ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

カンボジア戦記 ( 国際ジャーナリスト 冨山泰氏 )

2013-12-22 21:16:29 | 徒然の記

 冨山泰氏著『カンボジア戦記』( 平成4年刊 中公新書 )、を読了。

 190頁足らずの本だったが、知識の空白を埋めてくれる本との出会いは素晴らしい。

 カンボジアは、隣国のタイとベトナムから、常に独立を脅かされ、時にはベトナム、時にはタイの支配に屈し、もっと以前はフランスの植民地だったという。

 カンボジア人が、タイよりベトナムへ激しい嫌悪感を抱くのは、ベトナムによる統治がそれほど過酷だったということらしい。

 加わる不幸は、昭和50年から3年余に及ぶ、ポル・ポト政権下での大虐殺だ。人口の3分の1に当たる、200万人の国民が殺された悲惨としか言えない出来事だ。女も子供も容赦なく、政府が自国民をむごたらしく処刑した、信じがたい事実だ。新聞で知っていたものの、狂気としか言えない殺戮がどうして行われたのか、氏の著作で理解した。

 かってカンボジアには、周辺国を睥睨する強大なクメール帝国の時代があった。その昔を誇りとする愛国者ポル・ポトは、外国勢力、特にベトナムへ敵対心と猜疑心を燃やす、極左共産主義者でもあった。

 政権を取った彼は、自国の独立を守るため、ベトナムの影響を受けた人間を排斥し、追放し、それでも足りず、ついには全て抹殺という事態に至る。純粋で、激しい愛国心の、行き着く果ての行為だったということだ。

 日本でも左翼集団内で、異論を言う者の自己反省を促すため、「総括」と言って仲間を殺す事件があった。それを思えば、ポル・ポトの狂気も理解できる気がする。

 ベトナムに支援されたヘン・サムリン政権と、中国の後ろ盾を受けたポル・ポト派と、アメリカが肩入れするソン・サン派、そして王政の流れを継承するシアヌーク派がいて、カンボジアの政治は、利害の対立する集団のせめぎあいだった。

 自民党、民主党、みんなの党、維新の会などと乱立しても、カンボジアのように、殺し合いをしない日本の良さを教えられた。

 政治的、経済的、軍事的に、ベトナムを支援していたのはソ連である。米ソ中という大国の対立がそのまま持ち込まれた、ベトナムの困難な現実も氏の本で知った。

 シアヌーク殿下が、ヘン・サムリン政権のフン・セン首相に語った次の言葉に、私は国難続きのカンボジアを教えられ、国際社会に生きる厳しさを知った。

 「あなたと私が中国、ソ連、ベトナムに対し、仲違いを止めるよう謙虚に求めることが必要だ。これらの国が、友好を回復しなければ、われわれの悲劇は終わらない。」

 「カンボジアの平和や、国家の生存が保証されるのは、われわれが、共通の合意の上で、中国、ソ連、アメリカ、ベトナム、タイと、同時に良い友人になることを選択する時だ。」

 戦後日本の置かれた状況について、このようにして赤裸に語った政治家が、果たしていたのか。国民に語ったマスコミが、何社あったか。国民のための政治、国民の権利と、彼らは美しい言葉を言いながら、肝心のことはうやむやにしてきたのではなかったか。

 一国平和主義、平和憲法遵守、自衛権の放棄などを言う政治家やマスコミの、国際社会での常識はどうなっているだろう。沖縄同様、閉鎖された情報空間にいる戦後の日本人は、自分で努力して世界を知るしかないのだと、教えられた。

 知らないうちに私たちは、アメリカに従属し、中国に尖閣で翻弄され、韓国や北朝鮮に憎まれ短気を起こしかけているが、カンボジアの過酷さに比べれば、まだ失望するほどのものではない。

 大切なことは、

   1.  私たち国民が賢くなること。

   2.  選挙の一票で政治家を選ぶ権利を、正しく行使すること。

 間違っても、マスコミや政治家の甘言に騙されないことだ。美辞麗句の左翼だけでなく、言葉だけ立派な、小沢一郎氏のような政治家にも惑わされないことだ。

 そうすれば日本は、再び世界に貢献できる国になれると勇気が湧いて来た。冨山氏について詳しいことは知らないが、こんな気持ちで一日が終われるのだから、感謝せずにおれない。

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覇道の政治から王道の政治へ ( 小沢一郎氏の講演 )

2013-12-20 23:00:31 | 徒然の記

 小沢一郎氏が、早稲田大学で講演した。

 偶然動画を目にし、少し長いと思ったが一時間三十分見ることにした。早稲田は母校だが、学生のレベルも落ちたものだ。話の粗末さを冷笑するかと思ったのに、なんと拍手をしていた。安倍総理への批判が冒頭にあり、憲法改正、秘密保護法制定、TPP参加と、お決まりの反対論だった。

 安倍政権には危ういものがあり、危惧せずにおれないと語り、二言目には、日本人は自分で判断ができず、自立心がないという自説を展開した。

 「日本以外の他国では、人間は生きるか死ぬかで常に周りと闘っており、キチンと自己主張出来ない者は、相手にされない。日本人は国際社会で、他国の人間と対等に話ができない。」

 それなら反対ばかりで、肝心の時自分の意見を曖昧にする小沢氏は、何人なんだ、日本人でないのか。学生たちはこんな話に耳を傾け、手を叩くのかと情けなくなった。

 講演の後の質問にしても、小沢氏へのへつらいばかりだった。最後の質問者が、「民主党はなぜ大敗したのか、小沢氏の考えを聞きたい」発言した。

 「それは、マニュフェストを守らなかったからだ。」

「官僚主導から政治主導へという大目標、つまり中央集中の権力を、地方へ大胆に移すという国民への約束。」「いつの間にかこの初心を忘れ、結局は官僚にオンブにダッコの政治となり、国民に見放された。」

 こんな分析をしているから、民主党が見捨てられたのだ。自分の国を愛さず、国民を軽蔑し、中国や韓国に熱を入れる、氏のような反日政治家の跋扈に、国民が我慢できなくなった。原因はここなのに、相変わらず分かっておらず、分かろうともしていない。

 国を愛さない政治家の話を聞きながら、疑問も抱かず、反論もしない学生たちも、どんな勉強をしているのだろう。

 国の将来に関心があれば、政権の中枢で氏が何をしていたのかを、知っているはずだ。評論家のように、他人ごとみたいに、民主党を批判する姿勢の間違いは、すぐに分かるはずだろうに。

 「覇道の政治から王道の政治へ」という講演のタイトルは、安倍氏への批判だろうが、今の日本でこんな話を誰が本気で聞くというのか。これまでの経歴を見れば、覇道の政治をして来たのは小沢氏自身だが、黙って聞いている学生たちの愚かさは、自分の過去を見ている気もした。

 千葉の片隅でためらいつつ綴る「みみずの戯言」に比べたら、「小沢氏の戯言」のなんという大胆不敵さか。

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冬の庭仕事 ( 春の芽吹きを楽しみに )

2013-12-18 19:33:45 | 徒然の記

 三週間くらい前から気にかかっていた柵の修理を、やっと終えた。

 庭の周囲を手作りの柵で囲い、ちょっと気取って白いペンキを塗り、家内と二人で汗を流し始めたのは、去年の春からだったろうか。一度にやる元気はもちろん無く、先立つ金もないから、ちびりちびりとホームセンターで、材料 ( 板と棒杭とペンキなど ) を買い揃えた。

 いつものことながら、せっかちな私は家内と口喧嘩をしながら、あるいは妙に労りながら、今年いっぱいかけて作業を完了した。

 世間には日曜大工の得意な男がいて、職人も顔負けの仕事をするが、私は元来こうした手仕事が大嫌いだ。学校にいる時も、工作の時間が苦になっていたし、碌な物が作れなかった。何度も家内にせっつかれなかったら、庭に柵を作ることなど思いつきもしない。凄い凄いとおだてられ、いやいやながらにやったのだが、柵が出来上がると感慨無量だった。

 やればできるんだと、少年のように心が躍った。だからと言って、これからもドンドンやるという気には、やはりなれなかった。要するに、その時限りの打ち上げ花火みたいな感動という、いつもの奴だ。

 その柵の一部が秋の台風で壊れてしまった。最後に作った比較的新しい部分が、どうして呆気なく飛ばされたのかと、己の腕の無さを嘆きつつ原因を調査した。タップリ防腐剤を塗ったのに、なんと、土中の棒杭がボロボロに腐食していた。柵に絡めている、マダムハーディーという名のバラは、葉を落とし、枝が枯れているように見えるが、春になると丸くて白い花を沢山咲かせる。

 寸法を測ったり、のこぎりで板を正確に切ったり、まっすぐに釘を打ったりと、几帳面なことは苦手でも、花木の世話は好きなのだ。穴を掘ったり土を入れたりするのは、二三センチずれても何てことは無いから、不器用な私にはうってつけの作業だ。

 と、話が横道にそれたが、マダムハーディーを春に咲かせるため、不得手な柵の修理をなんとかやり終えたと、これが書きたかったのだ。

 思えば今年は、よく働いた。鉢のオリーブと枇杷を地植えに替え、枯れてしまった蔓ウメモドキを引っこ抜き、ここにコーネリア ( バラ ) を移動させた。大きな穴を三つ掘り、地面の粘土は袋に回収し、代わりに土をしこたま入れ、年に似合わぬ重労働をやった。汗が流れ息が切れ、手や足が痛んでも、すべてが喜びと変じ、楽しみに昇華する。

 残る仕事は、買ってきた新しい土に、腐葉土と牛糞を混ぜ、庭に入れる作業だ。これをやると、間違いなく春に花木が再生する。これが庭仕事の醍醐味だ。政治について考えたり、マスコミの偏向を嘆いたり怒ったり、そんなことに比べたら何倍も健康的だ。庭の土が再生したら、中にいるミミズも元気になる。そうしたら、来年もまた元気に「ミミズの戯言」が書けるという空想につながる。

  来年のことを話すと鬼が笑うというが、笑わば笑え鬼どもよ。

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ベトナム戦争のこと ( 古森義久・特派員 )

2013-12-15 22:16:54 | 徒然の記

 古森義久氏著『ベトナム報道1300日』 (  昭和60年刊 講談社文庫  )を読み終えた。

 毎日新聞特派員として、今は無き国「南ベトナム」の首都サイゴンが陥落する状況を綴った本だ。昨年、ジョン・ロドリックが書いた『中国史の目撃者』を読んだことを思い出す。古森氏の著作は南ベトナム政権の崩壊、ロドリックの本は、中国共産党が政権を取るまでと、いずれも歴史の重大事の記録だ。

 命の危険を顧みず、体を張って書かれた著作を批評するのは憚られるが、中身はロドリックに及ばない軽さだった。二三行飛ばしで読んでも、内容が把握できるのだ。整理しないまま言葉が沢山使われているのか、観察対象が的確に捉えられていないか、いずれかであるような気がする。

 砲弾が炸裂し、周囲の者が逃げ惑っている最中にいれば、古森氏ほどの落ち着きも度胸も、自分にないのは自明のことだが、同じ特派員といっても、やはり一流と二流があるのだろうか。古森氏の著作は、長さにおいてロドリックに劣らないと、残念ながらこれが誉め言葉だ。

 それでも、貴重な事実を氏から教えてもらった。北ベトナム軍によってサイゴンが陥落させられた時、つまり民族の統一を共産政権が実現した時、昭和50年の日本の新聞は、ベトナムの全国民が歓喜したような口調で報道していた。だが事実はそうでなかった。南ベトナムの住民の多くは、共産主義政権の強圧と強権を嫌い、それに比べれば、腐敗したチュー政権の方が増しだったと、内心では考えていたということだ。

