ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

国会中継・参議院

2012-07-27 08:09:07 | 徒然の記

 参議院の国会中継を見た。税と社会保障の一体改革のための、年金法案の説明だ。

 議員が質問し、総理が答えていたが、質問も説明も聞こえないくらいの、ヤジだった。委員長が静かにするよう都度注意をするが、何の効果もない。テレビは野次る議員を映さないが、同じ声なので,同一人が騒いでいると分かる。

 いつものことだが、まるで、学級崩壊の現場を見ているような思いがする。どうしてこんな議員が当選するのか、と不思議でならない。

 学校と国会は違うとはいうものの、審議がこんな有様では、子供の教育にだって有害でないか。貴重な時間を使い、大切な議論をしている時、妨害する無神経さが、いつまで許されるのか。

 ヤジは国会の華というが、それは寸鉄人を刺すような鋭い警句というか、選良にふさわしいひと言を指しているのであり、騒音まがいの罵声しか発せられないのでは、国会野次の失格というべきだ。むしろ、国会議事の妨害行為と言う方が正しい。

 子供のいじめも、今では犯罪と呼ばれようとする時代だ。悪口雑言のヤジは、国会の華でなく、審議妨害の犯罪と呼ぶべきでないのか。

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初孫

2012-07-14 00:42:36 | 徒然の記

 予定日を十日過ぎて、孫が生まれた。

 初めての孫だ。離れた土地で生まれたので、まだ対面していないが、嬉しかった。無事生まれてくれと、それだけを祈った。息子から明け方に電話があった時、不覚にも声が詰まった。

 いよいよ、お爺ちゃんと呼ばれる状況になったが、そんなことはどうでもいい。今夜は安心して眠るとしよう。息子と嫁に、今日の新聞をプレゼントしてやろう。孫が大きくなったとき、こんな時代に生まれていたのかと、そんな感慨に浸れるように・・・・・。

 終わり。

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理解できない出来事/三件

2012-07-11 13:12:48 | 徒然の記

 一番目は、またしてもいじめだ。

 大津市の公立中学校で、二年生の男子が自殺した。一昨年の11月に、桐生の新里東小学校で、女子生徒が自殺した時も書いたが、生徒の親にとって、今回も学校と教師は勿論のこと、警察も頼りにならなかった。

 桐生市の時は学校名を報道したのに、今回はなぜか、校名すら公表しない。新聞やテレビからして、腰の引けた姿勢で対応しているのは、なぜなのだろう。自殺の予行演習といういじめを、クラス担任が笑って見ていていたと言うのだから、死んだ生徒は勿論のこと、親はどんな気持ちだったのかと、たまらない思いがする。

 刑法がどうなっているのか知らないが、いじめは犯罪であると、学校でキチンと教育すべきなのだ。

 見て見ぬ振りをすることも、犯罪に加担していることになると、本気で教育して欲しい。学校だけでなく、家庭でも警察でも、理解を共有し、マスコミは、それこそ社会の公器として、使命感を持ち、子供のためにもっと頑張らなくてならない。子供は国の宝と、口で立派なことを言うわりには、いつまでも大した手を打たない私たち大人を、子供は何と思って見ているのだろう。

 二番目は、原発事故の放射能汚染データを、米国大使館経由で入手しながら、適切な対応を怠り、結局は役に立たなくしてしまった、役人たちの無責任さだ。外務省、経済産業省保安院、文部科学省が関連している。

 連絡したが確認しなかったとか、なぜ放置されたのか原因不明だとか、官僚たちが、悪びれもせず言い訳を述べている。データが活用されていたら、原発被害を少なくし、被災者や死亡者の数だって減らせたと言うのに、どうしてこんな説明が許されるのだろう。

 官僚怠慢は、犯罪として責められるべき行為と、私は思う。普通の犯罪のように個人の特定ができず、責任が分散され、当事者意識が薄れるのだろうが、これは、学校におけるいじめの責任を、うやむやにする状況と酷似している。

 ちゃんとした大人で、しかも国政を遂行する立派な官僚が、立派な手本を見せてくれるのだから、学校で生徒たちに、いじめが犯罪だと教えても空しい気がする。

 最後は、個人のプライバシーなどと意味不明の理由で、原発事故の録画を隠そうとする東電だ。東電がプライバシーを言うのなら、事故で避難所に移動させられ、プライバシーはおろか、命まで失った住民たちはどうなるのかと問いたい。

 しかし私の怒りは、東電以上にマスコミへ向けたい。こんなくだらない東電の理屈を、不思議な顔もせず報道する神経の方を疑いたい。

 自社の意見を述べるのが難しいと言うのなら、いつものように、東電を批判する識者の意見を、大きく報道すれば良いだけの話だ。学校でのいじめも、役人の怠慢も、東電の身勝手な言い訳も、すべて、マスコミが黙認していると言うことになる。

 三件ともに理解できない出来事として、マスコミにもの申したい。こうして、今日と言う日が暮れようとする。本日は好天だったが、明日から梅雨に戻り、うっとうしい日が来るらしい。

 しかし私は、既に鬱陶しい。

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訂正3件

2012-07-06 23:21:28 | 徒然の記

 たとえ「みみずの戯言」でも、間違いは訂正しなければならない。

 第一番目は、瓦礫処理に関する千葉県知事への批判だ。二番目は、国会の事故調査委員会への批判。最後に原子力基本法の改正に関する、マスコミ批判である。

 費用の3億5千万円は、全額国の負担ということだが、森田健作氏が汚染灰保管施設の建設を決めた。永久保管場所になるのでないかと、地元が不安視し、議会も反対している中での決断だ。

 かってこのブログで、何もしない千葉県知事と、批判したことを反省し、逆に、心から敬意を表する。手のひらを返すような態度とは、こんなことを言うのだろうが、森田知事への印象を訂正したい。

 事故調査委員会の最終報告は、官邸の初動対応を批判する一方で、東電、経済産業省、原子力安全・保安院等の、規制官庁の対策先送りがもたらした人災、と断定したというもので、私がブログで述べたように、菅総理だけを攻撃した、低次元のものでなかったと言うことだ。


 最後に、原子力基本法の改正については、朝日新聞が、核開発への拡大解釈の可能性を報道していたということ。小さな記事で、意を尽くした報道とは言えないが、事実を伝える試みはしていたということだった。

 途中経過の報道や記事を見て、私は都度意見を述べるのだから、後から詳しい報道があれば、考えが変わるのも仕方が無い。・・と、こじつけの弁明もできるが、身勝手な自己弁護は、政治屋とか東電とかがするものだし、それは何ともみっともない。

 だから本日は素直に、千葉県知事、国会の事故調査委員会、マスコミという順序でお詫びをしたい。訪ねて行っても、会ってくれないはずだから、ブログに書いて、自己満足ということにしておこう。

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禁煙

2012-07-02 09:35:39 | 徒然の記

 タバコを止めて、十数年になる。

 最近はなくなったが、旨い喫煙の夢を見て心を踊らせたり、覚めて落胆したり、ややこしい日々もあった。二十歳から五十過ぎまで、三十数年吸って来たのだから、無理もない話だ。

 吸い始めの二十代では、たとえ肺がんになっても止めないと、強い意気込みを周囲に語った、愚かしい記憶がある。この間、禁煙に挑戦すること20回以上。ことごとく失敗し、最後の頃になると、己の意思の弱さに、ほとほと愛想が尽きていた。

 今から、禁煙に成功した経緯を述べるのだが、人には参考にならないと断言できる。で、なんのためわざわざ書くかと言えば、自分の思い出を記録すると言う、物好きな理由からだ。

 派遣のおじさんとなった現在は、健康診断は自己責任だが、ちゃんとした正社員だった頃は、会社が、至れり尽くせり世話をやいてくれた。そんなある日、産業医に呼び出され診察室に行くと、信じられない話をされた。

 「この間のレントゲンの結果ですが、貴方は肺がんです。」

 癌の宣告は、本人の気持ちを勘案し、遠慮がちに、遠回しにされるものとばかり思っていたので、唖然とした。

 テレビのドラマでは、「奥さんと二人で明日にでも来てください」などと言い、気遣いを見せたりするのに、産業医はどこまでも事務的だった。

「でも、写真が小さいので、どこか大きな病院で大きな写真を撮って、それを持ってもう一度来て下さい。」

 私に何も言わせず、自分の言いたいことだけ喋り、彼は診察室を出て行った。会社の近くの大きな病院で、レントゲン撮影をしてもらうと、結果が出るまで一週間と言われた。

 「お父さん、どうかしたの。なにかこの頃元気がないね。」

 家内に言われても笑ってごまかすしかなく、子供たちがいるので、話す気になれなかった。なんでも正直に言う。家族に隠し事はしないと、公明正大に生きて来た自分にとって、思い出しても長い一週間だった。

 「やっぱり、大きな写真にして良かった。これは、肺炎が治った後の影ですね。」

「いつ肺炎になったのか、自覚症状は無かったんですか。」

 軽率な癌の宣告を詫びるでなく、誤診の弁明をするでも無く、私に責任があるかのような口吻の産業医は、前回同様、自分の思いだけを述べると椅子を離れた。


 この時の私は、医者のあしらいより、もっと大きな発見にびっくりした。

なんと一週間、私はタバコを吸うのを忘れていた。というより、タバコを手にする気をなくし、自販機に行くのさえ忘れていたのだ。たとえ癌になっても止めないと公言した、あの元気が、こんなに呆気なく消えるなど、予想もしないことだった。

 ということで、そのまま禁煙が現在に至っている。

 こんなにもぶしつけで、無神経な医者に、誰もが会えるはずがないのだから、私の経験は参考にならないと、何度でも自信を持って断言できる。
今もって断言できないことがあるとすれば、自分は果たして、この産業医に感謝すべきか、憤慨すべきなのか・・、そのことである。

コメント (4)
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