ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

何度も出てくる恥知らず

2014-02-24 13:32:04 | 徒然の記

 2月8日の毎日新聞、いや、村山富市氏のことではない。

 恥知らずが沢山いるから、表題だけ見たら、あれやこれ名前が想像できるのだが、今回は「保阪正康氏」である。このブログでは3度目の登場で、文字通り、何度も出てくる恥知らずだ。

 もともとオピニオンという紙面が、反日広告みたいなものだが、目的に添い、保阪氏の主張が繰り広げられている。

 「敗戦直後のベストセラー」、「事実を伝える回路の大切さ」というのが、記事の表題だ。森正藏著「旋風二十年」が、なぜベストセラーになったかにつき、感動的な解説がされる。張作霖爆破事件、満州事変、2.26事件、日中戦争など、国民に知らされなかった真相が暴かれ、国民に衝撃を与えたということ。戦後からわずか3ケ月で出版され、新聞記者がこうしたものが書ける世になった素晴らしさを語り、情報統制時代の戦前を上品に批判する。

 「事実を知っている記者。事実を知りたがっている読者。権力者は常にその回路を閉じようと試み、自らに都合の良い情報を流そうとする」こう言って氏は、遠回しに安倍政権への批判をしている。

 ではなぜ彼が、「何度も出てくる恥知らず」なのか。これからが本論である。戦後直ぐに勇気のある記者が、政府の情報秘匿を暴露したと、美談のように書いているが、当時はマッカーサーが君臨し、日本のすべてを悪とするため、全力を傾けていた時期だ。政府や軍部を批判する暴露本なら、GHQが喜び、世間に普及させる協力をした。現在の私たちが疑問を抱きつつある、GHQによる日本弱体化政策に乗った、格好の見本となる書物にすぎない。

 これをわざわざ、この時期に、宣伝する心根の卑しさを、多くの人に知ってもらいたい。時代が変わり、今では国民に事実を知らせないのは、政府でなく巨大マスコミだと、誰もが知っている。

 「事実を知っている記者、事実を知りたがっている読者。」「権力者は常にその回路を閉じようと試み、自らに都合の良い情報を流そうとする。」

 得意そうに言うが、氏のいう権力者という言葉を、マスコミと置き換えれば、今の日本の状況となる。更に彼は、朝日新聞記者尾崎秀実の著も、当時はベストセラーだったと己の無知を晒す。尾崎秀実こそは、政権の中枢にまで入り込んだ、ソ連のスパイで、日本の敗戦に貢献した売国奴である。

 戦前でも戦後でも変理なく、売国の朝日新聞を誉める保阪氏、こんな間の抜けた記事を大きく掲載する毎日新聞。これが喜劇でなくて何であろう。

   追記 : 保阪氏の肩書きが「ノンフィクション作家」となっているが、恐らく誤植であろう。正しくは、「フィクション作家」だ。

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チャンネル桜・沖縄の声

2014-02-23 17:22:17 | 徒然の記

 2月11日火曜日の、動画を見た。コメンテーターは、江崎孝氏と我那覇真子さんだ。

 「沖縄の声」は昨年の終わり頃から始まったと記憶しているが、男女のコメンテーターが曜日毎に担当している。とりわけ江崎氏と我那覇さんのコンビが、爽やかで楽しい。喋っていることは辛辣なのに、とぼけた味の江崎氏と我那覇さんの笑顔が、話題の暗さを吹き飛ばす。

「 師匠。」、真面目なのか、ひょうきんなのか、我那覇さんは江崎氏をこう呼ぶ。すると孫の声にでも応えるように、強面の氏が表情を和らげる。賢い彼女は、打てば響くような会話で江崎氏をサポートし、見ている者を虜にする。

  番組の主題の一つは「希代の天才盲目のベートーベン」「NHKがねつ造したペテン師佐村河内」の話だった。二人の結論は、この事件を関係する個人たちの問題として矮小化せず、NHKの報道姿勢こそを問うべしというものだ。

