岩波新書の『昭和史』は、本日も机の端っこに置かれたままです。
細切れの講話でなく、いずれ氏の著書を読み、きちんと対面するつもりですが、意表をつく田中氏の動画から、目が離せません。
「日本は敗戦したと、そんなことを言う人がいますが、」「日本は、戦争に負けていません。」「終戦しただけです。」「だって、国体が守られていますよ。」「天皇が、おられます。」
終戦でなく敗戦だと、これが私の主張ですから、そんな見方もあるのかと、意外感に打たれます。氏に負けず私も頑固なのか、「終戦でなく、敗戦だ」と、変わらない意見です。
確かに陛下は東京裁判の外に置かれ、無傷で残られましたが、人間宣言を強いられたり、神道とのつながりを制限されたり、皇室財産を国庫へ編入されたり、ひどい処遇でした。
マッカーサーは、日本統治のため陛下を利用し、反日・左翼を野に放ち、彼らの跋扈を許しました。この状況を見て、敗戦国の惨めさを身に沁みていますから、氏の意見には同調せず、「こんな見方もあるのか」と、感心するだけです。
「宗教学をもって、神道を研究する学者がいますが、」「宗教学なんて、西洋の宗教がメインですよ。」「もっと言えば、キリスト教が中心で、」「これが一番優れた宗教となっています。」
「だからこの範疇で、日本の神道を研究すれば、」「シャーマニズムなどというものになってしまいます。」「素朴な自然崇拝ですから、アフリカの原住民の宗教と同じ扱いです。」
「私は別にアフリカの原住民を、蔑んでいるのではありません。」「共通するところもありますしね。」「しかし、決定的な違いがあります。」
こう言って氏は、神道の特徴として三つを上げます。
1. 自然信仰
山や木や岩など、自然そのものの中に神を見、人間もその一部であると考える。
2. 御霊(みたま)信仰
優れた人や地域に貢献した人など、個人の魂を信仰の対象とする。
3. 祖霊(それい)信仰
自分の祖先を神として大切にし、これが国の祖先である天皇と、無意識のうちにつながる。
正確ではありませんが、このような意見でした。数多の社が作られ、数々の作法が生まれ、国民の心を統一し、今日に至るとすれば、他国の自然信仰とは同列に論ぜられません。日本人の感性と一体になった、独特の神の世界があると説明します。
日本の学者がやってきたのは、西洋的学問、唯物論的、近代的学問、もっと言いますと、キリスト教的学問なので、この方法でアプローチする限り、日本の学問や思想に合致しないのでないかと、氏は疑問を投げかけます。
自然を人間と対立するものとして捉え、征服し、開拓し、支配する対象と考える西洋の自然観と、日本人の自然観がどのように異なっているかを、氏は丁寧に説明します。
これまでのところ、異論を唱えることもなく、返ってうなづかされています。しかし次の言葉に、再び意表を突かれました。「秦氏は、ユダヤ人だ。」という意見と、同じレベルの衝撃です。
「世界には、グローバルな思考をするユダヤ人と、保守的なユダヤ人がいます。」「保守的なユダヤ人は、ナショナリストです。」「トランプ大統領を支援しているのは、保守的なユダヤ人です。」「保守的なユダヤ人は、日本を理解し協力します。」
だから、これから日本人は、保守的なユダヤ人と協力し、新たな世界秩序を作り、日本を取り戻すのだと、氏が言います。動画を見て、講演を聞くたびに、予想していない、異次元の言葉を聞かされます。もう少ししたら、距離を置く余裕が出てくるのでしょうが、現在は驚く方に忙しくて、落ち着いて考える暇がありません。
田中氏は、一見不思議な人物ですが、ユダヤ民族を、世界の支配者として捉える思考をしているのは、氏だけではありません。元ウクライナ・モルドバ大使の馬渕睦夫氏も、同様の世界観を持っています。二人とも、反日・左翼を嫌悪し、日本を大切にする愛国者で、この点において私と共有するものがあります。
中途半端なブログですが、今回はここで一区切りとします。田中氏を語るには、もっと勉強してからでないとダメだと、そんにな気がしますので・・