ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

講演会記録 - 7 ( 昭和天皇の「人間宣言」 )

2021-05-28 06:35:38 | 徒然の記

  共産党の基本戦略が「皇室撤廃」にあることを、私たち国民はほとんど知りません。学界と日弁連を支配する同党は、反日の学者と弁護士を通じて活動を進めているので警戒しなければなりませんと、シリーズの始まりはここにありました。

 「講演会記録」というタイトルは、日弁連大会の「講演会記録」の紹介から始めたため、内容にそぐわないまま使ってしまいました。

 同党の戦略は敗戦後の日本を統治したGHQの目的と合致していたため、急速に影響力を伸ばしました。学者や弁護士を通じて活動するため同党の姿が見えず、国民の目に共産党の危険性が伝わりません。油断してはダメですと実例を挙げて紹介しているうちに、話がどんどん横道へ進んでしまい本日に至りました。

 今回はシリーズの最後として、GHQの強制で昭和天皇がされた「人間宣言」を紹介いたします。GHQがいなくなっても、共産党の日本破壊活動は続いていると言う警報の意味を込めています。まとまりのないシリーズになりましたが、今回で完了といたします。

  降る雪や 明治は遠くなりにけり

 有名な中村草田男の句です。昭和6年氏が31才の時、20年ぶりに訪ねた母校の小学校で往時をしのんで作ったと言われています。

 句の解説を読みますと、自分がこれまで思っていた意味と全く違いました。

 折から降り出した雪の校庭に、小学生たちが元気よく飛び出していく姿を見て、着物に下駄履きだった昔の自分を、氏が思い出す句です。金ボタンの学生服で、活発な生徒たちを見ているとしみじみと明治が遠くなったと実感する・・・という内容だそうです。

 素晴らしかった明治時代を偲び、昭和の有様を嘆いているのだとばかり思っていました。だから解説を読む前、「ねこ庭」ではシリーズの締めくくりとして、草田男を真似、次の句を作っていました。

  さみだれや 昭和は遠くなりにけり

 冷たい雨がしとしと降り、身も心も冷えていく夜なので、昭和を懐かしむ自分の気持ちにぴったりだと自己満足していましたが、草田男の句は希望に満ちた明るい句でした。

 貧しかった敗戦後に育った私は、昭和を特別に素晴らしい時代とは思っていません。しかし大人たちの懸命に働いていた姿や、笑顔や、優しかった声を思いだすと、懐かしい気持ちになります。その頃の自分は天皇陛下のことも知らず、友達との遊びに時を忘れる子供でした。

 中学生の時昭和天皇のお召し列車が通過するというので、数人の生徒が代表に選ばれ、その中の一人に私もいて、他校の生徒たちと日の丸の小旗を振り両陛下をお見送りしました。

 昭和天皇は列車の大きな窓側に皇后陛下と並ばれ、子供たちに手を振っておられました。無表情のまま、ただ手を振っておられました。

 「どうだ、感激したか。」

 学校へ戻った時た先生に聞かれましたが、天皇陛下は馴染みのない人で、どこかの金持ちのおじさんくらいの印象しかありませんでした。

 「そうか、そんなものか。われわれだったら、感激するのになあ。時代が変わったなあ。」

 笑ってはいましたが、残念そうだった先生の言葉と表情が今も忘れられません。大学生になっても、陛下や皇室についての気持ちはそんなものでした。

 当時家では朝日新聞を取っていたので、「朝日は日本の良心、NHKは日本の良識。」と思っていました。国民の税金を浪費している自由民主党を、厳しく追及する朝日に心で快哉を叫んでいました。

 大学生になり上京してからも、朝日新聞の定期購読を続けていました。朝日の購読を止めたのは平成25年ですから、通算50年の定期購読者だったことになります。朝日新聞を止めるきっかけは、「慰安婦報道」の大嘘と捏造が発覚し社長が辞任したことでした。

 「温故知新」の読書と「ねこ庭」のブログを始めたのが、翌年の平成26年です。ずっと以前から国を大切にしてきた人間のようなブログを書いていますが、自分の愛国心はこの程度の長さです。

 中村草田男の句を語ったり昭和の句を詠んだりするのは、極まり悪く、恥ずかしい限りですが、そう言っておれない日本があります。

 敗戦で失った日本の独立を取り戻すには、「自主憲法制定」と「皇室護持」の二つしかないと分かった今、高々「小室母子」問題のため崩壊しそうになっている「皇室」を、坐視しておれなくなりました。

 昭和天皇の激動のご生涯を知った今は、やはり、

  さみだれや 昭和は遠くなりにけり・・・と詠みたくなります。

 ホイットニー少将の「皇室撤廃」政策に協力した芦田総理が、陛下に求めた過酷な要求を、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に説明いたしました。「ねこ庭」の怒りは、陛下のお姿を皇室の方々に伝えなかった宮内庁の官僚だけでなく、知る努力を怠られた皇室の方々に向いています。

 国を導いていくべき方々までが国民を忘れ、「皇室」「宮内庁」という小さなコップの中で争いを続けられた結果が、現在の乱れとも言えます。

 私はここで、連合国軍の占領下で陛下が出された詔書を紹介いたします。昭和21年1月1日の官報で発布された『詔書』は、「天皇の人間宣言」とも呼ばれています。

 生物学者として現実的思考をされる昭和天皇は、自身では「現人神 ( あらひとがみ ) 」と思っておられず、軍部の利用を快しとしておられませんでした。GHQの命令により、強制的に宣言を発せられるについては、強い屈辱を覚えられたと聞きます。

 しかし陛下は敗戦国の君主としてご自分を捨て、国を守るため、耐えられました。

 原文は長いので肝心の部分だけの紹介で、カタカナ表示をかな書きに変えましたので、「ねこ庭」を訪れる方々だけでなく、「皇室」と「宮内庁」の方々も、心して読まれることを祈念いたします。

 「朕と、なんじら国民との間の紐帯 ( ちゅうたい  ) は、終始相互の信頼と敬愛とに依りて結ばれ、単なる神話と、伝説とに依りて生ぜるものに非ず。」

 「天皇を以て現人神とし、且日本国民を以て他の民族に優越せる民族にして、」「延て世界を支配すべき運命を有すとの、架空なる観念に基くものにも非ず。」

 皇位継承のための宮家を奪われ、先祖伝来の財を奪われ、信頼する部下を奪われた陛下は、さらにご自分の神聖を奪われました。覚悟されていたとはいえ、短期間のうちに襲来した衝撃の出来事でした。

 陛下のお苦しみの大きさを思えば、小室母子の事件など一体なんなのでしょう。借金問題、年金不正受給、反社の人間など、よくもこのような次元の低い問題で、国民を苦しめられるものです。

