共産党の基本戦略が「皇室撤廃」にあることを、私たち国民はほとんど知りません。学界と日弁連を支配する同党は、反日の学者と弁護士を通じて活動を進めているので警戒しなければなりませんと、シリーズの始まりはここにありました。
「講演会記録」というタイトルは、日弁連大会の「講演会記録」の紹介から始めたため、内容にそぐわないまま使ってしまいました。
同党の戦略は敗戦後の日本を統治したGHQの目的と合致していたため、急速に影響力を伸ばしました。学者や弁護士を通じて活動するため同党の姿が見えず、国民の目に共産党の危険性が伝わりません。油断してはダメですと実例を挙げて紹介しているうちに、話がどんどん横道へ進んでしまい本日に至りました。
今回はシリーズの最後として、GHQの強制で昭和天皇がされた「人間宣言」を紹介いたします。GHQがいなくなっても、共産党の日本破壊活動は続いていると言う警報の意味を込めています。まとまりのないシリーズになりましたが、今回で完了といたします。
降る雪や 明治は遠くなりにけり
有名な中村草田男の句です。昭和6年氏が31才の時、20年ぶりに訪ねた母校の小学校で往時をしのんで作ったと言われています。
句の解説を読みますと、自分がこれまで思っていた意味と全く違いました。
折から降り出した雪の校庭に、小学生たちが元気よく飛び出していく姿を見て、着物に下駄履きだった昔の自分を、氏が思い出す句です。金ボタンの学生服で、活発な生徒たちを見ているとしみじみと明治が遠くなったと実感する・・・という内容だそうです。
素晴らしかった明治時代を偲び、昭和の有様を嘆いているのだとばかり思っていました。だから解説を読む前、「ねこ庭」ではシリーズの締めくくりとして、草田男を真似、次の句を作っていました。
さみだれや 昭和は遠くなりにけり
冷たい雨がしとしと降り、身も心も冷えていく夜なので、昭和を懐かしむ自分の気持ちにぴったりだと自己満足していましたが、草田男の句は希望に満ちた明るい句でした。
貧しかった敗戦後に育った私は、昭和を特別に素晴らしい時代とは思っていません。しかし大人たちの懸命に働いていた姿や、笑顔や、優しかった声を思いだすと、懐かしい気持ちになります。その頃の自分は天皇陛下のことも知らず、友達との遊びに時を忘れる子供でした。
中学生の時昭和天皇のお召し列車が通過するというので、数人の生徒が代表に選ばれ、その中の一人に私もいて、他校の生徒たちと日の丸の小旗を振り両陛下をお見送りしました。
昭和天皇は列車の大きな窓側に皇后陛下と並ばれ、子供たちに手を振っておられました。無表情のまま、ただ手を振っておられました。
「どうだ、感激したか。」
学校へ戻った時た先生に聞かれましたが、天皇陛下は馴染みのない人で、どこかの金持ちのおじさんくらいの印象しかありませんでした。
「そうか、そんなものか。われわれだったら、感激するのになあ。時代が変わったなあ。」
笑ってはいましたが、残念そうだった先生の言葉と表情が今も忘れられません。大学生になっても、陛下や皇室についての気持ちはそんなものでした。
当時家では朝日新聞を取っていたので、「朝日は日本の良心、NHKは日本の良識。」と思っていました。国民の税金を浪費している自由民主党を、厳しく追及する朝日に心で快哉を叫んでいました。
大学生になり上京してからも、朝日新聞の定期購読を続けていました。朝日の購読を止めたのは平成25年ですから、通算50年の定期購読者だったことになります。朝日新聞を止めるきっかけは、「慰安婦報道」の大嘘と捏造が発覚し社長が辞任したことでした。
「温故知新」の読書と「ねこ庭」のブログを始めたのが、翌年の平成26年です。ずっと以前から国を大切にしてきた人間のようなブログを書いていますが、自分の愛国心はこの程度の長さです。
中村草田男の句を語ったり昭和の句を詠んだりするのは、極まり悪く、恥ずかしい限りですが、そう言っておれない日本があります。
敗戦で失った日本の独立を取り戻すには、「自主憲法制定」と「皇室護持」の二つしかないと分かった今、高々「小室母子」問題のため崩壊しそうになっている「皇室」を、坐視しておれなくなりました。
昭和天皇の激動のご生涯を知った今は、やはり、
さみだれや 昭和は遠くなりにけり・・・と詠みたくなります。
ホイットニー少将の「皇室撤廃」政策に協力した芦田総理が、陛下に求めた過酷な要求を、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に説明いたしました。「ねこ庭」の怒りは、陛下のお姿を皇室の方々に伝えなかった宮内庁の官僚だけでなく、知る努力を怠られた皇室の方々に向いています。
国を導いていくべき方々までが国民を忘れ、「皇室」「宮内庁」という小さなコップの中で争いを続けられた結果が、現在の乱れとも言えます。
私はここで、連合国軍の占領下で陛下が出された詔書を紹介いたします。昭和21年1月1日の官報で発布された『詔書』は、「天皇の人間宣言」とも呼ばれています。
生物学者として現実的思考をされる昭和天皇は、自身では「現人神 ( あらひとがみ ) 」と思っておられず、軍部の利用を快しとしておられませんでした。GHQの命令により、強制的に宣言を発せられるについては、強い屈辱を覚えられたと聞きます。
しかし陛下は敗戦国の君主としてご自分を捨て、国を守るため、耐えられました。
原文は長いので肝心の部分だけの紹介で、カタカナ表示をかな書きに変えましたので、「ねこ庭」を訪れる方々だけでなく、「皇室」と「宮内庁」の方々も、心して読まれることを祈念いたします。
「朕と、なんじら国民との間の紐帯 ( ちゅうたい ) は、終始相互の信頼と敬愛とに依りて結ばれ、単なる神話と、伝説とに依りて生ぜるものに非ず。」
「天皇を以て現人神とし、且日本国民を以て他の民族に優越せる民族にして、」「延て世界を支配すべき運命を有すとの、架空なる観念に基くものにも非ず。」
皇位継承のための宮家を奪われ、先祖伝来の財を奪われ、信頼する部下を奪われた陛下は、さらにご自分の神聖を奪われました。覚悟されていたとはいえ、短期間のうちに襲来した衝撃の出来事でした。
陛下のお苦しみの大きさを思えば、小室母子の事件など一体なんなのでしょう。借金問題、年金不正受給、反社の人間など、よくもこのような次元の低い問題で、国民を苦しめられるものです。
皇室の方々も宮内庁の官僚たちも昭和天皇の批判に終始し、学ぶことをしなかった怠慢のツケが、見苦しい諍いとなり国民の前に晒されています。
日本を愛する国民の一人として貴方々に送る言葉は、ただ「無念」の一言です。
シリーズは今回で終了しますが、「ねこ庭」のブログは日本が失った独立を回復する日まで終わりません。北欧のノルウェーは奪われた独立を手にするまで、王様と共に500年間艱難辛苦に耐えました。それを思えば日本の78年間など、始まったばかりとも言えます。
私たちも昭和天皇と共に、臥薪嘗胆を続けなくてなりません。陛下の「人間宣言」を一部しか紹介しませんでしたので、別途令和6年のブログで全文を紹介いたします。下記のタイトルにする予定なので、日本の独立回復を願う国民の方は一読されることをお勧めいたします。
講演会記録 -8 ( 昭和天皇の『詔書』 )