 素晴らしい報道を沢山記憶しているだけに、私は最近のNHKの偏向に失望している。民主党が国会で籾井会長を攻め立てているが、番組のねつ造や偏向の方がずっと国民に害をなす。密着取材のドキュメントで、NHKのプロたちが佐村河内のウソに気づかないはずがあろうか。素人だって察しがつくのに、政治家は故意に無視する。韓国や中国のねつ造に反論しない、焦点のずれた政党だから、期待するのも無駄だろうが、少しは江崎氏たちの意見に耳を傾けたらどうかと言いたくなる。

 だが、本日の主題はこれではない。先日誰かがチャンネル桜の社長を、腕力はあるが智力がないと、言ったとか言わなかったとか、そんなブログを見た。マイナーなネット放送を国内でここまで浸透させ、外圧にめげず、台湾と沖縄に支局を作りと、これは腕力だけの人間にできることではない。チャンネル桜を貶めることは止めようと、提案したい。

日本を大切にしようという志が同じなら、内輪で批判し合うのは不毛なこと。マスコミ、政界、学会、財界と、獅子身中の害虫たちは、戦後70かけて巨大な巣作りをしている。こっちの方に目を向け、私たち保守こそが、キチンと一つになる時期なのだと、それが言いたかった。

 田原総一郎に右翼といわれた水島氏を、右翼と切り捨てられた私がエールを送ることに何の不都合があろうか。頑張れ、水島社長。

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生まれて初めての経験

2014-02-21 15:13:13 | 徒然の記

 山田均著「タイ 自由と情熱の仏教徒たち」(平成9年 三修社刊)を、最後まで読まずに放棄した。生まれて初めての経験だ。

 まずもって、山田氏は、題名の付け方を間違えた。いかにも初心者向けの本で、タイの僧侶や人々の暮らしなどが、生き生き描かれていると、誰もがそう思う表題だ。

 ところが最初の30ページ余りは、タイの言語についての詳述である。タイ語の音韻構造や、単音節の純タイ語と外来語、子音文字と母音記号になどについて、タイ語に明るい者にだけか分る内容で、詳しく丁寧に書かれている。

 次はタイ史である。タイ人とは、どこから来た民族なのか、あるいは土着の民なのか、ミャンマー、インド、中国など、調べるほどに分からないのだと、氏は言う。おそらく氏は、真面目な学究の徒であるに違いない。仲間同士の話なら、良心的で誠実な事柄ばかりで、きっと正しく通じ合うのだろう。

 それならそれで、本の題名も注釈も、素人に誤解されない工夫があって、いいはずだった。

 さてその次は、タイ仏教の核心「教団」についてだ。教団への入門と、教団内での掟につき、微に入り細に入り、入団したい志願者でもない私に、懇切丁寧な説明が続く。
タイを広く知りたいと望む一般人にとっては、どこまで読んでも、訳の分からない書物でしかない。

 いつか平易な話になると期待し、半分まで読んだが、同じ調子で叙述が進む。

 タイ王宮の建設という段になると、もうお手上げだ。王宮内の王様の執務の場、くつろぎの場、寝室の場が、それぞれ別れて建っているという話。砦が幾つあり、門が幾つあるとか、高さがどうで、長さがどうなど、知ったことかと、私は次第に癇癪がおきてきた。

 固有名詞の地名、人名、場所名が、説明無しに現れ、地図も無く、関連図も無いでは、門外漢にはチンプンカンプンだ。

 私の忍耐はここで切れた。再び言うが、最後まで読まず放棄するという、生まれて初めての経験である。何度でも言うけれど、タイ研究者にとっては、きっと優れた本なのだろうし、貴重な本に違いない。だが、私には、まるで関係のない本だ。

 氏には何の恨みも無く、誠に申し訳ないが、今度の有価物回収の日に、ゴミとして出すしかない。ブログを訪問した方は、「豚に真珠」だったと、惜しまれることだろう。

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NHK経営委員の適性

2014-02-21 12:50:22 | 徒然の記

 百田氏に続き、朝日新聞が、今度は長谷川氏への攻撃を、賑やかにやっている。

 端から見ている私にすれば、長谷川氏も百田氏も、ついでに言えば籾井氏も、軽卒としか言いようが無い。安倍総理を支援している者にとって、彼らのやっていることは「贔屓の引き倒し」でしかない。なぜもっと慎重に行動しないのかと、疑問さえ覚える。

 国民の支持に支えられ、衆参両院で多数を得ていても、安倍氏の党内基盤はまだ確立しておらず、一歩後退二歩前進の政権運営だ。戦後レジュームからの脱却、国の独立、このための憲法改正をと願う、国民の前には、まだまだ茨の道が続いている。

 道を険しくしている元凶の一つが、反日報道に明け暮れるマスコミであり、その筆頭が、朝日新聞とNHKだ。

 だから総理は慎重に、NHKの人事を進め、静かに改革の歩を進めようとしている。この大事な時に、当事者たちが軽はずみな言動をして、どうするのだろう。

 とは言うものの、長谷川氏の件は少し趣が違う。どこから探してきたのか、そして何という本に掲載されていたのか知らないが、反日朝日新聞の卑しい執念を見る。

 右翼への追悼文が気に入らないから、長谷川氏に経営委員の適性が無いという、朝日の主張は、反日・左翼の人間以外、恐らく誰も納得しない主張だ。私は、田原総一朗氏によれば、右翼ということになっているが、「わが国の今上陛下は、再び現人神となられたのである」、という長谷川氏の主張には、私にも、馴染めないものがある。

 天皇陛下に敬意の念を抱いていても、現人神とまでは思っていないので、私はきっと、長谷川氏とは違う右翼なのだろう。

 だが、朝日新聞は、長谷川氏のことを、うるさく言うのなら、自社の論説委員だった、若宮氏について言及する方が、先でないのか。反日・売国の社説で展開し続け、日本の国益を失わせた彼の、論説委員としての適性はどうだったのか。不偏不党で、客観的意見ででもあるごとく、善良な読者を騙し、偏向の主張を全国に拡散した彼の罪は、長谷川氏の一遍の追悼文になどとは、比べ物にならない。

 760万部の朝日新聞と、どこで出版されたのかも分からない、マイナーな雑誌の追悼文と、どっちが社会に害をなすというのか。朝日新聞の非常識を、読者はそろそろ気づくべきだろう。

 論説委員の若宮氏は、定年退職後に、韓国の東西大学の教授として職を得ている。定年後の職を得るため、韓国に媚を売り、日本を売る社説まで書いた彼に、朝日新聞は、謝罪文を書かせる方が先でないのか。

 長谷川氏の適性を言うのなら、先に自社の身辺を綺麗にしてからだと、事情を知れば、誰だってそう云うはずだ。

 更にもう一つ、付け加えるなら、そもそも右翼といわれる危険な野村氏に、なぜ朝日の社長が、護衛も無しに面談し、謝罪したのか。目の前で、右翼の彼が拳銃自殺をしたのに、この事件を、朝日はキチンと国民に知らせたのか。

 私は、野村氏がどういう人物なのか知らないし、朝日とのトラブルがなんであったのかも知らない。こんな重大事件でも、朝日新聞が報道しなかったせいで、世間の人間は誰も知らない。取るに足りない、長谷川氏の追悼文を、わざわざ問題視するのなら、極右の野村氏の自殺の原因となった、社長との面談につき、朝日新聞は、国民に知らせる義務があるのではないのか。

 今回、朝日がやったことは、自分に都合の良いことだけを報道し、部の悪い事件は何も語らず、バカな国民が見過ごすことを、期待したということだ。長谷川氏への批判は、朝日の、常日頃の卑しい根性が、丸見えだ。