 皇室の方々も宮内庁の官僚たちも昭和天皇の批判に終始し、学ぶことをしなかった怠慢のツケが、見苦しい諍いとなり国民の前に晒されています。

  日本を愛する国民の一人として貴方々に送る言葉は、ただ「無念」の一言です。

 シリーズは今回で終了しますが、「ねこ庭」のブログは日本が失った独立を回復する日まで終わりません。北欧のノルウェーは奪われた独立を手にするまで、王様と共に500年間艱難辛苦に耐えました。それを思えば日本の78年間など、始まったばかりとも言えます。

 私たちも昭和天皇と共に、臥薪嘗胆を続けなくてなりません。陛下の「人間宣言」を一部しか紹介しませんでしたので、別途令和6年のブログで全文を紹介いたします。下記のタイトルにする予定なので、日本の独立回復を願う国民の方は一読されることをお勧めいたします。

   講演会記録 -8 (  昭和天皇の『詔書』 )

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

講演会記録 - 6 ( 宮城から皇居への歴史 )

2021-05-26 21:58:53 | 徒然の記

 天皇の住われている場所を、戦前は「宮城」と呼んでいました。占領軍が来て、「宮城」という名称は封建時代を思わせるので民主主義に合わないと言い、「皇居」に変更したのだそうです。

 ネットで調べても下記の通りで、GHQのことは書かれていません。

 ・以前は宮城(きゅうじょう)と公称されていたが、第二次世界大戦後に廃止され、現在は特別史跡「江戸城跡」一帯を指して、皇居と呼んでいる。

 宮城という名前が民主主義に合わないと、本当にGHQがそんなことを言ったのか。エリザベス女王のお住まいは、今もバッキンガム宮殿と呼ばれていますが、民主主義に合わないと誰も言いません。もしかすると、GHQに協力する反日左翼学者が提案したのではないかと、今の「ねこ庭」は、彼らへの疑心暗鬼で固まっています。

 今回紹介したいのはそんな瑣末なことでなく、皇居の中にある「宮中三殿」です。マスコミの報道で名前だけ耳にしますが、どのような建物なのか関心もありませんでした。

 温故知新の読書の知識によると、「宮中三殿」とは次の三つの建物です。

  1. 賢所 ( かしこどころ ) ・・天照大神が祀られている建物

  2. 皇霊殿 ( こうれいでん ) ・・歴代天皇・皇族が祀られている建物

  3. 神殿・・天神地祇 ( てんじんちぎ ) 、天上の神々と地上の神々 ( やおよろずの神々 ) が祀られている建物

 明治維新の折天皇が京から江戸へ移られた時、京都御所から移されたのか、新政府の手により新たに建造されたのか分かりませんが、皇居の中に神社があるということが重要です。

 皇居の神社は、日本の頂点に位置する最も格式の高い神社だそうです。いわば神道の総本山であり、ここで神儀を行われる天皇は文字通り最高位の神官です。

 この三殿で天皇は、国の安寧と国民の幸せを祈られ、神話の世界に包まれながら、神官としてのお役目を果たされます。日本の何もかもを変革しようとしたGHQは、宮城の名称より、「宮中三殿」に注目すべきだったのでないかと思ったりします。

 保守系の学者の中には、天皇のお立場をローマ法王に比較し、「ローマ法王より、長い伝統と格式を持つ方」と説明をする人物がいます。戦前のことは知りませんが、もしかすると、神の近くにおられる方という意味で、「現人神 ( あらひとがみ ) 」という考えが、ここから出てきたのか。戦前の軍が国民の戦意を高揚するため、この言葉を乱用したという負の記憶がありますが、ここでは触れません。

 息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に紹介したいのは、「宮中三殿」と、神道の最高位の神官である天皇のお立場です。

 ホイットニー少将の「皇室撤廃」政策に加担し、芦田総理がしたことを、もう一度思い出してみます。

  ・昭和23年6月、芦田均首相によって、田島が宮内府長官に任命される。
 
  ・昭和天皇は、宮内府長官・松平慶民と、侍従長・大金益次郎を交代させることに難色を示されていたが、芦田は宮中改革を実行するため、交代を断行した。
 
  ・田島が宮内府長官で三谷隆信が侍従長のコンビが、成立した。宮内府は宮内庁と改称され、宮内府時代の官僚機構も縮小・改変され、二人は「 宮中クリスチャンコンビ 」  として、戦後の宮中改革に尽力した。
 
 時以来皇室への送り込まれたキリスト教信者は、田島道治宮内庁長官、三谷隆信侍従長、浜尾実東宮侍従、杉井侍従、入江相政侍従長、村井長正氏、前女官長の松村淑子氏、女官長の井上和子氏でした。
 
 こういう人々が最高位の神官としての天皇のお立場を、どこまで理解し協力できたのか。「皇室護持」という気持ちが、果たしてあったのか・・疑問でなりません。
 
 上皇陛下と美智子様の出会いは、「軽井沢でのテニスコートの恋」と騒がれましたが、あれは偶然の出会いでなく田島長官、三谷侍従長、小泉信三氏による計画でした。
 
 「ねこ庭」の意見に反対する人は、小室母子の事件にGHQを持ち出す必要がないと言いますが、「皇室崩壊」の一歩がここから始まっています。天皇の側近にある人々が、異なる宗教を信じる人間となったのは、ホイットニー・芦田ラインによる宮中改革の時からです。
 
 仕事は真面目にしたのでしょうが、彼らの誠意は昭和天皇というより、イエス・キリストとGHQの方を向いていたのではないでしょうか。
 
 だから田島長官は、陛下との対話を密かにメモし、遺族がNHKに使わせ、全国放送という犯罪行為をしました。宮内庁のトップがした「背信メモのリーク」は、宮内庁の体質として今日に引き継がれています。
 
 西村長官と加地皇嗣職大夫が、小室母子に関する事柄を罪の意識もなくリークした姿が、その証明です。眞子さまも秋篠宮様もこういう体制の中で育たれ、昭和天皇の苦難の御生涯や、「宮中三殿」について、正しく教える人がいたのでしょうか。
 
 GHQまで言及しなくても、「皇室撤廃」を党是とする共産党が現在も活動を進めています。彼らは直接「皇室撤廃」を言わず、「皇室にも男女平等を」、「皇室の方々の人権を守れ」と言いながら、「皇室崩壊」につながる「女性宮家」や「女系天皇」肯定論を、世間に広めています。
 
 本物の保守と自ら信じる人は、皇室の個々人の方々に物申すと同時に、宮内庁の体制も直言すべきでしょう。敵対する国々に囲まれ、国難に直面している時、コップの中の争いは無用であるばかりでなく、有害な行為となります。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

講演会記録 - 5 ( コップの中の争い )

2021-05-25 22:28:25 | 徒然の記

 お二人のご婚約会見半年後の平成30年2月7日に、ご結婚延期の報道がされました。理由は「準備不足」という建前でしたが、小室母子の借金問題が報じられていた時でした。

 西村氏が宮内庁長官になったのは令和元年12月で、当時は宮内庁次長でしたから事情を何も知らなかったとは言えません。危機意識があり、「皇室護持」の使命感があれば、長官就任後に打つべき時間はありました。

 「ねこ庭」が述べているのは、眞子さまと秋篠宮様の責任を言うのなら、西村氏の職務怠慢にも言及すべしということです。

 昨日偶然、「ねこ庭」に反対する方のブログを目にしました。

  ・どんな思想、どんな宗教でも、基本は 「 家庭」 だ。宮内庁も警察も、家庭の中には入れない。そして何をしても、叩かれるのだ。

  ・「 オールマイティ皇国史観」 で凝り固まった頭の人は、そこから一歩も引かないのだ。皇室が批判されるのも、許さない。

  ・プロパガンダの面白おかしい動画を見ているのではないか、と思っているらしい。私は、そんな二束三文のバカバカしい動画を見る時間もないし、もともとミーハーではない。それに皇室批判をしたのは、この件からである。

  ・その方のように、「赤い皇后」 などと書いたこともない。こんなに卑しいことを書かれるのかと、恐れ入った。しかし言えば言うほど、逆効果になったことは、前からわかっていた。

  ・そして困ったら「 感情的 」と決めつけることで攻撃をするのも、前例通りで予想はことごとく当たった。

 平成27年か28年頃、「9条にノーベル賞を」という運動をしている日本カトリック教会の司教を知りました。

 その時、美智子様が応援しておられることをブログに書きました。反日左翼と同調される美智子様を、「赤い美智子様」と表現しましたので、この方はそのことを指摘しています。

 私の考えは今も変わりませんが、改める部分があるとすれば、その後の読書で美智子様を利用した人物たちを知り、個人批判を控えたことです。

 美智子様も上皇陛下も、世界を動かしていた米国の勢力に利用されておられたと、今はそう思っています。

 「ねこ庭」を訪問される方々に軌道修正が伝わっていると思いますが、批判されている方には、苦渋の思いで美智子様を批判したことが伝わっていません。

  ・今回のKK問題など、また起きる可能性もある。

  ・「皇国史観 」こそすべてで、これを知らないからこんな事件になったと言い、皇族を責めると みんなが皇室を尊敬しなくなる と、本気でそう思っているのなら庶民は驚くだろう。

 「ねこ庭」では「皇国史観」に言及したことがなく、「ねこ庭」が使う言葉は「東京裁判史観」です。「ねこ庭」のブログで美智子様を、皇后とお呼びする気になれないため、「赤い皇后」という言葉も使いません。常に「美智子様」です。

  ・これこそ 、「 思想教育 」で解決できるとあさはかにも信じ込み、自分で勝手に陶酔し、悦にひたるおろかしさに世間は冷笑するだけ。

 この方の意見を否定しているのでなく、皇室の方々だけを批判せず、皇室を支えている体制も批判すべきと言っているのです。

  ・特定の一般人に対して特別待遇、挙句の果てに色に迷った内親王が取り乱す、困惑する他の皇族や元皇族の方々、そして天皇の名で国を護るために戦場で散華された方々、このことを瞬間にも思ったことがあるのか。私は怒りを覚える。

 戦場で散華されたご先祖を思えばこそ、「ねこ庭」の意見もあります。

  ・Ahoshは、小室親子のことは厳しく批判するが、皇族の関係者のことについては口を閉ざす、一切批判しない。

  ・何と卑屈なことだろう。皇室を護る?・・こういう態度が、一層ダメにしていくことがわからない。

  ・ただつつましく口を閉ざして、一般人は 「控えておきなさい 」と、えらそうに言っている。

  ・本当は保守ほど厳しく批判し、これからのことを真剣に考えるべきなのだ。

 Ahoshというのはこの方の言葉で、意味は「阿保の保守」です。この人も保守で「ねこ庭」批判していますが、「ねこ庭」から見れば「コップの中の争い」で、反日左翼勢力を喜ばせるだけでしょう。

 話がどんどん横道へ逸れましたが、次回は、GHQによって変えられた皇室へ戻ります。興味のある方だけ、お越しください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

講演会記録 - 4 ( 小室母子問題 )

2021-05-25 16:44:56 | 徒然の記

 小室母子問題を追求する篠原常一郎氏のブログは、23万人が見ています。小室氏の母親の家族関係だけでなく、今度は紀子様のご実家について調べ、日々報告しています。やはり話がここまで来たか、という気がいたします。

 氏の動画を見た人の中には、秋篠宮家を皇室から切り離すべしという意見を言う者もいます。徹底的にウミを出すべしと言う人もいますが、「ねこ庭」は違う意見です。

 篠原氏の動画もここまできますと、反日左翼の「皇室崩壊」に手を貸すネットに変じます。秋篠宮家だけにとどまらず、天皇家や上皇陛下にも批判の範囲が広がる気配がするからです。

 過去の皇室関係のネットを遡ってみますと、大きく三つの集団が見えます。

  1. 上皇陛下と美智子様を支援する人々

  2. 天皇陛下と雅子さまを支援する人々

  3. 秋篠宮様と紀子様を支援する人々

 皇族の方々も、上記の三つに分かれているようです。篠原氏の動画だけでなく、他の動画の管理人も意識しているのかいないのか、皇室と皇族内の対立と不和を高める働きをしています。

 これ以上際限なく追求の範囲を広げていくと、「皇室崩壊」活動になります。宮内庁も政府も国の安全保障の観点から、事件を小室母子の問題にとどめ、これ以上傍観してはならないと考えます。

 このまま放置していると共産党だけでなく、日本の弱体化を狙う外国勢力が介入してきます。あるいは、既に関与しているのかもしれません。「ねこ庭」の提案は、事件を隠せと言っているのではありません。

 小室母子の刑事事件を明らかにすれば、自ずと婚約が破棄されます。その上で宮内庁長官と皇嗣職大夫が事件の責任を取り辞任すれば、眞子さまと秋篠宮様が国民へお詫びをされ、全てが終わるのではないでしょうか。

 西村長官の前職が、警視総監、内閣危機管理監であることは既に述べましたが、もう少し説明を加えます。

 内閣危機管理監という役職が設けられたのは、平成10年の橋本内閣の時です。ネットでは次のように、説明されています。

 ・内閣危機管理監とは、国防部分を除く危機管理対策に特化し、内閣安全保障・危機管理室の指揮監督をする高官として新設された。

 ・国民の生命・安全を守るという職務の性格上、一方で、治安行政に関する知識・経験等の専門性も必要となる。

 ・内閣法では、警察官僚を退官し民間人になった人物を登用する場合も想定し、内閣総理大臣の許可があれば兼職可能である。

  小室母子問題がなければ、内閣危機管理監について調る必要がありませんでした。「何も知らなかった」「私の知らないところで行われた」と西村長官が語り、騒ぎを大きくしています。

 氏を責める私に反対する人が、ネットの世界にいます。良い機会なので、内閣管理監という役職が単なる飾り物でなく、国の安全管理のため、専門家である警察畑の官僚から任命されているという事実の重さを知ってもらいたいと、改めてブログに入れました。

 平成10年の4月から令和3年の現在まで、内閣危機管理監の役職にいた高官は8名です。安藤忠夫、杉田和博、野田健、伊藤哲朗、米村敏朗、西村泰彦、高橋清隆、沖田芳樹の各氏で、警察庁警備局長だった杉田氏以外は、全員元警視総監です。

 こういう立場から宮内庁長官になった西村氏が、国難の小室母子問題について、「何も知らなかった」「私の知らないところで行われた」と、なぜ不用意に発言するのでしょう。

 眞子さまからお話がなかった、秋篠宮様が耳を貸してくださらなかったと言い訳をする氏に、「危機管理意識」の弱さを見ます。お二人がダメだから諦めるのでなく、さまざまな手立てがあるはずであり、そのための警視総監起用だったのではないでしょうか。

 平成29年の9月、眞子さまと小室氏の婚約会見記事を、マスコミが大々的に報道した時、氏は宮内庁次長として次のような談話を発表しています。( 当時の宮内庁長官は、山本信一郎氏 )

  ・眞子内親王殿下には,成年皇族として,国の内外において様々な公的ご活動に心を込めて取り組まれ,多くの人々と親しく接してこられました。

  ・また,秋篠宮同妃両殿下のご活動をお支えになるなど,これまで内親王としての大きなお役割を果たしてこられたものと存じます。

  ・小室圭氏は眞子内親王殿下のご結婚の相手にふさわしい、誠に立派な方であり、本日、お二方のご婚約がご内定になりましたことは,私どもにとりましても喜びに堪えないところでございます。

  ・この度のご婚約ご内定に当たり,お二方の末永いお幸せをお祈りいたします。

 国民の多くは、久し振りの皇室の慶事に驚きと興奮に包まれ、私もその一人でした。しかしその半年後の、平成30年2月7日に、眞子さまのご結婚延期の報道がなされました。

 理由は、「準備不足」ということでした。眞子さまが宮内庁を通じて発表された、「2人のお気持ち」文書の、最後の言葉を紹介します。

   ・私たちは延期を、新たな生活を始めるための時間を作る良い機会と考え、その時間を大切に、結婚までの期間を過ごしてまいりたいと思います。

 スペースがなくなりましたので、続きは次回といたします。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

講演会記録 - 3 ( 皇室解体の流れとその体制 )

2021-05-23 21:58:48 | 徒然の記

 反日左翼学者を通じ「皇室撤廃」を図る共産党を頭の隅に置きながら、今回は話をさらに原点に戻します。

 小室母子問題で揺れる皇室について様々な意見があり、最も多いのは、眞子さまと秋篠宮様への怒りと失望の声です。当事者個人の問題であっても、このままでは皇室が国民に信頼されなくなるという危機感からの意見です。

 「ねこ庭」はこの意見に同感し、当事者の方々への憤りもあります。しかし皇室の再生を願うのなら個人の方々を追及するだけでなく、その制度にも目を向けなくては十分でないと考えます。

 敗戦後の皇室と宮内庁の制度が、国民の願いにふさわしい体制であるかどうか、ここを検討しなければ、小室母子に似た事件が再発すると思えてなりません。

 ホイットニー少将以下GHQ内の社会主義勢力は、「皇室撤廃」を目指しましたが、占領期間中にはできませんでした。その代わり彼らは、「皇室崩壊」の仕組みを工夫しました。繰り返しになりますが、「日本国憲法」と「改正・皇室典範」、「改定・国民の祝日に関する法」がそれです。

 宮内省から宮内庁へと作り替えられた組織は、「皇室護持」のためでなく、長期的な「皇室崩壊」の制度でした。昨年放送された、NHKの『昭和天皇拝謁記』のおかげで、「ねこ庭」はこの事実が確認できました。

 「小室母子の不祥事の原因は、眞子さまと秋篠宮様の個人的責任だけでなく、宮内庁の組織にある。」

 これが「ねこ庭」意見です。お二方の個人的責任については、多くの人が述べていますので、体制の問題を取り上げようと思います。

  ・朝日新聞は慰安婦問題の大ウソで国民の信頼を失い、倒産の危機にあります。

  ・NHKも、今回の犯罪的違法番組で昭和天皇を冒涜したため、国民に嫌悪され、解体の危機に陥るのではないでしょうか。

 昨年の9月『昭和天皇拝謁記』を見終えた時の、「ねこ庭」での感想です。しかし『昭和天皇拝謁記』は、世間でなんの話題にもならず、NHKの責任も語られませんでした。保守政治家も評論家も、多くの国民も関心を示さないまま、いつの間にか消えてしまいました。

 ところが今年になり、小室母子の事件がネットの世界で騒がれるようになりました。国難の問題であるにも関わらず大手メディアが報道せず、ネットの世界だけが熱くなっています。このまま行けばいつか国論が分かれ、皇室不要論が出てくるような畏れがあります。

 するとやはり、NHKの『昭和天皇拝謁記』が思い出されます。『拝謁記』は、ウイロビー准将の権力と芦田総理の後ろ盾を武器に、宮内庁長官田島氏が昭和天皇を追い詰めていく事実を伝えています。保守の顔をした獅子身中の虫が、陛下のお側でどの様な言動をしていたのかを、明らかにしていました。

 NHKの報道とは別にネット調べた情報を、「ねこ庭」の過去記事から紹介します。

   ・昭和23年6月、芦田均首相によって田島が宮内府長官に任命される。
 
   ・昭和天皇は、宮内府長官・松平慶民と、侍従長・大金益次郎を交代させることに難色を示されたが、芦田は宮中改革を実行するため交代を断行した。
 
   ・田島が宮内府長官で三谷隆信が侍従長のコンビが、成立した。
 
   ・宮内府は宮内庁と改称され、宮内府時代の機構が縮小・改変され、二人は「 宮中クリスチャンコンビ」  として、戦後の宮中改革に尽力した。
 
 皇室へのキリスト教の浸透はほとんど話題になりませんが、
 
  田島道治宮内庁長官   三谷隆信侍従長  浜尾実東宮侍従
 
  杉井侍従        入江相政侍従長  村井長正氏 
 
  前女官長の松村淑子氏、 女官長の井上和子氏が、クリスチャンでした。
 
 「田島、神谷、小泉は宮中の民主主義教育の促進や、美智子皇太子妃の実現などに功績を残すことになった。」
 
 上皇陛下と美智子様の出会いは、当時「軽井沢でのテニスコートの恋」と、マスコミがトップニュースで報じましたが、あれは偶然の出会いでなく、田島長官、三谷侍従長、小泉信三氏による計画だと言われています。
 
 真偽の程は分かりませんが、ネットではこのように説明されています。
 
  ・「開かれた皇室」や「庶民と向き合う皇室」を熱心に語ったのは、小泉氏でした。
 
  ・当時の皇太子殿下と美智子様は、小泉氏の言を是とされ、皇室の改革に向かわれました。
 
  ・田島氏の協力を得て、お二人のご教育は最初から昭和天皇より隔離され、陛下の手の届かないところで実施されたとも聞きます。

 皇室財産を没集され、皇位安定のための11宮家を皇籍離脱させられ、宮内庁そのものが別組織となり、信頼する松平宮内府長官と大金侍従長を交代させられ、この時期の陛下はまさに孤独の戦いをされていました。

 美智子様とのご結婚についても、反対できないお立場ではなかったかと考えられます。その一つの証拠が、今は亡き皇后陛下ではなかったかと思われます。陛下の決められたことに逆らわれない皇后陛下が、最後までご結婚に反対されていました。

 「美智子さまに冷たい、皇后陛下」と、女性週刊誌が書き立てていましたが、事実の背景を知ると皇后陛下のお気持が察せられます。今も昔もマスコミは、「報道しない自由」を使い国民を騙しますが、しかし今回の本題は、当時のご結婚問題でなく宮内庁の体制です。

 横道へ逸れたためか、それとも全てが息子たちや「ねこ庭」を訪れる方々に必要な情報だったためか、自分では分かりません。分かるのは、今回もブログを終われなかったという結果です。

 すっかり日が暮れてしまいました。続きの次回は明日になります。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

講演会記録 - 2 ( 皇室撤廃 )

2021-05-23 15:25:30 | 徒然の記

 本日は、共産党の基本戦略である「 皇室撤廃 」について述べますが、「ねこ庭」を訪ねられた方々に、念押ししておかねばならないことがあります。

 日弁連で共産党は、指導者クラスを掌握することで、組織の主導権を握っています。学界についても同様で、同党は学者集団のリーダーを掌握し、彼らを通じ戦略を実行しています。姿を隠したまま学者組織を動かしているので、国民の目には見えません。

 非合法組織だった共産党は、戦前は弾圧されたため人に知られないよう、秘密裏に活動していました。政治家は別として、学者、評論家、作家、音楽家、あるいは弁護士は、戦前は党籍を隠して仕事をしていました。それがそのまま現在に繋がっていると、そう考えると分かりやすくなります。 

 これから紹介することも共産党が直接実行したのでなく、共産党員である学者を通じて行ったという意味になります。

 話が大きく飛び、明治時代の宮内庁の歴史を、ネットの情報から紹介します。

  ・明治22年、大日本帝国憲法の発布とともに皇室典範が裁定され,皇室自律の原則が確立しました。

  ・明治41年、皇室令による宮内省官制が施行され、宮内大臣は皇室一切の事務につき、天皇を輔弼(ほひつ)する機関とされました。

 皇居内にある当時の宮内省は、天皇直属の組織でした。宮内省には、内蔵寮 (  くらのつかさ ) という官庁があり、ここが皇室経済を取り仕切っていました。

 明治維新後の皇室は、徳川家を凌ぐ財を持たれる日本一の資産家となっていました。「皇室自律の原則が確立」というのは、そういう意味です。寮という字は「りょう」でなく「つかさ」と読み、役所のことだそうです。

 GHQと協力した左翼学者たちの改革で、皇室は資産のほとんど失われました。国民の中には、「皇室は国民の税金で生活ができている」と言う人がいますが、これは正しくありません。

 戦前の皇室は日本一の大富豪で、各地に広大な御領地を持たれ、国民に恩賜されるほどの裕福さでした。戦前の宮内省の組織を、参考のため紹介いたします。

  ・大臣官房・侍従職・式部職・宗秩寮

  ・諸陵寮・図書寮・侍医寮・大膳寮・

  ・内蔵寮・内匠寮・主馬寮・総務局・警衛局のほか、

  ・外局として内大臣府・掌典職・皇后宮職・東宮職・皇太后宮職・

   帝室会計審査局、

  ・御歌所・帝室博物館・正倉院管理署・帝室林野局

  ・学習院・女子学習院・李王職

  ・地方機関として京都地方事務所・・・等がありました。

 GHQは左翼学者の強力で「皇室典範」を改変し、皇室財産を全て国庫に編入して皇室を無一文にしてしまいました。ご先祖から伝えられた財産の全てを、GHQが力づくで奪ったのですから、昭和天皇の屈辱は大きかっただろうと思います。

 現在の東京大学は明治天皇が御下賜されたものだと、こうした事実を知っていれば「私たちの税金で皇室がある」と言うのは間違いで、むしろ皇室はGHQという強盗に財産を盗まれた被害者ということになります。

 ネットの情報の紹介を続けます。

  ・終戦後宮内省の事務は、他の政府機関に移管されたり、分離独立させられたり機構の縮小が図られました。

  ・昭和22年5月3日、日本国憲法の施行とともに宮内省から宮内府となり、内閣総理大臣の所轄の機関となりました。

  ・これに伴って職員も大幅に削減され,終戦当時6,200人余りであった職員は、宮内府発足とともに1,500人弱となりました。

  ・宮内府には宮内府長官の下に、宮内府次長が置かれ,長官官房・侍従職・皇太后宮職・東宮職・式部寮・図書寮・内蔵寮・主殿寮と京都地方事務所が置かれました。

  ・昭和24年6月1日には総理府設置法の施行により、宮内府は総理府の外局として宮内庁となりました。

  ・田島道治は日本国憲法施行の翌年の昭和23年6月、宮中改革を進めたいGHQの意向を受けた当時の芦田均総理大臣に任命され、宮内庁の前身の宮内府長官に就任しました。

  ・田島氏は、反日NHKが報道した『昭和天皇拝謁記』の違法メモを残した人物です。宮内府が宮内庁と変わった後も「長官」として残り、皇室崩壊の施策を進めました。

 ネットの情報では婉曲に、「宮中改革」と書かれていますが、実態は長期的「皇室崩壊施策」でした。

 令和元年8月にNHKが『昭和天皇拝謁記』を全国報道したことも、この流れに沿ったものだと、「ねこ庭」では考えています。国家公務員法違反である恥ずべき犯罪番組作りに協力したのは、日本の近現代史の専門家と言われる4人の学者でした。

 日本大学の古川隆久教授、志學館大学の茶谷誠一准教授、成城大学の瀬畑源非常勤講師、京都大学大学文書館の冨永望特定助教の4人です。彼らは反日・左翼学者ですから、おそらく共産党と無縁でないと思います。
 
 共産党の基本戦略「 皇室撤廃 」について、今回で終わる予定でしたが、スペースが足りなくなりました。
 
 久しぶりの晴れ間が私の心とは裏腹に、爽やかな青空を見せています。バラは散りましたが、都忘れと京かのこなど小さな花が咲いています。話題は暗くても、明るい日差しの「ねこ庭」です。次回もどうか足をお運びください。
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

講演会記録 ( 共産党の危険性 )

2021-05-22 19:30:14 | 徒然の記

 共産党の基本戦略が知りたい人は、ネットで「共産党」とインプットすれば、詳細な情報が嫌というほど出てきます。

 共産党は一枚岩で、結党以来普遍の綱領と運動方針を堅持していると、大抵の人が誤解していますが、同党は隣の中国やかってのソ連と同じで、トップが変わるたびに党の歴史が書き換えられています。

 綱領や運動方針も変更していますが、私たち国民は知りません。知る必要もないため、無関心のまま今日まで来ました。

 しかし「憲法改正」が現実の問題となり、「皇室護持」が危うくなった国難の今は、無関心でいると大変なことになります。「民主党」や「民進党」のように、世論の風に吹かれるまま、産まれたり消えたりするシャボン玉に似た政党と異なり、共産党は結党以来一貫して、同じ看板(共産党)を掲げている政党です。

 保守を任ずる自由民主党でさえ、保守合同の前は、日本民主党と自由党という2つの党でした。今でも共産党本部は自民党本部より大きな建物で、資金力の豊富さを誇示しています。

 自前の新聞「赤旗」を持つだけでなく、出版社を有し各種月刊誌を販売しています。他党に見られない企業ネットワークと、党に直結した市民活動が党勢の拡大に貢献しています。

 多くの人は共産党を日本国内の党としてだけ見ていますが、同党は世界各国の共産党と繋がり、世界的視野で運動を展開しています。昨日今日できたシャボン玉政党でなく、侮れない国際的な反日左翼政党です。

 今回は、日弁連の役員クラスが共産党の影響下にある危険性を知って頂こうとして、前置きが長くなりました。

 これから本題の、コミンテルンの指示を受けた共産党の結党以来の戦略について紹介します。次の二つの戦略は、日本崩壊のため譲れない同党の国際公約であり、GHQの占領目的とも合致していました。

  1. 皇室撤廃  ( 同党の言葉で言えば、天皇制廃止 )

  2. 日本軍の再建反対 ( 共産党軍を創設する )

 何度でも繰り返しますが、日本軍再建反対に協力したのは東京大学の学者たちでした。総長南原繁氏が東大内に作った「憲法研究会」がそれで、ここに名を連ねている教授たちは、大半が共産党親派であるか共産党員です。 

 《  憲法研究委員会   》 

 委 員 長    宮沢俊義(法学部)

 特別委員 高木八尺 ( 法学部 )  杉村章三郎     岡 義武  末弘厳太郎

      和辻哲郎  ( 文学部 )  舞出長五郎 ( 経済学部 )

 委  員 我妻 栄  ( 法学部 )  横田喜三郎     神川彦松      尾高朝雄

      田中二郎         刑部 荘      戸田貞三  ( 文学部 ) 

      板沢武雄          大内兵衛  ( 経済学部 )   矢内原忠男

      大河内一男    丸山真男  ( 法学部 )        金子武蔵  ( 文学部)  

   当時、京都 ( 関西 ) の学者を取りまとめていたのが、末川博氏でした。敗戦後に立命館大学学長に就任した氏は、戦後日本の民主主義のため貢献した人物として、マスコミに称賛されています。しかし実際の氏は、独裁者金日成を礼賛するマルキストでした。

 反日マスコミが肝心なことを報道しませんから、共産党の危険性と恐ろしさが、国民に伝わりませんが、マスコミ界も日弁連と同じ構造で全員が共産党員でなく、トップレベルを党員が占めているということです。

 自由民主党の悪事は遠慮なく暴いても、自分たちの悪事は報道しませんから、国民は気づきません。「自主憲法制定」に反対する、善意の「お花畑の住民」は、こうした状況下で育成されました。

 「ねこ庭」のブログは、まだ本題に入っていません。

   1. 皇室撤廃  ( 同党の言葉で言えば、天皇制廃止 ) 

   2. 日本軍の再建反対 ( 共産党軍は創設する )

 本題は、共産党の基本戦略である上記「 1.皇室撤廃 」です。思い出して頂きたいのは、反日左翼学者の協力を得てGHQが亡国の「日本国憲法」を作った時、同時に二つの法律を改変していました。

 「皇室典範」と「国民の祝日に関する法」です。

 「日本国憲法」と「改正・皇室典範」と「改正・国民の祝日に関する法」の三つが、GHQが準備した「皇室撤廃」の道具でした。そろそろ分かって頂きたいのは、党員学者を通じて共産党が、日本の重要事に関わり続けているという事実です。

 彼らが妨害してきた「自主憲法制定」は、油断は禁物ですが、国民投票法制定が目前となりましたので、目処がつきつつあります。しかし「皇室撤廃」という彼らの戦略は、依然として残っています。

 皇室の内部に分断と対立を生じさせ、同時に国を大切にする国民の内部で、分断と対立を作れば「皇室崩壊」が進みます。保守が内部で分裂し混乱することは、彼らを喜ばせます。

 だから「ねこ庭」はこの事実を、「ねこ庭」を訪問される方々に紹介しようとしています。現在進行中の小室母子の問題は、たまたま発生した皇室の方々の個人的な話というより、GHQと共産党勢力が作った制度に原因があると考えています。

 今回のブログで全部紹介する予定でしたが、次回への繰越しとなってしまいました。問題の大きさを考えますと、当然の話です。

 もし関心のある方は、次回も「ねこ庭」へ足をお運びください。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日弁連の講演記録 - 5 ( 9条の死守 )

2021-05-21 15:28:59 | 徒然の記

  〈  5.  反対運動の展望  〉

 しばらく中断していましたが、「日弁連の講演記録」に戻ります。本日は、最後の項目です。

 前回も述べましたが、現在の野党は「CM規制」(「マスコミ規制」)をしなけば、「国民投票法」の審議に応じないと言って反対しています。しかし初めは自由民主党が「CM規制」をすると主張し、反日野党が規制をするなと反対していました。

 野党がしている反対論を紹介します。

   ・改憲派が予定している国民投票法は、非常に大きな問題がある。

   ・その一つが原則撤廃となっている、「CM規制 ( マスコミ規制 ) 」 だ。」

    ・今後の国会の状況によっては、さまざまな規制が出てくる可能性がないとは言えない。

   ・「マスコミ規制」を落としたから、別の面で規制するというようなことだ。これは、警戒しないといけない。

 どうしてこのような逆転現象が生じたのか、大崎氏の説明以外に詳しい事情が不明なので、このまま紹介しておきます。

 左翼日弁連の運動方針は、周囲の状況次第で変わるのだと思いますが、決して変わらない基本戦略があります。コミンテルンの指示を受けた、共産党結党以来の、戦略で、日本崩壊のため頑として譲らない国際公約でもあります。

   1. 皇室撤廃 

   2. 日本国軍の再建反対 ( 共産党軍は創設する )

 GHQが作った「日本国憲法」で、日本軍が否定されていたのに、「憲法改正」の動きが出てきたので共産党は大慌をてしています。「国民投票法」の成立は、「憲法改正」の一里塚ですから、危機に駆られている様子が講演から伝わってきます。

   ・国民投票法における、改憲派の一番の狙いは9条だ。」

   ・正面から行けば、9条の改憲はできない。9条単独で国民投票をすれば、これは通らない。

   ・それはどの世論調査を見ても、ほぼ共通している。」

   ・改憲派は策を弄し、なんとしても国民投票で9条の改憲を認めさせたい。

   ・国民投票を、一括で投票させるというのもそのひとつだ。

   ・公務員の国民投票に関する運動を禁止する。とんでもない憲法違反だが、そうしてまで改憲をやりたいというのは、9条を変えたいというもともと悪の狙いがあるからだ。

 日本の軍隊を否定した憲法が、そもそも世界的に見れば国際法違反です。占領下の国の憲法を、占領軍が改変することはしてはならない行為でした。なぜ日本でそれが可能となったのか、過去に何度か「ねこ庭」で取り上げましたが、東大の学者たちが協力したためです。

 節操を無くし、国を裏切った売国学者南原繁、宮沢俊義氏らが、「8月革命論」という奇妙な理論でGHQの行為を正当化しました。このため占領軍の押し付けでなくなり、日本国民の自発的な「憲法改変」だったと世界に発信されました。

 「日本だけが間違った戦争をした。」「日本軍が悪い戦争をし、アジアを侵略した。」という東京裁判史観が、大崎氏の説明の土台にあります。悪いことをした日本の軍隊を無くしたのだから、日本の善を世界に公言している素晴らしい憲法だと、日弁連が共産党の理屈を死守しています。

 日本崩壊を目指す共産党から見れば、憲法は「 善 」であり、改憲は 「 悪  」となります。彼らの政治的屁理屈からすれば、当然の帰結ですが、国を愛する国民は、彼らの屁理屈を認める必要がありません。

 大崎氏の以下の意見は、普通の日本人には通じない屁理屈となります。

  ・悪意の狙いがあるから、国民投票法も悪いものになってしまう。

  ・改憲派が悪くしようとしているのは9条だけでなく、「 公益」と「公の秩序」にも手をつけようとしている。

  ・憲法全体を悪くしようとする、国民投票法が立派であるはずがない。

 17年前はこういうバカな話を聞き、拍手をする聴衆がいたのですから、時代の変化の大きさを感じさせられます。今では、反日左翼親派の「お花畑」の一部住民が感心しているだけです。国民の多くが、自分の国を国を守る大切さを知ってきたので、「国民投票法」が成立する見込みとなっています。

 バカな話なりに歴史的価値がありますから、もう少し紹介します。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国難二つを目の前にして

2021-05-19 13:42:45 | 徒然の記

 「皇室護持」と「自主憲法制定」は、日本を支える二つの土台です。令和3年の今、私たちの目の前で、大切な国の土台が揺れています。ネットとマスコミの報道を見ながら、歴史的な時代に生きていると言う緊張感があります。

  1.「皇室護持」は、小室母子の問題と、有識者会議で未曾有の危機を迎えています

  2.「自主憲法制定」は、「国民投票法」いかんで、悲願の軍隊が再建されます。

 日本の国民と領土を守るには、世界の他の国々と同様に軍隊がなくては叶いません。やっと国民の多くが、国際社会の厳しさを肌で知り、「自主憲法制定」の大切さを実感しています。「自主憲法制定」は、土台が揺れているとしても、希望の火が見える大揺れです。反日マスコミに惑わされず、ネットの情報を確かめながら、心構えを養っていけば、自ずと道が開けます。あとは「国民投票」で、政府の条文に賛成すれば良いだけです。

 しかし、小室母子で揺れている「皇室護持」は、このまま私たち国民が黙っていると、崩壊の道へ進みます。小室母子の問題については、ネットで多くの人々が意見を述べていますが、真剣な人より、売名で騒いでいる人間が多いような気がします。日本を思う国民なら、大切な皇室を守るため、今は声を上げなくてなりません。

 私が参考にしているのは、丹念な調査に基づき、真面目な発信をしている、篠原常一郎氏の動画です。氏はこの問題を解決する鍵は、秋篠宮様の決断だと語っています。小室母子の犯罪的行為が明らかになった現時点で、宮様が決意を表明されるべきと言うのが、氏の意見です。一般人であれば、娘の結婚には親が一番の当事者であり、責任者です。いかがわしい相手との結婚に反対し、子供の不幸を防ぐ責任があります。しかし宮様は、一般人ではありません。

 世界に稀有な歴史を有し、国民の敬愛の中心にある皇室は、別の見方をすれば、国内外を問わず、敵対勢力に狙われる存在でもあります。だから代々の政府は、皇室をお守りするため、宮内庁と皇宮警察をおき、危機管理に備えています。皇室の方々は、何自由なく、最高の暮らしをされているように見えますが、宮内庁のお世話というのか、拘束というのか、一挙手一投足が見守られています。

 万が一にも不心得な者が現れた場合、咄嗟にお守りできるよう、常に警護の人間が至近距離にいます。このように、もともと皇室の方々は、個人の自由を制限された、人間平等とは縁のない世界に生きておられます。

 したがって私と篠原氏の意見も、違うものとなります。宮様のご決断に言及する前に、まずは宮内庁の失態を問わねばなりません。皇室の方々に近づいてくる不心得者は、常に暴漢の姿ではありません。紳士の顔をし、善意の笑顔で近寄ってくる邪悪な人間がいます。宮内庁の警護は、あらゆる者への警戒から始まっています。

 小室氏については、早い段階から疑問視する声がありました。宮内庁はこの間、役目を果たそうとすれば、いくらでも行動できる時間がありました。一般庶民でも、多少とも裕福な家庭では結婚相手に対し、興信所で調査をさせます。宮内庁に皇室をお守りする気持ちがあるのなら、小室圭氏について、大抵のことは調べられます。

 「秋篠宮様が・・」「眞子さまが・・」と、つまらない言い訳をリークする前に、やるべき警護を怠ったという失態を恥じなくてなりません。週刊誌の記事程度の話なら、宮内庁で調べられるはずで、職務怠慢も甚だしいと思います。小室氏に関するいかがわしい事実を把握した後、お諌めもせず、マスコミに対しリークするなどもってのほかです。

 だから私は、物事の順序として、最初に皇嗣職大夫の加地 隆治氏の責任を追及します。次に宮内庁長官の西村氏です。小室母子と接触し、会話を交わしていながら、氏は、皇室警護のトップとしての役目を果たしていません。つまらない騒ぎの原因となった職員のリークを、断固として禁止することもせず、自らがリークをしています。

 長官の前歴は、警視総監、第19代内閣危機管理監ですから、いわば危機管理の専門官です。まして警視総監まで努めた人物であれば、武士の魂を持つ日本人です。「秋篠宮様が・・」「眞子さまが・・」と、つまらない言い訳をリークする部下や、宮内庁の関係者をなぜ厳しく処罰しなかったのでしょう。これだけ大きな問題となり、陛下や宮様が困惑されているのに、いまだに何の動きもしていません。

 したがって、私と篠原氏の意見は異なるものとなります。解決の鍵は宮様のご決断でなく、西村長官と加地皇嗣職大夫の辞任です。

 「私たちの失態のため、いかがわしい人物を、皇室の方々に接触させてしまいました。」

 「ご結婚反対という国民の声にも、応えられなかった責任を取り、辞職いたします。」

 日本武士の伝統である、自己を律する潔い魂があるのなら、この言葉を残して辞職すべきです。宮様が決断されるまでもなく、これにより全てが解決します。

 私が不思議でならないのは、自民党の議員諸氏が小室母子問題に関し、何も語らないという現状です。「小室君はおかしい」と動画発信したのは、自民党の西田昌司氏一人しか知りません。最も期待している「護る会」の青山繁晴氏は、盛んに動画発信しているのに、これについては一言も触れません。氏の「僕らの国会」の動画は、ほとんど見ており、期待もしているのにこの有様です。現時点で発言しないのだとすれば、一体何が「護る会」なのでしょう。

 宮内庁長官や皇嗣職大夫の責任を問うという正論が、自民党から出る希望はありません。身に降りかかる火の粉を恐れ、当たり障りのない問題についてだけ、国士風の意見を言う今の自民党には、武士道の影さえ見えません。

 私は一人になっても、自分の意見を言い続けます。

 「 1.   西村長官と加地皇嗣職大夫は、職務怠慢の責任を取って辞職すべし。」

 「 2.  眞子さまと小室氏のご結婚には、反対です。」

コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日弁連の講演記録 - 4 ( 政治の舞台裏の話 )

2021-05-18 17:09:24 | 徒然の記

  (2) マスコミ規制の撤廃は、「想定の範囲」・・・本日は、直接大崎氏の講演の内容に入ります。CM規制関する興味深い事実を語っています。

  ・マスコミの規制の問題は最近の報道によると、改憲派の方が撤廃を言い出しているように見える。」

  ・ヨーロッパではマスコミ規制がなく、そもそも規制の発想自体がおかしいとなっている。

  ・規制撤廃を主張していたのは民主党であり、改憲派は民主党との妥協のため言い出したのかもしれない。

 今は「CM規制」という言葉に置き換えられていますが、「マスコミ規制」問題を言い出したのは民主党だったことが分かりました。

   ・ヨーロッパでは、テレビなど、何分、何秒かだと計り、独立機関が公正にチェックしている。

   ・これに比べれば、マスコミ規制の発想がいかにおかしいことか、言うまでもない。

 日弁連の弁護士も大した知能がないと、この意見を聞いて分かりました。テレビ報道の宣伝文句が、何分何秒だったかと計測しているのなら、「マスコミ規制」をやっていることになります。

 政府機関であれ、独立機関であれ、それをすること自体が規制行為です。独立機関だから公正だと言う意見も、正しくありません。日弁連は独立機関ですが、誰が見ても反日左翼の過激派団体で、彼らが調べたことなど誰が信用するのでしょう。

 ヨーロッパと一括りで述べていますが、その国はどこなのか。明治時代ではあるまいに、漠然と言われて感心するような人間は日弁連所属の反日弁護士くらいでしょう。

   ・報道では、改憲派がマスコミ規制を撤廃するとされているが、もともとは民主党の主張で、改憲派にとってはむしろ「想定の範囲内」ということになる。

 現在では、反日野党が「CM規制」を主張し、受け入れない自民党への対抗手段ととして、「国民投票法」の審議を引き伸ばしています。氏の講演を聞き、17年前は逆だったと知る驚きがあります。

   ・国民投票法の中にマスコミ規制を盛り込まなくても、マスコミ間で自主規制をさせれば、報道のコントロールができる。

   ・マスコミ規制がなければ、逆に改憲への誘導報道ができることになる。

 日弁連は共産党に近い団体だけに、恐ろしい意見を述べます。法律を作らなくとも報道規制はできると、中国や北朝鮮政府の口ぶりに似ています。

 コントロール法がなければ、自民党が思い通りの改憲世論操作をすると、マスコミ不信もあらわにしています。同じ法律でも立場が変われば、別になる事例を教えられます。

 「ねこ庭」にとってマスコミは反日左翼勢力の仲間で、日本をダメにする元凶ですが、日弁連の過激派から見れば、改憲派の言うなりになる宣伝機関に見えるようです。日弁連がどれほど過激な左翼集団であるのか、氏の一連の発言から教えられます。

   ・形式上にしても国民投票法の中にマスコ規制が残っていると、憲法に触れる可能性がある。

   ・マスコミ規制がなくなれば、改憲派は世論誘導ができることになる。彼らにとってはマスコミ規制を撤廃しても、実質的に困ることはない。

 氏の話は単なる弁護士の講演でなく、狡知に長けた政治家の発言です。弱い者を助ける弁護士というより、自分の意見を押し通す国民弾圧の政治家の姿が浮かんできます。

   ・だが改憲派がマスコミ規制の法案を、要綱の中に入れていたというこは、マスコミ規制をしたいというのが、本音ではないか。

   ・今のところ撤廃という報道がされているが、実際にどうなるかは、国民のこれからの運動にかかっている。

   ・世論が、マスコミ規制の撤廃の方向へもって行ったのではないか。

   ・改憲に反対する声が弱ければ、改憲派はマスコミ規制を残す方向で進んで行ったのではないか、と思う。

   ・やはりこれは、我々の運動の成果でないかと思っている。」

 「マスコミ規制撤廃」「CM規制撤廃」で運動してきた彼らが、今はどうして反対の主張をしているのか。安倍内閣の出現で、「憲法審査会」と「国民投票法」が作られてしまい、戦略の見直しを迫られたためなのでしょうか。

 実情は分かりませんが、手のひらを返すような方針転換があったのは事実です。政治の裏舞台を見せられているような興味深い氏の講話も、いよいよ最後になります。

 次回は、〈 5. 反対運動の展望 〉・・・です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする