ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

朝鮮 - 5 ( 中華思想と儒教の国 )

2018-07-30 14:00:27 | 徒然の記

 私はこれまで韓国に関する本を、何冊くらい読んだでしょう。

 今回の本を含め100冊まではいかないとしても、50冊は軽く超えています。最初は目新しかったため真剣に読んでいましたが、どの本も日本への恨みと憎しみに満ち、軽蔑の言葉が並んでいましたので、次第に不愉快になりました。

 途中から怒る気が無くなり、どうしてこのような国があるのかと、研究せずにおれなくなりました。茶道、日本刀、サムライ、歌舞伎、生け花など日本の伝統文化を、韓国が発祥地だとそんな主張をしますから、不思議な国としか言えません。

 秀吉が朝鮮出兵した時、陶工を沢山日本へ連れ帰り、朝鮮のおかげで日本の陶芸が発展したというのなら、それは事実ですから異論はありません。しかし日本人の誰もが日本独特の文化と思っているものまで、ルーツが韓国と言い張るのでは尋常の神経でありません。一部の学者が主張するだけでなく政府までが言い、日本攻撃の材料にしているのでは、呆れるしかありません。

 今回は、韓国・朝鮮人の思考回路につき、私なりの考察を述べ、息子たちと、訪問される方々への報告とします。人生の貴重な時間を、大切に使いたいから、今後は余程のことがない限り、朝鮮関係の書は敬遠しようと思います。

 これまでの読書を通じ、彼らの反日 ( 恨日 )思考の源泉が、「中華思想」と「儒教」にあると、推察しました。中華思想について調べますと、次のように説明されています。

 「中華思想は儒教に裏付けられた、漢民族の文化優越主義から始まり、地理的世界観、政治的世界観を併せ持つ。」

 「中国王朝は周辺諸民族を区別し、夷狄(文明化しない野蛮人)、禽獣(獣に等しい存在)と蔑む一方、冊封体制によってその世界観を具体化し、同時に、夷狄の教化に当たった。」

 ということで、中国皇帝から冊封を受けますと、その国は夷狄・禽獣の国から除外され、文明開化した国として扱われます。
 
 歴代の皇帝から冊封を受け、属国となっていた朝鮮は、この区分によれば文明開化した国になります。さらに朝鮮は、本家の中国に負けないくらい、熱心に儒教を取り入れ、中国を凌ぐ文明国と内心では自負していました。
 
  漢、普、隋、唐、宋、明は、漢民族の王朝ですが、元と清国は違いますから、この頃から、小中華という思想が朝鮮に生じてきます。小中華思想についても、おおよその意味を調べてみました。

 「自らを小中華と見なすことは、周辺諸国を野蛮な夷狄、禽獣として区分することも意味していた。」「この姿勢は文化的優越主義に止まらず、政治的、地理的世界観にも表れ、現実はどうであれ、朝鮮は、中国王朝と共に世界の中心をなし、周辺諸国を従属させていると、解釈しようとする。」

 知るほどに、中華思想の独善ぶりが鼻につきます。最近のマスコミが何かというと、「差別」と言い日本の保守を批判しますが、中華思想が「差別」の元祖でした。

 「この世界観は明と李朝が中華であり、それ以外の地域は、夷であるとするものであった。」「こうした論理は国内にも向けられ、中華文明を身につけていない者は、同じ朝鮮人でも、差別されることに繋がった。」

 「李朝後期の両班たちは、自身を礼儀を識り、漢詩漢文を巧みに操り、儒教の経典に精通した中華文明の体現者と捉え、一方庶民を夷狄禽獣の類いとして、階層的差別意識を露にしていた。」

  彼らはなんと、孔子まで発祥が朝鮮だといい、明と並び、朝鮮は中華に位置すると言うのですから、中国人の顰蹙をかっています。強国に身を低くし、属国として生きるしかなかった国が、ここまで尊大になれるというのですから、日本人には真似ができません。

 私が発見した、というより、日本人なら誰でも知っていたことなのでしょうが、朝鮮人は、「日本人を最初から、夷狄の国として考え、対等な相手と扱っていない。」という事実です。

 明治の元勲が、西欧列強の侵略の危機を説き、共に戦おうと礼を尽くし申し入れても、鼻先であしらった無礼もこれで理解できます。「征韓論」という激しい怒りも、分かってきます。

 呉善花 ( オ・ソンファ) という、韓国系学者がいます。彼女は韓国生まれの評論家で、日本研究者で、 大東文化大学を卒業後、 拓殖大学国際学部教授をしています。日本に帰化し、日本の理解者として貴重な意見を述べています。その彼女の言葉を知った時、私は韓国・朝鮮との、現在から未来へ至る関係を理解しました。

 「中国は親で、韓国は息子、日本は韓国の弟、という認識が韓国人にあるため、儒教の教えからして、親がやることは、どんなことでも例え間違っていても許せるが、弟が兄を越えることは、何であれ許せないのだ。」

 と説明しますが、こういう考えから出発しているのなら、今後とも韓国との関係は、修復しないと実感しました。中華思想と儒教が、今だけでなく、将来も彼らを支配します。

 韓国・朝鮮人は、他国から間違いを指摘されないので、中華思想から解き放されることはありません。私の「愛国」は定年退職後の、独学の成果です。彼らの方は、国ぐるみで千年以上の積み重ねがあります。

 彼らにとって、日本は弟でなく、いまでも夷狄か禽獣でしかないとしたら、国同士の約束を無視し、決め事を破っても、痛くも痒くもないはずです。彼らが身を低くし、すり寄っていくのは、未来永劫漢民族の中国だけでしょう。こうなると、結論は単純です。

 「こうしたおかしな国とは、関わり合いにならないのが一番です。」

 偏見とか差別とか、そんな次元の話でなく、歴史を踏まえた事実です。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝鮮 - 4 ( 金氏の日本攻撃と、北礼賛 )

2018-07-29 23:04:51 | 徒然の記

 同じ恨日の韓国人でありながら、捏造の歴史を信じている金氏と、事実を知りながら反日であり続ける李氏と、対照的な二人です。

 金氏の著作が出版されたのは昭和33年で、李氏の本は50年後の平成21年です。嘘混じりの歴史で、好き放題に日本を批判した金氏と異なり、韓国のインテリ層も50年経てば、根拠のない捏造で日本を攻撃し続けるのは、国の恥と自覚したのかもしれません。

  昭和33年は、どのような年であったか調べてみました。

  1月 日本、国連安全保障理事会の非常任理事国に。
     東京通信工業、社名をソニーに変更。 

  2月 韓国から抑留漁夫300人第一次帰国。28日第二次帰国。

  3月 関門国道トンネル開通。 国立競技場完成

  4月 東大生技研究所「宇宙観測用ロケット・カッパー150S型」発射実験に成功。

  5月 広島の平和記念公園で「原爆の子の像」の除幕式。 
     テレビの受信契約者数が百万を突破。
     第3回アジア競技会、東京で開催。

  6月 第二次岸内閣成立。
 
  9月  藤山・ダレス共同声明。日米安保条約改定に同意。
     総評・日教組、勤評反対全国統一行動(~11.26、第4波)。

    11月 東京~神戸間に特急こだま号運転開始。
              警職法改悪反対闘争、国会の抜き打ち会期延長で激化。広範な統一闘争に。
              皇太子明仁様と正田美智子さんの、婚約発表

    12月 一万円札発行。 東京タワー完工式

  敗戦から再出発した日本が、経済を次第に力をつけていく時代でした。政界は自民党と社会党の二大政党で、総評と日教組が力を振るっていました。

 注目すべきことは、鉄のカーテンの向こうにある社会主義国家の動静でした。マルクス主義の思想が、輝やく星のように多くの者を惹きつけていました。

  1月 中華人民共和国、   第二次五カ年計画 

     朝鮮民主主義人民共和国、第一次五カ年計画

  8 月 中華人民共和国 大躍進、人民公社運動開始

  9 月   ソビエト連邦、 ノバヤゼムリアで、核実験実施

 朝日新聞がどれほどの大見出しで、毛沢東の中国を礼賛していたか、記事だけでなく写真も覚えています。嘘みたいな話ですが、当時の社会主義国は人類のユートピアとして輝き、伝える朝日新聞も輝いていました。

