ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『天下不穏』 ( 10年前の本 )

2013-08-29 14:34:42 | 徒然の記

 久保紘之著『天下不穏』( 平成13年刊 産経新聞社 ) を、読み終えた。

 「戦後憲法の最大の問題点は、いうまでもなく、〈 国家 〉と 〈 国民 〉 とを、まるで対立しているかのように扱い、国家を考えることが、あたかも〈悪〉であるかのごとく、国民意識に刷り込んで来たことだ。」

 反日左翼の本が沢山出版されている時、久保氏のような本もあったのです。産経新聞社だから、出版したのかもしれません

 「国家を支える自覚 ( 国家意識 )を罪悪視した、〈平和主義〉のもとで、国民の危機管理意識の育つ道理があるまい。」「愛国心の欠落した〈国際主義 〉が、アメリカのヘゲモニーに、ひたすら擦り寄る以外に何の芸もないことも、すでにいやというほど見て来た。」

 氏は、国民の意識がそうなった原因は、東京裁判において戦勝国アメリカが作り上げた「日本軍の極悪非道ぶり」であり、「自虐史観」であると語る。

 だから現憲法が改正され、自分の国が自分で守れるようになるまで、日本の独立は遂げられないと言う。その通りだと思いますが、本の解説者である石井氏は、そう言いません。

 「久保さんの文章は、本の題名通り不穏である。ユニークな政治評論は、麻薬に似た危険と効能を持っている。その文章には強い麻酔作用があり、まかり間違えると中枢神経をマヒさせる恐れがある。」

 普通の本で見る見慣れたお世辞の解説でなく、むしろ一歩引き、腫れ物にでも触るような臆病さだ。

 憲法に関する意見だけでなく、歴代首相や自民党、社会党に対する遠慮のない久保氏の意見についても、石井氏は同じスタンスだ。この不思議な批判的解説を読んでいると、10年という歳月が日本の世相を大きく変えたと実感させられる。

 久保氏の憲法改正に対する意見も、東京裁判を始まりとする「自虐史観説も、私にとって、というより、国民の多数にとって「不穏な考え」でなく、今は「ごく普通の考え」になっている。

 民主党が政権を取ったお陰で、反日売国の政治家が、日本を駄目にして行く様子を、国民は自分の目で見ることができた。あるいは何をしても、憎しみと侮蔑しか返さない中国、韓国・北朝鮮を日々見せられ、目を覚ましたということだ。

 同時に亡国のマスコミ、亡国の政治家、学者、文化人等々が、「子供らしい無邪気さ」で国際社会を語る危険性を、反面教師として教えてくれた。

 とりわけ大きな変化を与えてくれたのは、ここ数年急速に発達したパソコンから得られる情報だ。情報を操作するマスコミ各社の不誠実さを知った今は、彼らが、いかにもっともらしく報道しようと、別の角度から考える知恵がついた。

 庶民が得る情報の量と質について、10年を振り返れば、目を見張らずにおれない変化があった。漫然と情報を操作し、国民を騙し続けていると、政府も内部から崩壊するに違いない。世界の独裁者たちも、権力に胡座をかき自国民をバカにしていたら、いつなんどき、ドンデン返しの目に遭うか分からなくなっている。

 国民を監視する公安関係の費用が、国防費と同じくらいの額であることを中国人が知ったら、どういうことになるのだろう。中国の国民も、北朝鮮の国民も、空しい反日の旗を振るより、国民弾圧の政府が倒れてくれる方が、どれだけ幸せに近づくことになるというのだろう。

 正しい情報を国民に届けるという、ただそれだけの手伝いに金を使ったら、隣国の内部崩壊が早まり、庶民の幸福に貢献するのでないかと、もちろんこれは「みみずの戯言」だ。

 しかもここだけの話。

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不道徳教育講座 ( チルチル・ミチルの『青い鳥』 )

2013-08-21 18:44:18 | 徒然の記

 三島由紀夫著『不道徳教育講座』( 角川文庫 ) を読了した。

 奥野健男氏の解説によると、次のように紹介されている、

 「話はいつも機智に、エスプリに、ユーモアに満ちています。そして単なる冗談に終わらず、人生や社会や文学の本質を鋭く逆説的に言い当てています。」

 巻末の解説について、不動産屋の宣伝文句みたいなものと、テンから馬鹿にすることにしている。解説者は恥知らずか、それでなければ頼まれると断れない気弱なインテリか、いずれかに違いないと考えている。

 いつからこのような考えになったのか覚えていないが、中学生の頃までは解説者の説明を真面目に読んでいた気がする。おそらくは故人となられたであろう、高名な奥野氏も私の経験と期待を裏切ること無く、不動産屋の宣伝文に負けない解説で巻末を飾っていたということだ。

 「教師を内心バカにすべし」「大いにウソをつくべし」「人に迷惑をかけて死ぬべし」「女から金を搾取すべし」などと、30の項目について三島由紀夫の意見が述べられているが、以前読んだ遠藤周作氏の著作に負けない、詰まらない本だった。

 昭和42年代の日本では、こんな薄っぺらな意見が本気で読まれていたのだろうかと、不思議でならない。氏の言う機智やエスプリはどこにもなく、退屈ない理屈が語られているに過ぎず、実を言うとこの本は、5月に半分まで読んで中断していたものだ。

 近頃の若者なら、この程度の本は鼻先でせせら笑うのでないかと思ったりするが、私は近頃の若者でないから、もったいない気持ちが先に立ち、再挑戦したのだ。けれども残念ながら三島氏の本は、遠藤氏同様、月末の有価物回収日にゴミとして出すしかないものと判明した。

 新聞を読んでもパソコンで動画をみても、中国や韓国、アメリカ、沖縄など、ろくな話題がないので、気分転換したいと奥野健男氏の解説に騙されて、半信半疑ながら再読した三島氏の本がこの結果だ。

 機智に富む面白い本だって、そうそう巡り会えるものでもないと、分かっているのに読書をやめず、懲りずに期待してるのだから、こんな自分のめげない単純さの方が、考えようによっては面白い。

 つまり、面白いものは自分の中にしかなかったということ。まるで、チルチル・ミチルの『青い鳥』みたいな話でないか。

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チャンネル桜とWJF ( ネットの世界も、色々ある )

2013-08-19 12:39:44 | 徒然の記

 「国を開くこと、日本の市場をオープンにすること。これは政治家となって以来、私の中に流れる一貫した哲学でした。」

 「TPPへの反対は、自民党を支持した皆さんにもありました。私は全力で説得し、交渉参加への断を下しました。私が追い求める日本とは、世界に対して、どこまでもオープンにつながる日本です。」

 これは平成25年6月29日に、ロンドンのシティーで安倍総理が行った講演での言葉である。グローバリストの竹中氏を政府委員に登用したのは、アメリカからの圧力で、しぶしぶ受け入れた人事と思っていたのに、そうではなかったと知る驚きと失望があった。

 朝日新聞に限らず、NHKを含むマスコミのほとんどが、多くの事実を国民に知らせていないことを、私は「チャンネル桜」によって教えられた。全体として好意的に彼らの主張を受け入れ傾聴すらしていた。

 昨日初めてWJFの動画を見て、冒頭の安倍総理の言葉を知らされ衝撃を受けた。

 WJFとはどんな組織なのか、誰が運営しているのか。こうしたことは全て秘されており、チャンネル桜のオープンさと比較すれば、うさん臭さが残るが、それでも私は混乱した。

 WJFに言わせると、安倍総理はおろかチャンネル桜さえ、保守を騙る偽物の集団で、売国の日本人たちということらしい。普段ならこうした扇動的な話には近づかないのだが、ロンドンでの安倍総理の講演を知ると、反論のしようがなくなる。

 こうなると庶民はやはり無力だと、感じさせられる。信頼できる情報は、誰が発信しているのか。どうすれば、みつけられるのか。当たり前のことだが、自分で判断し、自分で選択しなくてはだめなと改めて知らされた。今でも私は「チャンネル桜」に登場する人びとに親近感を抱いているが、WJFの報道に接した昨晩以来、小さなひび割れが生じたことは否定できない。

 他の人びとのことは知らないが、私が安倍氏を応援するのはただひとつだ。日本を「自分の国を自分で守る」、普通の国に戻したいという意見だ。朝日新聞は、世界に例のない理想の憲法と賞賛してやまないが、この憲法こそが日本をアメリカに従属させ、自虐史観から抜け出せなくしている元凶だと私は固く信じている。現憲法は見直しの時期に来ており、このまま放置しておくことは、多くの先人たちに申し訳が立たない。

 私はWJFに問うてみたい。奇しくも水島氏の言葉と同じになるが・・・・

 「それでは現在の状況で、安倍氏を除いたら、誰が首相として相応しいのか。」「悪口ばかり言って否定するのでなく、対案を出すべきでないのか。」

 安倍氏の講演での言葉が本音で、失望の思いがあるとしても、彼は現在の日本において、「ベストの宰相でないが、ベターの宰相である」と考える今の私だ。

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朝の詩 ( たより )

2013-08-14 10:58:17 | 徒然の記

 産經新聞の朝刊の一面に、毎日詩が掲載される。これも、その一つだ。

    震災の日から いなくなった人よ

    崩れた家は  片付けました

    庭の桜は折れながらも 満開の花でした

    今は待宵草の 咲きはじめです

    放射線量は  少し下がりました

    眉月の下で  つゆ草が

    涙をためています

    たよりを下さい

 
 福島県の阿部正栄さんの作品だ。震災の傷跡から、回復しつつある福島の状況が綴られている。大変だったんだろうなと、作者の思いに近づいて行く。そして、最後の一行。

「たよりを下さい」・・・

 突然こみあげるものに、抗し切れなくなった。こぼれる涙を、あわててふいた。

 この最後の一行は、詩的叙述に混じった日常語である。この日常語のため、作者の願いが、読む人のこころにこれ程切なく響くのかと、ブログに残さずにおれなくなった。最後の一行がなかったら、良く出来た普通の詩だったが、これを無技巧の技巧というのだろうか。

 8月8日の朝に、私と同じように涙を拭った人はきっと沢山いたに違いない。「朝の詩」を読みながら、朝日新聞の記事は今でも安倍総理への批判と、反日の合唱であることだろうと考える。朝日を読んでいる人には、もちろんこんな感動は届かない。

 可哀相なことではないか。

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歴史的書籍の発見 ( 唐澤富太郎氏とは何者か ? )

2013-08-03 05:06:20 | 徒然の記

 唐沢富太郎氏著『明日の日本人』( 日経新書 ) を、読了した。

 図書館が廃棄処分する本の中から貰って来たので、著者のことも知らず、予備知識もないのは何時ものことだ。内容に呆れて、いつ頃の出版かと確認しようとしたら、最後のページが何枚か破られていた。

 腹を立てた読者が破ってしまったのかと、残されたページの破れ具合が、語っている。

 「戦後の教育は、戦前の軍国主義的超国家主義的教育を、批判・否定するところから発足したため、戦前の理想的人間像も雲散霧消してしまったのである。」「新教育の基盤となる民主主義は、アメリカや西欧諸国において発達してきた、西欧的民主主義を模範としたものであったから、日本の社会にはその基盤が無く、日本の内から必然的に生み出されたものでなかった。」

 「そのため、民主主義精神を如実に示す理想的人間像を、日本の歴史的、文化的、伝統の中から見つけることは、困難であって、多くはアメリカや西欧諸国から、求めなければならなかったのである。」

 本の書き出しは事実であるし、そうであろうと納得しつつ読んだ。

 「社会における縦の人間関係が、上位者には盲従し、下位者には威を振るうという、いわゆる権威主義的性格をつくりあげていったわけで、こうした日本社会はその帰結として、個人の自主独立も社会的連帯感も、否定するものとなったのである。」

 阪神淡路大震災や、東日本大震災での日本人の連帯感や絆、あるいは戦後に増えた個性のある国民、強くなった女性たちなどが頭に浮かび、この本は、いつ頃書かれたのものだろうか知りたくなった。

 「われわれが、アメリカやヨーロッパの教育を見て感じさせられることは、これらの国の生き方が、いずれも子供を大切にし、子供の幸福を願って行われているということである。」

 「日本人は子供を愛することにおいて、他の文明諸国人に比較し、劣るものでないと考えて来たが、真の意味において、西欧でいう愛の心をもって、子供を育てて来たかという疑問を、提出せざるを得ないのである。」

 「ルース・ベネディクトによれば、日本の子供たちは、家族制度の維持のために必要と考えられていることが、明らかにされている。」

 「換言すれば、両親やその他周囲の者が自己の将来の、生活保障の手段として、子供を考えていることである。」

 こういう説明になると、チョット待って欲しいと言いたくなる。

 「日本では、自分の職業を卑下して隠したり、親の職業を恥じて、劣等感を持つという場合も多く見られる。ところがアメリカでは、天職観念が徹底しているから、線路工夫が自己の職業の重要さを自覚し、誇りと愛を持っている。」

 「またソビエトでは、職業を通して社会に貢献するという観念が、国民一人一人にしみこんでおり、誰もが自己の職業を、いかにして最高に勤めあげるかということに努力している。」

 「ヨーロッパや、アメリカにおいては、キリスト教によってうらづけられた、天職感が職業倫理の基礎をなしている。日本では、職業は生計の道、つまり生きる手段、食う手段以外のなにものでもないと、言って良いくらいである。」

 次第に、唐沢氏への疑問が生じてくる。氏は本当に日本人を知っているのかと、人間性にも疑問符がつき出す。

 「中国の教科書には、至る所で労働に対して、感謝・尊敬の念を持つようにと教えられている。社会主義社会では、社会そのものが労働を尊ぶから、児童も張り合いをもって労働することができる。」

 「労働は皆でするもの、楽しくできるものであるということを理解させるような、集団的労働の意義を教える教材が与えられている。そこには日本の明治以降の、労働蔑視の思想や、自分だけよければ他人はどうでもよいとする、立身出世主義は、みじんもその影をとどめていない。」

 「こうした人間形成の方法について、我々は、多く学ばなければならないものを、感じる。」

 何だこれはと、仰天せずにおれない意見だ。どの時代の中国の話なのか、いったい何処を見て、氏は騙されたのかと調べたくなる。

 「日本人は、国際人としての教養や社交性において欠けるところがあり、それが、国際社会で活躍するさいの、大きな障害となっていることは周知の通りである。」

 「元来日本人は、国内においても社交的な習慣をもたないため、社会人として必要な、礼儀作法にも熟達していない。会議の運営、参加の仕方、討論の仕方、各種の公衆道徳、集会におけるエチケットなどは、外国人に比較するとかなり未熟なものである。」

 「風俗習慣の違いから、ある程度はやむを得ないものであるが、今後の日本人の使命を考えた場合、ただ止むを得ないと言って、すませてはいられない問題である。」

 どう読んでもこの指摘は、中国人や韓国・北朝鮮人に突いて言っているとしか、私には思えない。

 長い紹介になったが、「歴史的書籍」と呼ぶに相応しい本だと確信する。

これなら少々長くても、退屈しない内容だ。読後は当然のこととして、新聞雑誌とひとまとめにし、小学校のゴミ出しの日に「有価物」として処分することになる。

 朝日新聞だけでなく、こんな自虐教の養書もあったのだと知り、今更ながら日本のいい加減さを知らされた。

 ところで朝日新聞の購読は、7月末で目出たく終了した。念のため、これも記録に残したおこう。

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