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日本の神々の謎 - 5 ( 精霊、祖霊、首長霊信仰の重なり )

2018-10-27 23:35:50 | 徒然の記

 本日は、武光氏の著作『日本の神々の謎』の書評の最終回です。

 あとがきの言葉を、そのまま紹介します。

 「『古事記』『日本書紀』に代表される、日本古代の文献には、多くの神々が登場する。そして彼らにまつわる、多様な物語が綴られていく。そういったものを読んでいくと、日本の神々の一柱、一柱が、極めて豊かな個性を持っていることに、気づく。」

 「彼らは、自然を支配する能力や、人々の及ばない力を、持っている。しかしどの神も、人間らしい優しさ、そしてそこからくる、弱さを持っている。」

 「亡くなった妻を訪ね、黄泉国 ( よみのくに ) に行った伊弉諾尊、 母の死をいたんで、泣き暮らした素戔嗚尊、弟の乱暴を笑って許した天照大神、彼らの行為は、私たちの日常生活の、ひとこまなのである。」

 「日本の神々を理解する手がかりは、二つある。一つは、穢れと祓いの考え方である。もう一つは、精霊信仰、祖霊信仰、首長霊信仰の重なりである。日本の神が治める世界に生きる人間の本性は、すべて善なるものである。」「それでも時には、罪を犯す人間や、周りに迷惑を及ぼす人間が、出てくる。」

 「しかしそれは、体が一時的に汚れるような、穢れにとりつかれた者にすぎない。誰でも非を悔いて、穢れを清める祓いをすれば許される。」

 「このような考えは、長い期間にわたって日本人の間に、受けつがれた。親鸞の悪人正機説は、仏典の読みからは出てこない。彼の説は穢れ祓いの説を、仏教用語で説明したものである。そうであるため浄土真宗は、日本古来の信仰の伝統を受け継いでいた民衆の間に普及した。」

 「精霊信仰とは、縄文時代の日本人の信仰である。すべての自然現象に、神の働きを感じ、精霊たちが人々の生活を支えるとする、考えだ。火の神や風の神を祭る習慣は、縄文時代からくるものである。」

 「祖霊信仰は、亡くなった人の魂はすべて、その子孫を守る神となり、厳しい自然の中でする稲作を助け、自然の恵みをもたらすという、考え方である。それは、弥生文化とともに、日本に持ち込まれた。」

 「家々で祖先を祭る習慣は、祖霊信仰に基づく。村の鎮守の社は、もとはそこの村の、すべての家の祖先たちをあわせて祭ったものである。」

 「大和朝廷が勢力を伸ばし始めた、4世紀の初めに、首長霊信仰がおこる。それは、日本を支配する天皇の祖先は、すべての国民を守る、優れた神であるとする考え方である。伊勢神宮の天照大神の祭りは、その信仰にもとづく。」

 「日本の神道は、精霊信仰、祖霊信仰、首長霊信仰が、混じり合ってつくられた。どの信仰においても神々は、人々を暖かく見守る父母のような存在だとされる。この点が、日本人が作った神々の、最大の特徴だと言える。」

 学問的に、氏の説がどのように評価されているのか、私は知りません。しかし、氏の説明は、心にそのまま届きます。毎日ご飯を炊きますが、自分たちが食べる前に、小さな食器に盛り、お茶を添えてお備えします。初物の果物や、頂き物の菓子などがあると、まずご先祖様に備えます。父や母がそうしていたので、私たち夫婦は、特に意識もせずやっています。

 ろうそくを灯し、手をあわせ、頭を垂れます。母と妻、三人の子供とその伴侶たち、孫の顔を一人ずつ思い浮かべながら、祈りの言葉は、いつも同じです。

 「ご先祖様、私の家族をお護り下さい。」「病気や怪我をしないように、死ぬときは苦しまず、コロリと死なせて下さい。」「生きている限りは健康であるよう、お願いいたします。」

 遠出をし、地方の神社や仏閣で手を合わせる時も、同じ言葉です。ついでに、毎日餌をもらいに来るのら猫のタビーについても、お願いしています。声に出して言いませんから、誰も、私がこんな祈りをしているとは知りません。いい加減な自分に相応しい、身勝手な祈りですが、私自身は真面目です。子供たちのため、こんなブログを続けるのも、日々の祈りのせいかもしれません。

 武光氏の説明を読み自分の信仰が、神話時代からの、由緒正しいものであることを確信しました。亡くなった父や叔父や叔母たちは、すでに神様の一員となり、現世の私たちを見守ってくれるご先祖様となっています。これが、祖霊信仰だったのです。

 世界の他の宗教と異なり、聖書も仏典も不要で、祈りの心だけが大切なのです。天皇家の祈りも、わが家の祈りも根底では同じです。わざわざ、「天照大神」と呼びかけませんが、「ご先祖様」という言葉の中に、すべての日本の神様が含まれています。

 ですから天皇は、国の中心ということになります。難しい理論でなく、もともと庶民の心情が、日本の神様と一体になっています。天皇は、生きてておられる限り、国民の敬愛の中心におられ、亡くなられたら、国民を見守るご先祖になられます。

 「今上陛下は、存在そのものが国民の敬愛の中心ですから、退位の必要はどこにもありませんでした。」

 「今後はなるべくなら、皇室の伝統をみだりに変更されず、125代目の天皇として、国民の幸せと安寧のためご先祖様の意を大切にされますよう、祈念いたします。」

 まとまりのない締めくくりとなりましたが、これが私の書評です。武光誠氏には、感謝します。有意義と言うより、有難い本でした。

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