ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

田中英道氏の発見 - 5 ( 神道の特徴 )

2019-01-30 21:52:13 | 徒然の記

 岩波新書の『昭和史』は、本日も机の端っこに置かれたままです。

 細切れの講話でなく、いずれ氏の著書を読み、きちんと対面するつもりですが、意表をつく田中氏の動画から、目が離せません。

 「日本は敗戦したと、そんなことを言う人がいますが、」「日本は、戦争に負けていません。」「終戦しただけです。」「だって、国体が守られていますよ。」「天皇が、おられます。」

 終戦でなく敗戦だと、これが私の主張ですから、そんな見方もあるのかと、意外感に打たれます。氏に負けず私も頑固なのか、「終戦でなく、敗戦だ」と、変わらない意見です。

 確かに陛下は東京裁判の外に置かれ、無傷で残られましたが、人間宣言を強いられたり、神道とのつながりを制限されたり、皇室財産を国庫へ編入されたり、ひどい処遇でした。

 マッカーサーは、日本統治のため陛下を利用し、反日・左翼を野に放ち、彼らの跋扈を許しました。この状況を見て、敗戦国の惨めさを身に沁みていますから、氏の意見には同調せず、「こんな見方もあるのか」と、感心するだけです。

 「宗教学をもって、神道を研究する学者がいますが、」「宗教学なんて、西洋の宗教がメインですよ。」「もっと言えば、キリスト教が中心で、」「これが一番優れた宗教となっています。」

 「だからこの範疇で、日本の神道を研究すれば、」「シャーマニズムなどというものになってしまいます。」「素朴な自然崇拝ですから、アフリカの原住民の宗教と同じ扱いです。」

 「私は別にアフリカの原住民を、蔑んでいるのではありません。」「共通するところもありますしね。」「しかし、決定的な違いがあります。」

 こう言って氏は、神道の特徴として三つを上げます。

  1. 自然信仰  

    山や木や岩など、自然そのものの中に神を見、人間もその一部であると考える。

  2. 御霊(みたま)信仰 

    優れた人や地域に貢献した人など、個人の魂を信仰の対象とする。

  3. 祖霊(それい)信仰 

    自分の祖先を神として大切にし、これが国の祖先である天皇と、無意識のうちにつながる。

 正確ではありませんが、このような意見でした。数多の社が作られ、数々の作法が生まれ、国民の心を統一し、今日に至るとすれば、他国の自然信仰とは同列に論ぜられません。日本人の感性と一体になった、独特の神の世界があると説明します。

 日本の学者がやってきたのは、西洋的学問、唯物論的、近代的学問、もっと言いますと、キリスト教的学問なので、この方法でアプローチする限り、日本の学問や思想に合致しないのでないかと、氏は疑問を投げかけます。

 自然を人間と対立するものとして捉え、征服し、開拓し、支配する対象と考える西洋の自然観と、日本人の自然観がどのように異なっているかを、氏は丁寧に説明します。

 これまでのところ、異論を唱えることもなく、返ってうなづかされています。しかし次の言葉に、再び意表を突かれました。「秦氏は、ユダヤ人だ。」という意見と、同じレベルの衝撃です。

 「世界には、グローバルな思考をするユダヤ人と、保守的なユダヤ人がいます。」「保守的なユダヤ人は、ナショナリストです。」「トランプ大統領を支援しているのは、保守的なユダヤ人です。」「保守的なユダヤ人は、日本を理解し協力します。」

 だから、これから日本人は、保守的なユダヤ人と協力し、新たな世界秩序を作り、日本を取り戻すのだと、氏が言います。動画を見て、講演を聞くたびに、予想していない、異次元の言葉を聞かされます。もう少ししたら、距離を置く余裕が出てくるのでしょうが、現在は驚く方に忙しくて、落ち着いて考える暇がありません。

 田中氏は、一見不思議な人物ですが、ユダヤ民族を、世界の支配者として捉える思考をしているのは、氏だけではありません。元ウクライナ・モルドバ大使の馬渕睦夫氏も、同様の世界観を持っています。二人とも、反日・左翼を嫌悪し、日本を大切にする愛国者で、この点において私と共有するものがあります。

 中途半端なブログですが、今回はここで一区切りとします。田中氏を語るには、もっと勉強してからでないとダメだと、そんにな気がしますので・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田中英道氏の発見 - 4 ( 否定するだけで、その先が無い左翼 )

2019-01-30 14:40:07 | 徒然の記

 岩波新書の『昭和史』は、机の片隅に置いたままです。

 ユーチューブの動画で、田中英道氏の講演を探し、毎日聴いています。「秦氏は、ユダヤ人です。」という意見には、まだ戸惑っていますが、聴くたびに虜になる氏の意見です。

 「なんでも反対、何でも否定する、」「これがマルクス主義者の、否定理論です。」「理論になんて、たいそうに聞こえますが、」「じゃあ、否定した先には、何があるのか。」

 「昔なら、社会主義の理論がありましたが、」「ソ連が、崩壊しましたからね、もう何もない。」「社会主義の国と言って、中国や北朝鮮が、何か参考になりますか。」「あんな酷い国を、理想になんて、国民は誰も思いませんよ。」

 「だから今の左翼は、反対するだけ、否定するだけで、」「なんの理論もないんです。」

 今しがた見た、氏の動画です。日頃私が思っていることを、眠そうな顔で、独り言でも言うように語ります。国会で、政府を追及する野党議員みたいに、怒りに声を震わせ、大げさに喋らないので、氏の話は聞く方も疲れません。

 「全てはこれからの話ですが、私にとって、「田中英道氏の発見」は、今年最大の出来事の一つのなるような、予感がいたします。」 

 第一回目に、私はそう述べましたが、どうやら、この予感は的中したのでないかと思います。「戦う保守の学者が、ここにいたか。」・・・息子たちにも、知らせてやりたい氏の存在です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田中英道氏の発見 - 3 ( 『魏志倭人伝』の評価 )

2019-01-29 17:17:57 | 徒然の記
 「津田左右吉氏は、日本書紀や古事記を信頼せず、魏志倭人伝の方を評価しています。」「この人は、天皇制を否定する学者ですから、こういう歴史の作り変えをします。」
 
 私は津田左右吉氏を、誠実な学者とばかり思っていましたので、この意見にも驚ろかされました。かって、「変節した学者たち」のシリーズをブログにした時、氏の名前が出てこなかったので、意識していませんでした。
 
 敗戦後の日本では、こうした思いがけない人物たちが変節し、静かに日本史を書き換え、国民の心を日本否定へと導いていたのだと、今更ながら教えさせられます。
 
 「魏志倭人伝を信じる人たちは、卑弥呼を大和朝廷と結びつけようと、」「いろんな説を出してきます。」「卑弥呼の読みが、日の巫女という響きに似ているから、」「天照大神のことであるとか、神功皇后のことであるとか、そんな意見もあります。」
 
