メキシコは、1980 ( 昭和55 ) 年代だ。」「両国の西欧との歴史的な関係は、ある程度まで似ている。」「トルコと同様メキシコも、明らかに非西欧文化の国だった。」「20世紀においてさえ、ノーベル文学賞を受賞した詩人の言葉通り、」「メキシコの核は、インディオである非ヨーロッパ人だった。」
 
 メキシコについて、私が知っていることといえば、アステカ文明をスペインが滅し、以後300年間植民地にした。と、こう言うことくらいです。後は世界地図で、アメリカの下の方にある国だと、そんなことしか知りません。ですから氏の説明は全て新鮮で、新しい知識となります。いつまで覚えておられるかが問題ですが、学徒の向上心が燃えます。
 
 「メキシコはオスマントルコと同様に、19世紀に、」「西欧の手で分割された。」「1920 ( 大正9 ) 年代に、トルコのように革命を起こし、」「一党支配の、新しい政治体制を確立した。」
 
 「メキシコはトルコと違い、ロシア革命に倣い、」「西欧の資本主義と民主主義に反対する、新しいナショナリズムが生まれた。」「メキシコの指導者は、アメリカに挑戦する経済政策や外交政策を展開した。」
 
 メキシコが大きく変わるのは、最初の説明にあるように、1980 ( 昭和55 ) 年代です。ミゲル大統領とその後継者である、サリナス大統領が、経済的自由主義へと政策を変更しました。
 
 「こうした考え方は、政界と経済界のエリートに、広く支持された。」「サリナスは、アメリカ、カナダとともに、北米自由貿易協定に参加した。」「トルコにおけるケマルが、イスラム国家から西欧型の国へと、変えたように、」「サリナスの改革も、メキシコをラテンアメリカの国から、北アメリカの国へと変えることを目指した。」
 
 氏が指摘するメキシコの分裂は、トルコとは違っており、むしろ中国の状況に似ています。経済発展とアメリカとの関係強化は、必然的に、政治的自由を求める勢力との対立を生みます。サリナスは経済の自由化を進めましたが、政治の自由化は認めませんでした。
 
 氏の説明は問題提起だけで終わっていますので、現在のメキシコがどうなっているのか分かりませんが、中国と同じ状況なら、政治的自由を求める勢力を、政府が力で押さえ込んでいることになります。
 
 氏はあまり力点を置いていないようですが、トルコとメキシコについて、共通する問題があります。トルコが西欧諸国から仲間に入れてもらえないのは、移民問題です。
 
 「ヨーロッパのエリートも大衆も、多数のトルコ人が移民として入ってくることを恐れ、」「トルコを仲間として、EUに迎え入れることに抵抗した。」
 
 メキシコについては、次のように述べています。
 
 「NAFTAの批准後に、アメリカでは、それ以上メキシコとの関係を深めることへの反対が起こり、」「移民の制限が求められ、自由や法の支配という、北アメリカの理念に、」「メキシコがついていけるかどうかという疑問が、表明された。」
 
 トルコもメキシコも、欧米の社会からは、大量の移民への危惧を持たれ、仲間として受け入れられなかった、という事実が大事です。両国のエリート層は別として、多数を占める国民の、宗教、言語、生活様式の違いなどが、大きな壁になっています。これもまた、氏の言う「文明の衝突」です。
 
 諸外国は、日本の移民受け入れの少なさに不満を漏らし、排他的民族だと攻撃しますが、彼らは今になって同じことをしています。植民地主義時代には、後進国を攻め滅ぼし、支配し、多くの利益を得て、自分たちの都合で、移民を受け入れていました。
 
 今日になり、大量の移民の恐ろしさや厄介さが分かり、排斥運動が始まっているのですから、彼らが日本を非難するのは見当違いの話です。こうした現状を知らず、「日本は移民を受け入れない、心の狭い国だ」などと主張している日本人が、国内にいることの不思議さです。
 
 安倍政権が移民法を成立させ、大量の外国人労働者を入れようとしているのが、いかに間違った政策であるかが分かります。イスラム法を信じる移民は、おそらく現在いる60万人の在日コリアより、さらに厄介な存在となるはずです。
 
 彼らはイスラム教を中心に団結し、自分たちの生活習慣を守り、妥協しません。今は数が少ないので静かですが、多数になると、日本国内で自分たちの居住域を自治区同様にしてしまい、周辺住民と争い始めます。善悪の問題でなく、彼らの生活方式であり、文化ですから、日本人はなされるままでしょう。繁殖力の強い外来種の魚やカメに、日本の固有種が食い荒らされ、絶滅する様に似ています。
 
 「共存社会」、「多様化社会」、「寛容の社会」などと政治家や学者や文化人が、テレビや新聞で主張していますが、亡国の論でしかないと私たちは気づかなくてなりません。こういうことを野放しにしていたら、皇室の消滅する日が来ると、どうして危機感を抱かないのでしょう。
 
