ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

官僚国家の崩壊 - 2

2015-08-28 17:51:08 | 徒然の記

 すっかり涼しくなった秋の猫庭だ。一日でも怠ると、花木が元気を失うので、気の抜けない日々だったが、朝晩の水やりが楽になった。

 台風の余波なのだろうか、2、3日小雨模様の日が続く。こんな日は、机に向かって読書するのが一番だ。

 さて、昨日の続きだ。中川氏の意見にうなづけたのは、昨夜までだった。大東亜戦争に関する氏の主張からは、首をかしげてしまうものばかりだ。

 「日本が、日露戦争を勝利に導けたのは、明治維新という、五里霧中の中を、」「駆け抜けてきた政治家たちが、指導者だったからだ。」「対して先の大戦では、官僚化した軍部が、戦争を指導してしまった。」

 つまり、陸軍の独走も、官僚化した軍人たちの失敗からだと、どこまでも氏は官僚にこだわる。

 「沖縄のひめゆりの塔。この悲しい慰霊碑は、身内共同体の論理で、」「自滅に向けて暴走していった、旧日本軍に、誰も歯止めがかけられず、」「国民を破滅に至らしめたという、過去の過ちを、現在に伝える悔恨と、反省の碑である。」

 官僚を敵視する氏の立場に立てば、エリート軍人の官僚化が、日本の進路を誤らせたと、それなりに一貫した意見になる。軍部の独走が、誰にも止められなかったという批判に賛同するとしても、何もかも官僚化が原因だとするのは偏狭に過ぎる。

 強大な権力を振るい、強引に、尊大にことを進めたからと言っても、エリート軍人と現在の官僚は別種の人間である。一まとめにして攻撃するのは、どう見ても乱暴な話だ。

 氏の大東亜戦争への理解は、官僚化し、大局を見失ったエリート軍人の失敗にある、というものだ。一部の日本人を悪者にし、国民がすべて犠牲者だったという考え方は、戦後の日本を支配している、歪な歴史観だ。

 軍人だけに罪と責任を押し付け、自分たちは犠牲者だったと、そんな歴史観はいったいどこから来たのか。国のために戦った人々を貶め、敬意も払わない、無慈悲な見方はどこから来たのだろう。

 連合国による東京裁判と、共産主義国家による日本非難と、国内で迎合した人道主義者や、マルクス主義者たちから始まったと、私は理解している。

 同じ年に生まれ、同じ空気を吸って生きてきたが、私は中川氏と戦争観において決別したい。美しい心をはぐくむ、「美しい国」を作るのだと、氏は力説するが、国を大切にする心が、微塵も見られない彼を発見した。

 「地方分権」、「道州制導入」、「終身雇用否定」、「回転ドア方式の官僚機構」、「移民国家への転身」、「官業から民業への転換」、「霞が関主導から政治主導へ」

 等々、氏が政策として掲げているものは、すべて、中央集権的、官僚機構の否定から出発している。手本にしているのは、どうもアメリカのようであり、独立性の高い州のあり方に魅せられているらしい。

 「回転ドア方式の官僚機構」というのが、まさに米国方式で、政権党が変わると、新政府は、政治家共々、役人たちも一変する。政治家は、ブレーンと称する専門家の一群を引き連れ、自分たちの政治をする。

 氏の「終身雇用否定」は、この「回転ドア方式の官僚機構」と、一対になっている。一つの組織に束縛されず、能力とやる気のあるエリートたちは、回転ドアーを出入りする人間のように、民間へ戻ったり、政府のブレーンとして働いたりするからだ。

 あの傲慢な、竹中平蔵氏の考えと同じだが、何ということはない。中川氏は、氏と一緒に、政府の仕事を長くやり、強い影響を受けている政治家だった。なんであれ、自由競争だと、強いものだけが勝ち抜いていく、世知辛い社会を、竹中氏は高く評価している。


 氏の薫陶を受けているのかどうか、定かでないが、唖然とする亡国の主張からすると、うなづけるものがある。長くなっても以下に引用する。 

 「日本には、高等教育インフラや、職業教育インフラがある。」「だが、少子化でこのインフラが、十分に活用できなくなる恐れがある。」「地域の幼稚園や、小学校が消えていくのと同じ現象が、高等教育でも起きると予想されるのだ。」

「必要でなくなる高等教育の場を、 育成型移民受け入れインフラ として、」「新たな役割を与え、100万人規模の、外国人留学生を受け入れてはどうか。」

 「米国が少子高齢化しても、人口減少に転じないのは、移民によるところが大きい。」「40年後の日本は、人口が3,800万人まで減少すると、予測されている。」「そのときまでに、1,000万人の移民を受け入れよう。」「育成型移民国家への転換は、今が決断の時である。」

 国を大切にする政治家なら、とうてい思いつかない愚論だ。人口の4分の1を移民にしたら、その時の日本はいったいどうなっているのか。

 ヨーロッパでもアメリカでも、移民による、深刻な問題に直面している。宗教問題だけでなく、人種差別、言語問題などもある。移民たちが固まって居住し、治外法権の地域を作り、国内にありながら、独立国のような無法の場所が出現している。

 日本への移民で、一番可能性があるのは、隣国の中国と、韓国だと言われている。激しい反日教育を受けた彼らが、移住してきたら、1000万人どころの話ではない。10年もしたら、億単位の彼らが居住する羽目になり、日本の国は消えてしまう。

 ひところ政府で、「1000万人移民計画」などが言われていたが、発信源が氏であったと知る驚きと怒りだ。

 すべてが、美しい日本を作るためだと説明し、国を発展させるためには、沢山の工夫をし、知恵を働かせなくてはならないと、寝言を並べる。

 日本の破壊と、消滅を目指している彼が、己の尊敬する人物として、坂本龍馬、上杉鷹山、二宮尊徳を挙げ、道徳教育の大切さを語る。こうなると彼はもう、支離滅裂な狂人であるとしか思えない。

 傲慢で尊大な、中華思想の中国人や、小中華思想の韓国人が、日本の何を認めるというのか。紅衛兵どもがやったように、移民の彼らが数に任せ、伝統も文化も文明も破壊し、日本のかけらもなくするに決まっている。

 議員生活を出発させたのは、河野洋平氏の新自由クラブだったと、氏が経歴に書いていた意味が、やっと分かった。

 彼は河野洋平氏に師事し、恩義を感じ、尊敬している。村山総理が、愚かしい「談話」を発表した時の、首相補佐官が彼だった。洋平氏の「慰安婦談話」にも、きっと一役買っているはずだ。ステルス戦闘機の官僚どころの話ではない。彼こそが、日本にとって、「獅子身中の虫・駆除すべき害虫」の筆頭にいたのだ。

 私にとって、これまで一番汚らわしい本は、本多勝一の「中国の旅」だったが、中川氏の著作は、これに劣らない厭わしさだ。「官僚国家の崩壊」などと、本の題名まで大ウソのまやかしでないか。「日本国の崩壊」・・、こういう表題が相応しい。

 読後の本は、腐った野菜くずや残飯と一緒に、ゴミステーションに投げ捨てるしかない。

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官僚国家の崩壊 - 1

2015-08-27 18:31:22 | 徒然の記

 中川秀直氏著「官僚国家の崩壊」(平成20年刊 講談社)、を読み終えた。

 氏は、昭和19年に東京で生まれ、慶應大学卒業後に新聞記者となり、河野洋平氏が立ち上げた新自由クラブから議員生活をスタートさせた。平成24年に引退しているが、村山、橋本、森、小泉、安倍、福田と夫々の内閣で要職を務めている。氏は根っからの官僚嫌いで、その指摘にはうなづけるものがある。 アイゼンハワー大統領の、「別れ演説」を引用しながら、日本の官僚機構について語る。

 「いま、日本が警戒すべき複合体は、米国のような軍産複合体ではない。」、「既成の組織、既成の方針、過去の成功体験などを、」「金科玉条とし、学歴に基づく、自らの身分に誇りを共有する、」「官僚組織、「日本銀行、経済界、学会、マスコミなど、」「あらゆるところにネットワークをはる、複合体の人脈だ。」

 「それは、学歴による優越意識に基づく、大学同窓などの、見えざるネットワークである。」「例えば、東大法学部出身者を核とする、エリート集団で、」「彼らは、ある時は意識的に、あるときは無意識的に、巨大なネットワークを作り上げている。」

 「テレビ映像に出てくるような、圧力団体や議員は、その同盟者にすぎない。」「本尊は、目に見えない、匿名の存在である。」「まさにレーダーには捉えられない、ステルス爆撃機のような存在で、」「目に見えないが強大な力を持つ。」

 「互いの身内共同体を尊重し、自分たちの、身分の安定を最優先して動く集団、」「このエリート集団こそ、抵抗勢力の本尊である。」「私が命名するところの、ステルス複合体だ。」

 こうして氏が語る具体例に、さもありなんと納得した。

 「官僚を中心としたステルス複合体と、学者の関係は、非常に密接である。」「終戦直後には、東大経済学部のマルクス主義経済学者すら、政府に協力した。」「霞が関主導の経済と、国家統制による社会主義方式には、親和性があったのだろう。」

 「現在、名の通った経済学者で、財務省や日銀の審議会などに入っていない学者は、まずいないのではないか。」

 「政府の審議会に入ることで、ハクがつくし、会長になれば名誉でもあろう。」「財務省からの、資料提供も期待できる。」「実利もあり、ステータスも上がる、審議会委員の肩書きを、大半の学者は欲しがる。」「そこに、御用学者化の誘惑がある。」

 「しかしその見返りが、財務省や日銀の政策への、批判を控えることになっていたら、審議会設置の意義が、根本から問われる。」

 農業に関する氏の意見には、このような見方を、初めて知ったこともあり、新鮮な驚きを感じた。

 「地域経済、地域社会の鍵である農業が、日本で衰退してしまった最大の理由は、」「農業の脆弱性を、克服できなかったことである。」「農業の弱体化が地域を疲弊させ、公共事業依存体質にさせた。」

 「なぜ、戦後、日本の農業は弱体化したのか。」「そのルーツは、占領軍が政治的理由で実施した、農地解放にあるのではと、私は考えている。」「GHQは、本州内で1町歩以下の零細自作農を創設し、自立不可能な農業構造を作った。」

 「占領軍が、農村の共産化を防ぐという、政治目的を優先させて、」「経済生産性が最初から成り立たない、零細な農地を、農民に解放したことにある。」「それが私の言う、農業の戦後レジュームである。」

 「戦後日本は、この問題に手をつけなかった。」「独立後も、国内では、大規模借地農方式では、地主制復活につながるという声があり、」「いまだに、占領軍統治下と変わっていない。」

 「いま農水省は、法体系の根幹にある、自作農主義を見直し、所有よりも、」「賃貸借による利用を重視した、法体系への転換を進めようとしている。」「われわれはこの流れを、しっかりサポートしなければいけないと、思っている。」

 ここでやっと、安倍政権が進めている、農協の大改革の新しい意味が分かった。新聞が大きく紙面を割き、何日にもわたって報道したが、総理の意図がいまひとつ掴めなかった。これも戦後レジュームからの脱却の一部だったのだ。

 「財閥解体」「軍の解体」「レッドパージ」「農地解放」「憲法制定」と、GHQは日本解体のため、沢山の政策を実験したが、その中で唯一成功したのが「農地解放」だったと教わってきた。氏のおかげで、違った意見があるのだと知り、目から鱗の思いがした。

 そして氏は、本の最後にこう記している。

 「歴史は語っている。」「抵抗していた古い秩序のエリートの多くは、時代が変われば、何もなかったかのように新しい時代に同質化する。」「軍国主義のエリートは、民主主義のエリートに生まれ変わった。」「昨日まで鬼畜米英を叫んでいた人が、今日は民主主義万歳を叫ぶ。」「しかし、犠牲になった庶民は変わらない。」

 「エリートの変節は、他の国でも、同様に見られる現象だ。」「第二次大戦後、東欧の旧ファシスト政権の、エリート官僚たちは、」「やってきたソ連軍の戦車隊を見て、赤旗を振りかざして歓迎し、共産党官僚となった。」

 私は今、反日・売国のマスコミを強く批判している。ところが氏によると、マスコミも何もかも、エリート官僚の支配下にあり、すべての元凶は、彼らにあるという結論だ。

 たしかに、高級官僚には多くの問題があり、彼らのし放題には、目を覆うものがある。卑近な例を挙げると、平成25年度の国家予算は85兆円だ。この予算を決めるため、衆参両院で政府と野党が大論戦し、毎年大変な時間と労力が費やされる。ところが、国会の審議も経ず、官僚が自由にできる特別会計の額は、377兆円だ。

 数字が毎年変化しても、基本の構造は変わらない。密室政治・官僚政治の温床になる特別会計は、なんと一般会計の4倍以上だ。これに、官僚の天下り先となる外郭団体がぶら下がり、埋蔵金が作られ、無駄な工事や事業が行われ、国民不在の支出がされている。

 だから中川氏のエリート官僚攻撃には、大いに賛同したい気持ちがある。

 しかし国家百年の大計を論ずるとき、氏の論点は、正しいのだろうかとつい考える。何もかも官僚のせいできれば、簡単だが、果たしてそう言い切れるかという疑問が、消えない。

 官僚制度は、いつの時代にあっても、諸刃の刃である。エリートの変節と、氏は官僚を蔑視するが、明治維新のおり、時の政府を支えたのは、幕府の役人たちだったという事実を、無視して良いのだろうか。役人が、意思を喪失した歯車であるかのように、氏は語るが、使命感をもった役人は国家の宝でもある。

 売国の民主党が政権を取った時、過去を守り、伝統を重んじる官僚たちがいたから、国益が守られたのでないかと、私は思っている。守秘義務のある官僚たちは、軽々しく意見を述べられないが、彼らがいたから、最小限の被害で済んだと思えてならない。

 自国を、丸ごと敵対国に売ってしまう様な政治家に比べたら、省益のため、彼らが少々浪費しても、我慢できないことはない。

 ということで、中川氏にはもう少し言いたいこともあり、肝心の話は明日にしようと思う。

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新祖国論 - その2

2015-08-14 20:32:32 | 徒然の記

 さて、二日目の「新祖国論」だ。堤氏は、私が反論できない観点から、その主張を展開する。

 「21世紀に入った時点で、日本人には、果たして他の国の人たちと比べられるような、」「想像力があるのだろうか、ということが気になっている。」「外交政策の不在、相手の国の人たちの気持ちなど、考えようともしない、」「相手から見れば、傲慢としか見えない態度。」「そして資金を提供すれば、何にでも口を出すことができるという金権主義からは、」「どうしても、そうした危惧の念が生まれてしまう。」

 おそらく氏は、閣僚や政府の役人たちのことを言っているのだと、思うが、じかに接する機会のある氏に言われると、新聞やテレビでしか情報を得られない私は、そんなものかと聞くしかない。

 アメリカだけでなく、中国や韓国、北朝鮮にまで足元を見られ、日本がなぶりものにされている報道にばかり接しているので、外交政策不在と言われると、即座にそうかと納得してしまう。ただ閣僚や役人が、金権主義で傲慢になっているのかどうか、マスコミが報道しないので、知る術ががない。

 「たとえば、国連安保理の常任理事国に、立候補するについても、」「独自の外交政策や、広島・長崎の被爆体験と平和憲法を掲げて、」「日本でなければ為し得ない、国際貢献ができると、主張することを、」「少なくともこの国の政治家は、考えているようにはみえない。」

 「最近のアメリカは、もっぱら軍事力に価値を置いているように見え、それが我が国の場合には、金権主義に形を変えているようだ。」

 氏が語っているのは、主として、小泉氏首相とブッシュ大統領時代のことだ。当時を良く知らないので、口を挟めないが、外交政策に平和憲法を掲げることについては、異論がある。

 侵略国家なので、未来に渡って反省しますと、広く謝罪の憲法を掲げたから、世界第二の経済力を持つことになって以来、いろいろな方面へ資金提供をし、あるいはさせられ、「金持ちの豚」と蔑まれるようになったとも聞いている。

 日本国憲法こそが、戦後日本の足かせとなり、独立国家への道を阻むものと理解している、私の目には、氏もやはり、反日・売国の徒の仲間でしかなかったと映る。その主張も、傲慢な左翼の意見と重なってくる。

 「なぜ自分で考え、自分のための判断基準を持つ大衆が、」「わが国では、生まれないのか。」「主体性を持った大衆が、生まれなければ、民主主義は常に、独裁に取って代わられる弱さの隣にいると、言っていいだろう。」

 「今の日本は、かってあった社会的規範や、ルールが消え、」「お上、政治のリーダー、英雄を待望する意識構造だけが残った国に、なってしまった。」

 本の中で氏は 、" 大衆とか民衆 " という言葉を、不用意に何度も使っている。この言葉は、共産主義者たちが、無知蒙昧な一般国民を指すときに使った用語だ。私は、この左翼・外来語が、以前から気に入らない。日本で、一般国民を語るときには、昔から、庶民とか、民草とか、貧乏人どもとか、そんな言葉がある。詩人なのに、このような時の氏は、頑なな共産主義者に先祖返りする。

 氏が求める主体的な大衆とは、どのような人間を指すのであろう。聖徳太子の昔から、日本人は、「和をもって貴しとなす」という生き方を、大切にしてきたのであり、自己主張をする人間を、それほど立派と思わない風土の中で育った。

 もの言わぬ庶民だからといって、主体性が無いのでなく、賢くても爪を隠す、謙譲の民だったと、博学の氏なのに、明治以前の日本人の文化や風土には、関心がなかったのだろうか。次のように皮相的な意見を言われると、日本の過去の文化を軽視する、「進歩的知識人」の愚かさを感じる。

 「かって、教育の基本を定めていたのは、教育勅語であり、」「そこでは、個人は本質的に否定され、全国民が、天皇陛下の赤子という扱いになっていた。」「この勅語は、軍人に賜りたる勅語の、上官の命令は朕の命令と心得よ、」「と連動し、赤子である兵は、どんな命令にも、意見をいうことができず、死んでいったのであった。」

 「一方、赤子と、親である天皇陛下との関係は、民法の家族制度、」「そのなかでの、家父長の絶対的な権限と、見事に対応していた。」「つまり、かっての、全国民を軍国主義の跳梁に任せてしまった憲法と、法体系は、首尾一貫していたのである。」

 戦前の日本を何もかも否定する、共産党員の目から見れば、こういう解釈と意見も、十分に成り立つ。一方で新渡戸稲造氏のように、「武士道は、日本の象徴である桜花とおなじように、日本の国土に咲く固有の華である。」という考えに立って過去を振り返れば、また違った日本がある。

 勉強途上の私には、戦前の日本を捉えるにつき、確たる知識を未だ得ていないが、共産主義者の歴史観で、わが国を決めつける愚はしたくないと考えている。

 明日も続ける元気が無いので、氏のブログは、今日で終わりとする。終わるにあたり、別の視点から、氏の矛盾点と思われるところを、付録として述べてみたい。

 堤氏は、異母弟である義明氏と共に、知る人ぞ知る、日本の巨大企業グループの総帥だった。先日取り上げた松下幸之助氏も、松下グループの総帥で、関連会社が465社という巨大企業で、グループの総収入が年間約7兆円だった。

 堤義明氏が率いる西武鉄道グループは、150社を傘下に持ち、グループの総収入が年間約5兆円だった。この本の著者である清二氏が支配していた、セゾングループは、西友、パルコ、ファミリーマートなど200社を従え、総売上は年間約4兆円の巨大グループだった。

 氏はグループのトップとして、27年間君臨し、高度成長期の波に乗り、積極果敢な経営を進め、ホテル、生命保険、金融、証券業へと触手を広げ、カリスマ的経営者の一人だった。

 今はどうなっているのか知らないが、当時氏のグループ会社に、朝日航洋という会社があった。小型機やヘリコプターを企業にリースする会社だったが、墜落事故を何度か起こし、新聞で報じられたことがあった。

 トップからの、過大なノルマによる、無理な勤務形態が事故原因だったと、報道されていた。詩人でも、経営者の立場に立てば、非情な人間になるのかと、感心した記憶がある。個人の育成や人間尊重を語る氏も、実生活では違っていたと、そう言いたいのだ。

 松下幸之助氏は、新聞や雑誌で、いかに自分たちが、税金を国に取られているかにつき、よくこぼしていた。会社のあげた利益から税金が取られ、その会社の社長である自分から、更にたくさん取られる。手元に少ししか残らないが、これも企業の社会的責任というもので、国のために税金が使われて、社会が向上する。と、関西人らしく、あっけらかんとして述べていた氏を、覚えている。

 翻って、堤氏兄弟は、松下氏には及ばないとしても、大企業グループのトップだったのに、彼らの会社は税金をまったく払っていない

 どうして大蔵官僚の目をごまかせたのか、彼らは毎年の決算を赤字にし、利益を出さないという決算方法を取っていた。会社に勤務していた頃、私は偶然このことに気づき、こんなあくどいことをする企業があるのかと、びっくりした。反社会的企業ではないのかと軽蔑し、怒りも覚えた。

 だから私は断言できる。松下氏は下手な著作を書き、堤氏は巧みな本を世に出したが、人間として立派なのは、言うまでもなく松下氏だ。どんな優れた本を書いても、実生活で、行為が伴わなければ何の意味があろう。言行不一致の人間は、堤氏だけでなく、世間に溢れている。

 ここまで言う必要は、なかったのかもしれないが、反日の人々の美言に騙される人間の多さに呆れ、つい正直を述べてしまった。


 ネットの情報で、堤氏が2年前に、86才で亡くなられたことを昨夜知った。故人への悪口は、気持ちの良いものではない。だから私は、「言行不一致の人間」の筆頭に、自分自身を入れておりますと、正直に白状し氏への謝罪とさせてもらいたい。

 ご冥福をお祈りいたします。

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新祖国論 - その1

2015-08-13 22:51:48 | 徒然の記

 辻井喬氏著「新祖国論」(平成19年刊 集英社)を、読み終えた。

 昭和2年東京生まれの氏は、東大卒業後に大会社の社長となった。詩人としての、辻井喬よりも、経営者としての堤清二の名前の方が、私には馴染みがある。松下幸之助氏同様、こうした著名な企業人が、どのような考えをしているのか、常に関心がある。詩人だけあり、氏の文章は巧みで、心に響く言葉がある。

 「現在の我が国の問題点は、ひとつひとつの地方の特性が消えていって、平坦な首都圏化が進んでいるところに、あるのではなかろうか。」「自分の生まれ育った土地に愛着を持てない時、人間の個性とモラルは衰えて、無責任な生活姿勢ばかりが、はびこってしまうのではないか。」

 フランス人プルーストの作品を引き合いにしながら、氏がこう語るのを知った時、同じ気持ちを持つ私は、大きくうなづいた。そして彼が、稚内の丘の公園で「9人の乙女の碑」を発見し、立ちすくんでしまう姿に共感を覚えた。

 9人の乙女たちは、日本が降伏した時、樺太の郵便局で最後の仕事を終えた後、ソ連軍が上陸してくると知って、自害した年若い電話交換手たちだった。その碑には、彼女達が発信した最後の言葉が刻まれていた。

 皆さん これが最後です
 さようなら
 さようなら

 氏に対する淡い親近感を覚えつつ、先を読んだ。

 「グローバリズム推進の名のもとに、国の経済を守ろうとする、すべての障壁を取り払う市場原理主義、」「自由競争至上主義の、赤い爪がチラチラ見え隠れしているとき、」「60年前の辛い思いを盾にとって、単純な否定を続けていていいのだろうか。」「もしグローバリズムと見えていたものが、特定の一国の、ナショナリズムを偽装したものであったとしたら、為政者はどうやって責任をとるのか。」

 グローバリズムや自由競争至上主義つき、同じ印象を持っているため、ここまでは素直に読めたが、次の叙述にかかった時から、氏との間に隙間風を感じた。

 「国を愛する心、自分の郷里を自慢したい気持ちは、自然な感性の動きだと思う。」「しかしそれは、感性という個人の内心の問題であって、権力に強制されるものではない。」「かってはその自然な気持ちを、邪悪な意図を持った為政者が、からめ取り、」「国民に被害妄想を起こさせ、排外的な方向へと追い込み、侵略戦争を心情的に合法化したのであった。」

 「敗戦前の、満州事変からはじまった、いわゆる15年戦争の時代、理性的な言論は常に、」「偽のナショナリズムをふりかざした、右翼国粋主義者の恫喝に押さえられ、彼らに先導された、民衆の憎しみを受けて、」「沈黙を強いられたのであった。」「それだけに敗戦後、知識人の間に、ナショナリズムに対するアレルギーが広まったのは、無理のないことであった。」

 満州事変こそが、日本の曲がり角だったのかも知れない。看過できない歴史上の事件だが、それでも、氏のように一刀両断に否定しえない何かが、私の中にある。

 「僕は今まで、我が国の今日の諸芸術に力がなく、存在感が希薄なのは」「、明治維新時と、敗戦時の二回にわたって伝統を拒否し、」「伝統と断絶してしまったところに、その原因の一端があると、主張してきた。」「その考えは今も変わりはない。」

 ここから、私と氏の考えが乖離し始める。列強のアジア侵略から国を守るため、明治の指導者たちは「富国強兵・殖産興業」を掲げ、文明開化を急いだ。伝統を否定したのではなく、西洋の技術・文化を取り入れなくては国が滅ぶという危機感だった。

 敗戦時には、日本人が自ら伝統を拒否したのでなく、敗戦国として、連合国軍の統治下にあり、止む無く受け入れたアメリカの文明でなかったのか。こうして堤氏は、欧米人に比し、日本人の知識や意識が低いという考えに立ち、語り始める。

 「かって、民主主義を基盤としていた国家が、新しい事態に対応できず、」「愚かな政治的リーダーによって、民主的でないシステムが導入されたとしても、」「やがて、そうした政治への対抗力が、形成された時、」「その国家は、復元力を発揮するに違いない。」

 「しかし、一度も民主主義国家にならず、形だけ民主的であった国家に、反動期が訪れるとすれば、」「その時復元力は、民主の方向へは働かず、封建制、あるいは絶対制へと近づくに違いない。」「日本がもしそうなったら、それは悲喜劇と言うしかない。」

 氏は、日本をそのように見ている、と言うか、そのようにしか見ていない。見ようとしていないのか。

「 " 日本人の中国観 "という著作の中で、竹内好は、中国の革命勢力のモラルは、」「伝統を、完全に否定することのなかで、返って伝統を蘇らせたと主張した。」「中国では、10年以上続いた文化大革命の時期があり、市場経済方式の導入があり、様相は変わった。」

 「にもかかわらず、中国革命の思想的運動法則は、伝統を完全に否定することのなかで、伝統的思考方法を復活させているという、竹内好の指摘は、時が経つにつれてその正しさが証明されたようである。」

 こうなってくると、かって共産党員だった、氏の片鱗が現れてくる。日本だけが世界での邪悪国であり、中国も韓国も、その犠牲だという、左翼特有の反日論の芽生えを見せられる。

 何千万人という人間が粛清され、農政の失敗による餓死者が百万人単位で生じ、中国国民から、悪夢として呪われていると聞く文化大革命への、氏の評価がこれだ。どういう思考から、このような意見が導かれるのか、理解に苦しむ。また韓国についての氏の主張はこうである。

 「例えば、いわゆる韓流ブームである。」「確かに韓国映画の、芸術作品としてのレベルは高い。有能な監督も俳優もいる。」「しかしそれがヨン様ブーム、ジウ姫ブームという現象になった場合、そのブームを押し上げているファンは、」「歴史のなかで、日本または日本人が、韓国に対して行った加害、」「それが韓国の人々の深層心理に、どのような影響を及ぼしているかにつき、考えたことがあるのだろうか。」

 「韓国は、大変な想いのなかで、独立はしたけれど、まだかっての祖国は、」「分断されたままで、その点では、第二次世界対戦後の案件は未解決だという事態について、」「韓国の人の身になって考えようとしたことが、どのくらいあるのだろう。」

 「僕は、韓流ブームを批判しているのではない。」「国際感覚の弱い日本人から見れば、些細なことで、一度にブームが覚めた時、」「両国の人々の間に、手の打ちようのない疎外感が生まれてしまうことを、警告しておきたいのである。」

 韓国の、慰安婦問題に関する執拗な、悪意のプロパガンダで、日本への愛に目覚めた私は、氏の意見に納得しない。尖閣列島へ領海侵犯をし、沖縄への侵略意図を隠さない中国の横暴さを見て、愛国心を掻き立てられた私は、氏の意見に嫌悪を覚える。

 けれども氏には、これまで私が読んだ反日・売国の左傾の教条主義と異なり、奇妙な複雑さがある。いわゆる愛国心を語る左翼だ。だから感情的にならず、もう少し氏の意見と対面してみたい。

 長くなりそうなので、今晩はここで休憩し、続きは明日のブログにするとしよう。幸いにも私には、金はないが、時間がたっぷりとある。

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武士道

2015-08-11 22:21:41 | 徒然の記

 岬龍一郎氏著「武士道」(平成15年刊 PHP研究所)を、読了。

 氏は、昭和21年生まれで、早稲田大学卒業後に、各種会社役員を歴任した後、作家、評論家となり、人材育成のための講師等も務めているらしい。明治時代に出版された、英語版新渡戸稲造の「武士道」を、なぜ今になって、氏が翻訳するのか。興味深いものがある。

 本の扉には、新渡戸稲造の序文が二つあった。一つ目は、明治32年の初版本のもので、「ペンシルバニア州マルバーリにて」と記されている。二つ目は、増訂10版を記念する明治41年の序文で、「東京小石川にて」と記されている。

 新渡戸氏の説明によると、この10版目は、ニューヨークとロンドンで、同時出版されるらしく、すでにドイツ、フランス、ポーランド、ノルウェー、中国でも出版され、ボヘミア語やマラティー語でも、翻訳されているとのことだ。

 「ルーズベルト大統領が、みずから本書を読まれ、」「友人たちに配られたそうだが、これは、身に余る光栄である。」と、作者自らが書いているが、いかに誇らしく、嬉しく思っていたのか、110年後の私にも伝わって来る。

 念のために、付言するが、同じルーズベルト大統領とは言いながら、ここで言っているのは、26代の大統領、セオドア・ルーズベルトのことだ。大東亜戦争で、日本を散々に敵視したのは、32代の大統領で、フランクリン・ルーズベルトだ。長い間、私も混同していたので、くどくても念のため、付言する。

 「武士道は、日本の象徴である、桜花とおなじように、日本の国土に咲く、固有の華である。」

 一ページ目の書き出しの言葉が、私の胸に心地よく響き、知らずに襟を正させられた。こうした語り口で始められるとは、予想だにしていなかった。 

 「それは、我が国の歴史の標本室に、保存されているような、」「古めかしい、道徳ではない。いまなお、力と美の対象として、」「私たちの心の中に、生きている。」「たとえ、具体的な形はとらなくとも、道徳的な香りを周りに漂わせ、」「私たちを、いまなお惹きつけ、強い影響下にあることを教えてくれる。」

 「武士道を生み、そして育てた、社会的状態が失われてから、すでに久しいが、」「あの遥かな遠い星が、かって存在し、いまでも地上に光を降り注いでいるように、」「封建制の所産である、武士道の光は、その母体である封建制度よりも、生き延びて、」「この国の、人の倫(みち)のありようを、照らし続けているのだ。」

 「あの、ジョージ・ミラー博士(アイルランドの歴史家)のような、博学な学者ですら、極東における悲しむべき情報の欠如から、」「東洋には、古代にも近代にも、騎士道やそれに類する制度は、」「一切存在したことがないなど、と断言したが、このような無知は許されるべきであろう。」

 「なぜなら、博士の著作の第三版が出たのは、」「ペリー提督が、我が国の鎖国の門を開いたのと、同じ年だったからである。」

 新渡戸氏のこうした主張を、118年前の欧米人は、どんな驚きで受け止めたことだろう。各国の言葉に翻訳され、ルーズベルト大統領が友人たちに配ったという事実からしても、その一端が伺われる。

 五千円札に、肖像が使われているとか、当時の日本での教育家、思想家だったとか、そんな程度のことしか知らなかった自分が、恥ずかしくなった。

 敗戦後70年を迎えている日本人が、今一度見直すべき人物の一人が、新渡戸氏だったのではないか、とさえ思えてきた。氏の本を再翻訳した岬氏の意図も、ここにあったのかも知れない。

「さて、私が大雑把に、武士道と訳した言葉は、原語の日本語では、」「騎士道よりも、もっと多くの意味合いを含んでいる。」「ブシドウは、字義的には、" 武士道 "である。」「すなわち武士階級が、その職業および日常生活で、守るべき道を意味する。」

 「一言で言えば、武士の掟、すなわち高き身分の者に伴う、義務のことである。」

 彼は武士道をこう定義して、論を進める。

 「武士道とは、このようにして、武士の守るべき掟として求められ、」「あるいは教育された、道徳的原理である。」「それは成文法ではない。」「せいぜい、口伝で受け継がれたものか、著名な武士や学者の筆から生まれた、」「いくつかの格言によって、成り立っているとこが多い。」「いやそれは、不言不文の語られざる掟、書かれざる掟であった、というべきであろう。」

 「それだけに武士道は、いっそうサムライの心の内襞に、刻み込まれ、」「強力な行動規範としての、拘束力を持ったのである。」「もし武士が、殺し合いの軍事的なものだけに頼り、より高き拘束力なしに、生きたとするならば、」「武士の生活の中に、武士道なる、崇高な道徳律は、生まれなかったであろう。」

 彼は、欧米人に、日本人を理解してもらいたいと願い、英語でこの本を表し、簡潔で平易な文章にするため苦労した。同じ日本人でありながら、118年後に読んでいる私は、彼からみれば、異邦人のようなものであるに違いない。それだけに、返って英文として書かれた彼の書が、素直に心に入ってくるのかも知れない。

 「仏教は、武士道に、運命を穏やかに受け入れ、運命に静かに従う心を与えた。」「それは、危難や惨禍に際して、心を平静に保つことであり、」「生に執着せず、死と親しむことであった。」

 「仏教が、武士道に与えられなかったものは、神道がそれを補った。」「他のいかなる宗教からも、教わらないような、主君に対する忠誠、」「祖先に対する尊敬、親に対する孝心などの考え方は、」「神道の教義によって、武士道に伝えられた。」「それによって、サムライの傲慢な性質に、」「忍耐心や、謙譲心が植え付けられたのである。」

 こうして彼は、武士道の根底となる、義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義へと、筆を進めていく。欧米人に分かり易いように、各国の実例を挿入しながら、節度のある文で語りかける。

 彼の書は、どのページを開いて読んでも、高貴な香りに満ち、含蓄のある意見が述べられている。これ以上引用していると、切りがないので、最後に一箇所だけ書き写して終わることとする。

 「モンテスキューはかって、ピレネー山脈のこちら側では正しくとも、」「向こう側では、誤りになる、と嘆いたが、」「最近のドレフェス事件では、彼の言葉が正しかったことが証明された。」「フランスの正義が通用する国境は、ピレネー山脈のみではなかったのである。」

 「同様に、私たち日本人が抱く忠義の観念は、他の国では、ほとんどその賛成者を得られないだろう。」「それは、私たちの観念が間違っているからでなく、今や他の国では、」「忠義が忘れ去られていたり、他のいかなる国も、到達できなかった高さまで、日本人が発達させたからである。」

 この書は、左翼の側に立つ人々が言うような、軍国主義賛美の本でなく、国家礼賛の危険な書き物でもない。こうした、日本人の魂を失った人々のために、弁護をする気もないし、弁護する資格もない私だ。

 ただ、心を静かにし、座右の書として側に置き、何度でも折に触れ、手にしたい書である。

 私はこの本を、「有価物回収の日のゴミ」などには、間違ってもしない。そうでなく、尊敬する友であり、師である上杉氏へ贈ろうと、読み終えた時から、密かに思っている。

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私の夢・日本の夢 21世紀の日本

2015-08-11 00:09:03 | 徒然の記

 松下幸之助著「私の夢・日本の夢 21世紀の日本」(昭和52年刊 PHP研究所)を、読了。

 細かな文字がびっしりと並んだ、472ページの大作で、38年前の本だ。2010年の日本を予想して、

 1.経済について    2.企業経営について 3.教育、宗教について 

 4.国土と社会について 5.政治についてという、構成になっている。

 幸之助氏と言えば、わが国では知らない者がいない、立志伝中の企業人だ。しかも本の内容は、私の興味を引く表題が並んでいる。

 どのような意見が述べられているのかと、期待しながらページを開くと、意外な書き方になっていた。発展した2010年の日本を、4ヶ国の代表が訪ねて来るという設定だ。彼らと、政府や団体関係者との対話を通じて、日本が語られるという形になっている。

 訪問者は、

 先進国Aの副首相ハーマン氏、開発途上国Bの工業相トアン氏、

 社会主義国Cの国家計画委員長のクラーキン氏、

 最近独立したばかりの若い国Dの教育次官ミリー氏、の4人である。

 応対するのは、山本経済企画庁長官、佐藤通産省事務次官、高橋通産省政策局長、渡辺通産省産業政策局長等々、まだあるが面倒なので以下を省略する。

 結論から言うと、「優れた経営者が、優れた本を書くとは、限らない。」という、ごくありふれた発見だった。

 逆に、優れた本を書いても、人間としてはダメな人もいるのだから、不思議でも何でもない話だ。習慣として、最後まで目を通したが、どのページにも心を捉える言葉がなかった。立派な装丁本なので、あと少し感想を述べるが、「有価物回収の日のゴミ」でしかなかった、という悲しい現実を先に言っておきたい。

 どの部分を取り出しても、冗長、退屈、我田引水、詰まらない自慢話だった。松下氏の本が、そんな内容であるはずがないと、誰もが反対しそうだから、例を上げなくてはなるまい。失望に打ちのめされながら、忍耐をもって、その一部分を書き抜こう。労使問題についての対話だ。

 「賃金水準が、世界のトップクラスになった今日においては、世界の国々が、どう見ているかといったことを、会社としても、労働組合としても、あわせ考える必要があるわけです。」

 「ずいぶんむずかしいものですな。」というハーマン氏に、田中書記長は答えた。
「いろいろなことを勘案しつつ、慎重に決定していくという責任が、労使双方に課せられており、そういう責任を双方が自覚しつつ、話し合っているというのが、日本の現状ですね。」

 「だから組合も、要求に際しては、適正妥当と思われるような要求を、していく。会社もまた、賃金が、低ければいいというのでなく、同じように誠心誠意応えているわけです。」

 「そうすると、賃金だけでなく、労働協約とか、いろいろな問題についても、同じように、話し合いで平和的に解決されていくのですか。」


「まあそうです。いわば談笑のうちに、ことが済むといった姿が多いですね。」

「たとえば、政治問題を取り上げて、ストライキをやるということはないのですか。」

「と申しますと、・・・?」今度は、田中書記長が怪訝な顔をした。ハーマン氏は、

「つまりですね、政府の方針に反対だからということで、経済要求がなくても、ストライキをやるんですね。それで非常に、社会混乱が起こるわけです。」

「日本ではそういったことは、ほとんどありません。もちろん労働組合が、政治に関心を持ち、適宜適切に政府に要求していくことは、当然必要だと思います。」「しかしそれは、あくまで、議会制度というものを通してやることになっています。」「そういうルールが、出来上がっているわけで、それを無視してストライキなどやったら、」「日本では、返って国民の反発を招く結果になるのです。」

 「そうすると日本では、ずっと以前から、労使双方が、そのような社会的責任を自覚してやってこられたのですか。」と質問を続けるハーマン氏の表情には、だいぶ感心した様子が現れてきた。

「必ずしも、そうとばかりは申し上げられません。」「ここ20年ぐらいのものでしょうか。そうした好ましいレールがしかれたのは。」「それ以前は、やはり労働争議もあったし、労使双方が、互いに社会的責任を自覚していたという姿は、なかったですね。」

 と、全編がこの調子で語られていく。

 似ている言葉を省略し、繰り返しの文章を削っているから、実際の文の長さは、引用した部分の三倍ある。読書に趣味がある人なら、とても耐えられない文章と内容だろう。幸之助氏が、どうしてこんな問答形式で意見の表明をしたのか、不思議でならない。まるで中学校の学芸会で、下手くそな舞台劇を見せられているような、恥ずかしさだ。

 この本を編集したPHPの所員と、この本を買わざるを得なかった松下の社員に代わって、私が本音を吐露してやりたい。

 「王様の耳はロバの耳」、「王様の耳はロバの耳」・・・。「松下さんの本は、詰まらない」、「松下さんの本は、詰まらない」・・・・。

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日米関係史

2015-08-09 22:45:58 | 徒然の記

 細谷千博・本間長世氏共著「日米関係史」(昭和 57年刊 有斐閣)を、読了。副題は、「摩擦と協調の130年」である。

 図書館の廃棄図書配布の日に、貰ってきた本の一冊だ。見開きの部分に、「謹呈 ◯◯様 JULY 1982 本間長世」と、著者の一人である、本間氏の書き込みがある。

 つまり謹呈された本を、受け取った人物が、廃棄本として図書館へ持ち込んだということになる。ブログに書いて良いのか、心の痛みがあるが、一つの事実として記録しておきたい。

 本書は、1章から10章に分かれ、沢山の人物が執筆している。面倒でも、執筆者の肩書きと名前を順に書いてみよう。
 1.一ツ橋大学教授 細谷千博 2.テンプル大学教授 岡本俊平 

 3.シカゴ大学教授 入江昭  4.一ツ橋大学教授 有賀貞 

 5.東京大学教授 中村英隆  6.朝日新聞論説委員 原 康 

 7.国際大学教授 宮里政玄  8.津田塾大学教授 佳知晃子 

 9.東京大学教授 亀井俊介 10.東京大学教授 本間長世

 野次馬根性から、本間氏から本書を贈呈された人物を、パソコンで調べて驚いた。その世界では知られた人物で、ちゃんとした著書もあり、ここに名前を公表することに、ためらいが生じた。

 本人とは何の関係もない私だが、武士の情けとでも言うべきか、名前を伏字とすることとした。( 私の先祖は武士でなく、百姓なのだが、そこは文章の勢いと、我慢してもらいたい。)
 
 「本書は、日米関係に関心を抱く人びとのために、」「歴史的観点から、今日の問題を考える、基本的な枠組みと、知識を提供するものである。」「日米関係を論ずる書物が、氾濫しているが、歴史的文脈の中に、」「今日の問題を位置づけるという態度が、あまりに乏しいようである。」

 「安易なアメリカ論が、続々と登場し、早々と消え去っていくのは、」「現在を知るために、過去を振り返らねばならないという、人間の宿命を忘れた結果と言えるだろう。」

 この編者のはしがきが、本の全てを語っている。もう少し、続けよう。

 「本書は、一冊で、日米関係史の基礎的事実を学びたいという、人びとの要求を満たすことを、」「目指すとともに、最新の研究成果に立って、新鮮な視覚を提供するものである。」

 米帝国主義、日帝の侵略などという頑迷な用語がなく、日本精神、神国日本という妄言も使われず、事実の叙述がされ、久しぶりに平らな気持ちで本に向かった。読書三昧という言葉は、このような時に使われるのだと、再確認した。

 本が出版された昭和57年は、米国の大統領が、カーターからレーガンに変わった年だ。日米自動車問題で大揉めし、デトロイトだったか、日本車がハンマーで叩き壊される写真が報道されていた。

 米国から、安保ただ乗り論が言われ、防衛費の増額を迫られたのもこの頃だった。
そして今は、ならず者のように難癖をつける、中国や韓国を黙認するアメリカに対し、怒りを覚えている私だ。日本をここまで腑抜けにさせたのは、敗戦後の米国の統治のせいだと、憎しみさえ覚えている。

 しかし本を読んでいると、執筆者たちが語るように、「ペリー来航以来、およそ130年にわたる日米関係は、常に摩擦と協調の繰り返しだった。」と高ぶる気持ちが静められた。同時に先日読み終えた、インドのレキ氏の言葉が思い出され、自らの不明を恥じた。

 「植民地支配をしたイギリスを、責めることもできます。」「しかし、一体いつまで、イギリスを責め続ければいいのでしょう。」「彼らが去って、もう60年以上になります。他人のせいだと言うのは、簡単なことです。」


 朝日新聞論説委員の原氏さえ、反日・売国の論調はなく、客観的に事実を述べていた。新しい事実を教えられ、有難くさえあった。

 氏によると敗戦直後の日本が、占領軍の統治下で、他国へ賠償した金額は1兆6千億円だったという。そうなると先日のブログで、内田雅敏氏が、日本とドイツの賠償学が1兆円と7兆円で、比較にならないと述べていたのは、( 1兆6千億円を、1兆円と減額しているとしても )、正しかったということになる。
 
 しかし逆に、内田氏の、数字操作のテクニックも発見した。敗戦直後の賠償額は、ほぼ正しかったけれど、その後独立国家となってから、日本は正式に賠償をしている。

 日韓平和条約締結時に、日本は賠償額を決定し、更に支払った。中国に対してもそうである。だから、私が調べた別の大きな金額と、内田氏のいう、小さな金額が存在するということだ。氏のように、自分に都合の良い数字だけ本に書くというのは、誠実な人間のすることだろうか。反日のためなら、手段を選ばないという、左翼の人びとの卑劣さを悲しむ。

 こうして心に浮かぶことを書いていたら、二日も三日もかかりそうだ。
だから、このあたりで止めるとしよう。読みたい人は、買って読めば良い。私はこの本を大切に本棚に並べ、自分が死んだ後、息子たちか孫たちか、どちらでもいいから読んでもらえたらと思う。

 寄贈本を図書館に回した◯◯氏は、酷いことをすると最初は思ったが、誰かの手に渡すため、図書館へ出したのだから、有価物のゴミにしてしまう私より、よほど立派だと言えるのかも知れない。

 だから、もう一度自を反省し、◯◯氏へ感謝する。良い本を回して頂きました。大切にいたします。( 長い人生には、良い日が時々ある。他人には、些細なことでも、本人には、素晴らしい人生の贈り物だ。それはちょうど、酒造博物館の案内人が、親切で丁寧だったと、たったそれだけで、幸せになる人がいるように・・。)

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続・インドの衝撃

2015-08-09 08:21:49 | 徒然の記
 NHKスペシャル班編集「続・インドの衝撃」(平成21年刊 文芸春秋社)を、読了。副題は、「猛烈インド流ビジネスを学べ」だ。
どうやら本の題名は、テレビ放映された番組から取っているらしい。3回シリーズの中の2回目のものを作った時の裏話とでも言うのか、6人のスタッフが手分けして書いている。30代から40代の意気盛んな彼らが、バナナの叩き売りのようにインドの猛烈人間たちを描いてみせる。

 おのれの才能と高い学歴を武器に、職を探し、高給のためなら何度でも転職するエリートや学者たちへの取材。簡単に言えば竹中平蔵氏みたいな、押しの強い、有能な人間どもの話だ。スタッフたちによると、これが「世界をリードする印僑バワー」と称するものらしい。世界各地に居住して活躍する中国人を華僑と呼ぶように、インド人のそれが印僑だと初めて知った。

 有名なシリコンバレーで働くインド人たちも印僑であり、彼らこそがシリコンバレーの繁栄を支えているとのこと。
そこを出発点にして大企業を立ち上げたレキ氏が、彼らに語りかける。「世界は前へ前へと進んでいます。あなたは前へ進まなくていいんですか。取り残されていいんですか。それがシリコンバレーの考え方であり、インドの考え方なのです。」

 レキ氏の話を聞いてスタッフは、大いに感激し反省させられる。
「どこへ行っても、どう転んでも生き残る力を蓄えた印僑たち。世界中が右往左往する、100年に一度の金融恐慌の荒波の中でも、新たなビジネスチャンスを探し出し、積極的に打って出ようとしている。」「その同じ荒波の中でたじろぎ、守りに入ってしまいがちなわれわれ日本人は、やはり、印僑たちの逞しさから学ばなければならないのではないか。」

 だが私にすれば、NHKのスタッフたちの世間知らずがおかしくてならない。
私たち日本人は敗戦後の荒廃の中から、日本を再建したのだ。印僑に学ぶまでもなく、日本中に企業戦士がいて、猛烈社員がいて、ガムシャラに働いていた。印僑よりも過去の日本人や過去の先輩たちに学ぶ方が先でないのかと言いたくなった。

 最近のNHKは、朝日新聞と同様にスッカリ反日となり、日本を貶したり低く見たりする番組が多い。「インドは素晴らしいが日本はダメ」という思考が基調となっており、不愉快でならない。金持ちになって大きな邸宅に住んだり、高級な家具や衣服を購入したり、値段の張る車を何台も持ったり、そんな人間ばかり登場させ、誉めそやしている。

 だから20ページも読むと詰まらなくなり、こんな社員たちが平均年収1000万円以上貰っているのだと思うと更に詰まらなくなった。しかも、国民から強制的に徴収する受信料によって、彼らの高給が支払われている。放り出したい気持ちを抑えつつ、読むだけは読んだ。

 中国の人口が13億人で、インドのそれは11億人だ。世界130ヶ国に華僑がおよそ6,000万人いて、印僑は約半分の2,500万人であるらしい。イギリスから独立して60年になるが、建国以来の大きな課題は「貧困の克服」だった。1日を2ドル以下で暮らす貧困層が国民の80%を超え、彼らの多くが農村地帯に暮らしている。農村には今でも電気や水道がなく、道路も舗装されていないため物資の配送ルートが完備していない。

 貧困層を除いた後の国民が、富裕層と中間層に分かれる。最近になってやっと、中間層が育っているのだ。とてつもない金持ちもいるが、平均すると年収250万円以上の人々が富裕層だとのこと。80%の貧困層には教育が行き届かず、文字の読めない者がいまだに多数を占めている。NHKのスタッフが追いかけて取材したのは、おそらく年収1000万円以上の人間たちだろうから、インド人の中のほんの数パーセントの超エリートだ。
 こうしたインドの実情を深く考えず、「日本人は、印僑たちから学ばなければならない」などと、こんな短絡した思考はどこから生まれるのだろう。

 しかし最後の部分に来て、成功した印僑レキ氏の言葉に感動させられた。インドが独立する2年前の1945年生まれだと言うから、彼は私と近い年齢だ。
「アメリカは今、停滞した空気に覆われていますが、対照的にインドでは活気とエネルギーが満ち溢れています。もはやインドには、明日は一体どうなるのかと恐れる人はいません。」
「長年私の口癖は、"インドには、優秀な一流の国民がいるのに、なぜ国は貧しくて三流なのか。" "なぜ、トップクラスの国になれないのか。" ということでした。」

 「植民地支配をしたイギリスを、責めることもできます。しかし、一体いつまでイギリスを責め続ければいいのでしょう。」「彼らが去って、もう60年以上になります。人のせいだと言うのは、簡単なことです。」「しかし私には、今動かなければインドは更に100年遅れをとってしまうという、危機感がありました。世界からこれ以上取り残されたくないと、必死だったのです。」

 「インドには人材がいる。頭脳がある。民主主義もある。あとは、私たちが努力するだけなのです。」「きっと今世紀中に、おそらくは20年から30年のうちに、インドは世界の超大国のひとつに躍り出ます。」

  そして今一人は、エリートの人材獲得会社のアンカベー氏の言葉である。彼は1973年(昭和48年)生まれの、43才の印僑だ。
「私たち印僑は、長い間、欧米を始め他の国々の繁栄を支えてきました。しかし、いったいいつまで、そればかりを続けるのでしょうか。」「私たちの力を祖国の発展のために生かすことができれば、母なるインドは類まれなる国に変貌することができるはずです。」
こうした氏の言葉に賛同し、発展への道を歩き出したインドへ世界各地の印僑たちが戻りつつあるとのことだ。

  NHKのスタッフたちは見過ごしているが、私はレイ氏とアンカベー氏の言葉に心を動かされた。
彼らが働いているのは金銭だけのためでなく、結局は祖国のためだった。国というものの大切さと献身の熱い思いが伝わる言葉だった。いつまでも日本への恨みつらみを語るしかできない中国の青年や中国人は、二人の爪の垢でも煎じて飲めば良い。ついでに、熊谷伸一郎氏と内田雅敏氏も、NHKのスタッフたちもそうすれば良い。

 自分の国への愛を忘れた人間の、なんという矮小さか。国を愛する印僑たちの言葉は、なんと気高い響きを届けてくれることか。
最後なって、レイ氏とアンカベー氏の言葉に出会ったことを、忍耐の読書への褒美と思いたい。・・・・・・・だとしても、本そのものはお粗末すぎた。有価物回収の日のゴミとしてしか、活用方法を思いつかない。

 

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「戦後補償」を考える

2015-08-08 18:20:06 | 徒然の記

 敗戦の日の今日、内田雅敏氏著「 戦後補償を考える 」 (平成6年 講談社現代新書刊) 、を読了。

 氏は昭和20年生まれだから、私より二つ年下だ。大学も学部も同じなので、キャンパスのどこかでスレ違っていたのかもしれない。彼は弁護士となり、反日の闘士となり、日本を弾劾し続けている。だから私と彼は、このまま一生すれ違いで終わるだろう。

 年令を重ねているだけに、熊谷氏より事実を調査しており、沢山の知識がある。
なるほどと感じさせられる記述もあったので、氏を「反日の徒」と罵るのを止め、最後まで静かに読んだ。

 日本の戦後補償が、ドイツに比較し、いかに少なく、不徹底なものであったかと、これが著作のテーマだ。

 「日本は、戦後賠償をまったくしなかったわけではない。」「しかしそれは、あまりにも不十分なもので、」「しかも被害者たる住民に、直接支払われたものではない。」

 「ともすればその賠償が、彼の地の独裁政権を支えるために、役立ったり、」「甚だしきはその一部が、日本の保守政界に還流するなど、」「大きな問題を内包するものであった。」

 賠償金の保守政治家への還流については、氏と同様、私も憤らずにおれない。だが独裁政権しか存在しなかった、当時のアジアで、日本にどうしろと言いたいのか。氏は言及していないが、中国や韓国は当時どころか、今でも似たような政権でないか。

 「現時点での比較だけでも、その賠償額において、」「日本とドイツは、1兆円対7兆円の開きがあり、しかもドイツは、なお補償を続行中である。」

 ドイツとの比較で、氏は金額を並べているが、私の知る数字では、韓国一国でも、日本は4兆8千億円を支払っている。残してきた資産額は、31兆円だ。名称こそ違っているが、敵対してくる現在の中国に対し、平成27年の今でも援助を続けているということを、どうやら氏は知らないらしい。

 細かな数字をあげるのが目的ではないが、氏が褒め称えるドイツの7兆円とは、比べ物にならない額を日本は支払っている。戦後50年となった今、どうしてアジア諸国から、賠償問題が提起されるようになったのかにつき、氏が述べる。

 「先の湾岸戦争の際、アメリカに言われるまま、」「1兆7千億円もの大金を、簡単に出したこと、」「PKOの名の下に、自衛隊をカンボジアに派遣したこと、」「さらに遡れば、高校の教科書で、アジアへの侵略を「進出」と、書き改めさせていた事実が顕在したこと、」「教科書問題などが、この傾向に拍車をかけた。」

 「アジア諸国」と氏は書いているが、実態は中国と韓国のことだ。それ以外の国とは、対立が生じていないのに、日本に反発しているのは、何であれ、「アジア諸国」だと、反日の決まり文句を言わずには、気が収まらないらしい。

 ひとつ氏の間違いを指摘したいのは、教科書問題だ。これはとんでもない誤報で、朝日新聞の記事だったことが、今では周知の事実になっている。20年前の本だから仕方がないと思うものの、後述される慰安婦問題、南京問題、靖国問題のすべてが、拠り所にしているのが、反日・売国の朝日新聞の捏造報道だ。

 我慢して読み終えたが、日本への反感と、憎しみに満ちた氏の意見が、不愉快でならなかった。不愉快ついでに、南京事件に関する氏の意見も、一部分引用してみよう。

 「悪いのはドイツだけではない、他の国でもやっているではないか。」「ソ連にも、収容所があったではないか。」「1980年代半ばに、ドイツではこのような論争が行われ、歴史家論争と名付けられた。」

 「他と比較し、他所でもやっているでないかと、言ってみたところで、」「南京大虐殺事件や、アウシュビッツの犯罪が免責されるものでもない。」「また数世紀も前の、侵略事実と比較してみても、なんの意味を持つものではない。」

 「私たちは、中世に生きているのでなく、人権補償の確立した、」「そしてハーグ陸戦法規、ジュネーブ条約等の、」「戦争法規の確立した、20世紀に生きていることを、」「忘れてはならない。」

 ここまで言われると、反論しないわけにいかない。

 「法学部を出た、弁護士さんよ。」「戦勝国が、敗戦国を裁いた東京裁判の、どこが公正だったのかい。」「事後法で裁いた、重大な違法を、君は法律家として、なんと説明するのか。」

 「戦争法規の確立した20世紀なんて、笑わせてくれるなよ。」「東京裁判のどこに、そんな正義や公正さがあったのか。」

 名もない国民の一人として、私が一生を終えつつあるとしても、国を大切にする心と、常識は、反日弁護士には負けない自負がある。

 原爆投下に関する、彼の意見を引用しよう。その口調の非情さは、辻元清美氏を彷彿とさせる。「戦時中の、北朝鮮の国民が受けた被害に比べたら、拉致は優先度が低い。」と、彼女は言った。

 「投下直後の8月10日、日本政府は、スイス政府を通じてアメリカに抗議した。」「無差別殺戮は、陸戦の法規、慣例に関する規則に反するものである。」「かかる非人道的兵器の使用を、放棄すべきことを、厳重に要求する。」

 「自らの非を棚に上げてのものゆえ、日本政府のこの抗議には、迫力がないとしても、抗議自体は間違いではない。」

 戦後50年が経過し、原爆投下の裏事情が判明した、現在だというのに、、氏はこのような物言いをしている。中国や韓国の戦争被害者に同情するなら、同じ強さで、なぜ同胞の惨状に心が寄せられないのか。広島・長崎の犠牲者は、日本人だからどうでも良いと、そう考えているとしか思えない口ぶりだ。

 理解不可能な氏の人道主義だが、考えてみれば、反日左翼は、皆似たような主張をする。取り立てて言うほど珍しくないし、取り上げる価値もないが、こうした愚論が幅を利かせている事実だけは、ちゃんと伝えなくてならない。

 「学校の授業で、わずかに語られるアジア・太平洋戦争では、」「もっぱらその悲惨さ、それも長崎・広島に対する原爆投下だ。」「一夜にして、10万人もの人が亡くなったといわれている、東京大空襲など、」「日本人の被害が、中心として取り上げられる。」

 「戦争の中身を掘り下げることなしに、ただただ、」「戦争の悲惨さのみが、語られるのである。」「本当に必要な、戦争責任の追及や、戦争被害者の救済が、」「十分に論じられないまま、戦争に関する議論が、終了してしまう。」