 没落した大地主の息子だった金氏も、マルクス主義に心酔していて、次のように述べています。

 「1930年代 ( 昭和5年 ) に入ってからは、独立・革命のための戦いは、いっそう熾烈なかたちで戦われ始めていた。」「金日生の、抗日パルチザンがそれである。」「この革命運動の特徴は、消極的な闘争方式から、新しい方式である遊撃武力闘争に転じたことである。」

 「頑強な共産主義者の指導のもとに、進歩的な労働者や農民、学生たちにより、抗日パルチザン隊が組織された。そして、この中心となったのが金日生だった。」「このパルチザンは、長白山を根拠地としていたので、金日生は長白山の虎、あるいは白頭山の虎と言われるようになった。」

 「中でも特に有名なのは、1937 ( 昭和12 ) 年に朝鮮国内で行われた、普天堡の戦いであった。」「金日生は、革命軍の一部隊を率いて、鴨緑江を越え祖国へ向かい、日本帝国主義に重大な打撃を与えた。」

 「普天堡における革命軍の銃声は、日本帝国主義の暴虐な軍事警察のもとに抑圧されていた、祖国の地を震撼させた。」「金日生将軍が、普天堡を攻撃したという知らせは、たちまちのうちに全国津々浦々に広がった。」

 「それはまさしくその通りで、この戦闘を契機として金日生の名は、全国に伝わり、金日生将軍の名が生まれたのもこれ以後のことである。」「いまや金日生将軍とパルチザンとは、全朝鮮人の希望の星となったことを、これは物語るものである。」

  長いので途中を省略し、日本が敗戦した後の朝鮮の状況に飛びます。ソ連の後ろ盾を得て、北朝鮮を支配した金日生と、アメリカの後押しで南の韓国の支配者となった李承晩の話になります。

 米国とソ連の対立が朝鮮戦争となり、東西冷戦の時代となるのは、誰もが知る通りの流れです。これを氏がどのように見ていたか、著書から紹介します。

 「南朝鮮、韓国の政治と経済は、どん底に陥った。」「300万人以上いた韓国・南朝鮮の労働者数は、12万5000人に激減し、数百万の失業者と貧民が街頭に溢れ出した。」

 「アメリカの軍部と李承晩政権は、そういう状態の原因はすべて北にあるとして、崩壊を食い止める策を北朝鮮に求め、武力による北進統一を、公然と言いだした。」

 氏はこう説明しますが、私の知る事実は少し違っています。

「北を支配している金日生が、私有財産制の廃止、工場・土地の国有化など、共産主義国家の政策を、既成事実として推し進めていくので、反共産主義のアメリカは、黙っておれなくなった。」

 事実が金氏のような言葉で説明できるのか、疑問が残りますが、氏は金日生の北朝鮮を絶賛します。

 「こういう南朝鮮に引き換え北朝鮮では、第一次経済計画が、大成功のうちに進み、工業、農業の生産高は、日本支配時代の最高水準であった1994 年のそれを、突破していた。」「動力機械工業は146.9%、軽工業は52.7%と、いう風に上昇した。」

 細かな数字が挙げられていますが、煩雑なので省略します。

 「とりもなおさず、社会主義経済体制の北朝鮮では、そのまま真っ直ぐに、北朝鮮全人民の生活水準の向上を意味した。」 

  煩雑さを厭わず、氏の言葉を引用したかと言いますと、二言目には出てくる「日本帝国主義、」「日帝の弾圧」「日本による支配」という言葉にあります。関係のないことでも、悪い原因を作ったのは日本だと主張しています

  不愉快なのは私だけかと思っていたら、台湾出身の黄文雄氏が、『韓国は日本人が作った』という著作の中で、次のように述べていました。溜飲が下がりますので、参考のため紹介します。

 「韓国知識人の反日理論は、きわめて飛躍的である。彼らの脳裏には日本しかなく、日本以外の歴史は空白か、さもなくば停止しているのであろう。」

 「彼らの主張を逆手にとれば、韓国のすべての歴史は日本に左右され、」「韓民族には、まったく主体性がないということも言える。」

  彼らは、朝鮮の歴史が五千年続いていると自慢します。日韓併合のたった35年間で、朝鮮の歴史がすべてダメにされたというのですから、どこに朝鮮民族の偉大さがあるというのでしょう。
 
 韓国・朝鮮人は頑迷な恨日思考から、なぜ卒業できないのか。明日はこれについて述べ、ブログを終わりとします。物好きな方だけ、おつき合いください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝鮮 - 3 ( 韓国の学者がする、愛国の嘘 )

2018-07-29 06:45:00 | 徒然の記

 金達寿氏は韓国・朝鮮人の中では、普通の人間ですが、私のような日本人から見ると、狂気にも似た恨日の感情を持つ人物です。

 どんな人物なのか、本日は、ここから始めます。著書の中で自分で語っているので、その部分を紹介します。

 「私の家というのは、李朝時代は地方官であったから、どうせこれもまた、ロクな手段で取得したものではなかったろうが、日韓併合までは、五十里四方他人の土を踏まずとか言われた、地主であった。」

 「それが数度にわたる土地調査により、だんだんと削り取られ、その度に、バカな話であるが、住んでいる家の地形が悪いからこういうことになると、引越しをしたり、風水(占い師)を引き連れ、先祖の墓を掘り返し移したりしているうちに、いつの間にか、小地主の一つになってしまった。」

 「それまでは特権的な旧官人だったから、自分で働くことは勿論、農業経営のことは、何も知らなかったから、没落はなおも続き、祖父の代から父の代となり、私が生まれた頃は、もう、完全に没落しかけていた。」

 「そして私が、初めて目にした日本人というのは、家へ来る高利貸しであった。」「彼は家の者たちから、トクと呼ばれているのを覚えているが、いつも二重回まわしを羽織り、猟銃を手にしていた。」

 さてここから、氏の、日本への恨みの回想が始まります。文章としては面白く、作り話とは思いませんが、誇張が混じっています。息子たちのため、答えを先に言いますが、氏は日本を恨む前に、だらしない祖父や親たちを、批判すべきではないのです。愚かな生き方で家産を傾けたのは、日本ではありません。そこを頭に入れた上で、氏の話を読んでください。

 「私は今も、トクさんの顔と姿を目の底に残している。」「というのは、彼が訪れるたびに、必ず家では騒動が起こったからである。」「収穫を終えたばかりの籾俵が、半狂乱になって引き止める祖母の手を払いのけ、そのまま何処へともなく、積み出され、その後からは決まって、父と母は夫婦喧嘩をした。」

 「私は自分の一家の主体的なそれは、すべて棚に上げていう訳ではないが、私の一家は、トクさんが訪れて来るたび、音を立てて崩れていくようであった。」「あげくは、一家をたたんで日本への流浪であった。」

 「この私の一家は、そのほんの一例にすぎない。」「こうしてハダカにされた、朝鮮の農民は、北方の者は主として中国・満州へ、南方の者は、日本へと、安価な労働力となって流れ出た。」

 つぎの叙述には事実と違う嘘で、反日の日本人まで信じている悪意の宣伝です。

 「国外へ流れ出たその数は、第二次世界対戦の終了までに、ソ連、アメリカ等の各国をも加えると、約七、八百万人を数え、早い話が日本には今もなお、60万人といわれる、在日朝鮮人が残っている。」

「これらはもとをただせば、ほとんどすべてが、あのいわゆる土地調査により、土地を奪われた農民であり、その子たちなのである。」

  氏の嘘を正すため、二年前に読んだ李滎氏の『大韓民国の物語』から、李氏の言葉を紹介します。前回紹介した通り、氏は国内で売国奴と罵られながら、金達寿氏のような嘘つき韓国人を否定しています。

 「日本は正当な代価を支払うことなく、無慈悲に、わが民族の土地と、食料と労働力を収奪した。」「だからわが民族は、草の根や木の皮でようやく命をつないだり、海外に放浪するしかなかった。」「過去60年間、国史教科書は、このように国民に教えてきました。ですから、大部分の韓国民が、そのように信じています。」