 自民党の政治家諸氏には、是非とも「文明の衝突」を読んで欲しいと思います。
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文明の衝突 - 12 ( トルコの内情について )

2019-10-22 15:00:19 | 徒然の記
 分断された国家について、氏がは国名を挙げ説明していますが、特に詳しく述べているのが、トルコ、メキシコ、オーストラリア、ロシアです。
 
 37ページを費やしていますから、思い切って割愛しなくては紹介しきれません。反日・左翼とに分断される日本と比較しながら読めば、理解が深まります。
 
  1.  トルコ
  「元来、多民族国家であったオスマン帝国では、」「 " オスマン国家 " などの名称が、国名として用いられており、」「自国を、トルコ人の国家と認識することはなかった。」
 
 「19世紀、衰退し始めたオスマン帝国の各地では、」「ナショナリズムが勃興し、諸民族が次々と独立した。」「第一次世界大戦で敗北すると、英、仏、伊、ギリシャなどの占領下におかれ、」「オスマン帝国は、完全に解体された。」
 
 「これに対し、トルコ人は1919年5月、独立を訴え、武装抵抗運動を起こした(トルコ独立戦争)」「1920年、ムスタファ・ケマルの下に結集して戦い、」「1922年9月、現在のトルコ共和国の領土を勝ち取り、」「ローザンヌ条約を締結し、共和制を宣言した。」
 
 「翌1924年に、オスマン王家のカリフをイスタンブールから追放し、」「西洋化による近代化を目指すイスラム世界初の世俗主義国家、トルコ共和国を建国した。」
 
 ここまでが、第一次世界大戦以降のトルコの歴史ですが、ハンチントン氏は、周知の事実として省略しています。突然ムスタファ・ケマルから説明されると、私たち日本人には、話が通じません。ケマルがトルコ共和国を設立するまで、トルコはイスラム圏に属する、多民族国家だったということです。
 
 これ以後は、氏の著書からの引用です。
 
 「ケマルは、多国家からなる帝国という思想を拒否し、」「単一民族からなる、国民、国家を作ろうとして、」「その過程で、アルメニア人と、ギリシァ人を、」「追放したり、殺したりした。」「ケマルは、民族、政治、宗教、文化の面で、」「トルコ国民のアイデンティティーを、定義し直した。」
 
 文章で書くと長いので、箇条書きで紹介します。
 
  ・ 皇帝を退位させ、西欧型共和制とした。
  ・  宗教的権威である、カリフの地位を廃止した。
  ・ 教育、宗教を司る、伝統的大臣職を廃止した。
  ・ 独立した宗教学校と大学を廃止し、非宗教的公共教育制度とした。
  ・ イスラム法を適用する、宗教裁判所を廃止した。
  ・ イスラム教を、国家宗教の地位から外した。
  ・ トルコ語はアラビア文字でなく、ローマ字とした。
 
 トルコ帽とか、トルコ行進曲など、断片的な知識しかなく、私にはほとんど馴染みのない国でしたが、氏の説明を読みますと、驚くことばかりです。第一次世界大戦後のトルコは、日本の明治維新以上の大改革をしていました。軍人と、西欧思想を持つ知識階級が主体となり、理想にもえ国家改造を断行したのです。
 
 国民の識字率が格段に向上し、人智が開け、国民が個人主義に目覚めますが、実はここから、トルコの分裂が始まります。軍人と経済的に恵まれた知識人や、上流階級の間で、西欧思想が広まりましたが、大多数を占める国民は、依然としてイスラム教を信じ、イスラムの生活習慣を捨てなかったのです。
 
 国民と政府の指導層が分断している国家、簡単に言いますと、これが現在のトルコです。他の国から見ますと、トルコはイスラム教国なのか、西欧型の民主主義国なのか、よく分からないということになります。西欧の軍事同盟である、NATOに加盟していますが、何度申請しても、EUに加盟できないという現実はここから来ています。
 
 米国の基地を受け入れたトルコは、地中海や中東方面への、ソ連の拡張を防ぐ防波堤として、西欧諸国から期待されました。しかしトルコはこのため、非西欧の非同盟諸国から非難され、イスラム諸国からはイスラムへの冒涜であると攻撃されました。国内が分裂していると、国際社会でも困難な立場に立つという実例です。湾岸戦争の時、国内の亀裂がさらに大きく露呈しました。
 
 「湾岸戦争時トルコは、反サダム陣営に協力し、」「トルコ領内にある、イラクのパイプラインを封鎖し、」「イラク石油の流通を妨害し、米軍機の基地利用を許可した。」「政府に反対する国民の大規模なデモが起こり、」「外務大臣、国防大臣、参謀総長が、辞任する騒ぎとなった。」
 
 長い叙述が続きますが、トルコに関する基本的な問題点は、把握できたと思います。学者でありませんから、私はこの程度の理解で納得し、次回は、メキシコといたします。
コメント (3)
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