 長谷川氏は、こんな腐った朝日新聞の攻撃を、無視すれば良い。偏向した新聞社に、適性を問われるなど、お笑いでしか無い。長谷川氏は辞める必要が無いと、多くの国民が思っているはずだ。

 これが私の、結論だ。

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田原総一郎の朝生録画を見た

2014-02-18 21:48:48 | 徒然の記
 インターネットを見ていたら、偶然都知事選時の録画にぶつかった。「朝生テレビ 田原が迫る田母神候補」、これがタイトルだ。

酷い内容だと聞いていたが、これほど醜悪なものとは今の今まで知らなかった。

「そんなら、どうやりぁ、いいんだ。」「どうすりぁ、いいんだ。」

 考える余裕も与えず、居丈高に、矢継ぎ早に、畳み掛けるように問いかける。真面目に答えている田母神氏が気の毒になるくらい、失礼極まるインタビューだった。田原よ、お前はいったい何様かと、その場にいたら怒鳴っていただろう。

 靖国参拝、憲法改正、核開発など、どれを取っても知事選に関係の薄い、厄介な質問ばかりだ。日頃は言いたい放題のテレビでも、投票前には偏った発言をしないようにと配慮するのが常識なのに、有権者に客観的情報を伝えようなど、田原は頭から考えておらず、好戦的な右翼として田母神氏を都民に見せようと、その一点での誘導尋問だ。

 それはもう、見るに耐えない下品さと、不公正さだった。みのもんたも卑しい司会者だったが、田原総一郎も劣らず人間のクズだった。どんな勢力が後ろ盾になっているのか知らないが、物言わぬ国民を怒らせたら、「奢れる者は久しからず。」だ。

 いつかそうなるに、決まっている。


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田母神氏の達見

2014-02-18 15:26:11 | 徒然の記
 都知事選のおり、外国特派員協会で田母神氏が話した言葉が強く心に残っている。
「日本の政治家には、親中派と親米派が沢山いますが、国を愛する親日派が少ないんです。」

 今後の政党の流れが変わるのだと、私は理解した。氏が意識して話したか、無意識だったのかは別にして、日本ではもう左翼とか右翼とか、そうした区分が意味をなさなくなっている。
冷戦時代のアメリカは確かに超大国で、日本を従属させていたが、中ソの侵略から守る力も持っていた。ソ連が崩壊して以来、戦後秩序といわれる体制が崩れ、世界に君臨してきた米国の力もかげりが見え始め、国際情勢が変化した。

 オバマは世界に派遣している軍を引き揚げ、国内回帰という方向へ行きつつある。早晩米国は日本の同盟国としての役割が果たせなくなり、中国と向き合う気力と国力を失っていく。というより、アメリカが日本を守ることの国益が無くなったのである。共産主義・資本主義という思想の対立がなくなれば、自国の利益追求が再び政治の主流となっていく。

 だからこそ米国は国益のため、気に入らない中国と手を結び、日本叩きにも協力する。国益というエゴのためならなんでもやるという、国際社会本来の姿、強国が弱い国を属国化した時代へと、歴史が回帰している。世界市民とか、世界国家とか、世界平和とか、左翼の甘い幻想は語り続けられるだろうが、リアリストたちは現実の残酷さに目を向けているはずだ。

世界の潮流は、早晩民族主義の台頭となるに違いない。田母神氏が分析してみせたように、政党も日本を中心にした集団と、何が何でも親中派と、弱肉強食に憧れる親米派と、大きくは3つに別れるのだろう。私はもちろん親日派だが、願わくば神州不滅とか万邦無比とか、神懸かりの民族主義に堕さないようにと、それだけを思う。

 左翼リベラルと呼ばれる反日・売国の徒が騒ぎ立てているのは、そうした時代への不安と恐怖なのだ。だからと言って、彼らのように中国の属国になり、日本人が皆殺しにされるのは真っ平だ。残虐無謀な国への併合と、日本人が作って行ける国と、どちらが良いか。問うまでもなく、答えは決まっている。

 「日本人が日本人として、過激にならず、冷静に、賢く作って行ける国。」難しいだろうが、これが一番なのだ。田母神氏は単なる自衛隊の高官でなく、ちゃんとした政治家、それもかなり優れた政治家でないかと、そう思う次第である。
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アラブ首長国連邦

2014-02-13 12:43:36 | 徒然の記

 下村満子著「アラビアの王様と王妃たち」(昭和49年 朝日新聞社刊)を、読了。

 アラブ首長国連邦の名前はよく耳にするが、連邦が7ケ国で構成され、しかも昭和45年に作られたばかりの若い国であるなど、知らないことばかりだった。

 アブダビやドバイはよく聞くけれど、他の5ケ国については名前も知らない。人口の多い順に国名を並べてみよう。ドバイ(226万人)、アブダビ(196万人)、シャルージャ(96万人)、アジュマーン(23万人)、ラッセルヘイマ(19万人)、フジャイラ(12万人)、ウンマルクエイン(6万人)という具合だ。

 日本の都市と比較してみると、一番多いドバイは名古屋市の人口に近く、アブダビは札幌市、シャルージャは千葉市、アジュマーンは八戸市、ラッセルヘイマは日立市、フジャイラは国分寺市、ウンマルクエインは名護市に相当する。7ケ国の内石油が出るのは、ドバイ、アブダビ、シャルージャの3ケ国だけで、他の国は漁業や農業、貿易などで国が成り立っている。

 豊かな産油国は人口が多く、一番人口の少ないウンマルクエインは、今も貧しく未開な土地が多い。連邦が生まれる前は、アジュマーンやラッセルヘイマ、シャルージャは、周辺国を恐れさせる、海賊の国だったという。連邦となることで、産油国からの支援が経常的に行われ、互いの平和と安全が保たれるようになったというのだから、うまい工夫をしたものと感心する。

 連邦の大統領は、アブダビの国王である、シェイク・ザイードだ。この人物は昭和48年の中東戦争直後、「アメリカへの石油輸出を停止する」と言って、あの有名な世界石油危機をもたらした張本人である。石油で潤う豊かな国と、依然として貧しい非産油国。連邦内での経済格差を考えると、七つの国は早晩一つになっていくのではなかろうか。

 同じアラブ人が住み、言葉は同じアラビア語、宗教はイスラムで共通しているのだから、連邦の国民にすれば、王様毎に別れている意味がないし、一つになって豊かになる方が良いと思うのではないか。豊かな国の方が断トツに人口が多いのだし、貧しい国を吸収しても、経済的には困難がない。貧しい国の王様だって、肩の荷が下りるというものだろう。

 むしろ大変なのは、女性の問題だ。イスラムの教えは、どうしてこうも、女に不利益に作られているのか、徹底した男尊女卑の教えである。尊い戒めが沢山あるとしても、女性に限って要約すると、何が何でも夫に従えと言い、夫が妻を何人持っても許されるが、妻には一人の夫が強制される。

 結婚について、女性には選択権が無く、高い値段で売り買いされる物でしかない。豊かになった王様の一族は、女性の教育が大事だと考え、外国へ行かせたり、国内で教育を充実したりしているが、目覚めた女性たちは、今度は、結婚できないという現実にぶつかっている。

 何故と言って、他国の事情を知り、愛に目覚めた女性にすれば、狭い了見の夫に素直に従う気になどなれないし、男の側に立てば、高学歴な女はややこしくて、面倒だと敬遠したくなる。

 日本でも、目覚め過ぎた女性は、男女同権、男女平等とうるさく叫び、男だって子供を産めと言わんばかりで、周囲をうんざりさせている。それでも日本は、江戸から明治大正と長い時間が経過し、今の過激な女性活動家の間に、平塚らいちょうや与謝野晶子などが緩衝剤のように存在している。しかし連邦では、江戸から一足飛びに、頑迷な人権女性が、突然男女平等を主張するのだから、これから生じる問題は、私など想像のできない深刻さかもしれない。

 それでもまあ、読後の感想はさほど悪くない。朝日新聞社の出版だから、とんでもない本だろうと、とシッカリ覚悟したせいもあったのか。可も無く不可もなく、余計な政治談義も無く、まっとうな書物だった。

 新聞だって、こんなふうに客観的なら、日本がどれほど良い国になることか。田母神氏が高い地位を棒に振ってまで、「日本は良い国です。」と言わずに済んだのに。

 やはり田母神氏に、同情せずにおれない私だ。

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国会中継(共産党の議員)

2014-02-12 15:58:19 | 徒然の記

 外出から戻ってテレビをつけたら、丁度国会中継をやっていた。

 共産党の笠井議員が、靖国参拝につき、総理に問いただしているところだった。

 「日本はアジアの国々で、無謀な戦いをし、沢山の人を殺し、」「甚大な被害を与えた。」「侵略戦争と言われる先の大戦で、A級戦犯への判決も下された。」「その戦犯の祭られた神社に参るのは、侵略戦争の肯定でないのか。」

 と、百年一日のごとき、共産党の決まり文句だった。

 「既に東京裁判で裁かれているのに、何の反省も無く、」「戦前を肯定するから、世界の国々に非難されるのである。」と・・、ここまでくると笑わずにおれない。

 元々共産党は、何かと言えば政府のやることに、「対米従属」「アメリカの言いなり」と、口を極めて罵って来た政党だ。それがどうだろう、自分に都合の良い時には、アメリカの裁判を金科玉条として、総理を攻め立てる。

 政党としての信念は、はどうしたのかと、聞きたいでないか。

 「アメリカがやった復讐の裁判など、受け入れる必要はない。」「日本に原爆を2つも落とし、無差別攻撃で民間人を殺戮し、アメリカこそが裁かれるべきだ。」。

 むしろ、そう言うのが共産党の真骨頂なのに、笠井議員は、自分が言っていることの、矛盾にも気ずかない。共産党だけでなく、社民、民主と、左翼の政党が、国民の信頼を失い、議席を減らしていることへの反省すらない。

 先の戦争は正しかったのか、間違っていたのか、総理は戦争を肯定するのか、否定するのかと、神聖な国会の場であることも弁えず、安っぽいテレビのコメンテイターみたいに、二者択一の回答を迫る氏の、眉をしかめたくなる愚かしさだった。

「私は、国のために命を落とされた英霊の御霊が、安かれと祈り、不戦の誓いを致しました。」

 安倍総理のこの言葉は、私たちの胸に響き、多くの国民を納得させる。共産党を支持する反日の日本人だけが、いつまでも日本を悪とし、亡くなった先人を足蹴にするのである。

 民主主義の日本だからこそ、笠井氏も堂々と、バカな意見を言い続けられる。

 氏の敬愛する中国では、国と異なる意見を述べる人間は、どうなっているのか、胸に手を当てて考えてみるがいい。そうすれば、日本こそが素晴らしい国だと、感謝せずにおれなくなるだろうに。

 中国の南京虐殺事件、韓国の慰安婦事件と同様、左翼政党による、日本への一方的な誹謗中傷、悪口雑言は、いったい何時まで続くのだろうか。

 国民はいつまでこれを許容し、いつまで、我慢ができるのだろうか。

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同盟国アメリカへの苦言

2014-02-09 13:35:46 | 徒然の記

 自分の国を大切にしたい、自分の国を、諸外国並みの普通の国にしたいと、なぜ国民がそう考えるようになったのか。

 そのキッカケがなんであるのか、貴国は状況を把握しているのでしょうか。オバマ氏と直接話が出来るからと、ただそれだけの理由で、二度も、素人同然の大使を日本へ送り込んでいるため、客観情報が掴めないのではないでしょうか。

 アジア重視という割には、オバマ氏の駐日大使選定基準が、過去の政権に比しお粗末になったと、私たち庶民でさえ感じています。貴国の有能な大使は、日本国内にいる、愚かなや政治家や知識人としか、パイプがつながっていないのではありませんか。

 安倍総理を支援し、田母神氏を応援する国民の多くは、中国や韓国が言うような、右翼ではありません。尖閣にからむ、一連の中国の、威丈高で一方的な脅しや、ねつ造の慰安婦を、悪意で米国内に拡散し、歪んだ理屈で日本を誹謗する韓国など、これまで黙って来た日本国民も、ついに堪忍袋の緒が切れたのです。

 ことあるごとに挑発し、威嚇し、争いを誘っているのは、中国・朝鮮であるというのに、最近の貴国は、このならず者の国に加担しています。これでは右翼でなくとも、一般国民が怒らずにおれないというものです。私たちは隣国のように、過去を振りかざし、相手の非を責め、未来を打ち砕こうとする国民ではありませんが、歴史に無知でもありません。

 貴国が、事後法で裁いた東京裁判が、どのようなものであったのか。広島、長崎に投下された原爆による死者が、34万人であること、無差別爆撃で亡くなった一般市民が、33万人であることなど、知らない訳ではありません。

 この犠牲者数は、貴国が、東京裁判で突然持ち出した、南京虐殺の数字を上回るものです。南京虐殺には、証拠写真もなく、目撃者の証言も、理屈に合わないものが多いのですが、貴国が黙認するから、中国や韓国のデマ宣伝が横行するなど、私たちは知らない訳ではありません。

 一般の日本国民が、声を上げないからといって、無知であると思われているのなら、貴国の情報機関は、果たして機能しているのでしょうか。

 私たちは、明日のアジアのため、無用な過去を暴く愚を、我慢しているだけのことです。日本で、国を大切にしようという人間が、右翼だというのなら、貴国には、右翼が満ちあふれているのではありませんか。

 防衛のための軍備を持つことが、軍国主義なら、軍国主義でない国が、世界のどこにあるのか。賢明な貴国は、もっと同盟国である日本を大切にし、敬意を払うべきではありませんか。

 陛下にご挨拶される貴国大使が、盛装の陛下の前で、粗末な平服というのでは、礼を知らないにも程があるというものでしょう。これ以上、日本人を怒らせてはなりません。
オバマ氏が無礼なのか、周囲にいる政治家たちが無礼なのか。私には分かりません。

 それは丁度、舛添氏を応援する安倍総理が、本人の決断でしたのか、取り巻きの愚か者にさせられたの、庶民である私たちに、分からないのと同じことなのでしょうが・・。

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日本のマスコミとアジア

2014-02-05 11:30:15 | 徒然の記

 永井浩著「アジアはどう報道されてきたか」(H10年 筑摩書房刊)、を読み終えた。

 作者は昭和16年生まれで、元毎日新聞のバンコク特派員だ。健在ならば、私より3つ年上の73才である。

 アジアは沢山の民族と言語、文化や宗教等が混在し、多様な姿をしているのに、日本のマスコミは、なぜステレオタイプな報道しかしないのか。あるいは、明らかに偏向した記事しか、書かないのかと、氏は疑問を解こうと試みる。

 NHKも朝日新聞も、氏が批判の対象にしているので、マスコミの一方的報道は、日本国内の出来事だけでなく、アジアについても、同じであると教えられた。タイ、インドネシア、マレーシア、カンボジア、ビルマにおける、事実と異なる報道の事例が、沢山上げられている。