 「こうした教育を受けた若者たちが、アジア・太平洋戦争、」「とりわけ、日本の加害者責任について、」「正しい認識を持ち得ないのは、当然である。」「日本の学校教育は、考え直されなくてはならない。」

 本の最後で氏が力説しているが、私も、まったく同感である。

 「日本の学校教育は、考え直されなくてはならない。」

ただし、私の思いは氏と正反対の理由だ。若者たちが、氏のような妄言にたぶらかされ、反日・売国の徒とならないようにするため、考え直されなくてならない。

 叩いても顔を出すモグラのように、日本人の魂を喪失した人間たちが、巷に溢れ、偏った情報しか伝えないから、日本の学校教育は、今こそ考え直さなくてはならない。

 最後に、もう一つ大切な提言をしたい。「終戦記念日」という、訳の分からない言葉の使用を止め、「敗戦の日」とすべきだということ。本当の日本の戦後は、「敗戦の日」とあらためて時から、再出発する。

 アメリカの従属国となり、中国や韓国の横車に耐え、国連では、アメリカに次ぐ拠出金を出させられながら、物も言えず・・と、これらは全て敗戦の結果だ。

 氏は、こんなつまらない本を書き、反日行為に明け暮れるより、マスコミや政府に向かって叫ぶべきでないのか。「終戦の日などとごまかさず、敗戦の日と、厳しい事実を国民に知らせよ。」

 その方が、よほど日本の未来に役立つというものだろう。

 いくら真剣に書かれていても、捏造と嘘の朝日新聞が材料では、氏の著作は有害図書でしかない。こんな本は、我が家での扱いは、「有価物回収の日のゴミ」と決まっている。

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「反日」とは何か

2015-08-07 22:49:30 | 徒然の記

 熊谷伸一郎氏著「 反日 とは、何か」(平成18年 中央新書ラクレ刊) を読了。副題が、「中国人活動家は語る」である。

 著者は昭和51年に横浜で生まれ、現在39才で、月刊誌「自然と人間」の編集長である。元戦犯たちの団体「中国帰還者連絡会」の後援団体である、「撫順の奇跡を受け継ぐ会」の事務局長でもある。私はこれらの会について何も知らないが、反日の団体の一つだと偏見だけはきちんと持っている。

 だから氏は、私が嫌悪する世界で生きている人間だ。薄っぺらな本だが、中身は重く悲しく情けなく、複雑な思いで読んだ。

 なぜ中国人は、こんなにも日本を憎み、否定し、攻撃してくるのか。日中戦争とは何だったのか、単なる中国への侵略だったのか、彼らの言う残酷な殺戮の中身は何だったのか。長い間の疑問を解く鍵が与えられた点には、素直に感謝した。

 しかし、本を閉じた後も、熊谷氏はなぜ、日本や日本人を、大東亜戦争という一時点の出来事で断罪するのか。二千年の国の歴史を足蹴にする無神経さが、どこから来るのかが、理解できない。

 もしかすると、この本に出てくる中国の活動家同様、氏は、歴史を知らないのではないかと、解けない次の疑問が生じた。

 さてここで、氏が紹介する活動家盧雲飛氏の主張を、一部引用する

 「ある人が過ちを犯したとしても、それを謝りだったと考え、」「なおかつ実際行動で悔い改めたとしたら、被害者は彼を理解するだろう。」「国家においても、同じだ。」「中国は5000年以上の文明を持ち、度量が大きく、世界を包含する国家である。」「その歴史において、ロシアおよびイギリス・フランス・ドイツなどを含む、」「8ヶ国の連合軍が、中国を侵略したことがあった。」

 「しかし現在、中国人民は、これらの国家に対して、マイナスの見方は持っていない。」「なぜなら彼らが、中国に対して災難をもたらした期間は、それほど長い時間でなかったし、」「壊滅的なものでなかったからだ。」

 「たとえアメリカに対してであっても、この 世界の警察が、あまりに覇権主義的であるとしても、」「彼らは横暴で筋を通さないと思う、それだけのことだ。」「しかし日本は、これらの国々と同じでない。」「中国近代の没落は、列強による侵略が原因であるが、」「主には、日本の半世紀にも及ぶ侵略が、原因である。」

 「日本は、新しい歴史教科書を、検定で合格させたことに見られるように、」「アジアへの侵略が、誤りであったとは根本的に認識しておらず、」「その誤りを、正そうともしていない。」「日本の首相は、率先して靖国神社を参拝しているが、その度ごとに中国人民の感情を大きく侮辱している。」

 「なぜなら、靖国神社に祀られている人間の80パーセントは、」「第二次世界対戦中に、アジアを侵略した軍人であり、」「その中には東条英機、土肥原賢二、松井石根など、」「数々の戦争犯罪を犯した、14名の戦争犯罪人がいるからである。」「首相の参拝は、彼が、これら戦犯の行いを恥とは考えていないことを、示しているとしか説明できない。」

 「日本の学者の中には、南京大虐殺の犠牲者が30万人、」「という数字の真実性を問い、実際の数字は数万だと、」「南京大虐殺の真実性に、疑問を持つ者がいる。」「私はこの方面の専門家でないので、具体的な数字に対しては研究していない。」

 「しかし日本軍が、当時の中国の首都を攻め、老人・婦女・子供を含む市民、および投降して、後手に縛られている兵士を殺したことは、事実である。」

 「たとえ被害者が何人であろうと、これは虐殺なのである。」「これが本質である。」「人数が具体的に数万か数十万かは、二の次の問題だ。」「南京で大虐殺を行ったこと、これは疑いのないことだ。」

 20万人だった南京市民が、どうして30万人殺されたと言うのか。数は二の次だと言うのなら、この活動家の言っていることは、単なる感情論でしかない。

 最近では、南京陥落直後のニュース写真が出てきて、笑顔で佇んでいる子供たちや、証明書を貰うため、行列している男たちの様子が見られる。韓国の慰安婦問題と同様、南京問題など、国交回復の条約締結時には、問題にもされていなかった。

 中国側が、知らなかったのに、南京の「虐殺記念館」の建設を促し、資金まで与えたのは、当時の社会党の田辺氏だったということが、今では分かっている。獅子身中の虫としか言えない、売国の政治家たちが、中国の政府要人に知恵をつけ、反日運動の火付け役をしたのだ。

 中国の活動家と言われる、この青年が語っていることは、事実でなく、中国政府のプロパガンダそのままだ。情報の少ない中国人で、知的弱者の人間なら、この程度の理解しかできないだろうと、推測ができる。

 私が情けなく思うのは、こんな客観性の乏しい彼の話を本にした、熊谷氏の人間性のお粗末さだ。多様な見方が今もあり、種々の意見と沢山の事実が錯綜する問題を、どうしてこのように単純化してしまったのか。

 「中国近代の没落は、列強による侵略が原因であるが、」「主には、日本の半世紀にも及ぶ侵略が原因である」と言う、中国青年の教養のない意見を、そのまま受け入れている熊谷氏の不勉強ぶりが、同じ日本人として恥ずかしくなる。

 南京虐殺にしろ、靖国参拝にしろ、政治問題化させた張本人は、朝日新聞だった。これら反日・売国のマスコミのやったことについて、熊谷氏は何も知らないのだろうか。私は、過去の日本が、全て正しかったとは思わないし、間違いもしていると考えている。その代わり、日本だけが間違っていたとか、日本人だけが残虐だったとか、そんな極論には与しない。

 「平和を守ろう。」「戦争はいやだ。」「平和憲法を大切にしよう。」と、正直にそう思い、善意からデモに参加している人々がいる。だが、自分の気持ちを偽らずに生きようと、懸命に語る人々の、その愚かさを私は軽蔑する。

 熊谷氏の本を読んでいると、そういう人々の姿と重なってくる。本多勝一の著作のように、激しい怒りや憎悪は覚えなかったが、やりきれない腹立たしさがずっと残った。

 昔と違い、ブログの世界で色々なことが分かるから、マスコミにも政府にも、簡単に騙されない国民が増えている。言論封殺の隣国と違い、日本は民主主義の国だから、多様な意見の一つとして、氏の存在も許容するとしよう。

 独りよがりの正義感と善意で、こんないい加減な主張をする者が居ても「まあ、いいか。そのうち消えていく。」と、そんな気持ちのゆとりが、私に生じているという事情もある。

 自分の国を愛せず、憎しみでしか語れないなど、このような不自然なことが、いつまでも続くはずがない。反日・左翼の、国を誹謗する横暴が、許されるはずがない。
 

コメント (2)
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