ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

憂国 - 7 (女系天皇)

2016-08-31 00:16:54 | 徒然の記

 ロスチャイルド家と聞けば、詳しいことを知らなくても、多くの人は世界的大富豪の名前だと、即座に思うだろう。

 私も、そのくらいしか知らなかったが、ネットで、改めて知識を入れた。

 「18世紀の後半に台頭した、ロスチャイルド家は、」「今ではヨーロッパの財閥、貴族、門閥として、その名が知られている。」「ドイツのフランクフルトが発祥の地だが、」「創設者の五人の息子は、ヨーロッパの主要都市で家業を発展させた。」

 「長男は、ドイツのフランクフルトで跡目を継ぎ、」「次男は、オーストリアのウイーンで、三男は、イギリスのロンドン、」「四男は、イタリアのナポリ、五男は、フランスのパリでと、」「夫々が家業を拡大・発展させた。」

 日露戦争の時、戦費のなかった日本に、多額の融資をしてくれた話は知っていたが、関東大震災後の復興事業や、横須賀造船所の建設にまで融資をしていたとは、知らなかった。米国の中央銀行である FRBの、大株主でもあると聞く。

 18世紀後半の創設期から計算すると、ロスチャイルド家は、およそ300年の歴史を持つ名家だ。私みたいな、名も無い庶民から見れば、まさに雲の上の一族だ。

 ロスチャイルド家の家訓を、何かの本で読んだ記憶があったので、ネットで検索してみた。それがこれだ。

  ・ 事業への参加は、男子相続人のみとすること。 

  ・ 本家も分家も、長男が継ぐこと

  ・ 婚姻は、ロスチャイルド一族内ですること

  ・ 事業内容は、秘密にすること

 わざわざこれを探し出したのは、ロスチャイルド家が、一族の存続を守るため、「男系相続」徹底している事実を確認したかったからだ。有識者と言われる、皇室典範検討会議の学者たちが、決して有識者でないという証明に繋ぎたいと思う。

 ロスチャイルド一族は、一族の富と事業を永久に存続させるため、一族以外の介入を徹底的に排除した。女たちを事業に参加させず、全て男たちだけの秘密とした。一族の女性の結婚相手は、いかに有力者の子息であったとしても、事業への参加だけでなく、仕事の中身さえ知らせなかった。つまり、徹底した女系孫の排除だ。大事な家族を維持するには、「男系相続」しかないと、彼らは知っていた。

 皇室に比べれば、わずか300年の家系のロスチャイルド家で、しかも金銭でしかない一族の富を守るためでさえ、「男子相続」を徹底している。

 しかるに、2600年以上も続き、国民の中心におられる天皇を、女系でも可とする有識者会議の学者たちは、ロスチャイルド家以下のレベルではないか。ロスチャイルド家が守るのは、せいぜい一族の財だが、天皇家は、国民の魂の拠りどころを守り続ける方々だ。

 女系が家系を崩壊させると、ロスチャイルド家ですら、警戒している事実も知らぬ顔をし、大切な皇室に女系を持ち込み、「伝統も、変わる時がある。」とうそぶく、有識者会議の座長は、愚か者としか言いようがない。

 今回のブログのため、『文芸春秋』を再読し、皇室典範有識者会議の議長の名前を確かめた。東大総長の、吉川弘之氏だった。それで私は納得した。氏は知識のない一般人でなく、博学の反日・左翼学者だったということだ。敗戦後の東大は、反日・左翼の巣窟と成り果て、亡国の学者たちの育成機関と成り果てている。

 女系天皇を誕生させれば、100年もするうちに、皇室の家系が乱れ、野心まみれの不心得者が天皇の地位を奪い、ご先祖様が大切にしてきた歴史が崩壊する。亡国大学の元総長である吉川氏は、さぞ満足であることだろう。

 平成18年2月の「文芸春秋」に、今は亡き寛仁親王と、櫻井よしこ氏の対談が掲載されている。親王のお言葉には、忘れてはならない、大切なものがあると思うので、ランダムに抜粋してみる。

 「昔は、今以上に、皇族のことを知らない人たちが沢山いたはずです。」「しかしこの国には、帝(みかど) という方がいらっしゃる、天子様という方がいらっしゃると、」「そのことだけは、日本の隅々にまで、知れ渡っていたはずです。」

 「ですから、足利、織田、豊臣、徳川といった、天下を取った武家たちも、」「常にナンバー・ツウの存在であり、ナンバー・ワンの場所には、天子様がおられた。」

 「当時の国民は、京都には都があって、そこに天子様がおられることを、暗黙のうちに知っていて、」「心の支えとして、尊崇の念で見てきたのです。」

 「2665年の間、神話の時代から、父方の血統で続いてきたという、」「この伝統と血の重みには、」「誰も逆らえなかったということだと、思います。」「血統に対する暗黙の了解、尊崇の念を、国民が持っていてくださるから、皇室があるのです。」

 「皇籍離脱された宮様たちが、六十年間も、一般人の生活をなさっていたから、」「皇族に復帰することには、国民に違和感があるだろうと、おっしゃる方がいます。」「一方で、有識者会議の結論では、女性天皇のお婿さんは、皇族にするということです。」「一般の方が、天皇の夫になられる方が、よほど違和感があるのではないでしょうか。」

 「畏れ多い例えですが、愛子様が、たとえば鈴木さんという男性と結婚されて、玉のようなお子様が生まれれば、」「その方が、次の天皇様になられるわけです。」「そのお子様が、女のお子様でいらした場合、更に、たとえば佐藤さんという方と結婚されて、」「というふうに繰り返していけば、100年も経たないうちに、」「天皇家の家系は、一般の家系と変わらなくなります。」

 「私の家系とどこが違うの、という人が、出てこないとは限らないのです。」「その時、果たして国民の多くが、天皇というものを、尊崇の念で見てくれるでしょうか。」

 「私が国民にお願いしたいことは、愛子様が即位されるにしても、」「それまで、少なく見積もっても、30年、40年あるわけです。」「その間に、これまで皇統を維持するために、先人たちがどのような方策をとってきたか、」「事実をよく考え、様々な選択肢があることを認識した上で、」「ものごとを決めて欲しい、ということです。」

 「それでも国民の大多数が、女系天皇でいいと言うのでしたら、」「そこで大転換すればいいのであって、今すぐ決めるという必要は、ありません。」

 ここでインタビュアーの櫻井氏が、質問している。

  「殿下の書かれたご意見についてどう思うのかと、新聞記者から聞かれた吉川座長は、」「 どうということはないと、答えています。」

 そして親王のお応えは、笑いながら・・。

 「ありがたく拝聴します、くらい言っておけば、角は立たないのですから、」「非常識だとは、思いますね。」

 昭和25年、吉田首相に、「曲学阿世の徒」と批判されたのは、当時の南原東大総長だったが、以来56年経っても、変わらない東大総長だったということか。こんな人物によって出された会議の結論を、私は良しとする気にならない。美智子様なら喜ばれるのだろうが、今上陛下までがそうだとは、信じられない。昭和天皇以上に、ご先祖の祭祀を大事になさっていると聞く陛下が、軽々しく座長の意見にうなづかれるはずがない。

 神武天皇以来、先帝陛下も含め、120名余もおられる天皇が守られたものを、125代目にあたられる陛下が、たった一人で、崩壊させる決意をされるなど、とても信じられない。

 もしかすると、陛下は、誠に言い難いことながら、老人特有のご病気になられているのだろうか。美智子様に言われるがまま、「お言葉」の披露をされたのだろうか。

 「憂国」のブログは、今晩で終わりにしたい。どっと寄せてくる、疲労感がある。自民党の政治家に、憂国の士はいないのか。吉田元総理のように、「黙れ、曲学阿世の徒」と、吉川氏を一喝できる政治家はいないのか。

 昨夜と同様に、私の名句(迷句)で、ブログを終わろう。

    鳴く蝉や

     昭和は 遠くなりにけり

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憂国 - 6 (女系天皇)

2016-08-29 22:10:23 | 徒然の記

 平成21年12月発行の、「文芸春秋」の対談記事で、保坂正康氏が、次のように述べている。

 「愛子様がお生まれになった、平成13年当時は、皇室にも、傍系の宮家にも、」「女性しかいないという、状況でした。」「このままでは皇統が途絶えてしまう、という危機感から出発したのが、」「皇室典範改定問題でした。」

 「時の小泉内閣が、有識者会議を設置し、平成17年11月に報告書を提出して、」「結論は、皇位継承は、天皇の直系子孫で男女を問わない、第一子優先、というもの。」「つまり愛子様を、皇太子様に次ぐ、皇位継承第二位にし、」

 「事実上、女系天皇、女性天皇を容認する、皇室典範改正法案を、」「国会に提出する段取りになったわけです。」

これを受け、櫻井よしこ氏が語っている。

 「ところが、法案が提出され、成立するはずだった国会の会期中に、」「秋篠宮紀子様の、第三子ご懐妊の知らせが入るわけです。」「有識者会議の報告は、伝統とは、必ずしも不変のものでなく、」 「選択の積み重ねにより、新たな伝統が生まれるなどと、」

 「 まるで伝統が、流行のごとく変わるものだと言わんばかりに、語っていましたが、」「紀子様ご懐妊が、見事に、この乱暴な結論に歯止めをかけて下さった。」

 いまこうして、櫻井氏の説明を読んでいると、昨日のブログで取り上げたケネス・ルオフ氏の論調と、有識者会議の報告書が、酷似していることに驚かされる。会議のメンバーの誰かが報告書の内容を、氏に語ったのでないかと、邪推すらしたくなる。

 それとも、学者であるケネス氏は、私みたいに、「文芸春秋」を何冊も買い求め、米国で保管し、丹念に読んでいたのだろうか。

 次は、朝日新聞の編集委員、岩井氏の意見だ。意外にも慎重な態度なので、朝日新聞だからなんでも左と、そんな決めつけは良くないのかと、つい思わされた。

 「僕は皇室典範改正には、慎重論でして、これまで脈々と続いてきたものを、」「そうやすやすと変えることは、僭越ではないかという考えなんです。」「小泉さんの時に、300議席あるから通してしまえと、」「一瀉千里で、なぜやらねばならないのか、拙速だと思わざるを得ません。」「皇室典範改正は、憲法改正以上に厄介な問題なんです。」