 うなづかされる意見もあり、首を傾げたくなる主張もありで、残念ながら、全部が面白いという内容ではなかった。

 「その特徴の一つは、日本のモノサシの押しつけである。」「それに合わない部分は、勝手に切り捨ててしまう。」「これはアジアに対する、日本の優越意識のあらわれであると同時に、」「アジアから期待される、優れた存在であるという、日本人の大国意識とワンセットになっている。」

 「アジアはその実像でなく、日本の勝手な願望のネガとして、」「日本の読者や、視聴者に与えられる。」

 氏の言葉に、私は一も二もなく賛成する。「日本」という言葉を「記者」と置き換えれば、そっくり国内での報道姿勢に重なるからだ。

 「日本人の、アジアに対する、こうした見方が出来あがったのは、」「明治時代に、脱亜入欧路線が、定着する中からだとされる。」「この路線を敷いた、福沢諭吉によれば、近代国家の建設を目指す日本は、」「文明的に遅れた、アジアという悪友との関係を断ち、西欧をモデルにすべきであるという。」

 氏は簡単に述べているが、私の知っている、福沢諭吉や明治の政府要人たちは、最初からアジアを見限っていたのではない。列強のアジア侵略と、の危機が植民地支配が迫っている中で、彼らは、隣国の中国や朝鮮と力を合わせ、闘おうと考えていた。しかし現在と同じく、中華思想に固まった中国と朝鮮が、日本の申し出を冷笑し、無視したから、共に歩く相手でないと断念した。

 「福沢の教えに従った日本は、台湾と朝鮮を植民地化し、」「さらに、中国大陸への領土的野心を、剥き出しにして行く。」「欧米諸国からの、風当たりが高まり、国際社会で孤立化しだすと、」「欧米を敵に回し、アジアを味方に抱き込む作戦を、展開し出す。」「アジアの人々の意向には、お構いなしに、アジアの開放者に勝手になり、」「日本を盟主とする、大東亜共栄圏構想がぶち上げられた。」「日本の願いは、アジアの資源獲得だった。」

 こうなってくると、私は、この本を放り出したくなる。年齢は、たった3つしか違わないのに、私と彼の、日本史の理解の不思議なギャップは、どこから生じるのか。どんな勉強をしたら、このように歪んだ意見が生まれるのか。

 ここには、私が嫌悪する反日の史観が、言葉の端々に憎しみの色で織り込まれている。

 意識するとしないに拘らず、日本人の多くが、欧米に比較しアジアの国々を軽視しているのは事実であり、横柄な態度で接しているのも事実である。これを非難する氏の意見には、全面的に賛成だが、日本の歴史に関する、浅はかな断定は受け入れられない。

 明治の政治家たちは、もっと真摯に国を思い、アジアの他国を考え、当時の国際情勢にへの理解は、中国や朝鮮より遥かに深かった。そのようなことは何も知らず、底の浅い歴史観を展開する、彼こそがステレオタイプな意見の持ち主だった。

 多様な考えがあるからこの世が面白いし、対立する意見を尊重するのが、民主主義だと、理屈は百も承知だが、私は、そんな寛容さが持てない。心の狭い人間だと認めるしかないが、自分の国を悪し様にしか語れない人間の方が、最低でないかと、理屈抜きに反応してしまう。

 習慣なので最後まで読んだが、新聞記者なんて、やっぱり碌な人間がいないと、偏見丸出しの結論と成り果てる。他人を責める醜いブログになったと、今回も自己嫌悪にかられる。本題とは何の関係もないけれど、年から年中、日本ばかりを責めている、中国や韓国は、自己嫌悪に駆られることはないのだろうか。

 しかし私はこの本を、自己嫌悪なしに、資源ゴミの日にひもで括り、ゴミとして出す。永井氏の反日に比べれば、遠藤周作氏や三島由紀夫氏のものはまだ増しだった。

 もう遅いが、ゴミとして処分したことが悔やまれる。

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