 「しかし大和朝廷の信仰は、太陽信仰で、自然神信仰なのです。」「卑弥呼が太陽神を拝んだという記述は、どこにもありません。」「鬼道をよくすると、書かれているだけです。」「朝鮮を攻めた神功皇后について、鬼道をよくするという記述もありますが、」「基本的に大和朝廷は、太陽神信仰ですから、卑弥呼が天皇という説には、無理があります。」
 
  田中氏の説明は、私の知らないことばかりで、古代史の深さを教えられます。この際、息子だけでなく、自分のためにも、『魏志倭人伝』について、調べてみました。
 
  「魏志倭人伝は、中国の歴史書『三国志』の中の、」「『魏書・第30巻烏丸鮮卑・東夷伝倭人条』の、略称である。」「当時日本列島にいた民族である倭人 ( 日本人 )の、風俗や地理などについて書かれている。」
 
 「『三国志』を書いたのは、西晋の陳寿で、西暦280年から297年の間に書き、」「陳寿の死後、中国では正史として重んじられている。」
 
 この説明を読むと、日本の歴史学者が『魏志倭人伝』を信頼する理由が分かります。けれども、ここでもまた、田中氏は私の知らない事実を教えてくれます。
 
 「『魏志倭人伝』の中で、陳寿は、日本のことだけ書いているのではありません。」「いろんな国のことを書いています。」「だいたい彼は、日本には来たこともないし、自分の想像で、日本について書いています。」
 
 「倭人伝のなかで、日本の風俗として書かれていることが、」「調べてみると、朝鮮半島の記述とほとんど同じだったとか、そんなもんですよ。」
 
 「当時の中国人からすれば、日本なんて想像で書いても、なんて言うことないんです。」「自分の国の歴史でも、何十年か経てば、平気で書き換えるのですから、中国の歴史は、」「だいたい、こんなもんです。」
 
 「それを有難がって信じるから、卑弥呼や邪馬台が生まれてきます。」

  三年前に、黄文雄氏が書いた『中国こそ日本に謝罪すべき9つの理由』、という本を読みました。黄氏はその中で、次のように述べていました。

  「中国の歴史観は、さすがに彼らが、歴史は政治の道具というだけあり、」「歪曲と捏造に、満ちたものである。」「この国は有史以来、経典の偽作を伝統とし、偽史、偽書、偽経で、溢れている。」「そのため中国では、偽物を見破るための、弁偽学が発達した。」

 「日本では古来、中国史研究が行われてきたが、その入門書ともいうべき、弁偽学の書だけがなかったため、」「根が善良な日本人は、中国史のウソを見破る、という発想を持てないできた。」

 「張心淑の『偽史通考』などは、千四百点もの古典の真偽を考証した、弁偽学集大成の書と目されている。」

 「日本人には、中国は歴史を大切にする国だと、敬意を表する人が多いが、中国はもともと、歴史は捏造するものと、考えている国なのだ。」

 黄氏の言葉を、記憶して書いているのではありません。三年前のブログを探し出し、そこから文章を転記しています。田中氏の言葉が過激なので、息子たちが、夜間祭りの「ガマの油売り論」と違えてはいけないと、もっと過激な黄氏の意見を紹介しています。礼儀正しい日本の学者は、日本の師であった中国への敬意を忘れず、疑ったり非難したりしません。

 それはそれで日本人の美徳でしょうが、黄氏の指摘する事実も、肝に命ずるのが大事です。正しい学問を求めるのなら、長所だけでなく、中国の短所も押さえておくべきです。短所に目をつぶり、長所だけに注目し「中国は素晴らしい」「中国は偉大だ」と賞賛するのなら、学問は成り立ちません。

  息子たちに言います。卑屈な親中の政治家や学者が、現在の日本をどれほどダメにしているかを考えると、少しくらい過激でも田中氏や黄氏の意見は貴重です。

 「一言で言って、中国人は〈詐〉の民族である。」「公を忘れて、私に走る、実に理解しやすい民族性である。」

 「誰にでも、わかりやすく説明するなら、中国人はヤクザと同じで、」「いざ相手に弱みがあれば、とことんまでそれに食らいつき、ゆすりたかりをやめない。」「恥は知らないが、強者としての誇りだけはある。」「たとえ自分が、強者でないことが明らかになっても、ハッタリだけは忘れない。」

 尖閣の領海への侵入、沖縄の支配権の主張、南沙諸島の埋め立て工事、南京問題の歴史捏造と、中国がやっている無謀な行動を見ていますと、黄氏の批判をそのまま肯定します。田中氏の、『魏志倭人伝』批判も、反対する気持ちがなくなります。むしろ私のの考えは、次のようになります。

  「中国の歴史書は、日本への侮蔑」 「私たちは、決して騙されない」
 
 共同通信社の記事と同様、注意してかからねばなりません。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田中英道氏の発見 - 2 ( 邪馬台国の否定 )

2019-01-28 22:25:25 | 徒然の記

 やはり私にとって田中英道氏の発見は、考えていた以上にときめくものがあります。

 あれ以来ネットで、氏の講演の動画を探し、少しずつ見ていますが、愉快でなりません。戦後の歴史は、マルスク主義の学者が唯物史観で日本史を作り替え、日本の伝統や文化を壊してしまったと、相変わらず意気軒昂です。

 「私は、思いつきで意見を述べているのではありませんよ。」「そこいらの素人が、何年か本を読んで、邪馬台国が九州だとか、近畿地方だとか、」「いろいろ好きなことを言っているのとは、訳が違います。」「私は、日本の古い遺跡を調査し、古来からの神社を訪ね、」「そこから出土したものや、残された文献を、何十年も研究しています。」

 「だから、学者としての命をかけて、意見を述べています。」「日本での一番の問題は、遺跡や遺物を調べる考古学者と、古文書を研究する歴史学者が互いに協力せず、意思の疎通を欠いているところにあるのです。」

 「戦後の歴史学者は、文字のなかった日本の古代を、まるで未開の野蛮時代でもあったかのように、無視し、古墳時代なんて、勝手な名前をつけています。」

 「しかし考古学者は、縄文時代の焼き物や、弥生時代の古墳から発見される土器、」土偶、銅鐸などを丹念に調べ、」「文字がなくても、日本に、素晴らしい文化があったことを知っています。」

  考古学者と歴史学者が協力し合えば、日本の歴史はもっと正しく見直されると、氏は言います。喋り方が少し、皮肉っぽいため、投げやりに聞こえますが、意見としては正論です。

 前回は、「秦氏はユダヤ人である。」と断定し、私を驚かせましたが、今回は、「果たして、卑弥呼と邪馬台国は、存在したのか。」と言い、私の心を奪います。昨年の10月、武光誠氏の著書、『日本の神々の謎』を読み、その時ブログにこう書きました。