 皇室研究家の高橋氏以外は、女性天皇に賛成しておらず、孤立無援の高橋氏が反論する。

 「じゃあ、男系を維持するためには、どうしたらいいのか。」「先の先を考えた時、皇位継承の不安は拭えない。」「そのあたり、男系を主張される方はどう考えているのか。」

 櫻井よし子氏の意見だ。

 「男系の旧皇族を、皇室に復帰させるという方法が、一つあるでしょう。」「例えば、廃絶になる宮家を、旧皇族に継がせる。」

 高橋氏の反論だ。

 「旧皇族は、六十二年前の皇籍離脱によって、一般人として生活をしてきた人たちで、」「もはや、皇族というふうに、一般国民は認識できないでしよう。」

 岩井氏の反論。

 「悠仁様誕生で、復帰した旧皇族方が、そのまま皇位継承する可能性は低いが、」「復帰した旧皇族の子や孫なら、生まれながらに、皇室内の環境で育つわけですし、」「国民も、自然と認知できるということではないでしょうか。」

 こうして彼らの意見が掲載されているが、女性天皇とは何であるのか。どうして皇室の歴史を崩壊させることになるのか、誰も語らない。国民に皇位継承の問題を広く知らせるべきと言いながら、肝心なところをぼかしているのだから、話にならない。

 さて、三年後の平成24年の1月に、産経新聞記者の大島真生氏が、「文芸春秋」に、長文の寄稿をしている。

 民主党政権下で、問題が放置されていることに対し、警鐘を鳴らしているのだが、記事のタイトルが刺激的だ。「民主党政権下で、平成が終わる日」である。実をいうと、当時の私は、この見出しを見て「文芸春秋」をコンビニで買った。記事をそのまま転記する。

 「民主党が衆院選で、歴史的大勝を収めた平成21年9月、宮内庁の羽毛田長官は、」「定例会見で、皇室にまだ問題があることを、新内閣に伝え、」「対処していただく必要があると、述べていたのである。」

 「だが、皇室・皇統に無定見な民主党政権は、」「中国の習近平副主席との面会を、陛下に強要した。」「面会を批判されたことに対し、当時の小沢幹事長が、」「陛下ご自身に聞いたら、会いましょうとおっしゃるなどと、」「勝手に忖度した上で、不敬極まりない暴言を吐くなどしている。」

 産経新聞の記者らしく、大島氏の意見は反日の民主党には厳しい。

 「沖縄・普天間問題や、東日本大震災からの復興問題だけでなく、」「国の骨幹をなす皇統の問題にも、民主党政権は、」「まったく対処する能力がないことが、すでに顕在化している。」

 「皇室典範を真剣に論じようという雰囲気が、自民党にもない。」「改めて、愛子様が皇位を継承できるようにする選択肢も、議題に乗せざるを得なくなる可能性があり、」「悠仁様の皇位継承に、異議を唱えることになりかねないからだ。」

 無知な庶民である私は、そんなややこしい話なのかと首をかしげたが、なにしろ国の根幹の問題だから、そこまでの配慮がいるのだろう。

 「日本では、過去8人の女性皇族が天皇になっている。」「同じ女帝が、一度皇位を退いた後、事情によって再び皇位に就いたケースが、」「二人あったため、女性天皇は " 8人10代 " という言い方をする。」

 「推古天皇など8人10代は、男系の女子が、ピンチヒッター的に皇位に就いたケースであり、」「女性皇族と、皇族以外の配偶者との間に出来た子供が、」「皇位を継承した例が、過去にないことから、」「皇位継承権は、男系に限られてきたと言えるのである。」

 大島氏は、偶然に男系がつながったような、言い方をしているが、これこそが、歴代皇室が懸命に守ってきた「男系の維持」の基本なのだ。

 少し乱暴でも、私のような、皇室を何も知らない庶民に、わかりやすく言えば、「女性天皇になる女性宮家は、原則として一生独身でなくてならない。」「もしものこと、皇族以外の男性と結婚し、生まれた子が、男子であっても天皇になれない。」、ということである。

 彼らが曖昧にしか語れないのは、現実におられる愛子様に対し、「生涯、独身を通して下さい。」とか、「皇族以外の方と結婚されたら、お子様は、たとえ男子でも天皇にはなれません。」と言えないため、遠慮をしているからに違いない。

 だが、肝心のことを説明せずして、何が国民の理解なのかと、私は言いたい。そして、大島氏より、新たな提案がおこなわれる。

 「皇統の危機が続いている以上、男子優先は維持した上で、」「一代限りの女性天皇も視野に入れた、」「一代限りの女性宮家の容認は、少なくとも議題に載せるべきではなかろうか。」

 「こうすれば、愛子様も皇位継承者となる。」「眞子様や佳子様にも、皇位継承権が与えられることになる。」

 私の理解が間違っていないとすれば、ここに隠されている言葉は、皇位継承権を得た、宮家の方々は、一生独身でなくてはなりませんよ、ということになる。愛子様については分からないが、少なくとも皇族の一員でおられる佳子様と眞子様は、とっくにご存知だろうし、覚悟も持たれているはずだ。

 しかし、ここに単純な疑問がある。

 雑誌の対談者たちは、2665年間続き、125代の天皇を抱される皇室を、なんで自分たちの基準で語ろうとするのか。

 国民の敬愛の中心であり続けるため、皇室には特有の伝統と文化があり、不自由と堅苦しさと、時には苦痛も伴う。皇室には、私たち庶民に当たり前としている、「男女平等」がなく、沢山の例外がある。ご自宅を一歩出れば、護衛官たちが随行し、安全を守ってくれるが、食事の時も、誰かとの面談の時も、あるいは遠慮してほしいトイレの時だって、護衛は任を解かない。しかも、私たち庶民のように、なんでも喋る自由がない。

 気ままに、おしゃべりや軽口を叩いていたら、マスコミに取り上げられ、思ってもしない騒ぎを起こしかねない。相撲で好きな力士は誰かと、記者に聞かれても、「差し障りがありますから、言えません。」と答えられた昭和天皇の、生真面目なお姿が、今でも思い出される。

 江戸時代の殿様は、ぬるい湯加減の風呂に入っても、「お湯がぬるい。もっと熱くしろ。」とは言わなかった。殿様が苦情を口にすると、聞いた風呂焚きの者は、責任を感じて死を選んでしまう。だから殿様は、誰に言うともなく、「今宵の風呂は、もう少し熱ければ良いのだがなあ、」と、独り言を言い、伝え聞いた風呂番が、急いで風呂に火を入れる、という。

 時代小説の話だったと思うが、昔の日本では、殿様でさえ、配下の者には気を使っていた。まして、皇族の方々においては、国民に及ぼす影響の大きさを常に思われ、考えられ、慎重に、注意深く、だからこそ深遠なお言葉になる。

 庶民は、詳しいことは知らずとも、ご苦労なお立場であることを感じ取り、天皇陛下を崇めてきた。政権を武士に奪われて以来、恐らくは鎌倉時代以降、皇室の存在は、武力や財による君臨でなく、神話以来の稀有な皇統 ( 血筋 ) と、国への祈りを捧げられる天皇の、権威だったに違いない。

 諸外国に理解不可能なのは、武力によらない天皇の存続であり、歴史と伝統の守られた天皇の権威だろう。統治者同士の、殺戮と死闘しか知らない他国は、武力のない非力な天皇が、国民の尊崇を失わない理由が、理解できないはずだ。

 ましてマルクスの影響を受けた、共産主義者に、分かるはずのない皇室の存在だ。だから私は、敗戦後に台頭した左翼政党を嫌悪し、反日・左翼の人々を嫌悪する。軽率な結論を出した有識者会議のメンバーと、ケネス・ルオフ氏を軽蔑する。

 それなのに美智子様は、「A級戦犯」とか、「憲法を護るべき」とか、「慰安婦に詫びたい」とか、「九条を守る」とか、国内で波風を立てる言葉を、なんと沢山口にされていることか。

 江戸時代の殿様にも劣る軽々しい発言をされる、赤い美智子様を、嫌悪せずにおれない理由がここにある。

 とうとう今晩も、述べたかった問題まで、行き着けなかった。心を奮い立たせ、明日もう一回だけ、ブログを続けよう。それで、本当に終わりだ。

  先日、「ねこ庭」で作った句で、本日の最後を飾るとしよう。自分では名句と悦に入っているが、他人様に言わせれば、盗作でしかないと笑われるのがオチだろうが・・・・。

   鳴く蝉や 

    昭和は遠くなりにけり

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憂国 - 5 (女系天皇)

2016-08-28 22:19:00 | 徒然の記

 先日読んだ本の中で、上坂氏は、首相の靖国参拝について、マスコミが行う、アンケート調査に異議を唱えていた。

 敗戦後の日本人、特に若い世代が、靖国神社について何も知らないのに、「首相の靖国参拝について、賛成ですか、反対ですか。」と、聞いて得た答えに、意味があるのかという意見だ。

 明治維新以来の、靖国神社の歴史や、日清、日露、大東亜の戦争についても、ほとんど知らぬままで育った国民に、単純な問いかけをして良いのかという疑問だ。

 悪い戦争をした日本だと、教えられた世代に、首相の靖国参拝の賛否を問えば、大抵の者が「反対です。」と答えるに決まっている。客観的事実や情報が、ほとんど伝えられていない事柄について、国民に問いかけた答えで、民意とするのはフェアーでないと、氏は言っている。

 戦前の日本が、何もかも間違っていたとする、左翼系の平和思想が浸透する、現在の日本で、私は氏の意見を、卓見であろうと受け止める。馬鹿な政治家が何人集まっても、馬鹿の集まりに変わりがないのと同じく、無知な国民の意見がいくら集まっても、無知な意見であることに変わりはない。

 馬鹿な政治家は、いつ迄経っても馬鹿のままだが、国民は、客観的な情報さえ得られるようになれば、その時から馬鹿でなくなる。偏った情報ばかりでなく、左と右が公平に報道されれば、ちゃんと正しい判断ができる。同じく馬鹿といっても、ここが、政治家と国民の違いだ。

