冨山泰氏著『カンボジア戦記』( 平成4年刊 中公新書 )、を読了。
190頁足らずの本だったが、知識の空白を埋めてくれる本との出会いは素晴らしい。
カンボジアは、隣国のタイとベトナムから、常に独立を脅かされ、時にはベトナム、時にはタイの支配に屈し、もっと以前はフランスの植民地だったという。
カンボジア人が、タイよりベトナムへ激しい嫌悪感を抱くのは、ベトナムによる統治がそれほど過酷だったということらしい。
加わる不幸は、昭和50年から3年余に及ぶ、ポル・ポト政権下での大虐殺だ。人口の3分の1に当たる、200万人の国民が殺された悲惨としか言えない出来事だ。女も子供も容赦なく、政府が自国民をむごたらしく処刑した、信じがたい事実だ。新聞で知っていたものの、狂気としか言えない殺戮がどうして行われたのか、氏の著作で理解した。
かってカンボジアには、周辺国を睥睨する強大なクメール帝国の時代があった。その昔を誇りとする愛国者ポル・ポトは、外国勢力、特にベトナムへ敵対心と猜疑心を燃やす、極左共産主義者でもあった。
政権を取った彼は、自国の独立を守るため、ベトナムの影響を受けた人間を排斥し、追放し、それでも足りず、ついには全て抹殺という事態に至る。純粋で、激しい愛国心の、行き着く果ての行為だったということだ。
日本でも左翼集団内で、異論を言う者の自己反省を促すため、「総括」と言って仲間を殺す事件があった。それを思えば、ポル・ポトの狂気も理解できる気がする。
ベトナムに支援されたヘン・サムリン政権と、中国の後ろ盾を受けたポル・ポト派と、アメリカが肩入れするソン・サン派、そして王政の流れを継承するシアヌーク派がいて、カンボジアの政治は、利害の対立する集団のせめぎあいだった。
自民党、民主党、みんなの党、維新の会などと乱立しても、カンボジアのように、殺し合いをしない日本の良さを教えられた。
政治的、経済的、軍事的に、ベトナムを支援していたのはソ連である。米ソ中という大国の対立がそのまま持ち込まれた、ベトナムの困難な現実も氏の本で知った。
シアヌーク殿下が、ヘン・サムリン政権のフン・セン首相に語った次の言葉に、私は国難続きのカンボジアを教えられ、国際社会に生きる厳しさを知った。
「あなたと私が中国、ソ連、ベトナムに対し、仲違いを止めるよう謙虚に求めることが必要だ。これらの国が、友好を回復しなければ、われわれの悲劇は終わらない。」
「カンボジアの平和や、国家の生存が保証されるのは、われわれが、共通の合意の上で、中国、ソ連、アメリカ、ベトナム、タイと、同時に良い友人になることを選択する時だ。」
戦後日本の置かれた状況について、このようにして赤裸に語った政治家が、果たしていたのか。国民に語ったマスコミが、何社あったか。国民のための政治、国民の権利と、彼らは美しい言葉を言いながら、肝心のことはうやむやにしてきたのではなかったか。
一国平和主義、平和憲法遵守、自衛権の放棄などを言う政治家やマスコミの、国際社会での常識はどうなっているだろう。沖縄同様、閉鎖された情報空間にいる戦後の日本人は、自分で努力して世界を知るしかないのだと、教えられた。
知らないうちに私たちは、アメリカに従属し、中国に尖閣で翻弄され、韓国や北朝鮮に憎まれ短気を起こしかけているが、カンボジアの過酷さに比べれば、まだ失望するほどのものではない。
大切なことは、
1. 私たち国民が賢くなること。
2. 選挙の一票で政治家を選ぶ権利を、正しく行使すること。
間違っても、マスコミや政治家の甘言に騙されないことだ。美辞麗句の左翼だけでなく、言葉だけ立派な、小沢一郎氏のような政治家にも惑わされないことだ。
そうすれば日本は、再び世界に貢献できる国になれると勇気が湧いて来た。冨山氏について詳しいことは知らないが、こんな気持ちで一日が終われるのだから、感謝せずにおれない。