 「氏の著書を読む以前から、素朴な疑問がありました。」「それは、卑弥呼の邪馬台国と、大和朝廷の関係です。」

 武光氏の説明はとても詳細でしたが、疑問には答えていませんでした。

  「邪馬台国の卑弥呼が死んだのは、西暦240~249年で、」「日本の歴史が、文字として詳しく書かれ、明らかになるのは、592年(飛鳥時代)以降だ。」「では、249年~592年の間、日本で何が起こっていたのか?」「じつは、確かなことは何も分かっていない。」「この間、中国の文献から、倭の記述が消えてしまったからだ。」

 「そのためこの期間は、" 空白の4世紀 " と言われている。」「ただ、中国・二十四史を丹念に読めば、少なからず倭の記述がある。」「そして、その中に、この時代を明らかにする鍵が含まれているのだ。」

 「邪馬台国の場所は、九州北部に間違いないだろう。」「さらに、卑弥呼が死んだ後も、邪馬台国または、邪馬台国を継承した九州政権が存続し、」「中国に朝貢したことも、確かである。」「また、同じ頃(西暦300年)、奈良盆地に、」「大規模な前方後円墳が出現する。」

 「前方後円墳は、大和朝廷の象徴なので、この頃、奈良に大和朝廷(ヤマト王権)が興ったことは間違いない。」「そして、この王権が飛鳥時代に継承され、今の皇室につながっている。」

 武光氏の説明では、いつ、どのような形で、権力が継承されたのか分からず、邪馬台国と大和朝廷の関係もハッキリしません。それを田中氏は、大胆にも、「卑弥呼も、邪馬台国も、存在しなかったのではないか。」と、語ります。

 息子たちに言います。お前たちは、父以上に古代史を知らないはずだから、頭の整理を、もう一度試みてください。関係する重要な年代を、列挙します。

  西暦238年  卑弥呼の邪馬台国成立      < 西暦280~297年 魏志倭人伝  >

  西暦574年  飛鳥時代 推古天皇 聖徳太子

  西暦673年  白鳳時代 天武天皇

  西暦712年  古事記の編纂  天武天皇 太安万侶 稗田阿礼

  西暦720年  日本書紀の編纂 正史 舎人親王 

  西暦783年  万葉集の編纂    大伴家持 持統天皇? 柿本人麻呂?

 日本を統一した邪馬台国は、本当にあったのかと、氏が疑問を抱く根拠は、

   1. 日本中の古墳を調べても、卑弥呼と邪馬台の関連品が出土しない。

     2. 古来からある神社の、文書、伝承、遺物を調査しても、卑弥呼と邪馬台に関するものが出てこない。

     3. 古事記、日本書紀に、魏志倭人伝が引用されているが、卑弥呼と邪馬台に関する叙述がない。

   4. もしも、卑弥呼と邪馬台が現存するのなら、いずれかの風土記の中に記載されているはずなのに、書かれていない。

   5. 日本の歴史学者は、魏志倭人伝を、過大評価しているのではないか。

 この意見は、学者として正論だと思います。息子たちに言います。古事記や日本書紀が、皇室の正当性を語る歴史書であるとすれば、全国各地にあった風土記は、地方を支配した豪族たちの、正当性を示す彼らの歴史書です。

 卑弥呼が日本を統一していたのなら、記紀のみならず、どこかの国の風土記に記載があると考えるのが自然な話です。従って私は素人ながら、武光氏より、田中氏の意見に同意します。これはいつもの偏見でなく、庶民としての常識から出る判断です。

 古代史についてこれ以上語ると、戦後生まれのお前たちが、あくびをしてしまいそうなので、親バカの私はここで一休みします。しかし、明日は続きをやります。世間の親バカと違い、私は結構頑固者で、可愛い子にはわがままを許しません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

共同通信の記事は、国民への挑戦 - 8

2019-01-27 15:49:49 | 徒然の記

 2. について述べる予定でしたが、時間と手間が勿体ないので、省略します。

 氏の主張の要約だけをしますと、「偏狭な保守・ネトウヨ」が、移民法案に賛成し、「国際志向の野党」が、移民法に反対した。これでは、まるで立場が、逆ではないか・・という指摘です。ネトウヨが賛成したという、氏の前提は、前回のブログで嘘だと判明しましたから、これ以上バカ話に、つき合う必要を感じなくなりました。

 さて氏は、「ナショナリズム」という言葉を、「国民国家の主権や、国益を根拠とした主張」と、定義しています。今回野党は、移民法案に対し、ナショナリストとして振る舞い、反対したのだと、韓国や中国並みの、見え透いた強弁を展開します。

 「ナショナリズムに頼るというのは、抽象的な理念には、」「人を動かす力がないからだ。」「大衆的な動員力を持っているのは、」「私たちに固有と感じられる文化や、生活様式を巡る、」「具体的な経験である。」「私たち流の生き方を遵守する、仲間との間に感じられる、具体的な絆は、」「人に安心感と、甘い快楽を与える。」

 ここで氏は、ナショナリズムには具体性があり、左翼の国際志向にはそれがないと、言っています。しかし息子たちよ、氏の言う「安心感」とか、「甘い快楽」とか「絆」の、どこに具体性を感じますか。こんなものこそ、氏が切り捨てる抽象的な理念ではありませんか。移民法国会の騒ぎの中で、反対した野党のどこに、ナショナリズムがあったのか。父は、この学者の牽強付会、我田引水の厚かましさに、顔を背けたくなります。

 「が今日、その具体的な絆のもとになる、」「私たち固有の生活様式こそ、」「真に抽象的な観念である。」「それは、私たちの生活世界も、グローバルな規模の、」「金融的、情緒的、社会的なネットワークの一部として、」「その力学に規制されているという、事実を、」「覆い隠すスクリーンである。」

 たった今、自分で、ナショナリズムが具体的で、動員力があるといい、その具体例を「固有の生活様式」と語りながら、次の叙述では否定しています。こんな文章が、読者を惑わす偽学者の常套手段です。昔、田舎の祭りに、ガマの油売りというのがいました。言葉たくみに、見物人を集め、思いがけないことを言い、面食らっている善男善女をたぶらかし、結局はガマの油を売りつけるという、テキ屋の意見の展開が、氏に似ています。

 父はそうことをあまりしませんが、威丈高に、いかにも最もらしく、ニセ学者が強調するときは、たいてい嘘が混じっています。息子たちよ、氏の意見が良い見本です。きっと氏は、自分でも、何を言っているのか分かっていないのではないかと、父は冷めた目で、文章を読んでいます。

 「ナショナリズムは、幻想や夢であって、」「実在ではない。」「この閉塞の夢を見ているのが、ネトウヨだ。」こうなりますと、氏は祭りのガマの油売り以下の、性格破産者でしかありません。野党がナショナリズムで、移民法に反対したというのなら、閉塞の夢を見ていたのは、ネトウヨでなく、野党ではありませんか。論点が、あっへ行ったり、こっちへ来たり、氏は本当に京大の教授だったのでしょうか。だとすれば、東大同様、最近の京大の学問的レベルも、ずいぶん低下したものです。

 「彼らが、ネットの中だけで元気なのは、」「守ろうとする絆が、現実にはない、抽象的な概念だからだ。」・・、ナショナリズムに頼ったという野党は、どこへ消えたのでしょう。支離滅裂な、元京大教授の意見です。しかし、この続きがまた凄い。

