ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

それでもチェコは戦う - 6

2019-06-15 14:52:13 | 徒然の記
 ソ連に裏切られた氏が、どのような意見を述べているのか。興味深く読みました。「ソ連」を「中国」と読み替えてみますと、51年前の本なのに、現在でも通用します。

 「共産圏チェコスロバキアで、言論の自由が復活されることを恐れて、」「ソ連共産党は、軍事介入を決意したと、」「私は解釈している。」「その後ソ連は、過去12年間、非スターリン化を進め、」「かなりの程度まで、自由化を推し進めた。」「そのため中国共産党からは、修正主義という汚名を着せられている。」

 「しかし見逃してならない点は、それにもかかわらず、」「ソ連には、言論の自由が存在しないという、」「厳然たる事実である。」「パステルナーク、シニャフスキー、ダニエル、」「ソルジェニーツィン等々の作家たちが、表現の自由を求めて、」「どれほど苦悩し、どれほどひどい目にあったかを、」「私たちは、想起しなければならない。」

 これから先が、一番肝心な部分だと、私は思います。息子たちには、もちろんのこと、お花畑の反日・左翼の人々にも、読んで欲しいものです。

 「共産党だけが、歴史の法則、あるいは、社会の運動法則を、」「知っているという、マルクス・レーニン主義者の、」「途方も無い自負心は、彼らが、マルクス・レーニン主義者である限り、」「厳として、存在する。」「マルクス・レーニン主義と、人間の自由、あるいは、国家の主権は、」「根本的に相容れない。」「この主義を捨てない限り、自由も、主権も、」「手に入れることは難しい。」

 そう言って氏は、ソ連の武力介入後、モスクワで行われた会談について、紹介します。ブレジネフ書記長と、チェコスロバキアのスボボダ大統領との会見時に、ブレジネフが語った言葉です。

 「かってソ同盟では、たくさんの民族が、」「跡形もなく、消えていった。」「もしわれわれが、過去のそれと同じことを、」「貴国にもしなければならない場合に、」「われわれが、ほんのちょっとでも、逡巡するだろうなどと、」「甘いことを考えない方が良かろう。」「チェコスロバキアは、ソ連にとっても、」「戦術的に貴重で、かけがえのない国だ・・。」

 先日のブログで、「韓国保護条約」の締結に際し、韓国皇帝に語った伊藤博文公の言葉に、私は驚きましたが、ブレジネフ書記長の脅し文句は、その比ではありません。武力を持つ大国の前で、小国とは、こんな惨めな立場に置かれます。

 「なるほど今日のソ連では、ジャズやゴーゴーなど、」「風俗の面で、ある種の自由化が行われ、」「経済改革も、市場経済の原理を、」「部分的に借用するという形で、進められている。」「しかし、共産党がマスメディアを独占し、」「言論、集会、および結社の自由を許さないという点に関する限り、」「スターリン主義は、100パーセント健在である。」

 このあたりになりますと、現在の中国のことかと、思いたくなります。51年前のソ連を、現在の中国が追いかけている、という話になるのでしょうか。

 「従って、衛星国の共産党が、言論の自由を認めるような兆候を示した場合には、」「あらゆる犠牲を払ってでも、軍事力によって、」「共産党の一党独裁を、復活しようとするのだ。」「チェコスロバキアへの武力侵入は、ソ連が、」「一貫して、スターリン主義に忠実だったという事実を、」「露呈したに過ぎない。」「ソ連の非スターリン化とは、スターリンへの個人崇拝を、」「止めることを意味するだけであって、」「共産党の独裁体制には、指一本触れていない。」

 これは氏の著書の、最後の部分の叙述です。途中には、チェコスロバキア国民と、ソ連とのせめぎ合いが語られています。しかしそれを割愛しても、私は多くのことを教えられました。もう少しスペースがありますから、息子たちのため、自分なりに得た教訓を、列挙したいと思います。

 1.   ご先祖たちは、常に世界情勢を見ながら、日本のあるべき姿を考えていた。
 2.  ご先祖たちは、共産主義思想が、日本の歴史や成り立ちに合わないことを、理解していた。
 3.  マスコミの力に関し、国民は無関心でありすぎる。
 4.  選挙の一票に関し、国民は無関心でありすぎる。
 5.  庶民の武器が、ネットの情報であることを、自覚する必要がある。

 聖徳太子の時の遣隋使から始まり、いつの時代でも国の指導者たちは、外国の動きを考えて政治をしていました。鎖国をした徳川時代であっても、長崎の出島で、外国の情報を入手し、対応していました。日本が小国であるという認識を持ち、強国への備へを忘れませんでした。しかし現在の国会で、繰り広げられる醜い政争のどこに、世界情勢や危機感が見えるのでしょう。その国の、国民のレベルに相応しい政治が行われるのだとすれば、私たち国民のレベルも、戦後は低下する一方です。政治家がどんな卑しい行動をしても、落選しないというのですから、これは国民の責任です。

 私たちは、もうそろそろ、マスコミの恐ろしい力と、素晴らしい力を、正しく理解しなくてなりません。彼らの流す情報を鵜呑みにしていたら、知らぬ間に、国民が洗脳されていくということ。一方では、外国に武力で侵略されても、マスコミがしっかりしていれば、国民が一つになり、命がけの抵抗をします。だからこそ、マスコミをいかに支配するかが、大きな課題となります。中国や北朝鮮のような独裁国家ではもちろんのこと、欧米諸国でも、政治家たちが知恵を凝らしています。しかるに、日本では、特に自民党の議員たちは、無方針のままで野放しです。反日マスコミの、捏造報道を黙認し、国民が洗脳されるに任せています。

 あれもこれも、国民であり、選挙民でもある私たちが、選挙の一票を、正しく行使しないところから始まっています。私たちが本気にさえなれば、自民党の中の「獅子身中の虫」や「駆除すべき害虫」は、即座に落選させられます。あるいは、私たちが買わなければ、反日の朝日新聞は、倒産させられます。大切な天皇制を、崩壊させようとしている共産党や、反日の野党の恐ろしさに、どうして気づかない人々がいるのでしょう。汚れた思想に一度染まると、簡単に目が覚めないのだとすれば、明日を担う、若い人々に免疫をつけねばなりません。その強力な武器が、ネットの情報です。

 前記の5項目について、一つ一つ説明する余裕はありませんが、どれも全て、一つの思考につながっています。

 「自分の国を、大切にすること、愛すること。」
 「日本を守ってくれたご先祖様を、大切にすること、尊敬すること。」 ・・・・ これができない政治家は、野党は言うに及ばず、たとえ自民党であっても、落選させなくてなりません。

 (息子たちよ、父の言葉を、たまには本気で聞きなさい。)
コメント

それでもチェコは戦う - 5

2019-06-14 12:53:22 | 徒然の記
 ヤルタ会談について、バールタ氏は、次のように述べています。
 「ヤルタでは、西欧諸国同盟とソ同盟が、」「全世界の幸福のため、相互協力を平和裡に進めようと、」「話し合った。」「そこでは、戦後のヨーロッパの秩序に関する、諸原則が検討された。」「この協力関係は、文明最大の敵である、」「ファッシズムとの戦いの中で、始まった。」

 間も無く、ヤルタでの会談は、戦勝大国が、互いの戦利品の分捕りを決めだけだと、そんな話が人々の口にのぼり始めました。しかし当時の氏は、ソ連への感謝の念が強く、噂を信じませんでした。

 「今となってみれば、その想像は不可能でないと思うが、」「その当時、そしてそれに続く何年もの間、」「私はそう考えることを、断固として拒絶していたのだ。」「私の根本的な誤りは、あまりにもちゃんと、」「マルクスを読んだことである。」「ソ連が自分の国について、」「すべての行動が、マルクス主義に基づいていると、言ったことを、」「深く考えず、そのまま信じたことである。」「もう少し注意深ければ、」「ソ連の外交や国内政策は、カール・マルクスより、」「ツアーのニコライ帝に近いことを、確認したはずだった。」

 こうして氏が、ソ連の実態を知り、目覚めるまで、なんと23年間かかっています。1945年にソ連がドイツを破った時から、今回(1968年)チェコに軍事介入するまでの間は、頑ななまでのソ連信奉者でした。

 「ソ連は、社会主義の理想に基づいて行動し、私欲がない。」「ソ同盟は、全世界の働く人々の兄弟愛と、同志愛を旗印にしている。」

 そう信じて、疑わなかったのです。だから私は、わが国にいる、反日・左翼の人間たちも、似たような姿だと思いました。一つの理念に取り憑かれると、よほどのことがない限り、覚醒することはできません。中国か、アメリカか、いずれかの国が日本を侵略し、国土と国民を蹂躙するまで、現実が見えないのです。「平和憲法を守れ。」「日本を、戦争のできる国にするな。」と、その時まで、彼らは叫び続けるはずです。

 日本にいる愚かな人間のことは、しばらく脇へ置き、氏の著書へ戻ります。確かにヤルタ会談では、世界の大国だった米英とソ連が、ドイツ敗戦後の世界の線引きをしたのです。ネットで調べますと、次のように書かれていました。

 「1945(昭和20)年1月に、連合国の主要3カ国米英ソの、」「首脳会談が行われた。」「会談の結果、第二次世界大戦後の処理について、」「ヤルタ協定を結び、イギリス・アメリカ・フランス・ソ連の4カ国による、ドイツの分割統治、」「ポーランド人民共和国の国境策定、エストニア・ラトビア・リトアニアのバルト三国の処遇などの、」「東欧諸国の戦後処理が取り決められた。」

 つまりここで、参加国の首脳は、スターリンと密約し、西側陣営に位置していたチェコスロバキアを、ソ連の支配圏とすることを黙認しました。ナチスドイツの撃滅が最優先でしたから、彼らは手を結びました。

 「ソビエトの戦車が、プラハを守るため、」「300キロもの戦線を走り、ベルリンからやって来た事実。」「それに反して、道は自由に通れたのに、何もせず、」「プラハから100キロの地点から、動こうとしなかったアメリカの戦車。」「この二つの事実は、私たちに、」「西側は信ずるに足りないと、」「確認させるに十分だった。」

 前回のブログで、氏が述べていた事実と、ここで話が重なります。ソ連にドイツを任せれば、自然とチェコスロバキアは、社会主義圏内に組み込まれます。アメリカは戦力を維持したまま、じっとしていれば良かったのです。ヤルタ会談につき、ネットでは、さらに説明が続きます。

 「併せて、アメリカとソ連の間で、ヤルタ秘密協定を締結し、」「ドイツ敗戦後、90日後のソ連対日参戦、」「および、千島列島・樺太・朝鮮半島・台湾などの、」「大日本帝国領土の処遇も決定し、2018年現在も続く北方領土問題の端緒となった。」

 チェコスロバキアのことだけでなく、日本についても、彼らは取引をしていました。安倍総理は、ロシアのプーチン大統領と、領土交渉をしていますが、米英との密約が有効だとすれば、解決の入り口にも達していないのでないかと、そう思えてなりません。「戦争しなくて、取り返せますか。」と、丸山議員が言いましたが、その通りだと私は思います。しかし正論というものは、場所柄もわきまえず、酔った上で口にしてはなりません。常識を欠いた丸山氏は、政治家としても失格でしょう。
 
 この際息子たちに、もっとヤルタ会談について、知ってもらいたくなりました。大国のエゴが、小国の意向を無視して推し進められ、国際社会は力のバランスでしか動かないという、現実の非情さを、知って欲しいと思います。ネットの情報の続きが、それです。

 「また、戦後の発足が議論されていた、国際連合の投票方式について、」「イギリス・アメリカ・フランス・中華民国・ソ連の5カ国、」「後の国際連合常任理事国メンバーの拒否権を、決めたのもこの会談であった。」

 常任理事国の全会一致でなければ、国際問題は解決しません。チベット問題であれ、天安門事件であれ、国連で取り上げられない原因が、ここにあります。中国が反対すれば、議題にもならないのです。このようにいびつな国連を、あたかも、中立的平和組織と誤解し、国連平和維持軍が世界の平和を守るなどと、バカなことを言う政治家がいます。その一人が小沢一郎氏で、自衛隊を全部国連に預ければ、憲法改正の必要がないと、訳のわからない主張をしています。

 こんな人物が、かって自民党の幹事長として活躍していたのですから、情けない限りです。彼はヤルタ会談のことはおろか、国連憲章についても知らない、無知な政治家なのに、いまだに政界で生き延びています。細君にも見放されたと言うのに、彼を支持する国民は、それに輪をかけた愚か者と、断定できます。自分を含め、無知な日本国民のため、参考までに、国連憲章の中にある「敵国条項」について、ネットの情報を転記いたします。

 国連憲章【敵国条項】 国連憲章第53条、77条及び107条の通称。
「国際連合の母体である連合国に、敵対していた枢軸国が、」「将来、再度侵略行為を行うか、またはその兆しを見せた場合、」「国際連合安全保障理事会を通さず、軍事的制裁を行う事が出来ると定められた条項。」

 「どの国がこれに該当するかという、明確な規定はないが、」「日本政府の見解では、第二次世界大戦にて、」「国連発足時の、原署名国である51ヶ国と、」「交戦状態にあった、以下の国々を指す、としている。」
  • 日本国
  • ドイツ国(現在のドイツ連邦共和国)
  • イタリア王国(現在のイタリア共和国)
  • ブルガリア王国(現在のブルガリア共和国)
  • ハンガリー王国(現在のハンガリー共和国)
  • ルーマニア王国(現在のルーマニア共和国)
  • フィンランド共和国
 この敵国条項は、日本等の強い働きかけがあるにも関わらず、現在も削除されないままとなっています。世界第二の経済大国などとおだてられ、日本はアメリカに次ぐ出資金の負担を、つい先日までしていました。小沢一郎氏のような政治家が、政界の指導者だったのですから、日本は沢山バカなことをしてきました。政治家に期待できないとすれば、せめて国民が、バールタ氏のように、目覚めなくてなりません。

 書評は、ただいま128ベージです。この調子でいきますと、終わりが見えませんので、なんとか次回で、まとめをしたいと思います。もし今回のブログを、最後まで読まれた方がおられましたら、心から、その忍耐力に敬意と感謝の気持ちを捧げます。
コメント

それでもチェコは戦う - 4

2019-06-13 15:50:37 | 徒然の記
 図書館の廃棄本を貰い、偶然チェコスロバキアについて知った訳ですから、息子たちに大きなことは言えません。それでもバールタ氏のおかげで、大切な事実を教えられた以上、黙っておれなくなくなりました。

 確かにチェコスロバキアは、日本から遠い国で、地図で示せと言われてもできませんし、周辺国の名前も上げられません。しかしこの国の歴史を知れば、大東亜戦争以後、現在の日本の置かれている国際状況が、分かります。遠い国だからといって、日本に無縁な話でなく、むしろ大国がせめぎ合う世界で、歴史がどのように動いていくのか。大国がどれほど自国優先で、我欲を通すのかが、見えて来ます。

 私は氏の本を読み、日頃の考えが、間違っていなかったことを、再確認いたしました。「日本だけが、間違った戦争をした。」「日本だけが、他国を侵略し、悪辣な軍国主義国だった。」・・・・戦後の日本を支配している、この考えが、どれほど偏向した、悪意の宣伝だったかを、知らされます。私は父として、せめて自分の息子たちだけには、国際社会の不条理を知ってもらいたいと思います。それを伝えるのが、父親の役目でないかと、確信もいたしました。

 少し話が飛びますが、2回目のブログで抜き書きした、中国の侵略をもう一度見てください。ハンガリーとチェコへのソ連の武力介入より以前に、中国はチベットとモンゴルを侵略しています。

 1.    第一次チベット侵略 昭和23年(1948)    東部・東北部侵略
 2.   第二次チベット侵略 昭和25年(1950)    中央部侵略 中国編入
 3.   第一次モンゴル侵略 昭和25年(1950)   中国人を人口の40%になるまで移民
 4.   第二次モンゴル侵略 昭和30年(1955)   新疆ウイグル自治区として、中国領編入
 5.   ハンガリー動乱   昭和31年(1956)
 7.   チェコ動乱     昭和43年(1968)の出来事です。

 ソ連がやったのは、あくまで武力介入ですが、中国は侵略しただけでなく、領土を奪っています。それこそ大戦後のどさくさに紛れ、他国の目をごまかし、無力なチベットとモンゴルの民を、武力で弾圧し、殺戮したのです。その中国が、日本に向かって、「軍国主義者」とか「侵略者」などと言い、今も攻撃しています。「正しい歴史認識を持て」だの、「反省しろ」だの、説教じみた悪罵を、浴びせています。

 ならば昭和23年から、30年にかけて、中国がやったチベット・モンゴルへの侵略と、虐殺は一体なんだというのか。氏の著書を手にし、この事実を知った時、私は国際社会の欺瞞と、不条理への怒りがこみ上げて来ました。「東京裁判史観」を信じている、自民党の政治家、学者、法律家、マスコミ、反日野党の議員たちへ、新たな怒りを覚えました。ここでもう一度、息子たちに言います。

 「父は、戦前の日本を肯定し、賛美しているのではありません。」「日本が正しかったと、主張しているのでもありません。」「私が反対しているのは、日本だけが間違っていたという、バカな意見です。」「日本だけが、非道な戦争をし、他国を侵略したという、偏った宣伝なのです。」「お前たちには、汚れた手をした中国が、果たして日本を責める資格があるのかと、」「疑問を持って欲しいと思います。」「日本の中で、日本だけを責める馬鹿者や、」「国を守って来たご先祖を、」「犯罪者として語る人間たちを、許してはなりません。」

 飼いならされたオームのように、あるいは壊れたラジカセのように、いつも同じ言葉を、繰り返します。たとえ息子たちから、何度も聞きたくないと言われても、止めません。なぜといって、これこそが、私のブログを一貫するテーマですから・・。

 再び氏の著書へ戻り、ドイツの占領から第二次大戦後の、ソ連軍による解放までの間、チェコスロバキアの国民が、考えていた三つの思想を、転記いたします。

 1.  ナチスドイツの占領は、中世的な野蛮行為であり、全く受け入れ難いものである。
 2.  西欧列強、特にフランスは、ミュンヘン条約でわれわれを裏切り、ドイツへ売った。
 3. ソ連は、自国の一番困難な時期に、わが国への支援を申し出、戦争でも、最大の重荷を背負った。ソ連は、社会主義の理想に基づいて行動し、私欲がない。ソ同盟は、全世界の働く人々の兄弟愛と、同志愛を旗印にしている。

 ドイツ占領下のチェコスロバキアで、この三つの思想が国民の間に浸透し、心の財産になっていたと、言います。西欧諸国に捨てられた怒りと、失望の大きさを思えば、解放してくれたソ連への敬意と憧憬が、大きくなるのも無理はありません。

 「ソビエトの戦車が、プラハを守るため、」「300キロもの戦線を走り、ベルリンからやって来た事実。」「それに反して、道は自由に通れたのに、何もせず、」「プラハから100キロの地点から、動こうとしなかったアメリカの戦車。」「この二つの事実は、私たちに、」「西側は信ずるに足りないと、」「確認させるに十分だった。」

 このすぐ後で、氏は意外な言葉を文章にします。

 「しかしこの三番目の思想が、ただ見せ掛けだけの行動に、」「チェコスロバキアの国民が、幻惑されただけのこと、」「占領下での切実な思いから生じた、願望に過ぎなかったと、」「ずっと後になり判明したことは、」「悲劇的というほかない。」
  
 いよいよ「ヤルタ会談」の内情が、語られ始めます。しかしこのまま続けますと、ブログのスペースがオーバーいたします。長すぎるブログは、息子たちに敬遠されそうですから、親バカの私は、いつものように、ここで一区切りといたします。

コメント

それでもチェコは戦う - 3

2019-06-12 21:19:25 | 徒然の記
 書評に入る前に、チェコスロバキアとはどういう国なのか、概略だけでも知りたくなりました。かってテレビの報道で、欧米諸国の人々が、日本のことを全く知らず、中国や朝鮮との区別もできないと知り、嘆いたことがあったからです。

 バールタ氏が、熱い思いで語る祖国について、何も知らぬまま書評するのが、申し訳なくなりました。しかし、ほんのちょっと、ネットを検索するだけで、同国について、そっくり同じ無知を晒している自分を、知りました。この国が現在、チェコとスロバキアという、二つの国に分離していることさえ、知らなかったのです。( 平成5年  チェコ共和国とスロバキア共和国に分離・ビロード離婚 )

 3年前、ひょんなことから、ノルウェーへ行きました。三週間ばかりの滞在でしたが、北欧について、いかに自分が無知であるかを知ると共に、感動もいたしました。ノルウェーは、第二次世界大戦後に独立国となりましたが、それまでの515年間は、他国に支配されていました。

 デンマークに130年間、スェーデンに380年間、ドイツに5年間抑えつけられていました。この間ノルウェーの人々は、国王を中心に耐え続け、やっと念願の独立を手にしました。日本に帰ってきて、私はブログに次のように書きました。

 「国際政治の場で、小国が、いかに大国に翻弄されるのかという実例だった。」「敗戦後に、紛れもなく小国と成り果てた日本が、」「米国、ロシア、中国などに、好き放題に弄ばれているけれど、お手本とすべきノルウエーがあったという発見をした。」

 国を守る軍さえ持てなくした憲法を持ち、戦後74年が経過しても、米軍が日本の各地に駐留し、制空権を握っています。対米従属状態から抜け出せないのは、アメリカのせいだけでなく、中国や朝鮮、あるいはロシアの思惑もあります。国内には、外国勢力と協力し、日本の独立を阻もうとする日本人さえいます。

 憲法を改正し、自国防衛のできる軍を持つこと。 ・・・ ここから日本の独立が始まるというのは、私ばかりでなく、国を愛する多くの国民の願いですが、中々ことが進みません。それだけに、失った独立を取り戻すまで、515年間も頑張ったノルウェーを知ると、励まされました。

 バールタ氏の著書で、新たにチェコスロバキアを知り、同じような感慨を得ています。スエーデンと違い、チェコスロバキアは、もっと複雑な歴史を持ち、もともとは、チェコとスロバキアという二つの国が、一つに合体した国家だったのです。同国の西半分は、かってボヘミア・モラビアと呼ばれ、これがチェコで、オーストリア・ハンガリー帝国に属していました。東半分を占めるスロバキアは、ほとんど千年の間、ハンガリーの一部となっていました。

 この間の事情つき、氏の説明を読みますと、両者の関係がよく分かります。

 「1918(大正7)年、第一次世界大戦後に独立国となった時、」「国土の西半分のチェコは、すでに高度に産業の発達した地域だった。」「文化的水準も、生活水準も、比較的高かった。」「しかし、東半分を占めるスロバキアでは、」「事情が違っていた。」「千年間ハンガリーの一部だったスロバキアは、文化的にも、政治的にも、」「とりわけ経済的には、著しく異なった発達を遂げた。」

 「ほとんど工業が無く、完全に農業地帯で、貧しかったスロバキアは、」「工業地帯として豊かな、チェコのための、」「安い労働力の供給源に、なったのである。」「両国を結ぶ絆となったのは、共通の民族の起源、」「すなわちスラブ族であることと、非常によく似た言語である。」「一つの国になったとはいえ、経済的に低い地位にあるスロバキアは、」「政治的にも低い地位となり、内部対立の要因を抱えていた。」

 これから先は、私の知らないことばかりで、小国の悲哀を知らされます。このままもう少し、氏の叙述を転記いたします。

 「1918年の独立時から、チェコスロバキアは海外政策の基礎を、」「西欧に置き、特にフランスを中心としていた。」「最初の憲法は、かなりの程度まで、フランス憲法の模倣であり、」「国家形態は、フランス、アメリカ、英国の、」「中間的なものであった。」「国家権力が、やがてファッショ化した、」「ポーランドやハンガリーやルーマニアと違って、」「チェコスロバキアは、1939(昭和14)年に消滅するまで、」「ブルジョアデモクラシーを採用し、中部ヨーロッパで、」「西欧民主主義の、いわばショーウインドーとなっていたのである。」「チェコスロパキアの主権と安全は、主として、」「フランスとの同盟条約によって、保証されていた。」

 ここから先の説明を読みながら、私は心の中で、日本の現在を思い、フランスをアメリカと読み替えながら、文字を追いました。大国は、自国の利益のためなら、小国との同盟を平気で破る・・という、歴史の教訓を見たからです。

 複雑な流れなので、どこまで息子たちに説明できるのか、自信がありません。詳しい氏の説明を引用する前に、ざっとだけ、推移を述べます。

 1.  フランスが、ドイツのチェコスロバキア侵略を黙認した。(フランスへの失望と怒り)
 2.  ドイツに侵略され、支配された。
 3.  社会主義国ソ連が、ドイツと戦い、救ってくれた。( ソ連への感謝と崇拝 )
 4. 今回ソ連が、武力介入して来た。(ソ連への失望と怒り)

 大雑把に言いますと、この流れです。チェコスロバキアの国民は、感謝し尊敬していた国から、二度煮え湯を飲まされたことになります。フランスとソ連です。どんなに悔しかっただろうと、彼らの痛みが伝わって来ます。しかし、それだけではなかったのです。3番目の話には、裏がありました。

 ドイツと戦っていたのは、米英仏とソ連でした。敵対する資本主義国と、社会主義のソ連が手を結んだのは、ナチスドイツ打倒のためでした。西欧陣営にいたチェコスロバキアを、ドイツから救うべきは、欧米諸国のはずなのに、なぜ彼らはそうしなかったのか。氏の言葉で言いますと、「ヤルタの密談」で、欧米の大国とソ連が、取引をしていたからです。

 ヤルタ会談での密約といえば、日本も無関係ではありません。ソ連の参戦を促し、北方領土を奪わせたのは、その同じヤルタ会談でした。チェコスロバキアもそうだったのかと、知りますと、他人事ではなくなります。話があちこちしますが、次回は、この憎むべき大国のエゴと、大国の横暴を取り上げます。息子たちに言います。日本には、たくさんの平和主義者と人道主義者がいて、今もなお、日本の戦争責任を叫び、憲法改正に反対していますが、どうか、このような愚かしい善人たちの、真似だけはしないで欲しい。

 本日はスペースがなくなったので、続きを次回としますが、次回で「ヤルタ会談」のことを知ったら、もう少し、大人の日本人になってもらいたいと思います。
コメント

それでもチェコは戦う - 2

2019-06-11 19:41:34 | 徒然の記
 カレル・バールタ氏著「それでもチェコは戦う」の書評の、2回目です。
ソ連と同様、二回も他国を侵略しているのに、なぜ中国は、国際社会から非難されないのか。もしかすると、白人社会が注目するものだけが、ニュースになり、欧米諸国の関心を引かない事件は、無視されるのではないか。

 それが前回の、私の仮説でした。読む人によっては、仮説でなく偏見だと、そう受け止められるような気もいたします。息子たちに言います。父は、読む人がどのように受け止めても、構いません。これから述べる事実を読み、お前たちがどのように判断するか・・・、そちらの方が重要なのです。書評を外れると思うかもしれませんが、バールタ氏が懸命に訴えているソ連の横暴さと、現在の中国がやっていることに、共通の要素があるからです。それなのに、なぜ世界のメディアは、中国についてこれまで報道しなかったのか。

 ここを考慮せず、書評を続けることは、返って、著者の訴えを軽視することにつながるのでないかと、そんな風に思えてきました。教条的マルキストのやることは、ソ連だけでなく、中国も同じです。共産党政府がある限り、国民は自由を奪われるのですと、私はそう言いたいのです。ソ連は崩壊しましたが、中国共産党は現在も存在し、国民を弾圧するだけでなく、周辺国も脅し続けていると、息子たちに伝えたくなりました。ソ連と中国が行なった、他国侵略の年次を、古い順に並べてみましょう。

 1.    第一次チベット侵略 昭和23年(1948)    東部・東北部侵略
 2.   第二次チベット侵略 昭和25年(1950)    中央部侵略 中国編入
 3.   第一次モンゴル侵略 昭和25年(1950)   中国人を人口の40%になるまで移民
 4.   第二次モンゴル侵略 昭和30年(1955)   新疆ウイグル自治区として、中国領編入
 5.   ハンガリー動乱   昭和31年(1956)
 7.   チェコ動乱     昭和43年(1968)の出来事です。

 前回のブログで述べましたが、ハンガリー動乱の時、私は高校一年生で、チェコ動乱の時は、大学を卒業した年でした。計算が苦手なのですが、第二次モンゴル侵略の時、私は中学三年生です。中学時代の私は新聞部にいましたので、当時から新聞を切り抜き、スクラップ帳に貼るのを趣味にしていました。新聞のトップ記事は、訳がわからなくとも、重大ニュースだと切り抜きました。ハンガリー動乱や、チェコ動乱を記憶しているのは、そうした事情もあります。しかし私は、中国の第二次モンゴル侵略については、何の記憶もありません。それ以前のチベット侵略や第一回モンゴル侵略時は、小学生でしたから、それほど新聞に興味がなかったのかもしれません。

 だが新聞がトップ記事で扱っていれば、昭和30年の第二次モンゴル侵略について、記憶のないはずがありません。だから私は、この事件について、新聞が大きく報道しなかったのでないかと、推察致します。当時私の家が定期購読していたのは、朝日新聞でした。戦後の朝日新聞は、戦争を賛美した過去を反省し、心を入れ替え、中国賛美に変身していますから、あり得ない話ではありません。息子たちに言います。ここは大変大事なところです。朝日新聞は、「日本だけが間違った戦争をした。」「日本だけが、悪い戦争をし、アジア諸国を侵略した。」と、米国の主張に従う記事を書くようになりました。米国にいる特派員は、米国の新聞から、国際ニュースを転記します。つまり、米国が軽視している、アジアのニュースは取り上げないのです。たとえ欧米諸国が大きく報道しても、アメリカが何もしなければ、それを真似します。中国崇拝と、米国従属を、日本で一番に取り入れたのが、朝日新聞でした。

 戦後70余年間、朝日新聞は、日本の一流紙としてマスコミ界に君臨していましたから、他紙もまた朝日に右へ倣えで、「日本の軍国主義」と「戦争犯罪」を、弾劾し続け、今日に至っています。「国際社会とは、白人社会のことを言うのだ。」「白人の国々が注目しないことは、世界のニュースにならない」、と私が言ったのは、こういう事実を指しています。日本のマスコミに限って言えば、白人という言葉を、米国と置き換えるのが正しいでしょう。米国が取り上げない、中国の悪事を報道しないだけでなく、賛美する中国に不利益となる記事を、自ら率先してネグレクトしました。この、正直者の朝日新聞の姿勢を見れば、戦後の日本が一目瞭然です。

 そこでまた一つ、思い出しました。5年前に私は、大井功氏著「チベット問題を読み解く」を読んでいました。氏は昭和23年に長野県に生まれ、大学卒業後に世界各地で勤務し、今は松蔭大学の教授をしています。その時書いた書評から、大事な情報を抜き書きしてみます。

 「まず驚かされたのは、チベット本来の領土が、」「中国の、4分の1を占める宏大さであったということだ。」「ダライラマ14世がインドへの亡命後に、自治区として中国が認めている地区だけでも、」「中国の領土の、8分の1の広さがあるという。」

 「四川省とか雲南省、青海省など、私たちは、」「あたかも、元々から中国領のように思い込んでいるが、」「これらの省は、昔はチベット人の土地だった。」「移住してくる漢民族が増えたため、いつの間にか、こうなったのであり、」「今でも年々漢民族に浸蝕され、チベットの文化が失われつつあると言うから、」「驚きでないか。」「こんな話は、氏に教えられなければ、分からなかった重要事だ。」

 「中国が、オリンピックを開催するとき、」「欧州各国が、不参加を表明していた背景に、」「チベット問題への抗議があったことを、」「本を読むまで知らなかった。」「当時チベット争乱に対し、強い非難を表明し、」「オリンピック不参加を表明したのは、ポーランド、ドイツ、イギリス、フランス、ベルギー、バチカン、EUである。」

 つまり朝日新聞は、欧州の国々と、同じ姿勢で報道をしなかったのです。これが、5年前の書評の一部です。話が横道に逸れたついでに、当時の書評を、もう少し引用してみます。

 「何も報道しなかったマスコミめと、怒りたくなる私に、氏がその心得違いを説く。」「政府や大手メディアを、弱腰と責めるのは簡単だが、」「そんな政府や、マスコミの姿勢を許して来たのは、」「紛れもなく、われわれ国民である。」「民主主義の国においては、政府もメディアも、」「その国の、国民のレベルにあったものしか存在しない。」「国民は賢明だが、政府やメディアだけが愚かという、逆はありえない。」「戦後の日本人は、何かにつけ、余りにも"ことなかれ主義" だった。」「私たちは、そのことをまず反省しなくてはならない。」

 こうして読み返しますと、5年前の日本と現在が、何も変わっていないことが分かります。

 「国民を騙し続けた、売国の朝日新聞だって、そのままにしている私たちだ。」「不買を広げ、倒産させるだけの見識も、気概もないのだから、」「氏の言葉に、反論できない。」「その通りですと、反省するしかない。」「これ以上、感想を述べる資格もない。」

 5年前の私は、こう言って書評を終わっています。今回は、そんなにアッサリ諦めないと、決めています。祖国チェコスロバキアのため、身の危険をおかしても、ソ連の非道と社会主義の矛盾を訴えた、カレル・バールタ氏の本を前にしますと、負けておれなくなります。息子たちのため、可愛い孫のため、弱気になっておれません。

 日本の政治家や政府関係者が、チベット問題に関し、何も言わず静観している理由として、大井氏が上げていた3つを、もう一度紹介いたします。
 1.   チベット問題に関する、知識も情報も持っていないこと。
 2.  中国を有望市場として企業が進出しているため、、中国の機嫌を損ねたら、財界や業界団体から、猛反発されると言う危惧を持っていること。
 3.  チベットは中国の内政問題だから、内政干渉すべきでないと建前論を守っていること。

 大井氏の指摘は、国民に対してというより、政治家や政府関係者に向けられている、と思います。私たち庶民がやるべきことは、事なかれ主義の議員を、選挙の一票で落選させることです。反日・左翼の野党議員だけではありません。自民党の中にいる、「獅子身中の虫」「駆除すべき害虫」を、しっかりと選別する目を持つことです。

 ここまで述べ、明日から、本来の書評へ戻ります。自分の現在を踏まえた上で、過去の書に教えを乞う。・・・これが本来の「温故知新」だと、私は信じます。(今回は、少し長くなりました。)
コメント (2)