 前置きが長くなったが、先日の「お言葉」への、インタビュー記事の、愚かしいまでの洪水が、靖国同様の、無意味なアンケート調査だったと、私は言いたい。国民は皇室典範についても、天皇の国事行為についても、摂政についても、詳しいことは何も知らない。

 新聞やテレビが、毎日のように、「陛下のご公務は、大変だ。」、「高齢になられても、国民のために頑張っておられる。」と書き立てれば、受け取る国民は、「なんとお気の毒なことか」と、同情せずにおれなくなる。

 しかし、昨日まで私が綴った、「憂国」のブログを読めば、そんな単純なことでなかったと、考え直す人間が増えるのではなかろうか。

 「女性天皇」の問題も、まさしくこれらと同様事案である。「男女平等の時代だから、問題ないじゃないか」と、反日のマスコミが、連日大合唱すれば、多くの国民がその気にさせられる。

 女性天皇のことが問題となり、賛否両論が報道を賑わせたのは、平成16年の小泉首相時代だった。そ頃の私は、定年退職後に、関連会社で勤め口を得て、忙しく働いていた。朝早く家を出て、遅く帰宅するパターンは変わらなかった。新聞は見出しだけ読み、テレビもニュースを時々見るくらいで、朝日新聞の定期購読者だった私は、「お花畑の優等生」だった。

 女性が天皇になっても、いいじゃないか、何を政治家たちは騒いでいるのかと、傍観者でしかない自分だった。

 すべての仕事を止め、というより、どこの会社も雇ってくれない、年令になったため、私は自宅で庭の草むしりを始め、読書しかやることがなくなった。それが丁度、このブムログを始めた、平成21年だ。

 読書をし賢くなったと、そんな偉そうなことは、考えないが、本は沢山のことを私に教え、驚くような発見もさせてくれた。無知の恐ろしさも知り、馬鹿な国民の、立派な見本だった己を恥じながら、こうしてブログを綴るようになった。

 それだけに、じっとしておれない最近の出来事だ。まずもって驚いたのは、二階氏の発言である。8月25日の、BS朝日の番組収録時の発言だという、女性天皇への意見だ。

 「女性尊重の時代なのに、天皇陛下だけそうならないというのは、おかしい。」「時代遅れだ。」「諸外国でも、トップが女性である国が、いくつもある。」「何の問題も生じていない。」

 「政党間の協議でなく、女性天皇や、女性宮家の実現については、政府が検討すればよい。」

 本当は、とんでもない発言だが、何も知らない人間には、最もらしく聞こえてしまう。時代遅れの政治家と見えていた彼が、なんとなく進歩的、近代的人物に見えてきたりする。しかし、海千山千の政治家が、最もらしいことを言うときこそが、要注意なのだ。ましてこの、売国の二階氏においておやだ。

 平成10年に江沢民が訪日し、宮中で歓迎の晩餐会が行なわれた。正装で迎えられた陛下に対し、江沢民は、粗末な中山服(かっての中華人民共和国での人民服)姿で現れ、挨拶の中で、日本軍が、いかに中国や近隣諸国へ酷い行為をしたかを述べた。

 このため、江沢民は多くの日本人のひんしゅくを買い、帰国後の彼は、さらに露骨な反日政策をとるようになった。

 日中間に隙間風が吹く中でも、二階氏は、江沢民との親密な関係を維持し、平成15年に、郷里の和歌山県田辺市に、江沢民の石碑を建てる計画を進めた。訪中時に、江沢民に貰った揮毫の碑で、高さ4メートルの石は、中国から持ち込むというものだった。

 さすがにこれは、地元民のみならず、自民党の議員からも反対され、実現しなかったが、それでも彼は、「江沢民氏の銅像を、日本中に建てる。」と言って憚らなかった。つまり彼は、親中派というより、中国に取り込まれた政治家である。

 天皇制の廃止を、赤い中国がどれだけ望んでいるか、知る人ぞ知る事実だ。天皇陛下さえおられなければ、日本は国の中心を失い、内部分裂し崩壊すると、共産党政府は毛沢東の時代から狙っている。

 二階氏が、今回、さも当然のような顔をして語っている、「女性天皇」のその先には、「天皇制の崩壊」が待っている。こんな売国奴に等しい二階氏を、なぜ総理は重用するのか、不思議でならない。

 自分なら二階氏を使いこなせると、自信の表れかもしれないが、昔から言われる言葉を忘れないことをお勧めする。「策士、策に溺れる。」  

 そして今日、8月21日の千葉日報の記事を見て、更に驚いた。「識者評論」と題し、「天皇のお言葉」というタイトルで、ケネス・ルオフ氏の寄稿記事があった。A4サイズの大きなスペースだ。

 安倍総理が、二階氏を重用する意味が分からないことより、もっと意味が分からないのが、この記事だ。昭和41年生まれで、今年50才のポートランド州立大学の教授だというが、何で今頃、彼がアメリカくんだりから寄稿するのか。

  ネットで調べて初めて知ったが、氏は、英語圏における、現代日本の天皇制研究に関する、第一人者であるらしい。どこの第一人者であろうと、日本国民である私は、氏の意見に賛成しない。昔、北海道大学にいて、助手や講師の経験もあるらしいが、見当違いの戯言を述べるのなら、そんな滞在経験は、何の意味もない。以下、ランダムに、氏の意見を新聞から引用する。

 「お年を召された天皇陛下と、寄り添う皇后陛下が、」「国民のために、強い決意で公務をこなされる姿は、」「間違いなく感動的だ。」「高齢化がどういうものか分かっている者なら、」「天皇がご存命中に、いかなる公務も果たせなくなるといった、」「さまざまな事態が起こりうることを、想定できるはずだ。」

 「皇室典範の欠陥は、とうの昔に改正されていてしかるべきだった。」「対応は、今や急務と言える。」「天皇のお言葉で、真に、国民の天皇 であるとの思いを、新たにした。」

  少し前までの自分だったら、「アメリカの大学教授までが、天皇のお言葉に感激している。」、そう思って記事を読んだだろうが、もう、そうはいかない。大事な自分の国の問題に、なんでアメリカの教授が口を挟むのだと、不愉快でならない。

 「政治過程に関与したいという、天皇の意思よりも、」「国会が、皇室典範の明らかな不備を、長年放置してきたことの方が、」「問題はよほど重大でないのか。」

 退任の規定がないのは、皇室典範の不備ではない。退任に代わるものとして、「摂政」の規定が置かれている。しかも、「第三条」にきちんと書かれている。この条文に言及せず、法の不備を語る氏は、本当に、天皇制研究者の英語圏での第一人者なのか。

 天皇の「お言葉」発信が、憲法違反であると認めながら、そんなことより「皇室典範の改正が大事だ」と言うのは、法学者として暴論ではないのか。

 「私には、皇室典範を改正し、生前退位を認めることが、」「まっとうなやり方だと、思われる。」

 日本政府の苦労も知らず、国を思う保守の人間たちの心労も、思いやらず、氏は主張を発展させる。

 「何と言っても、安倍政権の基本政策の一つは、すべての女性が輝く社会作りである。」「この広がりのある政策が、皇室典範の改正まで及び、」「国民の象徴たる女性天皇を、認めるところまで行き着くのだろうか。」

 ここで私たちが知らなくてならないのは、皇室典範の改定が、女性天皇の誕生に繋がるものだと、正しく認識している人間集団が、米国に存在するという事実だ。中国とアメリカと日本との間に、密接に結びついている集団 ( 政治家、事業家、宗教家、マスコミ関係者 ) が、存在しているという証明でもある。

 氏の意見が、二階氏の発言と無関係になされていると、私は思わない。氏の次の言葉が、それを証明しており、中国共産党の思惑通りの発言にもなっている。

 「女性天皇の誕生は、国家主義者が賛美する、万世一系なる皇室の血筋を、壊すことになるだろう。 」

 氏はここまで分かった上で、日本の新聞に寄稿している。怒りをもって、私が氏の意見に反論したくなるのは、次の言葉だ。

 「歴史には、伝統を重んじる時もあれば、過去の伝統、人為的に作られた伝統を、終わらせる時もある。」

 金にあかせた選挙で、大統領が次々と代わる、歴史も伝統もない米国人に、ここまで言わせていいのか。あるいは、武力と金で、政権を簒奪した者が支配者になる中国が、爪を隠して皇室の崩壊を企んでいるのに、なぜ二階氏は協力するのか。

 このブログで私が述べたかったのは、「女性天皇」と「女系天皇」の違いについてだった。似て非なる言葉に隠された、皇室破壊の要素を、データをもって示すつもりだった。

 二階氏とケネス・ルオフ氏のため、予定が狂ってしまったから、続きは次回のブログとする。

  静かに夜が更け、耳をすませると虫の音が聞こえる。台風一過で暑さが払われ、ひやりとする空気が、秋の気配を感じさせる。しかしまだ、8月の末だ。残暑はこれからなので、気を緩めてはなるまい。

 とは言いつつも、この涼しさは助かる。今夜は、きっとぐっすり眠れることだろう。 (二階氏とケネス氏の、夢さえ見なければ・・) 

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憂国 - その4

2016-08-27 13:22:31 | 徒然の記

 平成20年4月の文芸春秋に、「引き裂かれる平成皇室」と題し、六人の対談記事がある。ここにも、保坂正康氏と高橋宏氏が顔を出している。

 先ず高橋氏の意見を引用する。

 「国民が、皇太子ご夫妻に、ただならぬことが起きているのを、」「はっきり知らされたのは、」「平成16年5月の、皇太子の記者会見で、」「雅子のキャリアや、雅子の人格を、否定するような動きがあった。」「と、述べられた、いわゆる、人格否定宣言です。」

 「平成17年には、湯浅宮内庁長官が、退任時の会見で、」「皇太子に対し、機会をお造りになり、両陛下との意思の疎通を、」「さらにお諮りいただけるようにと、」「進言している。」「つまりこの問題は、ここ数年間、天皇ファミリーが、内側に抱え続けてきたものだったのです。」

 「実際に、昨年の皇太子ご一家の参内は、15回程度で、」「自発的な参内は、年に二、三回。」「秋篠宮家が、年44回と、ほぼ毎週、皇居に足を運んでいるのと比べると、」「その差が、目立ちますね。」と、東大教授の御厨氏が受け止め、皇室ジャーナリストの松崎氏が、後を続けている。

 「そこに昨年暮れからの、雅子妃の、私的外出の報道が重なります。」「12月に、宮中でお餅つきがあったのに、そちらには出席しなかった皇太子と雅子妃が、」「その晩、ミシュラン三ツ星のフランス料理店で、夜中まで食事をしたとか、」「元日の祝賀行事を、ほとんど欠席した雅子妃が、小和田家と、東宮御所でおせち料理を囲んだ」「といった記事が、週刊誌などで毎週のように報じられました。」

 そして高橋氏の意見だ。

 「公務もままならない、参内も難しい中で、私的な外出だけが増えているのは、」「いかがなものかと、憂慮する声が、国民の中からて出てくるのも、当然でしょう。」

 続く御厨氏の批判だ。

 「やはり 、開かれた皇室を目指した、戦後の天皇家のあり方が、」「行き止まりまで来てしまった、という感がありますね。」

 もっとも厳しい意見を述べているのは、保坂氏だ。

 「皇太子の会見の言葉で、具体的なのは、愛子さんの話、」「雅子妃の病状、それからご自身の話の、三つだけなんですよね。」「これだけ、娘と妻のことばかり話すのには、違和感を覚えます。」

 療養中の雅子さまについては、精神科医の斎藤氏を除くと、全員が厳しい意見だ。ここでも保坂氏の意見を、引用する。

 「雅子妃が、祭祀を、単に非合理なものとしてしか捉えられない、」「というのは、日本の歴史とは何か、」「なぜ天皇家は続いているのかと、自問自答をしていないのと、」「同じことでないかと、思います。」

 雑談でしかない話が続くだけなので、次の本に移る。平成21年9月に発行された、「文芸春秋」の対談記事だ。出席者の名前は、ノンフィクション作家保坂正康氏、ジャーナリスト櫻井よしこ氏、皇室研究家高橋紘氏、精神科医香山リカ氏だ。

 長い記事なので、私の独断で、雅子妃関連の意見だけを、抜き出して紹介する。雅子妃に対し、香山氏以外は、全員が厳しい見方をしているが、連続性という面から、保坂正康氏の意見を最初に取り上げる。

 「雅子さまは、あまりにも、知的整合性という面から物を考える。」「たとえば、神武天皇って実際にいたんですか ? 」「なんで、こういう祭祀をやるんですか ? と、疑問に思った時に、」「その非合理性から、距離を取らざるを得ないから、」「雅子さまの悩みは、膨らんでいったのでしょう。」

 岩井氏の意見は、もっと赤裸だ。

 「人格を否定したのは誰なのかと、憶測が飛び交い、」「傷つく人を、多く出すことになってしまった。」「天皇サイドから、説明文書を求められたことを聞いた雅子妃が、」「文書を出すのなら、皇太子妃をやめますと、」「激しい口調で、電話を切ったという話も聞こえてきました。」

 環境適応障害という、雅子様のご病気は、治る見込みがあるのか。こうなる以前に、なぜお妃教育をきちんとしなかったのか。ご実家である小和田家の家風が、雅子さまを育てたとか、対談は続くが、本の引用はここで終わる。

 ご高齢の陛下を中心として、皇室の問題はかなり深刻である。

 だが私には、解決策があると思えてならない。文化人と呼ぶのか、評論家というのか、良くわからないが、彼らの意見を読み返してみると、私のような庶民にしか、見えない事実があると思えてきた。

 高貴な方であれ、一般庶民であれ、一番大切なものは、愛だ。親子の愛、夫婦の愛、家族の愛、郷土への愛、生まれ育った国への愛・・。

 いろいろあるが、一番根っこにあるのは、夫婦と親子の愛ではなかろうか。数冊の本を読み返し分かったことは、砕けた言葉で言えば、皇太子殿下にとって雅子さまは、惚れ抜いて添いあった恋女房だ。皇位継承者でなければ、一途な愛も、なんの問題もなかったのに、世界に類のない、伝統のある家系であるため、周囲がすべてに干渉してくる。お二人とも、抜け道のない迷路に入られている。

 お二人は、自分たちの愛を大切にされ、生きられたら良いと思う。お手本は、元イギリス国王エドワード八世だ。「王冠をかけた恋」として、有名な伝説になっている。王は道ならぬ恋をされ、王位を捨てるか、恋を取るかで悩まれた末、王位を捨てる覚悟をされた。退位してウィンザー侯爵となられた王を見習われ、皇太子ご夫妻は、皇室を離れられることをお勧めしたい。

 思いつきの意見でなく、報道を知るたび、ずっと考えていた提案でもある。受け入れ難い意見だとしても、個人の幸せを満たす解決策は、これしかないのではなかろうか。

 陛下と美智子様は、お二人で力を合わせ、「開かれた皇室」を作ってこられた。皇室の私事に渡るとこまでが、頻繁にマスコミに出るようになったのは、昭和天皇の御世には、なかったことだ。お二人が目指されたこととは言え、弊害も生じてきた。

 対談の中で、朝日新聞編集委員の岩井氏が、次のように語る不遜さも、その一つの弊害であろう。

 「皇后様の発信能力、リテラシー能力というのは、凄い。」「今の両陛下は、言ってみれば共働きであり、」「皇后様は、皇室生まれの人の目に届かないものを、補おうと、」「常に努力されているし、最強の副官のような存在だと思うんです。」

 ついでに、精神科医香山氏と岩井氏の問答も、入れておこう。

 「両陛下のお気持ちを忖度する、行幸啓のプロデューサー的な方はいないのですか。」

 「プロデューサーは、両陛下ご自身でしょうね。」「昭和でしたら、侍従長の入江相政さんが、そういう立場だったでしょうけれど。」

 ここで岩井氏は、婉曲に、遠回しに、かかあ天下の皇室を匂わせている。新しい形の天皇像も、被災地へのご訪問も、戦地への巡礼の旅も・・、さらにもう一歩踏み込めば、今回の「お言葉」のリークも、皇太子ご夫妻への皇位の移譲も、女系天皇へのご希望も、美智子様の意向が感じ取られる。何しろ美智子様は、「最強の副官」なのだから。

 そしてここからが、私の提案だ。

 「自分たちが、愛国者だというのなら、」「皇室が国民の税金で存続しているなどと、そのような卑しい主張を、捨てなくてならない。」「皇室の歴史と伝統は、ご先祖様以来の、国の宝であり、」「魂のふるさとでもあり、金銭では測れないものだ。」「反日・左翼でない限り、税金の話など持ち出してはならない。」「みっともなくて、仕方がない。」

  余計なことかもしれないが、もう一つだ。

 「皇太子ご夫妻を敬遠する国民も、個人の感情を抑え、」「退位後のお二人が、人生を全うできるだけの財を得られる処置を、許容すべきである。」「これが、国内の平穏と騒乱防止につながるのだから、」「ひっそりと生きられるお二人には、いくら尽くしても惜しいものではない。」「むしろ、感謝して受領いただくという考え方の方が正しいはずだ。」

  とうとう、このテーマで、四回もブログを書いた。あともう一回だけ、女系天皇について、自分の意見を取りまとめ、それで終わりとしたい。女性天皇と女系天皇の違いについて、今まで分からなかったが、陛下のおかげで理解することができた。

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憂国 - その3

2016-08-26 16:59:52 | 徒然の記

 平成5年1月号の、月刊「現代」の特集に、「昭仁天皇は何を目指しているか。」という記事がある。ノンフィクション作家の保坂正康氏が、皇室ジャーナリスト、松崎敏弥氏の言葉を引用している。

 「松崎氏によれば、昭和天皇と現天皇の時代を比べると、」「宮中内部でも、幾つかの変化が起こっているという。」「例えば昭和天皇は、侍従を始め側近の人たちを、呼び捨てにしていました。」「でも現天皇は、必ず " さん " をつけられます。」

 「昭和天皇は、侍従の方達を陪席させて、食事をすることなどもありましたが、」「現在はそのようなことは、無くなっているといいます。」「地方に行かれた折も、昭和天皇は、歓迎の人たちに手を振ることなどありません。」「しかし現天皇は、必ず笑顔で手を振ります。」「この違いは、大きいと思いますね。」

 「20年余も、皇室を見続けていた松崎氏は、" 妙な表現になるが " と前置きして、」「次のようにも話している。」

 「昭和天皇は、二十四時間すべてを、天皇であろうとされた方です。」「ところが現天皇は、天皇の責務を果たすと同時に、自らの時間も大切にされていると思います。」「ハゼの研究をされたり、ご家族の団欒を重視されたりと、つまり二十四時間を、分けて考えられているのではないでしょうか。」

 「昭和時代からの侍従と、東宮時代からの侍従との対立が、時に現れました。」「それまでの宮中のしきたりと、新しい天皇の望む慣行の間に、違いが生まれ、」「徐々に侍従の顔ぶれも、天皇の意に通じるメンバーに変わったというのである。」

 「天皇は、昭和天皇と異なった肌合いがあり、それほど侍従たちとも、深い会話を交わさないという。」「学習院時代のご学友とも、以前ほど交流はしない。」「政治上のご進講も、それほど受けていない。」「その分、天皇家内の団欒が多く、明治、大正、昭和と、」「三代の天皇家とは、異質の姿勢を貫いている。」

 書き写しながら、保坂、松崎氏の語り口に、不快感を覚えた。どこにでもいる一般人の、噂話でもしているような、礼節のない言葉遣いだ。敬語も使っていない。

 このような人物が、皇室問題の専門家のように持ち上げられ、マスコミに登場する。二人は、今回の「お言葉」について、陛下を理解者する立場で語っているが、誰が人選しているのか、ここからして、日本の基礎が狂っている気がする。

 平成21年の文藝春秋には、今上陛下について、即位当時の状況を語る、皇室研究家高橋紘氏の、言葉が紹介されている。

 「偉大なる昭和天皇の後、というプレッシャーは、相当なものだったと思います。」「侍従の中には、昭和天皇からならばともかく、」「今の天皇からは、勲章はもらいたくないんだ、」「という人も、いたくらいです。」

 得意げに喋る高橋氏に対し、礼儀知らずの保坂氏が、神妙に応じている。

 「そんな中で陛下は、独自の天皇像を作らなければならないというところに、立たされた。」「即位後のお言葉からは、その強い意志が読み取れます。」

 16年も経つと、保坂氏も世間を泳ぐ知恵を身につけたのか。言葉遣いが、丁寧になっている。

 板垣恭介氏の、「無頼記者」という本を読んで以来、皇室記者には、碌な人間がいないと思ったが、今回それが確信に変わった。報道の自由なのか、表現の自由なのか、彼らこそが、皇室の周辺にいる、獅子身中の虫であると思えてきた。

 その虫のおかげで、陛下への苦言材料を得ているのだから、複雑な気持ちだ。

 愚にもつかない皇室記者や、評論家の言葉を引用したのは、この中に、今回の「お言葉」につながる要因があるからだ。

 今上陛下が、昭和天皇の偉大さを越えるため、「新しい天皇像」を、懸命に模索されたという事実が、その一つだ。二つ目は、「二十四時間の天皇」でなく、「プライべートを大切する天皇」になられたことだ。

 その次は、国民に寄り添う天皇として、君臨する天皇でなく、国民と同位置にある天皇の演出を、心掛けられたことだ。お仕えする侍従たちへ、呼び捨てをやめられたことや、沿道の国民への会釈がそれである。

 最も大きな変化は、災害地の現地訪問を、必ず行われるようになり、美智子様を同伴され、古くからの侍従たちのご忠告にかかわらず、床に座り、被災者と語られるスタイルを作られたことだ。

 こうしたご行為は、昭和天皇がなされなかったことであり、これにより今上陛下は、昭和天皇との違いを国民に示され、ご自分を完成された。隔てのないお姿は、「開かれた皇室」を、広く伝えることとなり、多くの国民が親しみを感じる、皇室改革でもあったと言う。父君を超えられようと、新しいスタイルと仕事を自らに課されたが、ご高齢となるにつれ、お身体の負担が大となり、今回の「お言葉」となっている。

 被災地へのご訪問は、陛下の心の中で、天皇固有の公務となっており、摂政にお任せになってはという、周囲のご提案にうなづかれない理由が、ここにある。天皇固有の国務を、ご自分ができなくなったら、退位し、次に任せるしかないと、陛下は考えられている。

 陛下の被災地ご訪問で、笑顔や短い会話で、国民は元気づけられ、勇気もいただいたのですから、陛下のお気持ちに、無闇に反対する気はない。陛下が後退任後、現在の皇太子ご夫妻に、その退任が果たされるのかどうか、ここに多くの国民の不安がある。今回の「お言葉」で、陛下が何も応えておられないため、陛下のご主張の不条理さだけが目立つ結果となり、あらぬ憶測を広げている。

 西村氏や桜田氏のような、無条件服従の保守政治家から見ると、こんな私は、不敬の極みの国民となるのだろうが、それでも、勇を奮い言わねばならない。

 一呼吸を入れ、一休みし、身を謹んで、明日も続きをしよう。80を超えられた陛下のご心労に比べれば、70代の私はまだ若い。疲れたなどと言っておれない。

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憂国 - その2

2016-08-25 19:36:26 | 徒然の記

  7月14日から8月16日まで、陛下の「生前退位」に関する記事が、一面トップで飾られた。

 リオのオリンピックの間も、活躍する選手たちの報道に並んで、大見出しの特別記事が、毎日家庭に届けられた。国民とともに歩まれると言う陛下が、どうしてこのような大事を内閣にはかることなく発表されたのかと、私の疑問がはれない。

 8月8日の記事で、自民党千葉県連の桜田会長の言葉を、失意の思いで読んだ。

「陛下の大御心について、われわれが忖度することなど、甚だ畏れ多い。」「天皇陛下の、国民への慈愛に満ちたお心配りに、」「私は深く感謝の意を奉じるのみ。」

 8月11日の新聞には、紙面の4分の1の大きな記事で、京都大学の佐藤教授の話が掲載された。

 「姿を見せず、現人神(あらひとがみ)として、玉音放送を行った昭和天皇に対し、」「現天皇は、ビデオに体をさらし、一人の人間として話をした。」「そういう意味では、今回の出来事は、戦後象徴天皇制の集大成であり、」「玉顔放送ともいえるものだ。」氏の言葉には、陛下への敬意がどこにもないが、お言葉への反論でなく、無責任極まる、読者への投げかけだ。

「象徴とは何かを、改めて問うべき時に来ている。」

 自称、保守政治家の先頭に立つと言う、西村慎吾氏は、自分のブログで述べている。

 「一昨日の、8月8日の、今生陛下のお言葉は、」「71年前の、8月9日から10日にわたる、」「御前会議を締めくくる、御父君。昭和天皇の、」「無私のご決断を背景にして、述べられている。」

 「近代国家である日本は、明治、大正、昭和そして平成と、」「太古から連続し、一貫して、」「 天皇のしらす国 として、歩んできて、これからも歩んでいくのである。」

 「8月8日の陛下のお言葉の伝達は、やはり玉音放送であり、歴史的である。」「諸兄姉、天皇のしらす国、日本に生まれた有り難さを、噛みしめようではないか!」

 桜田、西村両氏の意見を読み、私は、これがわが国の、保守政治家のレベルなのか、と開いた口がふさがらなかった。天皇陛下が言われれば、疑問を抱かず有り難がり、畏まってしまうのなら、何が立憲君主国であろう。

 この二人は、我が国が、民主主義国家だということを忘れているのか。

 125代目の今上陛下が、2665年続くと言われる皇室の伝統を崩壊させ、日本という国を終わらせてしまうようなことを、言われていると、危惧し、悲しんでいる国民が多数いるというのに、かくも無批判に迎合する二氏は、日本を大切に思う政治家なのか。保守と呼ぶに相応しい人間なのか。

 宮内庁の風岡長官が、10日の記者会見で述べた。

「象徴という立場の方が、個人的な心情や思いを述べたということ。」「具体的な制度について言及しておらず、憲法上の問題はない。」

 ことここに至っては、国民の一人として、たとえゴマメの歯ぎしりでも、一言申し上げずにおれない。

 陛下のご意向に沿うためには、憲法と皇室典範の改訂が必要となるため、政府は9月にも、法整備に向けた、有識者会議を設置するときめた。陛下のお言葉により、政治が動かされているが、これは現行憲法からの逸脱した、ご行為である。

 大正時代のように、摂政を置かれるのなら、法改正の必要もなく、政府にも国民にも、難儀をかけずすむのに、陛下は、「摂政はだめだ。」と明言された。これが、具体的な制度への言及でなく、なんであると言うのか、憲法からの逸脱行為そのものでないか。

 陛下をお守りする立場の長官を、責めているのではない。しどろもどろの弁明をさせる陛下への、はれない疑問を述べているだけだ。私はこの出来事を、平成末期の記録として残したい。長くなり、読んでくれる人がなくても、ブログにしたい。

 参考とする文献は、以下のとおりで、全て自分の本棚にある。

  ・ 平成 5年 1月刊  「現代」 天皇と日本人

  ・ 平成20年 4月刊  「文芸春秋」 天皇家に何が起こっているか

  ・ 平成21年 12月刊  「文芸春秋」 雅子妃が変えた平成皇室

  ・ 平成24年 1月刊    「文芸春秋」 平成が終わる日

  ・ 平成25年 4月刊    「文芸春秋」 日本が震えた皇室の肉声

 この月刊誌の中から、必要な記事を抜き書きし、陛下と、美智子様へお捧げしたい。

  と、ここまで述べたら、スペースが無くなってしまった。中身のないブログになったが、致し方なしだ。長い人生に、こんなこともある。明日から、暫く気の進まない作業となるから、今日はもう、酒でも飲んで、早寝をするとしよう。

 幸い、今晩は家内と決めた、禁酒解禁の日だ。肴は沖縄名産の、モズクだ。

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靖国問題に終止符を打つ

2016-08-23 23:03:49 | 徒然の記

 亡くなった叔父は、母の弟だった。長男が戦病死したため、次男の叔父が家を継いだ。私が母に連れられて満州から引き揚げ、そのまま出雲に厄介になっていた頃だったので、記憶がおぼろげにある。

 本題でないから、大胆に省略するが、若くして家を継いだ叔父は、戦後の貧しい日々を家長として頑張った。当時は誰もがそうだったのだから、取り立てて言うほどの話でないが、朝は朝星、夜は夜星という言葉の通り、叔父は家族とともに農作業に精をだした。

 叔父と暮らしたのは、父がシベリアから戻るまでの短い期間だったが、それでも、中学生や高校生、あるいは大学生になった時、折に触れて叔父の許へ遊びに行った私だ。首にタオルを巻いた叔父は、日焼けした筋肉質の体が、いつも汗に濡れていた。ニコニコと笑い、声を荒げることがなかったから、好人物の農家の主としての印象しかない。面倒な政治の話など、一度もしなかった。

 叔父の遺品の本を貰い、こうして読んでいると、いったい叔父は何を考えていたのだろうと、一冊読み終える毎に心が引き締まる。黙って死んだ叔父の代わりに、代弁してやりたいと、そんなことは叔父が思っているはずもないのに、考えずにおれないものがある。

 「靖国について、いい加減ケリをつけてくれ。」・・・・、叔父はそう思って、この本を買い求めたのだろうか。

 上坂冬子氏著「靖国問題に終止符を打つ」(平成18年刊 文春新書) 読了。氏は昭和5年、東京生まれのノンフィクション作家だ。平成21年に78才で亡くなられているので、遠慮のない批評は控えたいが、正直なところ、私は氏が、保守なのか左翼なのか、今でも良く分からない。

 「死がこれほどまでに単純化されるのが、戦時体制なのだ。」「良くも悪くも、日本および日本人は、そんな時代を通り抜けて今日に至っている。」「日本人はそんなにバカだったのかといわれれば、バカでしたといわざるをえない。」「確かに知的とはいえないが、国をまとめるためには、これしか方法が無かったのも事実であった。」

 この本の書き出しに、私は共鳴できず、違和感を覚えた。

 しかし靖国問題の解決策としての、氏の提案には共鳴した。今回のブログは冒頭で叔父のことを述べ過ぎたので、可能な限り要点のみを語りたい。靖国問題の核心は、いわゆるA級戦犯の合祀である。これについて、中国と韓国が手を取り合い、参拝は軍国主義の復活だと祭りの囃子太鼓みたいに騒ぎ続けている。

 戦犯問題が解決済みとする氏の論拠は、二点だ。一つは、サンフランシスコ平和条約の第25条。そして今一つは、戦傷病者戦没者遺族等援護法の制定だ。

 先ず、サンフランシスコ平和条約に関する氏の意見をそのまま引用する。

「サンフランシスコのオペラ劇場で、対日平和条約が調印されたのは、昭和21年9月8日である。」「晴れて独立した日本は、いの一番に何をしたのか。」「靖国参拝である。」「吉田首相は、閣僚と衆参両院議長を引き連れて参拝した。

「条約には連合国48ヶ国と日本が署名・批准した。」「参考までに48ヶ国とは、アルゼンチン、オーストラリア、ベルギー、ボリビア・・・・・、」(長いので国名を省略する。) 「以上の通り、この平和条約の締結に、」「中華人民共和国も、中華民国も、韓国も参加していない。」

「さらに注目すべき問題は、サンフランシスコ平和条約の第25条だ。」「ここには、この条約に署名、批准していない国には、この条約に関する、いかなる権利も権限も与えないと明言されている。」「だとすれば、あの時点で門外漢だったのだから、A級戦犯およびそれにまつわる靖国問題に対する発言権は、中国・韓国にはまったくない。」「いわば発言失格国である。」

「中・韓は、何を根拠にA級戦犯にまつわる靖国参拝に、くちばしを入れるのであろうか。」「当時、ことさらに条約締結の場から外されていた国々のクレームを、日本はなぜ、今になってまともに相手をするのか。」

 そして次の論点である、戦傷病者戦没者遺族等援護法、これについても氏の意見をそのまま引用する。

「実はこの法を制定することによって、日本政府は、着実に独立国としての姿勢を、取り戻していたのである。」「法の制定と以後の処理に関して、当時の政府の周到さに、」「私は、あらためて敬服するのみだ。」

「恩給法を文字通り解釈すると、戦犯として処刑された者は、恩給が受けられないことになりかねない。」「だが、援護法の適用にあたって、戦犯刑死という言葉を一掃し、" 法務死 " と呼び変えたことにより、 」「戦犯として死刑になった者も、恩給の支給対象となったのである。」

「しかも援護法制定の後、衆議院本会議で、戦犯の赦免に関する決議が可決した。」「そして日本は、サンフランシスコ平和条約の規定に従い、関係諸国の了解を得て、晴れて戦犯の赦免にこぎつけ、巣鴨プリズンを閉鎖したのである。」

「ともあれ、以上のような諸般の経緯を併せ考えると、」「戦犯問題は、日本の総力を挙げ、昭和28年、すなわち独立2年目に、すべて解決済みと言って良い。」「いまさら正当な根拠もなく、首相の靖国参拝を殊更あげつらうのは、」「中国の日本に対する蔑視か、あるいは何らかの、悪意に満ちた意図があると思わざるを得ない。」

 つまりこれ以後、わが国からは、A級戦犯は勿論のこと、「戦犯」そのものがいなくなり、言葉も消滅した。靖国神社は、A級戦犯としてすでに処刑された人々を独自に、「昭和殉難者」と名づけた。東条首相以下7名の方々は、戦後日本のため命を捧げた人物として、私たちはこれからも「昭和殉難者」と呼ぶべきではなかろうか。

 国論を二分する靖国問題であるにもかかわらず、美智子様は「A級戦犯」とためらわず口にされた。とっくに日本から消えた言葉を、不用意に使われる無慈悲さを悲しむ私を、誰が責めるのか。赤い皇后陛下と言う、私の怒りは、果たしてこのまま少数意見として消えていくのだろうか。

 確かに、在任中の東条首相は、当時の新聞が誉めそやすほどの人望がなかったらしく、上坂氏も、東条元首相には素っ気ない描写しかしていない。それでも、事実だけはちゃんと書いているので、やはり氏はまともな文筆業者だったと感心する。

 悪評の東条さんしか知らないので、弁護することはできないが、氏が引用している元首相の辞世の句と、遺書を読むと、私はやはり国民の一人として、「昭和殉難者」であった元首相の前に頭がさがる。そして、少し涙がこぼれる。

  寒月や 幾夜照らして 今ここに

そして、遺書。

「今回の刑死は、個人的には慰められておるが、」「国内的の自らの責任は、死をもって償えるものではない。」「しかし国際的の犯罪としては、無罪を主張した。」「今も、同感である。」「ただ、力の前に、屈した。」「この裁判は、結局政治裁判に終わった。」「勝者の裁判たる性質を、脱却せぬ。」

そして、施行されている憲法の第九条に対しては、

「これは賢明であったと思う。」「しかし、世界全国家が、全面的に武装を排除するならば、良い。」「然らざれば、盗人が跋扈するようになる。」

 彼が裁判で心がけたことは、ただ一つだった。「天皇陛下に累を及ぼさないこと。」

それなのに、美智子様は、この忠臣を無慈悲にも「A級戦犯」と語られた。誰になんと言われようと、この方は皇后陛下とお呼びする気になれない。そして、肝心の叔父はどのように思っていたのか。今もって分からない。

  さてそこで、肝心かなめの結論だ。上坂氏の遺言といっても良いだろう。政府の委員に参加していたが、残念ながら氏の提案は誰からも取り上げられなかった。きっと元首相と同じくらいの無念さだったに違いない。

時間的に、体力と気力が萎えつつある深夜なので、氏の提案を簡潔に述べよう。

「訳のわからない中国の国家主席と、韓国の大統領宛に、政府から正式文書で伝えなさい。」「中身は、サンフランシスコ平和条約の第25条と、戦傷病者戦没者遺族等援護法によって、」「すべての問題は終わっている。」「門外漢の中国と韓国は、内政干渉する資格などない。」

 一本気で、負けん気の強い氏らしく、すっきりとした意見でないか。在野にこんな人もいるのに、自民党の政治家はどうしてこうも、腰の引けた人間ばかりなのか。口先だけの評論家揃いか。左翼の野党が、比較にならないお粗末さだから多数を得ているのだと、少しは分かっているのだろうか。

 

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近代中国は日本人が作った - その 4

2016-08-21 15:59:09 | 徒然の記

 「戦争の賠償に比べ、日本のODA援助は微々たるもの。」「と、李鵬首相はケチをつけたが、それは歴史認識の上で、かなり問題の多い発言だ。」

 著作の最終章に、黄氏がこう述べている。前回で終わるつもりだったが、どうしたって、ここを語らずしてこのブログは終われない。数年来、私が言いたかったことを、そっくり氏が代弁してくれているからだ。

 この部分を挿入したからといって、厚顔無恥な中国政府に通じないと分かっている。白を黒と言って恥じない、節度のない彼らに反論したいからでなく、事実を知らされていない日本人の仲間に伝えたいからだ。日本だって同じだが、教条主義の政党は、間違っていても認めないのだから、話するだけ時間の無駄というものだ。共産党、民主党、ついでに頑迷な保守が、この仲間だ。

 前置きが長くなったが、氏の言葉に戻ろう。

 「中国は、国内の内戦のため、日本から賠償金が取れなかった悔しさがあるのだろう。」「日中共同声明で、賠償請求は行わないと、一度は宣言しながら、なおもそれを口にしている。」「周恩来の時代は一千億ドルと主張していたが、最近は、要求すべき賠償金は六千億ドルとしているなど、」「明らかにプロパガンダのためにする、金額である。」

 さすがに大中華の中国だ、国同士で約束したことを平気で破る。これなら事大主義、小中華の属国の韓国が同じことをやるのがうなづける。戦後賠償は終結した、全ては終わったと公式文書を交わしながら、未だに金を要求する恥知らずの韓国は、親である中国を真似ているに過ぎない。

 「20世紀に入ってからの中国は、毛沢東のいう " 一窮二白 " の貧困にして愚昧な社会で、」「百万から千万人単位の餓死者を出していた。」「日本軍の中国での軍事行動は、" 侵略 " とされているが、客観的に " 侵 " の側面はあったとしても、 " 略 " といえるものは何もなかった。 」「逆に、日本政府および軍は、中国民衆を飢餓から救済していたのである。」

 「当時 " 略奪 " をしていたのは、日本軍でなく、蒋、孔、宋、陳の四大家族をはじめとする、」「国民党高官、資本家、地主などのことだろう。」「これらのいわゆる " 黒五類 " とされる支配階級の、搾取、略奪については、」「社会主義中国の学者が指摘してやまないところだ。」

 「なぜ中国が救いようのない貧困状態に陥ったかという点について、」「中国人はあまり反省もしていなければ認識もしていない。」「日本軍の略奪が、中国に貧窮と落後をもたらしたという言説は、明らかに事実と反する。」

 「仮に中国が主張する賠償額六千億ドルが、妥当なものだとしても、彼らが接収した満州国の遺産は兆単位に上る。」「それを別にして、日本人が租界や各都市で営々と築き上げてきた資産だけでも、お釣りがくるほどだ。

 こうした事実を朝日新聞も、NHKも、国民に伝えなかった。政府に都合の良い情報だけしか知らされないと、日本の腐れマスコミや反日知識人どもが隣国を批評していたが、実態は日本も同じだった。腹立たしいお花畑の日本人についても、氏が言及している。

 「戦争は悪、平和は善というのは、戦後日本人の通念となり、そのように考えることが正義だと思われている。」「今でも平和を絶叫する声が街頭にあふれているが、」「善男善女がいくら平和を叫んだところで、世界の国が、中国や北朝鮮が、武力による威嚇を止めるわけでもない。」

 「それを叫びたかったら、日本国内の片隅でなく、パレスチナでは遠いというのなら、天安門前広場や平壌にでも出かけて叫んだ方がいい。」「それが勇気と責任感というものだ。」

 これは今から10年前の本だが、日本の状況は何も変わっていない。先日出版された女性週刊誌の中で、吉永小百合氏と姜尚中氏の対話があったらしい。女性週刊誌を私は読まないが、ブログで取り上げられていたので、おおよそを知っている。

 なんでも吉永氏は、「戦後70年間の平和は憲法九条があったから守られてきた」と、信じている。「だから今後80年、100年と九条を守らなくてない。」と語っているらしい。対談している相手が、これもまた反日の東大教授姜尚中氏だ。彼らは共産党の広告塔で、日本の崩壊に手を貸す利敵行為をしていると、私は勝手に決めている。当たっているのか、外れているのか知らないが、許せない獅子身中の虫であり、駆除すべき害虫だ。

 横道に逸れたので、黄氏の著作に戻ろう。

 「最近はいい加減に目が覚めつつあるとはいえ、日本の平和愛好家には、」「中国人は平和的民族だ、中国は外国に戦争を仕掛けたことがないと、」「そんな誤解がよく見られた。」

 しかし黄殿、10年経った今でも、こんな誤解をし続けている人間がまだいるのです。先の都知事選で落選した鳥越俊太郎氏、そしてこの吉永小百合氏等々、名前を列挙するだけでブログが終わるくらい、目の覚めない愚か者がのさばっている。

 また、横道に逸れた。もう一回本題に戻ろう。

 「日本人が中国近代史を語る上で、徹底的に見つめなければならないのは、」「戦争の本質である。」「少なくとも筆者が指摘したいのは、アヘン戦争以降60年間の清仏戦争、日清戦争、北清事変といった対外戦争は、」「西欧列強の侵略戦争というよりも、清帝国による対外懲罰戦争であり、」「それによる見当はずれの失敗だったということである。」

 氏の考えが正しいのか、そうでないのか、今の自分には分からないが、興味のある歴史観であり、敬意を払って読んだ。

 「中国側の戦争観がどうであろうと、19世紀中庸から20世紀中庸にかけての、」「つまりアヘン戦争から日中戦争までの、100年にわたる対外戦争そのものが、軍事、政治、経済、社会、文化等々、」「あらゆる面において、中国を新生、再生、転生へと導いていった。」

「列強諸国は、実際はむしろ、中国の解放戦争を行っていたのである。」

 この大胆で奇抜な意見を、私はなんと受け止めれば良いのだろう。これでは黄氏が中国政府から嫌われ、睨まれて当然だ。しかし自民党の政治家には、聞かせてやりたい意見でないか。

 「それでありながら中国は、なおも賠償金代わりのつもりで、ODAを日本に要求してくるのである。」「日本は経済大国として、中国支援という国際貢献はすでに果たしている。」「日本はこれまでに、ODA三兆円以外に、アジア開発銀行、旧輸出入銀行ローン、その他の援助を合わせ、合計6兆円に上る経済援助をしている。」

 「中国でのインフラ建設は軍事施設に直結しているので、日本の経済援助は間接的に軍事援助になっていた。」「それどころか中国は、日本のODAの45%に当たる額を、他の発展途上国の援助に回しているのだ。」

 「だが日本政府は、政治的判断から、中国のODA援助の悪用を問責せず、依然として援助を継続しているのである。

 私が黄氏の書評を前回で止めなかったのは、この杜撰な援助の実態に言及したかったからだ。これをやったのは、歴代自民党の政府であり、政治家だ。しかも国民に対して、このような事実を何も知らせなかった。中国政府も自国民に対し、もちろん何も教えていない。だから何も知らない赤い中国国民は、「日本は中国から奪っただけで、何も返さない。」と本気で信じている。

 自民党の歴代政府と政治家は、いったい何をしていたのか。挙げ句の果ては、今の有様だ。世界第二の経済大国、軍事大国となった中国に、尖閣で脅され、小笠原諸島でサンゴを乱獲され、沖縄にまで手を伸ばされている。

 鳥越俊太郎氏や吉永小百合氏の戯言も腹立たしいが、過去の自民党政権がやったことこそが、本当の利敵行為であり、反日助長政策ではなかったのか。

 「韓国は日本人が作った。」という先の書と同様、私は黄氏の今回の著作からも、日本人への鋭い警鐘を読み取る。「近代中国は、日本が作った」・・・・・、つまり現在の横暴な中国を作ったのは、日本だ、という意味だ。

  だから私は、ここでも同じ言葉を繰り返す。

 氏の中国批判を素朴に喜んでいるようでは、政治家も一般国民も惰眠を貪っていることになる。 

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近代中国は日本人が作った - その 3

2016-08-21 15:58:32 | 徒然の記

 黄氏は、中国革命の根拠地が日本だったと言う。

 「腐敗した清国を転覆し、三百年にわたる中国統治に終止符を打ったのが、1911年の辛亥革命である。」「それを推進した革命思想は、日本で醸成され、発展し、そして中国へ渡って行った。」「その担い手が、若き清国の留学生たちだった。」

 「ことに梁啓超が、東京で刊行した  " 新民叢報 "は、多くの留学生を立憲思想に目覚めさせた。 」「当時の彼は、中国の福沢諭吉さながらだった。」「それまで中国人が、世界最高のものと疑いもしなかった中国の倫理を、」「狭隘なものと批判し、自由、自尊、進歩を強調して、国民の意識を喚起した。」

 「彼の指摘は、中国には家族の倫理はあっても、社会倫理はないというものだったが、」「まさに中国倫理の本質を暴くものである。」

 「中国では昔から、好鉄不打釘、好男不当兵、つまり好い鉄は釘にせず、好男子は兵にならないと言われ、」「軍隊は、たいてい匪賊のごろつき集団と相場が決まっており、」「良家の子弟が入いるものでなかった。」「根底には、" 文 " を重視するあまり、 " 武 " を軽視、軽蔑する、この国の伝統文化がある。」

 「かって武士が官僚であり、知識人だった日本では文武両道が理想とされていたが、中国は違っていた。」「今日中国人が思い描く戦前の日本軍が、常にごろつき集団であるのも、こうした伝統によるものだ。」「したがって日本軍国主義は、日本ごろつき主義となり、武士道がごろつき道となる。」「日本軍の虐殺、略奪は当たり前、という次第だ。」

 「梁啓超は日本に亡命したばかりの頃、兵士の入営時の親族友人たちの送迎の光景を見て、」「兵士の名誉が、中国における科挙合格者のそれに匹敵することに感動している。」「兵に送る言葉の中に、" 祈戦死 " とあるのに驚愕し、粛然とした。」「やがて彼は、日本の軍隊は欧米に勝ると確信するに至った。」

 日本人が書いた本なら、戦前を美化する反動的妄言と酷評されるのだろうが、黄氏が元台湾人なので見過ごされている。私もそんな気持ちで氏の言葉を引用しているのでなく、こうした見方だってあるのだという事実を示したいだけだ。

 「孫文は今日でも、中国共産党では " 中国革命の父 " と呼ばれ、」「台湾の中国国民党からは " 国父 " と称えられ、華僑を含む全世界の中国人から尊敬されている。」「彼と日本の関係は極めて深く、革命生活四十年のうち、その三分の一は、日本を活動拠点としていた。」

 「1900年に再び広東での蜂起を計画して以来、辛亥革命、第二、第三の革命にいたるまで、」「資金も参謀も持たない彼は、それらを主に日本人に依存していた。」「彼は終生、日本の明治維新は中国革命の第一歩であり、中国革命は明治維新の第二歩である。」「両者は、相互関連の関係にある、との信念を持ち続けていた。」

 「そのような孫文の親日感情を、現代の中国人は事実と認めたがらないようだ。」「彼がそのように主張していたことについて、今日の反日的中国人は、日本人の歓心を買って革命資金を引き出そうとしたのだと見ている。」「つまり、策略で日本人を利用したというわけだ。」

 現在の中国人がどのように言おうと、過去の事実は消せない。といっても、昔も今も、礼節の国を標榜する中国は、消せない事実を否定し、逆さまにして居直っている。大した度胸の国だ。

 孫文をめぐる当時の日本の状況は、平穏なものでなかった。外務次官小村寿太郎は、日清関係の修復に不利であるとの考えから、孫文の滞留に反対していた。そこで犬養は、外相大隈に孫文の庇護を訴え、認めさせた。こうして清国の逆賊孫文は、日本において身の安全が確保できたという。

 政治家のみならず、大陸浪人界の巨頭と言われた内田良平や宮崎滔天たちも、孫文への援助を惜しまなかった。孫文も中国人同胞は信用せずとも、日本人の同志だけは信用した。当時の彼がすがることができたのは、日本人だけだった。

 「革命の目的は、満人王朝を倒すことにあり、」「実現したら、満州は日本へ譲り渡す。」「黄河以北をロシアに取られても、大したことはない。」「日支が提携すれば、シベリアまでも取り返すことができる。」「彼は日本人に支援を求めるとき、しばしばこの話を持ち出した。」「だからそれは、孫文の " 満州公約 " とも言われていた。」

 「一般の中国人が知ったら、仰天するような話だ。」「もちろん、こうした事実を中国人があまり語らないのは、」「中国革命の父や国父が、漢奸だとあっては、中華人民共和国も中華民国も、存在基盤が揺らぐことになりかねないからだろう。」

 日本は、己の野望を満たすため、満州を侵略した。満州で傀儡政権を作り、暴虐の限りを尽くしたと教わって育ち、肩身の狭い思いだったから、孫文の公約を知り、私は安堵し、中国人以上に仰天した。

 孫文の公約は日本の国益にも合致し、だからこそ朝野をあげて支援したのかもしれない。そんなことなら、満州国の設立は、日本軍だけの独走であるどころか、中国人たちとの共同謀議となる。だから私は、この暑さをものともせず、汗を拭いつつパソコンに向かっている。

 反日の学者たちが、日本の過去を糾弾する独断と偏見が、いかに愚かなプロパガンダであるか、沢山の人に知ってもらいたい。一方的に責められ、極悪非道のレッテルを貼られた先人の名誉を、少しでも回復したい。今も国内にいて、日本悪説を拡散する獅子身中の虫どもを、掃き捨ててしまいたい。

 < 追記    >

 黄氏の著作を読んでいるとき、甦えってきた記憶がある。敗戦後間もない熊本県の田舎町で、私は当時小学校の一年生だったと思う。「ちゃんころ」「ロ助」「朝鮮人」・・・・。子供たちが使っていた、三つの言葉だ。

 周りの大人たちが使っていたのだろうが、今でいうヘイト(差別語)だ。私と同年代以上の者なら知っているだろうが、「朝鮮人」を除けば、今ではすっかり死語になっている言葉だ。「ちゃんころ」とは中国人への蔑称で、「ロ助」は、野蛮なロシア人への軽蔑語だ。なぜか朝鮮人だけは、そのまま「朝鮮人」が蔑称になっている。

 この三つの言葉を思い出す限り、昔の日本人に反省」を求めずにおれない。日清、日露の戦争に勝ち、万邦無比の一等国になったという、驕りから生まれた言葉だ。ちゃんころやロ助が消えても、なお残る「朝鮮人」という差別の響きを知るとき、韓国・北朝鮮から憎まれる日本人の過去を見る。

 ヘイトスピーチ法には反対だが、他国への差別語とは決別しなければならない。

 黄氏は、悪し様に言われ続けている日本の過去を沢山修正してくれた。そうなると私だって、それに甘んじておれなくなる。非道な責めには屈してならないが、自らの非は改めなくてなるまい。武士道が、今も私たちの心の底に流れているのだとしたら、その潔さは受け入れられるはずだ。

 だからと言って、これは現在の理不尽な韓国や中国に全面的に謝るという話ではない。自らが非を改めることと、無礼極まる相手に謝罪することは別の話だ。これを混同する軽率さが、現在の中・韓の勝手気儘を誘発している。

 武士道も騎士道もない、ごろつきの国に、この話は通じない。

 

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近代中国は日本人が作った - その 2

2016-08-20 17:45:50 | 徒然の記

  今日は、黄文雄氏の著書から得た、"目から鱗" の知識について具体的に述べてみたい。

 「一般の史書には、なぜかあまり触れられていないが、日清戦争の終結から清朝崩壊まで、」「すなわち1895年から1912年までの、この十数年間は、」「当時世界からも、" 中国の日本化 " と称される時代だった。」「米国学者ダグラス・レイノルズは、1898年から1907年までの10年間を、」「日中関係が調和と提携に満ちた " 黄金の10年 " だと評価している。」

 「西洋の文明を摂取した日本が、近代化を成し遂げ、わずか3、40年で、清国、ロシアを相次いで打ち破った事実に、」「中国の官僚、知識人たちは、目を見張った。」「東海の一小国と見下してきた日本だったが、彼らの日本に対する思いは、尊敬に変わり、」「日本を手本に近代改革に乗り出した。」「それはまさに、二千数百年来の中華帝国君主独裁体制の、抜本的な大変革の動きと言ってよかった。」

 日中の文化交流と言われると、私の頭には遣隋使や遣唐使の時代がすぐに浮かぶ。日本からの留学生や僧侶たちにより 、隋や唐から伝えられた仏教や諸制度や文物のすべてが日本に大きな衝撃を与えた。その計り知れない衝撃の大きさは、明治の文明開化期に接した「西洋文明」の衝撃と同様だったと氏が語る。だから私は、今でも中国に対する恩義が忘れられない。

 氏もまた、そんな私に念押しをする。「日本人の多くは明治以降、西洋の文化や価値観を、あらゆる事柄の基準、尺度にしようとしていながら、」「その一方で中国文化を崇拝する、抜きがたい心理が昔から強いわけである。」

 ところが氏の説明はさらに続き、私の認識を新たにさせる。

 「実はそのような、大きなスケールを伴う日中間の文化交流は、」「日本の明治時代、中国で言えば清朝末期に行われていたのである。」「かっての交流とは逆に、中国が日本の文化的恩恵を、大々的に受ける形をとるものだった。」

 「つまり中国は、日本から近代文化(中国では当時これを、" 新学 " とも呼んだ)を輸入し、」「中国の文明開化をもたらしたのである。」「かって隋、唐から輸入した書籍が日本人の意識改革をもたらしたように、」「中国が日本から取り入れた近代思想の著作もまた、中国の知識人に大きな影響を及ぼした。」

「西洋文化を摂取するため、日本では、明治の最初の20年間で、20万語の新しい言葉が、外国語の対訳として作られた。」「なにしろそれまで、日本や中国に存在しない概念ばかりである。」「そのような近代的な概念と新造漢語が、今度は日本を経て中国へと伝わっていった。」

 「中国人が、例の大中華主義から、中国は " 歴史悠久的文明国家 " であって、日本などに学んだものはないと、」「叫んだとすれば、この場合の、" 歴史 "  " 的 "  " 文明 "  "国家  " という単語は、すべて日本発の外来語だ。 」

 「日本に、最初の清国留学生が派遣されたのは、日清戦争直後の明治29年である。」「日本留学を熱心に主張したのは、清朝の実務官僚の中でもっとも影響力のある、張之洞だった。」「洋行の一年は読書の五年に勝る。海外で一年の勉学は、国内学校の3年に勝る。」「留学するなら、西洋より東洋の日本だ。」と、彼は意見具申した。

 「1896年(明治29年)の、留学生は13名だったが、この年以降毎年100人前後の留学生が日本へ渡った。」「1905年には、8000人を超え、ピーク時の1906年には2、3万人に達したという資料もある。」「留学生の多くは、日本の近代化に触発され、祖国の改革、」「あるいは反清革命を志した。」「近代日本の底流を支える啓蒙思想、哲学、社会思想を懸命に学び、」「それらを本国へ発信し、あるいは持ち帰っていった。」

 陸軍士官学校などの予備教育を行う、成城学校では、昭和10年代に閉鎖されるまで、「1,336名の留学生を卒業させ、その多くは清国、中華民国、国民党陸軍の指導者や幹部になっている。」

 こうして氏は、彼ら留学生を受け入れた日本の大学名と人数を詳細に列挙しているが、煩雑なので省略する。勝手ながら、ここで黄氏の言葉を抜き書きし、自分に都合の良い途中経過の結論とする。「中華民国は、元日本留学生が建設した国と言っても過言ではない。」

 熱病のような「日本ブーム」は、「ジャパニーズ インパクト」とも呼ばれていたが、さて、列強はこれをどのように捉えていたのか。先ずは、当時のロシアとドイツの動きを、氏の本からそのまま引用する。

 「北京のロシア公使館は、清国高官に、" 日本は憲政国家だから、留学生がその気風に触れて " 、「 " 民権思想に感染する恐れがある。 " " わが国は貴国と同じ専制国だから、子弟を沢山留学させても問題はない。" 」「こう説いて回り、日中提携の牽制に懸命だったという。」

「ロシアの盟邦ドイツでは、日中教育交流の増進を、" 黄禍 " だとする指摘も登場した。」

 「中国への影響力を広げたい、欧米諸国からすれば、」「中国の日本化は何としても、阻止したかった。」「そこでこれらの諸国が取ったのは、日中分離策、日本人排斥策である。」「ニューヨーク ディリー トリビューン紙などは、中国人は日本人教員を望んでいないとする論説を掲載した。」

 「日本人は浅薄な学識だけで、自分たちが学者だと信じ込んでいる愚かさだとして、」「これに代わるその他の外国人の任用、」「ミッション系学校の開設を訴えた。」「米国は、特に中国人留学生の受け入れに熱心だった。」「教会からの潤沢な資金をもとに、米国人は相次いで中国各地に、ミッション系大学を設立した。」

 「この時日本政府は、米国のこうした動きに有効な対策を講じることができなかった。」「のちの中国で、親米反日派が台頭したのは、この争奪戦で日本が米国に敗れた結果でもある。」「英国やドイツなども、米国のこのような措置に習って留学生を誘致した。」

 長くなっても氏の言葉を引用したのは、現在の日本が置かれた状況と似ているからだ。氏は、欧米諸国のこうした反日包囲網ともいえる動きに、さほどの重点をおいていない。各ページに散在している記述をまとめたのは、私の恣意と独断である。

 しかし、どうだろう。「韓国の慰安婦問題」「中国の南京問題」あるいは、「日本の歴史への執拗な攻撃や捏造」「日本人の精神の回復を許さない、非情なまでの悪意の中傷」等々、この背後に、敗戦後の今に続く欧米諸国の影を感じるのは、果たして自分だけであろうか。

 今ここで私の中にあるのは、単なる諸外国への一時的な感情の高まりや怒りではない。そうでなく、冷静になり国際社会の非情を学び直そうという、謙虚さへの訴えだ。外国の強大な力を恐れ、警戒し、常に国の守りを忘れなかった幕末・明治の政治家の偉大さに、私たちは頭を垂れなくてなるまい。

 親米派も親中派も親露派も親韓派も必要だし、日本の中にいて結構だが、反日と売国だけは許してならない。世界連邦の時代でも来れば、国も民族も無くなるのだろうが、そうでない限り、世界の国々は国益のため力を尽くす。権謀術数を巡し、殺戮だって厭わないせめぎ合いだ。

 美しい言葉だけで世界を眺めず、現実が見据えられる日本人への蘇生を、願わずにおれない私だ。日本はもっと賢くならなければ、亡国の道から引き返せなくなると、若い人たちに気づいてもらいたい。死んだ後にも、こうして叔父が、残した書物を通じ私に語りかけているように、自分が居なくなった後、三人の息子のうちの一人でも、父の気持ちを知ってくれるようにと、そんな願いがある。

 長くなるため、今回で終わるつもりだったが、黄氏の著作で示された大切な事柄を、あと一回綴ることとしたい。政治家にばかり頼るのでなく、もっと根本にあるのは国民の覚醒だと、氏が教えてくれた。国民が賢ければ、当然国も賢くなる。愚民の多い国は、怜悧な諸外国に翻弄され、見当違いの相手と争いを起こし、自滅の泥沼でもがくしかない。

 そういう意味では、中国も韓国も、北朝鮮も、愚かな国民の国だ。国を思う憂国の士を無数に殺し、自らの首を絞めている。今の日本はこうした国の仲間だが、覚醒の国民がこれから増えていき、早晩自滅の穴から抜け出すのであろう。

 しかし、ここでもまた、明治末期の繰り返しか。

 目覚めない中国と朝鮮に悩まされ、迂闊に手を差し伸べれば、すべてが日本の陰謀だと、浅はかな逆恨みで、アジアの平和と庶民の幸せが遠のく。こんなことを繰り返していたら、漁夫の利を得るのは誰か。本当に喜ぶのは誰なのだと、問うてみたくなるでないか。

 福沢諭吉の「脱亜論」がこうして生まれたのだと、今の私はしっかりと理解した。 

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