 「その幻想と、現実のギャップを埋めるには、」「敵を捏造しなくてはならない。」「敵のせいで、夢が実現できていないと思うために・・。」「敵に仕立て上げられたのが、在日や中国である。」「ネトウヨは、資本主義が呼び込む、」「外国人の流れには無力である。」

 反日で騒ぐ在日や、日本を憎悪する中国人を、わざわざ敵に仕立て上る必要はありません。氏が蔑称するネトウヨの中に、私も当然含まれるのでしょうが、こんな馬鹿な思考は一度もしたことがありません。反日の在日と中国人は、おかしな理屈を持ち出さなくても、日本人が嫌悪する実在の適性外国人です。こんな教授の授業を受け、疑問の一つもぶつけないというのなら、京大生のレベル低下が心配になります。機会があれば、一度確かめてみたい京大の実情です。

 「今回の日本の、外国人労働者の受け入れ拡大は、」「異質な他者との連携といった、崇高な倫理とは関係がない。」

 「異質なものを受け入れる、寛容な社会」「共生社会」などと、盛んに移民の受け入れを煽ったのは、共同通信社や朝日新聞でした。だから、これについては賛成します。次の意見も、珍しく正論です。

 「日本は、グローバル資本主義を勝ち抜くため、」「安価な労働力を、必要としているのだ。」

 正論はここまでで、これ以後、また、縁日の「ガマの油売り論」に戻ります。

 「だからと言って、労働市場を閉鎖する方が、」「立派ということにはならない。」「究極の人間解放があり得るとすれば、それはインターナショナリズムを、条件としているだろう。」

 ならば、移民受け入れに消極的だった野党も、立派でないはずなのに、そこには言及しません。「インターナショナリズムを条件とした人間解放」という、具体性のない、抽象的な、大層な言葉で、氏は何を説明しているのでしょう。ここには、移民のため国を分断されたヨーロッパの苦悩が、何も語られていません。

 息子たちに言います。「ガマの油売り論」が、騒々しくまだ続きますが、父はもう、学問らしい匂いのかけらもない、元京大教授の寝言に、忍耐の尾が切れました。愛するお前たちに、分かって欲しいことは、氏のおかしな主張だけでなく、これを国内の地方紙に拡散する、共同通信社の悪意(オレオレ詐欺)です。

 

  「共同通信の記事は、国民への挑戦」 「私たちは、決して騙されない」

 このキャッチフレーズは、父と、警視庁の合作です。無断で使ったので、もしかすると、警視庁はヘソを曲げるのかもしれませんが・・父は気に入っています。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

共同通信の記事は、国民への挑戦 - 7

2019-01-26 19:44:28 | 徒然の記

 読みかけの本(新版・昭和史)を、机の上に置いたまま、やっと是枝氏の記事へ、コメントが終わったばかりなのに、1月17日の千葉日報を手にし、またしても、共同通信社の汚染記事を発見しました。

 75才と言えば、世間では後期高齢者として老人扱いされ、そろそろ痴呆の始まる年齢だというのに、共同通信社は、そんな私にお構い無しで、次から次へとヘイト記事を掲載し、心の平穏を乱してくれます。こんな日が続くのでは、何時まで経っても安らぎが訪れず、呆ける暇さえありません。腹を立てるべきなのか、感謝すべきなのか、おかしな会社です。

 慰安婦問題の効力が薄れると、徴用工、その次はレーダー照射、今度は挺身隊訴訟、日本海表記への難癖と、日本を貶め、攻撃するためなら、知恵を絞り続ける韓国のように、共同通信社もよく似た、懲りない会社です。前回は、是枝氏の「万引き家族」称賛でしたが、今度は移民法に関する、日本社会への批判です。

 「論考 2019」という、シリーズ記事で、日本の有識者と共同通信が勝手に決めた人物が、反日・左翼の主張を展開します。記事に付けられた表題は、二つでした。

 「資本主義の利己的な延命策」「受け入れ拡大に見る奇妙さ」

 今回の有識者は、社会学者大沢真幸氏といい、初めて聞く名前です。記事の端に書かれた略歴によりますと、「昭和33年長野県に生まれ、京都大学教授などを歴任」と、なっています。これだけでは人物像が掴めませんので、他の情報を探しました。

 「東大文学部・社会学科を卒業後、文学部助手になった後、」「千葉大学助教授を経て、」「京都大学の助教授となり、教授に昇格。」「しかし、平成21年に、セクハラ疑惑で辞職。」「最近は、個人的に編集している思想誌、」「『Thinking O』を中心に活動している。」

 マイナスイメージの情報を、故意に探している訳ではありませんから、別のネット情報で、プラスのものも探しました。

 「大澤には、教授時代から多くの著書・編著がある。」「新聞、雑誌、視点・論点のようなテレビ番組にも登場し、」「気鋭の学者として、数十年にわたって活動してきた。」「大澤に関するマスメディアの評価は、概して高く、」「高度に抽象的な論理と、現代社会の諸現象を、」「巧みな手腕とバランスで扱っている、と言われる。」「彼の著作の帯などには、スリリングな論考、といった言葉がおどる。」

 父がなぜここまで根気よく、氏の経歴を調べるかつにいて、息子たちに教えます。1月17日の記事を読んだ時、とても有識者と思えない、愚かな意見の羅列に驚かされたからです。共同通信社が選ぶ有識者に、碌な人間はいないと予想していましたが、ここまで酷いとは思いませんでした。日本の学者、特に社会学者には、荒れ野に繁茂する、ねじれ雑草のような、見るも無残な人物が多いと、これもまた情けない発見となりました。

 息子たちに言います。この無用とも思える、前置きの長さは、氏の意見を知った父の驚きの印だと、理解してください。

 「昨年末に成立した、改正入管難民法による、」「外国人労働者の、受け入れ拡大は、」「遅ればせの行動である。」「90年頃、外国人への労働市場の開放は、」「国論を分けるイシュー(問題)だったが、」「現在は、異論の余地はない。」「受け入れ拡大は、不可避である。」「日本が、グローバル資本主義の中で、」「生き延びようとするならば。」

 これが、氏の主張の前提条件です。グローバル資本主義で生きるためには、外国人労働者が、本当に絶対不可欠なのか。あるいは、グローバル資本主義の中でしか、日本は生きられないのか。様々な意見があり、議論が戦わされていることを知っていますが、ここで異論を挟むのを止め、氏の意見に耳を傾けます。

 「だがこの件には、奇妙なことが二つある。」と言い、氏は二つを列挙します。

「 1.  どうしてネトウヨは、この法律にそれほど反対しないのか。」

「 2.  リベラルを自認する野党は、どうしてこの法律に対して、消極的だったのか。」

 ここから、共同通信社選定の有識者らしく、愚論の展開が始まります。まず 1. について。

 「在日コリアンや、中国には、非現実的な危機感を感じているのに、」「この法律に関しては、物分りが良い。」「彼らは、安全法制の時の、リベラルのように、」「国会議事堂を取り囲んで、」「反対すべきではないのか。」