 生きるためには、嫌々ながらでも北の政治家に従うしかないと、口を閉ざし、心を閉ざしている庶民のことを、氏の本で知り、そういうことだったのかと納得した。だから私も、共産主義政党を嫌悪し、より増しな自民党に投票する。ベトナムの共産主義者は愛国心をもっているが、日本の野党政治家は愛国心を持たないので、もっと始末が悪い。自分の国も歴史も愛さず、憎しみしか抱けない政党の恐ろしさを、古森氏から教わった。

 民主党や共産党など、左翼政党に賛同する人びとは、古森氏の本を読み・考え直してはどうなのだろう。今日は12月15日、冷え込みの厳しい夜だ。寒々とした部屋で、寒々とした物思いに耽る侘しさ。

 こんな日もあるのだ、人生には。

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毎日新聞 投書2件 ( 反日新聞が育てた若者たち )

2013-12-07 12:32:30 | 徒然の記

 特定秘密保護法案が参議院を通過し、この法は成立した。

 民主主義が踏みにじられ国民の声が無視されたと、大きな活字が踊る12月7日の新聞が掲載した、2件の投書に注目した。大騒ぎしているけれど、法を政府に作らせたのは他でもない、自分たち大人でないかと憤る18才の若者の意見だ。今ひとつは、憲法が改正され自衛隊が国軍となり、徴兵という言葉が出るようになったら、国を捨てて外国へ行くと言う高校生の息子に反論できず、嘆いている60代の母親の意見だった。

 いずれも法案成立に反対する読者の意見として、毎日新聞が選んだものだ。振り返ってみると、朝日新聞しか読んでいなかった18才の頃、高校生だった私は投書に登場する若者と同じ意見を持っていた。だから彼らを笑えないし、非難する気持ちにもなれない。

 私はこの二人の若者に、次のように言葉をかけたい。

 〈 法案を成立させた大人に怒る若者へ 〉

 「自民党を巨大与党にした人間には、良識がないと決めつけるのも、若さの特権でしょう。そしてこれからが出発です。他人の良識を非難するだけでなく、自分の良識もどうなっているのか。」

 「日本で言われている良識とは、何なのか。国民の多数が自民党を支持した原因は、どこからきているのか。新聞の記事からの知識だけでなく、時間をかけ、右と左の議論を自分で検証してはどうでしょう。」

 「そこから導き出されるものがあるとしたら、それが貴方の良識です。導き出されるものがないとしたら、貴方は単なる愚か者です。」

 〈 国を捨てるという高校生へ 〉

 「一度そうしてみるのも良いでしょう。日本を捨て、見知らぬ外国へ行き、そこで生きてみたら、新しい発見があることでしょう。」「世界の人々が自分の国についてどう考えているのか、軍隊がどのように位置づけられているか。自分の体で知ることでしょう。」

 「しかし一度国を捨てたら、二度と戻れないのだから、後悔しないように覚悟も要ります。」


 「投書した二人とも、反日新聞が意見を取り上げたからと言って、誰もが自分に賛成してくれていると誤解してはいけません。戦後の日本でいかにマスコミが国民の心を歪めて来たか、そっちの方にも気づいて欲しいものです。」

 本日は、悲しみと共に述べる「みみずの戯言」。

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毎日新聞 11月15日の社説 ( 反日左翼の二元論 )

2013-12-04 21:56:04 | 徒然の記

 「民主国家の原理と矛盾」、毎日新聞の社説のタイトルだ。

 このところ、日々繰り返される「特定秘密保護法案」への反対論だ。朝日とNHKの反対報道は、もちろん毎日劣らない華やかさだ。その中で、とりわけ毎日の社説が素晴らしかった。格調が高く、きらめくような言葉が読者の心を捉える。

 「何が国益かを最終的に判断するのは、国民でなければならない。」「その自覚が、為政者や官僚組織にあるだろうか。」

 ここで毎日が言う国民とは、いったい誰なのか。能天気な国民もいれば、真剣な堅物もいる。善人から悪人、極端な左翼から頑迷な右翼まで千差万別だ。こんなまとまりのない、人間集団である国民一般を、どのようにして捉えるのか。北海道から沖縄まで1億2千万人の国民を、毎日新聞社は、どうやって把握したのか。

 一見高尚なマスコミの意見は、たいてい現実みのない空論が多い。だから民主主義の国では、国民が選ぶ議員が民意を代弁する方法がとられている。多数の国民が自民党を選び、安倍総理に願いを託しているから、今の政権がある。これが議会制民主主義の基本だ。

 少数者の意見を代弁する政党が、まるで国民の多数の代表であるかのような報道をするのなら、マスメディアは偏向しているか、情報操作をしているかだ。年中そんな報道をするのなら、彼らは、議会制民主主義を否定していることになる。

 これでは、まるで現在の沖縄と同じだ。反日の琉球新報と沖縄タイムズが、少数意見を針小棒大にふくらませ、住民に偏向記事を読ませている。青い美しい海の広がる沖縄は、歌と踊りの観光の島だが、戦後は別の顔を持っている。

 「反基地闘争」「反米反政府運動」の島となり、本土から移住して来た元過激派左翼活動家たちが集まっている。今では、元々の沖縄住民と同じくらいの活動家たちが、移り住んでいる。

 沖縄に深入りせず、毎日新聞の社説に戻る。

 「何が国益かを最終的に判断するのは、国民でなければならない。その自覚が、為政者や官僚組織にあるだろうか。」

 反日左翼の活動家が多い沖縄なら、賛成する声が大きくなる。反日左翼の彼らは、常に「二元論」だ。ここで言えば、「国民」と「為政者・官僚組織」の二つだ。本来は対立していないものを二つに分け、どちらを選ぶのかと彼らは迫る。

 国益を判断するのは、国民だけでもなく、為政者と官僚だけでもない。国民と政治家と官僚は、それぞれが役割分担して国を作っている。「政府と国民」、「国家と国民」、「企業家と国民」と言う具合に、協力関係にあるものを分断するのが左翼思考の特徴だ。

 特定機密保護法に関する考え方も、反日の毎日新聞は「国民」と「政府」を対立者として説明する。「政府」が強権で「国民」を支配し弾圧するのは、社会主義国の話だ。日本をそんな全体主義国家と同一視する彼らの意見が、なぜ政府に是認されているのか。

 私たちは、むしろこの事実の方に目を向けるべきだ。矛盾しているのは日本でなく、毎日の社説である。

 昨日と同様、今晩の私が言うことも「みみずの戯言」ではありません。一寸の虫にも五分の魂、「みみずの本気」とでも言うべきでしょうか。毎日新聞より、ずっと真面目な「みみず」です。

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沖縄は日本の縮図 ( 反日左翼の跋扈する島 )

2013-12-03 17:06:29 | 徒然の記

 「戦争反対と平和」、「人権尊重と軍国主義反対」を叫び、何が何でも、政府と国は悪と決めつける左翼の人間たちがいる。

 国の庇護を受け、国に守られながら、日本のため知恵を絞るのでなく、攻撃と反対と誹謗しかできない左の人々がいる。戦後の日本では、この人びとの声を偏向マスコミがトップ記事で扱い、「戦争反対と平和」は、あたかも彼らの専売特許のような風潮が作られてしまった。

 「国民の知る権利が第一」と、立派なことを言いながら、マスコミは専ら、自分に都合の良いことだけ報道し、国民は知らないままその流れに乗って来た。

 しかし中国と韓国の無理難題を目の当たりにし、協力してきたはずなのに、何故いつまでも憎まれるのかと驚かされた時から、敵対国に同調する政治家やマスコミに不信感が芽生えた。

 反日左翼民主党との決別、安倍自民党への回帰と、おそらく私たち国民は、戦後初めての自主的選択と決断をしたと考える。

 その経緯は何度も書いたので繰り返さないが、ネットの情報で見る沖縄の現状は、まさに日本の縮図である。

 地縁、血縁、親類縁者という人間の絆の中で、私たち同様、沖縄の人々も生きて来た。彼らが本土と呼ぶ四つの島より、もっと狭い土地での暮らしには、もっと密度の濃い人間関係があるはずだ。

 琉球新報と沖縄タイムズが、これまでいかに偏った記事を住民に提供して来たか、沖縄のマスコミが極端な親中・親韓であり、反日であることは正常なのか。このまま看過していて良いのか。

 他県から移住し、汚い言葉で叫んでいる活動家たちを、黙って見過ごしていいのか。基地反対、反米と騒ぐが彼らは、沖縄住民の暮らしについて、本当に考えているのか。

 島袋氏と末松氏は、どちらが信念の政治家なのか。末松氏に未練を残す自民党は、沖縄住民の思いを汲み取っているのか。

 安倍自民党と自民党県連の関係、野党と沖教組のつながり、親中・親韓派の人びとの過激さ、マスコミの報道ぶりなど、沖縄の人びとはまさに歴史の転換点にいる。私たちにとって沖縄は、遠く離れた無縁な土地でなく、目を離せない自分たちの国である。

 沖縄の人びとの重い口を開かせ、心の転換を促している一つの要因は、間違いなく「チャンネル桜」のネット報道である。

 沖縄の強固な壁に、「チャンネル桜」が蟻の一穴を空けたと私が言うのは、「みみずの戯言」ではない。沖縄が変われば、きっと日本が変わると、これも「みみずの戯言」ではない気がする。

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チャンネル桜の功績 ( サポーター登録 )

2013-12-01 22:06:22 | 徒然の記

 昨年の11月に仕事を辞め、完全な年金生活に入った。

 バソコンに向かう時間が増え、YOU-TUBEやニコニコ動画を知ったの。中でもチャンネル桜は、私の心を奪う新しいメディアだった。

 日本が一番という強引さや、天皇陛下への崇拝など、自分の思いと少し異なる部分があるとしても、日本の中にある反日売国の組織や、人間の存在を教えててもらったことには感謝がある。

 この番組は、私の長年の疑問に光を当て、歴史や政治を考える基礎知識を授けてくれた。この歳になって初めて得た知識、と言っても過言でない。日本のマスコミや教育界や、政党や政治家について疑問や反発を覚えながら、どうにも出来ないものと放置してきた愚かさを、チャンネル桜が指摘しくれた。

 ブログを読み返してみると、影響の大きさが分かる。信念の乏しい私は、大きな影響というより、むしろ洗脳という表現の方が正しいのかも知れない。

 それを自覚をしながらも、チャンネル桜には敬意と愛着が捨て切れない。このマイナーなネット情報が、巨大なマスコミを相手に、ひるむこと無く発信を続けていたという、素晴らしい発見をした。

 このささやかな発信が、いつから始められていたのか知らないが、日本の人びとに与えた影響は、大きかったに違いない。小さな発信でも、めげすに続ける忍耐力と勇気は、素晴らしいと言わずにおれない。

 水島社長に、ちょっと待ってくれと言いたい時があっても、あるいは、中身のないキャスターに幻滅させられることがあっても、現在の日本に、チャンネル桜があることの意義はそれを越える。頑張れと、声援を送らずにおれない。

 乏しい年金暮らしなので、二千人委員会には加われないが、年会費自由のサポーターなら、参加できそうなので、感謝の意を表すため本日入会した。自分の足跡として、ブログに残しておこう。

  朝日新聞の購読を止めたときの記録より、ずっと意義があると自分では思うが、果たして家内は、なんと評するのであろう。

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