澤地久枝氏著『一九四五年の少女 ( 私の昭和 ) 』( 昭和64年刊 文芸春秋社) を読了。後味の悪い本だった。
現在の「反戦平和」「護憲」「反政府」「反日」の、萌芽となる本だ。著者については名前を聞いた気がするが、ほとんど知らない。『婦人公論』、『暮らしの手帳』、『朝日ジャーナル』、『文芸春秋』などに、作品の殆どを発表していると言う。なんとなく左翼系の作家かと推測する。
しかし左翼主義者とは言い切れない部分があり、私を悩ませる。児童文学者佐野美津男氏が、彼女の言葉を紹介している。
・あの戦争、わたしの家族4人が死んだ戦争は、仕掛けられたものでなくて仕掛けたものであり、私の親も兄弟も、そして私自身も、戦争には賛成であった。
・日本人はすべて、戦争の加害者だった。だからわたしは、日本という言葉さえ嫌いなのだが、日本は国民こぞって戦争を始め、多くの国で多くの人々を殺したのである。
・原爆だの空襲だの戦死だのといっても、その全てを数えても、日本人の死者よりも、日本人によって殺された死者の方が圧倒的に多いのだ。そういう事実を忘れてはならない。
・日本人が仕掛けた戦争によって殺された人々のことを考えるならば、こちらの死者のことなどは、ひっそりと悲しむぐらいしか許されないのではないかと、私は死んだ家族のことを偲びながらもそう思うのである。
・ましてや、自分も戦災孤児として苦労したから戦争の犠牲者だというふうには、思うことさえ失礼であろう。
と、これが澤地氏の立脚点だ。まさしく、自虐史観そのものである。澤地氏も佐野氏も、戦時中はひたすら神国日本を信じ、勝利のために日々を捧げた軍国少女・軍国少年だった。
敗戦国日本が彼らの目の前で連合国によって裁かれ、「聖戦」が「侵略」となり、「皇軍」が「残虐な軍隊」へと変貌した。
マッカーサーの手で天皇の神聖なベールが外され、国政を担った政治家と軍人が裁かれ、元首相が自殺し将軍たちが切腹した。大人たちにも天地が逆さまになるような変動であり、価値観の崩壊だったと、当時の書物を読むと述懐している。だから、澤地氏が自己嫌悪に陥り反省するのは無理もない。
「愚かな女学生だった私。私はつまり鸚鵡だったのです。いい大人たちが、給料をもらう代償として、大真面目に説いた「必勝の信念」とその裏づけを、私は素直に受け入れ信じていたわけです。」
彼女は日本の政府そのものが信じられなくなり、自虐の「反戦・平和の士」として歩き出す。
「ミズーリー号の上で、降伏文書への調印がなされた半月後、なめらかに占領軍を受け入れ、民主主義を受け入れて戦後政治が始まるのです。」
「戦争責任も問わず、戦争の意味も考えず、民主主義がいかなるものであるかを学びもせず、戦争は過去になり、戦後が始まったのです。」
この当りの記述から、私は氏の思考に疑問を抱く。一時は激して政府や指導者に八つ当たりしても、彼女のように聡明な人物が、なぜ複眼的思考を放棄したのか。
敗戦国として占領軍に支配され、目前には飢えと欠乏に苦しむ国民がいる。だから国民の生活を先ず再建しようと、戦争の反省を後回しにした。当時の指導者たちが、どのような思いでマッカーサーの命令に屈していたか。「日本軍残虐説」を世界に広めた極東裁判の実態は、勝者による敗者への報復裁判だったが、日本への非難攻撃を甘受するしか出来なかった当時の状況がある。
氏は「すべては日本が仕掛けた戦争」と断定するが、今日ではソ連による謀略という説や、アメリカが故意に戦争へ突入させたのだと、新たな事実も出てきている。
自分で確かめたことしか書かないという真面目さは評価するが、GHQの日本支配の実情などが、明らかになっているのに目を向けず、更なる極論に踏み込んでいく。
「陸軍中将武藤が問われるべき戦争責任は、ある時期のある部分であって、全体ではない。」
「A級戦犯のいずれもまた同様で、責任を負うべき程度に差があるだけであり、昭和の戦争の全期間を通じて、国策決定の一つのポストにいた人物は、天皇以外にない。」
「その責任を問わなくては、戦争責任の総体を問うことはできない。」
氏のような意見が世間に流布し、左翼の反日・売国の政治家や運動家たちに利用されるようになったのかと、経緯の一端が理解できた。
「私は昭和という時代の戦争が、どんなにも人間を苦しめ、どんなにもむごい人生を人々に強いたか、命のある限り訪ねて書き記したい。無名の、忘れられていく人々の、悲しみと苦しみを書き残したい。」
こうして彼女が訪ねる相手は、戦争への悲しみと憎しみとを語る人々に限定されていく。敵国だったアメリカとソ連にも足を伸ばし、そこで彼女は、日本の極悪非道な戦争を謝るのであるが、こうなると私は彼女という人間そのものが情けなくなってくる。
日本はいつまでも近隣諸国に謝り続けなくてはなりませんと、外務省の小和田次官が言ったけれど、彼女もまた救いのない歴史観を持つ愚か者だった。私はここに、氏の人間としての限界を見る。
古来、歴史とはどういうものであったか。戦争はどのようにして始まり、終わったのか。たかだか昭和の戦争の一部を見たからといって、それで国際社会の数世紀の歴史が語れるのだろうか。
植民地戦争を始めた西欧諸国は、南米でアジアでアフリカで、土着の人々を殺戮し奴隷として使役し、100年も200年もの間征服した国々に君臨した。スペインやポルトガル、あるいはイギリスやフランスやオランダが、自国の虐殺や蛮行を一度でも謝っただろうか。彼らは過去を恥じるどころか、征服者としての誇りで胸を張ってさえいる。
未来永劫、日本人が卑屈に身をかがめてしか生きられないような歴史観を持つ妥当性が、どこにあるのか。日本人の祖先と未来の子孫の全てを否定するような史観の、どこに真っ当さがあるのか。
氏の生真面目さに敬意を表し最後まで読んだが、右から左へと振り子のように振れた氏の生き方には、賛成できない。私から見れば、日本以外の諸国が正しいと言い、日本を不当に貶める氏の意見はGHQの意向に添ったものであり、占領政策が残した「自虐史観」と切り捨てる価値しかない。
昭和5年生まれの氏がまだ存命なのかどうか、調べる気にもなれない。残念ながら氏もわが国における「獅子身中の虫」の一人で、この本も、「有価物ゴミ回収」の日に出すこととする。
追 記 :
中国の天安門事件に関し、氏は中国共産党と政府を激しく糾弾し、こんなものが共産主義というのなら自分は認めないと書き記している。日本の左巻きの共産主義者たちが、卑怯にも無言でいることと比較し、これだけは氏のため追記しておきたい。