 これが 1. に関する、氏の主張です。礼儀知らずの学者らしく、国を大切にする庶民をひとまとめにし、「ネトウヨ」などと蔑称します。私にしても、「反日・左翼」と、彼のような雑草学者をひとくくりで表現しますから、ここは我慢するとして、是認し難いのは、次の言葉です。

  「在日コリアンや、中国には、非現実的な危機感を感じているのに、」・・、新聞紙上を騒がせる韓国、中国の行動の、どこが非現実的なのか、私は聞きたくなります。隣国の威嚇と暴言に、危機感を感じないというのですから、氏には、日本人の心が無いのでしょうか。

 法案審議の過程で、保守系の人間はネット上で、全て「移民法案」に反対していました。どんなネトウヨの意見を聞いているのか、学者なら、正しい情報で意見を述べるべきです。法案に賛成していたのは、国民の期待を裏切った安部氏と、安部氏に異を唱えられなかった、自民党の腰抜け議員たちです。氏は、自民党の議員を含め、わざわざネトウヨと総称したいのでしょうか。

 移民法に賛成したのは、安部総理と、自民党の議員だけでなく、目先の利益に惑わされ、安い労働力を求めた経営者たちです。私の知る限り、氏が蔑称するネトウヨは、実は本物の愛国者ですから、国の未来を憂え、移民の受け入れに反対しています。息子たちよ、よく聞きなさい。氏の意見は、捏造と言うより、嘘なのです。ありもしない事実を、新聞に発表するというのは捏造でなく、虚偽であり、朝日新聞の記者たちが散々やってきた犯罪と同じだと、父は言います。

  ここまでくれば順序として、次は 2. に関する氏の主張です。しかしこれを続けますと、ブログのスペースが足りなくなりますので、残りは次回とします。新聞記事の三分の一のところなので、まだ半分以上つまら無い意見が残っています。ここで止めてしまいたい気もあるのですが、愛する息子や孫たちの顔を思い浮かべると、父は戸惑います。

 共同通信社のこうした記事は、「オレオレ詐欺」と同じことで、善意の人間が騙されて泣くのです。始末が悪いのは、「オレオレ詐欺」なら、警察が助けてくれますが、新聞記事の嘘や捏造では、警察は読者を守ってくれません。マスコミという名前だけで、法を超えるのですから、自衛するしかありません。世間には「老婆心ながら」という言葉がありますが、父は男ですから、お前たちへのお節介は、「老爺心ながら」とでも言うのでしょうか。

 男女平等と、なんでも大騒ぎする左翼活動家も、気がつかない盲点があるのでしょうか。徹底しないところが、間抜けな反日・左翼らしくて、笑いを誘われます。

 どうでもいいことですから、本日はここまでとします。 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

共同通信の記事は、国民への挑戦 - 6

2019-01-25 23:31:26 | 徒然の記

 平成31年1月7日の、千葉日報新聞です。一ページを全面使い、是枝監督の特集記事でした。地方紙を舞台に、共同通信社が、日本の文化と風土を崩壊させる記事を、飽きもせず全国配信するので、私も負けず、根気よく批判を続けます。

 国内で、賛否両論のある「万引き家族」が、カンヌ映画祭で、最高賞を得たという古い話題で、何故かまた同監督を取り上げています。紙面の4分の1を、監督の顔写真が飾っています。いつものように、大見出しの活字部分を、書き写してみます。

 「必要なのは、免疫力」「映画と世界のはざまで 是枝裕和監督」「小さな物語 足元に」「撮ることが発見や探索」

 ここで記事の書き始めの部分を、転記します。

 「自国第一、移民排斥など、」「ナショナリズムが、各地で台頭する世界。」「閉じた帰属意識に、どう向き合えば良いのか。」「文化や価値観の、相互理解が促される国際映画祭に、」「数多く参加し、最高峰のカンヌでは、」「万引き家族が、最高賞を受賞した是枝監督に、」「新作を製作中の、パリで話を聞いた。」「今必要なのは、免疫力だと語る。」

 やはりそう来たかと、共同通信社の意図が読めました。安倍政権が進める移民政策への、賛同記事でした。憲法改正など、日本にとって大切な政策については、朝日新聞と同様、社をあげて安倍自民党に反対しますが、日本をダメにする政策には、もろ手をあげて賛成するのですから、分かりやすい会社です。

 「日本では、メディアの人が、会社と国に帰属しているでしょ。」「国があって、新聞社があって、記者がいる。」「その共同体の中で、仕事をしているという意識があるから、」「何かあると、国に迷惑をかけたのだから、謝れという理屈になる。」

 「でも、ジャーナリストが帰属しているのは、」「本来、国でなく、真実のはずです。」

 こういう中身のない、キザな言葉に、お花畑の人々は共鳴しますから、共同通信社が記事にするはずです。しかし、「国があって、新聞社があって、記者がいる。」・・というのは、日本だけでなく、世界のどこでも同じ話でしょう。それとも共同通信社では、国も会社も関係なく、自分が真実と思い込むものに熱中する社員を、大勢雇っているのでしょうか。

 息子たちに言います。彼らがいう真実は、反日・左翼の目で見た真実ですから、右や中庸の目で見れば、違ったものになります。真実というものが、人により、国により、地域社会により、様々に異なるという基本常識が、この記事では省略されています。簡単な話をしますと、中国や、北朝鮮では、第1番目に国家があり、真実はどこ吹く風で、一般庶民は人権無視されていますが、これをどう説明するのでしょう。

 是枝氏や共同通信社に限らず、反日・左翼の人間は、国や企業は、個人を弾圧し、抑え込むものと、頭から決めつけています。国が、国民の安全や生活の保障をしている側面には、目を向けません。国を、国民に敵対するものとしてだけ考えるのが、左翼思想の特徴です。中国や北朝鮮や、社会主義国と言われる国では、政府が国民を弾圧していますから、彼らの言うことも、全部嘘ではありません。

 ノーベル賞を貰っても、大江健三郎氏は、日本を憎む言動しか出来ず、韓国で好かれています。益川敏英氏のように、愛読する新聞は赤旗と公言する、おかしな学者もいます。ノーベル賞、カンヌ最高賞など、外国に賞をもらえば、文句無しに立派な人間だなどと、明治時代ではないのですから、欧米崇拝の単純さから、そろそろ卒業したいものです。

 日本を大切にする人間が怒っているのは、「万引き家族」の悪質な、日本貶めにあります。無縁の男女や子供や老人が、家族でもないのに家族を装って暮らし、万引きをしながら生活していると、そんなありえない設定で、話が作られています。フランスでは、この話が、現在の日本での実話だと信じる人間がいると聞きます。

 その家族は汚く、貧しく、騒々しく描写され、若い娘が立膝をして食事をする場面もあります。日本人で、お膳につき、立膝で食事をする者はいません。これは隣国の、朝鮮人の生活様式です。描かれているのは、崩壊した家族、万引きという犯罪を平気でする男女、礼節もなく、恥も誇りもなくした人間像ですから、日本にはない虚像です。多くの日本人が、眉をひそめ、嫌悪する理由が、ここにあります。それなのに、なんですか。共同通信社と是枝氏は、「必要なのは、免疫力」と強調します。こんな人間集団の存在に免疫力など、とんでもない話ではありませんか。

 日本人をダメにし、日本の国をダメにしようとする、彼らの悪意を、父は、息子たちに気づいてもらいたいと思います。こんな思考が社会の隅々にまで浸透したら、その時、日本の文化と伝統が崩壊します。

 毎日、仕事に忙しい息子たちよ。お前たちのため、父は大切なことを伝えようと思います。テレビ業界に、「放送倫理・番組向上機構」(BPO)という、組織があります。これはNHKと民放連の各社が出資して作った、任意団体で、テレビ番組の偏向や捏造、或いは過激な報道に目を光らせ、問題のある番組をつくった各社に、是正勧告を出します。

 組織は、理事会、評議員会、事務局と、三つの委員会で構成されています。たいていの人間は、良識のある委員たちが、良い番組を国民に提供するため、日夜奮闘していると信じています。ここで父は、作家百田尚樹氏の、委員会評をネットで見つけましたので、紹介します。

 「BPOは完全に左翼団体。委員が左翼の言論人や活動家ばかり。」「だから、保守系番組に難癖をつけてくるのに、」「明らかに事実に反する左の報道については、完全に見て見ぬふり。」「年間4億の金を貰って、審査は年4本くらいなので、1番組審査に1億。」「元委員だった香山リカを見れば、BPOが、どのような団体なのか明白。」

 こう言って氏は、【BPO放送倫理検証委員会】のメンバーについて、次のように説明しています。

 委 員 長  –   川端和治   朝日新聞社コンプライアンス委員会委員

 委員長代行  –   是枝裕和  映画監督・テレビディレクターで、政治関係のツイッターは、すべて左翼。
 
 委員長代行  –   升味佐江子   朝日新聞OB  「沖縄タイムス」の反基地番組「新沖縄通信」に毎回出演

 委   員  –   斎藤貴男   NHKに出演していた利害関係者。「マスコミ九条の会」の呼びかけ人。

 委   員  –   渋谷秀樹  憲法学者

 委   員  –   鈴木嘉一    業界関係者で、NHK籾井前会長を徹底批判

 委   員  –   藤田真文   ツイッターで左翼記事ばかりツイート

 委   員  –   岸本葉子   朝日新聞社コンプライアンス委員会委員 
 
 息子たちよ、よく見なさい。是枝氏は、委員長代行という地位にいます。名前は立派な組織ですが、日本をダメにするとんでもない団体です。父はBPOに関し、百田氏と同じ認識を持っています。もう分かったと思いますが、共同通信社と是枝氏は、仲間内なのです。まるで他人同士のような態度で、記事を書き、国民につまらない情報を流し、せっせと日本をダメにする仕事をしている、ということ。多くの国民が気づけば、こんな情報操作は、何の意味も無くなるのです。
 
  今晩も、遅くなりました。父はそろそろ、眠るといたしましょう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田中英道氏の発見 ( 今年最大の出来事 )

2019-01-24 18:02:25 | 徒然の記

 田中英道氏という学者を、初めて知りました。表題に「発見」という言葉を使ったのは、それくらいの驚きを感じたからです。

 氏は76才といいますから、私より一つ年上の学者です。温厚そうな風貌に似ず、一徹な頑固者で皮肉屋らしいので、「何が、発見だ。」「君が知らなかっただけじや無いか。」と、噛みつかれるのかもしれません。

  発見のキッカケは、昨日偶然に見たネットの動画でした。去年の10月に行われた、第60回・日本国史学会連続公演の一部で、「秦氏とユダヤ人の埴輪」という演題でした。私の知識では、秦氏は昔日本にやってきた、渡来人である、ということくらいで当時の渡来人なら、中国か、朝鮮半島からきた人間だろうと思っていました。

 ところが氏は、「秦氏はユダヤ人である。」と断定します。これはもう、私の常識を覆す、珍説でした。ネットの情報で氏の経歴は、「東京都出身」「日本の美術史家」「東北大学名誉教授」と書いてありますが、本人の言では「ユダヤ研究者として、日本での第一人者」だと言います。

 秦氏は、応神天皇の時代に帰化して、日本に同化し、応神天皇のため尽力した、優れ者のユダヤ人だと言います。私が興味を抱いたのは、次の言葉でした。

  「戦後の日本の歴史学は、マルクス主義唯物史観で作り変えられ、」「本来の国史が忘れられてしまい、国民をダメにしている。」「私は、そんな日本の間違った歴史と、これを唱える左翼学者と戦っています。」

 「戦うと言ったって、暴力は使いませんよ。」「左翼学者は、言葉で戦争を仕掛けてくるのですから、言葉で、対抗しなければなりません。」「今の日本では、学者だって、戦う気概がいるんです。」「学者に気概がないと、日本はダメになるばかりです。」

 秦氏のユダヤ人説については、これから調べるとしましても、戦後の歴史が、唯物史観で作り直されている、という意見には同意しました。息子や孫たちのことを考えますと、こんな歴史観で日本を理解していたらやがて国が崩壊すると、つねづね憂えていますから、氏の言葉に即座に反応しました。

 先週来、私が読んでいるのは、岩波新書の『昭和史』です。遠山茂樹、今井清一、藤原彰の三氏による共著ですが、氏が言う通りの「唯物史観・昭和史」です。昭和34年の出版ですから、左翼学者全盛時の本です。思えば敗戦以来、今日に至るまで、東京裁判史観で頭脳を汚された、反日左翼学者たちが、こういう悪書を世間に溢れさせてきました。

 私のブログは、反日・左翼の学者が世に出した毒素を抽出し、大事な息子や孫たちが惑わされないよう、解毒剤の役目をすることに目的を置いています。ですから、田中氏のような保守の学者に出会うと、多少珍説を言われても惹かされてしまいます。過激派の左翼学者と戦うというのですから、頼もしい話です。こんな元気の良い保守の学者がいるとは、昨日まで知りませんでした。

 そこで、気合を入れ、氏の経歴を探してみました。

 「昭和39年、東京大学文学部卒業。昭和41年、同美術史学科卒業。」「昭和45年、国立西洋美術館研究員。」「平成4年、東北大学文学部教授」「平成8年、ローマ大学と、ボローニヤ大学にて、客員教授。」「平成18年、東北大を定年退官し、国際教養大学特任教授就任。」

 私は一つの学部を卒業するだけでも、努力が必要でした。親の貧しさを思うと、二つの学部で勉強するなど、とても考えられませんでした。本人も優秀だったのでしょうが、両親が裕福だったに違いありません。

 「平成13年9月より、新しい教科書をつくる会(つくる会)の会長を務めた。」「平成17年、『新しい日本史観の確立』において、日本近代史にのみ熱意を燃やす、つくる会」の運動に疑問を呈し、」「もっと幅広い、歴史観の見直しの必要性を主張している。」「つくる会の分裂後は、平成18年に設立された日本教育再生機構で、顧問を務めている。」

  新しい教科書をつくる会についてなら、私も知っています。藤岡信勝氏や、西尾幹二氏の名前は記憶していても、田中氏については知りませんでした。藤岡氏や西尾氏と同様、これからは田中氏についても、注目していきたいと思います。

 「氏は、日本国史学会の発起人の一人である。」

 ネットの情報がありましたので、日本国史学会についても調べてみました。

  「日本国史学会とは、日本の歴史学の研究団体である。」「日本学術会議協力学術研究団体の指定する、学術研究団体ではなく、日本歴史学協会にも加盟していない。」「日本学術会議などによる、学会名鑑にも登録していない。」

 胡散臭い団体ではないのかと、事情を知らない人間ならそう考えます。事情を知っている訳ではありませんが、これまで得てきた知識で推察しますと納得できます。

 秦氏がユダヤ人であったという、珍しい主張だけでありません。

 「戦後の日本の歴史学は、マルクス主義唯物史観で作り変えられ、本来の国史が忘れられてしまっている。」

 「唯物史観的な経済史観、階級闘争史観とは異なる、日本の国史を形成、議論するために学会を作った。」

 こんな意見を堂々と述べるのでは、国内の歴史学者に相手にされるはずがありません。歴史学者だけでなく、日本のほとんどの学者から異端視されます。反日とマルクス主義が、戦後の大学の主流ですから、これだけの事実を見ても戦ってきた氏の半生が伺われます。

 ネット社会の便利さとでも言うのでしょうか、一つのことを調べますと、次々と新しい事実を知ることにつながります。日本国史学会の発起人が4人います。田中英道氏が代表理事で、小堀桂一郎、中西輝政、竹田恒泰の各氏です。3人とも私が知っている人物ですが、このようなところでつながっていました。まだ大きな力にはなっていませんが、確かに各氏は戦う保守といえる人々です。

 反日マスコミには顔が出ませんが、ネットの世界では、顔と名前が売れています。今はマスコミに無視されていても、国民の多くが、歴史を見直す日が来たら、無視できない存在となるはずです。全てはこれからの話ですが、私にとって「田中英道氏の発見」は、今年最大の出来事の一つのなる予感がします。

 そういうことで、何となく、嬉しい今日でした。たまに、楽しいことがないと、私も生きている甲斐がありません。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南京事件の総括 -15 ( 賀屋興宣氏の言葉 )

2019-01-21 13:42:10 | 徒然の記

 田中氏の目的は、キーナン主席検事が取り上げた資料や証言に関する、事実の真偽と数字への反証です。

 しかし私はそれらを割愛し、事件の周辺状況を紹介しました。理由は、前に述べた通りでした。

 「東京裁判に関する、アメリカとマッカーサーの目的を知れば、細かな数字を検証すること自体が無意味だ。」

 田中氏の意思に沿わないのかも知れませんが、一連のブログで、「南京事件の事実は明らかにされた。」と考え、今回で書評を終わりたいと思います。

  終わるにあたり、賀屋興宣氏の言葉を紹介ます。いつ読んだ本かもう忘れましたが、石原慎太郎氏の著作で教えられました。賀屋氏の経歴は、次の通りです。

  「賀屋は明治22年に広島で生まれ、東大卒業後に大蔵省へ入り、」「近衛内閣と東条内閣で、大蔵大臣を務めた。」

 「東京裁判でA級戦犯となり、巣鴨刑務所で10年間服役し、」「昭和35年に、岸信介氏たちと共に赦免され、」「池田内閣で法務大臣になった。」

 「その後、日本遺族会の会長を務め、昭和52年に88才で没した。」「政治家は誰もが勲章好きだが、氏は身を律することに厳しく、叙位・叙勲の全てを辞退している。」

 あまり人を褒めない石原真太郎氏が、氏を評価していましたので興味を持ちました。おぼろげな記憶ですが、石原氏りの言葉を紹介します。

 「賀屋氏は、戦争前から戦争にかけて無類の財政能力を発揮したために、戦争犯罪人に仕立て上げられた。」「この人物は、私が今まで政界で眺め渡した限り、最も知的な人物だった。」

 「当時彼は左の陣営だけでなく、右側にも嫌われていた。」「この事実は、氏が左の人間のインチキを軽蔑していたように、大方の右も、いい加減なものでしかなかったということの証拠だ。」

 私が注目したのは、石原氏が東京裁判への法的疑義を口にした時の、賀屋氏の返事です。鮮明な文字として心に刻まれています。

 「でもね、勝った者が、勝って奢って、負けた者を裁くのは、当たり前じゃありませんか。」「個人にせよ、国家にせよ、人間のやることは、所詮いい加減なものですよ。」「万が一、我々が勝っていたら、もっと無茶な裁判をやったでしょうな。」

 この答えを得て石原氏が、「冷静に、物事の本質を見通している」と、感心していたのをおぼえています。

 占領軍により、軍国主義者の一人としてA級戦犯にされ、10年間も刑務所にいた賀屋氏の言葉です。東京裁判の不条理を体験しながら、恨みの一言も言わず自己弁護もしていません。一方では、復讐劇でしかない東京裁判の判決を、金科玉条として押し頂き、日本批判を展開して恥じない人間たちがいます。

  息子たちに言います。ブログの第一回目で、南京記念館を尋ねた政治家について説明しました。参考のため、父はその叙述をもう一度、ここに転記します。 

 平成30年6月24日に福田康夫元首相が、中国江蘇省南京市にある「南京大虐殺記念館」( 正式には、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館 ) を、訪問しました。中国共産党の機関紙「人民日報」が、この様子を大きく報じました。

 福田氏は犠牲者に花輪を手向け、黙とうを捧げるなど一連の行事を終えた後、記者団に語りました。

 「日本人は、もっと過去の事実を、正確に理解しなければならない。」「より多くの日本の政治家が記念館を訪れ、この歴史に触れてほしい。」「多くの日本人が、記念館を参観すべきだ。」

 氏は同館を訪れた日本の総理経験者として、4人目になります。先に訪ねている元総理経験者の名前は、村山富市、海部俊樹、鳩山由紀夫の各氏です。
 
  息子たちに言います。これが現在の日本の政治家です。主流の政治家でなく、亜流の亜流、国民の多くに軽蔑されている議員たちです。しかし笑って済ませられないのは、彼らが全員首相経験者だという事実です。彼らを選ぶバカな国民が、かくも多数存在しているという日本の現状です。
 
 愚かしい元総理たちに、賀屋氏の言葉を聞かせてやりたくなります。  

 「でもね、勝った者が、勝って奢って、負けた者を裁くのは、」「当たり前じゃありませんか。」「個人にせよ、国家にせよ、人間のやることは、所詮いい加減なものですよ。」

  氏が私たちに語っているのは、東京裁判にいつまでもとらわれるな、東京裁判を乗り越えなさいと、そういうことだと思います。いつまでも、アメリカや連合国を恨むのでなく、戦時のことは戦時のこととして、割り切るべしと、そういう思考です。
 
 連合国の統治が完了した時から、全ては日本の問題となりました。これ以後の政治の貧困と、反日左翼の跋扈、節操のないマスコミなど、他国のせいではありません。アメリカでも、中国、韓国・北朝鮮のせいでもなく、ぜんぶ私たち国民の責任と、そう考えるのが正しいのです。
 
 南京事件、慰安婦、徴用工と、過去を執拗に蒸し返し、針小棒大な捏造で、不毛な対立を煽り立て、自分の責任を忘れている恥知らずな国の真似は、間違ってもしてはなりません。賀屋氏がそれを教えています。
 
 息子たちに言います。いつかお前たちが父のブログを読んでくれる日のことを願いつつ、田中氏の著書に別れを告げます。
 
   書評につき合ってくださった方々にも、心からお礼を言います。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南京事件の総括 - 14 ( 日本軍兵士の証言 )

2019-01-21 07:59:02 | 徒然の記

 南京事件に関する不合理な点を上げていくと、切りがありません。

 この機会に、他の事実も氏の遺書から紹介します。次の指摘も大きな問題提起ですが、世間は何の注意も払いませんでした。

 「戦火が南京に及んだ12月12日、多くの外国人記者はパネー号に乗り、南京を脱出した。」「南京に残った記者は、次の5人である。」

   1. ダーディン ( ニューヨーク・タイムズ )

   2. マクダニエル ( AP通信 )

   3. アーチポールド ( シカゴ・ディリーニュース )

   4. スミス ( ロイター通信とブリティシュニュース代理人 ) 

   5. アーサー ( パラマウントニュース映画 )

 虐殺があったとされる期間にこれらの記者が書いた記事は、日中兵士の戦闘や、衝突事件など、ほとんどが小さな一段ものの雑記事でした。

 「当時、中国のニュースを独占していた、ロイター、AP、UP、アブスなどといった大通信社の記者が、」「南京や上海に常駐していながら、アウシュビッツに匹敵するような、中国人の大量虐殺事件を、見過ごしていたなどということは、とうてい考えられない。」

 事件に関する特大ニュースも社説も無かった事実を指摘し、氏は、南京事件の捏造を訴えています。小規模な戦闘行為や、殺人事件があったとしても、裁判で語られるような大量殺人は無かったと、氏が語ります。しかしここで私は、「両論併記」を考え東京日日新聞の記者と、早大教授の主張を紹介します。二人は、南京虐殺を肯定しています。

  1. 鈴木次郎 東京日日新聞  ( 東京裁判が終わった後、南京での虐殺を見たと名乗り出た 。)

  「光華門に通じる道路の両側に、えんえんと続く散兵壕とみられる中は、無数の焼けただれた死体で埋められ、」「道路に敷かれた沢山の丸太の下にも死体があり、腕、足の飛び出している有様は、まさにこの世の、地獄絵図である。」

    2. 洞(ほら)富雄 早稲田大学教授 ( 自身の目撃した意見でなく、虐殺肯定派の証言に基づく主張。)

  「12月13日の、城内掃蕩後の惨状は、目を覆いたくなる体のものであった。」「南京の一部の城門近くで見られた、中国人の遺棄死体の状況はそんな、生易しいものでは無かった。」

 「日本軍はいく日もの間、通路の死体さえ、片づけようとしなかった。いや、なかなか片づかなかったのだ。」

 「それほど、おびただしい死体の数だった。」「そうした累々たる遺骸の上を、あるいは、山と積まれた遺骸の上を、軍用車が、情け容赦なく、踏みにじって通っていた。」

  今回まで日本人の証言の中から、南京戦に参加した下記軍人の意見を意図的に省略しました。事件当事者は不利なことを話さないと考え、ブログの公平さを考えそうしました。

 鈴木記者と洞教授の意見を読み、決めたルールを破り、土屋中隊長と西坂兵卒の証言を紹介することにしました。相反する証言なので驚かれるかもしれませんが、いずれかが嘘をついています。息子たちと、訪問された方々は、どうか自分で判断してください。

   1. 大西一(はじめ)大尉 上海派遣軍参謀

   2. 岡田尚(たかし)   松井司令官付き陸軍通訳官

   3. 岡田酉次少佐    上海派遣軍特務部員

   4. 谷勇大佐      第十軍参謀

   5. 吉永朴(すなお)少佐 第十軍作戦参謀 

   6. 金子倫介大尉    第十軍参謀

   7. 土屋正治      歩兵第十九連隊 第四中隊長

   8. 西坂中(あたる)   歩兵第三六連隊 兵卒

 〈  土屋正治 〉 ( 歩兵第十九連隊 第四中隊長 ) 

 「12月13日朝、光華門から先陣として進入して眺めると、」「城壁こそ、砲弾によって破壊されていたが街並みの家々は全く破損しておらず、瓦礫一つ落ちていない。」「ただ不気味な静寂、異様な寂寞感が我々を包み、勇敢な部下も、一瞬佇んだ。」
 
 「市街に深く進入するほど、まさに死の街という印象を強くした。」「敵弾の飛来もなく、人影一つ見えず、粛然とした街並みが、果てしなく続いていた。」「何キロくらい前進したであろうか。」「とある大きな、鉄筋コンクリートの建物に到達したが、ここで、思いがけないことに遭遇した。」
 
 「講堂らしい室内に入ると、重傷兵の枕辺に、白衣の多数の看護婦が毅然として立っていた。」「私たちは深く頭を垂れて、そこを退去した。」「戦闘を覚悟して入城したが、この日は無血の内に、夕刻を迎えた。」

  〈 西坂中 (あたる) 〉 (  歩兵第三六連隊 兵卒  )

  「光華門の城壁の一角を占領したが、たび重なる敵の襲撃を受けて、死傷者が続出し、悲惨な戦闘を続け、12日の夜を迎えた。」「ところが夜中に、敵の射撃がピタリと止まった。」「どうも、様子がおかしい。」「よくある、支那軍の退却パターンである。」

 「次の日城壁をよじ登って、夜明けの南京市内を見れば、各所に黒煙が上がるのみ、敵兵は、一人もいない。」「実に森閑たる、街の風景である。」「場内には、敵死体もなければ、ほとんど破壊の跡もなかった。」「問題は、城門の外や、城壁上である。」

 「部隊は直ちに戦場掃除に取りかかり、敵味方とも遺体を集め、友軍のものは荼毘に付し、敵の屍体は、ねんごろに埋葬した。」「福井県には門徒が多いので、兵隊の中で読経できる者を集めて、その夜は一晩中読経し、恩讐を超えて、読経したことを覚えている。」

  余計なコメントをせず、今回はここで終わりとします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする