大東亜戦争中の日本とインドネシアについて、氏は次のように述べています。
「インドネシアは、昭和17年から昭和20年まで3年5ヶ月の間、日本軍によって占領された。大東亜戦争の開戦一周年となった時、日本はオランダがつけた、バタビアという名称をジャカルタへと、変更した。」
「市の名前だけでなく、通り名や公園の名前など250ヶ所が、オランダ語から日本名や、インドネシア語に変えられた。」
「この時代は、食料、衣料品をはじめとする生活必需品が不足し、人々は苦しい生活を強いられた。特に米は太平洋各地にいる日本軍兵士への食料として、厳しい統制下に置かれたため、生産者から強制的供出がなされ、自由な流通が禁止された。」
「ジャカルタ周辺のカンポンでは、空き地で野菜や果物が栽培されていたため、農業地区とみなされ、米の配給がなかった。他の地域からの米も入らず、路上には行き倒れの者があふれ、空腹で死んだ者もいたという。」
オランダの統治と比べ、日本のそれはどうだったのか。肝心なことなのに、倉沢氏は説明をしません。
「インドネシアは、日本の降伏とともに独立を宣言し、スカルノを大統領としてインドネシア共和国を樹立したが、それを認めようとしない旧宗主国オランダとの間で、戦闘となった。」
「戦闘は5年間続いたが、その時期ジャカルタの多くの地域が、オランダに占領され、共和国の首都はジョクジャカルタへ移っていた。」
戦争についてはこれ以上語らず、独立後のカンポンついての説明が始まります。日本が敗戦となった時、多くの兵士が武器を捨て日本へ戻りますが、現地にとどまり、独立戦争に身を投じた者が沢山いたと、私は聞いています。
日本とインドネシアの関係を語ろうというのなら、この話を省略してはならないのでないかと思います。
記憶を頼りに別途調べましたので、紹介します。
「スカルノが独立宣言をしたにも拘らず、旧宗主国のオランダが再植民地化を試み、インドネシア独立戦争が勃発した。」「インドネシアでは、日本軍から多くの武器が独立派の手に渡り、旧日本軍将兵が独立軍の将兵の教育や、作戦指導をするとともに、自ら戦闘に加わるなどした。」
「独立戦争の終結後インドネシアでは、多くの元日本兵が、独立戦争への功績を讃えられ叙勲されている。インドネシア残留日本兵は、記録の上では総勢で903人とされている。」
『アフリカの街角から』を書いた、反日の佐野通夫氏に比べれば、倉沢氏は偏見のない学者です。しかし少しでも、戦前の日本を褒めるような話になると、省略しますから、「やはり、そうなのか。」と、失望します。
戦後の外務省は米国従属の省庁となり、「東京裁判史観」を国民に浸透させる「害務省」と成り果てています。氏は慶應大学に在籍していますが、元々はインドネシア大使館に勤務する外務省の職員です。だからインドネシアから叙勲されても、旧日本軍兵士の行為は、無いものとして語らないのでしょうか。静かな怒りが、湧いてきます。
もしそういうことなら、息子たちのためにも、情報を伝えなくてなりません。「日本軍は素晴らしかった」と、胸を張るためでなく、「日本にも、こういう軍人がいた。」という事実を、伝えたくなりました。
「インドネシア残留の、日本兵が作った互助組織〈福祉友の会 〉 は、日本に留学する、日系インドネシア人学生に奨学金を与えるなど、日本と、インドネシアの架け橋としての役割も果たした。」
「元残留日本兵は、毎年行われる、インドネシアの独立式典にも呼ばれているが、死亡したり、高齢による体調の悪化などで参加者は減っていき、平成26年の式典には1人も参加できなかった。」
「平成26年年8月25日、小野盛(インドネシア名:ラフマット)が、94歳で死去した。小野は最後の残留日本兵とされ、小野の葬儀はインドネシア国軍が執り行い、棺にはインドネシアの国旗が被せられ、カリバタ英雄墓地に埋葬された。」
「日本だけが、間違った戦争をした。」「日本だけが、悪い国だった。」と、東京裁判で思い込まされましたが、日本の政府とマスコミは、こうした事実をなぜいつまでも報道しないのでしょう。著者である倉沢氏だけでなく、自分を含め、戦後の日本人の全てを、責めたくなります。
それでも、氏への感謝と敬意の気持ちは失いません。氏の本を手にしなければ、インドネシアの残留兵について、知らないままだった私です。カンポンでの実体験にしても、誰もができることでありません。
氏は、反日左翼の学者でなく、読者に客観的事実を語ろうとしています。古巣である外務省への遠慮からか、圧力なのか分かりませんが、「東京裁判史観」に関連しそうな叙述を避けています。戦前の日本軍に関しては、褒めもせず否定もせず、事実の叙述だけをしている所に、氏の努力を感じ取ります。
ただいま、やっと50ページです。「日本探しの旅」をしている私に、氏の著作は宝の山に見えます。杖をつきながらでも、氏の世界を歩きます。