ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『妻と私』

2015-11-30 21:10:39 | 徒然の記

 江藤淳氏著『妻と私』( 平成11年刊 (株)文藝春秋 ) を読んだ。

 有名なので名前だけは知っていたが、初めて読む氏の作品だ。感想を述べる前に、どういう人物なのかインターネットで調べてみた。

 昭和7年の東京生まれで、慶応大学卒業後は文学博士、文芸評論家として活躍。本名は、江頭淳夫(えがしら あつお)。氏は、明治国家を理想とする、正統保守派の論客として、異彩を放ったとのこと。日本は真の独立国家ではなくなっていると考え、アメリカ政府による、「日本弱体化計画」の存在を、最後まで主張し続けた人物だ。

 平成10年に、妻慶子さんを癌で亡くし、翌11年の7月、自宅の浴室にてカミソリで手首を切り、自殺した。直前の心境を、氏は次のように書き残している。

 「心身の不自由が進み、病苦堪えがたし。」「自ら処決して、形骸を、断する所以なり。」享年66才、弔辞は石原慎太郎氏が読んだ。

 祖父は江頭海軍中将で、父は銀行員だが、母は宮治海軍少将の娘だった。叔父はかの有名なチッソの元会長江頭豊氏で、従姉妹はこれもまた、時の人とも言える小和田優美子氏。優美子氏の娘が皇太子妃だ。

 ネットの情報とは、恐ろしいものである。一瞬にして沢山の事実が明らかになる。
石原氏の弔辞の辺りで、ネットの検索をやめておけば良かったと後悔する。正統派の保守論客である氏の遠縁に、皇室破壊の元凶と言われる、皇太子妃が繋がっているとは、知りたくない事実だった。

 また江頭豊氏は、チッソの社長として水俣病の処理にあたり、終始工場の廃液と病は無関係と語り、補償や詫びを中々せず、患者たちから、鬼のような人間と酷評されていた。

 本の感想を述べるため、普通は簡単に、略歴を見るだけなのに、今回はなぜか心にひっかかるものがあった。この本は、妻慶子さんへの献身的な介護の思い出で、愛に満ちた記録でもあるのに、感動を覚えなかった。愛しい妻の後を追い、自殺した高名な評論家の作品だと知っても読後の心が冷めていた。

 情にもろい自分と思ってきたのに、本当は薄情な人間だったのだろうかと、情けない思いに駆られたりもした。

 だいたい私は、大切な妻が亡くなったからと言って、後を追って死ぬような、保守思想家の存在からして信じられない。私のような口舌の徒は、いざその時になればどうなるのか分からないが、それでも「病苦堪えがたし」など、気弱な言葉を吐こうと思わない。

 「この世をば、どりゃお暇に線香の 煙と共にハイさようなら。」と、辞世の句を読んだ、一九の方がよっぽど立派だ。

 芥川氏だって、川端氏だって、文筆で沢山講釈を述べているのだから、厭世からの自殺など、読者への裏切りでないかと考えてしまう自分だ。まして日本の未来を語る、保守思想家なら、妻の死を乗り越えてこそ男ではないのだろうか。

 むしろ私は、氏の自殺について別の原因を推測している。
昭和48年に氏は、『一族再会』という本を世に出しているらしい。これも先ほど目にしたネットの情報でしかないが、功成り名遂げた氏が、自分のルーツを追って九州を旅し、あまりにも暗く悲惨な事実を知り落胆したと書いてあった。

 それは現在、ネットの情報で拡散され続けている、小和田氏一族の過去の暴露記事と重なるものだ。詳しく述べる気にならないが、これを知った氏の驚きと、悲嘆の大きさが私には感じ取れる。誇り高い彼には、到底認めがたい事実だったに違いない。憂国の士として生きて来た氏には、その時から先祖の闇が、耐えがたい苦痛と変じたのではなかろうか。

 妻慶子さんが生きていれば、彼女に支えられ、生き続けたのだろうが、背に負う荷の重さに一人では耐えられなかった。そんなことはとても書けないから、「病苦堪えがたし」、と言い死を選んだのか。

 愛妻家だから、愛する人を追っての自殺だと世間が誤解してくれるはずと、賢い氏はそこまで考え、身を処したのではなかろうか。祖先を死の原因と明かせば、残る親類縁者への影響は計り知れず、まして皇室へも及ぶと思えば、行き詰った氏は、「形骸を断する」しかなかった。

 それを知る石原慎太郎氏が弔辞を読み、潔い死と誉めたのでないか。

 すべて理解し受け止めた上での、石原氏の言葉だと、なんの根拠もない、私だけの推測だが、そうでなければ、保守思想家としての名が廃る。江藤氏はもちろんのこと、弔辞を読んだ石原氏もだ。

 読後の感想のつもりだったのに、本に関する何の感想も無く終わってしまった。強いて思いを述べるとすれば、お金も地位も名誉もある人間にも、「形骸を断する」しかない不幸せな人がいると・・・・。

 こんな悲しい感慨しかない。

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鄧小平秘録 (下)

2015-11-28 18:19:00 | 徒然の記

 鄧小平秘録 (下) を読み終えた。有意義な本だった。
昭和53年の10月に、鄧小平は初めて日本を公式訪問した。日中平和友好条約の、批准交換式に出席するためだった。それに先立つ3年前、鄧小平は当時の自民党幹事長保利茂氏に、こう語っている。「我々は永久に覇を唱えない。率直に言えば、われわれのような遅れた国に覇を唱える資格などあるだろうか。」

 機知に富んだ大胆な発言で彼は当時の日本人を魅了し、友好ブームを巻き起こした。日本の指導者たちも国民も、彼を歓迎し中国へ傾斜していった。「問題は30年、50年後、われわれが発展した国になってからだ。」彼は永久に覇権を唱えないと言いながら、発展した国になったら覇を唱えるかもしれないと、大っぴらに言っている。アジアの海を荒らし、周辺国の脅威になっている現在の中国は、鄧小平の言葉のその続きでしかない。
 だが同時に、彼はこうも言っている。
「もし中国が覇権を唱えたら、世界の人民は、中国人民と一緒に中国を打倒する責任がある。」国際社会における自国の後進性と貧しさを痛感し、国内では熾烈な政争に明け暮れていた彼は、そんなに早く中国が覇権国家になるとは夢にも思っていなかったのだろう。経済格差が生じても、経済の解放さえ進めば国民が豊かになると楽観していた彼の希望は、国の覇権と同様に予測を裏切る結果となってしまった訳だ。

 経済が発展しても国民は豊かにならず、役人や性悪な企業家たちが潤うばかりで、貧富の格差は一党独裁を崩壊へ導いていくほどの大きさになった。そんなことを知るはずもない鄧小平は、国連演説で世界に向かい声高く宣言した。同時に彼は米ソを第一世界、日本と欧州先進諸国を第二世界、そして中国をひっくるめた途上国を第三世界と区分する、「第三世界論」を展開した。

 「米ソの覇権争奪が、世界の安寧を脅かす根源となっている。」「世界人民は連携し、この覇権主義と闘わなくてならない。」「中国は決して、覇権を唱えない。」
どうだろう、この嘘八百の大風呂敷演説。中国の政治家たちは、恥ずかしくて顔も上げられないはずでないか。いまや鄧小平は毛沢東と並び、中国では神聖不可侵の権威となっているから、私たちは鄧小平の言葉を高くかざして中国を懲らしめるべきでないのか。

 「中国が覇権を唱えたら、世界の人民は、中国人民と一緒に中国を打倒する責任がある。」その時が今である。中国の虐げられた国民よ、ともに共産党の独裁を打倒しようと、堂々と呼びかければ良い。鄧小平は毛沢東の言葉を掲げながら、毛沢東の文革路線を否定するという離れ業を行い、経済の解放改革を進めた。しかも自らの政治危機まで乗り切った。現在の状況下で、彼の言葉を再び大きく唱え、中国の覇権主義を否定するというのは、彼の中国に相応しい政治手法でないか。

 やがて破綻すると知りながら、ほら吹き男爵のように公言した鄧小平を笑っているが、それでも彼は日本の保守政治家の不甲斐なさに比すれば余程胆力がある。彼の大風呂敷は、一歩間違えば命がなくなる危険が隣り合わせになっている。毛沢東を否定することは国民全体を敵に回し、政敵からも断罪される爆弾に触れるようなものだ。「平和憲法」の否定をすれば、お花畑の国民に攻撃され、選挙が不利になる日本の政治家と似た状況がある。似ていないのは、鄧小平のように、命の危険を知っていても、国の未来のため、障碍に向かおうとする政治家の不在だ。せいぜい国会での乱闘くらいしかない平和な日本で、「憲法問題」に触れる勇気を持たないというのだから、「保守政治家の名称」が聞いて呆れる。

 四人組裁判の時、彼は批判を毛沢東に及ぼさなかった。
「文化大革命は、指導者が誤って引き起こし、(林彪・四人組という)反革命集団に利用されて、党、国家と、各民族人民に、大きな災害をもたらした内乱だった。」「その主要な責任は、毛沢東同志にある。」「しかし毛主席は、偉大なマルクス主義者、偉大なプロレタリア革命家、戦略家、理論家であり、中国革命における功績は、過ちをはるかにしのいでいる。」

 こうして彼は文革の騒乱を乗り越え、同時に中国社会も騒乱を乗り越えた。
中国ではかなり多くの政治家が一党独裁の弊害を意識し、政治の民主化なくして中国の近代化が難しいと考えていることも、この本でわかった。鄧小平がやった経済解放の後始末と、政治改革への進路をこれからどう進めるのか、この二つが現在の中国の課題だ。経済解放の鄧小平から、反日・保守の江沢民に変わり、政治改革を目指しつつ果たせなかった胡錦濤へ移り、今はまた保守・反日の習近平へと、中国は右へ左へと揺れ続けている。

 上巻では、日本に帰化した石平氏だったが、下巻では何清漣氏の論文が掲載されている。氏は、昭和31年に湖南省に生まれ、湖南師範大学卒業後に経済学者、ジャーナリストとして活躍した。政治的タブーに挑む言論活動を続けたため、当局の弾圧を受け、米国へ逃れ、現在はプリンストン大学とニューヨーク市立大学で研究活動をしている。

 現在の中国を語る重要な意見と思うので、長くなっても引用してみたい。
「中国の改革の基調は、あくまで " 富国強兵 " であるため、民衆の権利、すなわち人権はまったく考慮されたことがない。」「1840年のアヘン戦争以来、中国で受け継がれてきた強国願望であり、社会の各階層に抵抗なく受け入れられてきた。」「従って、中国経済の成長に伴い国益の筆頭に置かれたのは、軍事の近代化と国家の地位の向上であり、民衆全体の福利の向上はまったく考慮されなかった。」「これが鄧小平による改革戦略の、根本的欠陥である。」

 「鄧小平が作り上げた経済の神話について、その主要な欠陥を指摘しておこう。」
「第一は、中国経済が高度成長を維持しながら、深刻な失業問題を抱えているという矛盾である。」「世界の経済史上、3%の経済成長を維持したほとんどの国は、自国民に大量の就職機会をもたらし、人民の生活を大幅に改善してきた。」「ところが中国は8%以上の経済成長を30余年も続け、世界第3位の経済体となったものの、自国民の就業問題を解決していない。」

 「メイド・イン・チャイナの製品が世界市場を席巻しているにもかかわらず、失業率は依然として30%を超えている。」「農村には二億人を超える余剰労働力が存在し、都市部には一億人を超える膨大な失業者グループが存在する。」「中国の大学生、大学院生の失業は年毎に深刻となり、03年の52%の就業から、05年の33%へと低下している。」「失業人口が全人口の三分の一近くを占める国が、このまま安定を保てるとはとても考えられない。」

 「第二は、経済の発展が社会の平等を促していない点である。」「中国は総人口の1%を占める成金グループを作り上げたが、社会への怨恨の情に満ちた膨大な下層階級を生み出した。」「しかもこれは、貧困が貧困を生む継承効果によって次世代へ受け渡される。」「中国における社会的平等は、ますます困難になるのである。」

 「第三は、経済の発展が近代的な信用の発達を促進していない点である。」「先進国は経済成長のプロセスの中で、信用こそ市場経済の基盤であると気づいた。」「しかし中国の経済発展は、中国人のモラル喪失と歩みを共にしてきた。」「それは中国の国としての信用を失墜させ、次には政府と国民の間にあるべき信用の絆も絶った。」「上層社会ではエリートがヤクザ化し、下層社会では平民がごろつき化している。」

 氏の論文には述べられていないが、1966年から1976までの文化大革命の10年間に、党の四分の三の幹部が紅衛兵の迫害や虐殺で死亡し、四千万人の国民が餓死したと言われている。毛沢東時代から鄧小平になっても、中国の一般国民が一向に平穏な日々を得ていない事実を私は知る。

 わが国は今年、敗戦後70年の節目を迎え、1949年に独立した赤い中国は、66年目を迎える。劉少奇、林彪、彭徳懐、江青、華国鋒、胡耀邦、趙紫陽、揚尚昆等々、この間に中国は何人の指導者たちを粛清してきたというのか。それに引き換え日本では、そんな悲しくも醜い政治家の殺し合いは皆無だ。政権を目指し、政治家たちは闘ってきたが、政敵を迫害したり虐殺したり、ましては国民を弾圧したりは一度もしていない。

 わが国が右傾化していると攻撃し、歴史認識がないとを喚き立てる中国は、この間に国民の暮らしをいったいどれほど向上させてきたのか。日本の万分の一でも国民の福利を考えたのか。そのようなことは、すべてゼロである。

 そろそろ疲れてきて、感想も終わったのでブログを終わりたいが、毎度ながら、怒らずにおれない反日の議員どもと、お花畑の国民たちだ。こうした中国国民の苦しみも思いやらず、助けようともせず、独裁の政府を応援し、日本を悪しざまに言う馬鹿者たち。

 いったい、このような国のどこに憧れるというのか。どこを見習おうというのか。

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鄧小平秘録 (上) - 2

2015-11-25 17:10:00 | 徒然の記

  鄧小平秘録(上巻)を読み終えた。

 彼の生涯が、毛沢東との闘いだったということがよく分かった。毛沢東は「清貧な社会主義」と「共産党の一党独裁」を信念としたが、リアリストの鄧小平は「豊かな社会主義」と「共産党の一党独裁」を信じた。共産党の独裁については同じだが、経済に関する主張が土台から違っていた。

 穏健な周恩来は終生毛沢東に異議を唱えなかったが、鄧小平は節を曲げなかった。だから彼は、劉少奇と共に反革命分子や走資派などと批判され、二度も毛沢東から失脚させられた。だが有能な彼は何故か毛に庇護され、職位剥奪で冷遇されても決定的な処分を受けなかった。

 鄧小平は歯ぎしりするほど毛沢東を恨んでいながら、彼へ敬愛の念を失わないという矛盾の中で生きた。その思いが阿吽の呼吸で毛沢東に伝わっていたことが、首の皮一枚で彼が命を長らえた理由だったのかも知れない。生涯を傍で支えてくれた周恩来について、毛沢東はつれない評価をしている。「彼は言われたことはなんでもするが、それだけの人間だ。」

 当時ナンバーツウだった林彪を事故に見せかけて粛清した毛沢東は、周恩来が末期ガンと知った時、後を任せられるのは鄧小平しかないと即断した。文革四人組と言われる江青夫人などの猛反対があったにもかかわらず、地方に蟄居していた彼を、すぐさま北京へ呼び戻した。

 こうしてみると、毛沢東も鄧小平もよく似ている。共に、「目的のためなら、手段を選ばない」人間だったし、己の信念を絶対と信じる彼らは、逆らう者を容赦なく切り捨て、自分に献身した者でも、裏切りを見せられると即座に断罪した。

 本のあとがきにある石平氏の言葉が、鄧小平の矛盾をよく伝えている。
氏は昭和37年に四川省で生まれ、北京大学卒業後に日本へ留学した。天安門事件後の中国に失望し、日本に帰化した人物である。時々テレビに顔を出す、とても辛辣な中国批判者だ。日本人には彼の批判が心地良いのだろうが、私には別の思いがある。生まれ育った自分の国を悪く言うのは、たとえそれが正論であったとしても聞き苦しい。

 反日売国の人間たちが、日本の悪口を平然と口にするのを聞く時と同じ不快感があるからだ。しかしこのあとがきを読み、石平氏が平気で祖国を貶しているのでないと理解できた。内面の葛藤を抱えつつ批判をしているのであれば、義において非としも、情において是とするものがある。長くなっても、氏の言葉を引用したいと思う。

 「私の世代の中国人にとって、鄧小平を語ることは、すなわち自身の人生と、私たちの生きて来た時代を語ることである。」「1977年に鄧小平が文革後の失脚から復活した時、私は高校に入る直前だった。」「この年の秋に、鄧小平は改革・開放推進の一段として、長年中止されていた大学入学試験の再開を決めた。」

 「77年以前、高校卒業と同時に農村へ送られ、過酷な肉体労働を強いられた多くの先輩たちと比べれば、私たちの世代はあまりにも幸運であった。鄧小平の決断一つで、人生が開かれたわけである。」

 「その恩恵を受けたのは、私たちの世代だけではない。ある意味では、その時の鄧小平に感謝しなければならないのは、中国という全体である。」「彼の復活によって、人民はやっと毛沢東政治の暗黒から脱出して、再生の希望を見いだしたからだ。」「鄧小平という三つの文字は、まさに希望と安心の代名詞であり、正しい道へと進むための道標であった。」

 「しかし、この夢と情熱の時代に終止符を打ったのも、ほかならぬ鄧小平である。」「89年6月4日の未明、温厚な常識人指導者として慕われてきた、この " 小平爺 " は一転して冷酷非情な暴君となり、本格的な戦車部隊を出動させて、丸腰の学生たちを手当たり次第に殺していった。 」「毛沢東の恐怖政治よりも酷い仕打ちである。」

 つまり、これが第二の天安門事件だ。この日を境に石平氏は共産党政権に幻滅し、心で決別を告げた。この時の思いを、氏が語る。「もはや何も信じられないというニヒリズムの時代がやってきて、無力感と空虚感が国に満ちていた。」

 「しばらくすると、この絶望的な閉塞状態を打ち破り、国民に新しい希望を与えたのが、またもや小平である。」「彼は乾坤一擲の思いで " 南巡講話 "を行い、" 発展こそが絶対の道理 " と唱えて、資本主義市場経済への全面転向を呼びかけた。 」「中国という国は、それで生気と活力を取り戻し、経済成長への道を歩み始めた。」

 「考えてみれば、私たちの世代にとって、鄧小平は感謝すべき恩人であると同時に、憎むべき敵であり、追随すべき良き指導者であると同時に、反抗すべき暴君でもあった」「私たちの世代は結局、鄧小平が敷いたレールの上で人生の道を走り、彼が作り出した時代の波に乗っていく運命にあった。」
「孫悟空が、いくら飛んでも釈迦の手の平の上にいるのと同じように、我々は最後まで鄧小平の手の平から逃れることができなかったし、今でも私たちはそうである。」

 「私は今、日本という安住の地を得たことで、中国政府を自由に批判できる立場にあるのだが、国内の親族が迫害を受けずに済んだのも、鄧小平が確立した " 温和政治 " の賜物と言わざるを得ない。」「20年前に、私が海外留学することができたのも、鄧小平改革のおかげである。」「私と私の世代の運命は、やはり鄧小平を抜きにしては語れない。」

 感謝しつつも、否定せざるを得ない鄧小平という人物。愛と憎しみの対象として、鄧小平を語る氏の言葉を聞いていると、苦悩が伝わってくる。国や指導者を批判する言葉は、返す言葉で自らも傷つける。傷の痛みに耐えながら、言わずにおれない祖国の有様・・、氏の心情には分かるものがある。平穏な日本で反日の合唱をする売国の徒と彼とは、ここに一線がある。

 理解していても反抗せずにおれない鄧小平について、もう少し氏の叙述を引用したい。
「経済改革・開放路線の始動以来、中国の未来を決定するいくつかの歴史の節目において、左右両派の主張を撥ねつけ、衆議を排して、自らの信念を貫き、孤独の決定をたしのは、常に鄧小平であった。」「華国鋒などの守旧派を政権から一掃するための、権力闘争もやり抜いた。」「この間に彼は、胡耀邦と趙紫陽という、自らが指名した後継者の二人をも切り捨ててしまった。」

 沢山の問題を抱えながらも、中国は今世界の経済大国となっている。氏はこれを全て、鄧小平の力だと評価する。「非凡な政治力をもって断行した彼がいたからこそ、今の中国がある。」とまで述べる。胡錦濤も江沢民も、鄧小平路線の継承と推進をしているだけで、彼と比べるにはあまりにも小物で、とても彼のようなグランドデザインは描けないと言う。

 従って氏の予想は、暗い未来になる。「鄧小平のような、かけがえのない賢明な指導者はどこにもいない。」「鄧小平亡きあとの中国は、どんな国になるのか誰にも分からない。」「守護神と救世主のいない共産党政権は、果たして生き延びることができるのか。」「これはもう神のみぞ知る問題であり、今世紀初頭の世界に存在する最大の問題である。」・・・と、氏は結んでいる。

 本のおかげで、私は毛沢東と鄧小平の政治家としての偉大さを理解した。
突出した凄い政治家であることも理解した。だが、理解することと受容することは別物である。彼らが敷いた路線に乗っかり、我が国を貶め、歴史を歪め、世界中に悪評を振りまく中国を許す気にはなれない。彼らは彼らの国益のため政治を行っているだけの話で、日本は日本の国益のために動けば良い。

 独裁政権の中国から支援を得ている反日野党は致し方なしとしても、反戦・平和に騙されて自分の国を責めるお花畑の国民は、どうすれば目を覚ますのだろうか。軍隊の弾圧もなく、官憲の暴力もない今の日本の素晴らしさが、どうして分からないのか、不思議でならない。まして皇后陛下までが、反日の「九条の会」に心を寄せられるなど、あって良いことなのだろうか。


 すっかり冷え込んだ、雨の一日だった。朝からストーブを入れている。ヤカンのお湯が湧き、暖かい湯気がガラス窓を曇らせている。先ほど家内が、ストーブの上に銀紙に包んだ芋を乗せたので、焼ける匂いが漂い始めた。
と、そんな環境の中で、私はこれから「鄧小平秘録」の下巻へと進む。王侯貴族の贅沢さはないが、この平穏な日常を私は誰に感謝しようか。独裁者のいない日本だから、それはもう、沢山のご先祖様や日本の国そのものへの感謝しかない。

 有難うございます。

 

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鄧小平秘録 (上) - 1

2015-11-23 16:33:29 | 徒然の記

 伊藤正氏著「鄧小平秘録 (上)」(平成20年刊 (株)産経新聞出版)を、半分まで読んだ。知りたかったことを沢山教えてくれる、有意義な本に出会った。

 氏は昭和15年に埼玉県で生まれ、東京外大卒業後に共同通信社へ入社。その後産経新聞社へ移り、中国総局長兼論説委員となる。1976年と1989の二度の天安門事件を取材した、唯一の西側記者として知られている。

 本書では、1989年のいわゆる二度目の天安門事件以降からの鄧小平が描かれているが、自分の記憶の整理のため、先ずは二つの天安門事件について調べてみた。当時新聞で大きく報道されたが、仕事で忙しかった私は、中身を十分知らないまま流し読みしていた。

 1976年(昭和51年)一つ目の天安門事件は、別名「四・五運動」とも呼ばれるもので、故周恩来総理に供えられた花輪の撤去をめぐり、民衆と当局が衝突した事件である。背景に毛沢東による周恩来への確執があったのだと初めて知った。老いて猜疑心の強くなった毛沢東は、国民に人気の高い周恩来を妬み、失脚させようと虎視眈々だったという。

 文化大革命の騒擾に国民が倦み疲れ、四人組の横暴に不満を募らせていた折の周氏逝去だった。政界の実情は、毛沢東と四人組が、周恩来と鄧小平に対峙していた。鄧小平は既に毛沢東から追放されていたので、国民は周恩来に、文革の悪夢からの変革を期待し、敬愛もしていた。だからこそ、毛沢東は人々が供えた花輪を嫌悪し、広場に集まってくる民衆を敵視した。
こうして民衆と公安の衝突が起こり、民衆が力で押さえ込まれたのだった。

 1989年(平成元年)二つ目の天安門事件は、別名「六・四天安門事件」とも呼ばれている。死去した胡耀邦元総書記の追悼集会を学生たちが挙行し、大規模な「民主化要求運動」となって社会を揺るがした。この時の主役が鄧小平で、世界に衝撃を与えた武力制圧を強行した。学生は戦車と銃砲で蹴散らされ、多数の死者が出た。政府は死者319人と発表したが、実際には何千人とも言われている。

 上巻の半分しか読んでいないけれど、なぜか書き残しておきたい気持ちが高ぶる。
全部読み終えたとしても、この思いは変わらない気がするので、いつもと違うやり方だがここで感想を述べるとしよう。

 中国は日本に対し、たかだか8年余りの日中戦争について、中国史上での最大にして最悪の侵略だと日夜非難し続ける。その理由が、自分にはどうしても理解できなかった。大国と自称する中国が4000年もある歴史の中で、たった8年の日中戦争を取り上げ、隣国への憎悪と敵愾心をなぜ煽らなくてならないのか。
 

 戦後の日本は、日中戦争の8年より長きにわたり、20年も30年も、金銭的のみならず人的援助や協力を惜しまずやってきたというのに、突然に中国が変貌した。「熱烈歓迎」から「愛国無罪」へと手のひらを返すような裏切りを見せた。

 私は、その原因を伊藤氏の著作でやっと理解した。この予感は、おそらく間違っていないと確信する。つまり中国が変身した裏には、そうせずにおれなかった国内事情があったということ。日本を悪とし、憎悪の標的としなくては、中国には乗り切れない崩壊の危機があった。それは今も続き、そして共産党政権がある限りこれからも続いていく悪夢なのだ。

 自分はこれまで中国の恥部は、アヘン戦争で英国に敗れ、列強の蹂躙を許してしまったことと考えていたが、そうではなかった。中国の恥部は、毛沢東による共産党政府の樹立そのものだったということ。当初は国の独立を歓喜した国民も、歳月の流れの中で自分たちを少しも幸せにしない独裁政権のまやかしに気付いた。つまり、中国のアキレス腱は三つである。

 一番目は、何と言っても「文化大革命」だ。毛沢東と共産党政権のすべての矛盾と不幸が、ここに集約されている。日本人を悩ませている「平和憲法」どころでない、解決の展望すら見えない国の根幹の揺らぎだ。真面目に触りだすと、パンドラの箱みたいに中国は大混乱となり、共産党が崩壊する。

 二番目が別名「四・五運動」と呼ばれる天安門事件、そして三番目が「六・四天安門事件」だ。

 これらの背景がすべて明らかにされ、国民の怒りが政府へと向けられる時、おそらく共産党政権は消滅する。だから中国は共産党が政権にある限り、この三つの事件への検証を許さないだろうし、国民の目を反らすため、外敵としての日本が必要となる。国際社会から横暴と見られても、たとえ大嘘の長広告と嘲笑されても、国内での闘争に命をかけている政治家たちは、決して日本攻撃をやめない。止めれば彼ら自身が即座に抹殺されるという、社会の仕組みが作られている。傍迷惑な話だが、共産党中国の政府は、日本人が考えている以上に、保身のための死闘を繰り広げていると、氏の本で教えられた。

 日本のマスコミは日中友好を演出した鄧小平を、好々爺として報道した。笑顔を見せ、群衆に手を振り、熱心に国内を視察する彼を好意的に伝えた。だから私もそれを信じ、昨今の傲慢な中国の言動に嫌悪が募るほどに、「鄧小平がいたら、こうはなっていなかったろうに。」と、悔やんだりした。しかしこれが、マスコミ報道の捏造の最たるものだった。

 天安門事件の直後、親中派のブッシュ大統領は対中制裁を要求する議会の圧力に悩まされていた。彼は中国に強硬姿勢を軟化させようと、極秘に特使を派遣した。スコウクロフト大統領特使がそれだった。大統領の厳しい立場を説明され、特使との会談を終えた鄧小平が、きっぱりと拒絶した言葉がこれだ。


「中華人民共和国の歴史は、中国共産党が人民を指導し22年間、抗米援朝を加えれば25年間戦争をし、二千万人以上の犠牲者を出してやっと勝ち取ったものだ。」「中国の内政には、いかなる外国人の干渉も許さない。」「中国では、いかなる勢力も中国共産党の指導にとって代わることはできない。」

 また天安門の弾圧を前に、彼は断固として語った。
「これは通常の学生運動ではなく、動乱だ。」「旗幟を鮮明にし、強い措置をとって動乱を静止せよ。」「国際的な反応など恐れるな。」「違法デモを取り締まり、気ままにデモをするのを許すな。」「国家の安定を妨害する者には、譲歩したり妥協したりしてはならない。」「人民民主専制の手段を使え。社説を出せ。立法も必要だ。全国的な闘争の準備をし、断固動乱を制圧せよ。」
 
 つまりこれが、鄧小平のもう一つの姿であり、毛沢東以来現在に引き継がれる、共産党政治家の恐ろしさだ。日本にいる共産党のシンパたちにすれば、この冷酷さが「筋金入りの闘志」とでも見えるのであろうか。

 しかしその二三日前まで、彼は趙紫陽の意見に賛同していた。「秩序を回復し、騒ぎを警戒するが、流血は避ける。」というものだ。胡耀邦と共に趙紫陽は、経済改革で国を豊かにし、国際的地位を高めるという彼の意見に従ってきた、長年の同志であり部下であった。切迫した鄧小平には、彼らを見捨てざるを得ない事情が二つあった。

 その一つが、文革での紅衛兵によるリンチへの恐怖だ。彼自身も紅衛兵に苦しめられ、家族が四散し、長男は自殺未遂で不具者になった。学生たちの姿が紅衛兵と重なり、怒りが抑えられなかったこと。今一つが、彼の開放改革政策に反対する政敵たちの台頭だった。学生の要求に妥協することは、彼の政治生命の終わりを意味していた。失脚を繰り返しても、不死鳥のように這い上がってきた彼だが、もう若くなかった。毛沢東に対立しても捨てなかった彼の夢は、「経済開放による中国の発展」だったから、ここで権力を手放す愚を避けた。

 伊藤氏の本によると、老いていくに従い、鄧小平は切り捨てた胡耀邦と趙紫陽を偲び、一人悲嘆に暮れる時が増えたと書いてある。マスコミの報道に出ないが、こうした個人的喜怒哀楽の事実が私の心を静める。鬼のように冷酷に命令したのでなく、苦悩しつつの判断だったと知れば、そこには多少の救いがある。やらなければ自分がやられるという、中国社会のおぞましい残酷な様相が浮かんでくる。

 もう一つだけ、鄧小平の苦悩を示す事実を、伊藤氏の本から引用しよう。
「1993年に刊行された著書の中で、鄧小平氏は、毛沢東晩年の過ちへの " 行き過ぎた批判" を戒めている。 」「その理由は、" このように偉大な歴史上の人物を否定することは、我が国の重要な歴史を否定することを意味し、思想の混乱を生み、政治的不安定を招く" からだ」
「毛沢東を否定することは、彼が作った共産党の中国、つまり一党独裁を否定することなのだ」

 だから彼らには、文化大革命の検討ができないし、二つの天安門事件への検証もできない。これこそが中国のアキレス腱である。やみくもに中国を賞賛する日本の政治家やマスコミや経済界の人々は、隣国の闇と苦悩をどのくらい理解しているのだろうか。まして友好一辺倒のお花畑の人間たちは、危険な中国についてどれほど知っているのだろうか。

 日本の軍国主義の悪辣さなどとこれ以上言われ続けるのなら、私たちは反対に中国のアキレス腱について、その悪辣さと残酷さと無慈悲さを、世界中に宣伝すれば良い。中国や韓国がやっているように、米国人や英国人、あるいはフランス、ドイツ人に尤もらしく喋らせたり、新聞記事を書かせたりすれば良い。

 ただし、日本がこれをやる時は、中国との戦争を覚悟しなくてはならない。ダブルスタンダードの中国は、自分が他国を誹謗する自由は認めても、他国が誹謗する自由は認めない国だ。

 だから、私は今泉氏の遺言の大切さをかみしめる。
日本の置かれた立場に危機感を持てと、氏が鳴らした警鐘に耳を澄ませる。国の安全保障を忘れてはならない。憲法を改正し、独立国になるべし。その上で戦争をしない工夫をすべし。そのためには国際人になれ。自分の主張を世界に発信できるように、英語を駆使できる日本人になるべし。世界中に日本の友だち、日本への理解者を増やせ。日本一国では、とても中国には敵わない。仲間を増やすこと、集団で国の防衛を図ること・・・・・・、沢山の遺訓が浮かんでくる。

 石原氏のシニスムも思い出される。国を愛する人間を右翼だとか、軍国主義者だとか、笑わせてくれるな、売国者どもよと、氏が冷笑している姿が鮮明になる。

 読書はこれからなのに、随分長い感想になってしまった。さて、これからゆっくりと続きを読もう。
 

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放送倫理検証委員会

2015-11-20 13:53:46 | 徒然の記

 11月7日の新聞で、放送倫理検証委員会なるものの存在を初めて知った。

 NHKの「クローズアップ現代」での、「やらせ問題」に関する記事だ。委員会が出した番組への意見は、正しい指摘だった。

 「報道番組で許容される演出の範囲を、著しく逸脱した表現と、言わざるを得ない。」「番組は、NHKのガイドラインに、著しく違反している。」。

 公共放送の名にふさわしくない、報道や番組が多くなったNHKに、ここまで意見の言える委員会があるとは、思ってもいなかった。

 しかし、この後がいけない。著しい逸脱と、違反のある番組を許したNHKに、総務省が文書で注意したり、自民党の幹部が説明を求めたりしたことを、「政権による放送への圧力」と断じた非常識さだ。

 朝日新聞に始まり、NHKの偏向報道に、多くの国民が忌わしさを感じている、昨今である。国民の意識を、反日の中国や韓国へ傾かせたり、国の安全を傾かせたりするような、おかしな報道に対し、政府や与党議員が関心を持つのは、当然の話だ。放送法に違反した者を厳しく処罰すべきと、私は常々に思っている。

 政府や与党議員の行為に、そこまで文句をつけるのなら、有識者と言われる委員諸氏は、政府が注意を喚起する前に、自らNHKの番組審査をすべきでなかったのだろうか。国民のため、報道を検証するのが役目なら、どうして正しい動きをした総務省や、自民党議員を批判するのか。

 よくよく調べてみると、何てことはない。この委員会は、身内を守る組織体でしかなかった。

 「平成15年に、NHKと民法が、言論・表現の自由の確保や、放送による人権侵害の被害救済などを目的に、放送界の第三者機関として設けた。」と、設立目的がこれである。笑わせてくれるではないか、悪党どもの集団が、仲間内で選んだ人間が、自らを検証するというのだ。

 どうして詐欺師が、仲間の詐欺師を裁けるというのか。これでは、オリンピックのデザインを審査した委員が、みんな仲間で構成されていたのと、同じ構図だ。

 だから、こうした愚にもつかない政府批判が、最もらしい記事になり、そして国民が騙される。「政府の横暴は許せない。」と、お花畑の人間たちが、意を強くするというわけだ。

 平和な日々でなら許せる茶番劇も、中国や韓国、あるいは同盟国アメリカにだって、気を許せなくなった今の国際情勢下では、とても看過できない組織だ。

 この有識者と言われる委員諸氏が、どんな人物なのか。ネットで調べてみた。

 委員は10名ほどいるらしいが、は3名しか表示されていない。調べてみて、二度ビックリだ。こんな人間のどこが有識者なのかと、首をかしげさせられた。ネットで調べた情報を、一人ずつコメントなしで引用する。

 [ 川端和治氏 ]  

  昭和20年生まれ。弁護士。朝日新聞社コンプライアンス委員会委員。

  元第二東京弁護士会会長。元日弁連副会長。日本年金機構理事。

 [ 是枝裕和氏 ]

  昭和37年生まれ。映画監督。テレビディレクター。

  主にドキュメンタリー番組を制作。立命館大学客員教授。早稲田大学教授。

 [ 香山リカ ] 

   昭和35年生まれ。本名は非公開で、ペンネームを使用。

   精神科医。立教大学教授。「九条の会」に参加。

   反戦・平和を主張。福島瑞穂氏や辻元清美氏と親しい。

  以上である。

 しかもこの委員会は、NHKの所有するビルの最上階に部屋を用意され、NHK等の民放から、月々の報酬を支払われていると聞く。心ある人なら、ネット情報を見ただけで、この委員会のいかがわしさが理解できるだろう。そして思うだろう。

 「まさに、日本のマスコミ業界は腐っている。」

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国家なる幻影 - 3 ( 「振り向いてくれ、愛しきものよ」 )

2015-11-14 23:02:12 | 徒然の記

 肌寒い1日になった。曇り空が広がり、氷雨が「ねこ庭」の花木を濡らしている。
紅葉したニシキギやこまゆみの葉が、濡れて光る様を見ていると、我が家に訪れた小さな秋を知る。だがその嬉しさも半分で、石原氏の本を机に置き思案に暮れている。

 記憶に残したい事柄がありすぎて、選択に迷っている。暴言としか思えないことを、憚らず述べるから、右翼政治家などとマスコミに騒がれる氏だ。閣僚時代には、大蔵省の官僚に大切な計画を邪魔され、外務省の役人からは、米国や中国へのへつらいで妨害され、腹に据えかねていた頃の話だ。

 「これまで、弱い国民を見下し、無視し続けてきた大蔵省の不祥事が、相次いで露見し、逮捕者が続出している実情は、」「たとえ彼らには不服だろうと、官僚によって統御されつくしてきた国家の体質を改革するため、」「そして国民のためには、絶好の機会と思われる。」

 今では大方の人間が忘れているだろうが、大蔵官僚が収賄事件で検挙され、大騒ぎされた事件のことだ。ノーパンしゃぶしゃぶ喫茶などという、破廉恥な収賄事件も含まれていた。

 「罪を犯した者たちを、自らで粛清できないというのなら、これはもう救いようがない。」「昔なら、本物の右翼による純粋なテロルが発動し、無責任の上に堆積していく堕落退廃がここに至る前に、」「肉体的な懲罰が、国民の意思の名目で行われ、自制も利いたのだろうが、」「当節ではそんな志士はどこにも見当たらず、結局司直の手が下るのを待つしかない。」

 内心で思ったにしても、ここまで公言する勇気が私にはない。実際に氏は、国会内で許せない者たちを脅し、腕力にも物を言わせたと白状しているのだから、他の議員から見れば浜田幸一氏と同類だったのだろう。

 この一本気な氏のお陰で、他の議員が口にしない大事な事実を教えてもらえる。
例えば、海で何かの工事や作業を政府がやろうとすると、沿岸の漁民が「水利権」をかざして大反対する。激しいデモが行われ、マスコミが大きく取り上げる。漁業者が騒ぐのは仕方のないことと思ってきたが、どうやら日本に限った話だったらしい。氏の言葉を、そのまま引用してみよう。

 「海運という国家の重要な作業に、致命的な打撃を与えかねない海の障害物の除去が、誰にも手もつけられないというのは面妖な話だ。」

 「運輸委員会で口にしたら、地元遊漁船の利権代表と言われる、うるさ型の代議士から、たちまち苦情が来た。」「たかだか遊漁船の水利権の主張のためだけで、こうした国家的案件が放置されたままとは思わぬが、」「水利権については、できるだけ早く、国家的な見直しをすべきに違いない。」

 「日本の軍事国家としての復活を、何より恐れたアメリカが、」「帝国海軍の復活阻止のためにと、戦後全ての海岸線の水利権を漁師に渡してしまい、」「自治体の意向すら、斟酌されにくくなっているという状況は、」「狂ったものとしか言いようがない。」

 これも、占領軍下で行われた敗戦の置き土産だったのだ。憲法ばかりでなく、基地も、左翼思想も、何であれ騒擾の種となりそうなものを、GHQはシッカリ残していった。石原氏に言われなければ、水利権の実態など知りようもなかった。

 亡くなられた平泉氏は、米中に挟まれた島国である日本の危機を常に語っていた。危機意識のない戦後日本の政治家や国民に対し、最後まで警鐘を鳴らし続けた。紳士と乱暴者という外見の違いがあるとしても、国を思う心で一致する政治家として平泉氏と同じ敬意を表したい。

 「我々のすぐ隣で、軍事力を背景とした、覇権主義の遂行に余念のないシナの、」「前の首相の李鵬が、先年オーストラリアに赴き、相手首相と会談した折、」「話題が日本に及んだ際に、言下に、〈 あの国は今のままで行けば、20年も待たずに消滅するだろう 〉と言い放った予見を、」「果たして私たちは、笑って済ませることができるだろうか。」

 李鵬元首相が、こんな話をしていたと事実も知らなかったが、石原氏の怒りと危機感を私は共有する。このような氏が、マスコミで右翼と言われるのなら、そう呼ばれることに誇りを持ちたい。

 「自らの持てる力の意味も知らず、それを知ろうともせず、無知のままに高を括って、」「卑下して過ごすことを憚らぬ国家国民に、我々自身よりも、日本の可能性を心得ている国家民族からもたらされるものは、」「軽侮と、国際政治を通じての、日本への収奪の試みでしかあり得まい。」

 氏の文章は長くて切れ目がなく、私を戸惑わせるが、こういう意見となると、違和感はどこにもない。長かろうと短かろうと、どんな言葉も胸に届き、切ない思いを掻き立てる。

 「李鵬の言った日本の消滅という意味は、この国の国民が皆殺しによって、」「地上から消滅するなどということでなしに、日本が歴然と、」「いずれかの国の属国となりおおせる、ということに違いない。」

 「その宗主国が、二十年の後、果たしてアメリカなのか、」「それともその覇権で我々を併合しつくしたシナなのか分からぬが、」「その可能性があり得ぬということを、いったい誰が言い切ることができるだろうか。」

 これが平成11年、つまり16年前の氏の言葉だ。恐らくこの危機意識の発信は、平泉氏よりも早い。

 尖閣の領海に侵入されても、竹島を不法に占拠されても、捏造の慰安婦で辱められても、反日売国のマスコミが跋扈している現在なら、氏の意見の正しさが誰の胸にも響き渡る。

 反日の利敵行為に明け暮れる共産党や民主党、それに加え、親中・親韓のお花畑の国民の蔓延などは、日本崩壊の予兆である。今では皇后陛下までが「九条を守る会」などという、反日の組織に心を寄せられるなど、危機を通り越して崩壊の崖っぷちと言っても過言ではない。

 先見の明のある政治家としての氏を認めず、右翼、軍国主義者というレッテルを貼った自民党議員たちは、恥じるべきでないのか。歴史を直視する氏を蔑視し、レッテル張りに熱中したマスコミは、消えてなくなれと言いたい。石原氏が辞職して以後、民主党政権が誕生し、悪夢の三年間を経験した国民は身にしみて反日・売国の政党のおぞましさを知った。

 石原氏の意見を国民の多くが理解できたのは、ルーピー鳩山氏を総理にした、亡国政府の恐ろしさを経験したからだ。

 アメリカや中国に絡め取られない前に、日本は独立しなければならず、それには憲法改正が必須の条件となる。自民党の中のお花畑の議員を軽蔑し切った氏は、老体に鞭打ち新党を目指した。辞職した氏が保守新党を作ろうとした志の高さを、私は理解する。

 諸般の事情から党勢が下火になっているが、次世代の党は日本再生の光と言える政党だ。病の床にあるらしい現在の氏は、まさに満身創痍の戦士であり、歴史につながる志士の一人ではなかろうか。

 氏の本を読み、初めて知った衝撃の事実がもう一つあり、それだけは記録に残したい。感謝の念とともに、氏の次の言葉を引用する。

 「周知のことだが、あの大戦で日本共々敗北したドイツは、降伏に当たって3つだけ条件をつけた。」
「相手もそれを認めて降伏が成立した。」

 「周知のこと」と氏は言うが、それは私が生まれて初めて知る事実だった。突然後ろから、棍棒で頭を殴られたような衝撃だった。

 「条件の第一は、降伏の翌日からもドイツ軍は存続する。」

 「第二は、降伏後もドイツ人子弟の教育に関しては、一切他国の干渉を許さない。」

 「第三は、当然考えられるべき新しい憲法の起草は、他国の干渉を許さずドイツ人自身が行う。」

 この年になるまで、自分はなぜこんな重要な事実を知らなかったのだろうと、悔やまれてならない。沢山本を読んできたつもりだが、一度も目にしなかった叙述だ。これだけでも氏に感謝し、本を手にした偶然に感謝する。

 「そのための条件として、ナチズムへの批判・反省とその淘汰は徹底して行うということだったが、日本がそんな条件を主張したという史実はないし、しても相手は許しはしなかっただろう。」

 シニスムの賀屋氏同様、石原氏は語るが、私の心は波のように揺れて騒ぐ。
いったい、どれほどの日本人がこの事実を知っているのか。このあからさまな国際的屈辱を、日本の政治家たちは知っていたのか。知っていながら、「日本はドイツに比べたら、反省が足りない。」、「戦争への反省について、日本はとてもドイツに及ばない」と、左翼の人間たちに言わせていたのか。

 一億玉砕から一億総懺悔へと、手のひらを返すような翻意をした日本と、戦争の反省をヒトラーとナチズムに負わせ、国家の基本を守りぬいたドイツと、この目も眩むような惨めさ違いを、私は驚くしかできない。

 戦後70年経っても自国の守りを米国に頼り、憲法では魂を骨抜きにされ、教育も左翼のお花畑どもにねじ曲げられ、国の歴史も文化もご先祖様も否定し、ひたすら悪行を謝罪せよと教えられている私たち。

 やっと先日、安保関連法の成立にこぎつけた日本だというのに、なんとドイツは敗戦の翌日から自国の防衛を確立していた。

 自民党の中にいる反日・売国の議員たちは、見習うべきドイツの核心を看過し、左翼の平和主義の言に踊り、国の再建と独立を忘れ果てていた。こんな輩がなんで保守自民党の議員なのか、石原氏に殴られて当然の亡国議員たちでないか。

 まして利敵行為の野党議員を含め、みんな国を滅ぼす獅子身中の虫どもだ。こんな腑抜けの日本人が多数となった国だから、アメリカからも、中国にも、韓国にも、蔑視されて不思議はない。

 ドイツと日本への戦勝国による扱いの差別は、どこから来たのか。石原氏は頑固者らしく、「彼らは日本の再興が怖かったのだ。」「再び立ち上がれないようにすることだけを、望んだのだ。」と婉曲に言うが、ここで私はハッキリと述べる。

 日本とドイツの扱いが大きく分かれた理由は、「人種差別しかない。」白人による有色人種への蔑視と、優越感がある。

 人種差別主義者だったルーズヘルトは、日本人へ嫌悪感を持ち、隠すこともなかったと聞く。だからトルーマンも、平気で原爆の投下を命令したと言われている。これについて私は、左翼の人間のように、大声で叫んだり喚いたりする気はない。善悪の問題でなく、道理の世界の話でもない。説明のしようがない、人類が歴史とともに背負ってきた、人種差別の問題である。

 私たちは、国際社会には人種差別があるという事実を認識し、向き合っていかなければならない。解決が困難だとしても、衝突を避ける工夫を凝らし、工夫の中で、失った日本の独立を取り戻さなくてならない。72歳の自分が、83歳の石原氏の志を継ぐ決心をしても、先が短い。氏の志を継ぐ人間が、もっと増えてくれることを願いたい。

 「振り向いてくれ、愛しきものよ。」

 これが本の最後の章に付けられた表題だ。ぶっきら棒で、尊大で、負けず嫌いの氏が、最後に記した言葉の、切ない響きがいつまでも残る。平泉氏の遺言とともに、私は氏の言葉を胸に刻む。

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国家なる幻影 - 2 ( 賀屋興宣氏のこと )

2015-11-13 13:28:45 | 徒然の記

 石原氏の著書「国家なる幻影」を、読み終えた。

 好き嫌いという個人的感情と、尊敬の念は別物でないかと、複雑な思いに捉われた。平成7年に議員在職25年となった氏は、院内表彰を受けることとなった。敗戦後の日本の政治を放置した責任は、政治家にあり、その一員として自分は表彰を受ける気になれないと、氏は辞退の決意をする。

 前例が無い話だと周囲が騒ぎ、慣例を破ることによる関係者への迷惑を知り、氏が選んだのは、表彰を受ける時をもって議員辞職をするという道だった。この時の心境を、次のように語っている。

 「議会政治という桎梏の中に縛られたまま、当初の志を阻害されたまま、なお議席を占めている自分の不甲斐なさに、止めを刺すべき時だった。」「私が果たし得なかった国家への責任の、最低限の履行としても、それしかあり得ぬと自分に納得させていた。」

 議員なら喜んで受ける晴れの表彰を契機に、彼は「士」にふさわしい決意に繋いだと言える。

 奇を衒っている、売名行為だなどと言われたに違いないが、そうした非難に負けないのが氏だった。米国議員の恫喝にたじろがず、反対に相手を怯ませたり、大蔵官僚の尊大な警告を逆手にとって懲らしめたり、氏の行為は政界の常識から見れば「奇」なるものばかりだった。

 売名など、ことさら企てなくても、マスコミや野党や反対者たちが騒ぐから、何をしても名が売れ、むしろ迷惑し通しだったのかもしれない。

 事実は知らないが、在職表彰が紙切れ一枚というはことはなく、金一封とか特別年金とか、そんな実益が添えられているはずだ。永井荷風が文化勲章の受賞を知らされた時、「勲章は要らないが、年金がつくのなら貰う。」と言った有名な話があるが、国の表彰には大抵そんなものが付随している。まして、利権の好きな政治家の、永年勤続賞においておやだ。

 自分にできないことをする人間に、昔から敬意を払う私は、辞退という意思表示だけで、氏に敬意を表する。更にその理由が、政治家としての責任感とくれば、潔さに惚れ惚れする。

 本の中で、氏が辛辣に語る政治家たちについては、間違いないだろうと素直に受け入れる。

 三木武夫、宮沢喜一、細川護熙、海部俊樹、金丸信、小沢一郎、河野謙三、河野洋平、美濃部亮吉、これら各氏の言動は、自分の推測と重なるものがあるだけに、不愉快この上なしだった。引用すれば良いのだろうが、その気にもなれない。興味がある人は、本を買うか、図書館で借りれば良い。

 しかし私の印象と異なる政治家もいた。賀屋興宣、宇野宗佑、渡辺美智雄、土井たか子といった人々だ。

 新聞報道だけで、政治家の批評はできないと痛感した。ことに氏は、賀屋興宣氏を高く評価している。というより、尊敬という言い方の方が近いのかもしれない。高校生の頃だった思うが、賀屋氏については、選挙のポスターで名前を見て、戦争犯罪人なのにどうして議員になれるのだろうと、不思議に思った記憶しかない。

 明治22年に広島で生まれた賀屋氏は、東大卒業後に大蔵省へ入り、近衛内閣と東条内閣で大蔵大臣を務めている。東京裁判でA級戦犯となり、巣鴨刑務所で10年間服役し、昭和35年に岸信介氏たちと共に赦免され、池田内閣で法務大臣になっている。

 その後日本遺族会の会長を務め、昭和52年に88才で没した。政治家は誰もが勲章好きなのに、氏は身を律することに厳しく叙位・叙勲の全てを辞退していた。

 あまり人を褒めない石原氏の意見なので、興味が湧いてきた。

 「戦争前から戦争にかけて、無類の財政能力を発揮したが故に、」「その挙句、戦争犯罪人に仕立て上げられたこの人物は、」「少なくとも私が今まで政界で眺め渡した限り、最も知的な人物だった。」

 「あの人は当時、左の陣営だけでなく、右側にも嫌われていた。」「ということこそが実は、氏が左なる者のいんちきを軽蔑しきっていたように、」「大方の右もまた、いい加減なものでしかなかった、ということの証左と言える。」

 「自由党総裁だった緒方竹虎は、自分の健康に一抹の不安を抱いていた。」「自分に万一のことがあったら、総裁の座をついで欲しいと頼まれた時、」「犯罪人の名を被った人間は、国家の首班となり得る地位に就くべきではないと、氏は頑なに拒んだ。」

 「この話を聞いた自分が賀屋氏に質すと、爽やかな答えが返ってきた。」
「あれはただ私の哲学みたいなもので、別に岸信介君への皮肉でもなんでもありませんよ。」

 ついでに石原氏が東京裁判への法的疑義を口にすると、

 「でもね、勝ったものが勝って奢って、負けたものを裁くのは、当たり前じゃありませんか。」「個人にせよ、国家にせよ、人間のやることは、所詮いい加減なものですよ。」「万が一、我々が勝っていたら、もっと無茶な裁判をやったでしょうな。」

 氏の徹底したシニスムに感服して以来、石原氏は政治家の生き方を学んだのではなかろうか。シニスムの意味を辞書で調べると、

 「冷笑主義」、「万象を覚めた目で直視し、軽蔑し、鼻で笑う態度」など、色々ある。この中から、私は氏のため、「冷静に、物事の本質を見通していること」というのを選んだ。

 占領軍により、軍国主義者の一人として裁かれ、絞首刑となるA級戦犯にされ、10年間も刑務所にいた賀屋氏の言葉だ。自己弁護もせず、恨みの一言も言わず、氏が、東京裁判の不条理を語っている。石原氏だけでなく、私も感銘させられる潔さがある。

 復讐裁判でしかなかったものを、金科玉条の判決として押し頂き、今もなおその論を展開して恥じない、反日と売国の人間たちがいる。それを許すマスコミ、政治家、文化人や学会など、きっと石原氏は冷笑せずにおれなかったのだろう。

 政治家として25年も働いたのに、何も変えられなかった自分の不甲斐なさを見つめ、彼は表彰を契機に議員を辞職した。彼の心の底にあったのは、賀屋興宣氏のシニスムへの共感だったのではないかと理解する。

 今日は11月13日、曇天の空だ。
昨日やっと、夏物と冬物の入れ替えが終わったところだ。先日庭で転んで骨折した肋骨も、回復順調らしく痛みがなくなった。石原氏や平泉氏に比べれば、まだ若いから、老け込んではおれない。

 家族やふるさとを大切にし、国を愛し、生きている限り国を思って語り続ける、これらの人を見習いたい。国民の一人として、貧者の一灯でもいいから掲げ続けたいと、石原氏の著書が励ましてくれた。

 書けば切りがないほど多くの思いがあるが、あと一回氏について少し語りたい。

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国家なる幻影 - 1 ( 品位に欠けても、大事な話 )

2015-11-10 16:58:16 | 徒然の記

 石原慎太郎氏著「国家なる幻影」(平成11年刊 文藝春秋社)を、読んでいる。
660ページの分厚い本で、両手で持たないと落としてしまいそうなほど重い。中身も比例して重いのかどうか、微妙なところだ。平泉氏の話は聴くほどに惹かされていく人柄の深みがあったけれど、石原氏の意見にそのような魅力はない。しかし、政界の裏話とも言えることを沢山教えられたので、沢山感謝している。

「最近の若い政治家には、深みがない。」「なぜなら彼らは大事な秘密が守れない。何でも簡単に洩らしてしまう。」若い政治家を批判しているが、氏が本で書いていることだって、当事者たちにすれば秘密にしておきたい重大事かもしれず、よく言うものだと少し呆れている。

 昭和7年生まれの氏は、今年83才だ。昭和4年生まれの平泉氏と、3つしか違わない。元気そうに見えるが、平泉氏が85才で亡くなられたことを思えば、石原氏も結構年配なのだと思い直す。温厚な紳士だった平泉氏に比べると、石原氏は容赦ない言動で相手をやり込める粗暴さと若さをいつまでも持ち、それが氏を若く見せる。良い悪いの問題でなく、これが十人十色の面白さなのだろう。

 芥川賞の受賞作家として、氏は文章に自信を持っているらしいが、私に言わせると時々ヘンテコな文章を書く。

 「そして改めて感じたことは、政治なる人間の方法の無力さについてだった。」・・・・・。これは氏が、環境庁長官として水俣病患者と向き合った日の思い出を回想した文章である。
 

 「政治なる人間」、なんでこんなややこしい文章を、書く必要があるのか。私なら、「そして改めて感じたことは、政治家としての自分の無力さだった。」と素直に書く。

 本のサブタイトルもまた、ヘンテコな日本語だ。「わが政治への反回想」である。回想に添えられた「反」の文字が、どうにもピンとこない。こういう熟語があるのかと、氏の本に負けないくらい分厚くて重い辞書(大辞林)を牽いたが、載っていなかった。

 「俺は回想するほど老けこんでいないぞ。書いてあることは、回想なんかじゃないぞ。」と、いつものように意気がっているのかと、勝手にそう解釈している。

 金権腐敗の田中角栄氏を嫌悪し、日中航空協定で、国を売るような条文を認めた総理に反旗を翻し、「青嵐会」を立ち上げたことなどは、勇気のある政治家として記憶に残したい。原子力と国防を専門として研究した政治家だったと、本で初めて知ったが、お花畑の政治家や国民が多い中で、氏は現実的正論を述べ続けた。

 「日本に寄港する原子力潜水艦が、いったいどのようにして核を外すのか。」「外した核はどこに保管するのか、外せるような装置が潜水艦についているのか。」そう言って彼は政府を追及した。

 反日の野党が無意味に反対するのと異なり、非現実的な核アレルギーを払拭したいと、氏は国会で質問した。まっすぐな正義感だったが、老練な先輩たちに絡め取られ、のらりくらりの返答であしらわれる。

 「核を搭載しているのかいないのか、アメリカ政府はノーコメント。」「日本政府は核の搭載について、強いて米国に確認せず、搭載していないものと信じる。」正確ではないが、当時はこんな政府答弁だったと記憶している。

 そのずっとあとで、日本に入港する原子力潜水艦の核装備は常識だと、元駐日大使のライシャワー氏が言っていた。

 氏は無派閥だったが、佐藤栄作氏に可愛がられ、福田赳夫氏にも厚遇され、中曽根康弘氏にも疎かにされなかった。無鉄砲な正義感で突き進む新人議員でも、氏が政界で潰されなかったのは、時代の寵児とも言える人気者だったからだ。今も昔も政治家はポピュリズムに弱いが、国民大衆の人気者だった彼を圧殺する勇気はなかったのだ。

 石原裕次郎の兄としての人気だけでなく、本人も好青年で、生意気でも高慢でも世間が許容した。総裁選に敗れ、自殺した中川一郎氏について、盟友の彼は無念の思いを述べた。

 「中川は、集まった群衆の歓声が、そののま総裁選の票につながると信じていた。」「いくら数がいても、総裁選の投票権を持った人間がその中に何人いるのか、それを見なかったのは彼の甘さだ。」「中川の単純さと真っ正直さは、政界に不向きだった。」
 
 今も謎と囁かれる中川氏の死だが、無謀な金策と落胆の果ての自殺だったのでないかと語る。中川氏のように単純な甘さがないとしても、石原氏も、自分の姿を知らない気がする。時流に乗れたのは実力だとしても、国民大衆の人気者はマスコミが大騒ぎし、周りがちやほやし、実力以上に礼賛されるのだと、今でも氏は気づいていないのではなかろうか。

 (自分のことが分からないのは、私もそうだから偉そうなことは言えないが。)

 だからこそ氏は、誰も語れない政界の闇の話を、行間で漏らしたりする。

 「重要本案通過のための裏取引で、深夜密かに、野党幹部に膨大な現金を運ぶなどという作業は一度くらいしてみたいものだったが、駆けだしの一年生にそんな大役が割り振られる訳もなかったろう。」

 最大野党の社会党が予算審議で国会を混乱させ、牛歩戦術で時間を浪費させ、深夜の討議を何日も続け、頑強に抵抗する姿を新聞が第一面で報道していた。全てが与野党の裏取引で行われ、大金が動き、社会党も潤っていたという裏話だ。

 うすうす聞いてはいたが、ここまではっきり述べられるとやはり幻滅する。事実だから誰もこの本を問題視せず、攻撃もしない。政治家たちは、藪をつついて蛇を出すのを恐れ、無視するが一番と、だんまりを決め込んでいるのだろう。

 「そのうち世界政治はエネルギーの配分が戦略の要となり、石油を白人国家、特に戦略的にアメリカが支配している限り、彼らの実質的な世界支配は続くことになる。」
「その意味からしても日本のエネルギーに関する活路は、原子力開発にあって、この問題に関する無知に起因する国民のアレルギーを、まず払拭する必要がある。」

 これが政治家としての氏の、基本認識である。だから彼は、原子力の開発にこだわる。

 「しばらくして、多分私と同じ発想に依ったのだろうが、田中角栄首相が突然プルトニュームの買いつけに関し、日本独自のルートを開発すると明言して外遊した。」
「それがアメリカの逆鱗に触れ、アメリカの陰謀で例のロッキード事件が仕組まれた。」「世界中であった同種のスキャンダルが、日本でだけ大問題となり、田中氏はその政治生命にとどめを刺された。

 「私は田中氏の金権政治を唾棄した者の一人だが、免責での証言だとか、その証人への反対尋問封じとか、日本の司法システムまで強引に曲げさせ、稀有な先見性のあった政治家を葬り去ったアメリカのやり方は、どうにも我慢がならないし、日本の政治のためにも絶対に許さるべきものではない。」 

 いかにアメリカが日本の政治を支配しているかという一つの事例を、私はここに見る。さらに氏が述べる言葉は、もっと国民に知られて良いはずの、隠された事実である。

 「アメリカの陰謀による田中氏の失脚を、ただ痛快に思っている日本人たちは、日本以外のあちこちの国で耳にする噂を、どこまで心得ているのだろうか。」「つまり原子力問題は環境汚染だと訴え、ことごとに反対を唱えているグリーンピースなる団体が、実はアメリカのオイルマネーで動いているということ。」

 野次馬根性も手伝って、反核・反戦を唱える平和団体として名高いグリーンピースをネットで調べてみた。

 アイルランドのジャーナリスト・グドムンドソン氏が、次のように批判している。

 「グリーンピースは環境保護団体のような顔をしているが、実は政治権力と金を追求する多国籍企業である。」

 バチカンにあるアポストロルム大学の二人の教授、カショーリ氏とガスパリ氏は、資金面の不透明さを指摘している。

 「グリーンピースの2000年度の年間予算額は、147億2000万円にもなる巨大資金団体である。彼らは税額控除される寄付金を集め、それを更に関連団体に特殊な会計方法で配分している。」「幹部たちは、高級レストランで食事をするなど、寄付金を自分たちの贅沢に使っている。」

 こうなると、石原氏の指摘もまんざら大袈裟でなくなる。アグネス・チャンの日本ユニセフ協会と似た、いかがわしさだ。社民党の元党首である福島瑞穂氏の、事実婚の夫は、グリーンピース・ジャパンの元理事長だ。二人は反原発のカップルとして、知る者の間では有名であるらしい。

 反戦・平和の左翼活動の闘士を自称する福島氏の夫が、石油メジャーの金で反原発活動をしているなど、薄汚い笑い話でないか。

 ついでに付け加えておくと、これもネットの情報だが、鳩山内閣で閣僚の資産公開がなされた時、福島氏の資産額は鳩山氏に次ぐ2位だった。金額は事実婚の夫である海渡雄一氏の定期預金(1億2265万円)と合算し、2億4999万円だったとのこと。

 石原氏の意見は平泉氏に比較すると、品位に欠ける嫌いがあるが、国民の知るべき知識としては大切なことが多い。

 あと何回になるのか私の気力次第だが、このままで終わらせられないという気がしてきた。本日はこれまでとし、少しばかり休憩して、明日からの続きに挑戦するとしよう。

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平泉渉氏の最後の言葉

2015-11-05 17:53:31 | 徒然の記

 57回にわたる、平泉氏の動画『世界のダイナミズム』を、すべて見た。

 最後の収録は、平成25年の5月だった。氏が亡くなられたのが、今年の7月だから、死の直前まで明日の日本を心配し、語り続けられたということだ。その気持ちを思うと、自然と、感謝の念がわいてくる。

 最後の動画のゲストは、政治評論家の宮家邦彦氏と、筑波大教授遠藤誉氏だった。
ゲストは毎回変わり、元中国大使の谷野氏とか、元中央大教授の田中努氏とか、それなりの人物だったのだろうが、率直に語る平泉氏に比べ、ゲストの各氏は、隔靴掻痒のまどろこしさだった。

 本気で日本を考えている人間と、知識を蓄えているだけの専門家の違いなのか、揚げ足を取られないための抽象論に、失望させられた。

 最初の頃の平泉氏は、中国を賞賛する意見が多かったため、単なる親中派かと落胆したが、そうでなかった。氏はいわゆる現実主義者で、そのままの中国を受け入れた上で、島国の日本は、どうすれば良いのかと思考する人だった。飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町と、日本は中国文化を吸収することで、国を成長・発展させた。何もかも、中国のおかげと言って過言でないと、氏は述べる。

 「そして平成の今、中国は、アメリカと肩を並べる国となりつつあり、」「かってのソ連より、桁違いの大国となりました。」「日本は経済的に、中国に首根っこを抑えられ、韓国も、アセアンもしかりで、」「やがて欧州も、アメリカもそうなるのでしょう。」

 オバマ大統領が、習近平に遠慮し、イギリスの首相は、中国の財力の前に屈服し、ドイツは、中国市場の魅力の前に膝をかがめている。財も軍事力もないアセアン諸国は、中国が怖くて、表立って抗議すらできない。

 保守言論人の中には、即刻中国と断交すべし、経済関係も切ってしまえと、元気の良い主張をする人物もいるが、それを即座に実行したら、日本経済は大きなダメージを受ける。マスコミの報道は、膨張する中国を毎日のように伝えており、私は、平泉氏の意見に賛同する。

 「第一次世界大戦の頃まで、国際社会と言えば、イギリス、フランス、ドイツのことでした。」「第二次世界大戦が終わると、ソ連が突然大国として浮上し、」「米、英、独、仏、ソのことが、国際社会と言われるようになりました。」「そしてソ連が崩壊し、冷戦が終わった今、今度は、」「世界の真ん中に、突然中国が出現したのです」と、これが氏の現状認識である。

 「毛沢東や周恩来、あるいは小平の時代、に」、中国、は積極的に日本との友好を求め、国を挙げての熱烈歓迎でしたよ。」「ところが突然に、友好の中国が、反日国家となった。」「いったい過去30年間の、あの友好関係は、何だったのですか。」温厚な氏が、珍しく語気を強くした。

 「中国は、こんないい加減な国なのか。指導者次第で変わるのか。」「国際社会に、こんな国はありませんから、」「中国の不気味さを、これで国民が知りましたね。」「中国は、一億人の日本人の魂を弄んだのです。」「日本からでなく、相手から仕掛けられたのですから、国民は中国を許さないだろうし、恨みが残りますね。」

 しかしゲストの遠藤氏は、中国の擁護をした。

 「中国の意図は、日本攻撃というより、アメリカへの意思表示なのです。」「習近平氏が、中華民族の偉大な復興をするのだと、演説しました。」「アヘン戦争以来の屈辱を、覆すのだという意思表示なのです。」「尖閣への領海侵入は、南京事件と同じ日の、同じ時刻に行われました。」「日本では報道されませんでしたが、中国ではマスコミが伝えていました。」

 「1992年に、中国は領海法をつくりました。」「つまり、ソ連の崩壊と同時に、中国は、領土問題に本気を出し始めたのです。」「小平だって、力がつくまでは隠れていろ、力がつけば外へ出ろと、国内では言っていました。」

 さすが朝日新聞社から、著作を何冊も出している遠藤氏は、平泉氏に賛意を示さなかった。中国の内情に詳しいと言いたいのだろうが、だから中国の、日本への非礼や背信が、許せるのかと聞き返したくなった。
 
 「1966年から、1976年にかけての10年間に、文化大革命がありましたね。」「子が親を殺し、親が子を殺し、近隣に住む人間を密告し、」「酷い殺し合いをさせ、近隣社会を崩壊させました。」「先生を弾劾し、暴力を振るい、国民の中の倫理観も、モラルも壊させました。」

 「あれ以来中国は、人間の社会でなく、動物の社会になったのではないでしょうか。」「毛沢東が国内でやったことは、日本の軍国主義どころではありません。」「それなのに、誰も毛沢東批判ができない。これが中国の宿痾であり、深い傷でしょう。」

 老いた平泉氏は、時々言葉が不明瞭になったが、語っている内容は、年齢を感じさせなかった。
「中国には、法の前の平等という概念が、ありませんね。」「人間関係は、武力で決まるという、危険な考え方を持っています。」「大国である中国と、小国という思想です。」「だから中国は、自国と対等な外国というものが、認められない。」「力の論理しかなく、物事を縦系列でしか見られない、気の毒な国です。」

 対談が始まった頃の氏は、穏やかに中国を語り、中国の友人や政治家たちに、好意を寄せていたのに、尖閣問題以降の動画では厳しい意見に変わった。

 「中国が日本を敵視してきたのは、日露戦争以来のことです。」「天安門以降、突然攻撃的になったというのでなく、これが本来の中国だったのです。」「日中友好の30年間は、中ソ対立の間に咲いたあだ花だったのです。」「日本と中国の対立は、今や世界中が注目しています。」「固唾を飲んで、見守っているといっても、いいでしょう。」

 「国連はやがて、中国のため、無力なものになります。」「安保理事国の一員として、拒否権を発動すれば、世界の問題は、何も動かせ無くなります。」「日本が何かしようとしても、敵国条項が邪魔をしますしね。」「本来中国は、戦勝国でありませんが、法的には有効ですから、誰も反対できません。」
 
 戦争放棄の憲法と同様、国際社会では、建前の虚構が大手を振るい、闊歩している。
先日中国で行われた戦勝記念パレードが、その最たるものだ。そのおりの演説でも、英国訪問時の演説でも、習近平は日本と戦って勝利した中国と大見得を切った。

 日本と戦ったのは、今は台湾にある蒋介石の国民党軍であり、当時の共産党は、戦場を逃げ回り、ゲリラ戦しかできなかった。世界の政治家の誰もが知っていながら、誰も反論せず、中国の大ボラを黙認している。「力は正義なり」、「権力は銃口から生まれる」と、言った毛沢東だが、残念ながら世界は今も、それを黙認している。

 かって世界の列強は、武力で国際社会を動かして来たし、戦前の日本も、同じ行動をしたのだから、一方的に現在の中国を、非難する気はない。

 しかし日本の国内で、中国を賞賛し続け、日本を貶めるお花畑の国民には、平泉氏の警告に耳を傾けてもらいたいものだ。己の生の尽きる日を感じつつ、それでも語らずにおれなかった憂国の心情を汲み取ってもらいたい。動画にいた氏は既に亡く、故人となられた事実を思えば、「大切なご先祖様の遺言」として、聞かずにおれないものがあるでないか。

 「憲法と安保の組み合わせで見たら、日本の実態は、アメリカの保護国です。」「おそらくこれは、国際社会の常識ですが、日本ではそうなっていません。」「日本は戦前、欧米については研究しても、中国は軽視してきました。」

 「本来なら、中国については、日本に任せろというくらいの、気概を持つべきなのです。」「敗戦後の日本は、国際社会から隠居し、アメリカに頼ってきました。」「独立への対応も、その体制も、準備せず、」「第一、国民の危機意識からして、無くなっています。」

 「日本は、大国である米中のはざまに位置し、大国の動きで存亡が決まるのです。」「他の国々と連合を組まなくては、生きていけないのです。」「日本はグローバル化しないと、中国とは対抗できません。」

 「本来の日本は、世界の代表として、中国と対抗できる国のはずなのですから、」「引きこもっていては、ダメなのです。」「そのためには、意思表示のツールとしての英語が、駆使できなくてはいけません。」

 安部総理の言う「グローバル化」が何を指しているのか、私にはいまひとつ分からないが、氏の言われる意味を含むのなら、反対どころか大いに賛成だ。

 ついこの間、沖縄の翁長知事が、国連で演説した。基地問題に絡め、政府の横暴を訴え、沖縄住民は人権を抑圧されていると、中国に負けない大嘘をついた。

 この時沖縄の若い女性が、同じ日に、国連で知事への反対意見を述べた。我那覇さんという名前でしたが、彼女の演説を聞いて驚いた。彼女は日本語でなく、英語で堂々と、自分の意見を述べたのだ。

 「沖縄住民は、人権の抑圧はされていません。」「住民は先住民などでなく、日本人です。」「知事のプロパガンダを信じてはなりません。」

 ・・そういう内容だったが、若くても素晴らしい人物がいると、感動した。それだけに私は、ツールとしての英語を、駆使できるようにすべしという、平泉氏の意見に心を動かされる。

 氏のご冥福を改めて祈り、心から哀悼の意を表し、この「ミミズの戯言」をご霊前に捧げたい。


 
 

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急がれる、国民としての責務

2015-11-01 23:06:31 | 徒然の記

 体調不良のため、しばらくブログを休憩していたら、「日本も世界も、一歩たりとも歩みを止めません。」とコメントを貰った。

 自分でも実感しているので、これを好機とし、一度状況を整理してみたい。

 マスコミやネットの情報から、現在の日本が、問題として抱えているものを、順不同に上げてみよう。

  1.「偏向報道をする、反日のマスコミ」

  2.「反日売国の、野党議員」

  3.「国防を忘れた、お花畑の国民」

  4.「九条の会を支援される、皇后陛下」

  5.「祈りを忘れた、皇太子ご夫妻」

  6.「利敵行為に明け暮れる、沖縄の政治家とマスコミ」

  7.「在日韓国・朝鮮人」

  どれも、日々世間を騒がせ、国民を傷つけている難題ばかりだ。4.「九条の会を支援される皇后陛下」と 5.「祈りを忘れた皇太子ご夫妻」については、ブログの世界でしか語られないが、初めて知った時は目の前が暗くなった。

 私は特別皇室崇拝者でないが、一人の国民として、敬意の念を払っている。天皇皇后両陛下や、皇太子ご夫妻に対しては、悪し様の批判を控える節度も有している。天皇が、日頃は空気のように無縁と思われていても、国民に大切なものであるという点に、疑問を抱いていない。

 八百万の神々の存在する、寛容な国である日本。多様な宗教を受け入れても、同化されることなく、矜持を守ってきた日本。そして、庶民が知る、知らないに関わらず、国の根幹を守ってこられた、天皇の存在がある。日本人の魂の中心にあった天皇の座が、平成になって以来、大きく揺らいでいると知った驚きがある。

 美智子様も雅子様も、平民出身のお二方は、開かれた皇室の担い手として、ご成婚の折には、国民に祝福された。その時喜んだ者の一人として、私は、現在の状況は予想すらできなかった。

 皇后陛下が、「九条の会」をご支援されていると聞いた時は、思わず耳を疑った。
この会こそが、「反日と亡国の団体」であり、日本人の魂を腐らせる活動をする、組織体だというのに、皇后陛下が親しく心を寄せられるなど、とても信じられなかった。

 一方で雅子妃は、公務の全てを忌避され、天皇の神事に、ご参加の意思もないと聞く。
国民のための平穏と幸せを、常に祈られる方だから、私たちは、天皇へ尊崇の念を抱き、結果として、日本の歴史が守られてきた。それだけに、皇太子妃の現状は、看過できない「国の惨事」である、と感じた。

 皇后陛下と皇太子妃のご出現により、歴史と伝統が、途絶、崩壊する事態となりつつあることを、このまま黙っていて良いものだろうか。あまりに微妙で、剣呑で、困難な問題であるため、正面きって報道もされず、知る者も少ない、皇室問題である。述べている私ですら、このまま触れずに済ませられないのかと、心の痛みが生じている。

 皇后陛下はカトリック教、皇太子妃は創価学会と、今も宗教団体とのつながりを持たれていることも、原因の一つだ。

 神道の総本山ともいうべき、天皇家に嫁して尚、別の宗教を信じるお二人は、よくも長い間、国民に隠されていたと、失望させられた。本来ならもう一歩踏み込み、お二人を許容されている、お方たちのことが、背後にあるのだが、今はそこまで言いたくない。

 しかし、このお二人の行為が、国内の「反日売国の徒」に、どれだけ勇気を与えているかと、想像すれば、暗澹たる思いに駆られるのは、私だけであろうか。社会の頂点におられる方々がされることは、些細な笑みでも、会釈でも、大きな支援となってしまう。お二方が無意識に、あるいは善意でなされたとしても、皇室の一員である限り、その行為や言動は、計り知れない大きさで国民に伝わる。だからこそ昭和天皇は、あらゆることに、慎重な対応をされた。

 「ご退任を」・・と、保守言論人の一人が、皇太子ご夫妻に懇願しているのを最近知ったが、国民にやれることは、せいぜいこんなお願いしかない。

 もしもマスコミが報道するように、お二方が賢明であるのなら、もっとご自分のお立場を、知って欲しいでないか。宮内庁にも政府にも、ご忠告する者すらいないというところに、悲しくも、見えてくる国の崩壊の兆しがある。

 皇后陛下と皇太子妃については、ここで終わりにするが、7つの問題は、それぞれ単独に、無関係に、生じているのではない。1から7までの問題は、全てが繋がっている。共通するキーを明確にし、「急がれる、国民としての責務」を、述べたい。

 問題の全てに共通する「キー」は、「共産党思想」という結論になる。国の行く末を考えている者なら、誰もが納得する答えだと思う。

 ソ連崩壊と共に、共産党思想が崩壊したにもかかわらず、今なお階級闘争を掲げ、革命の夢を捨てようとしない、時代遅れの政党とその親派たちが、7つの問題の影の主役である。政権をとれば、かってのソ連、あるいは今の中国や北朝鮮のように、国民弾圧の一党独裁政治へと変貌する。危険な政党なのに、騙される国民が沢山いる恐ろしさは、いくら強調しても、し過ぎることはない。

 マスコミにも、政界にも、共産党員とその協力者がいる。各地で騒ぎを起こす在日や、沖縄で活動する左翼は、すべて共産党思想とのつながりで動いている。

 三年間政権を取り、政府をかき乱し、国民に不幸をもたらした民主党だが、あれが共産党だったら、こんなものでは済まなかったはずだ。批判でもしようものなら、警察に連行され、反対意見を持つ者は、刑務所へ入れられる。殴られたり蹴られたり、殺されたり、そんなことが、日常茶飯事の日本になっていたに、違いない。

 衣の下に鎧を隠し、いざとなれば牙をむく、共産党の恐ろしさは、歴史が証明しているのに、事実が見えない国民が沢山いる。

 「子供たちを戦場にやるな。」「平和な国をつくろう。」「思いやりのある政治をしよう」などと、善意の男女を美しい言葉で誘い、どれだけの国民を虜にしているのだろう。

 共産党の罪深さと、恐ろしさは、党員やその親派と言われる人々の、名前と顔を知れば、即座に理解できる。参考のため、ネットの情報から探した、共産党員または、共産党の協力者と呼ばれる、人物の名前を、一部分引用してみよう。

 作家では、井上ひさし、安部公房、小田実、松本清張、

 漫画家では手塚治虫、いわさきちひろ、

 映画監督では今井正、宮崎駿、山田洋次、

 歌手では加藤登紀子、美輪明宏、ヘギー葉山、

 俳優では宇野重吉、宇津井健、岸恵子、吉永小百合、

 その他黒柳徹子、永六輔・・等々、とても書ききれない。

 著名な彼や彼女らに語りかけられれば、お人好しなら、誰だって騙される。かく言う私でも、彼らが共産党の親派だと知らなければ、嬉々としてついていくに違いない。

 こういう著名人は、信念を持った確信犯か、単に利用されているだけなのか、実態はよく知らない。けれども、広告塔として、こうした人間を集めるだけの力を、共産党がもっていることを、侮ってはならない。

 表では著名人が微笑みかけ、裏では、沖縄の左翼活動家や、反日の在日活動家たちの暴力がある。日本の隅々にまで浸透する組織は、長い年月の積み重ねと、活動の成果だから、10年や20年で作られるものではない。

 私の危惧は、共産党思想の日本破壊活動に、皇后陛下が手を伸べられているという、疑念にある。もしかすると、共産党の糸につながっているとも知らず、善意の人道主義から、良かれとされているのかもしれない。しかし私はお伝えしたい。一般国民のすることなら、それは「小さな親切、大きなお世話」で終わりになるが、高貴な方が為されることは、「小さな親切、大きな国難」となることを・・。

 最後に、本日のブログの結論だ。

「急がれる、国民としての責務」とは何か。
それは、たとえこのブログが、「みみずの戯言」でしかなくとも、、共産党思想の罪深さと危険性を、訴え続けること。選挙で共産党と、その親派の議員に投票しないこと。この二つだ。

 大上段に構えたが、私たち国民が、個人でやれることは、現実にはこんなものしかない。だが小さな声でも、世論となるのなら、必ず選挙の一票につながり、政治を変え、日本を変えると、信じている。

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