閔妃事件に日本人が関係しているとは知っていましたが、前後の経緯は知りませんでした。知りたいという関心もなく今日まで来た、というのが実情です。
山辺氏の著作で、全貌を知りますと、息子たちにも伝えておかねばと思いました。この事件は、前回の金輸入問題同様日本の汚点です。氏の説明を、紹介します。
「日本は清国と、朝鮮の支配権を争って日清戦争を起こし、清国の勢力を朝鮮から一掃した。」「ところが、ロシア、フランス、ドイツの三国が、日本による遼東半島の領有に反対し、」「これを清国へ返還するよう、要求して来た。」「戦争で弱っていた日本は、三国には対抗できないので、」「この要求に屈服したのである。」
「これが有名な三国干渉で、日本はこのため、朝鮮で、大いにその威信を落とした。」「代わりにロシアが朝鮮へ進出し、閔妃一族はロシアに接近し、日本を排撃しようとした。」
事大主義の朝鮮は、強い者になびくので今度はロシアです。誇りもなく、恥の念もない両班貴族ですから、その場その場の対応をします。
「明治28年 ( 1895 ) の7月6日、閔妃の一族は、」「ロシア公使ウエーバーと結んで、朝鮮政府から、」「親日分子の、朴泳孝、金嘉鎮、徐光範などを追放し、」「代わりに親露派の、李充用、李完用、李範普らが新たに入閣し、」「日本人が訓練した軍隊も解散された。」
「これは宮廷勢力を中心とした、クーデターであったが、」「かねてから、日本に反感を持っていた朝鮮の民衆からは、支持されていたのである。」
3ヶ月後の10月7日に、日本が反撃に出ます。長いので、氏の叙述を項目にして列記します。
・ソウル駐在の日本公使は、三浦梧楼であった。
・三浦は、ソウルの日本守備隊長・楠瀬幸彦と共謀の上、閔妃と敵対していた大院君を担ぎ出した。
・ソウルにいた日本人・大陸浪人を手先として、閔妃の暗殺を謀った。
・明治28年の10月7日、夜から翌朝にかけて、大院君は日本の守備隊と、抜刀した大陸浪人の一隊と王宮に押し入った。
・彼らは閔妃を惨殺し、石油をかけ死体を焼いた。
・凶行は大陸浪人が全てやったように言われていたが、主体は守備隊だった。
・王宮の壁を乗り越えるためのハシゴは、前日に守備隊が作っていた。
・広い宮殿内で閔妃を探すため、地理に明るい日本領事館の萩原警部が案内している。」
・大陸浪人は、閔妃に直接手を下しただけである。
この直後から宮殿では、大院君の執政の元に内閣改造が行われ、親日派の内閣ができています。反日の大院君ですが、権勢欲が強く、政権を取るためなら何でもします。閔妃も大院君も、似たような王族です。閔妃が焼き殺されたのは酷い出来事ですが、金玉均を殺し、死体まで晒しものにした残忍さを思えば、同情する気になれません。
私が日本の汚点と感じるのは、事件後の、日本政府の対応です。詳細に書かれていますが、要点だけを紹介します。
1. 事件に関係した、守備隊長楠瀬以下の軍人・・・・広島の軍法会議で全員無罪。
2. 閔妃殺害の大陸浪人・・・広島地方裁判所で、証拠不十分として全員無罪。
3. 現地での領事裁判で、 閔妃殺害の大陸浪人を調べたのは、荻原警部。
つまり、犯罪実行犯が、犯罪実行犯を調べていた。
氏はこれについて、次のように語っています。
「閔妃事件について、私がここで言っていることは、従来の話とはずいぶん違う。」「私はこれを、戦後利用できるようになった政府資料によって書いたのである。」「広島の裁判所の証拠不十分というのは、全くのデタラメということが、分かるであろう。」
氏はこの意見を、国際政治学会の季刊誌『日韓関係の展開』と、『コリア評論』に発表していると言います。しかし私は、事件に関する朝鮮からの批判を聞いたことがありません。それはそうでだと思います。閔妃事件以後の朝鮮政府は、国民には知らせられない情けない話の連続です。
閔妃事件の事後処理をしたのは、小林寿太郎と、露国公使ウエーバーでした。事件の後の内閣は再び親日派となり、閔妃内閣の閣僚を死刑にしてしまいます。残った閣僚は、ロシア公使館とアメリカ公使館に逃れましたが、親日派内閣は彼らの引き渡しを要求できませんでした。
なぜなら事件後に国民の批判が、親日派内閣に対して高まり、米露の介入で日本の立場が弱くなったからです。親日派内閣に支えられた、李王自身が、閔妃内閣の生き残り閣僚の引き渡しを、望んでいませんでした。
そして李王は世子を連れ、なんとロシア公使館へ逃げ込みます。これが、近代朝鮮史上で有名な、「露館はんせん」だそうです。
李王は、先にロシア公使館へ逃げ込んでいた閔妃の閣僚と協力し、これまで自分の政府にいた重臣を、逆賊として処刑し、残りの者が今度は日本へ亡命します。以後1年間、李王はロシア公使館に滞在し政務をとります。
この間ロシアは、ロシア人顧問を政府へ入れ、財政と軍事を握らせ、ロシア人学校を作り、着々と地歩を固めます。
「こんなわけで以後日本は、ロシアと協調せずに、朝鮮における地位を、保てなくなった。」
氏の説明ですが、息子たちに知ってもらいたいのは、国の指導者が自己保身だけ考えるような国は、もはや国ではないと言うことです。朝鮮の国土と国民が存在していても、国の未来を決めているのは、他国です。清国であり、日本であり、ロシアであり、フランスであり、ドイツであり、朝鮮は列強の国益に振り回されている場所です。
大東亜戦争に敗北する直前まで、私たちのご先祖は、命を捨てて国のために頑張りました。朝鮮の指導者の困難を理解するとしても、日本のご先祖の立派さを考え直すべきではないでしょうか。