 「2001年に発行された、高等学校の国史教科書には、日本は世界史において、比類ないほど徹底的で悪辣な方法で、わが民族を抑圧し収奪した と書かれています。 」「例えば総督府は、全国の農地の4割にも達する土地を、国有地として奪い、移住してきた日本人農民や、東拓のような国策会社へ廉価で払い下げた。」

 「しかし私はあえていいます。このような教科書の内容は、事実ではありません。」「びっくりされる方も多いと思いますが、単刀直入に言うと、そのような話はすべて、教科書を書いた歴史学者が作り出した物語です。」

 読めば分かる通り金達寿氏の話は、李滎氏が否定している韓国の教科書の意見です。李氏の意見を、もう少し紹介します。

 「農地の4割に当たる、大量の土地が収奪されたというのは、事実ではありません。」「日本が大量に土地を収奪したという神話が、初めて学術論文の形で示されたのは、1995年に、日本の東京大学に在学中の、李在茂によってでした。土地調査事業の時、総督府が農民に農地を申告させた方式は、実は収奪のためだったと李は主張しました。」

 「李の主張には、何ら実証的な根拠はなく、そうであるという個人的な信念に基づく、一方的な推論なのです。」「彼のこうした個人的信念は、今日の研究水準からすれば、ため息が出ることしきりです。」

 当時、東京大学に在学中だった李在茂氏もまた、反日の朝鮮人でした。論文を捏造したのは彼の愛国心がさせた行為ですが、李滎氏の反論もまた氏の愛国心の発露です。いくら日本が憎いからといって、母国の民が無知で愚かだったという説に我慢がならなかったのです。

  金達寿氏の意見は、韓国の教科書に書かれているものです。つまり国絡みの捏造であり、日本憎悪の思考です。金氏は在日の60万人が、日本に土地を奪われた農民の子孫だといいますが、反日の学者たちはこれを、強制連行で連れてこられた者と主張しています。

 韓国・朝鮮人の意見は、どれが本当なのか、信用できないことが多いのです。60万人の在日の人数にしても、日本政府の公式見解では、徴用工として日本へ来て敗戦後に残った者は245名です。後の59万余名は、帰国しても生活のアテがないため自由意志で残った者と、密入国してきた不法滞在者です。 

 しかし私は、金氏も李氏も、ある意味では敬意を払っています。彼らは国内で激しく対立し、攻撃し合っていますが、それは日本に関する意見についてだけです。彼らは意見が対立していても、愛国者なのです。ここが反日の日本人違うところです。日本人なのに、彼らは自分の国を憎み否定し、蔑んでいます。

 敗戦後の日本の異常さが見過ごせない理由が、ここにあります。今夜も、夜が更けましたので、続きは明日にします。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝鮮 - 2 ( 金達寿(キム・タルス)氏と、李滎薫 (  イ・ヨンフン )氏 )

2018-07-28 19:16:08 | 徒然の記

 氏の本に従い、朝鮮の歴史の流れを次のように整理しました。  

   1. 古 代     (紀元前から、紀元後20~40年頃までの、およそ300年間)

   2. 三国時代   (紀元後20~40年頃から、およそ500~600年間)

          高句麗、百済、新羅の三国  (但し、別に駕洛、漢四郡あり)  

   3. 統一新羅   (西暦676 ~ 935年まで、およそ260年間)

     唐の冊封を受け、属国となる

   4. 高麗(こま)  (西暦918 ~ 1392年まで、およそ470年間)

     後唐の冊封を受け、属国となる

   5. 李氏朝鮮    (西暦1392 ~ 1910年まで、およそ520年間)

      明の冊封を受け、属国となる

 朝鮮の古代、三国時代は、中国では秦、前漢、後漢の時代ですから、攻められたり押し返したりで、常に中国や他の周辺国と戦争をしています。統一新羅以降は、朝鮮として一つの国になりますが、都度中国皇帝の冊封を受け、必ず属国となっています。

 「だがわが朝鮮のように、終始一貫その生まれ出る時からして、戦争という外圧に、さらされてされてきたものはないであろう。」「しかもそれは、今日に続いている。」

  敗戦後の73年間を除き、有史以来2000年間独立国だった日本とは、大きな違いです。現在、国民のほとんどが日本を独立国と思っていますから、私の意見は無視されますが、日本が独立国として国際社会で認知されず、アメリカの属国と見られている理由は簡単なのです。

 敗戦以来、日本はGHQに統治され、この間は国の安全を連合国軍によって守られてきました。昭和27年の4月から発効したサンフランシスコ講和条約によって、自立した国と見做されるようになり、今日に至っています。政治、外交、経済等々、GHQの干渉なしに、やれるようになりましたので、私自身も、この時から日本が独立国になったと信じていました。

  しかしここに、ただ一つ例外がありました。他の普通の国のように、国を守る軍隊を持たないまま、あたかもそれが当然の話でもあるかのように、今日まで来てしまったことです。親の庇護の下にある未成年者は、常に親から守られています。一人前になりますと、彼らは親元を離れ一人で暮らし、自分の身を自分で守るようになります。それが、独り立ちです。

 国にしても同じことで、独立したのに、いつまでも米軍が駐留し、日本の安全を守るというのでは、他国が一人前として認めるはずがありません。一番金のかかる軍隊を米国に依存し、金儲けに精を出しているのですから、世界第二の経済大国になっても当然だろうと、国際社会は冷めた目で見ています。軍事力を独自で保持しないということが、一人前の国として認められない原因だと、私は知らずに過ごしてきました。

 日本国憲法の特殊性が、国民の目覚めを妨げる、厚いカーテンの役割をしてきました。これも一つですが、もっと大きな原因があります。どうしてこんな不思議なことが、可能になったのかと言いますと、反日左翼の人間だけが望んでいたのでなく、米国をはじめほとんどの国が、日本の軍事的独立を望んでいなかったのです。

 アジアの小国が、世界を相手に戦争をした。しかも、眠れる獅子と言われた清国を破り、ロシアとの戦争では無敵のバルチック艦隊を破りました。こんな国が再び軍隊を持てば、いつ何どき自分たちがやられるかもしれないと、そういう危惧がありました。共産国も資本主義国も関係なしに、日本に再軍備させないという点では、彼らの意見が一致しました。

 私たち国民は、国の安全保障を脇に置き、平和憲法という美しい名前に目をくらまされ、今日まで来ました。私がなぜここまで、執拗に、戦後の日本を語るかと言いますと、金達寿氏の愛国心に比べ、私たちの不甲斐なさを知るからです。

  「わが朝鮮のように、終始一貫、その生まれ出る時からして、戦争という外圧に、さらされてされてきたものは、ないであろう。」「しかもそれは、今日に続いている。」

 こう言って氏は、嘆き、怒り、朝鮮の歴史を誇り、日本人を憎み、恨み、次第に偏見と捏造を主張し始めます。この不愉快な意見につきましては、次回からお話ししますが、見習わずにおれない氏がいます。

 私たち日本人は氏に比較すると、いかに不甲斐ない国民となっていたかが、分かります。日本人は、たった一度の敗戦で国の歴史を否定し、ご先祖を否定し、誇りも無くしてしまいました。他国に支配され、強国の顔を伺いながら卑屈に生きてきた祖先ですら、金氏は大切にしているというのに、日本人はこんなことでいいのか、という思いに駆られます。

 二年前に、李滎薫 (  イ・ヨンフン )氏著の『大韓民国の物語』を読んだ時と、似たような気持ちになりました。李氏は、韓国の教科書で教えられる、「日本による韓国収奪論」を否定し、「根拠のない慰安婦問題」についても異議を唱えました。氏は日本の統治の結果、むしろ韓国社会を蝕んでいた身分制が撤廃され、経済も発達したのだと言い、事実を積み上げ、反対派の人間を論破していきました。

 氏は韓国内で、売国奴という言葉と同義語の、「知日派」のレッテルを貼られています。韓国内の反日論を否定するので、日本人の中には、氏が親日家だと誤解している者もいます。

 しかし日本に関する限り、氏の根底にあるのは感情的反日と理解しています。その点では、教科書で偏向した教育を受け、日本攻撃をする多くの韓国人となんら違いがありません。

 金氏の著作の読後感も同じです。事実がいくらあり理論が正しくても、いったん日本のこととなると、「恨日」という激しい感情に燃え上がっています。

 日本と韓国の間にある感情的対立の大きさを見せられると、私も理性でなく感情で対応したくなってきます。結局韓国とは、今後も必要最小限度の付き合いにとどめるしかない、かかわらなくて済むのなら、その方が良いと考えました。

 息子たちには、この如何ともし難い韓国・朝鮮 の人々の心情を伝えなくてなりません。彼らとかかわるのなら覚悟を持ちなさいと、生きる知恵として教えたいと思います。

 この厄介さの原因になっているのは、中華思想と儒教です。自分なりの理解でしかありませんが、息子たちに伝えるには、それで十分でないかと思っています。

 本日は、ここまでと致します。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忙人寸語

2018-07-27 16:38:33 | 徒然の記

 4月20日の千葉日報のコラムを読み、「千葉日報にも、馬鹿なコラム」というタイトルで、批判をしました。

 あの時の内容は、セクハラ問題でしたが、本日の内容は、敗戦の日を前にした、過去の戦争批判です。「忙人寸語」とは、おそらく、朝日新聞で言えば、「天声人語」に相当するコラムだろうと思います。天声人語は、論説委員の一人が三年とか、四年とか、一定期間、専任の天声人語子として、担っていたと聞きます。

 だとすれば、「忙人寸語」も、千葉日報の幹部記者が、一定期間を担当し、書いているものと思われます。天声人語は、朝日新聞の説明によりますと、「天に声あり、人をして語らしむ」という中国の古典に由来し、「民の声、庶民の声こそ天の声」という意味だと言います。

 反日・左翼の論説委員の書いた意見が、果たして民の声、庶民の声であったのか、今となっては疑問です。まして、天の声など、おこがましい限りでした。ペテン師吉田清治の話を10回も取り上げ、日本政府と国民へ警鐘乱打し、説教までしましたが、捏造が判明した後、このことを書いた天声人語は、すべて取消されました。

 それでも「天声人語」という言葉そのものは、中国の古典とやらにあるらしく、意味も説明されています。一方、「忙人寸語」は、千葉日報社の造語なのか、普通の辞書には載っていません。多忙な人間が、寸鉄人を刺す言葉で、世評を語るという意味なのだろうかと、なんとなく分かりますが、どれを読んでも、心に刺さる主張はありません。

 千葉日報の社名を高めるというより、評価を低下させる内容が多いのですから、この際担当記者が交代するか、いっそのこと別のコラムに変更するか、読者である私は提案いたします。ここでまず、当日の「忙人寸語」を、引用いたしましょう。

 「戦争の悲惨さや、残酷さは、」「時代を超えて、芸術家の、主要なテーマとなってきた。」「惨状を後世に伝え、あるいは、」「人間の愚かさを、訴えかけながら・・」

 こうして、故人となった、版画家の死を悼みます。故人の経歴と業績を偲びながら、戦争の愚かしさが、強調されます。それだけでも、いい加減うんざりしますが、遂には、紋切り型の戦争否定となります。

 「沖縄戦から、広島、長崎への原爆投下、」「そして無条件降伏へ。」「終戦の道を辿る、平成最後の夏が来る。」「まっしぐらに戦争に突き進み、」「破滅へと駆り立てられていった時代。」

 「二度と繰り返したくないが、不穏な空気が気になる。」「昭和が遠ざかり、戦争体験者が少なくなっていく。」

 戦後73年間も、こんな繰り返しをしているマスコミ業界に対し、コラムの担当者は何の疑問も抱かないのでしょうか。先の大戦につきましては、今となっては色々な事実が明らかになり、日本の指導者だけが間違っていたとは、言えなくなっています。まっしぐらに戦争へ突き進み、国民を破滅に導いたとは、断定できない国際情勢も、知られるようになっています。

 それなのに、いつまでも、自分の国の指導者だけを非難する口調が、どうして改められないのでしょう。私は、過去の日本が正しかったと、言っているのではありません。戦争を賛美しているのでも、賛成しているのでもありません。

 この調子では、私の愛する千葉日報社も、8月15日が来れば、「終戦記念日特集」で紙面を飾り、マスコミの夏祭りで大騒ぎすることでしょう。この記事を書いている、千葉日報社の幹部記者の方に、私は一冊の本をお勧めします。

 笹本俊次氏著「第二次大戦下のヨーロッパ」(昭和45年刊 岩波新書)

 これを読みますと、ヒットラーとスターリンが激しく応酬し、チャーチルやドゴールがどのように動いていたか。松岡外相やモロトフや、近衛文麿の名前も出てきます。日本など、彼らの頭の中には、コレッポチもなく、自国の領土拡大と、利益を求め、武力を行使する政治家としての姿が、赤裸に描かれています。

 一読するだけで、日本のマスコミがやっている、敗戦の日のお祭り騒ぎの愚かしさが分かります。本の裏扉にある略歴を見ますと、笹本氏は、朝日新聞、東京新聞の特派員として、戦地を転々としています。ですから著者は、マスコミが嫌悪する保守・右翼の人間でなく、正真正銘のマスコミ側の人間です。

  「二度と繰り返したくないが、不穏な空気が気になる。」「昭和が遠ざかり、戦争体験者が少なくなっていく。」

 本を読めば、このような寝言を新聞に掲載した自分が、きっと恥ずかしくなります。この言葉をそのまま読めば、戦争経験者はすべて、単純な戦争反対論者だとでも言わんばかりです。同じく戦争に反対しても、貴方がたのように、日本の指導者たちを悪者にし、自分だけは正しいと、他人事みたいに語る人間だけではありませんよ。

 反省するときには、過去の人間を批判・攻撃するだけでなく、自分のことも加えなくてなりません。こんなことばかり繰り返して恥じない、千葉日報の幹部社員の方に、私は、苦言を呈します。

 ご存知とは思いますが、戦争を賛美し、戦争遂行の先頭に立ったのは、ほかならぬ新聞や映画ニュースやラジオだったではありませんか。戦時中、朝日新聞の「天声人語」は、「神風賦」と名前を変えていたことを、ご存知ですか。神風とは、特攻隊の名前にも使用された、勝利の風です。朝日新聞は、敗戦後に、再びこれを、「天声人語」に戻しました。

 多少の理性と良識があるのなら、他人事のように戦争を反省して見せるのでなく、貴方がたマスコミ幹部は、国民に対し、謙虚に詫びるのが先でしょう。

 「私たちは、不本意にも、軍部の弾圧に負け、戦争遂行の記事を書き、」「国民の意識を戦争に駆り立て、大きな間違いをいたしました。」

「軍人や政治家や、これに賛成した国民の方々ばかりを責めるのでなく、」「私たちも、心から反省し、過去を悔いております。」

 この言葉が先にあれば、国民の多くも、貴方がたの主張に耳を傾けるはずです。自分だけは雲の上から社会を眺め、第三者みたいに綺麗事を語るのでは、相手にされなくなるはずです。しかし本音を言いますと、私の意見は、千葉日報社には、無理難題でしかないと、自覚しております。全国紙と地方紙の大きさを比べますと、はっきり言いまして「象と蟻」の違いがあります。

 象の全国紙でもやらないことが、蟻の地方紙にやれるはずがありません。それではきっと、経営もうまくいかなくなるのでしょう。しかし、千葉日報の経営陣の方々に、私は申し上げたいと思います。

 「千葉日報の読者は、お花畑の人間ばかりではありませんよ。」「朝日や毎日の、地方版みたいな記事なら、購読する意味があるのでしょうか。」

 

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝鮮 ( 「花郎 ( ファラン ) 」と「骨品制度」 )

2018-07-26 23:51:17 | 徒然の記

 金達寿(きむ・たるす)氏著『朝鮮』( 昭和33年刊 岩波新書 )を、読了しました。本の裏扉にある氏の略歴を、紹介します。

 「大正8年朝鮮に生まれ、平成9年に死亡、77才。」「昭和5年に、来日。」「昭和16年、日大芸術科卒業。」「昭和17年から、19年まで、神奈川新聞・京城日報の記者。」「昭和21年から24年まで、雑誌「民主朝鮮」の編集者」

「氏のペンネーム・・金達寿、大澤達雄、 金光淳、朴永泰、孫仁章、金文洙、白仁。」

 214ページの文庫本で、目次が五章に分かれ朝鮮の歴史が書かれています。

 1.  民族  2.  歴史  3.  植民地と独立  4.  文化  5.  今日の朝鮮

 氏は「民族」と「歴史」と「文化」で170ベージを使っています。本を執筆するため歴史書を何冊も読んだと、あとがきで説明している通り熱のこもった内容です。朝鮮の古代史を語る、冒頭の言葉に強く心を動かされました。

  「朝鮮の歴史の流れを一口で言うとすれば、それは一貫して、外圧と抵抗とのそれであると言うことができると思う。」「どこの民族にしても、戦争をしなかったものはなく、またその体験をしなかったものはいないであろう。」

 「だがわが朝鮮のように、終始一貫その生まれ出る時からして、戦争という外圧に、さらされてされてきたものはないであろう。」「しかもそれは、今日に続いている。」

 敗戦以来、日本もまた国の独立を失い、73年経った今でも、米軍の基地が全国にあります。沖縄の基地以外はマスコミが取り上げませんので、日本が独立国であるかののように国民も錯覚しています。

 ひと時は、世界第二の経済大国などと得意になりましたが、国際社会での見方は、「日本はアメリカの属国」でしかありません。国内では「アメリカの同盟国」という言葉で説明されていますが、事実はそうでありません。

 だから私は、金達寿氏の無念さが分かります。朝鮮は、大国のつばぜり合いのため南北に分断され、北も南も一つの独立国になれないままです。日本は分断されていませんが、米国、中国、ロシアといった、大国と意思を通ずる「獅子身中の虫」たちがいて、内部で国の独立を妨害しています。

 国の独立を奪われたままの国民同志として、私は氏の怒りと悲しみを理解します。理解するのはその部分だけですが、有意義な書であることに変わりはありません。と言うより、まちがいなく啓蒙の書です。

 「676年、新羅は高句麗と百済を打ち負かし、三国の統一を果たした。」「新羅による統一は、朝鮮の歴史、ひいては朝鮮民族の形成にとって、まさに画期的な大事業であった。」

 「新羅が朝鮮を統一するまでは、朝鮮は、政治的に分裂していただけでなく、種族的にも分裂していた。」「北方の高句麗族と南方の韓族は、」「有史以前には同種のものであったのかもしれないが、長い間の生活習慣の差や、政治的対立によって、言語、習俗が違い、両者を統一した朝鮮人は、まだいなかった。」

 慰安婦問題などで、一方的な攻撃をしてくる現在の韓国ですが、隣国のよしみでしょうか、客観的な歴史には興味を覚えます。676年と言えば、日本は白鳳時代です。天武天皇の世ですが、古事記も日本書紀も編纂されていない時ですから、確かにこれは朝鮮の古史です。

 「韓族出身の新羅が朝鮮を統一してから、韓族の持つ言語・習俗が、朝鮮を支配し、種族的統合が成立した。」「新羅が唐軍を追い出し、朝鮮の政治的統一を成し遂げたことが、今日の朝鮮を生み出すもとであった。」「その意味で新羅の統一は、朝鮮民族の歴史にとって一大転換期であった。」

 新羅による朝鮮を統一を可能にしたものとして、氏は「花郎 ( ファラン ) 」と「骨品制度」 という、聞きなれない言葉を教えてくれました。生まれて初めて聞く言葉なので、氏の説明をそのまま紹介します。

 「花郎というのは一口で言うと、当時の青年組織のことであるが、しかしそれは、貴族の子弟のみに限られていた。」「彼らは将来の国家幹部として、青少年の頃から団体生活を通し、儒・仏・仙の教義を学び、世俗五戒の心情を養った。」

 「君に忠、親に孝、朋友相信じ、万物に対して慈悲心を、といったシロモノであるが、敵に対しては退くことを知らずという、物凄い仙の教義が叩き込まれていた。」「新羅がよく三国を統一し得た裏には、花郎たちの、勇猛果敢な戦いがあったのである。」

 「花郎」には、どこか戦前の日本軍人を彷彿とさせるものがあると感じました。次は、「骨品制度」です。

 「骨品制というのは、新羅の貴族社会の支柱でした。」「いわば、古くからの社会体制であり、骨は血族を意味し、品は身分・地位の意味です。」「つまり人は生まれながらにして、その血統により、身分の差がつけられるということです。」

 「第一骨は、朴、昔、金の三氏で、代々の王となれるのは、この第一骨に限られています。」「第二骨は普通の貴族を構成し、以下第三骨、第四骨、その下にも、いつくかの骨があり、それぞれの骨の中に身分と地位が定まっている。」

 この辺りの、氏の叙述が面白いので、そのまま転記します。

 「なんとも鬱陶しい話であるが、第17代あたりから王位がハッキリと、金氏のみの世襲となった。」「これは従来の第一骨貴族の間に、不満をよんだばかりか、他の貴族の権勢欲に対しても、スキを与えることになった。」「こんちくしょう、それなら俺様も、ひとつ、王様になってやるぞと、言うわけである。」

 「退屈していた貴族の間に、王権の争奪戦が始まった。」「以後、10年間、20年間、30年間と、貴族たちが殺し合い、王位の簒奪を繰り返した。」「中央の王権を巡る、血なまぐさい争いは地方に反映しないはずがない。」

 ということで、それは地方での農民の暴動という形で、頻発していきます。この状況を、氏は何の疑問もなくつぎのように語ります。

 「農民がなぜ暴動を起こすか、ということについては、言うまでもなく、このような封建体制にあっては、それは時期さえ来れば、いつでも起こりうるものなのである。」

 日本でも、百姓一揆があちこちで生じていますが、朝鮮のそれとは、違っているように思えてなりません。これについては、いつか述べることとして、新羅の体制の土台だった「花郎」関する、氏の説明に戻ります。

 「だが、花郎貴族も、三国統一が終わり、太平に慣れてくると、」「次第に崩れ始めた。」「戦場に勇名を馳せた彼らも、今はなんのことはない、」「花鳥風月を弄ぶ、ただの貴公子に変じてしまったのである。」「彼らがこうであるから、他の貴族たちは、」「おして知るべしと言うわけだ。」

 「彼らは、骨品制の伝統的な権力と、」「地位を守るだけの、存在となってしまった。」「そこではまた、当然のこととして、かって外に向けられていた、権勢欲、嫉視、反目といったものが、内に向けられ渦を巻き始めた。」

 「平和な時代であるにもかかわらず、農民たちは、こうした貴族の、豪奢な生活を支えるため、いっそう隷属化を促進され、やりきれなくなっていた。」

 農民の暴動が頻発し、地方の豪族が結びつき天下は乱れ、やがて新羅は首都圏だけを支配する、一勢力となってしまいます。この状況についても、氏は何の疑問もなく、つぎのように語ります。

 「豪族とて、農民の味方であるはずはないが、しかし、とにかく支配者が変われば、少しは良くなると思ってもこれは致し方ない。」

 常に外敵に責められる朝鮮と、外敵のない島国の日本との違いでしょうか。ここに私は、明確な思考の差異を認識しました。確信でなく、推測に過ぎませんが、ご先祖様たちは、日本の中心を重要視し、国民の心が常に一つの権威を守るような制度を作ろうとしていた・・ということです。権勢欲にかられた、身勝手な支配者によって、国の中心が乱れないように、天皇を抱くことの大切さを知っていたのです。

 私には、まだ人生が十分残っていますから、この推測につきましては、今後勉強することとし、明日はまた氏の著作に戻りたいと思います。

 「古きを訪ねて、新しきを知る。」、我那覇さんが教えてくれた「温故知新」です。歴史の中には、現在の日本や韓国、あるいは北朝鮮や中国との関係が事実として残され、沢山のヒントを与えてくれます。眼前にある問題は、簡単に解けるものでありませんから、マスコミの雑音に惑わされないためにも、読書の必要性がある気がします。

 「急がば、回れ」です。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国民が望む野党像について

2018-07-24 16:24:17 | 徒然の記

 久しぶりに来た長男が、見送った駅で別れ際に、言いにくそうに、私に言いました。

 「お父さん、偏らないほうがいいよ。」

 「うん、お父さんは、偏っている。しかし世間はもっと偏ってる。」

 短い会話でしたが、長男の言葉はずっと心に残り、私の気持ちを沈ませました。意固地になった自分を、反省するとともに、これではなるまいという、気にもなりました。

  考えてみますと、私のブログも、政府を攻撃する野党の姿に似ています。相手を責め、攻撃し、相手を怒らせ、自分も不愉快になっています。我那覇真子さんのような、明るさもなく、笑顔もない私なので、ブログを読む人は、暗い気持ちになっているだけ、だったのでしょうか。

 文句を言うのなら、具体的な対案を出すべしと、私はいつも野党を批判いたします。今回は、自らを反省し、「国民が望む野党像」について、具体案を出すことと致しました。去る7月17日の千葉日報に、丁度良い記事が掲載されましたので、これを元に話を進めます。

 この日、私がスクラップにした記事は、6件でした。残念なことに、6件ともに、自民党への批判が、それとなくされています。共同通信社が、全国に配信している記事でしょうが、露骨な自民党批判でなく、読めば何となく、野党が正しいと思わせる書き方です。

 気にならない人には、気にならないのでしょうし、何時ものことですから、そこはスルーいたします。まず、最初に取り上げたいのは、「検証 言論の府」という連載記事です。

 趣旨は、国民民主党と、立憲民主党が対立しているため、自民党の一強政治を許している。これでは、駄目だという共同通信社の意見です。記事の冒頭を、そのまま転記いたします。

 「通常国会では、旧民主党を源流とする、野党二大勢力の、」「足並みの乱れが、顕在化した。」「安倍政権への徹底抗戦を貫く、立憲民主党と、」「対決よりも解決へと、提案路線を掲げる、国民民主党。」

 「野党のあるべき姿を巡る相克が、共闘を阻み、」「結果として、安倍一強を許している。」「政府自民党と、対決する姿勢を持たなくては、駄目だ。」「東京六本木のイタリア料理店で、立民の枝野幸男代表と、」「自由党の小沢一郎共同代表は、」「与党寄りに映る、国民民主のスタンスを、揃って批判した。」

 「二人の憤りは、安倍政権が、今国会で成立させた、」「働き方関連法への、国民民主の対応に、起因する。」「立憲民主党などが提出した、参院厚生労働委員長の解任決議案を、」「参院第一党の国民民主が、時間稼ぎだと一蹴した。」「このため、野党案は事実上葬られ、」「働き方改革法は成立した。」

 「法案が成立した翌日、枝野氏は、」「今後も国会で、国民民主と、連携できるところは、」「連携したいと、取り繕ったが、」「立民幹部は、与党に甘い野党はあり得ないと、」「不満を隠さない。」「一方、国民幹部も、立民は、政権構想を持たない、」「万年野党だと、距離を置いている。」

 ここまでが、およそ記事の半分です。長男は、私が偏っていると言いましたので、偏った父親としての、受けとり方を説明いたします。

 1. 野党は、政府与党と、対立する姿勢を持たなくては、駄目だ。

 2. 国民民主党は、与党に甘い野党だ。

 3. 共闘を拒んだ、国民民主が、結果として、安倍一強を許した。

 4. 立憲民主は、政権構想を持たない、万年野党だ。

 共同通信社の意見を集約しますと、この4つになります。これを読者は、どのように受け止めるのでしょうか。4つのうち、3つまでが、国民民主党の批判ですから、多くの読者は、主義を貫く立民が正しいと思うだろうと、推察いたします。

 しかし私は、ここで共同通信社の、巧妙な保身の姿勢を感じ取ります。四項目目の意見が、それです。偏見のない両論併記をしていると、そういう見方もできます。この4項目目の意見は、あとの3項目の全てを無意味なものにする、重要な意見だからです。私には、「両論併記」というより、ずる賢い「両天秤」の記事だと受け止めました。

 将来政治の流れが、立民になっても、国民に移っても、どちらにも偏らない意見を述べたと、弁明できるからです。朝日新聞なら、明確に立民を応援しますが、共同通信社は、曖昧に意見を述べます。

 「さらに、安全保障政策の違いが、」「野党間の不協和音を、拡大させる。」

 いよいよ、肝心の問題について、共同通信社の意見が、述べられます。

  「旧民主党は、平成27(2015)年の安全保障関連法の、審議過程で、」「共産党と組んで、」「安保法は、憲法違反にあたる、戦争法だ、」「と断じた。」「立民は、この安保法廃止の旗を、」「堅持する。」

 「これに対し、国民は、安保法全体が違憲で、」「不要だとの主張は、」「慎重に避けている。」「前身となる、旧希望の党が、昨年の衆院選の際、」「現実的な安保政策を、打ち出したことを引き継いでいる。」「玉木共同代表は、周辺に、」「野党が政権を獲得しても、」「国家観が異なる、共産党との連立は、あり得ないと漏らす。」

 旧民主党は、共産党と組み、安保関連法は戦争法だと断じたが、国民民主党は、この主張を慎重に避けていると、共同通信社が述べます。与党との対立を明確にし、反対の旗を堅持しているのは立民だと書き、ここでも暗に腰砕けの国民民主を、批判しています。昨年の衆院選で、希望の党へ移り、安保関連法に反対しないと約束した国民民主の議員が、暗に変節者のように聞こえる書きぶりです。次が、この記事のまとめになります。

 「国会対応でのつばぜり合いは、主導権争いの側面も、否めない。」「野党第1党が、衆議院では、立民、」「参議院では国民という、」「ねじれが生じているためだ。」「野党が、一つの塊になりにくい状況は、」「来年の統一地方選や、参院選の、選挙協力を難しくしている。」

  「自民党の国対幹部は、」「野党の方針が食い違うことで、調整には手間はかかる。」「でも、脅威を感じることはないと、余裕を見せた。」「数の力を握る巨大与党の、」「強気の国会運営が、続きそうだ。」

 この記事を読めば、数に奢った自民党が、これからも、強気の国会運営をしていくと思わせられます。野党は国民民主党のせいで、一つの塊となれず、安倍政権の横暴が続き、困ったことになりますと、こういう意見に誘導されます。

 ここには政治を、政局や政争としてしか捉えられない、マスコミの限界が現れています。国民がなぜ、自民党に多数を与えているのかという、一番肝心な点への言及がありません。共同通信社の意見は、国民不在の政党論でしかないということが、よく分かります。

 戦争か平和か、個人の自由か国家の意思か、憲法順守か改憲か、などと、そんな対立など、今日では何の意味もなくなっているのに、彼らは戦後以来の政治構図から、いまもって卒業できません。現在の重要課題は、「敗戦以来失っている、国の独立」を、日本が取り戻すことにあり、それを実現する政党を、国民が求めているという時代の流れです。

 国が独立するためには、世界の主要国がそうであるように、自分の国を自分で守る軍隊がいると、国民の意識はここまで来ています。二千年以上の歴史を持つ、自分の国を、たった一度の敗戦で、世界の最低の国ででもあるように、共産党とともに、マスコミが足蹴にして来たと、その事実に国民がやっと気づき始めています。

 だからこそ、国民のマスコミ離れが起こり、マスコミ不信が広がっています。その国民の意識の変化に気づき、なんでも反対の野党から脱却しようとしている、国民民主党を、共同通信社は快く思っていません。健全な野党の萌芽を、私はここに感じています。

 玉木氏や大塚氏に対し、個人的には嫌悪感が先に立ちますが、国民が期待する野党とは、マスコミに甘やかされ、持て囃される政党でないこと。これに尽きます。反日と左翼の大嫌いな父親である私が、長男の言葉で反省し、偏見を捨て、最大限の譲歩をした結論です。

 「マスコミに甘やかされない政党こそが、国民の期待する野党になれる。」

コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

万引き家族

2018-07-20 12:31:07 | 徒然の記

  7月13日の千葉日報に、専修大学教授の岡田憲治氏による、「万引き家族とW杯」という記事が掲載されました。

  私は去る6月19日に、「大丈夫なのか、千葉日報」というタイトルで、千葉日報の記事を批判いたしました。岡田氏の意見は、私のような人間に対する辛辣な、反論でした。大学教授には、碌でもない人間がいますが、どうやらこの人もその例に漏れず、軽薄な主張を並べておりました。

 無視しても良いのですが、国を大切にする者全体への侮蔑が、記事全般に漂っておりますので、一言苦言を呈したくなりました。

 「6月の封切り後、今も多くの人が、カンヌ国際映画祭で最高賞を獲得した、」「是枝監督の "万引き家族" を観に、」「映画館に足を運んでいる。」「数々の毀誉褒貶は、作品のインパクトの証明である。」

 岡田氏がこのように言うのなら、それはそれで、良しとします。確かに、芸術作品というものには、毀誉褒貶がつきものですし、優れた芸術が、世間の無理解で酷評された例が幾らもあります。

 「子供に万引きをさせながら、人と人のつながりを問う、」「渾身の作品だ。」

 しかしこのような、少しおかしな褒め方には、首をかしげます。子供に万引きをさせながら、人と人のつながりを問う、渾身の作品・・。ここからして、焦点がずれていると感じます。あのとき私は、作品に疑問を呈した人の意見を、引用しましたが、いくら芸術作品でも、非常識で良いとは言えないはずです。

 「疑似家族の男は工事現場で、女はクリーニング工場で、娘役は風俗で働いているので、」「一家を支えるには、何も万引きなどしなくても、暮らしは成り立つし、」「祖母役の年金にたからなくても、普通に暮らせるはずの家族です。」「その設定じたいの不自然さが、最後まで気になりました。」

 しなくてもいい万引きをさせるというのですから、世間の常識人が眉をひそめて、何が不都合なのでしょう。これに対する氏の反論は、真面目な議論でなく、挑発するような喧嘩腰です。国会で、野党が政府を糾弾するときの、売り言葉に似ています。

 「みじめな現実を描いて、世界に恥を晒す、」「反日映画である、といった、」「反論する気さえ失せるような、」「地底レベルの批判だ。」

 「愛国者を自称するなら、反日などという、幼稚な言葉を捨てて、」「そこを丁寧に考えねばなるまい。」

 氏がどのような意見を聞いて、いきり立つように反論しているのか、具体的には知りませんが、「愛国者を自称するなら、反日などという、幼稚な言葉を捨てて、」という、それこそ幼稚な意見は、見過ごすことができません。第一、反日という言葉が、幼稚というレッテルで片づけられて良いものかどうか、氏もまた、そこを丁寧に考える必要がありませんか。

 岡田氏が左系の教授なら、話はすべてすれ違いになるのでしょうが、現在の日本で、「反日」や「左翼」の思考が、どれだけ国民の心をかき乱しているか。社会の混乱を助長しているのか。知らない人は、ないはずです。

  「気になったのは、文化庁の助成金をもらった以上、」「国を悪く描くべきではないという、」「多くの人が、漠然と抱きがちな誤解だ。」「助成金を受けることは、国にお世話になるという、意味ではない。」「ここでいう国は、われわれ社会を生きる者が、共同生活を守り、」「維持するために、積み立てた貯金(すなわち税)を、」「必要に応じて配分する、事務担当に過ぎない。」
 
 国は事務担当であるに過ぎないと、氏は断定しますが、果たしてそんな捉え方で良いのか、異論がありますが、これは本論でないので、スルーします。先ず私が氏に言いたいのは、国の金をもらった以上、国を悪く描くべきでないとは、言っていない、といういことです。是枝氏が、林文科大臣の祝意を辞退したときの言葉が、矛盾していると指摘しただけです。大臣の意向を知ると、是枝氏は「自分は、公権力とは潔く、距離を保つ」と言って、これを断りました。
 
  もともとカンヌ映画祭は、フランス政府が始めたもので、映画祭の予算の半分を、フランスの文化省などの、公金でまかなっています。是枝氏が、公権力とは潔く距離を保つ、と言うなら映画賞も辞退するのが筋だと、私は指摘しました。氏は、文部科学省の中にある文化庁から、助成金を2000万円もらっているのですから、これもおかしいでしょうと、言いました。
 
 日本政府から助成金を貰い、管轄の大臣の祝意は拒絶するが、フランス政府からの映画賞は、嬉々として受け取る。公権力と、潔く距離を保つ人間なら、こんなことはしません。事情を知る者に、恥知らずと言われても、仕方があるまいと思います。

  千葉日報という、千葉県の公器に意見を発表するのなら、きちんと調べた上で寄稿してほしいものです。これも共同通信の配信記事でしょうが、千葉日報の読者を減らすような手伝いはしてもらいたくありません。次の意見となりますと、まさに、岡田氏の個人的見解というか、偏見と言うべきか、そのまま転記しましょう。

  「サッカーのW杯で、試合終了直前に、」「カウンター攻撃を食らって散った、日本代表は、」「間違いなく、われわれの何かを代表する者たちだった。」「では、何を代表しているのか。」

 「是枝批判をする者は、いつもの惰性で言うだろう。」「サムライブルーは、国家とその威信を背負っている。」「日の丸を背負っているし、」「という大雑把で、ずさんな言葉だ。」

 「しかし選手は、そんな、大きく抽象的な物語を、」「体現してはいない。」「彼らが代表するのは、これまでかかわってきた、」「地域の人々の、愛情と信頼と希望だ。」「日本代表は、そんな地域の人々の、」「何かを、代表しているのだ。」

 いったい、この大学教授は、何が言いたいのでしょう。保守の中には、ずさんで、大雑把な人間もいるでしょう。それはまさに、氏のように、左翼の中でもこんなずさんで、大雑把な意見を並べる人間がいるのと、同じ話です。

 私の知る多くの保守の人間は、まずは、家族への愛と信頼、そして住んでいる地域の人々との、愛と信頼を大切にします。その上で、地域の集合体である、国を大切にします。国や国家が最初に出てくるのでなく、集合体としての国が、最後に出ててくるのです。選手が、地域の人々を代表すると、さも得意そうに言いますが、そんなことは誰でも分かっています。

 「地域の人だけでなく、自分を支えている家族を、忘れてはいけません。」

 昨日「おおきなわ」の動画で、我那覇真子さんが語っていましたが、こういう地道な考えをしているのが、本当の保守です。氏の頭にあるのは、頑迷固陋の保守ばかりらしいのですが、これこそお粗末な偏見でしょう。だから、一人で悦に入り、自分の言葉に酔い、軽薄な意見が言えるのだと思います。

 「国家や国威という曖昧なものを、」「安易に引っ張り出す人たちよ。」「人間は、心の拠りどころが不確かだったり、」「人とのつながりに、自信が持てなかったり、」「己に向き合う勇気がないときに、」「それを忘れさせる、大きな物語に、飛びついてしまいがちだ。」

 この自己陶酔の叙述が、この文章の三倍ほど続きますが、冗長なので省略いたします。共同通信社が、どういう基準で氏を選び記事を依頼したのか、私には分かりませんが、専修大学の学生たちが、果たして、本気で氏の講義を聞いているのか、心配になりました。

 最後に、是枝氏の受賞を報道した、朝鮮中央日報の記事を、紹介いたします。6月19日のブログでも引用しましたが、不勉強な氏のため、再度転記することとしました。

 「是枝監督は、安倍政権が進めた、安保関連法反対集会に参加し、」「放送に対する政府と、与党の圧力を懸念する発言をするなど、」「公然と、安倍政権に対する反対の意思を、明らかにしてきた。」「このため安倍政権の、受賞に関する「沈黙」に対して、野党・立憲民主党の、」「神本美恵子参院議員は、安倍首相が好む人だけを祝っている、と批判した。」

 神本氏が国会で、林文科大臣にこの件で質問し、大臣が是枝氏に祝意を伝えると答弁したのですが、間髪を入れず、新聞記事になるなど、おかしな話ではありませんか。是枝氏や神本氏は、韓国最大の新聞と、こんなに親密な関係にあります。日本を攻撃してやまない、反日の新聞と深い関係にある彼らを私が不快に思い、反日と呼んで、どこがおかしいのでしょう。これは、偏見でなく、単なる事実であるに過ぎません。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おおきなわ

2018-07-18 12:13:45 | 徒然の記

 我那覇真子さんの、「おおきなわ」の動画を、時々観ています。

  「一つのことを追求していくと、必ず普遍のものに行き当たる。」

  昔学校で、そんなことを教わった記憶があります。絵でも音楽でも、あるいは、そんな芸術の世界だけでなく、ろくろを回し、食器を作っている職人だとしましても、一生をかけ、ひたむきに仕事をやっている人間は、たいてい自分の考えを持っています。しかも、その考えが、世間の誰をも納得させる道理を、有しています。別の言葉で言いますと、「一芸に通ずるものは、百芸に通ず。」でしょうか。

 我那覇さんの「おおきなわ」の動画を観るたび、私はそれを感じさせられます。平成元年生まれの彼女は、今年満29才です。私の息子たちより、ずっと若いのですが、その姿勢には、敬服せずにおれないものがあります。何よりも、私を虜にするのは、彼女のひたむきさと、謙虚さと、朗らかさです。分からないことは、分からないと正直に言い、知った振りで、ごまかさない誠実さが、爽やかな沖縄の風のようです。

 5月4日の動画で、彼女が紹介していた、「尚友(しょうゆう)」という言葉を、今でも覚えています。

 「語るべき友だちがいないからと、悩むことはありません。」

 沖縄の訛りを残したイントネーションが、どことなくユーモラスなので、彼女は大真面目ですが、つい笑いを誘われます。

 「尚友という言葉が、あります。」

  笑顔で言われると、あまり友人のいない私は、もう今以上に、友達を必要としていないのですが、話に引き込まれてしまいます。

 「それは、昔の書を読んで、優れた古人を友とする、という意味です。」

 昔の書を読んで、優れた古人を友にしていれば、こんな素晴らしいことはありませんと、彼女が語ります。私の場合は、古い本を読んでも、優れた古人ばかりでなく、愚かな反日・左翼に出会ったりしますから、彼女の話と合致しませんが、それでも、敬意を払って聴きました。

 先日、私のブログに、次のようなコメントを、寄せてくださった方がいます。沖縄のことを書いたブログでしたが、我那覇さんのことは触れていないのに、この方は、我那覇さんについて、次のように、言われていました。

 「今、沖縄の新しい世代には、『我那覇真子』さんのような、素晴らしいかたもおられます。」「我那覇真子さんは、『ひめゆり部隊』の精神を、」「最も良く理解されてる方だと、思います。」「私は、こういうかたの顕現に、一縷の光明を感じずには、いられません。」

 池宮城氏に代表されるように、反日と左翼の島、沖縄に、彼女のような人物が現れたという事実は、確かに「一縷の光明」を感じさせられます。

  少し寄り道をいたしましたが、いよいよここからが、本日の主題です。

  「一つのことを追求していくと、必ず普遍のものに行き当たる。」・・この言葉です。彼女は遥かな沖縄の地にいるのに、千葉の私と同じ意見を掴んでいます。私は年75にして、やっと掴みましたが、彼女は29才にして、私の認識を手にしています。

 本日観た、5月15日づけの「おおきなわ」の、動画でした。彼女の言葉に、私はビックリいたしました。

 「敵は、左翼ではない。」「変えなければいけないのは、日本人の精神なのです。」「日本人精神の復活です。」

 敗戦後に、いくらマスコミが、反日の記事を書き続けたとしても、ずっとそれに影響されているのは、国民に原因があるのだと、彼女は言います。そして彼女は、吉田松陰の歌を紹介しました。

  備えとは 艦と砲との謂いならず

       わが敷島の大和魂

 軍備だけでなく、大切なのは、自分の国をまもるという、日本人の心だと、彼女が説明します。つまり、この動画は、日本のどこにいても、真面目に日本について考えるなら、誰もが同じ答えにぶつかる、という証明でもありました。

 さらに彼女は、笑顔で私たちに語りかけます。

 「私たちは、これから、新しい試みをします、」「それは、この赤い沖縄、反日・左翼の島と思われている、沖縄から、」「憲法改正の声を上げていくことです。」

 「いつか、それを要望書にして、東京の政府に、議員の先生に、」「官房長官、いえ、安倍総理に手渡したいと、思っています。」

 相談相手になっているのは、父親の隆裕氏や妹の舞輝さんであろうと想像しますが、南国の沖縄人らしい、楽天的思考に、思わず手を打ちたくなりました。

 「頑張れ、真子さん一家。」

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京大空襲 - 3 ( 著者早乙女氏も、朝日と同じ変節の反日 )

2018-07-17 13:58:08 | 徒然の記

   今では反日左翼の広報誌と成り果てた朝日新聞ですが、当時は、聖戦遂行の尖兵でした。その頃から捏造報道ばかりなら、以下の記事も信用できませんが、当時なら事実も混じっているはずです。昭和12年12月16日付けの、記事です。

 「輝く皇軍の南京入城式は、十七日午後から行われ、十八日には、我が殉忠烈士の慰霊祭が挙行されることに決定したが、栄えの日を前に、南京城内の敵兵掃討は十五日も行われた。」

 「 帝國領事館内に頑張る敵兵は、伊佐記隊が殲滅したのを始め随所で殲滅戦が展開され、南京城内にいたるところに銃砲声轟き、掃討を終わった地域内は、屋上高く日章旗ひるがえり、陸軍機の占領を祝福する低空乱舞と相まって、平和の色漸くみなぎっている。」 

 信じられませんが、これがその時の朝日新聞の記事です。

  「市内は前線から退却の、蒋介石股肱の精鋭第78,79両師団5万の兵が、過去三週間駐屯していたと言うだけあって、各民家、学校、教会は、ことごとく兵士の宿営にあてられ、家財、什器は散乱し、部屋々々には、藁をいっぱい持ち込んでいて、目も当てられぬ狼藉ぶりである。」

 「 敵兵は、城壁の防備戦破られたりとみるや、逸早く軍服を脱ぎ捨て、便衣を着し市民に化けたらしく 脱ぎ捨てた制服が屋内といはず、街路といはずいっぱい散乱し、拳銃までころがっている。」「敵の軍規の弛緩ぶりが、まざまざみえる。」

 「上海の戦い当時より、兵隊の素質が悪化したことは事実だが、」「首都南京の防衛に、蒋介石直系の精鋭を動員したと「わが将士は張り切っていたが、戦闘ぶりからみても、蒋介石の直系の精鋭もほとんど影を没していることが、これによって分かった。」 

 「便衣服に着換えて市中に潜伏する者が、2万5千名と推定されているので、我が軍は清掃に努力し、一方、敗残兵の嫌疑あるものを見つけ次第、一カ所に抑留して取り調べ、老幼婦女は保護を加えている。」 

 よく読んでください、これが朝日新聞の記事でした。

  「外国権益に対しては、特別に保護を加えるとともに、皇軍の軍規厳正さを外国人に示すのはこの時と、将兵一同、市内では一物も手にかけず、古珍宝も手にかけず保存につとめ、倉庫などにはいちいち歩哨を立て、在庫品の紛失を防止している。」

 「中を調べてみると、すでに支那兵のために略奪されて倉庫は空っぽとなり、歩哨を立てなくともよいといふ、ナンセンスさへあった。」

  「敵兵の宿営に荒らされた民家を見ると、鶏、豚を殺したまま、肉を火にかけたまま、あわてて逃走した光景が無数に見られている。」「また故宮飛行場には真新しい大型機2機、戦闘機2機が置かれてあり、敵空軍の狼狽は明瞭で、これらの飛行機はいずれも冨士井部隊によって捕獲された。」

  この記事のどこから、南京市民30万人の虐殺が読み取れるのでしょうか。自社で書いた記事なのに日本の名誉のため、一言も米国へ抗議しない朝日新聞は、腐れマスコミの筆頭ですが、著者早乙女氏もよく似た反日作家です。

 これだけの事実を掴みながら、彼らは米国に何も言わず、日本政府への批判に終始しています。

 この事実を知らなければ、国民はいつまでも反日左翼に回されます。彼らが汚した日本の過去を、取り戻す必要があります。保守の人間が言うような、美しいばかりの祖国でないとしても、あるがままの過去を取り戻すことが、国民の務めではないでしょうか。

 朝日新聞と早乙女氏は、日本をダメにする反日外国勢力の手先です。結論が出ましたので、書評を終わります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする